「ネーバルウィッチモン!嫌だ!死なないで!」 敵が繰り出した新造デジモン、サルガッサモン・ヒルギモン・ケルプモンの大軍に私たちは効果的な戦術を持っていなかった。 敵は歴代のエンシェントウィッチモンが対策していなかった『海生植物型デジモン』を一気に繰り出してきたのだ。 「そんな顔するもんじゃないさアルカナウィッチモン。可愛いのが台無しじゃないか……ウッ。」 にもかかわらず敵のほとんどを撃破し、私たちはかろうじて勝利した。 その代償は五代目エンシェントウィッチモン、ネーバルウィッチモンの命。 息も絶え絶えな彼女の全身から、データが光の粒子となって流れ出して霧散する。 もう助からないのは明白だった。 エンシェントウィッチモンは普通のデジモンと違ってデジタマに還ることはない。 死ねばその記憶と能力を次代のエンシェントウィッチモンのデジコアに吸収され引き継がれるからだ。 もしも次代が決まっていない場合はスピリットに変じて次のエンシェントウィッチモンたり得る者を待つことになる。 「ネーバルウィッチモン!ネーさん!!」私の呼び掛けも虚しく、ネーバルウィッチモンは形を留めきれずに消滅した。 少し寂しそうな微笑みを、私の視覚記憶に焼き付けていって。 同時に、私のデジコアにデータの奔流が押し寄せ入り込んできた。 ネーバルウィッチモンの今まで引き継いできた、あるいは自ら編み出した数々の能力や技。 そして、歴代エンシェントウィッチモンたちの、記憶。 当然その中には、ネーバルウィッチモンの記憶もあって。 それに触れた私は、私は―― 「大丈夫ですか?」 気がつけば、エンプレスが私の顔を覗き込んでいた。今はピンクのブイモンの姿をしている。 「うなされていたようですが、ミレディ?」心の底から心配そうな表情だ。 「……おはようエンプレス、大丈夫よ。特に異常は無いわ。」 「おはようございます。そうですか、朝食を買ってきてあります。」こういうやり取りは初めてではない。 私がエンプレスのリカバリーに成功して以来、何度か同じことがあった。 最初のうちは何度も何時までも本当に大丈夫かと尋ね続けていたものだ。 私が具体的なことを全く言わないので今では深く追求してくることはなくなった。 ……気持ちは嬉しいのよ?でもね、私にだって女主人としてのプライドってものがあるのよ。 「今朝は少し混んでいましたが無事に買えました。エンペラーとサンとムーンも呼んで朝食にいたしましょう。」 エンプレスは表面上は至極いつもどおりに落ち着いて見える。 しかしその心はまだ不安に揺れているのが私との戦術ネットワークを通じて伝わってくる。 それを感じて、同時にちょっと罪悪感も感じて、誤魔化すように私は窓の外を見る。 まだ朝の内だというのに、表はかなりの人通りになっていた。 最近にわかに周囲が騒がしい。周囲というのは私が潜伏してる「アリーナ」のことだ。 情報収集と生活費稼ぎを兼ねて、私アルカナウィッチモンはこのアリーナで占い屋を営んでいる。 No.18とNo.19をそれぞれルナモンとコロナモンに退化させて、瑳横百合花と名乗って一般人テイマーのフリをしてる。 占いは当たるとまあまあ好評。そもそも私は占いアプリから生まれてるんだから当然と言えば当然よね? 尤もそれだけでは情報もお金も足りないから、暇を見てアリーナで雑用のバイトもやってるの。 そこで聞いたのだがどうやらアリーナの運営者が夏祭りを企画し、その準備が進められているらしい。 ちょっとまずい事態ね。まだ私の陣営は完全復活には程遠い。 ……半分以上は過去に自分で潰してしまったから自業自得なんだけど。 『ここのブラックボックスは何かあった時に使えるわよ。調べておきなさいな。』 いわゆる並行宇宙の『私』を通じて接触してきた『向こう側』の七代目はそんなことを言っていた。 一応疑われない程度に情報は集めてるけど……芳しくない。 これ以上、ここで戦力を集めるのは諦めてどこか別のところに潜伏しようかしら? 朝食を終えてそう考えていた時に、その声は聞こえてきた。 『もしもし?わたしだけど?』あまり滑舌の良くない甘ったるい声。あいつだ、向こう側の七代目だ。 「……何の用かしら?こっちはちょっと立て込んでるんだけど?」 『その立て込んでる事情に役立つかも知れないのよ。ちょっと待って?』 突然目の前の空間が歪む。ああそうか、私に通信を繋げられるってことは、向こうの私を通じてこっちの座標が割れてるってことね。 だとしても、こうも正確にこちらの居場所に『繋げて』これるなんて思いもしなかったわ。 数秒の後に不定形かつ不安定なデジタルゲートが出現し、そこから白っぽい何かが落っこちてきた。 「はぁ〜い、はじめまして〜。」……直接姿を見るのは初めてだ。だけどこの声、さっきまで聞こえていたのと全く同じ声。 『向こう側』の名張一華が、私の目の前に現れた。 「あなた……どうやってこんな精度を?」