いかがされましたか?ある…旦那様。 …頼みですか?一番信頼している、妻である私にしか頼めない? 勿論です。この伊吹、たとえどんな任務であろうとも務めてみせましょう。 …仕事とは関係ない?し、失礼しました!早とちりしてしまい申し訳ございません…。 …それで、頼みとはいったいどのような…? --- 柔らかな電球色の明かりと傾いた日の光が、室中を包んでいた。 橙色に染まったその部屋はどこか甘くて優しい香りが漂っていて、整理整頓が行き届き少々殺風景な印象を抱かせる部屋に彩りを添えていた。 そして今、そんな空間には似つかわしくない、ベッドの上に広げられた黒い光沢の塊たちを前に、伊吹は唇を噛んでいた。 伊吹「……これを、私が……?」 その衣装は、まるでコールタールをそのまま固めたような艶めきを放つ黒。 混ざり合った二つの光が、衣装の表面に妖しく光る艶を浮かび上がらせている。 彼女はそっと指先でその衣装に触れた。滑らかで冷たい手触り。 まるで己の意志を持つかのように、皮膚に纏わりついてきそうな質感は指先に吸い付くようで、触れるだけでわずかに心臓が跳ねる。 トップスはコルセット風で、胸元にはクロスした紐が施され、谷間を大胆に露出するようデザインされている。 肩から上腕にかけては完全に剥き出しで、装飾は最小限。露出の多さに思わず目を逸らしてしまいそうだ。 着る前から分かる、これは――露出が激しすぎる。 これを着る? 誰が? 自らが? それだけではない、これを着て自分は何をする? 伊吹「伊吹がこの手で…旦那様に…加虐を…」 これから行われる二人の情事を口に出して、戸惑いと照れが胸に渦を巻く。 伊吹はKAN-SENとしてこの世界に産まれ、歌を詠み、剣の腕を磨き、仲間と共に戦い、そして指揮官と愛を育んできた。 だがこれから行われることは、これまでの経験にはない未知の領域。 それに加えて、事前に仕入れた知識が伊吹の心により一層大きな不安を膨らませていた。 この力は、指揮官や仲間に害をなす存在を打ち払い、平穏のために振るわれるもの。 それを、契りを交わし伴侶となった愛する指揮官に振るう。 いくら本人の頼みとはいえ、伊吹にとって到底受け入れられるものではなかった。 しかし、彼が言ってくれたその言葉の重みも真剣さも、ひしひしと胸の奥に残っている。 『一番信頼している、妻であるお前だからこそ、頼めるんだ』 あの日、資料と衣装を渡してきた彼の目には、一抹の緊張と期待が滲んでいた――まるで、自分の願いが拒まれるのを恐れているかのように。 それでも彼は恐怖を乗り越え、自分を信じて頼ってくれた。その頼みを無下にすることはできない。妻として、彼の信頼に応えたい。 そんな想いが、伊吹の背をそっと押したのだ。 結局は折れてしまう自分に苦笑を洩らしつつ、彼女は机上の写真立てへと目を向けた。 机の上に置かれたそれは、二人で母港の花火を見た夜の写真。 彼が肩を寄せて、彼女の髪にそっと口付けしている瞬間を明石が収めたものだ。 あの日の潮風の匂い、静かに寄り添っていた温もりが、衣装の冷たさを忘れさせるほどに胸に広がる。 自らの手で衣装のコルセットを広げながら、伊吹は心の奥にある決意をそっと掴んだ。 「……妻として、信頼に応える。……それが、私の役目」 立ち上がった伊吹の視線に、迷いはなかった。ボンデージ衣装を胸に抱き、自分の心を静かに整える。 暖かな部屋の空気の中で、冷たい衣装が少しだけぬくもりを帯び始めたような気がした。 伊吹は服に手をかけ、上着、そして下着と、ゆっくりと脱いでいく。その動作のたびに、空気がわずかに震え、緊張が肌に染み込んでくる。最後に残ったパンツを下ろし、脚を滑らせるように脱いだとき、布の擦れる音と共に床へと落ちる音が部屋の静寂を震わせた。 手早く脱いだ服を畳んだ後一度深く息を吸い込む。視線を落とした先、ベッドの上には黒いラテックス風の衣装が整然と並べられていた。コルセット、ビキニパンツ、グローブ、ブーツ、チョーカー……一つ一つが彼女にとって未知の質感と意味を持っている。 指先でまず手に取ったのは、チョーカー。その細く柔らかな革紐を、慎重に喉元へと当てて巻きつける。ぱちん、と金具の留め具が軽く音を立てて閉じた。肌に密着した感触がぞくりと背中を走り抜けた。まるで“契り”のように、薄いチョーカーが彼女の存在を縛る。 次に手に取ったのは長い黒のグローブ。片腕ずつ指を滑り込ませていくと、ぴったりと肘上までを覆うラテックスの伸縮が、彼女の細い腕を艶やかに包み込んだ。指先までもう一枚皮膚を重ねたような圧迫感――普段の装いでは決して味わえない、異質な感触。 「これだけで、もう……」 わずかに赤らんだ頬を手で隠し、彼女は衣装の本体へと視線を落とした。 コルセット風のトップスは、その胸元にクロスした紐が施されている。 片手で紐をほどき、背中側のジッパーを開くと、重さと艶を併せ持つそれが、まるで蛇の抜け殻のように音を立てて広がった。 意を決して、伊吹は腕を通し、ゆっくりと肩まで引き上げる。 素材が肌を舐めるように這い、胸元まで覆った時点で彼女の体温が一気に跳ね上がった。 「……し、締めすぎ…でしょうか…?」 きつくウエストを絞る構造に思わず苦笑しながら、コルセットの紐を手繰って調整する。 だが、その締め付けがかえって彼女の身体の曲線を強調し、肋骨の膨らみから下腹部の滑らかな起伏、露出した肩と上腕の柔らかな肌のコントラストを、鏡に映してより艶やかに魅せた。 次に、極限まで布面積を削ぎ落とした黒のビキニパンツに脚を通す。 光沢を纏った小さな布片が、彼女の下半身をほんの僅かに隠すのみで、ヒップラインの丸みと太腿の付け根の柔らかさまでもくっきりと浮かび上がらせる。 「……うぅ、これで歩いたら、響きそう……」 呟きながらもぎこちなくガーターベルトを太腿に巻き、ブーツを一足ずつ履いていく。 長いブーツが腿の付け根までを包み、膝裏を締めつける感覚にまたぞくりとした緊張が走る。 そして――全てを身に纏い終えたその瞬間。 伊吹はゆっくりと姿見の前に立ち、そこに映った自分を見た。 「っ……」 息が止まった。 鏡の中、そこに立っていたのは、“伊吹”であって“伊吹”ではなかった。 黒のエナメルが放つ艶。谷間を際立たせるコルセットの紐。 柔らかく露出した肩と上腕に、艶やかな黒のグローブ。 脚を包み込む長いブーツに、細く目立つチョーカー。 そこにいたのは、鋭さと艶やかさを併せ持ち、冷たく支配的な気配すら纏う、紛れもない“女王”であった。 「わ、私……?」 戸惑いが口をついて出た。だが、否定できない。 鏡の中の彼女は、確かに美しかった。自分自身が、見惚れてしまうほどに――淫靡で、凛としていて、非日常的。 「この……姿で……旦那様と……」 思わず胸元に手を当てた。 その触れた感触が、布越しにわずかに硬さを持ち、心拍が早まっていることを伝えてくる。 頬は自然と火照り、耳まで紅潮しているのがわかる。 その時、ふと頭の奥で、かすかに“想像”が始まった。 予備知識として読んだ本の内容に、自らと指揮官を重ねて。 ――この姿で、あの人を跪かせて、その背中に靴底を擦り付けて。 ――うつむき視線を逸らす彼の顎を掴んで上を向かせて。 ――「目を逸らしてはダメよ」と囁いて、わざと顔を近づけて。 ――「罰が欲しいの?」