・01 デジタルワールドから強制帰還させられたシュウを待っていたのはバイオロトスモンやカオスドラモンとの死闘だった。 それから既に数日が経ち、現在シュウの胸を占めているのはデジタルワールドではぐれてしまった少女・厳城幸奈の行方だった。 だが、それと同じほどにデジモンイレイザーの正体が異父妹・ミヨであることも気がかりだった。 「幸奈ちゃんがリアルワールドに来ている可能性もある。デジモン騒ぎの中に積極的に介入すれば、手がかりが見つかるかもしれない」 「オレもそれがいいと思うゼ!」 シュウは相棒をデジヴァイス01に収納し、ビジネスホテルの部屋を後にした。 (感覚的には数年振りくらいはあるな…) シュウが玄関の前に立つと、久々に行う解錠の流れに僅かななぎこちなさが宿る。 ようやく取り出した鍵を差し込もうとしたその時、カチャリという小さな音が内側から聞こえた。 誰かいる─眉をひそめ、シュウは即座に鞄の中のデジヴァイス01に指をかけた。 いつでも戦えるように身構え、勢いよく扉を開け放った。 誰もいない─目だけを素早く動かし、左右を確認する。 そして、次に視線を落とした。 座りながら靴紐を結ぼうとしていた鳥藤すみれが、ジトッとした目でシュウを見上げていた。 「…」 「…あの」 視線が交錯する。 言葉はひとつも生まれず、ただ気まずい沈黙だけが玄関に満ちていた。 ・02 シュウはフローリングに両手を突き、額を床に叩きつけた。 頬にはくっきりとビンタの跡が残っている。 「この度は誠に申し訳ございませんでしたーっ!」 すみれは椅子に腰かけたまま、やれやれと言った呆れ顔で頭を抱えていた。 「勝手にいなくなったと思ったら、勝手に戻ってきて……何なのよ」 「職場には余った有給を全部ブチ込みました!」 「えっ、祭後くんの職場って有給使えるの」 「えっ」 一瞬、空気が固まる。 すみれの職場環境の厳しさを思い出し、シュウは目を逸らした。 「すでに一週間はこっちにいます!」 「い、い、一週間も連絡を寄越さなかったワケ!?」 「はい!まぁ姉さんはいいか…とか思ってました!」 シュウは再び額を床に叩きつけた。 「はぁ〜!?あれから毎日部屋に来てた私バカみたい…」 「はい!重ね重ね大変ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません!」 三度ドンっと音を立てて額を床にぶつける。 「あのねぇ!?祭後くんにとって私の扱いってその程度なの!?」 「いえ、決してそのような…」 「じゃあどの程度なのよ!聞かせてもらおうじゃないの!?おぉん?」 すみれはドンっと足を鳴らし、腕を組んで睨みつける。 その顔がシュウの目の前まで迫った。 完全に犯罪者を詰める時の表情と態度─彼女の鋭い視線が、逃げ道を与えない。 「え、えーっと…」 シュウが苦笑いしながら言い淀んだ、次の瞬間。 ぴんぽーん。 場の空気を断ち切るように、軽快なチャイムが玄関に響いた。 二人は同時に顔を上げ、視線が交わる。 シュウは立ち上がろうとするが、すみれに「正座!」と言われて姿勢を正した。 慌ただしく立ち上がったすみれが、インターホンに応答した。 『どうもー。起きてます?今、大丈夫ですかー?』 画面に映し出されたのは、色の薄い顔をした華奢な影。 男か女かも判然としない。砕けたテンションで話しながら、口調だけはきちんとした敬語だ。 笑みは頼りなげで、冗談のようで、どこか掴みどころがない。 「や、八北さん…どうしてここに…?」 すみれはシュウを横目にちらちら見やりながら、ぎこちなく答える。 (知り合い……なのか?) なぜすみれの知り合いが、自分の家を訪ねてくるのか。 シュウは理解できず、むしろ騒ぎの予感を感じ取った。 『たすかります〜。お待ちしてます〜。へへへ』 気の抜けた笑い声を上げて、インターホンの画面はブツリと暗転した。 ・03 「そうなんですよー」 すみれから紹介されたイツキは、ふにゃふにゃとした笑顔で手を振った。 性別すら掴ませない中性的な顔立ちと、全身を覆うような服装。 そこに漂うのは研究者というより、よくわからない放浪者のような空気だった。 超生物学─その存在を最初に聞いたのは浅村ゆらぎからだった。 成人式で久々に再会した彼女が、どっぷりと浸かっていた"宗教"の用語のひとつだろうと、当初は受け流していた。 だが調べを進めるうちに、都内の片隅に「超生物学研究所」と銘打たれた施設が実在することを知る。 表向きには都市伝説や未確認生物を学問的に調査する研究所─だが裏を返せば、誰も本気にしない"オカルト寄りの学問"という烙印を押された場所でもあった。 ましてや、あの胡散臭さの塊・唐橋チドリが寄稿しているオカルト雑誌に「超生物学」の文字を見つけたときは、さらに鼻白んだものだ。 もっとも、当時のデジモンなど都市伝説レベルの存在でしかなかった。 世間に知られるはずもない怪異を研究しているという意味では彼らが「公にデジモンを扱う唯一の研究機関」だったのも、ある意味当然だろう。 だからこそゆらぎの"信仰"にデジモンが深く関わっていた以上、彼女がそこに身を置くのは必然だった。 そして今シュウの前に座るイツキは、その超生物学研究所に所属する研究者であり─ゆらぎの先輩にあたるであろう人物だった。 そもそも数年前まで、世間…いやシュウ自身がデジモンを都市伝説か何かと同じ程度にしか捉えていなかったのだ。 だが今は─否定する余地などどこにもない。 それでも"チドリの言っていたことが本当だった"という事実だけは、どうにも気に障った。 「まー。都市伝説の研究機関とかー、アホくさって思われて当然ですよねー」 イツキは自分で持ってきたケーキの箱を開け、ためらいなく一番に手を伸ばした。 フォークを動かす手元は軽く、無造作で、それでいて奇妙に淀みがなかった。 砕けきった調子で口を開くその声に、しかし言葉の端々には"誰に対しても敬語を崩さない癖"が混じっている。 そのちぐはぐさは、軽さと同時に底知れなさを漂わせていた。 「えと…それで、なんでイツキさん?が俺の家に?」 混乱半分、呆れ半分でシュウは問いかけた。 「浅村さんから聞いたんです〜。おうちに帰ったってね〜」 ケーキを半分ほど口に運びながら、イツキはふにゃりと答える。 シュウは頬杖をつき、大きく溜め息をついた。 「ヤクザは攻めてくる、ガキは寝泊まりしてる、胡散臭い学者は来る……っていうか姉さんに鍵を渡した記憶はねぇぞ、オイ」 「貸してくれたでしょ。返せって言われてないから、使わせてもらってるだけよ」 笑顔でそう告げるすみれに、シュウは思わずその場で固まった。 「ん〜。俺たちの部屋って、フリー住所だなぁ」 ユキアグモンはそんなことはまったく気にせず、シュウのぶんまでケーキをパクパクと口に運んでいた。 「それで、本日のご用件は?」 すみれが軽く咳払いをしながら言った。 「あっ、そうでしたー」 イツキはふにゃりと笑ったまま、鞄から何枚かの写真を取り出す。 大きく現像されたそれを机に広げると、視界の端に自分の背中が飛び込んできた。 ビルの屋上で風に煽られる黒いコート。 その向こう、夜空を裂くように睨み合うメタルグレイモンViとカオスドラモンの巨影。 シュウは思わず息を止めた。 「これ、祭後サンですよね。千代田区のアレ」 笑顔のままのイツキ。その声は明るいのに、背筋を凍らせる何かを含むような気がした。 「私ね、小さな頃に"選ばれし子供"だったんですよ〜」 ケーキの上にフォークを突き刺しながら、イツキは軽い調子で切り出した。 「選ばれし子供…?」 聞き馴染みのない言葉に、シュウは眉をわずかにひそめる。 隣ではすみれが小さく肩を震わせ、ぴくりと反応していた。 「ま、それはおいおいですね」 イツキはおどけるように笑みを崩さず続ける。 「そのときね、知り合った女の子がいたんです。青いグレイモンを使ってました…まっすぐで、いい子でしたよ」 ひょいと人差し指を立てると、テーブルに置かれていた写真のメタルグレイモンViをトントンと叩いた。 「祭後サンの彼は、青いメタルグレイモンになるんでしょう?それも、ちょっと違う姿で」 イツキの視線が横へ流れ、ユキアグモンを撫でるように射抜く。 ふにゃふにゃした笑顔はそのままなのに、声の芯には抑えきれない熱が滲んでいた。 「気になるじゃないですか〜これは」 興奮を隠しきれないのか、イツキの声がわずかに大きくなる。 「そうしたら、アナタが浅村さんの同級生で、大切なお友達だったってわかったんです」 あまりにあっさりと自分の存在を吐かれたことにシュウは内心で苦く舌打ちする…しかし、この人物は自分のペースを保てない相手だとも直感した。 「…それで?」 低く問いかけるシュウに、イツキは両手を広げて肩をすくめてみせた。 「はい〜。居場所を聞いたんです。で、インターホンを鳴らしてみたら…まさかすみれサンまでいらっしゃるとは!いやぁ、世間って狭いですねぇ」 「ん…すみれ姉さんは、イツキさんと知り合いなのか?」 嬉しそうにけらけらと笑うイツキを前に、訝しげに問いかけるシュウ。 「私が小学生の頃、デジタルワールドに行っていたことは話したわよね」 その言葉に、シュウの表情は翳った。 小五の夏休み─家庭が崩壊し、タカアキが死に、リョースケが半身不随となったあの時期。 シュウが地獄を見ていたのと同じ頃、すみれはデジタルワールドに流れ着き世界を救っていたのだ。 対照的な過去が、皮肉のように突きつけられる。 「ボクは"選ばれし子供"の戦闘を支援したり、現実世界に帰ってきた子たちの社会復帰をお手伝いしたりしていたんです」 聞き慣れない言葉に、シュウは眉を寄せる。 イツキはふにゃりとした笑顔のまま、眉尻を下げた。 「といっても、当時十五そこらのボクにできることなんて、ほとんどなかったんですけどね」 自嘲を混ぜた笑い声が妙に軽く、けれどどこか胸に引っかかる響きを残した。 「それを手助けしてくれたのは、昨今"デジモン融和推進派"として知られる議員・厳城権之助サンなんですよ」 「─厳城!?」 思わず声が裏返る。 初めて幸奈の名を耳にしたとき、どこかで聞き覚えがあると感じていた。 あれはニュースで何度も耳にした国会議員の名前だったか─シュウの手が僅かに震え、胸にざわつきが広がる。 「はい。あの人はいち早く、デジモンと遭遇した大人の一人として、裏でさまざまな手回しをしてくれました」 イツキは手持ちぶさたにフォークを軽く振りながら、あくまで気楽な調子で言う。 「しかも、彼のお孫さんも"選ばれし子供"だったんですよ」 「厳城…幸奈…」 ぽつりと呟いたその名は、重たく舌に残った。 「あは〜!ご存じでしたか。ホント、世間って狭いですねぇ」 神妙に顔を伏せるシュウに気づきもせず、イツキは手を叩き、嬉しげに声を弾ませた。 「さて…デジタルワールドって、生きた世界なんですよ」 イツキは言葉を選ぶように一拍置いてから続けた。 