例えば犯罪を犯したものは幸福になることは許されないのだろうか、少なくともこの国において罪は1度犯せば一生抱え続けることとなる。露呈すれば余程理解がない限りは。  しかしそれを言い出せば困ったことになる。自分たちは皆殺人者の子孫だ、あるいは略奪者の。  例えばほんの100年も満たない昔に大きな戦争があり、そこでたくさんの人を殺すことをよしとされた。そのまた少し前に国の変革の為に多くの血が流れた、その前には平和はあったが実際は食い詰め者たちが山賊などになり結局人から奪うような事件はあった、更に前は戦国時代でその時代は誰もが武器を手に取り時には女ですら相手を殺すことが良い事だった。  人はみな罪人の子孫だ、一神教においては神がその罪を肩代わりするという、しかしそれは本当か?他者が背負った程度でそれは許されるのか?それとも、自分が罪を犯していないのであればなんの問題もないのだろうか?  明確な答えなど存在しない、それはおそらく誰もが違う考え方を持つからだ。人によっては是、人によっては非、全く違う思想が見えてくるはずだ。  ならばクエスチョンだ、その戦いは身内を傷つけられた仇討ちだ、相手は人間の方の届かぬ所にいる、つまりは警察や司法の力が及ばないようなところから何かを起こしている、そんな相手を探し戦い傷つき傷つける戦いに身を投じ、今現在進行形で暴力を使用している人は幸福になってはいけないのか?  仏教においては無益な殺生は止めようというくだりがある、しかし実際は殺人は起きていて、闘うことが良い時代には敵を殺すことはよきことでそれは有益な殺生なのか?相手を殺していなければ子孫として自分たちが存在していない。何かを残すことが出来たならば殺しは良い事か。  人が学び学ばず今の一般常識として暴力は悪だ、ふるうことは許されない。だが法律が及ばず、あるいは捕まえたとしても表立った裁きだった相手に報復も出来ないまま逃しておくのは良いのだろうか、しかもその相手は今も尚悪意をばらまいている。  三上竜馬は今も尚戦う、敵ならば人を傷つけ、あるいは相手がデジモンであれば時にはデリートまでする。勿論人の死のようなそれっきりではない、デジコアの負傷でもない限りデジタマに戻り再度やり直す、とはいえ暴力で相手を下しているのは事実だ。  他者を傷つける竜馬に幸福は許されるか。  分からない、分かるわけがない。  しかしそれがたとえ分からないとして、その心を抱き留めたいと思った、その心だけは事実だ。 〇  涙を流すのが恥ずかしいと思うのはおそらく男の共通事項だ、男女平等を謳われようとも世間において流布する強固なジェンダー観が払拭されることはない。  涙を流しながら食事をし、すべてを食べ終えてもまだなお泣いて、落ち着くのには30分程度を要した。 「恥ずかしいところを…見せてしまった」  自嘲気味に言う。理性を取り戻してしまえば俯瞰的に見てしまうのは必然で、自分は食事を出して貰いながら急に泣き出すというはたから見れば恐怖すら感じる謎の動きをしていた。人によっては引き気味になってもおかしくはないだろう。しかしこの家の住人のほのかは何も言わずただ見ているだけだった、わずかばかりの慈愛すら感じるほどのほほえみで。  竜馬はその笑みに混乱する、意味を理解できないでいた。なぜ、微笑むのか、気持ち悪がられることがあったとしても一切の悪意を感じさせない笑みを浮かべられるのは流石に思考の外にあった。たずねようとも思ったが、それを聞き出すだけの言葉を持ち得ていない、それに何より内心を言葉にさせるという行為はひどく下品なように思えた、口に出さないのであればそれはどのような事であれ内心だ、暴くものではない。 「それじゃあ、ご馳走様」  そう言って席を立つ、気付けば皿は片付いていた。泣いている間にもほのかがすべて台所に運んでいたからだ。後片付けをすべて任せてしまっていたことに少しばかりの申し訳なさを想うがそろそろ行かなければならない。