と笑って、ゆっくりとグローブの指で頬を撫でて。 ――そのまま、頬をぴしゃりと……軽く、叩く。 「――っ」 一気に加速した妄想を我に返りシャットアウトする。 顔を覆ってしまいたくなるほど生々しく、濃密で、そして――どこか、背徳的。 「わ、わたし、今……」 目の奥が熱い。胸の内がざわざわと揺れる。 あの想像の中の自分は、まるで本当にそうすることを“楽しんでいた”。 愛する伴侶を、支配して、苛めて、翻弄することを……。 「……違う…!私が…そんなはず…!」 思わず手の平を握りしめ胸を押さえた。 心の中で誰にともなく否定するが、否定すればするほど、想像の断片はより鮮明になっていく。 彼の苦悶を浮かべた顔、だけどどこか安心したような甘やかな表情。 その顔を、自分が見下ろしている。妖しくも、美しさを感じる笑みを浮かべて。 「私……女王様になんて、なりたい……わけじゃ……」 不意に、胸の奥がくすぐったく疼いた。 じわ、と汗ばむような感覚とともに、そこに何かが芽吹こうとしている。 それは、無意識に抑え込んできた“願望”なのか。 それとも、今の姿が無理やり引き出した“新しい自分”なのか。 今の伊吹には分からないことであった。 「……」 沈黙の中で、伊吹はもう一度鏡を見つめた。 見惚れていたのは事実。 拒絶したいはずの想像が、胸の奥でなぜか甘い痺れのように残っているのも事実。 そして、その痺れがどこか甘美であったことを完全に否定できない自分がいる。 愛する伴侶の願いに応えるために選んだ道。 でも、その先にあるのはきっと、“演技”だけじゃない。 鏡の中の“女王様”は、これから始まる淫靡な夜を経て何かを得ようとしているようにさえ思えた。 伊吹はそっと目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。 「旦那様…私、怖いです。今までの自分が壊れてしまいそうで。……でも、それでも――貴方が望むのなら」 その小さな呟きと共に、指先が再びグローブの縁を撫でる。 触れたエナメル生地の感触は、伊吹にとっては既に“異物”ではなくなっていた。 皮膚の延長線上にあるような、馴染んだ艶。 彼女の中に産まれた女王の仮面は、既に伊吹の心に影響を及ぼし始めていた。 ‐‐‐‐ 昼間は喧騒の絶えない母港も、夜の帳が降りれば、まるでその息を潜めるかのように静まり返る。 綺麗に磨かれた通路に響く革靴の規則的な足音は、やがてある一室の前でぴたりと止まった。 ノブに手をかける前に扉が、音もなく内側から開かれる。 「おかえりなさいませ、旦那様」 出迎えたのは重桜に属するKAN-SEN・伊吹。 指揮官とケッコンを果たし、今は彼の“妻”として、二人の私室で彼を迎える立場にある。 いつものような静かで柔らかな微笑を湛えながら――ただし、その装いは、普段のそれとはまるで異なっていた。 胸元に艶やかな光沢を放つ黒のコルセット。 その谷間には紐がクロスし、柔らかく、しかし誇らしげにふくらみを強調している。 両腕には肘上までを覆う黒いグローブが密着し、脚には太ももの上部までを艶めかしく包むブーツ。 ヒールの鋭さが重みを足元へ集中させ、要所を支えるようにガーターベルトがピンと張っていた。 首元には細いレザーチョーカーが煌めきを添えて、全体の装いを締めている。 それはまさに“女王様”の姿。――もちろん、ロイヤルの女王陛下のような由緒ある称号とはまるで異なる意味を持つものではあるが。 もしこの場に指揮官以外の目があれば、艦隊の誰もが目を剥いたに違いない。 指揮官は口元を緩め、視線でゆっくりと全身を撫でるように眺め、短く頷いた。 「準備万端、ってわけだな」 「はい。いつ戻られても良いよう、時間前に整えておきました」 「そんなに待ちきれなかったのか?」 挑むような軽口に、伊吹は眉をわずかに寄せ、唇を結ぶ。 「伊吹は、そのようなはしたない女ではありません」 「2週間前だったかな、ベッドの上で慰めてた時のことをつい思い出してさ」 「あ、主殿っ!」 頬を染め、思わず声を荒げる。 その瞬間、指揮官は唇の前に人差し指を立て、「シー」と囁く。 長針が天頂を指すまであとわずか。 深夜の廊下に響く声は控えるべきだ――と、伊吹も悟って息を整え静かに身を引き、開けた扉の向こうへ夫を招き入れ、扉が閉じられる。 「すまない。伊吹はからかい甲斐があるから、ついな」 「……もう」 軽やかな詫びと共に、指揮官は外套を脱ぎ制服の上着をハンガーに掛ける。 微かな憤りと羞恥をごまかすように伊吹はそっぽを向くが、その声音は怒りよりもどこか照れ隠しに近かった。 室内灯を受けてチョーカーの革が、伊吹の胸の奥に甘く疼く熱を感じ取るように妖しく光っていた。 ‐‐‐‐ 上着と帽子を脱いだ指揮官は、静かにベッドに腰掛ける伊吹の隣へと歩み寄り、そっと腰を下ろした。 部屋の灯りは柔らかく、二人の影を淡く重ねて揺らす。 窓の端では風がカーテンをわずかに揺らし、静かな夜がそのまま時を止めているかのようだった。 無意識のうちに指揮官が差し伸べた手が、伊吹の腰の横に添えられていた。 その手は、グローブ越しに温もりを帯びた彼女の手をふと包み込むように覆う。 ぴったりと彼女の肌に吸い付いた黒いラテックスの生地の滑らかな感触に、指が自然と反応するように動き、ゆるく彼女の手をなぞるように絡め取った。 「……旦那様、くすぐったいです」 控えめに呟く声に、彼ははっとして指を引こうとする。 「あぁ、ごめん」 けれど、引かれたはずの手は、逆に伊吹の方からゆっくりと力を込めて、包み返すように握られた。 「……嫌とは、言っておりません」 その声はわずかに伏せられ、けれど芯の通った意志が込められていた。 指揮官は、握られた手の温もりにほんの少し息を止めた後、そっと視線を落とす。 その視線の先には、艶やかなグローブと重ねられた自らの指、そしてその先にいる伊吹の横顔。 柔らかな頬に淡く影が差し、チョーカーに縁取られた白い首筋が微かに揺れる。 「……無理をさせたんじゃないかって、ずっと思ってた」 ぽつりと、呟くような声だった。冗談でも、からかいでもなく、真っ直ぐで重い言葉。 いつもの軽口とは明らかに違う響きが、伊吹の胸にじわりと染み込む。 「俺の……欲望を、君に押し付けたかもしれないって」 「――本当は、数日かけて調べた。どんな衣装が伊吹に合うか、どこまでなら踏み込めるか。 俺はただ命令されたかったわけじゃない。伊吹と共にSMプレイをやることで得られる新たな”理解”や”愛”があると信じているからだ」 伊吹は黙っていた。否定もしなかった。ただ、そのまま手を握っていた。 口を開きかけて、ふと目線が部屋の隅に向かう。見慣れた自分の机。化粧台。洋服箪笥。二人で撮った写真。 日常の一部でしかないこの空間が、今夜はまるで異なる舞台のように思えた―― だが同時に、そこに確かに漂っているのは、“安心”という名の香り。 ここは“私たちの部屋”。――“信頼と愛の、一形態”。 そう思った瞬間、彼女の睫毛がふるりと震え、ゆっくりと口を開いた。 「……確かに、未だに……このような行為に、抵抗がないとは言い切れません」 言葉を選ぶように、ゆっくりとした口調だった。視線は重ならない。 けれど、その横顔に浮かぶ表情は真剣で、ほんのわずかに揺れていた。 