あれは1997年の夏──携帯電話やパソコン、インターネットも一般家庭にはあまり普及していなかった時代のこと。  僕──猫宮 弘(ねこみや ひろむ)は、アニメを視聴するのが大好きな高校二年生だった。  § 「どうしよう、もやもやする……」  夏休み初日。映画館に行き、ずっと前から上映されるのを楽しみにしていたアニメ映画を見終わった僕は、放心状態だった。内容が難解すぎたうえ、すっきりと気持ちよく終わる映画でも無かったからである。  良くも悪くも、誰かと感想を語り合いたくなるような内容だった。なのに、僕には友達が居ない。  成績は並。運動は大の苦手。内気で口下手なデブ。そんな三毛猫獣人である僕にとって、友達を作るという行為はとてもハードルが高かった。  パソコンがあればBBSってやつで色んな人と語り合えるらしいけれど、そんな高価なものは家には無い。結局、僕はこのもやもやした気持ちを自分の胸の内に抱えるしかないようだ。    とりあえず、家に帰ろう。そう思った僕が映画館から一歩足を踏み出した瞬間── 「猫宮くんじゃん。おっす」  蝉の鳴き声と一緒に、聞き覚えのある声が僕の耳に飛び込んできた。 「……こ、こんにちは」  野球のユニフォームを着た、筋肉質で肩幅が広い虎獣人のクラスメイト──虎田 匠(とらだ たくみ)くんに、僕は挨拶を返した。  野球部のキャプテンになったばかりの彼は、お調子者で、誰にでも積極的に話しかけるタイプの男である。こんな陰気なオタクである僕にさえ、学校ではちょくちょく話しかけてくるのだ。  居ても居なくても変わらないような僕と違い、虎田くんはクラスの人気者。夏の日差しよりも眩しい存在である。 「映画を観てたのか?」 「う、うん。……虎田くんは、部活帰り?」 「おう。見ての通りだ」  虎田くんが着ているユニフォームは、あちこちが土色になっている。きっと、真面目に部活を頑張ったのだろう。 「……部活、大変そうだね」 「まあな。監督から怒られる事が多いし、部員同士で喧嘩する事もしょっちゅうあるしよ」  美術部の幽霊部員である僕には考えられない世界だ。厳しい運動部なんて、僕には耐えられない。もし僕が野球部に入部していたら、初日で逃走していただろう。 「へへっ、でも今日は良い事があったんだぜ」  猫宮くんは頬を掻きながら、嬉しそうに笑った。 「良い事?」 「何があったか知りたいか?」 「まあ……」  気にならないと言ったら嘘になる。 「じゃあ、オレんちに来いよ! 折角だから、猫宮くんにも幸せをお裾分けしてやる!」  幸せのお裾分けって何だろう。全く想像がつかない。 「えっと、僕は……」  クラスメイトの家に行くなんて、ハードルが高すぎる。幸せのお裾分けとは何なのか気になるが、それ以上に、僕なんかが彼の家に行くのは迷惑ではないかという気持ちが上回った。  やんわりと断ろう。そう思ったのだが……。 「善は急げ! 行くぞ!」  虎田くんが僕の手を取り、住宅街に向かって走り始めた。 「ちょ、待って!?」  彼に手を引かれ、風を切って走る。  それではここで問題。運動が苦手な僕が、野球部のキャプテンである彼の走りについていくとどうなるでしょうか。  はい。正解は──めちゃくちゃ息切れして、汗だくになり、膝が笑って死にそうになる、でした。正解率は百パーセントだね。  §  虎田くんに手を引かれて辿り着いたのは、白くて小綺麗な一軒家だった。  彼曰く、同居している両親は旅行で不在だから遠慮なく上がっていいとのこと。 「心臓が破裂するかと思った……」  手を引かれたまま虎田くんの部屋に入るのと同時に、僕は膝から崩れ落ちた。 「悪かった! ま、これでも飲んで元気出せ!」  床に倒れた僕を気遣ってか、虎田くんが飲み物を持ってきた。喉がカラカラだったので、大変ありがたい。  なんとか身体を起こした僕は、中身も碌に確認しないままコップを掴み、一気に飲み干した。 「……美味しい」 「だろ? 夏はやっぱカルピスだよなー」  虎田くんは立ったまま、腰に手を当ててカルピスをごくごくと一気飲みした。豪快である。 