「大きな歪みや危機が訪れたとき、デジモンだけじゃ立ち行かなくなることがある」 軽く口角を上げたまま、しかし声には妙な確信が混じっている。 「そういうとき、世界の"コア"が外の世界に手を伸ばすんです」 「…外の世界に」 思わず復唱するシュウ。 「特定の子供が、理由もわからないままデジタルワールドに流れ着くんです─しかも毎回同じ顔ぶれじゃない、その時代その時代で違う子供たちが」 イツキの声は軽い調子を保ちながらも、言葉の端々に確信の色を帯びていた。 ケーキを平らげた後の皿だけが机に残り、そこに不釣り合いな重さを帯びる言葉が落ちていった。 「それを"選ばれし子供"と、僕たちは勝手に呼ぶことにしました」 イツキはふにゃりとした笑顔を崩さぬまま、当たり前のように告げた。 「でもよー、勝手に呼びつけて助けてくれ〜は都合がいい気がするゼ」 ユキアグモンが口を尖らせる。自分たちの世界のことだというのに、態度はいつも通りだ。 「それはわかりました…でも俺がデジモンと関わったのは、ここ二年です」 「デジタルワールドとリアルワールドの相互干渉は強まっています。コアに選ばれなくてもデジモンと関わる人間は、年々倍々に増えている─ま、あくまで僕たちの立てた仮説ですけどね」 それまではデジモンの存在すら少し疑ってたほどで…と続けたシュウに、イツキはすぐ応じる。 「ですが─ここ数年、選ばれし子供は出現していません」 イツキは笑顔を崩さないまま、声色だけが少しだけ硬くなった。 「これが平和になったというだけなら助かるんだけど…はぁ」 すみれがぽつりと呟き、がくっと項垂れる。 「電捜課に休みが無いのが実情…全く嫌になるわね」 イツキは軽く指先を組み、真顔になった。 「つまり。デジタルワールドのコア、あるいはコアに干渉できる存在になにかがあった─そんな嫌な想定もしなければならないんです」 沈黙が落ちる。 シュウはわずかにうつむき、言葉を振り絞った。 「…俺は最近、デジタルワールドで戦っていました。そこで戦った相手なら…それを、できるかもしれません」 ・04 「はいこれ。祭後終の記憶に干渉した時のヤツ」 メグが投げた小さな赤いUSBメモリが、机の上でからんと乾いた音を立てた。 「ご苦労様。しばらくは休んでていいよ」 「言われなくても〜」 肩をすくめるような軽口を残し、彼女は片手をひらひらと振って扉の向こうへ消えていった。 暗がりの中、机に転がるUSBをデジモンイレイザーは拾い上げる。 小さな棺のようにも見えるそれを持った指先はかすかに震えており、その姿は冷酷な支配者たる"デジモンイレイザー"の姿には似つかわしくない仕草だった。 彼女の内側には、得体の知れぬ空白がある。 自分の声で命じながら、それが本当に自分の意志だったのか判然としない日々。 『君には最強のテイマー…デジモンイレイザーとして、私と共に世界を支配してもらいたいのだよ』 あれから時折、白い光の奥で囁いている影を思い出す。 傷ついたデジモンを前にそう告げる影が、胸の奥に冷たい何かを押し込んで来る感覚…抵抗しようとしても、声は出なかった。 そこから先の記憶は霞がかっていて、境界が曖昧だ。 でも、確かなのは兄に名を呼ばれ、触れられた瞬間に嫌な何かが崩れ去ったという事実だけ。 今ここに残っているのが"本当の自分"なのかどうか、彼女自身にも判断できない。 彼女の指が震えていたのは、プリンセスネオの精神干渉から既に断片はいくつも受け取っていたからだった。 それは、考えてもいなかった真実─兄が抱えていた弱さ、幼少の記憶に刻まれた薄暗い過去。 理想の兄という【光】に、影がこびりついていた。 その事実を見ないようにしても、瞼の裏には焼きついて離れない。 「…お兄ちゃん」 掠れた声が暗い部屋に滲む。 呼んでも返事はない─それでも、呼ばずにはいられなかった。 USBを差し込んでモニターに映像が開くと、そこに映ったのは兄・祭後終。 メグの精神攻撃によって苦悶の表情を浮かべるシュウの姿に、自分の胸の奥もざくりと裂かれた気がした。 「─違う」 そんなはずはない。 お兄ちゃんは【光】でなければならない。 唯一の救いで、唯一の希望で…そうでなければ、自分はもう立っていられない。 唇が勝手に歪み、かすかな笑い声が漏れる。 「ふふ…ねぇ、ロップモン?希望って…思ったより脆いんだね…?」 その笑いは穏やかだった。 けれど、笑顔の奥にからひび割れた絶望が隠しきれない。 部屋の隅で、突然話しかけられたロップモンは小さな体を震わせていた。 あの日を境に、"デジモンイレイザー"はミヨに戻っていた。 だがそれは言葉と仕草だけのことで、どれも少しずつズレていた。 まるで何かが貼り付いて心を歪めているような違和感があった。 ロップモンは何度も呼びかけようとして、そのたびに喉の奥で言葉を失った。 規則正しい機械の音だけが鳴る中、ロップモンは小さく拳を握り俯いた。 唇を噛みしめても、胸のざらついた不安は消えなかった。 その様子を、暗がりの奥から見つめている影があった。 「疑似人格"I"は追い出された、か。大したことの無いヤツだ」 低く響く声で冷たい石壁を震わせるのは、デジモンイレイザーの同盟者にしてイレイザー軍を束ねる聖先提督・ブラックセラフィモンだった。 「私がデジモンイレイザーに選んだだけあって凄まじい精神力ということだな…ふふ」 仮面の奥に宿る怪しい笑みは、少女の混乱さえも興味深い実験結果に過ぎないと告げていた。 「しかし精神干渉の反動で人格そのものは"I"の残滓と混ざり、歪みはじめているようだな」 彼は楽しげに呟き、鎧をカタカタと揺らした。 「ならば、しばらくはこのままでもよさそうだ…」 「私がお兄ちゃんを綺麗にしてあげなきゃ…光って消えない…変わらない理想と真実で…!」 ブラックセラフィモンが闇に溶けるように姿を消すと、残された部屋ではデジモンイレイザーだけが壊れた笑い声を響かせていた。 ・05 「イグドラシルがデジモンイレイザー…いえ、アナタの妹サンに渡っているとするなら、可能性はあります」 イツキの声はいつもの軽さを抑え、慎重に選んだ響きだった。 「イグドラシル…とは…?」 「シュウ!オレ知ってるゼ!カミサマってやつなんだゼ!」 聞き慣れぬ単語にシュウは思わず問い返すと、ユキアグモンが胸を張って叫んだ。 「…本当ですか?」 「おおよそはそれで大丈夫です」 イツキがくすりと笑って軽くうなずくと、ユキアグモンは得意げに腕を組む。 「コアを守り、そしてコアの意思を伝えるための外壁…でしたよね?」 すみれが補足するように口を挟む。 その声色はどこか探るようでもあり、過去を思い出しているようでもあった。 イツキは肩を竦めて笑う。 「です。神様と言っても信仰の対象というより、世界を維持するための防御壁です…ただし、世界を変えかなねない程にとんでもなく強力ですが」 「そんなものが…ミヨに…? 」 シュウは唇を噛み、視線を伏せた。 胸の奥からこみ上げてくるのは、不安か、それとも罪悪感か。 気まずい沈黙が流れた。 重苦しい空気を切るように、イツキがぱんと手を叩く。 「はい。では今日はお話できてよかったです〜」 いつもの笑顔を浮かべ、まるで舞台の幕引きのように声を張る。 イツキは軽やかに言い残し、ユキアグモンに手を振る。 「じゃ、またです」 扉が閉まると、玄関前に残されたのはシュウとすみれだけだった。 「なんだか変なヤツだったなぁ」 ユキアグモンが呟くと、シュウは彼を肘で小突く。 「おいユキアグモン。俺の分のケーキまで堂々と食いやがって」 文句を言いながらも、シュウはイツキが持ってきた空箱を畳む。 「なんかいらなさそうだったからつい」 「まぁいいけどさ…」 べたついた手をティッシュで拭きながら、ユキアグモンはへらへら笑う。 「…祭後くん」 そのやり取りを遮るように、すみれがシュウを呼んだ。 振り返った彼女の瞳は、いつもと変わらず真面目で真っ直ぐ。 だがその奥に、怒りか悲しみか、かすかに潤みがにじんでいた。 「………どうして妹さんのこと、何も言わなかったの?」 すみれの声は静かだったが、揺れる瞳に押し殺した怒りと悲しみが滲んでいた。 「俺が全部どうにかするからだよ」 シュウは微笑みながらそう答えるが、空箱を握りしめていた。 言葉は冷静を装っているが、喉の奥で震えている。 「巻き込みたくなかった。俺のせいで、これ以上誰かが─」 胸の奥に渦巻く本音を隠し、言葉を口にしかけたその瞬間。 ドンッ、と外で大きな爆発音が轟いた。 窓ガラスが震え、部屋の空気が一気に張り詰める。 シュウとすみれは慌てて外へ飛び出した。 マンションの同居人たちが戸口から顔を出し、不安げに周囲を窺う。はす向かいの塾では生徒たちが騒ぎ立て、教師が必死に制止していた。 その時─遠いビルを眩い熱線が薙いだ。 遅れて連続する爆発音が響き渡り、地面を切り裂く。 肌にまとわりつくような静電気…張り詰めた空気が、ピリピリと全身を撫でた。 空を仰げば朝・夕・夜がめまぐるしく切り替わり、空間の裂け目から時空の穴が覗く。 歪んだ景色が瞬きのたびに形を変え、それは早回しの映像を見ているのかと誤認するほどだった。 電光掲示板、自動販売機、信号、バスの行き先表示─あらゆる機械が狂ったように文字をガチャガチャと切り替え、点滅を繰り返す。 辺りのスマートフォンや携帯ゲーム機からは、甲高い電子音が重なり合い、閑静な住宅街はまるで巨大なゲームセンターの中心と化していた。 「なんだ…これは…!?」 唖然と呟くシュウ。 その声も、轟音と電子音の奔流にかき消されていった。 「こんなことできるのは、間違いなく…」 すみれはポケットからスマートフォンを取り出し、慌ただしく画面を操作した。 それは当然、電脳捜査課の仲間へ繋ぐためだ。 「デジモンだゼ!それも…滅茶苦茶ヤバいやつだ!」 背後からユキアグモンの叫びが響く。 「祭後くん!ユキアグモン!貴方たちはここにいなさい!」 突風に上着をはためかせながら、すみれは振り返って声を張った。 耳にはすでにスマートフォンを押し当てている。 「なに言ってるんだ姉さん!俺たちも─いや、俺たちが片付ける!」 シュウは即座に否定した。 めまぐるしく変わる空の色を映した瞳には、迷いがなかった。 「……その呼び方、嫌いだって言ったでしょ」 すみれが目をわずかに細めた次の瞬間、通話が繋がった彼女はスマートフォンへ向けて怒鳴った。 「竜崎さん!見ての通りです!これは確実にデジモンの仕業です!」 「─ユキアグモン、行くぞ!」 シュウは呼びかけると同時に駆け出し、ユキアグモンがそれに並走する。 「あっ、待ちなさい!」 すみれの声が背中を追った。 だが暴風と騒乱のざわめき、そして再び巻き起こる爆発音がその声を容赦なくかき消していった。 爆発音の残響が街路を這うように広がっていった。 アスファルトにはひびが走り、停車していた車のガラスが次々に割れ、人々の悲鳴が逃げる風に混じって吹き抜ける。 