「けれど……それでも私が今日、こうして装い、貴方を迎えたのは……貴方が私を、“信じて頼んでくれた”からです」 指揮官の手が、ふと強くなった。その感触に伊吹は目を閉じ、続ける。 「……それに」 少し間を空けたその一言は、彼女の胸の奥から、静かに滲み出たようだった。 「ここは、私たちの寝室――私たちだけの空間です。誰に見られることも、誰に咎められることもない……。 だからこそ、ここで行われることは……信頼と、愛の一つの形だと……そう、思っております」 言いながら、伊吹は自分の言葉が少しずつ現実に深く根を張っていくのを感じた。 今ここで、目の前にいる彼は、ただの“指揮官”ではない。夫であり、信頼を寄せる相手であり、そして……今夜だけは、自らの“欲”を委ねてくる者。 「……私も、まだ全てを受け入れたわけではありませんし、貴方の欲望に応えることが、伊吹の使命だとも思いません。 でも、少なくとも……妻として、貴方の願いに応えたいという気持ちは……偽りではありません」 「その欲望が、私たちの愛を深めるものなら。貴方が私とともに愛を育みたいと望むなら。私は……その旅路に寄り添いたい」 「伊吹……」 「この夜が、私たちの愛をもっと深く、もっと強くしてくれるものだと、私は……信じております」 その言葉に込められた決意は、静かで、だが確かなものだった。 語られなかった想像や、芽吹きかけた欲望は封じられている。 けれどその奥底で、伊吹は何かが目覚めかけていることを、確かに感じていた。 指揮官はしばらく黙っていた。だが、彼の眼差しは何よりも雄弁に答えていた。 彼女の言葉が、想いが、全て伝わっていると――そう告げるような、穏やかで深い光を宿していた。 伊吹が少しだけ、微笑む。ほんの一瞬だけ震えた心の奥に、確かな火が灯る。 「もし、女王様の演技をしている私が、本当に心からその役になりきってしまったら、どうしますか? もし私が……この“遊び”を楽しんでいたとしたら?」 問いかけた声は、どこか冗談めいていたが、そこにこもる不安と希望は隠せなかった。 指揮官は短く息を呑み、そして優しく笑った。 「それなら、それでいいんだ」 「え……?」 「お前が演技じゃなく、心から楽しめたなら。そんなに嬉しいことはない。 俺は……お前に無理をさせていないか、それだけが怖かった。 でも、もしお前が本当にその役を楽しめるなら、俺はそのお前に、惚れ直すだけだ」 伊吹の心に、ぽとりと温かい何かが落ちた。気づけば指先が少し震えていた。 恐怖ではなく、安堵と、信頼が混じった熱。 「……貴方って、本当に……ずるい方ですね」 思わず笑って、涙を拭った指先がグローブに当たってすべった。 やがて、彼は再びその手を握り返し、ゆっくりと頭を垂れた。 「ありがとう、伊吹……それじゃあ、始めようか」 「……はい、旦那様」 頷く声はわずかに震えていたが、確かに力強かった。 二人の想いが交わる音は、部屋の空気の中に溶けていった。 そして、穏やかで、しかし確かな緊張を孕んだ空気の中で、夜の幕がゆっくりと開きはじめた――。 ---‐ 室内に満ちる空気が、少しだけ変わった。 先ほどまでの語らい――謝罪と赦し、そして意思の確認――それが終わった今、二人を包む雰囲気はじわりと形を変え、次の段階へと移ろうとしていた。 ベッドに腰掛けたまま、指揮官が伊吹を見つめる。 いつもは自信に満ち、艦隊を率いる者として誰よりも堂々としているその男が、今はどこか期待を含ませた笑みを浮かべていた。 「それじゃあ、最初の一歩……ちょっとだけお膳立てをしようか」 その提案に、伊吹は思わず目を瞬いた。 唇がわずかに開き、返す言葉を探すように沈黙が流れる。 指揮官の目は真っ直ぐで、そこにからかいや躊躇の色は一切なかった。 「お膳立て……と、仰いますと?」 声が自然と小さくなる。 もしかして、もう始まっている?と察した時には彼は静かに立ち上がり、背筋を正して未だベッドに腰掛けたままの伊吹の目の前で跪いていた。 「“女王様らしい態度”で。命令口調で、ね。まずは、俺に――服を脱ぐように、命じてみてほしい」 お膳立ての必要性も、彼は分かっていた。伊吹が責めに入るには、“入口”が必要だ。 彼は、それも事前に思案し、この夜の段取りを練ってきたのだ。 彼の頭が、ゆっくりと垂れる。 「……この身、すべてを貴女に捧げます。今宵の我が身は、貴女の命令にのみ従います」 ぞわり――と、伊吹の背中を走るものがあった。 演技だと分かっている。けれど、彼の表情、声色、所作……全てが本気だった。 本来なら上官であるはずの指揮官が、自ら進んで“従者”を演じる。しかも、自分の前で。 それだけで、思考の一部が止まってしまった。 (……この人が、私に……?) わずかに顎を上げ、視線を下ろす。 床に頭を垂れる彼。その姿が、自分に“命令”を求めているのだとしたら。 ……ならば、応えなければならない。信頼に。愛に。そして、役割に。 伊吹はゆっくりと息を吸い、目を伏せたまま震える唇を動かした。 「……では、命じます。そ、その服を……脱ぎなさい」 自分でも語尾が上ずったと分かった。 声が震え、まるで怒られて泣き出しそうな子供のようだった。 けれど――それでも彼は頷いた。 「御意」 その言葉に、またひとつ、伊吹の胸が締めつけられる。 従ってくれる。否定せず、からかいもせず、静かに、真っ直ぐに――従ってくれる。 彼の手が服にかかる。ボタンを外し、上着を脱ぎ、シャツの前を緩めていく。 肌が少しずつ露わになり、彼の体温が空気に溶けていく。 視線を逸らしたいはずなのに、なぜか目が離せなかった。 (この人が……私の命令で……脱いでる) それだけの事実が、胸をひりつかせる。 普段なら彼が命じ、伊吹が応える立場。 だけど今は違う。完全に、立場が逆転している。 そして何より、自分の声一つで彼が行動するという事実が、なぜか体の奥をくすぐるように疼かせた。 「……もっと、速くしなさい」 言葉が口をついて出た時、自分でも驚いた。 その一言は、思考を経てではなく、感情から直結して出てきた。 彼を急かしたい。もっと見たい。もっと、従わせたい――そんな感情が、無意識のうちに命令として現れていた。 「はい、女王様」 再び返されたその一言。ぞくり、と背筋が震えた。 今の自分は、演じているのだろうか。それとも――感じているのだろうか。 彼はさらに服を脱ぎ、ベルトを外し、パンツを下ろしていく。 肌が次第に露わになり、普段は見せない彼の“弱い部分”が明らかになっていく。 伊吹はじっとそれを見つめていた。視線を逸らすことは、もうできなかった。 (私が命じたから……この人は、こうしてる) 再び鼓動が速くなる。呼吸が少しだけ荒くなり、喉がひくりと動いた。 (……これって、すごく、すごく――) 「……服を脱ぐだけで、そんなに時間をかけるなんて……怠惰な男ですね」 言って、伊吹自身がわずかに息を詰めた。 まるで他人の口を通して出てきたような言葉。 だが、吐き出してしまったそれは、間違いなく彼女自身の声だった。 「申し訳ありません、女王様」 そう応じる彼の声は、まるで本物の従者のようだった。 うやうやしく、従順で、逆らう気配など微塵もない。 その姿を見下ろす伊吹の中で、何かが膨れ上がっていく。 (従ってくれることが……気持ちいい?) 