黒髪の女王は、私室を王宮より少し離れたところに移させた。 砂漠にいる者でなくとも、誰しも寝静まる夜には休息が必要である。 「はあ……退屈ぞよ」  しかし、長命の魔導士である彼女にとって必要な”休息”とは、 どうやらその身を休めさせることとは無縁なもののようだった。  岩陰に潜む砂蛇が身を持ち上げるように、ひと伸び。 絶世の美女すら霞む老いを知らぬ肢体が、人知れず弾む。 女王は窓辺に向かい、頬杖をついて一言呟いた。 「……来たか」  ほどなくして、窓の外から裸足で砂を踏む軽快な足音が聞こえてくる。 誰かに気づかれぬように抑えているものの、なお大きなその呼び声に女王は苦笑した。 「女王様ーっ!」 「ジョオウサマ、ジョオウサマ」  窓の外から女王を呼ぶ少年は、トットリアの行商人、ナイルである。 彼は喋る不思議な鞄と共に各地を巡り、それをこっそり女王に見せている。 「ずいぶん遅かったではないか、”大臣殿”? 妾をこれほど待たせたのだ、見合った成果はあったのであろうな?」  女王ネフェルパトラからの問いかけに、少年は曙光のような笑顔で答える。 「はい、もちろん!それはそれは大冒険で……おっと、続きはお楽しみです!」 「ジョオウサマ、ビックリスル、ゼッタイ。 アト、コレ、ジョオウサマニタノマレテタ、シュウシホウコク」 「かばんちゃんも元気そうで何よりであるぞよ。 まあもう既にびっくりしとるぞよ、ちょっと有能すぎんか?お主」  鞄が次々と吐き出す魔パピルスの書類を受け取りながら、 女王は寝台の上に腰掛け、床に座るナイル少年と向き合った。 「……はい、こっちは準備出来ました、それではお願いします!」  太陽はすっかり沈み、退屈も苦役もここに終わる。 「うむ――さて、謎かけの時間だぞよ。 お主の言う……妾を笑顔にできるような品とは、何ぞや?」  砂漠の夜明けはいざ知らず。 終わらない謎かけの続きが、ここに再び始まった。 旅シリーズ怪文書 ナイルくん一行がネフェルパトラ様の謎かけに挑む話 『ネフェルタリ・ナイト!』~夜明け知れずの謎掛け~ ****** 「……つまらぬ」  蜃気楼と共に揺蕩う国、トットリアの王宮・謁見の間にて。 窓の外に広がる砂海を眺め、女王ネフェルパトラは嘆息した。  ここ、サラバ砂漠とは、不変の砂原である。 かつてよりこの地を治める古王アテンが、最もよい例だ。 卑しくも生にしがみつき、故も知らず王を名乗り続け、 挙句の果てに逆らうものの存在を許せず、足を引っ張り続けている。  兎角、かの王が未だ動いている以上、我々トットリアの民が この砂原に自由を見出すことは永遠にない。それこそ、不変である。 「……実に、つまらぬ」  精鋭部隊、トットリアンナイトの一人が声を上げた。 「は……申し訳ありません。 何分、先刻の謎かけは随分と奥深く――」 「お主らのせいではないわ。これは全く別の悩みぞよ。 それはそうとお主らが答えられぬのも一端ではあるぞよ、励め」  部下の一人を一瞥し、女王ネフェルパトラは再び考えを巡らせる。  300余年もの間この地を治めた女王として、現状に不満はない。 無論、かの古王が失せ、砂漠が解放されるならそれが最善。 だがアテンは強い。刺客を差し向けることは極めて高いリスクを伴う。  そもそも王たるもの、見据えるべきは敵でなく民である。 トットリアの民は、砂と共に生きる事を望んでいる。 ならばその地を統べる王は、無論民の望みに寄り添うべきだ。 その為に、妾は古代魔術を用いて砂漠に居を構えているのだ。 何十年、何百年もの間……変わらず、この玉座に腰掛けているのだ。 ――つまらぬ。 いや、つまらぬ。猛烈につまらぬ。 交易がリスクになる故、蜃気楼の魔術を用いて近場の集落で済ませているものの、 ここ十数年ほど、この国には新しい概念が全く入ってこぬのだ。 同じ服を着て、同じ飯を食い、同じものを見て、同じもので一喜一憂する。 ……妾個人は、流石に謎かけだけでは退屈になってきた。  民はそれでもよいからサラバにおるのだ、という事は分かっておる。 王として為すべきことも。