赤い信号は壊れかけたようにちかちかと点滅し、空には焦げた煙が立ち昇っていた。 悲鳴、割れるガラス、遠くで上がる黒煙─街は恐怖の奔流に呑まれていた。 誰もが押し合いへし合いしながら逃げ惑うその中でシュウは雑踏をかき分け、煙の立ちこめる路地を抜けながら胸の奥に得体の知れない終末感を感じていた。 ─すみれの顔が頭にちらつく。 あの目を見た瞬間、改めて自分がやらねばならない気がした。 焦りと、ほんのわずかな苛立ちが胸の奥で擦れ合う。 胸の奥で火を焚かれたように焦燥が足を急かし、苛立ちが血を熱くする。 呼吸は荒く、肺は灼けるように痛んだ。 シュウは雑踏をかき分けて、車の間を飛び越えて走る。 遠くにまた一つの爆光が花開くのを横目に見ながら、思えば仲間たちと騒ぎに身を投じていた日々は少し楽しかったと記憶がよぎる。 明日が来てほしいと願ってしまうほどに…しかし、夢は覚めるものだ。 現実という影が足首を掴んでくる。 本当のお前は親友二人を裏切った罪人で、死ぬことだけが残された贖罪だと残酷に突きつけてくる。 そんな俺にミヨのことを助ける資格も、その手に触れることもできない。 あの頃の俺─ユキアグモンにならまだその資格はある。 汚れてしまった俺は、早々に消え去るべきなんだ。 走りながら、シュウは前を駆けるユキアグモンの白い背中を見つめた。 それが、自分の行くべき夢の終着点を示す灯火のように見えてしまった。 シュウとユキアグモンは路地を抜け、大通りへと飛び出す。 そこでは、逃げ惑う人々の群れが津波のように押し寄せていた。 爆発音が、ひとつ、またひとつと大きくなっていく。 耳をつんざく轟音が地を揺らし、街の灯が断続的に明滅した。 シュウが顔を上げた瞬間、視界を覆うほどの巨大な影が崩れたビルの向こうに立っていた。 赤黒い輝きがその輪郭を舐め、焦げた空をさらに灼いていく。 デジヴァイス01が警告音を発した。 【シャイングレイモン:究極体】 「でけぇゼ…!」 ユキアグモンが息を呑み、シュウは唇を噛む。 ためらいがほんの一瞬、足を縫いとめた。 空は変わらず、朝・夕・夜をめまぐるしく繰り返しながら歪み、世界の継ぎ目が剥がれていく。 「ユキアグモン…ワープ進化だ…!」 デジヴァイス01を掲げると、光が奔った。 装置の縁から放たれた赤い閃光が空を走り、ユキアグモンの身体を包み込む。 ユキアグモンは地を蹴って跳び上がる。 瞬間─彼の全身が光の粒となり、空中で渦を巻いた。 膨大な光が凝縮し、やがてひとつの眩い卵の形を結ぶ。 進化の光で形成された卵が空中で脈動し、内側から亀裂が走る。 卵の破片と共に紫の炎が四方に散り、夜空を焦がすように燃え広がった。 【メタルグレイモンVi:完全体】 光が収束し、金属と黒炎をまとった巨影が姿を現す。 ユキアグモンの面影を残しつつも、その身体は鋼の装甲に覆われ、背には闇色の翼をはためかせる。 シュウのユキアグモンは、紫の機竜・メタルグレイモンViへとワープ進化を遂げた。 翼をひと振りしただけで、風圧が地を叩きつける。 駐車された車がズシンと揺れ、街路樹の枝が唸りを上げた。 散り散りになった人々の悲鳴が、風にかき消されながらも耳に届く。 町中で突然怪獣が生まれた─そう錯覚するには十分すぎる光景だった。 「メタルグレイモン、なるべく空中戦に持ち込むんだ!」 突風に煽られ、シュウは腕で顔を庇いながら叫ぶ。 機竜は応えるように咆哮を上げると、ビルの壁面が共鳴して粉塵が夜空に舞う。 やがてメタルグレイモンViの喉奥から吐き出された火炎弾は、シャイングレイモンの胸部装甲を正面から包み込んだ。 ─だが相手はそれを防御することもなく、無傷で受け止める。 シャイングレイモンが各部を発光させながら翼を持ち上げた時、衝撃波が地上を薙ぎ、車が弾け飛び、看板がちぎれ、街の混乱は増していく。 シュウは地上で逃げ惑う人々を目にし、歯を食いしばりながら回りの人々へ逃げるように叫んだ。 続いてメタルグレイモンViへ指示を出そうとするが、通信はノイズ混じりで繋がりにくくなっている。 咄嗟にビルの入口に駆け込むと、震える指でエレベーターのボタンを連打した。 「頼む…早く動けっ!」 上昇するエレベーターからでも外の衝撃音は響き、建物全体がきしむのを感じる。 爆発でも起きたのか、天井から砂埃がぱらぱらと落ちてきた。 エレベーターの上部に見える数字がひとつ、またひとつと点灯していく。 ようやく扉が開くと、シュウは身をぶつけるようにして屋上へと駆け出した。 メタルグレイモンViとシャイングレイモン─闇と光の巨影が空中で旋回し、互いの間合いを測るように火花を散らす。 夜空は刻々と色を変え、風は鉄と焦げたプラスチックの匂いを運んでいた。 シュウは屋上の縁に身を寄せ、デジヴァイス01を構えた。 指先が空中に浮かぶ操作パネルを走り、即座に命令を入力する。 【旋回にフェイントを入れ、接近戦】 その信号が赤い閃光となって放たれると、メタルグレイモンViは応じるように翼を翻した。 旋回の軌道を急に変え、風圧を切り裂きながらシャイングレイモンへと突っ込む。 サイボーグ化した右腕のクローが音を裂き、金属のぶつかり合う音と共に空が閃光で白く塗り潰される。 真っ白に感光した光が収まった時─メタルグレイモンViの頭部は弾かれており、衝撃波が遅れて辺りを揺らした。 吹き飛ばされた機竜は巨大なビルに激突し、ビルの破片が甲高い音を立ててシュウの眼前を飛び去った。 デジヴァイス01の画面に、連続する数値が浮かび上がった。 ─衝突のデータ、速度、衝撃量、装甲へのダメージ。 次々と赤い数値が点滅し、メタルグレイモンViのステータスバーが目に見えて減っていく。 突風に煽られ続けながら、シュウは眠そうな顔を大きく見開いた。 眼を素早く左右に動かし、デジヴァイス01に映るパラメーターを読み取ると、即座に指令を入力する。 「─スピードで負けていても、やりようはある!」 【上空を取ってギガミサイル発射。即座に起爆し、煙を盾に背後へ回り込む】 命令を受けたメタルグレイモンViは、まるで意思を共有するように翼を広げて咆哮を上げた。 ビルを蹴りつけ、土煙を切り裂いて上昇した。 だが─煙が晴れた瞬間、そこにはシャイングレイモンが肉薄していた。 そのままシャイングレイモンはメタルグレイモンViを簡単に追い越し、体を水平にして街を見下ろした。 街の明かりを反射する赤翼が素早く開いた時、シュウはぞくりとした。 その眼下に、自分たちが守るべき街があったからだ。 「─防御だッ!!」 【コロナスプラッシュ】 シュウの叫びよりも早く、翼の先端から放たれた無数の光線が雨のように降り注ぐ。 壁を貫き、地面を砕き、衝撃波と土煙が街を波打たせた。 メタルグレイモンViは、空を裂く無数の光線を掻い潜った。 街へ降り注ぐ光の雨をその鉄爪で弾き返し、可能な限り受け止める。 ビルの壁面が光を反射し、夜空を赤く照らした。 地上に次々と落ちる光線がコンクリートを砕き、土煙が街路を覆う。 その濁流は瞬く間に広がり、シュウの立つビルの屋上まで押し寄せた。 熱と砂塵が渦を巻き、視界を一気に奪う。 シュウは咄嗟に腕で顔を庇いながら、シュウは歯を食いしばる。 次の瞬間─轟音と共に衝撃波が走り、土煙が一気に吹き飛ぶ。 視界を奪っていた灰色の幕がはらわれたことで、シュウは反射的に顔を上げる。 その眼目に飛び込んできたのは、メタルグレイモンViの背後を取ったシャイングレイモンの姿だった。 「これは…!」 シュウが思わず声を漏らしたとき、シャイングレイモンは拳に太陽のような光を纏わせて振り上げた。 【シャインハンマー】 その拳が空気を裂いてメタルグレイモンViに命中しすると、爆ぜる光が空を昼のように照らした。 衝撃の余波が巻き越す突風に、手すりを掴んで堪えながらシュウは唖然と呟いた。 「完全に読まれてる…いや、コレは真似されている…?」 胸の奥にざらつくような違和感が広がる。 汗がこめかみを伝い、デジヴァイスの光がその滴に反射する。 焦りよりも、得体の知れない"不信感"が胸を締めつける。 自分の思考、入力、指の動き─すべてを見透かされたような感覚。 耳元で、声がした。 「当然だ」 反射的に振り返ったシュウは、息を呑む。 そこにいたのは─"自分"だった。 「俺……!?」 そう言われたもう一人のシュウは鼻で笑うが、その目は確かな怒りを帯びていた。 「俺はお前とは違う。親友を救えず、両親から逃げ、何よりもミヨを傷つけた─」 その声は冷たい侮蔑にまみれ、ただ事実を告げる音だった。 その言葉が空気を凍りつかせた瞬間、轟音を上げながらメタルグレイモンViが墜落した。 直後、シャイングレイモンが金属の膝を倒れたメタルグレイモンViの胸部にめり込ませた。 「不完全なお前とは、な」 ビルの鉄骨が軋み、屋上のシュウの足元がひび割れる。 震えているのは地面か、それとも自分の心か…シュウにはよくわからなかった。 「ぐっ…!」 「わかるか?ミヨには【光】が必要なんだ。それはお前じゃない」 シュウは混乱しながらも、デジヴァイス01の入力パネルを叩いて脱出の指示を送る。 それと同時に、もう一人のシュウも指示を送信した。 メタルグレイモンViが胸のハッチを開き、ゼロ距離から火炎を放つ。 灼熱の奔流が夜を焼き、シャイングレイモンを包み込とうとする。 だが光竜は素早く飛び退き、片手で火炎を掴むように払い消した。 掌に残った残光が尾を引いて空に散り、シャイングレイモンの装甲に美しく反射した。 【光】─その言葉が、シュウの胸の奥を抉った。 視界が一瞬、白く滲む。息が詰まり、喉の奥が焼けるように熱くなる。 「また精神攻撃か!?飽きないね…!」 「俺は実在する、この世界に─理想の兄、完璧なお前として」 "理想の兄"は淡々としながらも、確信の滲む声で続ける。 その語り口は、まるでシュウ自身がもう一人そこに立っているようだった。 拘束から逃れたメタルグレイモンViは空中に飛び上がると、シャイングレイモンの拳と正面からぶつかり合う。 火花が夜空を照らし、瓦礫が地上に降り注いだ。 「ミヨを縛り、不幸にするものは全て俺が排除する」 その手が、ゆっくりとポケットからスマートフォンを取り出した。 シュウに向けられた画面に二人の男女が映っている。 "理想の兄"はゆっくりとポケットからスマートフォンを取り出し、シュウに向けて掲げた。 画面に映ったのは管に繋がれた意識のない男と、冷たい床の上に座り込む囚衣の女。 どちらも、見間違えるはずのない顔─シュウの両親、そしてミヨの母親だった。 彼らの体には奇妙な光の鎖が巻き付き、ゆらめきながら微かに脈動していた。 「それは…!」 シュウの声が裏返る─鎖の先に繋がったものは複数のDCDボムだった。 「ミヨの"幸福"のために」 だが、"理想の兄"は何の感情もなくスマートフォンをタップした。 次の瞬間、画面が濁った音と共にざらついた砂嵐に変わる。 