理解が追いつかないまま、感情が先に跳ねる。 羞恥、混乱、そしてほんのわずかな高揚感。 指先がわずかに震え、太腿の内側にひそかに熱が集まる。 言葉では言い表せない感覚。だけど確かに、心がざわめいていた。 (私……この人に、命じて、従わせて……それが、嬉しい?) 伊吹は深く息を吸い込み、胸の震えを抑えるように両手を肋骨の上に添えた。 鼓動が早い。だけど、怖くない。むしろ――高鳴っている。 「そこに、伏せなさい」 思考よりも先に、言葉が唇を突いた。 明確な命令。それも、以前なら絶対に口にしなかった種類の言葉。 だが、指揮官は再び、何の抵抗もなく応えた。 「御意」 彼の身体が床に伏せられ、膝と肘をついて頭を垂れる。 その姿はまさに“服従”の象徴だった。 伊吹の喉が鳴った。見下ろす視界の中に広がる、従順な男の背中。 (すごい……本当に、従ってる) 頭がぼんやりと熱を持つ。脚の付け根が、じわじわと疼いているのが分かる。 (私、命じてる。従わせてる。……それが、こんなに) 気づけば唇の端に、うっすらと微笑が浮かんでいた。 「……いい子ですね」 その一言を発した瞬間、自分の声に驚いた。 優しい、けれど明確に上から目線の声音。 甘やかで、それでいて命令の余韻を持つ言い回し。 (わたし……笑ってる?) 彼女自身が制御できない、奇妙な悦びに満ちた微笑だった。 戸惑いと同時に、もっと深く知りたくなる。 この感情の正体を。なぜ、自分は彼の従順な姿に“快”を感じるのか。 ゆっくりと歩を進め、ベッドの上に置かれていたパドルを手に取った。 黒革の表面を指で撫でると、グローブ越しでも確かな硬さと滑らかさが伝わってくる。 その感触に、ぞくりと背筋が撫でられた。 彼の背後へと歩み寄る。かかとの高いブーツが床を打ち、その音が室内に響くたびに、指揮官の肩がわずかに震えるのが見える。 (緊張してる……従ってる……私の命令に) そのすべてが、伊吹の中に新たな“感覚”を生み始めていた。 「どうして欲しいのか、教えて?」 問いかけは甘やかで、しかしどこか試すような響きを持っていた。 彼は少しだけ声を震わせながら、返答した。 「……叱ってください、女王様」 「もっと、はっきり」 「……伊吹様の、お手で……打たれて、罰されたいです……」 その一言を聞いた瞬間、伊吹の胸の奥で何かが弾けた。 目を見開き、視線を彼の背中に落とす。 (叩いて欲しいって……お願いされた?) そのお願いは、恐怖でも羞恥でもなく、明確な“欲求”だった。 彼が、自分の手で叱られることを望んでいる。 ――責められることで、彼は満たされるのだ。 その理解が、伊吹の脳を貫いた瞬間だった。 パドルを持つ手に自然と力が入る。軽く、空気を切るように振り上げ―― ぱんっ。 乾いた音が室内に響いた。 彼の背中がびくりと震え、喉の奥から小さな呻きが漏れる。 その反応を目の当たりにして、伊吹の中にあった“違和感”が音を立てて崩れていった。 (私の責めで、この人が――嬉しそうにしてる……!) 快感だった。自分の与えた刺激が、彼に快をもたらしている。 そこに、否定できない喜びがあった。 ――そして、その喜びこそが、伊吹の中に“責め”を正当化する確信を与えた瞬間だった。 (責めることは、彼を傷つけることじゃない。むしろ、彼の願いなんだ) 伊吹の中で、これまでの葛藤が霧散するように薄れていくのが分かった。 責めるという行為は、暴力ではない。彼の願いに応え、快楽を与える“手段”だった。 今この瞬間、伊吹の手にあるパドルは――愛の証そのものなのだ。 もう一度、彼の背中へと視線を落とす。肩がわずかに震え、背筋に汗が滲んでいるのが見える。 呼吸が浅く、けれど拒絶の気配はない。 (叩かれて、悦んでくれている) ぞくぞくとした感覚が、背骨を伝って脳髄に昇っていく。 「まだ一回ですよ? だらしない犬ですね」 口をついて出たのは、明らかに“女王様”の声だった。 命令と嘲りがない交ぜになったその言葉に、伊吹自身が驚いた。 だが、彼は震える声で答える。 「……申し訳ありません、伊吹様……」 その声音には、羞恥と悦び、そして服従の色がはっきりと滲んでいた。 (この人は、私に支配されることで、満たされている) その確信が、伊吹の中で明確な快楽へと変化した。 再びパドルを振り上げ―― パンッ。 パンッ、パンッ。 乾いた音が室内に響くたびに、彼の身体がぴくりと震え、喉の奥から息が漏れる。 「ひぅっ……あっ……」 喘ぎとも呻きともつかない声が、彼の口から零れていく。 その声は、伊吹の耳に何よりも甘く響いた。 責められて、悦んでいる。痛みによって快感を得ている。 そして、それをしているのは自分。 (私が、この人に……快楽を与えてる) グローブ越しに感じるパドルの重量、革の反発、彼の肌に当たったときの微かな振動――そのすべてが、伊吹の指先から脳へと直結していた。 彼の背を打ち、呻きを聞くたびに、自分の体温が上がる。太腿の奥が、じっとりと湿っていくのを感じる。 (わたし……気持ちいい……) 彼を見下ろすその視線は、もはや迷っていなかった。 「こんなふうにされるのが、好きなのですか?」 囁くような声。だがそこには、甘やかさと同時に、支配者としての“余裕”があった。 「……はい……っ。伊吹様に……罰していただけて……うれしい、です……」 彼の返答は震えていたが、確かに悦びがこもっていた。 その言葉に、伊吹の心臓が跳ねる。 (私が、この人の幸福に、繋がってる) そういえば、彼は以前こんなことを口にしていた――“大好きな伊吹の命令なら、どんな形でも喜んで従うさ。俺は、そういう男なんだよ”、と。 あの時は冗談だと思っていたけれど、今なら分かる……あの言葉は本気だったのだ。 その理解が、伊吹にさらなる“力”を、そして快感を与えた。 もう、演技ではなかった。 これは、自分自身の感情だ。羞恥も、快楽も、支配も、すべてが――“伊吹”という存在から溢れている。 「……ふふ。ならば、もっとお望み通りにして差し上げましょう」 伊吹の唇に浮かんだ笑みは、どこか慈愛に満ちていた。 “責める”という行為が、“愛する人を満たす”行為として、ようやく心の底から受け入れられた瞬間だった。 パンッ! 再びパドルを打ち下ろした。熱を孕んだ音が、部屋中に鳴り響く。 彼の背中に一筋、汗が伝うのが見えた。 それは羞恥や痛みの証ではない――快感と、伊吹に“支配されている”という事実に酔いしれるような熱だ。 伊吹の視線が、その滴を目で追う。 まるで滴に沿って舌を這わせたくなるような衝動が一瞬脳裏をかすめ、彼女は思わず喉を鳴らした。 混乱と興奮。背徳と愉悦。 感情の奔流が、彼女の胸の奥でぶつかり合い、やがてひとつの形を取り始めていた。 それは、女王としての“快楽”。 求められることで感じる悦びではなく、“与えることで、翻弄することで、支配することで生まれる快楽”。 伊吹は今、女王の快楽を享受する新たな自分になろうとしていた。 (こんな自分……知らなかった) だが、その“知らなかった自分”こそが、今この瞬間に“女王様”としての仮面を、自分自身の顔へと繋げてゆく。 伊吹の声が、より女王様らしいものへと無意識に変わる。柔らかさを残しつつも、自然と命令の重みを纏い始めていた。 「ほら……舐めなさい」 より高圧的な物言いで彼女は脚を前に出した。