故に、これは単純に妾の問題。 「……これは、難題ぞよ」  この謎の答えを、どうすべきか。 それは到底、答えの見えぬ謎かけであるように感じられた。 「――女王様、申し上げます。今月の交易記録について……」 「知っておる、どうせ先月と変わらぬのであろ。よきにはからえ」 「いえ、それが……新たな交易先と取引した記録がございます。 相手は……シーフェラー・カンパニー……ウエス王国の会社、ですか?」  交易担当の者と、トットリアンナイトの者が少しざわつく。 「個人間での交易は国法典上、問題ありませんが…… しかし、この少年はなぜわざわざ単身でウエスまで……」  ……ほう? このサラバに、未だに変わるものがあったとは。 ともすれば、暇つぶし程度にはなるやもしれん。 「……悪くない、やもしれん……妾は会ってみたいぞよ。 その少年、ナイルとやらをここへ。”商売道具を忘れるな”、と伝えよ」  女王はそう言うと、退屈をしのげることに胸を躍らせた。 しかし、いつの世も……為政者の退屈しのぎとは、傲慢で意地悪なもの。 女王からこぼれた不敵な笑みに、そば仕えの者は身が引き締まるのであった。 ……この後、ネフェルパトラはこの判断を一瞬ひどく後悔することになる。 ******  しばらくのち、トットリア王宮・謁見の間にて。 厳か、だがどこか過疎地故の鷹揚さを持った雰囲気の中、 ターバンを巻いた赤髪の少年が、鞄を携えて深々と礼をした。 「面を上げよ」  緊張している面持ちの少年は深呼吸をしたのち、 持ち前の愛嬌ある笑顔とよく通る声で、元気よく挨拶をした。 「……はじめまして、ネフェルパトラ女王様! 作法を知らず申し訳ありません、僕は最近行商人をやってる、ナイルという者で……」 「――朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。これは何ぞや?」  一切の顔色を変えずに、壇上の女王は遮って問うた。 トットリアン・ナイトたちがざわつき、周囲に緊張が迸る。  ”女王ネフェルパトラが、それも初対面でなぞなぞを始めた”ということは、 それだけ女王が相手を重視しているか、相手をもて遊んでいるかのいずれかしかない為だ。  されど、ナイルも腕利きの行商人、すぐさま答えを返した。 「……え、ええと……”人間”、ですか?」  周囲が皆、一問目は正解か、と思ったところで、 女王のエメラルド色の目は妖艶に、いたずらっぽく細まっていく。 「答えは――”そういう生き物”ぞよ」  王宮の者が皆、どよめいた。少年ナイルは驚いた顔で聞き返す。 「えっ? いや、でも答えは人間の筈で……」  周囲の物からも、異論を唱える声が上がる。 「そ、そうです女王陛下! これは人間以外……!!」 「朝昼夜を、人間の一生になぞらえた謎かけでは!?」  ネフェルパトラは飄々と言い返した。 「ほほほ、何を言うとる、人間が一日で老いるわけないぞよ」 「「「「た、確かに……!!」」」」  理路整然極まりない答えに、周囲の者は愕然とする。 これこそ、女王の謎掛けが弟子たちの心を掴んで離さない理由であった。  しかし、当の女王はどこか退屈そうに声を発した。 「存外大したことないのう、拍子抜けだぞよ。 “王家の宝物に認められた者”が、この程度とは」 「「「……えっ!?」」」 「あっ……」  女王の弟子たちから驚きの声が上がる。 隠し事がバレたナイルは、ばつが悪そうに目を逸らした。 「古代魔術の千里眼で見た通りぞよ。その鞄は、この地の宝物に 近い魔力組成をしておる故な。ほれ、何か申してよいぞ」  女王の呼び声に応じて、先程まで何の変哲もなかった鞄が、 ガバリと口を開け、白い歯と舌を見せて笑った。 「オハツニオメニカカレテコウエイデス、ネフェルパトラジョオウヘイカ」 「ほほほ、なかなか流暢に喋るではないか、気に入ったぞよ」  赤髪の少年は謝罪するとともに、以前より抱いていた疑問を恐る恐る口にした。 「だ、黙っていて申し訳ありません……えっと、ひょっとして鞄ちゃんって、 やっぱり僕が持っていていい物じゃないんですか……?」 (ふむ、やはり千里眼で見た通り……良い子のようであるな。 あの宝物を使っても問題は起こさないであろ……はぁ、良いことだが退屈ぞよ)  ネフェルパトラは表情を変えぬまま、微笑んで答えた。 「気にするでない。何も妾は咎めだてするつもりはないぞよ。 古代王家の宝は人を選ぶ故、選ばれし者にしか扱えぬ。 大方、見つけたら鞄の方からついてきたのであろ?ならばもとよりお主のものぞよ。 どうしてもというなら、”ウエスからの輸入品を妾に献上した件”で交換ぞよ」  ナイルは許されたことと、喜んでもらえていたことに顔色を明るくした。 「よ、よかったです……! ありがとうございます!」 「ヨカッタナ、ナイル! ジョオウサマ、カンシャシマス」 (さて……ここからが本題ぞよ)  女王は目を細め、それとなく切り出した。 「それにその鞄……その宝物は、妾も見たことが無い。どれ、ここはひとつ…… ”それを最大限使って妾の謎かけに挑む”、というのはどうであろ? もし2問以上解けたならば、特別な褒美を取らすぞよ。損はあるまい?」 「えっ……!? よろしいのですか、では……」 「お待ちください、女王陛下……それは些か危険かと。 仮にも王墓の宝物、何が出てくるか……」  待ったを掛けたのは、名もなき砂漠戦士。 砂中戦を得意とする、トットリア有数の強者である。 「ほう? それはつまり、王墓の宝物に、現女王である妾が後れを取る、 という意味で受け取っても良いかの、砂漠戦士よ……ほほ、冗談ぞよ」  ネフェルパトラは睨むのをやめ、ふっと笑った。 「……無礼、お許しあれ」  砂漠戦士は目を伏せ、一歩下がった。 一方、ナイルは不安そうにしていた。 「おや、ナイルとやら、報酬がいらぬのか? ……まあ、この謎かけに付き合ってくれる者はそう多くは無いが――」 「いえ、そうではなく……かばんちゃんが出すものは、 僕の意思で出せるわけじゃないんです。つまり、何が出てくるか僕も……」 「ほほほ、それ以上言うでない。 それでこそ、退屈しなくて済むというものだぞよ」  女王は他者の心配をよそに、ただ僥倖を感じていた。 「皆の者、覚えておくとよい。 “謎かけを愛する者、未知や驚きに動揺することなど、あってはならん”。 雨が降ろうが槍が降ろうが、悠々と構えるべきぞよ」  女王のその態度には、どこか子供のようないたずらっぽさと、 為政者としての確固たる矜持が滲んでいた。 弟子たちや多くの民が彼女に従うのには、理由があるのだ。  ナイルは胸を打たれた様子で声を上げた。 「女王様……!! はい!! そういうことなら、このナイルとかばんちゃん、全力で挑戦します!」 「うむ。女王に二言は無いぞよ。 さあ、謎かけを続けるかの……日は沈んだばかりぞよ」 (これで少しは面白くなるであろ。 くふふ、楽しみじゃ、どんなものを出してくる、王墓の意思よ?) ――つまるところ、女王は”答え”に飢えていた。 いったい、どのような形でこの退屈は埋められるのか。 どうすれば、女王としての責務を成しながら、己の欲を満たせるのか。 「それでは、二問目。 なんでも斬れる剣でも、斬れないものは何ぞや?」 ――女王の求めていた”答え”は、ネフェルパトラが全く予期しない形で訪れた。 「う、うーん…… 鞄ちゃんに聞いてみますね。何かわかった?」 「ワカッタ、”ヨンデクル”」  鞄はもぞもぞと蠢いたのち。 ――瞬間、その場のほとんどの者に、不意の走馬灯が迸る。 漆黒に似た甲冑の内側から、鮮血よりも赤い赫色が覗く。 万物に揺るがされぬ不動、その剣は大地に座し、剛毅にして凄烈。 「あっ久しぶりですね、エビルソードさん」  魔王軍四天王が一人、エビルソードと全く同じ姿かたちをしたものが、 かばんちゃんの口からぺっと吐き出された。 「……ほえ?」  ネフェルパトラは、頓狂な声を漏らした。 ****** (弟子たちがあっけにとられ、ある者は泡を吹いて倒れる中。 妾、ネフェルパトラは今、恐らく人生最大の危機に瀕しておる。  