むしろ行かなければ、この平穏のぬるま湯の中から逃げ出せなくなりそうだ。 「もう、行っちゃうの?」  どこかさみしそうな声色で言われる。後ろ髪引かれた、あまりにも魅力的だ。暖かく旨い食事は明らかに心を蝕んだ。孤独で覆った中でも脆い部分が明らかに剥がれていく。テイマーとしての力量はあれど、所詮はただ親の愛情が、普通の家族が欲しかっただけのただの少年でしかないという部分。  人としては当然かもしれない、あるいは兄のこん睡がなければもっと……考えれば不毛だ、今は起きたことに対処しなければならない。  だから振り返ることは出来ない。 「ごめん」  声を震わせながら言う。 「ううん、無理言っちゃってごめんね、やることあるもんね」 「い、いい……でも、その、今日はありがとう……美味しかった」  心が砕けてしまいそうになるほどに。背を背けかばんをひっつかみ、足早に去ろうとして、また声。 「あ、そうだ、ならまた明日からもどう?」  え、と間抜けな声が出た。それはあまりにも魅力的な提案だった。再度問うようにどうかな、と語りかけらえっる。断わらなければならない。これ以上それを得てしまえば立てなくなってしまいそうだから。 「あり……がとう」  拒めるわけがなかった。欠けてしまった心に怖いほど馴染む。暖かさとはこうまでも人の心をつかむものだったなど思いもしなかった。たった1日どころの話ではない、時間にすれば2時間程度の短い時間だというのに依存しかけている、あるいは既に、もう。 「そう言ってもらえてよかったぁ~♪また、腕によりをかけちゃうね~♪」  何より楽しそうにするほのかの笑みを曇らせるなど竜馬に出来るはずもない。 〇  自分の為に作る料理はおいしい、自分で作った料理を食べるのは美味しい、なら、誰かのために作った料理はどうだろう。それは、とてもとても美味しい。  親に、友人に、誰かに、自分の作ったものが喜ばれればそれはとても嬉しい事だ。そして誰かと食卓を囲むこともまたとても楽しい。  ある日を境にほのかの買い物は一人分多くなることが増えた。育ち盛りの少年が腹をすかして待っている。普段は仏頂面だが思う以上に感情表現豊かな少年だ。最近は鉱物のこともわかってきた、ししゃもが好きなのだという。渋い好みだがそれは人それぞれだし友人の中には酒は年齢的に飲めなくても酒飲みの両親の影響で酒の肴をおかずに白米を食べる者もいる。 「竜馬君今日はなににしよっか?」 「えっと……なんでも」 「なんでもは困るよぅ~」  スーパーを回りながら食材を見る。ここ最近は魚料理が多かった、ししゃもの塩焼き、から揚げ、アヒージョ、南蛮漬け……ししゃもばかりだが喜ぶ顔を見るとそれも悪くないと思ってしまう。とはいえそれだけでは栄養が偏る、最近は値上がりも激しいから鶏肉がいいかも知れない、無駄遣いは出来ない。材料費は竜馬が出している、最初は趣味でやっているのだからと自費でやろうとしていたが押し切られた。 『使うようなものも…ないから……有効に使える人に使ってもらった方がいい……』  どこか寂し気にそんなことを言ってくる。その顔がまた消え入りそうで見ていられない、だから貰う、材料費を。  家族向け、ファミリーパックと銘打たれた大容量の鶏肉が割引されているのを見た。夕方には珍しい3割引き、即座に手を取る、複数日で分けて使うなら量は多い方がいい。  頭の中で組み立てる、冷蔵庫にはまだ卵がある、コメも炊いてあるはずだから親子丼なんかがいいかも知れない。だしを効かせて三つ葉を乗せる。決定。  作るものが決まってからの動きは早かった、いくつか野菜や切れかけの調味料を買い込み会計を済ませる、割引のおかげで2000円程度に済ませることが出来た。安く抑えることが出来てちょっと満足する。  ここから家は歩いて10分程度の所にある。いくつか路地に入ればそこだ。 「……ただいま」 「おじゃましまーす~」  マンションの3階が竜馬の家だった。最初ほのかは家に竜馬を呼んでいたが、今は三上宅にお邪魔している。