何事もないとは言わないが、少なくとも誰1人掛けずに目的地に着くことができたのならば上々だ、と千治は思った。  アスカシティに入る前には検問がる。市街地にを守る巨大な門の前に巨大な橋、見れば石造りで荘厳な物だった、デザインは中世?なのだろうか、あるいは近代?勉学に励んではいないから時代はよく分からない、しかしテレビかネットで見たヨーロッパあたりの橋に似ている。橋の下は巨大な堀になっているが、水が流れているなどはなかった。ヘタに水を流せばきっと水棲のデジモンなどが攻めてくる可能性もある、ならば入れない方が防衛上は良いのだろう。 踵で石畳を踏んでみる、硬い感触が来た。デジタルワールドはデータだからそれは見かけだけだとしても実際に触れていると感触は本物のように思えた。 「押さないおさなーいっ!順番にお願いしますー!」  案内の声のままに動く。前を行く雪花に千治はついて行く。  幅の広い道を行くのはデジモン達で人間の姿は見えない、進化の度合いは分からないが大半は成長期から成熟期に見える。ただしデジモンは大きさで計り知れないものはあるから思わぬレベルの存在がいる可能性はあった。 明らかに目を引いていた、人という存在は明らかに異質な存在なのだと分かる。雪花は好奇心と居心地の悪さを感じた動きをしていた、注目に慣れていない様だった。ちら、と雪花の視線がこちらに向く。 「千治は堂々としてるね」  自分の態度が気になっていたらしい。堂々と、と言われればそうなのかもしれない。ただ気にしていないだけだった。喧嘩をするようになり人から煙たがられるようになり奇異の視線にさらされた、良くも悪くも、あるいは大半が悪い注目を浴びるのは慣れたものだ。 「空気と変わらねぇよ」  結局のところ自分は自分、他人は他人でしかない。あるいは他人と言うものを認識するのが喧嘩、戦い、闘争、力によるぶつかり合いが唯一の係わりともいえる。哲学と言えばきっとそうだ。心情の発露、生き様の結実。  そう言った意味では今雪花と居るのは例外中の例外と言える。これほどまでに穏やかな他人とのかかわりは。自分の周りに親を除いた何人も数日と平穏に一緒の時間を過ごせなかったというのにデジタルワールドという世界においては例外の人間2人だから意識の外で何かをセーブしているのか。自分にはそんな細かい分別を出来るなどとは思っていないが、しかし出来ている以上、それは行えていることに他ならない。 「それより前行かねぇと、つっかえるんじゃねぇの」  後ろを振り向く形になっていたから、自然と足が止まっている。気配があった、後ろに多数生命がいる。 「…って、そうだね、ココに突っ立ってたら邪魔になっちゃうか!」  そう言って笑ってまた歩き始める、時間にしたならば十数分程度で自分たちの番がくる。門の前で受け付けていたデジモンは小さい丸型で、桃色の毛?に背中には羽が付いている。 「……人間っ!?」  一瞬こちらに目を向けてから、視線を下に逸らして何かデータを用意してから、再度こちらを向いて驚きを示した。 「そ、そんなに人が珍しい?」  頬をかきつつ雪花が苦笑していた、道中でここまであからさまに反応されることはなかったからだ。単体での接触である事と、集団の中の異物としての出会いの違いが余計に差異を生んでいるのだろう。 「うん、見たこと無いよ」  デジモンが笑いながら言い、その間にもせわしなく短い腕を動かしながら中空に浮いているクリアカラーのウィンドウを操作していた。サイバー物のSFに出てきそうだな、と思った。少しだけ笑い噴き出す。そもそもデジモンと言う存在がサイバーの塊のような存在なのにSF感は感じない。明らかに人間とは違う偉業はSFと言うよりもファンタジーを感じてしまうからかもしれない。 「千治?どうかした?」  今の笑いを聞かれていたらしい。 「なんでもねーよ」  そっぽを向くように顔をそむけた、油断している。明らかに。あるいは段々と他者の前に引いていた境界線がすこしばかり揺らいでいた、それが嫌とは思っていない、しかしそれを表に出すのは少しばかり気恥ずかしく感じている。恥ずかしいなどという感情を自分が抱くとは欠片も思っていなかった、縁遠いものと思っていた。今は身近にある。 「あ、お話してるみたいだけど良いかな~?」  会話が途切れたのは受付のデジモンが割って入ってきたからだった。