ソイツの挨拶を半ば無視して私は問う。 「いくら五次元上の座標が分かっていてもあんな即座かつ正確にデジタルゲートを開けられるものなの?」 「わたしにはカガリちゃんがいるから。」……確か三つ子の真ん中の子だったかしら? 「……そのカガリの姿が見えないけど?」 「来れないからね。今はゲート発生装置のコアユニットだから。」 「……はい?」一瞬耳を疑ってそんな声が出た。 でもコイツが家族にしてきたことを考えたら三つ子の妹が無事な訳なかったわね。 「余計な部品は全部パージしてゲート発生と制御に特化したユニットに改造したの!すごいでしょ?」 声も表情も自慢げな彼女に私は不快感を抱く。 しかし、かつてネーバルウィッチモンの実験を嬉々として受け入れた私がそれをとやかく言う権利があるの? いくらなんでもそれは……傲慢すぎるわ。 見れば、私の後ろでエンプレスが険しい表情をしている。……そうね、あなたは昔の私を知っているものね。 それであなたがとても心を痛めていたことも、今の私は知っている。 「……それで、何の用なの?」気色ばむエンプレスを左手で制しながら私が尋ねる。 すると、そのアナザー一華とでも言うべき女は右手を顎にあててしばらく考えていた。 「ちょっとあなた、まさか特に何の考えもなしに来たんじゃ……」 「あっそうそう!思い出した!」私が言いかけるとポンと手を打ってこっちを見た。 「アラシ君がね、死んじゃったの。」そして彼女は唐突にそう言ったのだ。 「アラシ……って誰?」いきなり知らない名前が出てきて私は面食らった。そりゃそうでしょ? 「料理が上手なかわいい男の子がいるって聞いたからね、もう先のない並行世界のデジタルワールドから攫って来たの。」 ああ、コイツ……『私達』の力を使って他の並行世界にも手出ししてるのか。って、そもそも『こっち』の自分に手を出してるんだから当たり前よね。 「料理人にするために洗脳強度下げてたら反抗的でねぇ?わたしに肉を食えって言ってきてさぁ。」 そう言えばアナザー一華はこっちの一華と違って肉食べないんだっけ。というかこっちのほうが肉を食べるようになったと言うべきかしらね。 「あんまり煩いから、だったらあなたが肉になりなさいよってね。」あまり聞きたくない話になりそうね? 「ティラノモンのほうはガッツリ洗脳してたからね、アラシ君の痛覚を完全に遮断してね。」アルカイックスマイルを浮かべて言葉を続けるアナザー一華。 「生きたまま食べさせたんだけど、これがなかなか言うこと聞かなくてね?」彼女はうんざりした表情に戻る。 「無理矢理食べさせたんだけど、アラシ君は泣かないでティラノモンが泣き出してさぁ、ウザいったら。」 「それがあなたがここに来たのと何の関係があるのよ?」これ以上不快な話を聞きたくない私は半ばキレ気味にソイツに食って掛かる。 「だから今度はこの世界のアラシ君を拐っちゃおうかなー、って。」 「……呆れた。そんな事のためにわざわざ?」 「まっさかー。それはついでよついで。ちゃんと用事はあるのよ。」……ってことは暇があったら誘拐するってことか。 「よかった、遊びでホイホイ世界を飛び越えられたらたまったもんじゃないわ。とりあえず……」私は床に座り込んだ半分白半分肌色の物体に向けて言い放つ。 「何か着なさい。全裸白衣は着てるうちに入らないわよ。」 私の変装用の服をとりあえず着せた。少しサイズが合っていなかったので、とりあえずエンプレスにセイントモールまでお使いに行ってもらった。 その間の護衛としてエンペラー・サン・ムーンの三人をスティングモン・フレアモン・クレシェモンに進化させている。 成熟期1完全体2でこの化け物の相手をしきれるかはちょっと不安だけど……そんなことより! まだ三人とも自我の覚醒がまだだったり不完全だったりで全然喋らないのよ! 実質コイツと二人っきりの沈黙空間は居心地悪いったら! ……エンプレス早く帰ってこないかしら。あの子、カワイイ物には目がないから心配だわ。 「遅いわね、あのブイモン。」何よコイツ、私の考えを見透かしてるっていうの!? ……待て待て落ち着きなさい私。コイツの『目』はアーカーシャに記載されてることしか見えないはず。 リアルタイムで私の心情を見れるはずが無いわ! 「あなた、考えてることが顔に出てるわ、よ?」アナザー一華が半目でこっちを見て言う。 「わたしのほうの六代目とは会ったり話したりしたこと無いから知らないんだけど、あなた本当にエンシェントウィッチモンの一画なの?」 「私が六代目やってた期間って一週間もなかったし……」 「そう言う問題かしら?まあいいわ、まずはあなた御希望の『全デジモンの封印』についてよね?」 ……来た。自分で発案しておいて何だけど、本当に出来る日が来るのね。 「わたし側の六代目とあなた、そしてわたしの『眼力』によるシステム解析とクラッキングで実現可能、という計算が出たわ。」 