ブーツの艶めかしいつま先を、彼の前に差し出す。 彼は一瞬ためらい――だが、それが“命令”であると気づくと、そっとその革に唇を寄せた。 ぬる、とした音。 唇が革を撫で、舌が丁寧に縁をなぞる。 彼の目は伏せられ、まるで信仰の儀式に臨むような静けさをたたえている。 「いい子ね……ずっと、そうしていなさい。私が許すまで、舐め続けるのよ?」 「……は、い……伊吹様……」 伊吹の手はゆっくりと彼の髪に伸び、指先で頭を撫でる。 その優しさの裏に、確かに“支配者”としての自覚が芽生えていた。 (私、もう――止まれないかもしれない) その思いに、ほんの少しの怖さと、大きな甘さが混ざる。 このまま彼を導いて、全てを壊してしまいたい。 その欲望が、伊吹の瞳に静かに浮かび上がっていた。 彼はただ、従う。 伊吹の命令だけが、今の彼の世界であり、価値であり、喜びだ。 「――よくできました。ご褒美、あげましょうか」 彼女の声は、まるで深い夜に落ちる囁きのように甘く、そして冷たかった。 それはもう、完全に“女王様”の声だった。 伊吹はゆっくりと腰を落とし、彼の目の高さまで身を屈めた。 ブーツの先を丁寧に舐め続ける彼の頬に、グローブ越しの指先がそっと触れる。 その瞬間、彼の動きが止まる。 「ご褒美は……そうね」 声は甘やかに響き、だが、その響きには緊張感が宿っている。 彼が目を上げると、伊吹の瞳はまっすぐに彼を見つめていた。 その目には、ためらいも羞恥ももうなかった。 あるのは――“覚悟”。そして、“欲”。 「あなたの弱いところ……全部、私に晒しなさい」 彼の頬がわずかに赤らむ。だがその命令には、従わずにはいられない。 彼はゆっくりと体勢を変え、自らの中心を、伊吹の前に晒し出す。 (ああ……) 伊吹はその姿に、ぞくりとした震えを覚える。 普段なら絶対に見せない、無防備で、従属的な彼の姿。 それを、自分の命令で引き出した――その事実が、伊吹の身体の奥を熱くする。 グローブの指先が、ゆっくりと彼の股間をなぞる。 その柔らかな膨らみを感じるたびに、伊吹の心臓が跳ねる。 彼の反応が、指先から伝わってくる。呼吸が乱れ、肩が震え、喉が鳴る。 「ふふ……もう、こんなにして。情けない男ね」 囁きは冷たく、だが同時に限りなく甘い。 彼はその言葉に目を閉じ、全てを受け入れるように身体を預けた。 「もっと……もっと、虐めてください……伊吹様……」 彼の声は震えていたが、確かだった。 求めている。自分に壊されることを。翻弄されることを。 その願いを前に、伊吹の内側で何かが決壊する音がした。 「……ふふ、仕方のない子。じゃあ――存分に可愛がってあげる」 その言葉と共に、彼女は指を、そして舌を這わせ始めた。 舌先がそっと触れた瞬間、彼の身体がびくりと跳ねる。 敏感に反応するその震えに、伊吹の胸の奥が甘く疼いた。 (……すごい。こんなにも……) グローブ越しに触れていた時とは違う、直に伝わる熱。 柔らかさと硬さの混じり合った質感、舌に伝わる微かな脈動。 それら全てが、まるで伊吹の舌に“従属”しているかのように感じられた。 (これが……私に屈服している証) 彼の反応はどれも真摯で、純粋で、欲望に忠実だった。 恥ずかしさも、痛みも、快感も――すべてを伊吹に委ねている。 それがたまらなく嬉しかった。 「……もっと、可愛い声で啼きなさい。私のために」 囁きながら、舌先で亀頭の先端をくすぐるように円を描く。 そのたびに彼の喉が震え、唇から甘く掠れた吐息が零れる。 「ぅ、く……あ、あっ……伊吹、様……っ」 その声に応えるように、今度は唇で優しく包み込む。 くちゅ、と湿った音が室内に響いた瞬間、伊吹の膣もきゅんと疼いた。 彼を咥えているという事実が、想像以上に――快感だった。 上下にゆっくりと口を動かし、舌を螺旋を描くように絡める。 グローブをした片手は根元を軽く握り、もう片方は太腿を撫でるように上下に滑らせる。 「気持ちいい? 私の口、私の舌、私の手……全部、貴方だけのものよ」 言葉の端に滲む独占欲。 それすらも、今の伊吹には自然な感情として口を突いて出た。 彼は限界を感じていた。 腰が浮きそうになるのをかろうじて耐え、指先をシーツに食い込ませる。 「も、もう、我慢……でき、ない……!」 その声に、伊吹は一度口を離し、笑みを浮かべた。 「ダメよ? 私が許さない限り、絶対に……出してはダメ」 支配の声。甘くて冷たい命令。 それが彼の限界をさらに引き伸ばし、快楽を煮詰めていく。 伊吹の舌が、さらに深く――根元まで、喉奥へと飲み込むように滑り込んだ。 「――あ゛、ぁ、くっ……! 伊吹、さま……ッ!」 びくびくと震える彼の腰が無意識に動き、伊吹の口腔内で跳ねる。 だが彼女はその全てを受け止めるように、深く、ゆっくりと動き続けた。 ぬちゅっ、じゅぷっ、じゅるる……ねっとりと淫靡な音が室内に反響し、互いの体温をさらに煮詰める。 グローブの片手が彼の睾丸を軽く撫でながら揉み、もう片方は太腿の内側を這うように撫で上げ、時折爪先を立てる。 「ひっ、あ゛、ッ――そ、それ、くるっ……!」 目の端からは涙が滲み、彼の背中が仰け反る。 その姿に、伊吹は口内で小さく笑い、唇を吸い上げるように動かした。 ぶぷっ、じゅぶっ―― 喉奥を突くように咥え込みながら、舌を螺旋に絡ませ、パルスに合わせて締めつける。 (すごい……こんなにも、必死に感じてくれる……) 彼の喘ぎ、震え、身体の隅々まで伝わる絶頂寸前の熱。 すべてが、伊吹の脳を蕩けさせる。 自分が支配し、与え、導いた快楽――その絶頂の果てへ、今まさに彼が堕ちようとしている。 「も、もう、許し……っ、許してくださ、い、で、でる、で、でちゃ……っ!」 涙混じりに懇願する彼の声に、伊吹はそっと口を離した。 唾液でぐっしょりと濡れた彼の肉が、ぴん、と跳ねたその瞬間。 「……まだ、駄目」 その囁きは、優しく、しかし残酷な支配の宣言。 同時に、グローブの手が根元をぎゅっと握り締め、射精の衝動を遮断する。 「ぅぁ、あ゛あぁぁッ……!!」 悶え喘ぐその姿は、もはや快楽と苦悶の境界が曖昧で。 その全てを、伊吹は慈しむように見下ろしていた。 「いい子ね。……我慢できるのなら、次は――ご褒美を、奥まで、注いでもらおうかしら」 舌先で唇を濡らしながら囁いたその声音は、甘く、艶めきに満ちていた。 伊吹はゆっくりと立ち上がった。 艶やかなブーツのかかとが床を打つ音が再び部屋に響き、今や彼にとってその音は“支配の足音”として刻み込まれていた。 彼はまだ膝をついたまま、呼吸を乱しながら彼女を見上げる。 その眼差しはどこか懇願めいていて、必死に伊吹の“許可”を求めていた。 「……お願い、いたします……伊吹様……」 「何を?」 ゆっくりと、わざと問い返す。 彼の願いを、口にさせたい。 恥を晒させ、その恥さえも悦びへと変えさせる――それが、伊吹の中に芽生えた“女王”の本能。 「……奥に、ください……伊吹様の、中で……」 「“何を”奥に?」 目を細め、わずかに口元を吊り上げて。 彼は喉を鳴らし、顔を真っ赤にしながらも口を開いた。 「……伊吹様の……中で……射精、させてください……ッ」 その言葉を聞いた瞬間、伊吹の内腿がきゅんと熱くなる。 膣が、言葉に反応して収縮した。 頭ではわかっている。