丁度いいタイミングだった、あと少し時間がたてば雪花にからかわれるのは目に見えていて、そうなれば後はされるがままだった、肉体的な物ならばいくらでも上回れる自信はあるが口の回りあるいは脳の血のめぐりでは永遠に勝てそうにない。 「仲いいんだねぇ~」  ほほえましそうにそんなことを言われる。端からはそう見えるのだな、とうっすらと思う。途中で道を違えていない以上関係性が破綻しいないことくらいは分かっていた、しかし良いものかは分からなかった。仲の良し悪しは自覚的に分かるものと、他から見て分かるものがある、ただいるという事象だけでそれは仲が良いのかと千治は思うが、十分仲が良いのだと自分と雪花を初めて見る手合いからも思われるならば、良いのだろう。  雪花の顔を見る。どこか照れたような表情をしていた、それが何を意味するのか読み取れるほど勘定に機敏ではない、だが悪しきようには思われていないようだ。  この関係性を何と称するのか理解ができていない、恋愛感情ではない、ならば性愛か、友愛か、もっと別の何かか、表す言葉を見つけられない、あるいはこの微妙な関係に名前など存在しないのかもしれない。 「あ、そうだ、受付終わったからこれね、入場パスだよ」  デジモンがそう言いながら手渡してきたのは首から下げるタグの様なものが2つ、雪花と自分に。受けったものをポケットに押し込む、雪花は律儀に首から下げていた。 「それじゃアスカシティにようこそ!問題は起こしちゃダメだからね!」  先に進むように促される、門は開かない。 「あの、これどうやって入れば」 「ん?あー、その門に触れてみて!」  恐る恐ると言った風に触る雪花の横、気にもせず千治は即座手を振れた。目を覆う様に一瞬だけ光があふれる。目はつぶらない、何が来ても良いように。しかし警戒は杞憂に終わった、すぐに光景が現れる。  街だった。建造物が立ち並び、往来を行き来するデジモン達がひしめき合っていた。 「ここがアスカシティ」  少し遅れて入ってきた雪花が眼前を見ながら思わずと言った風に声を上げた。感嘆に近いそれに声を上げはしないが千治もまた同意するように目を細めた。生命の吐息がそこには満ちている。目の前には活動があった。  門に並ぶデジモンの多さでアスカシティの繁栄は推し量れていたが、中に入ればより分かる。文明があった。都市の広がりがあり、住人…住デジモンたちの活気が。種類さまざまのデジモンが活動を繰り広げている。大きい者、小さい者、 「にぎやかだな」  思った言葉が口に出る。情緒も何もない言葉だが思いつく言葉はそれだ、もっと色々言語化したいはずだが、それが出来ないのは自分がバカなんだろうな、と自嘲した。 「活気があっていいよね、ココなら色々情報集まるかも」  雪花は言い、先行する、そして振り向き、 「でも先に泊まれるところを探さないとね、久し振りにちゃんとしたベッドで眠れるかもしれないよ!」  ああ、と一言返してついていく。人ごみに紛れて見失わいないように。   〇  ホテルはすぐに分かった、デジタルワールドが現実のウェブに蓄積されたデータを取り込んでいるからか、風俗は人間の物に近い、本で少しだけ読んだことはあるが軒先に看板として【H】と記述されたベッドの看板がぶら下がっていたからすぐに分かった。部屋も空いていたおかげで久し振りに文明的な休息をとることができる、ベッドもそうだが風呂などは特にそうだ。  シャワールームはやや狭く、トイレと洗面台とバスタブが1つの、カプセルホテルや狭いアパートによくあるタイプの物だった、普段ならばどうかと思ってしまうこともあるが今はもはや気にしてはいられない。  久しぶりになんの気兼ねもなく温水を浴びている。衛生概念のデータが構築されているからかシャワーが備え付けられていた、本来デジモンの垢などは一括まとめて不要データとして糞便として肉体から消えるらしいが、存在する以上使う個体も一定数いるのだという、特に美容データなどを知識として取り込んでいるならば好んで使うという。  本来はデジモン用のシャワーだが人間にも普通に使えることはとてもありがたかった。アスカシティに来るまではずっと野宿が続いていて、ここしばらくはまともに身体を洗う事も出来なかった。  もちろん千治と言う異性がいるという事実もあるがそれ以上に無防備にならない様にと考えれば手段として水浴びは頭の中から排除される。  そもそもデジタルワールドは現実以上に水辺が危険なものだ、寄生虫などが存在するかは分からないが野良の水棲デジモンが襲ってくる可能性は十分にある。 