エビソニグ、バルロス、カンラーク……大国はみな、かの者の前に滅びた。 地上最強の剣士、魔王軍四天王エビルソードの名を知らぬ者は、ほとんどおらぬ。 “四天王に最も近づいた男”ごときに梃子摺る国では、到底太刀打ちは出来ぬ) 「……すーっ……はーっ……こほん。 ご客人、失礼ながら名を伺ってもよろしいか?」 (――”されど、いつものように振る舞う”。 それこそ、今妾が目前の謎に対し取りうる最適解ぞよ。  まずは現状を確認せねばならぬ。いくら王墓の宝物とはいえ、 不意に魔王軍四天王を呼び出せる、ということはまず普通あり得ん。 恐らくは幻術かなにかで――)  黒鎧の大男は、重々しく口を開いた。 「――魔王軍……エビルソード」 (あっこれ99%本人ぞよ。 まんまカンラークの時と同じこと言っとる。 冗談であろ? 何考えとるんぞよ、あの阿呆鞄……!? まさか……いや、暗殺や脅迫目的で呼び出すなら、ここに訪れずとも もっと早く呼んでおればよいはず、いったい何が起こっておる……?!??)  表情を凍り付かせながら、必死に玉座で平静を保つ女王をよそに、 少年ナイルはさも当然のように、知り合いに謎を問いかけた。 「エビルソードさん、ちょっと質問してもいいですか? あちらにいる女王様の謎かけが、ちょっと難しくてですね…… “なんでも斬れる剣で斬れない物”ってなんでしょうかね?」 「……む?」  女王はからからと笑っている。 「ほ、ほほほ…… 所詮は戯れ、気にせずともよいぞよ、魔王軍のご客人」 (何さも当然のように聞いとるんぞよ、このこわっぱ!? どこが退屈じゃ、かわいい顔して破天荒極まりないではないか!)  女王の荒ぶる内心は、眼前の男の声と共にぴたりと凪いだ。 「……斬れぬものは、無い」 ……誰しも刃に触れれば、それの温度に関わらず、ひやりとしたものを感じる。 彼の言葉、その一挙手一投足には、刃に似た冷たさがあった。 そこに虚言は無い。その一刀のもとに、斬れぬものは無い。  その答えに納得した少年は、知人の意見を奏上した。 「だそうです。いかがでしょうか、女王様」  女王は――あえて、毅然と返した。 「――不正解ぞよ」  時間が止まったかのように、空気が凍り付く。 少年や、辛うじて意識を取り戻した近衛兵たちはみな驚いて、女王を見た。 「……答えは…… 答えは”なんでも斬れる剣で斬れない鎧”ぞよ」  女王は、エビルソード……と思われる者を見つめ、言った。 「……むう」 (”これは謎解きであり、かの鞄の出した試練”。 ならば、為すべきは空気に飲まれず、主導権を取ること。 さあ、どう返す……ご客人よ)  謁見の間の者たちが固唾をのんで見守る中、 エビルソードは少し考えた後に、声を発した。 「然り……魔王様の鎧は、我でも斬れぬ。 ――面白い。」  張り詰めていた空気が、一気にしぼむ。 護衛達がようやく気を取り直したところで、女王は言った。 「……皆の者、これで分かったであろ。 これは謎かけぞよ。決して事を荒立てるでない。 それと鞄よ、魔王軍の者はもう呼ばなくてよいぞよ、頼むから」  護衛達が武器を下ろす中、女王は考える。 (――王の資質とは、荒立たぬこと。砂漠に嵐は訪れぬ。 仮にこの四天王が偽物ならば、事を荒立てて余興に水を差した妾に否が生まれる。 本物ならなおさら、事を荒立てて刺激するべきではない。自然なことぞよ。 ……いや、それなら空気読んで正解にすべきだったかもしれんぞよ……) 「えっ、エビルソードさん魔王軍だったんですか!?」 「む?……あ、うむ」 「ほほほ、素性を知らん者を呼ぶでないぞよ? マジで」  女王の側の兵士が、女王に問うた。 「じょ……女王様、して…… いかがなさいます……謎かけは、続けます、か……?」 「うむ……」  普通に考えるのであれば、ここでお開きにすべきなのだろう。 されど、わざわざ賓客に訪れて貰った以上、丁重にもてなすべきだろう。 また女王として、この勝負から降りることは、王として持つべき平静を捨てることと同義。 「ジョオウサマ、ツギノモンダイハ?」 (つまり……どうあれ、望むところよ)  女王は不敵に笑う。 