「そう、やっとこれで……」思わず言葉が漏れる。 「と言っても封印できるのは『このデジタルワールドのデジモン』だけよ?他のデジタルワールドやリアルワールドで生まれたデジモンは封印できない可能性が高いわ。」 「十分よ。わたしはこのデジタルワールドからデジモンがいなくなれば十分だから。」そう、このデジタルワールドが静かになれ……あら? 「……ああ、そうなの、なるほど、ね?」私を一瞥して、何かに納得したかのような笑みを浮かべるアナザー一華。 「まぁわたしとしてはあなた……あなたたちの世界がどうなろうと興味は無いわ。適当に美味しそうな子を摘んでお持ち帰りするだけだから。」 余裕綽々、って感じじゃないの。やっぱムカつくわねコイツ。 「あともうひとつ、わたしが教えた『ブラックボックス』の調査はどうなのかしら?」 「そっちはまずまずってところね。」気を取り直して私は毅然とした態度で答える。 「でもあれが何の役に立つの?ブラックボックスも所詮はVRシステムよ。いくらダンジョン化してるとは言っても……」 「まあそこはそれ、蛇の道は蛇というやつよ。」そう言うと白衣の胸ポケットからメモリーカードを取り出した。 「……なによそれ?」 「VR空間であっても通常と同じようにダメージが通るようにする対フィールド型プラグイン、だそうよ?」 「だそうよ?」ちょっと何その言い方?アンタが作ったんじゃないの? 「わたしの支援者からのありがたーいプレゼント、よ?」……支援者?コイツに? こんな吐瀉物を煮詰めて作ったジャムみたいな最低な女に、支援者なんているの? ……まあどうせ誰かを洗脳なり脅迫なりで奴隷にして作らせた代物なんでしょうけど。 「指定対象は除外される仕様だって言ってたわ。つまりわたしたちだけノーダメージであいつらだけお陀仏って寸法よ?」 なかなか卑怯なこと考えるじゃない、さすが忍者きたないわね忍者。 「それが本当ならすごいけど……さすがに事前にテスト、というわけには行かないわね。」 あのアリーナのVRシステムは私では模倣・再現は不可能なことが調査で分かっていた。 あれ、どう考えても遥か彼方の未来か異世界に由来する技術体系みたいなんだけど。 あのKとかいう女、何者なのよ? 「仕方ないけどぶっつけ本番ね。ま、わたしがいれば怖いものなんて無いし?」 …………味方じゃなかったらはっ倒したくなる笑顔ね。 「ミレディ、私です、エンプレスです。そちらのク……お客人のお召し物を買ってまいりました。」 ノックとともに聞き慣れた少女のような声がドアの向こうから聞こえ、話し合いは一時中断となった。 「あなたが怖いもの知らずなのは結構だけど、ここではちゃんと服を着て頂戴な?」 その頃、とあるリアルワールド、町田市。 小さな温室を備えたある一軒家の居間、そこには一人の男性と一人の少女が向き合っていた。 「言われた通りの物を用意してきたッス。」ヒエイを名乗る男が差し出したのは大容量のSSDだ。 「ありがとう、これがあればアルカナウィッチモンを攻略できるかも知れない。」 受け取ったのは名張一華、中学の制服を着て、髪を青黒く染めている。 しかし染めてから時間が経ってしまい、頭頂部に元の白い髪色が覗きはじめている。 「あの……言っちゃ何だけど、ホントにこんなもので勝てると……?」 名張家に赴いた彼の要望に応対したのはエンジュであった。 『ええ……たしかにそれらのデータなら私が保管してるけど……本当にそれで合ってるの?』 その時の彼女の顔色は疑念とかいうものではなく、明らかな困惑の色を示していた。 受け取っていた手書きのメモと何度も見比べてみたが、一華の記憶が正確であったことと、それが求められたデータであることを確認するだけに終わった。 「どうせ真正面から力でぶつかったらひとたまりもないわ。だったら……」中学生にしては幼すぎる少女がほくそ笑む。 「薄汚い忍者らしく、正々堂々真正面から不意討ち決めてやるわ。」 「……さすがッスね。」サングラス越しでも彼が表情を固くしたことが一華には察せられた。 「さて、もう一つの懸念が敵の潜伏場所である『アリーナ』なんだけど……」一華の言葉にヒエイは今度はメモリーカードを取り出す。 「それについては先生から対策を授かってるッス。」 「対策?」 「VR空間にいる相手の実体部分に対してVR上でのダメージが適用される対フィールドプラグインってやつらしいッス。」 その説明に一華は小さく驚いた声を出す。 「ノセボプラグイン、って名前だそうッス。」 「ノセボ……どっちかって言うとパパが作りそうな感じの名前ね。」 「同感ッス。」ニ度しか会ってないはずの蔵之助についてなぜそこまで自信を持って同意できるのか、一華は気づかないフリをした。 (海津さんが作った代物なら問題なく動作するはず……だけど、何なの?)なぜか言いようのない不安を感じ、一華はメモリーカードをしげしげと見つめていた。 (続)