ガス代や水道代と言ったものを負担させるのは悪いと。普通ならば下心を疑うが、竜馬にそういったものは感じない、本当にただ純粋にお金の心配をしているのが分かる。  最近わかってきた、竜馬の心は疲弊している。壊れる一歩手前まで。食事を共にする中で段々と竜馬の人生が口から洩れて来る。  小さなころから優秀な兄に比べられ続けてきた、兄はそんな竜馬にも優しく知れたらしく心の支えでもあったらしい、そんな兄がデジモンイレイザーと呼ばれる誰かにこん睡させられ、とうとう両親は竜馬を見なくなった、心無い言葉もかけられたらしい。 『産まれてこなければよかったのかもしれない』  ノンフィクション系の番組だったと思う。家族と団らんしている時に流れた番組で虐待を受けた少年か少女かがそんな言葉を言っていたのを見た。両親はそろって顔をしかめて酷いなぁ、などと言っていたのを覚えている。ほのかもそれに同意した、だがその時はあくまで自分の知る世界の外で起きたことであり、どこか他人事のようにも思えていた。まさか近くに似たようなケースがあるだなんて思う訳がない。  世間で見れば竜馬は虐待を受けているとは言えないのかもしれない、直接的な傷をつけられたわけではない。しかしネグレクトだ、心をひどく傷つけて壊してしまう行為を日常的に得ていた、それはどれだけ傷をつけた、なにも悪くない少年の心をどれだけぞんざいに扱って来た。ほのかはあまり怒るほうではない、しかしその瞬間初めて深い悲しみと同時に怒りを感じた気がする。  それ以上に辛いのは竜馬が受け入れてしまっていることだ、理不尽を。傷つきすぎて何もを近づけないささくれだった刃物の心がそこにはある。それこそ人ではないデジモンが唯一心許せる存在になるほどに。それが悪いなどとは言わない、パートナーのトリケラモンと話したことがあるが竜馬のことを良く気遣うよい相棒だった。だが、トリケラモンが何かのはずみで消えてしまった時にどうなる、その時は本当にどこかに消えてしまいそうな、そんな雰囲気さえ感じさせた。  ほのかが竜馬から材料費を受け取るのもそれこそが起因だ。そのお金はきっと縛る鎖になるはずだ、消えそうな時に引っ張り上げるか細い鎖だ。そのお金を貰い料理を作る、一種の社会的な契約ではあるが、それでもいい。消えて欲しくなかった、まだ幸福を享受できる権利があるのだと言ってあげたいと願っている。  使う分以外の鶏肉をラップで包み冷凍庫へいれ、メインの料理以外に何か使える者はないか冷蔵庫をあさる。最初は空っぽだった冷蔵庫が今は場所を埋まるまでになっていた、あまりよくないのだが、なんかあったと時にまた買い出しに行くよりはいいだろう。  タッパーを見つける、2日前に付けた浅漬けがまだ残っている、口直しにはちょうどいいと引っ張り出す。後は作るべきものを作るだけだ。 〇  ずっとずっと冷たく寒かった家が暖かく華やいでいるのを感じた。  ただの寝床、あるいはそれ未満の空間が今は正しく家としての機能を取り戻していた。一応自分の家だというのにここに居ることが間違いのように思えた。色鮮やかな花畑の中に造花が一本紛れ込んでいる、それが今の自分だと竜馬は思った。  ほのかが料理している。そこはなんの汚れもない無機質な場所だったのに今は有機的だ、どれだけ掃除しても跳ねる油跡、水垢、食器が桶につけられている、食洗器が少しだけ汚れていた、そろそろ洗浄剤を投入しなければならない。生活の匂いが見えていた。匂いがある、人の過ごすときに生まれるもの、実際に鼻で感じる者ではない、気配とでもいうべきものが。  ならば自分たち家族は何なのだろう。人ではないのかもしれない、事実か、自分は人ではない、人形だ、兄と言う素晴らしい人間をたたえるために比較される肉人形だ。そんな人形が今恥知らずにも人間の様に過ごしている。笑いそうになった、己への嘲笑で。抑えているのはほのかへの想いだけだ、自分のような存在にわざわざ心を割いてくれている。