何よりも、そんな”退屈”――ネフェルパトラが望むはずはなかった。 「焦るでないぞよ。それでは、次の謎じゃ。 “死しても死なぬもの”、それは何ぞや?」 「う、うーん……アンデッド、ですか?」 「や、やはりここは……忌々しいアテンとその部下どもであろう?」 「うむ……或いは死霊術師という線も……」 「……ダースリッチか?」 (くふふ……皆まんまと引っかかっておるぞよ。 ……というか、あのこわっぱ豪胆過ぎんか。エビルソードの隣ぞよ? いや弟子共も普通に混じって考え出しとるな。あれ? 妾がおかしいのか、これ?) 「……鞄に聞いてみると良い。妾は動じぬぞ?」 (答えは”なぞなぞ、つまり次の問題”ぞよ。 さあ、どうする……ナイルよ、鞄よ……?) 「それは本当ですか!?!?」  鞄から出てきたのは、騒音をまき散らす魔生物、魔鹿だった。 「うっさ!! やかましいわ!! 耳ちぎれるかと思ったぞよ!?」 「うわっ、ごめんなさい! かばんちゃん、時々魔鹿吐き出すんですよ」 「危険物過ぎんか!? それどんな気持ちで持ち歩いとるんじゃ、お主!?」  そんな様子を知ってか知らずか、宝物の鞄は嬉しそうに飛び跳ねた。 「ジョオウサマ、コタエ、コタエ。ドウ?」  ”死しても死なぬもの”。 魔鹿は肉になろうとも、食われようとも、その代名詞ともいえる騒音を失わない。 「……あっ、なるほど…… む、むむう……それも正解に近いぞよ、 だ、だがしかし……正解は”次のなぞなぞ”で――」 「……否」  エビルソードが、ほんの少しだけその刀を強く握ったかと思うと、 魔鹿は断末魔ひとつあげず、ぱたりとその場に倒れる。 「魔鹿の叫びは、剣気で已む。そして」  倒れた衝撃でゆっくりと毛皮が剥がれ、その肉はいくつかの部位に分けられた。 斬った者に死んだことすら気付かせぬ剣技であった。 「”無声の一刀”。BBQで……鍛えた技だ」 「「……」」  敵も味方もなく、おもむろに嘆息が上がる。女王は笑って、客人を讃えた。 「……くはははは、見事ぞよ! 魔術も無しに生きたまま魔鹿の声を抑える神業、見たこともない!」 (まあ……BBQとか言い出したし偽物であろ、多分……) 「……エビルソードさん、すごい…… ううん、これじゃダメだ……女王様、続きをお願いします!」  ナイルがやる気を出している様子を見て、女王はふと疑問を口にした。 「……ほう、諦めてもよいぞよ? 報酬がなくなるだけぞよ、お主が失うものはあるまい」  少年はきっぱりと、笑顔で答えた。 「いえ、行商人として……女王様には喜んでもらいたいので! それに……まだ一問も正解できてませんから!」 「――」 「ほう、なかなかいい心がけではないか」 「謎かけに最も大事なのは諦めぬ心よ」 「然り。挑戦は、良いものだ」  少し驚いたような顔をして、女王はゆっくりと口を開いた。 「お主な、普通に考えて喜んでほしい相手に魔鹿は出すものではあるまい」 「うっ……ごめんなさい……」 「――だが、良い。続けるとしよう。 最も美しき者とは、何ぞや?」  ネフェルパトラはいたずらっぽい表情を浮かべ、少年に問うた。 「そ……それってどういう……?」 「……さあ?」 「え、えーっと……」 「くふふ……」  ギャラリーから疑問の声が上がる。 「……?」 「どういうことだ? こんな謎かけ今まで……」 「多分場の主導権を握ろうとしていらっしゃるのだ……」 「それ以上言うとクビにするぞよ、貴様ら」  少年は顔を赤くして、鞄を呼び寄せた。 「い、いちおう鞄ちゃんに聞いてみますね……」 「……ほう、聞くのか?」 「き……聞いちゃダメですか?」 「……ほほほ」  鞄に聞けば不敬、聞かねども不敬。 これこそ、意地悪なぞなぞの真骨頂ともいえるだろう。 得も言われぬ空気が漂う中、エビルソードは素振りをしていた。 「そ、それじゃ……いつも通り、呼んでもらいますね!」 「うむ、誰が出るか楽しみぞよ」 「うう……」  弄ばれている少年の表情を見て、ネフェルパトラは考える。 (まあ別に妾は妾が一番美人だとは思っておらぬからの、くふふ) 「……む。小僧、手を前に出しておけ」 (いや、しかし良い顔をするものぞよ。この壇上からでは些か遠い。 もっと近くで見ることができればよいのだが。そう、このくらい……) 「……んっ?」 「……えっ、あれ!?」  気づけば、女王はナイルの腕の中……鞄の前に移動していた。 座った体勢のままだったので、支えられていなければ転倒していただろう。 「あわわわわ、申し訳ありません女王様……!!」 「……!? 女王様、お怪我はありませんか!?」 「フン」 「……どういうことかの。妾が呼び出されるとは。 まあ、有事であったし女王に触れた不敬は不問とするが、不思議ぞよ」  かばんは元気そうに、女王とナイルの前を跳ねている。 「カバンハ、ナイルノカバン。ナイルガノゾムモノモ、ヨビダセル」 「……ほーう、随分と不敬ではないか? ……とりあえず降ろせ」 「ええっ!? そういう意味じゃなくて…… ネフェルパトラ様が一番美しいと思ってるから呼んじゃったんだと思います!」  顔を真っ赤にするナイル少年に続けて、女王の部下たちも口々に述べる。 「トットリアの者なら自然かと」 「そうだ!」  だが、ネフェルパトラは逃がすつもりなど無い。 長躯をかがめ、少年と顔を見合わせて、意地悪に笑って言った。 「ほう。ほれ、もう一度?」 「え……えっと、その、ネ――」 「うむ、ああ満足した。正解ぞよ」  トットリアンナイトの何人かが、ナイル少年を哀れむ目で見ていた。 「……問いは終わりか?」 「むむ……ご客人、退屈させてしまったか?」 (……待てよ、妾でも問答無用で呼び出されたという事は、つまり…… それよりこの男、先程から全く感情の読めない様子で佇んでおる。 いやマジでどういう感情なんぞよ。まさか割と楽しんどるのか?) 「この程度か」  女王は、踵を返して答える。 「いいや。こうなった以上、女王として……最後の問題を出すほかあるまい。 宴もたけなわ、これが最終問題であるぞよ。  あえて、いきなりその鞄に聞こう。 ――全ての謎の答えを知り得る者とは、何ぞや」  女王にとっては、この謎かけは鞄への挑戦である。 つまり、鞄に取って出しうる最良のものと、女王は相まみえるつもりなのだ。 「……面白い」  その場の全ての物が、固唾をのんで見守る中。 王墓の宝物はガタガタと震え、その体を震わせて……  なんか色がはみ出したおっさんを吐き出した。 「……ああ……マスターね……」  女王はため息を吐いた。 「魔王とか出るかと思った……」 「よかった、マスターで……」  部下たちはため息を吐いた。 「……む……」  エビルソードはため息を吐いた。 「……」 (マスターは内心ひどく傷ついた。) 「……あのっ、皆でごはんにしませんか?」  静寂を破ったのは、ナイル少年だった。 「丁度ここには、喋らなくなった魔鹿のお肉もありますし…… マスターの作る料理ってすっごくおいしいんですよ、マスターは凄い人です!」 「マスター、ゴハン、オイシイ、オイシイ」 「……まあ、よいであろ。 丁度客人をもてなしたいと思っていたところよ」 「――!……」 (マスターは一瞬感動したが、 もとはと言えばお前らがここに呼んだせいだろうがと思い直した。態度には出せなかった) ******  日が傾き始めた砂漠にて、もう一つの太陽が鍋の下で燃え盛る。 「皆さーん、料理出来ましたよ!」 「……なんかすごい速度で完成したな」 「滾る!肉食戦士の血が滾るわ!」 「専属料理人に召し抱えたいところぞよ」 「……早業よな」 「……(ゲームシステム上自分が調理するとそうなるだけなんだけどな、 と思ったけど褒められて悪い気はしないので黙っているマスターであった)」  女王は乾杯の音頭こそ取ったものの、 他の者たちと同じ鍋から取り分け、鍋を囲む円陣の一部で食事を取っていた。 つまり、ナイルの隣……の鞄の隣である。 「……いつも皆と一緒にご飯を食べてるんですか?」 「ほほほ、一般人を殺す程度の毒など効かぬ、混じらぬ理由がないぞよ」  大人しくしていたカバンが、おもむろに叫んだ。 