遠くで爆発音が鳴り、低く重い音が街の地平を震わせる。 戦いを重ねる中で、小さな爆発にはもう動じなくなっていたシュウだった。 だが、その音だけは違った。 嫌な予感が、ゾッと脊髄を駆け抜ける。 ゆっくりとその方角に顔を向けたとき、嫌な予感は確信に変わった。 それは父親のいる病院の方角で、すでにスマートフォンの画面には何も映っていない。 砂嵐の粒子が、まるで意味を失った祈りのように揺れているだけだった。 恐らく、母親ももう…胸の奥が潰れるように痛む。 自分たちを取り巻く不幸の源だったとしても、それでも彼らは親だった。 シュウの指が震え、デジヴァイス01の入力が止まる。 上空では指示の途絶えたメタルグレイモンViが、焦ったように旋回していた。 その隙を逃さず、シャイングレイモンが翼を広げ、光を収束させる。 【コロナスプラッシュ】 幾筋もの光線が一斉に走り、メタルグレイモンViの装甲を撃ち抜いた。 轟音、衝撃─爆発の閃光が夜を切り裂く。 渦巻いた爆風の中から、光が生まれる。 それは爆炎を押し返しながら膨れ上がると、煙を破裂させるように弾き飛ばした。 ─金属が唸り、紫電が走る。 【メタルグレイモンVi:アルタラウスモード:完全体】 紫の炎を纏い、強化形態となった機竜が姿を現した。 その瞳は怒りと焦燥の入り混じるシュウの感情を映すように、赤々と燃えていた。 「シュウがもう一人…ッ!?」 「今は戦いに集中しろ!」 シュウの指示を受け、メタルグレイモンViは咆哮と共にUFOのような軌道で高速飛行する。 その右腕に装着された銃槍アルタラウスが、次々と閃光を打ち落とす。 【ブーストクロー】 高速でシャイングレイモンの懐へと潜り込むと、鉄爪トライデントアームが唸りを上げて発射される。 それは光竜の頬をかすめるに終わるが、シュウは不適に微笑んだ。 射出されたブーストクローは高速で旋回し、そのワイヤーでシャイングレイモンの体を縛り付けた。 「反撃を許すな!」 シュウの声に指示に応え、メタルグレイモンViは大きく踏み込んだ。 風を切り裂き、エネルギーを込めたアルタラウスが振り上げられる。 【アルタブレード】 鈍い衝撃音とともに、シャイングレイモンの装甲がへこみ、火花が弾けた。 空気が焼け、シャイングレイモンを突き抜けた衝撃波が空を駆け抜けて雲を散らす。 「アルタラウスモードでステータスは上がっている…勝機はある…!」 次々と開く時空の穴とめまぐるしく代わり続ける空の下で、シュウは拳を握りしめた。 メタルグレイモンViは、先ほどまで受けた雪辱を返すように連続で攻撃を叩き込む。 そして銃口が顎に突き立てられると、ゼロ距離から亜光速に匹敵した弾丸が放たれた。 【ポジトロンブラスター】 爆煙と共に大きくのけぞったシャイングレイモンは、空中でゆっくりと姿勢を整える。 だが、この状況下にあってもなお"理想の兄"はまったく動じない。 屋上の風に髪をなびかせながら、自身の手首に巻かれた黒いデジヴァイス01の画面を見つめていた。 「それで終わりか…やはりお前は、俺ではない」 冷たく、低く抑えた声。 "理想の兄"が空中に映し出すパネルを指先で撫でると、シャイングレイモンは既に遥か上空へと飛翔していた。 「─なにが起こってンだよ!?」 「ぐっ…早すぎて追い切れていない!?」 空を見上げるメタルグレイモンViとシュウは、突風に体を揺さぶられながらも叫んだ。 シャイングレイモンは掌に光を凝縮し、それを足元の地上へと投げつける。 地表を走った光が瞬時に街を駆け巡り─巨大な魔方陣を描き出した。 ビルの影にまで広がるその陣は、まるで街そのものが儀式の台座になったかのようだった。 やがて魔方陣の中心にあるアスファルトが震え、コンクリートが波打つ。 地鳴りが街を裂くと駐車していた車が亀裂に飲み込まれ、逃げ惑う人々の悲鳴が重なる。 「おいなにやってんだ、やめ─」 シュウの叫びを遮るように、魔方陣の中心にシャイングレイモンが腕を突き刺していた。 地の底に手を突き入れるようにして、ゆっくりと何かを掴み上げる。 きぃん─と空気を裂く高音。 眩い光が地中から溢れ、一振りの巨大な剣が引き抜かれる。 【ジオグレイソード】 紅焔を纏う金色の刃が空を震わせながら姿を現した。 長大な剣が振り上げられた余波は天の雲を切り裂き、降り注ぐ光をその刀身に受けて街を白に染めた。 シャイングレイモンはそれを構え、まるで裁きを下す神のように冷ややかに空を睨んだ。 "理想の兄"はその光景を見上げ、静かに告げる。 「偽物の出番は、ここで終わりだ」 同時に振り上げられたジオグレイソードとアルタラウスが激突した。 金属の悲鳴とともに、光が弾けて空が裂ける。 つばぜり合いの最中、メタルグレイモンViは口とハッチを開き、オーヴァフレイムとジガストームを一斉発射した。 灼熱が空を焼き、衝撃波が街を叩く。 「お前の戦い方はわかるんだよ」 "理想の兄"が眉間を親指でとんとんと叩き、冷ややかに笑った。 炎が直撃したシャイングレイモンは即座に後退し、翼をはためかせながらわずかに体勢を立て直す。 メタルグレイモンViも飛び退きつつ、ギガミサイルをバラまいて追撃に出る。 しかしシャイングレイモンが掌を掲げて空間を振動させると、ミサイルは次々に爆ぜる。 滅茶苦茶な空の中で爆光が煌めき、やがてその中から二対の巨体が飛び出す。 「お兄ちゃんは、こういうの得意だもんね」 再び武器が同時に振り下ろされた時─背後から聞こえた声に、シュウは息をすることすら忘れた。 「ミヨ…なんでそこにいる?」 いつのまにか現れていたその存在に、声が喉からこぼれた。 焦げた風の中にあっても、揺らめく銀髪と小さな肩─それを間違えるなんてあり得ない。 だがミヨは"理想の兄"の隣に立ち、彼の袖をそっと引っ張った。 「あぁ。俺の戦い方は、大体ダイシューで磨き上げたんだ」 "理想の兄"が、かつての自分と同じ声音で言う。 「でもお兄ちゃん…もう、いいでしょ?」 ミヨはためらいも恐れもなく、その指を絡ませた。 まるで、それが当然のことのように。 荒々しく吹きすさぶ風が止まったが、シュウは一歩も動けなかった。 そこに立っているのは、救うべき妹のはずなのに。 二人の距離は極めて近く、限りなく遠かった。 「そうだな──早く帰ろう」 "理想の兄"が低く呟くと、シャイングレイモンの瞳が再び光を宿した。 鋼の翼が唸り、空気が震える。 メタルグレイモンViは構え直しながらも、ちらりと地上のシュウを見た。 指示を求めている─だが、シュウは動けなかった。 声も出せず、ただ息を飲むことしかできない。 「私ね?お兄ちゃんが、とっても苦しんでることを知ったの」 ミヨが小さく笑いながら言葉を紡ぐ。 その声は優しく、幼い頃と変わらぬ響きだった。 「それは─」 「私に嘘をついてることも」 シュウの唇が震える。 だが言葉の続きを絞り出すより先に、ミヨの低い声が告げた。 「でもいいの!お兄ちゃんは、もう頑張らなくてもいいの!私が"本当のお兄ちゃん"を作ったから!」 彼女は突然満面の笑みを浮かべると、わずかに顔を赤くする。 「強くて、優しくて、ちょっとドジで、意地悪なところもあるけど…」 ミヨは恥ずかしそうに語りながら、指を絡ませた"理想の兄"を見上げた。 「私のためになんでもしてくれてね、絶対に私の隣にいてくれる、私だけのお兄ちゃん」 メタルグレイモンViがアルタラウスを振るう。 だが、シャイングレイモンはその刃を掴み、容易く握り潰した。 甲高い金属音とともに、紫電が四散する。 「ぐう─ッ!?」 全身の装甲が軋んで火花が散ると、メタルグレイモンViが大きな声で呻いた。 「お兄ちゃんのこと、大好き。だから─もう無理しなくていいんだよ?」 ミヨの穏やかな声が、惨劇を包むように響いた。 シュウの瞳は焦点を失い、震える唇から、かすれた声だけが漏れた。 「ミヨ…なにを言って…」 「臆病者の弱い兄は偽物ということだ」 "理想の兄"がそう告げた瞬間─メタルグレイモンViの両腕が宙を舞っていた。 シャイングレイモンが持つジオグレイソードが二つに別れると、音もなく連続で振るわれていた。 装甲が火花と黒煙を噴き上げながら砕け、輪郭が崩れていく。 「メ…メタルグレイモンが…!」 シュウは唖然としながらも、落下してきたヒヤリモンをなんとか受け止めた。 その姿を見下ろしながら、"理想の兄"は静かに言った。 「決したな。これからは俺がミヨを助けていく」 シャイングレイモンはジオグレイソードを投げ捨て、両腕を突き合わせる。 そこに周囲の熱が収束し、地鳴りのような低音が空気を震わせる。 街全体の光さえがそこへ集まっていき、巨大な球体が形成された。 だが、次の瞬間─別の光が、横合いから一直線に飛来した。 それはシャイングレイモンの身体をかすめ、収束させた光熱球は離散する。 "理想の兄"がわずかに顔を上げた。 屋上階と繋がる階段部屋の扉が大きな音と共に開かれると、ひとりの女が姿を現す。 息は荒く、制服の袖は煤けている。 「…すみれ姉さん」 シュウが振り向くと、鳥藤すみれが膝に手をつき、肩で息をしていた。 その背後で、光は形を変えていく。 渦を巻く炎の中から翼が広がり、巨大な鳥が姿を現した。 紅蓮の炎を纏った究極体─聖鳥・ホウオウモン。 「あの子は私のシンドゥーラモンよ」 すみれがかすれた声で呟くと、ホウオウモンは雄叫びを上げて一直線にシャイングレイモンへ突っ込んだ。 爪と拳、炎と光がぶつかり合い、衝撃波が街の木々をなぎ倒していく。 「それより、これはどういうことなの……!?」 すみれの目が震える。 そこに立つ"二人のシュウ"─そして、行方不明だったミヨ。 ミヨは、露骨に顔を歪めた。 その表情は、怒りとも嫉妬ともつかない、歪なものだった。 「貴女…知ってる」 ミヨの瞳が細く光る。 「お兄ちゃんの隣にいた人…記憶を見た時にいつもいた人…いつも、いつも、いた…!」 その声が、風に混じって掠れる。 すみれの胸に、ぞっとするような寒気が走った。 「お兄ちゃんを─返してッ!」 先程までまでの言葉と矛盾したミヨの悲鳴に答え、シャイングレイモンがホウオウモンの嘴に掴みかかる。 そのまま顎を引き裂こうと力が込められていくが、ホウオウモンが翼から光と炎を撒き散らせて抵抗する。 空を焼くような光の奔流の中─二体の究極体はゼロ距離から互いに光線をぶつけ合い、辺りに被害を生んでいく。 ホウオウモンは一歩も退かず、火の粉が風に舞って街路を赤く照らす。 「なんで貴女がこんなことを…それに、その人は誰なの…!?」 息を切らせながらすみれがミヨに向かって叫ぶが、ミヨはその幼い頬が怒りと涙で震えさせる。 「うるさい…私のお兄ちゃんは!アンタにおかしくされてるんだよ!」 振り絞るように放たれ言葉─自分のせいという言葉に、すみれの呼吸が止まる。 風の中でホウオウモンが雄叫びを上げ、シャイングレイモンを振りほどいた。 衝撃が連鎖し、地面が震える…ビルの倒壊は時間の問題だった。 