友好的であればいいが、実際はなわばりに入られたとばかりに問答無用で敵対するケースもちらほらあった。その度に千治が矢面に立ち、退けてくれた。  だからシャワーをゆっくり浴びれるのは久しぶりの至福の時間と言える。  唯一頭から抜けていたのは部屋を2つ借りれないという事だった。  後から考えれば当然の事で、人の多い地域の宿にいきなり駆け込んで予約もなしに2部屋貸してくれなどと言われてもそう簡単にはいかない。現実ならば更に検索で空いてる場所を割高でも探せたかもしれないがここはデジタルワールド、勝手の違う世界でそれは通じない。何よりデジモンのジェンダー観はあまりにも違い過ぎている。  デジモンにも男女と言う概念はある、ただしそれは肉体的なものでは一切ない、明確な男型女型を除くのであればデジモンの男女は自己認識から来るものだ。その上男女の違いを認識できるデジモンですら見た目はあくまでテクスチャ上の物であり肉体的な力は同格であるなどもよくある事だ。デジモン同士の力の差は種族や進化の度合いの方がよほど強く関係していた。  だからか人間的な男女の機微と言うものはまったくもって理解されず、結局1室に男女で泊まるほかならなかった、ただ雪花にとって意外なのは自分でも驚くほどに拒否反応が出ないことだった。一緒の部屋であると告げられても仕方ないと納得していた。少なくとも無意味に襲われる、などとは全く考えていない。道中でしっかりと守ってくれてる事への信頼もある、しかしあまりにも野宿に慣れ過ぎたのかもしれない。  身近にいる事が。まだ短い期間で現実ならば赤の他人に毛が生えた程度の時間経過であっても、それを感じさせないほどに濃密さが普通になってしまえば一足飛びに関係性は変わる。  一応は元々道中の護衛として一緒に入れてくれているはずだ、しかしそこから今は少し変わっているのだとうっすら想っている。少なくとも悪くない方向に。 「そう言えば久し振りに1人で居るかも」  パートナーのシーラモンを省くつもりはないが同じ人間と言うくくりで言えばずっと千治が一緒に居た、今は別行動で千治は外に出て探索している。土地勘がない場所はなるべく位置情報を頭に入れておきたいかららしいが、千治は千治自身が言う以上に気を回せる、風呂に入りたいと雪花が言ったときに自然とそう言ってくれていた。  確かにシャワールームの外とは別れてると言え、壁1枚挟んだ先に恋人でない異性がいるのは少しばかり気にしてしまう。  だがどこか変な気分になっている自分も確かに存在することを雪花は理解している。過ごした時間が濃密である事は関係あるだろうと思った、寝る時間の大半は千治の護衛で確保していたし、道中興味を引くものを見つけてそちらに釘付けになった時も周囲に目を配っていた。 「考えてみたら何のお礼もしてないや」  久しぶりの温水を身体にかけて旅の垢を落としながらそんなことを想う。守って貰ってばかりだ。  千治は何もしていない、と言うかもしれない、実際としてだが恐らく一切苦にしていない、闘うという事を。見ていれば道中の敵を倒す際は千治もそのパートナーのブイモンもほぼ片手間とでもいうべき力加減で倒し切っている。  話は何度か聞いているが、現実にリアライズしたデジモンを、それとどうやってかは知らないが関係を結んだテイマーを、相手取り続けていたのだから実力が高いのは実感としてよく分かる。  だがそれに甘え続けるというのは居心地が悪かった、返報性の原理ではないが何かを返してやりたいという気持ちは確かにある。 「……プレゼントって何を渡せばいいんだろう」  それ以上に喜んで欲しいという思いも感じていた。  人間関係は複雑だ、現実世界でクラスを同じにした同年代の男子の方がよほど長く良い関係を築いているはずなのに、見え方は男ではなく少年だ。目に映る男性として見ているのは確かに千治の方だ。  振る舞いだけで見るならば千治はよほど子供と言える。粗暴な面をあまり知らないということもあるのかもしれない、記憶の中に照らし合わせてみれば幼稚なふるまいをする男子に近い。少なくとも、普通の状態ならば意識などきっとしないような相手なのに、まだ数週間程度の関係性でありながら今南盤千治と言う少年の比重が確かに上がっていることを感じていた。  室温のあがる風呂場でぼぅとする意識を回す、吊り橋効果なんて言葉があったと思いだす。現実に比べればよほど危険な状況下に置いて頼れる男子と言うのは理屈を置いても魅力的に見えてしまっているのかもしれない。 