「”タミノタメ、ミンナノタメ。ミンナノカオ、チカクデミタイカラ”」 「……ちっ、空気の読めぬ鞄よ。 まあ、悪くはなかろ? 妾はいつだって民の為に苦心しておるのだ、よよよ」 「ならば何故呼んだ」 「それはホントにそう思うぞよ……何もしなくてくれて助かっておるぞよ……」 「フッ」 「……だから女王様はみんなに尊敬されてるんだと思いますよ」 「であろ? もっと褒めるがよいぞよ。 お主の胆力もなかなか目を見張るものがあるぞよ、こわっぱよ」 「本当ですか? ありがとうございます!」 「あんまり褒めておらんぞよ」 ****** 「時にナイルよ、お主酒は飲まぬのか」 「えっと、まだ15ですから……」 「妾が法ぞよ、書き換えるゆえ飲めぞよ」 「ジョオウサマ、サケグセワルイ」 「エビルソードすげえ! 魔ラクダの毛めっちゃ綺麗にカットしてる!!」 「造作ない」 「不躾で申し訳ないが、散髪を頼めないだろうか」 「? 不要に見えるが」 「ほほほ、砂漠戦士のやつ落ち込んどるな、ウケる」 ****** 「お腹いっぱい……ごちそうさまでした」  日が沈み、砂漠に冷たい風が吹き始める。 いよいよ宴も終わろうか、というときになって。 「……なぜ、人はなぞなぞを好むのであろうな。 それが、何か有意義な物を生み出す問いであろうがなかろうが」  ふと、ネフェルパトラは問いかけた。 「ああ、謎かけではないぞよ。気にせずともよい」  ナイルは、すぐさま答えた。 「……楽しいからじゃないですか?」  女王は少し俯いて、呟くように話した。 「――それでよいのなら、それが一番なのだけれどな。 妾は女王ぞよ、多くの民の命を預かる立場にある。 ……つまるところ、妾の退屈で身を滅ぼしたくないだけの話ぞよ」  ナイルは問いの答えを出そうと、真剣に悩んでいる。 「……それは……確かに、難しい問題ですね」 「まあ、答えなど出るまい。妾は数百年悩んでおる故…… そうだな、お主ならどうする? 聞かせるがよいぞよ」  きょとんとした顔の少年に、女王は微笑んだ。 「えっと、何でも言っていいですか?」 「今更不敬は気にするでないぞ、ほほほ」  少年の赤い髪が、風にたなびく。 「うっ……えっと、僕は、バランスを取りながらやると思います。 僕は商人ですから、商品で誰かに喜んでもらえるのが一番です。 でも――”好きな事ばっかりやってても疲れちゃいますから”」  女王のエメラルドの瞳が、きらりと閃く。 「……ほう」 「だから、おしゃべりしたり、冒険したり、遊んだりして…… “気持ちをスッキリ切り替えてから、バランスよく”……って、あれ。 ごめんなさい、王様の話ですよね? えっと、それなら……」  女王は目を伏せ、少し疲れた顔で笑った。 「……なるほど、そうか。 好きな事ばかりしていても、疲れるか。く、ふふ」 「――剣を極める他に、好むこともある」  ふと、鎧の中で反響する声がした。 「道楽とは、剣を研ぐに似る」 「……息抜きは必要、という事かの。 くふふ、この問いの答えは、人によって変わるのであろうな」 「イズレニセヨ、オハカイキノアト、ナニモノコラナイ、タノシムベキ」 「なあ妾そろそろこの鞄ひっぱたいてもよいか?……まあ、一理あるが」 (そもそもやりたいこと殆どできてないから心の中で泣くマスターであった) ****** 「うむ、宴はここまでじゃ。 突然呼びつけた形になって申し訳ないぞよ」 「……一飯、感謝する――さらば」 「おやすみ、皆さん」  客人が鞄の中にのみ込まれていき、元居た場所に帰る。 それと同時に、護衛の者たちは心から安堵した。 「し、死ぬかと思った……マジで何もしないで帰ってくれてよかった……」 「敵ながら天晴、エビルソード。髪は切ってほしかった」  皆が安心する中で、行商人は一人だけどこか残念そうにしていた。 「うう、たくさん迷惑かけたのに結局一問しか正解できなかったな……」 「ほほ、ご褒美が欲しかったのかの」 「い、いえ、そういうわけでは……」 「……行商人、ナイルよ」  砂漠の夕凪の中、凛とした表情で。 