“支配している側”であるはずの自分が、彼のその哀願に身体を震わせているということを。 (でも……それが、気持ちいい) 「……よく言えました。じゃあ――許して、あげる」 そう告げて、伊吹は自らの股間に指を伸ばした。 指先が濡れている。 もうずっと前から、グローブの内側までじっとりと染みていた熱は、言葉にするまでもなく明白だった。 「私の中……欲しいのよね?」 「……はい……伊吹様の、奥で……出したいです……ッ」 「じゃあ……来て。私の中に――すべて、注ぎなさい」 そう言いながら、伊吹はベッドに横たわり、脚を軽く開く。 艶のある太腿が滑らかに開き、ガーターベルトの張力がわずかに震える。 その奥、黒のビキニパンツはすでに布としての意味を成しておらず、濡れに濡れたクロッチがぴたりと貼り付いて、淫らな線を浮かび上がらせていた。 彼は這うようにして近づき、腰を割り入れながら、その中心へとビキニパンツをずらして肉を導いた。 「……挿れます、伊吹様……」 「ええ……来なさい」 彼はゆっくりと、震える腰を押し出し―― ずぶ、ぬちゅっ、と濡れた音を立てながら、その熱い肉を伊吹の中へと沈めていった。 「あぁ……っ、くぅ……!」 伊吹の喉から、思わず甘くひきつるような吐息が洩れる。 ぬるりと膣壁が広がり、熱い肉が侵入してくる感覚。 それを、彼女の身体は拒むどころか、貪るように絡みつき、奥へ奥へと導いていく。 「は……っ、す、すごい……キツい……伊吹様、の……中、が……」 「ん、ふっ……黙って、集中なさい……っ」 そう言いながらも、伊吹自身も声を抑えきれなかった。 膣内が、ぐっしゅりと濡れた音を立てて彼を締め上げ、熱を持った壁が彼の形を記憶するように蠢いている。 彼が奥まで根元を沈めきった瞬間―― 「ああっ……そこ……ッ!」 伊吹の身体がびくんと震え、脚が無意識に彼の腰を締めつける。 まるで、逃さないとばかりに、両脚で絡みつき、彼の腰を“固定”した。 「伊吹様……もう、もうダメ、で、出ちゃ……!」 「ええ……いいわ……わたしの中に、全部……好きなだけ、注ぎなさいっ……!」 その一言を合図に、彼の腰がびくびくと痙攣し―― どぷっ、ずぷぅ、どろろっ……!と濃厚な精液が伊吹の膣内へと勢いよく吐き出された。 「あ゛ああぁぁっ……! ふっ……あっ、あぁああ……んんっ!」 伊吹の身体が大きく仰け反り、喉から甘く切ない嬌声が噴き上がる。 熱い液が、膣の奥を直接叩き、子宮の入り口にぴったりと当たるその衝撃に、思わず涙すら滲む。 「ま、まだ……出て、る……っ、んぅ、くぅうっ……!」 彼の肉がぴくぴくと脈打ち、幾度も幾度も射精を繰り返す。 伊吹の膣内は、溢れるほどの精液を受け止めながらも、きゅぅうぅぅっと彼を搾り取るように収縮を続けていた。 指先はベッドのシーツを強く握りしめ、脚は解けず、ただ彼を包み込む。 互いの汗が混ざり合い、熱が重なり、室内の空気はもう肌で触れるほどに重く甘い。 「……これが……支配して……受け止めて……ひとつになるってこと、なのね……」 ぼんやりと呟くその声には、陶酔と、微かな畏怖が混ざっていた。 伊吹はゆっくりと上体を起こし、太腿に力を込めて腰を持ち上げた。 ずるっ、ぬちゅぅ…… 音が絡みついて残る。熱を帯びた肉棒が、膣奥からゆっくりと引き抜かれていくたび、内壁が名残惜しげに締めつけてくる。 その感触が、伊吹の中にまだ渦巻いている余韻をかき混ぜた。 「あ……っ……ふ……」 抜けきった瞬間、伊吹の膣口からどろりと精があふれ、糸を引きながら腿を伝って滑り落ちる。 濃密な香りがふわりと室内に広がり、伊吹はふと彼の顔を見下ろした。 彼は仰向けに倒れ、肩を震わせながら荒く息を吐いている。 額には汗が滲み、頬は上気し、視線は未だ焦点が定まらないまま宙を彷徨っていた。 だが――その瞳は、確かにまだ“渇いて”いた。 (……まだ、満足していないの?) 驚きと共に湧き上がってきたのは、ひどく甘やかな感情だった。 こんなにも出させたのに。あれだけの量を射精したはずなのに。 なのに、また欲しがっている――それが、伊吹にとって、何よりの快楽だった。 「ふふっ……こんなにたくさん、私の中に注いで……それでも、まだ満足できないのね?」 囁くように言いながら、再び彼の上に跨る。濡れそぼったビキニパンツを再び器用に脇へずらし、自らの手で肉棒を掴むと―― どぷんっ! 肉と肉が叩きつけ合う音がベッドに響き、伊吹の胸が小刻みに揺れる。 腰を深く沈めるたび、彼の肉が膣奥に突き当たり、そこから反発するように蜜が溢れる。 「く、ぅぁっ……い、伊吹様……っ、ま、また……!?」 「はぁっ……ぁ、んっ、ふ、ぅうっ…………硬いぃ……♥」 まだ、萎えていなかった。それどころか、先ほどよりもむしろ僅かに脈打ち、熱を持っている。 思わず見下ろした伊吹の目に、じわりと興奮が広がる。 (これが、私に支配されるということ……? 理性も、肉体も、全部……リミッターが壊されてる……?) その感覚は、現実の理屈を超えていた。出したばかりなのに、またすぐに硬くなっている。 いや、“伊吹の中で”でなければ、きっとこうはなっていない。 (私が命じて、私が責めて、私が許した……だから、また昂ぶっている。体が……心が、私を欲しがってるのね) 伊吹は軽く腰を揺らし、濡れた膣口をゆっくりと肉棒に押し当てる。 むわっと熱が絡みつき、またすぐに膣が、ぴたりとその形を思い出したかのように迎え入れ始めた。 「……っはぁ……当たり前でしょ……? まだ私も……満たされていないの……。だから……もっと」 ずぶっ、ぬるり。 ゆっくりと、自ら腰を持ち上げていく。 「……もっと、貴方で満たして」 ずぷんっ――! 再度腰が落ちきる音と共に、再び肉と肉がひとつになる。ずっしりと伊吹の奥を突いた感触が、脳の奥まで震えを伝えた。 「んんっ、は……っ、ふっ……!」 「伊吹様……またっ……もうっ……」 「まだ、よ。まだこれから。……壊れるまで、私の中で喘いで……❤️」 まるで現実の限界が曖昧になっていくようだった。伊吹の中で、まるで衰えを見せずに硬さを維持する姿は異様ですらある。 けれど、その異様さすらも“私がそうさせている”という実感が全てを甘美に変えていた。 彼の吐息は絶えず、腰の震えは止まらず、精を放ち尽くしたはずの身体が、なおも高ぶり続けている。 それはもはや、理性や肉体の限界を超えて――伊吹という存在に“快楽そのもの”を見出している証拠だった。 (嬉しい……こんなふうに、壊れてくれるなんて) 彼女は腰をさらに深く沈め、ぐっと締めつけた。 彼の喉から、あっ、とひきつれた喘ぎが洩れ――その声が、伊吹の身体をまたひとつ、熱く震わせた。 「まだ……まだ出せるでしょ? 私を誰だと思ってるの……?」 囁く声は、まさしく“女王”のそれだった。 甘やかで、命令的で、濡れていた。伊吹の唇がわずかに歪み、愉悦の色を孕んだ笑みが浮かぶ。 その目は、汗に濡れた指揮官の顔を射抜くように見下ろしていた。 彼は伊吹の膣奥にまだ硬さを保ったまま埋められ、体中を火照らせながらも、なお伊吹の腰に両手を添えていた。 「ねぇ……もう一度、全部私の中に注いで」 伊吹が腰を引き、そしてまた深く沈める。 どぷんっ! 肉と肉が叩きつけられた鈍い音が室内に響く。 互いの液が混ざり、膣内でとろとろと音を立てる。 