今自分を嘲笑えば、ほのかを嘲笑しているようで嫌だった。ひどく、人間のような心持だ。  キッチンはいまやほのかが独占している。最初手伝おうとしたがちょっと料理している男子高校生程度の腕前ではお眼鏡にかなわなかったようだ。待ってて、と押し出されてからは手を洗って席で待つだけになってしまった。  ちら、と台所を見る。慣れた手つきで調理器具を扱っている。それが何かにダブって見えた。しかし理解しようとすれば脳が拒否をする。ほのかを『―』と比べるのはとても失礼に思えたからだ。  やがて料理が終わり運ばれてくる。この時だけは竜馬も動く。流石に運搬作業くらいは出来るし何も手伝わないのは後ろめたい。  今日は親子丼だった、一口サイズに切り分けられた鶏肉が出しで煮られ卵でとじられ、火入れがちょうどいいのかとてもふわふわしている。頂点部分には緑の三つ葉が鮮やかにある。後はみそ汁と漬物。  良い食事だ、食欲がわく。 「それじゃあ食べよう、頂きます」 「いただきます」  手を合わせて小さく一言。  ほのかの料理は美味い、素朴でいつでも食べていたいと思えるほどの味がある。レストランの味とは違う、形容できないがあったかいというほかないそんな味。  口をつけるたびに心が溶解していく感覚になる。そしてわずかばかりの罪悪感が沸き上がる。 『お前の兄は、冷たい病院のベッドで寝ているのに、お前はこんな幸福を享受するのか?』  誰かに言われたわけではない、自分自身の心がそう言っている。素直に受け取れない自分の心が不幸に引っ張ろうと告げて来る。兄との比較で劣っていると烙印づけられた精神が、幸福を許さないと吠えている。  それを無視するように、食事を口に運ぶ。今だけはそんな何もかもを忘れていたかった。 「どう?口に合う?」  穏やかな笑みをたたえるほのかに問われた。少しだけ素直に笑顔を返す、きっと不細工な笑顔かもしれないがそれでも今返すものは笑みでありたい。 「とっても、美味しいよ」  顔に悲しみが漏れ出していないだろうか、不幸が張り付いていないだろうか、そもそも笑みを浮かべているつもりでしかめっ面になっていないだろうか。脳裏に浮かぶことはある、でも今は出来る限りの感謝を伝える。 「ふふ……よかったぁ」  そう言ってまたほのかが笑う、嬉しそうに。少なくとも今は笑顔を張り付けられていることに安堵した。 「そうだ、竜馬君この後デジタルワールドにいくの?」 「……うん」 「ならいっぱい食べないとね!」  ほのかの言葉に間を開けて頷いた。最近は素直に首を縦に振れなくなっていた。ほのかがデジタルワールドについてくるようになっていた、曰く、1人だとずっとデジタルワールドに居そうだから、と。図星だった。実際探索はこちらで言うところの睡眠時間をすべて削って行われている。寝るのはデジタルワールドでやればいいからだ。しかしそれが現実的に考えてよい生活と言えるだろか、と言えばそんなことはない。  まずデジタルワールドは現実の経過時間とは違う、1時間が何時間や何日に相当する。現実での8時間が場合によって1週間経っていることもザラだ。ではその間の食事はどうなるか、当然竜馬がその間栄養バランスはどうなるか、考えられるわけがない。  それを察したほのかが今はブレーキ役として付いてきている。最初は鬱陶しいハズだったのが、今はいて欲しいとすら思うのは、まだどこかに人の心が残っているからかもしれない。  本当のことを言えばついてきてほしくない、危険な旅路に、それも自分のわがままの旅路についてきてほしいなど思えるわけがない。  だが、それを悩んでも無駄だ。ほのかは付いてくる、強引にでも。  悩む心をかき消すように、また、料理に箸をつける。口元に運――  開閉音がした。  扉が開く音、玄関の方からだ、そしてそのまま足音、竜馬の顔が真っ青になる。  廊下とリビングを繋ぐ扉が開かれた。 「――あんた」 「……久しぶりだ……母さん」  やつれた顔の女が、そこには立っている。血縁上の母が。