「……もしかして、幸せのお裾分けってこれ?」 「違う違う! もっといいやつだ」  カルピスを飲み干した虎田くんはコップを勉強机の上に置き、恐らくは野球道具やらが入っているであろう鞄をごそごそと漁り始める。  カルピスのおかげで少し余裕が出てきた僕は、彼が鞄を漁っている内に部屋を見渡して観察してみた。  勉強机とベッド。それに、テレビとビデオデッキまで部屋の中にある。僕の家にはリビングにしかテレビとビデオデッキが無いから、羨ましい。 「あった! これだ!」  彼が鞄から取り出したのは、ビデオテープ。それを見た瞬間、僕は中身を察してしまった。 「……虎田くん。それ、未成年が見ちゃいけないやつじゃないよね?」 「おっ、よく分かったな!」  僕たちの年代が興味を持つビデオなんて、アレしかない。エッチなビデオ──いわゆるAVだ。 「監督がな、これを貸すから頑張れよって言ってこっそり渡してくれたんだぜ」  おい監督。野球を教える立場の大人が変なものを教え子に渡すな。何を頑張らせるつもりだ。 「えっと……」  この状況をどう切り抜けるべきか。クラスメイトとエッチなビデオを視聴するなんて、気まずすぎる。  ……そりゃまあ、僕も男だからエッチなビデオに興味が無いわけではないけどさ。 「あっ……」  僕があれこれ考えている内に、虎田くんはビデオデッキにビデオテープを吸い込ませた。  ──程なくして、ブラウン管テレビに下着姿の虎獣人の女性が映し出される。それを見た瞬間、僕の鼓動が早くなった。 「よっ、と」 「と、虎田くん!?」  虎田くんは、躊躇せずにユニフォームのズボンとトランクスを脱ぎ捨てた。  ──皮を被った長いおちんちんが、上向きになっている。彼はすでに興奮しているようだ。 「ほら、猫宮くんも脱いじまえ。男同士だから恥ずかしくねえだろ?」  いや、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけれど。  ……だが、もしもこの状況で僕が恥ずかしがって脱がなかったらどうなる? ノリが悪いやつだと思われて彼に幻滅されるのでは? そうなると、夏休み明けの学校生活が地獄である。唯一まともに話しかけてくれるクラスメイトから、あいつノリ悪くてつまんねーから無視してやろうみたいな扱いをされたら立ち直れないよ。虎田くんはそんな酷い奴ではない気もするけれど……でも、万が一があってはいけない。 「そ、そうだね。男同士だしね」  彼の興奮が伝播して、僕のおちんちんも硬くなっている。そんな状態で脱ぐのはとても恥ずかしいのだけれど──結局、場の雰囲気に流されてズボンとパンツを脱いでしまった。流されやすい男。それが僕である。 「……でっけえ!?」 「え?」  虎田くんが、僕のおちんちんを見て急に叫んだ。 「猫宮くんのちんこでかすぎだろ!」 「そ、そう?」  誰かと比べた事なんて無いから、大きいと言われてもピンとこない。でも確かに、虎田くんのと比べると太いかも……? 「クソッ、なんか負けた気がする……」 「さ、流石にじっくり見られるのは恥ずかしいから、あまりこっちを見ないでくれるかな……?」 「わ、悪い」  虎田くんは少し慌てて、テレビの方に視線を向けた。  いつの間にか、画面には全裸になった虎獣人の女性が映し出されていた。大きく股を開き、自らの女性器を指で弄っている。  ──それから、僕たちは横並びで床に座り、無言で自らのおちんちんを扱き始めた。  実は、僕がエッチなビデオを見たのはこれが初めてである。だから、初めて見る異性の淫らな姿に興奮してしまうのも自然な流れ。  ……そう思っていたんだけれども、何故だか虎田くんの方が気になって、チラチラと視線を向けてしまう。 「……っ、は……」  虎田くんは時折変な声を漏らしながら、自身のおちんちんを激しく扱いている。 「……っ」  緊張で、思わず生唾を飲み込んでしまった。  ──テレビから、艶めかしい声が漏れ始める。その声に合わせて、隣から聞こえる虎田くんの吐息も少しずつ荒くなっていく。  