シュウは、その光景を見ているのに何も感じることができなかった。 胸の奥が、すうっと冷えていく。 心臓の音すら他人のもののように遠く、それよりも強くあの言葉が頭の中で何度も反響していた。 ─"もう、お兄ちゃんが頑張らなくてもいいように、私が本当のお兄ちゃんを作ったの"。 あれが、ミヨの答えだった。 俺のことなんかもう…いや、最初から必要なかったんだ。 あの日、タカアキを救えなかったときからずっと何かを埋めようと足掻いてきた。 【光】を追いたくて、【光】になりたくて…。 「俺の存在にはなんの意味もなかったんだ…」 「祭後くんッ!貴方もなにをやってるの!」 すみれに体を揺さぶられるが、それを言葉にしてしまったシュウは胸の奥で何かが完全に折れていた。 上空ではホウオウモンの炎が揺らぎ、輪郭が崩れ始めた。 羽の縁がちらちらと光の粒になり、風に散っていく。 「っ…もうなの!?」 すみれは焦りを隠せず、手の中のデジヴァイスを強く握りしめる。 日頃の不摂生から、シンドゥーラモンがこの姿を保てる時間はあまりにも短い。 ホウオウモンを撃破するため、シャイングレイモンの影が腕を振り上げられた。 【ジャスティスキック】 ─瞬間、空気が爆ぜた。 閃光とともに、一つの影が二体の究極体の間に割り込む。 凄まじい威力の蹴りが、シャイングレイモンの顎を正確に捉えた。 その巨体が仰け反り、空が震える。 「鳥藤。生きてるな」 すみれの目が、驚愕に見開かれる。 その声は、あまりにも懐かしかった。 赤いマフラーが夜風を切り裂き、立っていたのは─青年・木野正義だった。 「…!貴方は、木野君!?」 声が震え、どこか掠れていた。 「俺の前に現れた変な女が言うには"緊急の一時的措置"、だそうだ」 淡々と返す正義の声にはかすかな疲労と、それ以上に確かな覚悟が滲んでいた。 「さぁ、行くよ!」 ジャスティモンが跳躍すると、その金属の腕でシャイングレイモンの拳を受け止める。 金属と金属がぶつかり合う音が空を割り、火花が夜を照らす。 【セイントナックル3】 拳が閃き、聖なる力を帯びた一撃が寸分の迷いもなく放たれる。 シャイングレイモンの胸甲を叩き割った一撃は衝撃波を地に伝え、周囲の瓦礫が宙に舞う。 だが、すみれの瞳には影が宿っていた。 彼がどれほどの罪と後悔を抱えているかを、彼女は知ってしまっていた。 かつて恋人を救えなかった故、純粋すぎる正義で決裂を招いたことを。 それでも彼は、過去ごと背負ってこの場に立っていた。 戦いの余波が風となって、焼けた空気が頬を撫でた。 ヒヤリモンが微かに鳴く─だが、シュウはもう動けない。 歪んだ光の渦が、次々と空間に開いていく。 そこからイレイザー軍のデジモンたちが這い出し、街の空を覆い尽くした。 影が降るように、黒い群れが大地に落ちていく。 「まずいな…鳥藤は祭後終を連れていけ」 ジャスティモンは迫るシャイングレイモンの拳に合わせ、構えを取る。 【クロスカウンター】 拳同士がぶつかった瞬間─金属のぶつかり合う衝撃音が弾け、互いの動きが止まる。 スロー映像のようにゆったりと動く空間で、ジャスティモンは一足早く動いた。 怯んだシャイングレイモンへ、間髪入れずジャスティスキックが再び炸裂する。 ビルに叩きつけられた巨体は背後の建造物を巻き込み、ガラスやコンクリートと共に崩れ落ちた。 「今だ!」 「おう!」 ジャスティモンはすぐに掌を掲げ、空間を引き裂く歪みに力を注ぐ。 力を制御しきれている究極体は無差別に開く時空の穴さえ、力業で封じることができる。 歪みがひとつ、またひとつと閉じていくが、数は尽きない。 「数は多くても無限ではない─行けるぞ…!」 「─私とお兄ちゃんの!邪魔をするなぁッ!」 鋭い正義の声に押され、ジャスティモンは再び力を込めた。 だが、ミヨの叫びと同時に穴から溢れたイレイザー軍が一斉に動いた。 数えきれない光弾が放たれ、彼らが立つビルを集中して撃ち抜く。 爆音が轟き、鉄骨が軋み、瓦礫が宙を舞う。 世界そのものが崩れていくような錯覚の中、光と闇の奔流が交錯した。 ・06 意識がゆっくりと浮上していく。 瞼を開けたシュウの視界に、白い天井と木の梁が映った。 痛む体を起こすと、すぐそばにすみれの安堵した顔があった。 「気がついたのね」 「…」 寝かされていたソファーの布地が背中に貼りつく。 隣ではユキアグモンが大の字になって眠りこけていた。 「ユキアグモンは、無事なのか…」 名前を呼ぶと、白い小さな体が小さく動いて寝返りを打つ。 「あの子、シンドゥーラモンのキュアヒールライトで、大体は回復してるわ」 「もオバチャン疲れちゃったわヨ…」 床にへたり込んでいるシンドゥーラモンが、肩で息をしながらぼやいた。 すみれは周囲を見回しながら、静かに説明を続ける。 「建物がまだ無事だったからこの家具屋さんを勝手に使わせてもらってるの」 店内には破れたカーテンの隙間から朝の光が差し込み、避難してきた数人のテイマーたちが散らばっていた。 それぞれのデジモンが傷の手当てを受け、息を整えている。 「じゃ。私、行くね」 唐突に声がして、立ち上がったのは少女─カノンだった。 パーカーの裾を軽く整え、背後に立つディノビーモンへ視線を向ける。 鋭い複眼が光を反射し、3メートルの巨体が静かにうなずいた。 「ちょ、ちょっと…子供に無理は─」 すみれが慌てて制止しようとするとカノンは振り返り、ポケットからデジヴァイスicを取り出した。 液晶に灯る微かな光が、彼女の強気な顔を僅に照らすを映す。 パーカーの袖を下ろしながら、カノンは小さく笑う。 「今は、一人でも戦力が必要なんだろ?」 その瞳には子供特有の全能感か、迷いも恐れもなかった。 外の世界ではまだ戦いが続き、家具の軋む音だけが静かに響いた。 「警察さん、この子には俺がついていく」 低く落ち着いた声が、すみれの背後からかけられた。 彼女が振り向くと、そこには強面で筋肉質な男が立っていた。 服の上からでもわかるほど厚い胸板と、不釣り合いにも見える穏やかな瞳。 男の足元では、ベタモンが力強く笑みを浮かべていた。 その男は、シュウ・カノンと共闘した、あの夜の仲間だった。 「スーパーの店員は優しいし、大家さんは明るい…」 ジョージは口元をほころばせ、どこか懐かしむように言葉を続ける。 「俺は、この世界を好きになったんだ」 「おじさん来るのぉ?なんかセットみたいで嫌なんですけど」 「オイいいこと言っただろ俺!なんか言えよそこに!」 軽く顔をしかめていたカノンは、ジョージの反応に思わず笑ってしまった。 その笑いにつられるように、ベタモンも口を大きく開けて笑う。 すみれは小さく息をつき、二人のやり取りを見つめた。 瓦礫と静寂に満ちたこの避難場所で、わずかに日常の匂いが戻ってきたような気がした。 「ん…」 カノンが手元のデジヴァイスicを見つめる。 小さな液晶に、淡い光と共に文字が浮かんだ。 【お前は少し明るくなった】 ディノビーモンからの短いメッセージ。 無骨なその言葉に、カノンの口元がわずかに緩む。 「ばか。行くよ」 彼女は照れ隠しのように、ディノビーモンの固い外殻をぺちぺちと叩いた。 「私の仲間が戦っています…なにかあればその人たちを頼ってください」 すみれは真剣な眼差しで二人を見つめ、短くそう告げた。 「おじさん!遅れるなよ!」 「待て!勝手に行くな!」 カノンが扉を開くと、冷たい外気と遠くの轟音が流れ込む。 ディノビーモンの翼が風を巻き起こし、ベタモンの跳ねる音がそれを追う。 二人と二匹は、再び戦場へと飛び出していった。 轟音が遠のき、家具屋の中には空調の音だけが残った。 カノンたちが出て行った扉をすみれはしばらく見つめていたが、やがて視線を隣のソファに戻す。 「…祭後くん、何があったの?」 その声は静かだったが、押し殺した焦りが滲んでいた。 シュウはソファの背にもたれ、天井を見つめたまま動かない。 返事を求めるようにすみれが隣に座るが、視線すら彼女に向けられることはない。 シュウは虚ろな目で床の一点を、まるで逃げ場を探すかのように見つめ続けていた。 しばらくの沈黙ののち、掠れた声が落ちた。 「…ミヨに、拒絶された」 短い言葉だった。 それ以上を語ることが、なにかを壊してしまう気がしているような声音。 「それだけじゃない─あいつは、俺の代わりを選んだ」 下を向くと涙が溢れてしまいそうな気がして、ゆっくりと顔を上げた。 光のない瞳がすみれを通り越し、どこか遠くを見ている。 「俺より強くて、優しくて、嘘をつかない…あれが、理想の兄だってさ」 その笑顔はまるで表情の筋肉だけが勝手に動いているような、壊れかけたものだった。 すみれの脳裏には、もう一人のシュウがフラッシュバックしていた。 「あれは…そういう…」 「あぁ。俺は…あの子の"理想"から外されたんだ」 彼の声には怒りも悲しみもなく、ただ空白だけがあった。 音のない風が通り抜け、室内の時計の秒針の音がやけに大きく響く。 「でもね…世の中に、"変わり"なんていないのよ」 すみれは、まっすぐな声で言った。 言葉そのものは優しかったが、どこかに無理を押し込めた響きがあった。 だが、シュウは小さく首を振る。 「でも、"上位互換"はいたんだよ」 髪の隙間から覗く目は焦点を失い、まるで何かを必死に否定しようとしているようだった。 両手で頭を押さえながら漏れた声に、怒りや悲しみはなく─ただ、何もかもを拒むような、乾いた響きだけがあった。 自分という存在を少しずつ削っていくような静けさに、すみれは言葉を失い、唇を噛む。 「俺は…ミヨを救うどころか、壊す側だった」 小さな声が、空気に沈んだ。 外から聞こえる爆音すら、二人にはどこか遠い世界の出来事のようだった。 静まり返った空気を破るように、椅子の手摺をドンッと叩く音が響いた。 「馬鹿者が!貴様がそんなウジウジした男だとは思わなかったぞ!」 怒号に似た声で部屋を震わせたのは、オアシス団の幹部の一人・煉獄マガネだった。 「ぎ、議長〜ちょっと言いすぎじゃないっスか〜?」 慌ててなだめようとするのはUK-2号。 隣のパートナー・サンドヤンマモンも、翅をばたつかせながら視線を泳がせていた。 「そうヨそうヨ!男なんてちょっと弱いくらいのほうが可愛いものなのヨ!」 シンドゥーラモンが頬をふくらませて反論する。 「オバチャンも若い頃は─」 「ええいっ!お前の長話に付き合ってられるかぁ!!」 マガネが再び怒鳴るが、シンドゥーラモンは止まらない。 「でね、その時の彼がそう言ったのヨ!」 「喧嘩してる場合じゃないのは貴女もわかってるんじゃないですか、煉獄マガネさん」 もう一人の幹部、リサ=ルドギーが落ち着いた声でその流れを絶った。 「ちっ、リサか…そんなことはわかっている」 マガネが言葉を詰まらせる。 「なら、素直に"待ってるから早く来い"と伝えればいいだけです」 「だ、黙れ!行くぞシャウトモン!