「本当にそうだろうか」  自問自答、思い出した理屈に対して何か違うのではないかとまた別の意識が無意識に答える。理性であるとか本能であるとか、考え得る限りの自分の知性が脳内でケンカをしている。そうなれば余計に自分の意思がまとまらない。  それでも1つだけ実行したいのは、ちゃんと礼をしたいという事は確かだ。結局いい案など1つも思い浮かばなかったが。  雪花は自分の事をある程度分析している、自分の容姿であるとかクラスでの立場なども自分の理解が出来る部分はなるべくに。自分の顔つきが、体つきが比較的優れていることも知っている、姉のように自分の女を振りまして美しく見せる方法を知っているわけではないがそれでもなお異性の目を引くことを分かっていた。  明らかに求められる側に立っていた、うぬぼれでないのであれば。そのうえで更に男子との付き合いはあまりない、コミュニティは女子の方に属している。結果として雪花に男子の好みの知識はほぼ存在していない。わずかにある知識は時折流れてくる謎広告を間違って開いたときに記載されている程度の物、しかもそれはマーケティングであろうからお高いメンズアイテムだ。もしかしたら普遍的に欲しいとされるものなのかもしれないが、千治はウェブで調べて出る男子の範疇からは明らかにずれているのはよく分かる。 「うーん、数週間でこんなに恩を感じるのがおかしいのかな……でも……」  考える、礼はするべきだが重く思われないだろうか?などと思ってしまう。だが思い違いでただ奥手になっている可能性もある。煮詰まっていた、状況が状況だから頭が。 「はあ、シーラモンにも聞いてみようかな…」  取っ手を捻りシャワーを止める。このままでいると、のぼせてしまいそうだ。シャワールームを出て身体を拭きドライヤーで軽く髪を乾かす、。そう言えば何かを忘れている気がした。今はどうでもいい、タオルを首にかけてシャワールームを出る。そう言えば脱衣所がない、そもそも服を着るデジモンは少数派な以上そもそもある必要がないのだった。  脱いだ服はどこに置いたか、椅子に適当になげていたのを思い出す。久し振りの1人だから油断しすぎているかもしれない。服を手に取る、本当は洗濯もしたいが背に腹は代えられない、下着に手を伸ばし、音。 「ん?」  きしむ音と共にドアが開く音がする。 「待――」  雪花が声を上げる前にしっかりと開き切った。 「よーう雪花ー、もう上がったか―、まだ風呂だってならもう1回外で――ぇ」  目が合う、今の状況を思う、クビにかけたタオルしか身に着けているものは無い。9割9分9厘全裸と言っても差し支えない。  雪花は自分の身体の事を知っている、男性の情欲を煽るには十分な物を備えていると分かっていた。  だから身を守るために隠さないといけないのに身体が動かない、本当に幼少の頃父に世話をされたことを除けば男性に1度も見せたことのない裸身を手なりかがむなりで隠さないといけないはずなのに、不思議と身体は止まったままだ。  今何かあれば抵抗など出来ない。力の差がありすぎる。  見つめっていると段々緊張で喉が渇いてくる。叫び声と言うものは案外出ないモノらしい。小説や漫画などならここでかわいらしくかあるいは悲鳴のようにきゃあなどと出てきそうなものだが、思った以上の状況になれば声と言うものは出ないモノらしい。  めまいがする程にぐるぐる回る脳が何かを言わなければならないと無理矢理に口を開いた。 「え、えっとぉ……わ、私の身体綺麗かな?」  出て行って欲しい、などと言うのだろうかと思っていれば、むしろ見る様に促す言葉が出た。何を考えているのかと思ったが、そもそも思考と言うほどのまとまりのあるものを今持っていない。  それ以上にどこか……――  しばらくの沈黙の後、 「お、おう、綺麗だと思うぞ?んじゃ、あー…タイミング悪くてわりぃ、じゃあ出るわ」  言って、踵を返してドアを閉めて姿が見えなくなる。力が抜けかけて椅子の背もたれに手を置いて無理矢理力を込めた。何とか立ちながら息を整えて小さくつぶやく。 「……もっと褒めてくれたっていいじゃないか」  出たのは相手を罵る言葉でも、今の状況が終わった事への安堵の言葉でもなかった。  不満の言葉、もっとちゃんと自分を見て欲しいとすら思う言葉が口に出ていた。 「あ、あれ…私何を言って」  手で口をふさいだ、動悸が激しくなる。まだ心臓の鼓動は止まりそうにない。  ――……来るのであれば抵抗したくないと、心の片隅で思っている。