伊吹の膣は、彼の形を完全に覚えきっていて、押し込むたびにぴたりと絡みつく。 「んっ、は、ふぁっ……くぅぅ……♥」 喘ぎが、抑えきれずに口から漏れる。 彼の肉が伊吹の奥を擦るたび、子宮の入り口がびくんと跳ね、膣がきゅうっと締めつける。 「伊吹様っ、あ、あっ……すごい、もう……!」 「ふふ……すごいでしょう? 私の中は……貴方を搾り取るために、できてるの」 自嘲気味にも甘やかにも聞こえる声。そのどちらでもあり、どちらでもなかった。 伊吹自身が、自分の変化を感じていた。 (気持ちいい……責めることも、与えることも……その全部が、今、身体の奥で燃えてる) ぐちゅっ、ぬちゅぅ、じゅぷっ―― 動くたび、伊吹の腰が回転し、揺れ、深く沈み込むたび、淫靡な音が肌の間から漏れ出す。 グローブをした手で彼の胸を押し、時に軽く爪を立て、またその肌を撫でる。 「っは、ぁ……あ、あっ……く、あああ……っ!」 彼の声が震え、荒くなる。絶頂が近いのは明白だった。 だが伊吹はまだ緩めない。膣を締め上げる角度で腰を回し、最も奥を擦る軌道を繰り返す。 「まだよ。まだ出しちゃダメ。……貴方が許されるのは、私が満足したあとだけ」 ひときわ鋭い指令。それに、彼は涙すら滲ませながらうなずく。 「……は、はい……伊吹様……っ」 (……いい子) その従順さに、伊吹は胸が満たされるような熱を感じた。 命令が、快感と信頼の証になっている。今この部屋にあるのは、羞恥も罪悪もなく、ただひたすらな愛と快楽だけ。 「ほら、また挿れてあげる……奥まで、届いてほしいでしょう?」 「っ、はい、はい……!」 彼の声が哀願に近づく。伊吹はわずかに腰を浮かせ、そして再び根元まで突き落とした。 どぶっ! その瞬間、彼の腰がびくんと震えた。 「ぅあ……ッ!」 「出したいの?」 「はい……も、もう、限界で……伊吹様の中で……!」 その必死な声音に、伊吹は一瞬瞳を細め、そしてゆっくりと唇を綻ばせた。 「……いいわ、許してあげる。私の奥にもう一度――ありったけの精を出しなさい?」 その一言を聞いた途端、彼の身体が大きく跳ねた。 「ぁああああッ……!!」 びゅくっ! どろろっ、どぷっ……! 熱い精が一気に膣奥へと迸った。膣がその量を察知してきゅぅっと蠢き、まるで搾り取るように彼の肉を絡め上げる。 ずんずんと奥を叩かれる快感に、伊吹の身体も仰け反った。 「あっ、あっ、くっ、ああぁっ……♥ くぅぅっ!」 彼の脈打つ肉を感じながら、伊吹の内壁が反射的に締めつける。 子宮口に直接当たる感触に、思わず喉が震えるような嬌声が迸る。 「ふぁ、あ、っ……だめ、また、くる……っ……!」 自分でも制御できない熱が腹の底から駆け上がる。 膣が蠢き、彼の精液を巻き込むように痙攣を始める。 「いく、いくっ、また、出ちゃう……ぅんんっ……!!」 伊吹の声が高く跳ねた。瞬間、脚がぶるりと震え、視界が真っ白に弾ける。 全身を駆け巡る電流のような快感。子宮が収縮し、膣がきつく彼を絞り上げる。 腰が勝手に跳ね、ぬちゅぅ、ぐじゅっ、と愛液と精液が混じる音が際限なく響く。 指揮官の体も限界まで硬直し、膝がぴんと張ったまま再びびくびくと肉を痙攣させ、膣内にさらに精を注ぎ込む。 どろっ、ずぷぅ……ぬちゅぅ…… 「っ……まだ……でてる……ぁ、あっ……んぅ、んぅぅ……♥」 伊吹の膣はそのまま収縮を繰り返し、彼の肉を搾り取っていた。 身体が反応しきれず、小刻みに震える。その震えが、交わる部位をも揺らし、再び滴る音が重なる。 彼の腕が、限界まで力を失ってだらりとシーツに投げ出された。 伊吹はわずかに体を前に倒し、肩をつけるようにして彼の胸に触れた。 互いの汗が混じり、肌がぴたりと貼り付く。 「……ふふっ……また、いっぱい出たわね」 「は、はぃ……伊吹様が、あまりにも……気持ちよすぎて……」 掠れた声が応える。それに、伊吹の頬がわずかに緩む。 (この人……まだ、こんなにも、私に従ってくれる) 「……ねぇ。貴方、今どんな気分?」 そっと囁く。 彼は、かすかに目を開け、伊吹の瞳を見た。 「……全部、支配されて、翻弄されて……それでも……伊吹様の中にいるのが……幸せ、です」 その一言に、伊吹の胸がぎゅっとなった。 命じて、蹂躙して、従わせて、それでも彼は笑っている。 愛している。自分を信じて、全てを委ねている。 ――その事実が、伊吹にとって何よりも大切だった。 (なら、私は……もっと、貴方を満たしてあげたい) 再び腰をゆっくりと動かす。ずるっ……と、柔らかな音が響く。 「……まだよ? 満足するには、まだ足りないの。……私がそう言うまで、ずっと、私の中で――出し続けるのよ?」 「……はい……伊吹様……♥」 彼の声はすでに蕩けていた。従順と快楽に染まりきった、その声音。 それが、伊吹にとっては何よりも甘く、尊い響きだった。 そして、ふたりの肉体が再び熱を帯び始める中―― 新たな絶頂の波が、静かに、けれど確かに、その先に満ちていくのだった。 ---- 彼の息遣いはすでに限界を超え、肺がひくひくと喘ぎを漏らすように上下していた。 4度目の絶頂。全身が痺れるような疲労に包まれ、四肢はもうまともに動かない。だ が、それでも――伊吹はまだ、彼の上に跨っていた。 「ふふ……ふふふ……♥」 肩を上下させながらも、伊吹の唇は緩んでいた。蕩けた笑みの中に、確かな満足と、微かな“余裕”がある。 「もう、出なくなっても不思議じゃないのに……貴方、本当に……私に夢中なのね……」 それは呆れでも、嘲りでもなく、深く甘やかで、愛おしさに満ちた囁きだった。 下腹部に、どろりとした温もりが満ちている。 伊吹の膣内はとっくに彼の精で溢れ返り、ちゅぷ、くちゅ……と、わずかに腰を揺らすだけで淫靡な音がまた生まれる。 彼の肉棒は、さすがにやや柔らかくなってはいたが、それでもまだ、伊吹の中でうっすらと脈打っていた。 抜ける気配もない。むしろ、伊吹が抜かせないように、内側からきゅうきゅうと彼を抱き込んでいた。 (出し切ったのに、まだ私の中に……いるのね) 伊吹は、そっと彼の胸に手をついた。そこには汗と熱、そして心臓の規則的な鼓動があった。 肌と肌が触れあうその感覚に、伊吹の胸もまた、しっとりと満たされていく。 「……ご苦労様、わたくしの忠実な従者さん……」 ふわりと髪が揺れ、額にかかる前髪を彼女はそっと払いのける。 「あなた、本当によく頑張ってくれたわ。何度も、私のために……気持ちよくなって、いっぱい……注いでくれて」 囁くその声には、命令者の威厳と、ひとりの女性としての柔らかさが同居していた。 「……ふふっ、こんなになるまで責められて……それでも私のことを、嬉しそうに見上げてくれて……可愛い男ね、本当に」 指先が彼の頬を撫でる。彼のまぶたはすでに重く、返事はかすかな吐息だけ。 だが、伊吹にはそれで十分だった。 「聞いてる? あなたが、どれほど……私の心と体を満たしてくれたか」 そうして、伊吹はゆっくりと彼の胸に身体を預けた。 とぷっ、と膣内の奥で肉棒が少しだけ動く。 奥に収めたまま、繋がったまま――彼女は、彼の体温の中に沈み込んでいく。 「んっ……ふふ。まだ、こんなに……」 彼の中から湧き出たものが、またゆるやかに膣口から零れた。だが伊吹は動かない。もう、動く必要がなかった。 (このまま、繋がっていたい) 快楽ではない。もっと深く、もっと静かなものだった。 愛しい男の中に彼女自身が包まれ、そして彼をも包み込んでいる――その実感が、伊吹に温かく優しい眠気を運んできた。 「……私ね、初めは怖かったのよ。命じることも、叱ることも……全部」 「あなたに暴力で支配する―――それがたまらなく怖くて、加減を間違えて嫌われてしまうんじゃないかって」 ぽつりと、告白が唇から漏れる。 「でもね、あなたが……私の命令に、喜んで従ってくれて。私の言葉に震えて、声を出して、喘いで……その姿を見てるうちに、だんだん分かってきたの」 伊吹は、彼の胸の中で顔を横たえ、首筋に頬をすり寄せた。 「支配とは、ただ傷つけることじゃない。あなたがそれを、教えてくれた」 ぴくりと、彼の指先が伊吹の背に触れる。眠りの縁にいるくせに、彼はまだ伊吹の言葉に反応しようとしていた。 「だから……ありがとう。私を信じて、従ってくれて。私のものになってくれて……本当に、ありがとう」 そう言ったあと、伊吹は自分の言葉がどう聞こえたのか、少しだけ気になった。強すぎた? 甘すぎた? でも、彼の返事は一切なかった。ただ、呼吸が穏やかになっていくばかりだった。 「……ふふ、もう……限界なのね」 伊吹もまた、まぶたが重くなるのを感じていた。頭の奥がぽうっと熱を持ち、彼の胸の鼓動が心地よい子守唄のように響いている。 「あなたは……私のもの。これからも、ずっと……従者で、愛しい男で……ね?」 甘い囁きが、彼の耳元に零れた。 抜かずにそのまま眠るのは、なんとも淫靡で、けれど不思議なほど安心感があった。 伊吹の膣は、まだ彼を咥え込んだまま、ぴったりと形を忘れずに締めていた。 互いの中に互いを感じながら、伊吹は目を閉じた。 (……このまま、夢の中でも、あなたと――) 最後の意識がぼやける。身体が沈み込んでいく感覚。 熱と汗と愛と悦び、その全てを含んだ肌の重なりが、まるで毛布のように彼女を包んだ。 そして―― 「おやすみなさい……。私の……最愛の僕にして……最愛の夫……」 伊吹はそのまま、指揮官の胸の中、彼の肉をその身体に収めたまま、静かに、満たされた夢の中へと沈んでいった。 一片の不安も、後悔もなく。 ただ、静かに。愛しき男に抱かれながら。 女王として、愛する女として。 その夜の終わりに、ふたりは“ひとつ”のまま眠りについたのだった。 --- 登りゆく朝日は、まだあくびを終えていなかった。 カーテンの隙間から、淡く青白い光が床を照らしている。 世界はまだ半分夢の中。艶やかな熱と喘ぎが充ちていた夜が、まるで幻のように静かに遠ざかり、代わりに、さざ波のような静寂が室内を満たしていた。 その中で、ぴくりと睫が震えた。 伊吹がまぶたを開けた時、視界にあったのは微かに照らされた天井――そして、その温かな感触に覆われた肌だった。 (……あれ……) ゆっくりと、記憶が昇ってくる。 昨夜、自分が何をしたのか。何を与え、何を受け取り、どんな言葉を囁き合ったのか。 そのすべてが、まだ身体の芯にじんわりと灯っていた。 (私……彼の上に……そう、最後は……) うつ伏せ気味の体勢で、彼の胸の上に抱かれて眠っていた。 脚をほんのわずかに動かせば、太腿の内側にぬるりとした感触が残っている。 熱く、粘つき、そして甘い匂いを含んだ残滓が、まだ身体に確かに残っていた。 (……抜かずに……そのまま……) 自分の膣内には、まだ彼のものが収まっていた。 完全に萎えてはいたが、それでも根元までしっかりと抱え込んで、離れたくないとでも言うように膣が緩やかに閉じている。 (……こんなに、満たされてる……) そして、何より。 「……ん、ん……」 小さく声がした。 視線を上げると、彼のまぶたがゆっくりと開き、焦点の合わない目が伊吹を捉える。 わずかに喉が動き、声にならない息が漏れた。 「……おはようございます、旦那様」 伊吹の声は、昨夜のような“女王様”ではなかった。 柔らかく、どこか恥じらいを含んだ声音。 まるで、妻としての仮面をもう一度纏い直したような優しさが、声ににじんでいた。 「……ああ、おはよう……伊吹……」 彼の返事は掠れていて、昨夜の激しさの余韻を残したまま、どこか満ち足りた響きを孕んでいた。 伊吹はゆっくりと体を起こし、指揮官の上から身体を持ち上げようとした――が、脚が軽く震え、腰に鈍い疲労が走る。 「っ……ふふ、だめですね……少し、力が入らなくて……」 恥ずかしそうに笑って伊吹は彼の胸に顎を乗せたまま、動きを止めた。 「……昨夜は、少し……やりすぎてしまったかもしれません」 「……それを言う資格があるのは、俺の方だと思うけどな……」 彼が少しだけ首を傾け、笑った。 その顔を見て、伊吹はふっと息を緩めた。 (本当に……幸せそう) 昨夜は命令し、責めて、従わせて、それでも――目の前のこの男は、心の底から安らいだ表情を見せている。 (あんなに、私に……) 心のどこかで、まだ少しだけ罪悪感のようなものが残っていた。 だけど、その頬に浮かぶ柔らかな笑みを見た瞬間――すべてが、報われた気がした。 「……ごめんなさい。私……本当に、夢中になってしまって……」 「夢中になってくれたことが、嬉しかったよ」 あっさりと、彼はそう言った。 「最初は、伊吹が無理してるんじゃないかって、心配だった。でも――途中から、全然違った。 伊吹自身の声で、命令してくれてた。俺じゃなくて、君が……“そうしたかったから”、してくれてたんだって分かった」 伊吹の目が、ふと潤む。 「……はい。最初は、演技でした。……でも、途中から……あなたの顔を見てるうちに……」 「……うん」 「“もっと、こうしてあげたい”って……心から、思ったんです。 命令して、叱って……でもそれは、あなたが欲しいって言ってくれたからで……私にしかできないことなんだって、思ったから」 「伊吹にしか、できなかったよ」 小さな、けれど決定的な言葉だった。 「俺がこんなふうになれるのは……伊吹だから。俺が“従いたい”って思うのも、“支配されたい”って感じるのも、伊吹だけだ」 「……」 伊吹は顔を伏せ、そっと頬を彼の胸にすり寄せた。 「じゃあ……これからも、伊吹だけに従ってくれますか?」 「もちろん」 「……命令、いっぱい、聞いてくれますか?」 「何度でも」 「うふふ……じゃあ、また今夜。……お互いに、癖になってしまったんでしょうか?」 「そうかもしれない。本当に……綺麗だったよ。強くて、優しくて、艶やかで……美しい女王様だった」 囁いて、目を細めた伊吹は、妻としての顔と、女王としての顔の両方を滲ませる。 その目元に浮かぶ柔らかな光は、夜に燃え上がる激しさとはまた違う、朝だけが許してくれる優しい愛だった。 「……好きです、あなたのこと」 「……俺も。伊吹、お前が……俺の女王様でいてくれて、ありがとう」 ふたりは静かに目を閉じた。朝日はまだ床をうっすらと照らすばかりで、部屋は深い、やわらかな余韻に包まれていた。 昨夜の熱は、まだ身体の芯に残っていたが、それは痛みではなかった。 満たされ、重なり合い、認め合ったという証だ。 そう、今はもう―― ふたりは、どちらが命じ、どちらが従うかという関係ではなく。 互いの願いを、互いの言葉で叶える関係へと、昇華していたのだった。 ―――完―――