お前たちもついてこい!」 顔を真っ赤にしながら、マガネは団員を引き連れて飛び出していった。 「ふう…お騒がせしました」 リサは深いため息をつくと、壁際に視線を向ける。 「そろそろ偵察に出た団員たちが戻ってきます。避難者の保護も兼ねて、私はこちらを」 まだ自分語りを続けるシンドゥーラモンを連れ、リサもその場を後にした。 「…俺さ、ずっと死ぬつもりだったんだ。でも、そんな度胸もなくてさ…」 部屋にはシュウとすみれだけが残った。 僅かに静寂を取り戻したその場所に、ぽつりと言葉が落ちる。 「リョースケ、タカアキ…誰も救えなかったのに、俺だけが生きてるなんておかしいだろ」 その声音はひどく穏やかで、逆に痛々しかった。 シュウは指先で自分のこめかみを押さえ、かすかに笑う。 「けどさ…戦って、誰かを助けて、姉さんやユキアグモンとバカみたいなことで喧嘩して─いつの間にか、少しだけ"楽しい"って思ってたんだ」 彼の瞳には涙はなく、代わりにひどく静かな絶望があった。 「夢を見てるみたいで、楽しかった」 そこには、オアシス団との騒動や同級生との再開もあった。 「死ぬつもりでいたのに、生きたくなる理由ができちゃったんだ。そんな意気地無しで、嘘つきの俺を神様が見逃すはずない─だから罰がきたんだ」 「罰…って、ミヨちゃんがデジモンイレイザーだった事を言ってるの?」 シュウは自嘲するように、短く笑った。 「妹に拒絶されて、"理想の兄"なんて上位互換が現れて……結局、俺がどれだけ足掻いても、全部間違いだったんだよ」 「私も実際に見たからわかる…あの子の様子は間違いなくおかしかった。でも、それはなにかあるのよ…ね?」 すみれはシュウの手に触れようとするが、躊躇ってしまう。 「前に、ゆらぎさんに言ったんだ─"夢は覚めなきゃいけない"って」 「それが、今なんだ。だから、一番つらい方法で俺に現実を突きつけて…いつか見た夢を終わらせたんだ」 低く、かすかに震えた声だった。 「タカアキはさ、明るくて、真っすぐで、誰かを引っ張っていける奴だった。何をしてても、あいつは光ってた。俺はその背中をずっと追ってたんだ」 シュウは膝の上で、指先を強く握る。 視線は遠く、誰もいない窓の外を見つめていた。 「でも─あいつはいなくなった。この世界から、俺が……奪ってしまったんだ」 「だからそれは…いえ…」 すみれが息を呑む。 反論の言葉を探して唇を開くが、何も言えなかった。 「だから、思ったんだ。俺があいつの代わりをやらなきゃいけないって。誰かを救って、誰にも悲しい思いをさせない"理想の人間"になって。それが、せめてもの責任だって」 わずかに笑った。乾いた、苦い音だった。 「次は絶対に失敗しないように、"全ての理想"にならなきゃってさ。誰かの光になれば、誰も傷つかない─そう思い込もうとしてた」 すみれは拳を握る。 彼の言葉が、痛みのように胸を刺していた。 「弱音なんか吐くな。迷うな。頼るな。泣くな。負けるな。悲しむな…それこそがみんなのための俺だから」 短い沈黙。 外で風が鳴り、割れた窓を揺らす。 「でも、そんなの結局"嘘"だったんだよ」 シュウはゆっくりとソファに倒れこみ、天井を見た。 「本当は、怖かっただけだ。誰かを失って、誰かを傷つけて…最後には、自分が傷つくのが」 「俺はどうしようもない嘘つきで、臆病で、自己中心的な人間なんだ」 すみれは言葉を探すように彼を見つめた。 何を言えばいいのか、どんな言葉なら届くのか─答えは見つからない。 ただ、時計の秒針だけが静かな部屋に響いていた。 その音が、まるで二人の間の境界線を測るように刻まれていく。 目の前の男は、かつてどんな敵にも臆さず笑っていた。 その笑みを、いま自らの手で否定している。 「…祭後くん」 彼女がそっと名を呼ぶ。 シュウは視線を落とし、指先を見つめた。 「やめてくれ。俺は、誰でもない失敗作だ」 淡い光が差し込む窓の外で、まだ戦火の煙が揺れていた。 静寂が訪れるたびに、遠くの爆音がかすかに聞こえる。 その音がまるで、彼の心の中で何かが崩れていく音のように響いていた。 「…でもさ、俺にも、希望みたいなもんはあったんだ」 シュウは小さく笑い、うつむいた。 「ユキアグモンだよ。アイツは意地っ張りでアホで、案外ビビりだけど…それを隠さない。逃げもしない」 「まっすぐで、どうしようもなく正直で…でも、そういうところが俺の欲しかったもので…失ったもので…"最強だった頃の俺"なんだ」 その声はかすかに震えながらも、どこか温かさを帯びていた。 すみれが言葉を探す間に、シュウはゆっくりと手首のデジヴァイス01を外した。 反射する光が、彼の掌の上で心臓のように明滅する。 「だから、そういられなくなった俺は…いちゃいけないんだ」 シュウはかすかに笑った。 「友達一人すら守れなかった俺なんて、もう必要ない」 彼はそのまま、デジヴァイスをすみれの手に押しつける。 「ユキアグモンを頼む。あいつには…情けなくて卑怯な嘘つきより、もっと相応しい相棒がいる」 「それが誰かはまだわかんないけど…こういうの、姉さんが一番頼れるから」 静かな声の奥に、あらゆる痛みと覚悟とほんのわずかな優しさが滲んでいた。 すみれは思わず歯を噛むと、シュウから押し付けられたデジヴァイス01を強く握り締めた。 そのまま口を開こうとした瞬間、ユキアグモンが声を上げた。 「─なに言ってんだよッ!シュウ!!」 その声は、怒りというよりも悲鳴に近かった。 「お前…起きてたのか…」 「オレはお前のパートナーだぞ!勝手にお前にすんなッ!!」 「─俺は!お前を思って…いや、違うか……」 シュウはうつむき、言葉を濁した。 その一瞬の迷いが、ユキアグモンの瞳に決定的な怒りを宿す。 「逃げるな!オレに逃げるな!シュウ!!」 シュウは終始ずっと逃げてた。 親切な、便りがいのある人間を演じながら自分が傷つかないために昔の自分に逃避していた。 そして、自分がどうしようもない人間だという自覚を持っているが故に、背を向けて走り出したユキアグモンに手を伸ばせなかった。 白い影はとめどなく変わる空の戦場へと飛び出し、姿を消した。 「……なんにも、なくなっちまったな。いや、最初から、なかったんだ」 その瞬間、頬に衝撃が走る。 視界がわずかに揺れ、熱が伝わる。 すみれの拳だった。 「─ふざけないでっ!」 彼女の声は怒号ではなく、泣き声のように震えていた。 「理想、理想って─あなたの言葉を聞いてると、まるで神様にでもなるつもりみたいじゃない!」 すみれは叫び、倒れ込んだシュウに歩み寄る。 「神なんかじゃないッ!」 反射的に、シュウは声を張り上げた。 その響きが部屋に残響し、やがて静寂が戻る。 ─脳裏に、光が差す。 初めて出会った日の、タカアキの笑顔。 懐かしい記憶、楽しかったあの頃。 夕空の一番星と、彼の声が重なった瞬間。 「……光だ」 ぽつりと、シュウは俯いたまま呟いた。 その声は、自分自身を罰するように小さく震えていた。 「エテモンも、サンゴモンも…犠牲になってきたみんなが持っていた、小さな願いを、正義を、生きていた証を、この世界に残すために止まるわけにはいかなかったんだ…!」 すみれの喉が詰まる。 「それは、それは…ただ一人の人間が背負えるものなんかじゃない…!」 彼女はその場に崩れ落ち、溢れそうな涙が光を反射する。 「…私ね、警察向いてないなって思ったの」 もう戦いは嫌だと話す人物、恋人を亡くしおかしくなっていく人物─すみれの脳裏に、かつての仲間とのやり取りがフラッシュバックする。 涙を拭いながら、ぽつりとすみれは言った。 「誰かを助けたい、助けたいって思うのに……大人の事情やしがらみが、それを簡単に許してくれなくて」 「世界を救えたあの頃とのギャップが辛くて…私、なんもなくなっちゃってた」 「そんなことない」 シュウは、かすれた声で答える。 「生真面目な姉さんには天職だと思う。竜崎さんとか、頼れる仲間もいる」 ─それは、以前にも聞いた言葉だった。 すみれは思わず、眉尻を下げながら柔らかく笑う。 「それ、前も言われた」 「だからその時と同じ言葉で返した。気持ちは、変わらないから」 「うん…その言葉を聞いてね、また頑張ってみようって思えたの」 すみれの脳裏に、いつかの会話がよぎる。 「でも、ちょっと違うわ」 「何が…」 「"俺もいる"…貴方はそう言ったの─そんな事言える祭後くん、実は羨ましかったのよ?」 「…」 「なんにもしなくていいはずの貴方が、自分の足で立ち向かって…ボロボロなのに笑いながらみんなと帰ってくるの」 シュウが仲間と笑い合いながら帰ってくる姿を思い出し、苦笑いが零れる。 「それは、ただ……前に進むしかなかったからで」 「だからね」 すみれの声が少し震えた。 「それを言ってほしかった。辛いって言ってほしかった。泣いてほしかった……」 「何を言われても変わらないよ…俺に、そんな資格はない」 うつむくシュウの肩を、すみれは強く掴むと大きく息を吸った。 そして、絞り出すように叫んだ。 「貴方の戦いで人生を変えられた人がいるの!貴方のせいで頑張ろうって思えた人がいるのよ!」 「それは……嘘つきな俺が言った、その場しのぎの言葉でしかない!」 シュウの声も荒れる。 彼が押し殺してきた感情が、ようやく牙を剥いた。 「でもそれは!その人にとっては本当のこと!それは──私のこと!!」 「そんなの……ッ!」 「だから私に、全部言いなさいよ!」 すみれは大粒の涙を流しながら、震える声で言葉を紡いだ。 「痛みも、嘘も、悲しみも、喜びも……全部!貴方と共有していきたいの!」 「貴方が一番辛い時に、近くにいてあげられなかった…でも!今はここにいるの!」 ゆっくりと上げられた彼女の瞳には、確かな決意が宿っていた。 「だから──、私からも言うわ」 彼女の真の通った声が、静かな空気を震わせる。 「逃げるな。祭後終」 何度目かの、沈黙が落ちた。 泣き腫らしたような赤い目のまま、シュウは俯いていた。 唇が震えて、何かを言おうと──声にならない。 すみれは動かずに見つめていた。 彼が、何かをこらえていることを知っていた。 「…っ」 一滴の涙が、彼女の拳の上に落ちた。 シュウは、堰を切ったように大声で泣き出した。 「悪かった…悪かった…!本当に…!」 「貴方は昔から嘘が下手なんだから。無理してるの、バレバレよ」 すみれが泣き笑いの声で言う。 「それは…お前の察しが良すぎるんだろぉ……」 しゃくり上げながら答えるシュウの顔は、涙と鼻水と笑いでぐちゃぐちゃだった。 すみれはそんな彼を見て、涙をこぼしながら笑う。 「ふふ…ホントに情けない顔してるわね」 それでも、彼の手首をそっと取って─デジヴァイス01をしっかりと巻き戻した。 「……俺は、行くよ」 シュウは嗚咽の余韻を残したまま、ゆっくりと立ち上がる。 「俺たち、でしょ?」 すみれも立ち上がり、ポケットから自分のデジヴァイスを取り出した。 