どこか晴れ晴れした様子で、女王は命じた。 「――他者を喜ばせるために行商人を目指す志、実に見事。 お主を特別貿易大臣に命ずる、より励め」 「――ほ、本当ですか!? ありがとうございます!!」 「ヨカッタナ、ナイル!」 「うむ、妾は満足ぞよ。 お主の鞄がこれからこの国に富をもたらすこと、期待しておるぞよ」 「は、はい! 今日は本当に……」 「あ、大事なことを言い忘れておったぞよ」 「お主、しばらく王宮出禁」 ナイル少年の腹から、するはずのない魔鹿の鳴き声が響き渡った。 「少年、師匠に出禁にされたってさ」 「そりゃそうだろうな」 「……えっ、さっきマスター喋ってた?」 ******  黒髪の女王は、今夜は王宮より少し離れたところで眠ると伝えた。 誰しも寝静まる夜には休息が必要である。命がけで働いた後なら、なおさら。 「はあ……」  しかし、女王にとって休息とは……寝静まることを指さない。 女王は窓辺に向かい、一言呟いた。 「……入れ」  裸足で砂を踏む忍び足。 誰かに気づかれぬように抑えて、少年は窓から部屋に入った。 「お呼びですか、女王様?」 「ジョオウサマ、イカガナサイマシタカ」 「うむ、今日の件について、色々……語りたいことが山々ある故な。 ああ、そうかしこまらずともよい。取って食ったりはせんぞよ。 早速だが……エビルソードはあの後何もなかったであろうな……?」 「それについては、確か……鞄ちゃんがいつも王国視察の業務報告を エビルソードさんの鎧に貼り付けてるから、怒られずに済んでるらしくて」 「……それでよいのか、魔王軍……ならよかったぞよ。 言うまでもないことだが、魔王軍は一応敵対関係ぞよ? 無闇に接触しないように」 「はい……気を付けます……」 「それと……今後は、危険なものを出すのはなるべく控えてほしいぞよ。 ……前振りではないぞよ。繰り返す、前振りではないぞよ、限度を考えよ!」 「本当にすみませんでした、どうか落ち着いてください……」 「ゴホン……あと、妾に献上したい珍しいものはここに見せに来るといいぞよ。 妾が直接受け取ってやろう。異論は認めぬ。話は以上、下がってよいぞよ」 「その、質問があるんですが、いいですか? 色々あった僕が、トットリアの特別貿易大臣になっていいんですか?」  不安そうに見上げる少年に対し女王は、当然であろ、といった表情を浮かべた。 「お主らは妾が解けぬ謎を解いた。褒美を取らせねば、こちらが無礼であろう。 しばらくしたら王宮の出禁も解く。そうなればまた王宮に見せにくればよいぞよ」  普通に考えれば、この若き行商人との初対面は散々なものである。 されど、ネフェルパトラは多才なる賢き女王。悪癖の一つや二つ、抱えても些事である。 「ああ……お主との謎かけは、実に愉快であった。 つまり、お主を出禁にしておると妾が我慢できぬ、ということぞよ」  女王は、妖艶に微笑んで囁いた。 「まあ、お主もやぶさかではあるまい? お主は女王の寝所に忍び込む好き者だからの」 「――っ、ぼ、僕はこれで失礼しま……」  ナイルは己が罠にかかったことに気づいたが、すでに遅い。 「今そのまま出たら大声を出すぞよ? 昼間の”アレ”をもう一度言えたら、許してやらなくもない」  砂蛇が獲物を睨むように、 ネフェルパトラはずい、と身を寄せて少年に近づいた。 「い、言えません……」 「ほう、何故言えぬ?」 「……っ、それは……えっ、と……」 「妾の勝ち」  ぴし、とおでこを指で弾く音が、部屋にこだました。 「いっ……!?」 「やはり、鞄無しではまだまだ小童よ、くふふっ。 持ってきているのであろ? 準備せよ、待たせるでない」 「ジョオウサマ、オマタセ、アソボ」  ネフェルパトラは、胸を躍らせる。 日が沈む夜に、退屈が失せ果てる謎かけの始まりに。 「――さて、謎かけの時間だぞよ。 お主の言う……妾を笑顔にできるような品とは、何ぞや?」  砂漠の夜明けはいざ知らず。 終わらない謎かけの続きが、ここに始まった。 トットリア怪文書『ネフェルタリ・ナイト!』 おわり