僕は自分のものを扱きつつ、テレビの画面を眺めているふりをしながら、隣の彼の様子ばかりを窺っていた。  虎田くんの手が上下に動くたび、汗ばんだ太ももの筋肉が微かにに震えているのが分かる。 「うおっ、すげえ……」  画面の中の虎獣人の女性が、甲高い声を上げて仰け反った。その瞬間、虎田くんの息が詰まるように止まる。  虎田くんのおちんちんの先端からは透明な雫が大量に流れ出ていて、それが糸を引いて彼の指に絡みついていた。 「はぁっ、やべ、気持ちいい……」  虎田くんが、消え入りそうな声でそう呟いた。その呟きが、妙に生々しく耳に残る。  何故だろう。初めて見る猥褻な映像よりも、隣で汗をかきながら自慰に耽るクラスメイトの方に意識が向いてしまうのは。  ふと、虎田くんの手が止まった。そして、彼の顔がゆっくりとこちらを向く。視線が合った瞬間、僕は慌ててテレビに目を向けた。だが、多分手遅れ。彼に意識が向いていたのはバレバレだっただろう。  恐る恐る、横目で虎田くんの様子を伺ってみる。──彼の視線は、僕のおちんちんに向けられていた。 「なあ、猫宮くん」  虎田くんの声が、さっきまでより少し低かった。僕は返事の代わりに、こくりと頷いた。 「お互いに、お互いのちんこを扱いてみようぜ」  その言葉を聞いた瞬間、僕の心臓は破裂しそうなほどに跳ねた。  返事をする前に、虎田くんの手がゆっくりとこちらへ伸びてくる。彼の指先が、僕の手の甲に触れた。  汗ばんだ指は熱くて、でも嫌じゃなかった。その事に何故だか焦ってしまった僕は、慌てて自分の手をおちんちんから離してしまった。そのせいで完全に露出した僕のおちんちんを、虎田くんの手が包み込む。  彼の手のひらは野球が原因でできたであろう豆だらけで、ざらざらしていた。それが意外なほど気持ちよくて、僕は喉の奥から変な声が漏れそうになるのを必死に堪えた。 「すげえ硬いな……」  虎田くんの指が、ゆっくりと上下に動き始める。  自分の手とはまるで違う、他人の手による刺激。ぎこちないのに、自分で扱くよりも気持ちいい。 「っ、僕も……」  一人だけ気持ちよくなるのは申し訳ないから、僕も彼のおちんちんを握って上下に扱く。 「うっ、あ……!」  彼のおちんちんの先端からはさっきまでよりもさらに多くの透明な液が滲み出ていて、それが僕の指を濡らし、滑りを良くしていく。  滑りが良くなっているのは僕も同じなようで、虎田くんの手の動きが徐々に早くなっていった。  自分の手でするのとはまるで違う、不器用なのに容赦のない刺激。僕の身体が、思わず震える。  テレビからは女性の艶めかしい声が流れ続けているけれど、もうほとんど耳に入ってこない。それよりも、僕の手の動きに合わせて漏れる、彼の声の方がずっと大きく聞こえていた。 「こことか、気持ちいいんじゃねえか?」  虎田くんの指が、鈴口をくちゅくちゅと弄る。その瞬間、下腹のあたりがきゅうっと締め付けられるような感覚が走って、思わず彼のものを握る手に力がこもった。すると虎田くんが、 「っ、あ……やべっ……!」  と低く呻いて、僕のものを扱くスピードを速めた。  まるで競い合うみたいに、互いの手の動きがどんどん激しくなっていく。 「はぁっ、猫宮くん……そろそろ、イきそうかも……!」  虎田くんの声が震えている。その声を聞いた瞬間、僕の背筋をぞくりと何かが駆け抜けた。自分が彼を気持ちよくさせているという事実が、こんなにも胸を高鳴らせるなんて思わなかった。  僕は夢中で手を動かした。彼の反応がもっと見たくて、もっと聞きたくて。 「っ、イくっ、イくう……っ!」 「僕も、もう……う、あああっ!!」  やがて僕たちは、互いの手の中で同時に果てた。  どろりとした雄の証が指の間から漏れ出ていき、雄特有の臭いが熱気を帯びた部屋にむわりと充満する。    ──それから、僕たちは肩で呼吸をしながら、無言で射精の余韻に浸った。  § 「若さ故の過ち、ってやつだったのかなあ」  あれから三十年近くの時が過ぎた。それなのに、夏が来る度にあの爛れた行為を思い出す。そして、僕のおちんちんは年甲斐もなく硬くなるのであった。 【了】