「えっ!これオバチャンも行くの!?」 こっそり様子を見ていたシンドゥーラモンが、びくりと体を起こす。 ・07 空は焼け焦げたまま、地平線の向こうまで赤く染まっていた。 瓦礫と灰の上、戦士と光竜がぶつかり合うたび、夜空が閃光で裂ける。 「っ……まだ行けるだろ!」 シュウが落としたゴーグルが首には下げた正義が、突風を浴びながら息を荒げる。 ジャスティモンはわずかな迷いもなく飛び上がり、拳を突き出した。 電撃を伴った衝撃が、シャイングレイモンの胸部を撃ち抜く。 だがその巨体は僅かに揺れただけで、逆に拳を打ち返してきた。 ジャスティモンが空中で迎撃の構えを取ったその瞬間─背後から、何者かの光線が背中を撃ち抜いた。 「ぐうっ─!?」 衝撃で体勢を崩したジャスティモンに、シャイングレイモンの拳が直撃する。 その身は屋上から地上へ叩き落とされ、ビルの内部を連鎖的に爆ぜさせた。 粉塵を切り裂きながら、巨大な獣の影が降り立つ。 【ヴェノムヴァンデモン:究極体】 「ゲゲゲェ…デジモンイレイザー様のためにぃ…ッ!」 無数のヴェノムヴァンデモンが、赤い瞳をぎらつかせながら空を埋めた。 「究極体─なるほど、閉じきれていない時空の穴から溢れているのか」 正義は周囲を見渡しながら呟く。 究極体が存在することで時空の穴が開き、そこから現れた究極体が更に時空の穴を増やしていく…。 空から次々とヴェノムヴァンデモンたちが降り注いで来る様は、世界最後の日のようであった。 「ふふ…絶望的だね。でも、マサヨシとまた一緒に戦えて僕は嬉しいよ…!」 ジャスティモンは満身創痍の立ち上がると、笑いながら拳を構え直した。 ヴェノムヴァンデモンたちの眼が一斉に輝く。 シャイングレイモンも、光を収束させながら攻撃体勢へ移る。 その時─いくつもの光が飛来してシャイングレイモンを撃ち抜いた。 それと同時にヴェノムヴァンデモンの股下を青い光が素早く駆け抜け、膝を突かせた。 続いて地中から現れた青黒い鎖が、ヴェノムヴァンデモンの体に絡むとその動きを封じる。 崩れたビルの瓦礫の上から、拡声器を片手にしたマガネの高笑いが響く。 「どうだ見たかぁ!私の的確な攻撃指示っ!」 「いやぁ〜やりましたね〜議長〜!」 UK-2号がゴマを擦るように拍手を送る。 「遅かったんじゃない?お姉さん」 物陰からカノンが姿を現す。 その横には、鋭い影─ディノビーモンが舞い降りた。 ヴェノムヴァンデモンを膝つかせたのは、彼の一撃だった。 「うるさいぞ小娘!主役とはな、遅れて登場するものなのだ!」 マガネは拡声器を握りしめ、高笑いを辺りに響かせる。 「すげぇことになってるぜマガネぇぇーっ!!!」 拡声器の音量に負けない大声で吠えるのは、マガネのパートナーであるシャウトモンの進化形・ヴァーミリモンだ。 空に開いた時空の穴からはなお、無数のデジモンが溢れ出していた。 ジャスティモンは飛び上がって腕をアクセルアームに変えると、巨大な電撃弾を放った。 それは一直線に拘束されたヴェノムヴァンデモンを貫き、爆煙を上げる。 続いて、空から落下してきたグラウンドラモンがその大きな翼拳で別のヴェノムヴァンデモンの顔面を叩き砕いた。 致命傷を受けた敵にターゲットを変えたオアシス団たちは一斉射撃で追撃を行い、デリートする。 正義は突然の援軍に、思わず振り返る。 「なっ…なんなんだこの連中は……!?」 軍服姿の騒がしい女、貴族風の男、子供服を着た成人女性、全身タイツ、忍者、ボクサー─。 狂気と混沌の見本市とも言えるその光景に、流石の正義も絶句するしかない。 「元気な奴らだよな。アイツも、シュウの知り合いらしいぜ」 絶句する正義の隣に、相原浩介が苦笑しながら立った。 「お前は確か…」 「ま、今は味方同士ってことで。な?」 「おまたせ、コースケ」 浩介はかつての確執など忘れたように、D-3を持つ手を軽くひらひらさせた。 地下から鎖を放っていた浩介のバートナー・デプスモンが顔を出すと、チビモンへとアーマーを解除した。 正義は首から下ろしていたシュウのゴーグルに視線を向けると、顔を上げた。 「貴様たちは一般人どもの避難をしてこい!ここは私たちに任せるんだなァ!!」 マガネはオアシス団の面々に指示を出すと、クロスローダーを構えた。 「仲良くするのはいいが、さっさと行くぞ!」 「は?なんでおじさんが仕切るのさ」 ジョージの言葉に生意気な笑みを浮かべると、カノンもデジヴァイスicを構える。 次の瞬間、光が四方で爆ぜた。 「──グラウンドラモン、エクスバンド・エヴォリューション!」 ジョージの気合いが、大地を揺るがす。 身体がうねり、鉄壁の要塞竜・キャノンドラモンが大地を揺らす。 「──チビモン、アーマー進化!」 浩介の奇跡を信じる思いが、黄金の鎧となる。 全身に貼り付いた金色から熱が放たれ、奇跡の輝き・マグナモンが戦場に降り立つ。 「──ヴァーミリモン、超・進化ァ!!」 マガネの絶叫が轟き、炎が背を包んだ。 辺りを照らすほどの赤を振り払うと、紅蓮の竜王・ドルビックモンが猛々しく吠えた。 「──ディノビーモン、デジソウルチャージ…オーバードライブ!」 カノンの自信に溢れた声が最後に響いた。 降り注いだ黒い稲妻を破裂させ、赤眼の黒虫王・グランクワガーモンがその翼を広げた。 戦場の空気が一変した。 空に散る様々な色に輝く光の残滓が、まるで逆転の狼煙のように輝いていた。 「─行こう!」 現れた四体のデジモンに、並び立ったジャスティモンの声が焦げた風を裂く。 五体の影が一斉に駆け出し、夜の残光を切り裂いて敵陣へ突入した。 【グレネードストーム】 キャノンドラモンの胸部砲門が唸りを上げ、乱射された爆弾が閃光と爆煙をまき散らしながら敵群を薙ぎ払う。 炎と衝撃の奔流が瓦礫を吹き飛ばし、焦げたアスファルトの上に灼熱の風が渦を巻いた。 その熱風を突き破り、グランクワガーモンが雷光の尾を引いて飛び込む。 【デッドリーシックル】 帯電した顎がギチチッと高音を立て、シャイングレイモンの胴を切り裂かんと迫る。 だが─シャイングレイモンはその顎を手の甲で受け止め、金属と甲殻が悲鳴を上げるほどの力で押し返した。 「はーっははははっ!ここを通りたければ俺を倒してみせるんだなぁっ!!」 咆哮と共に、ドルビックモンが地を叩く。 【バーニング・ザ・ドラゴン】 拳が地面を貫いた瞬間、大地の下から爆ぜるように土の柱が立ち上がる。 それは地を這って次々と立ち上ぼり、迫るイレイザー軍の群勢を次々と空へ弾き飛ばした。 【マグナムキック】 上空ではマグナモンが金の光を連れながら、吹き飛ばされた敵へと連撃を叩き込む。 各部のブースターが唸り、光の弾丸のように空を駆け抜けた。 「……面倒な」 "理想の兄"は気怠げに頭を掻くと、指先を軽く払った。 【シャイニングブラスト】 シャイングレイモンの翼が大きく展開すると、灼光を放って空間を揺らした。 瞬間─即座に手を返し、光竜は黒虫王の顎をグッと握る。 その翼から放たれる焔を推進力に変え、掴んだままのグランクワガーモンごと弾丸のように飛び出した。 爆発音と錯覚するほどの衝撃が街を貫く。 電車が弾かれ、駅が崩れ、周囲のビルの外壁が波打ち、グランクワガーモンはデパートの外壁に叩きつけられた。 顎の拘束がわずかに緩んだ瞬間、シャイングレイモンは膝を跳ね上げた。 金属と骨が軋む鈍音─グランクワガーモンの巨体はそのままデパートの中へ叩き込まれ、構造ごと軋みながら沈み込んでいった。 「んだよアイツ……祭後のおじさんとそっくりじゃんか!」 カノンが叫ぶ─だが、その"そっくり"は顔だけの話ではなかった。 あの日、シュウと初めて出会った戦いが脳裏によみがえる。 攻撃を手の甲で正確に受け止め、相手の隙を突いて反撃する…まさに、祭後終そのものの戦法だった。 「お兄ちゃんなんだから当然でしょ?そんなこともわからないんだ……ははっ!」 ミヨは目を細め、楽しげに笑う。その笑みは残酷なほど無邪気だった。 「もしかしてアレが、おじさんの言ってた妹ォ?ずいぶんナマ言ってくるじゃん」 カノンの声が呆れ混じりに跳ねる。 「洗脳とかなんかされてるらしいぞ!うっかり殺すんじゃないぞ、小娘ェ!」 拡声器越しにマガネの怒鳴り声が飛ぶ。 「了解──でも、コレは容赦できるモンじゃない!」 カノンの瞳が鋭く光る。 「というワケで─やれぇい!ドルビックモン!」 マガネの指示と同時に、ドルビックモンが大きく踏み込んだ。 両手から放たれた熱波が空気を裂き、シャイングレイモンたちへと迫る。 「マグナモンも援護だ!」 【プラズマシュート】 マグナモンが纏った鎧の各部が開き、大量のミサイルがバラ撒かれる。 シャイングレイモンは一瞬で飛び退き、翼から放った光線でミサイルを全て打ち落としてしまった。 やがて空中で両腕を打ち合わせ、構えを取る。 ゆっくりと両腕を広げていくと、その間に膨大なエネルギーが生まれ、辺りの光と熱が奪われていく。 世界の色が沈んだ。 炎、陽光、街灯の光までもが吸い込まれ、音が遠のく。 やがてそれは、ドルビックモンの放った熱すら取り込み始めた。 「げぇっ!?敵に塩…いや、炎を送るとはこんの馬鹿者!!」 「うおおおおいっ!?お前が言ったんだろォ!!!」 マガネとドルビックモンがうるさい叫び声で応酬する。 「コースケ、オレが行く!」 「いや─あれは光を吸ってパワーを貯めているんだ!何か策を練らないと…!」 マグナモンが時空の穴を一つ閉じ、振り向きざまに浩介へ叫ぶ。 バリアを展開しようとするが、浩介は首を振った。 「だったら俺たちで─っ!」 キャノンドラモンが砲塔を回し、弾丸を撃ち込む。 だが、その軌道に身を投げたイレイザー軍のデジモンたちが次々と弾を受け止めた。 さらにはキャノンドラモンの足元に群がったデジモンが装甲を這い回り、弾道を逸らしていく。 「どけぇッ!」 ジャスティモンが腕をクリティカルアームに変化させ、放たれた光波でそれを一掃する。 鉄と肉が弾け飛び、火花が夜空を染めた。 「マサヨシ、アレは僕が受け止める!」 「ダメージが蓄積しているお前じゃ持たないぞ!」 その喧噪の中、"理想の兄"はただ静かに指を下に向けた。 その仕草は、処刑の合図のように無感情だった。 「─終われ。お前たちも」 【グロリアスバースト】 ・08 シャイングレイモンの胸部が光に灼け、世界が一瞬、白に塗りつぶされた。 熱と閃光が融合して放たれた一撃は、天の裁きが行われたかのように地に注がれる。 着弾地点から大きな爆光が膨れ、夜が焼け崩れる。 だが、その閃光はシャイングレイモンの放ったものだけではなかった。 爆発の中心で、二対の影が火花の中から姿を現す。 咆哮する双竜が、口から放つ灼熱で光の激流を押し返そうとしていた。 空が一瞬にして赤一色へと変わり、地平を舐めるように熱波が広がっていく。 その余波だけで光への耐性を持たぬデジモンたちは身動きを奪われ、ただ光の奔流に膝をつくしかなかった。 「ダイナモン!押し負けるなよ!」 「ラストティラノモン!俺たちも負けてらんねぇよなぁっ!!」 衝突する灼熱と灼熱、唸りを上げる巨大な竜─やがてすべての熱は互いを喰らい尽くし、消えた。 「うえ〜あぶねー、あぶねー。ビビったぜマジ」 「ヤスヒコ、大丈夫?」 ラストティラノモンの肩に跨がった猿田ヤスヒコは、全身から汗を流しながら笑ってみせる。 額を拭って息をつく仕草に、ほんの一瞬の安堵が混じっていた。 「協力、感謝する。後は俺たちで─そう言いたいが…」 「大吾、こりゃ分が悪そうだギャ」 ダイナモンの頭で風を受けるのは、電捜課の刑事・竜崎大吾。 シュウとはよく対立するが、頼りがいのある巨漢だ。 竜崎とダイナモンは一面の戦場を見渡す。 イレイザー軍の数は減ったとはいえ、未だに多く、 街の各地では電捜課の仲間たちが次々とパートナーを進化させては、避難所や市街を守っていた。 そこへオアシス団・一般のテイマーまでもが防衛戦に加わり、町は秩序を失った混沌の海と化していた。 「竜崎大吾、か」 光の板に立ち、戦場を見下ろしていた"理想の兄"が、低い声で名を呼んだ。 「─祭後終、ではないな」 「そうだ。あんな"失敗作"と一緒にされたくはない」 その声は冷たく、何の感情もなかった。 次の瞬間、ダイナモンが地を蹴る。 閃光の残滓を切り裂きながら、その尾がしなやかに弧を描いた。 それはシャイングレイモンの拳よりも速く、鋭く顔面を捉えた。 衝撃波が走り、巨体が音より先に空気を裂いた。 【ヴォルケナパーム】 ラストティラノモンは連続で溶岩を打ち出し、追撃を行う。 シャイングレイモンは受け止めようとするが、ダイノモンが組み付いてそれを邪魔する。 溶岩弾は見事に直撃し、光竜の動きを怯ませる。 「よし、今のうちに体勢を立て直すよ!」 カノンの声に瓦礫に埋もれていたグランクワガーモンが反応を示す。 デパートの崩れた壁を突き破り、ゆっくりと身を起こす。 黒鉄の羽が震え、落ちた破片を一瞬で吹き飛ばした。 「確かにアイツは完全とはほど遠い──」 正義はマフラーを強く握りしめる。 「だが、俺が心を動かされたのはその"甘さ"、その"不完全さ"だ!」 風が鳴り、七つの影が一斉に前へ躍り出た。 指示の声と、デジモンの雄叫びが重なる。 「キャノンドラモン!」 【ダイナ・キャノン】 キャノンドラモンの胸部砲塔が開き、最大出力の砲弾が白光を曳いて放たれる。 「グランクワガーモン!」 【ディメンションシザー】 黒雷を帯びた顎が力強く閉じられると、空間まで雷光を伴った亀裂が一気に伸びた。 「ジャスティモン!」 【アクセルアーム】 背中のパーツが回転し、切り替えられた腕部から真っ白なプラズマが一直線に迸る。 「ダイナモン!」 【バーニングエンド】 全てを焼き尽くすような焔が爪から放たれ、空を赤く染めながら突き進む。 「ドルビックモォン!」 【ドラゴンブレストニックファイア】 重い音を立てて胸の炉心が開くと、凝縮された紅蓮が解き放たれる。 「マグナモン!」 【エクストリーム・ジハード】 奇跡が産み出した黄金の輝きが極点に達し、天を貫く光柱が戦場を照らす。 「ラストティラノモン!」 【テラーズクラスター】 背の砲塔が唸りを上げて起動し、紫電を纏った弾頭が撃ち出された。 ─そして七つの閃光が交わり、一本の巨大な光線へと収束した。 世界の色が赤く、黄色く・黒く・紫に…そして、白く染まった。 轟音、爆炎、空気のねじれ─あらゆる力が交錯し、視界が白に呑まれていく。 強すぎるエネルギーに空間そのものが悲鳴を上げ、目に見えるほどの亀裂が走る。 やがてガラスのような破砕音が響いた瞬間、空間が砕けた。 裂け目から放たれた眩い光が世界を引き裂き、八体の究極体デジモンたちはその中に飲み込まれていた。 現実でもデジタルでもない異空間は、シャイングレイモンに直撃したエネルギーでさらに歪みを拡張させていく。 焼けた鉄、オゾンの匂い、広がる異空間…やがて大きな爆発が起こった。 閃光は太陽をも凌ぐ白で、世界を一瞬、昼にも夜にも変えた。 もしこの衝撃が現実に届いていたなら、消し飛ぶのが都市の一つや二つでは済まなかったであろう…誰もがそう確信していた。 そして─視界が戻ったとき、そこはもはや異空間ではなかった。 崩れた幾つもの高層ビル、骨組みしか見えないデパート跡、倒れた信号機、足元のアスファルト…そこは先程までの戦場・リアルワールドだった。 しかし─シャイングレイモンがいたはずの場所に存在していたのは、巨大な"炎の卵"だった。 それは呼吸するように脈動し、内側の光が皮膜を透かして滲んでいる。 ただの熱でも、ただのエネルギーでもない─何かが、そこから生まれようとしていた。 七体の究極体の攻撃をすべて呑み込み、なお崩れぬ灼熱の球体。 内部で渦巻く火焔が、心臓の鼓動のようにゆっくりと脈打っていた。 そして、その鼓動がドクンと強く鳴り─卵は破裂した。 爆風、閃光…押し寄せた衝撃に誰もが目を覆う。 やがて炎を振り払って現れたその影は、全身から陽光を思わせる輝きを放っていた。 それはまるで太陽の化身…灼けつくほどの光をまとい、世界を睨み据える存在。 【シャイングレイモン バーストモード:超究極体】 ・09 空気が震え、周囲の瓦礫が溶けていく。 次々とテイマーたちのデジヴァイスが赤く点滅し、聞いたこともない警告音が耳をつんざいた。 「……なんだ、あれ」 誰とも知れぬ声が、戦場の空気を震わせる。 「究極体から進化って、そんなの…ありかよ!」 ヤスヒコが顔を引きつらせ、ラストティラノモンの背で叫んだ。 「あはっ!諦めなよ!二度とお兄ちゃんの前に…私たちの前に現れないでくれれば見逃してあげるよ!」 卵の破裂で広がった余波は、周囲のデジモンたちをも襲った。 テイマーたちのデジモンは思わずその身を傾け、イレイザー軍の配下たち焦げたデータの塊となった。 ミヨが高笑いする下で、長期戦の疲労が重なったジャスティモンはついに腕を突いて倒れこんだ。 それは、卵から放たれた進化の余波に全身で立ち向かい正義を守ったからだった。 「へへ…マサヨシ、生きてるかい…?」 「ジャスティモン…すまない…!」 マグナモンが浩介と自身を守ったバリアを解き、ジャスティモンの元へ飛来する。 彼は赤く爛れた装甲に向かい、癒しの光を当てる。 「大丈夫かお前たち!」 「わるいね…キミも大変だうろに…」 ジャスティモンに言われた通り、マグナモンの鎧も金の輝きが鈍くなっていた。 「くそうっ…ドルビックモン!ここで下がったらオアシス団の名折れだぞ!!」 怯むドルビックモンの足元で、マガネの声が拡声器越しにやかましく響く。 その足元で地面が不穏に揺れた。 割れ目から、土煙をまとってニセドリモゲモンとグロットモンが姿を現す。 どうやら、地下から逃走用のトンネルを掘り進めてきたようだ。 「我々に折れる名前とか特にありませんよぉ〜!」 ニセドリモゲモンのパートナー、ニセコガンサクが呆れた顔でぼやく。 「生きているのが一番大事だぞ、議長」 グロットモン─いや、元人間のオアシス団員・河戸竜胆が、優しげな声で言った。 「アンタがそれ言うと、嫌な説得力あるわねぇ…」 ニセドリモゲモンが甲高い声で返すが、それでも誰も笑わなかった。 空に君臨する"太陽"の前で、希望という言葉が、まるで意味を失っていくのを全員が理解していた。 「ダイナモン、いざとなれば俺たちが殿だ」 「へへっ…当然だギャ」 ダイナモンは拳を握りしめ、自分の胸をバシバシと叩く。 闘志と共に両腕を覆う火焔がさらに熱を増していく。 「─不要だ。全員ここで消える」 冷ややかな"理想の兄"の声が響いたと同時に、シャイングレイモンBMが腕を振る。 拳に宿った炎が轟音を立て、空気が焼ける。 閃光─シャイングレイモンBMの拳が、光のような速さでダイナモンの頬を撃ち抜いた。 「ぐっ…まだだギャ!」 巨体が揺れる。 それでもダイナモンは食い縛り、爪を立てて相手の装甲を切り裂いた。 だが怯むことの無いシャイングレイモンBMは炎のアッパーでダイナモンの顎を弾いた。 今度はダイナモンが頭突きで迎え撃ち、金属と甲殻がぶつかり合って空気を震わせる。 「ダイナモン今だ!」 竜崎の声に呼応するように、ダイナモンは炎の輪を作り出した。 灼熱の鎖のようなリングが、彼とシャイングレイモンBMの足首を手錠のように結びつける。 二体は互いを縛り合い、もはや一歩も退けない。 シャイングレイモンBMは無言のまま、顔面に拳を叩き込んだ。 ダイナモンはのけぞる─が、炎の鎖がそれを許さない。 胴。鼻。顎。殴る。殴られる。殴り返す。 本能を丸出しにしてぶつかりに向かうダイナモンの姿に、ジョージが息を呑む。 「インファイトを強制してるのか…なんて戦法を…!」 「まだ終わってねぇギャァッ!!」 ダイナモンは反動を乗せて立ち上がる。 そして、振りかぶった拳をシャイングレイモンBMの胸部に叩きつけた。 連撃。連撃。連撃─そして、灼熱の渦が巨大な爪に宿る。 【バーニングエンド】 爪は光竜の胸に叩きつけられると、巨大な炎の柱が突き抜けて水平線まで届いた。 真紅の閃光が夜を裂き、シャイングレイモンBMの胸に亀裂が走る。 だが─その傷をものともせず、シャイングレイモンBMは逆に踏み込む。 足元の地面が砕けるほどの勢いで拳を突き出し、全身のエネルギーを叩きつけた。 轟音が空気が歪ませ、ダイナモンの巨体が光の粒へと変わる。 やがてその閃光が消えたとき、空から二つの影が落ちてきた。 ひとりは竜崎大吾。もうひとつは、ダイナモンから退化した小さなアグモン。 二人は地面へ真っ逆さまに墜ちて─落下する二人を、やわらかな風が受け止めた。 「お前は…祭後終のユキアグモンか!?」 「へへっ、そうだゼ!」 咆哮と共に地面を踏み砕いたのは、メタルグレイモンViだった。 並走する金竜の背に立つ小さな人影が、明るい声と共に手を振る。 「竜崎さーん!無事ー!?」 陽の光みたいに明るい声が、金の鱗を纏った神竜・ゴッドドラモンの上から響く。 厳城幸奈─その穏やかな笑みの奥には、戦場に似つかわしくないほどのまっすぐな光が宿っていた。 「アグモンくんも大丈夫?」 ゴッドドラモンから溢れる光の粒子がアグモンの傷を包み込み、修復する。 「おおっ、厳城さんのトコのお孫さんだギャ!」 目をぱちくりさせるアグモンを抱え、ゴッドドラモンはゆるやかに空へ舞い上がり、メタルグレイモンViの隣に並び立った。 (この混沌の中であれだけ落ち着いていられるとは…あの人の血は濃いな…) 竜崎はメタルグレイモンViの肩の上で、思わず苦笑を漏らす。 「ゴッドドラモン…!?」 「それより見ろよジョージ!あれ、シュウと話してた女の子だぜ!」 「なるほど─この世界のは"味方"ってわけか」 巨大なキャノンドラモンの背に座るジョージが、小さく頷く。 彼の脳裏に過るのは、自分たちの世界を支配した"悪のゴッドドラモン"の記憶。 だが今、目の前にいるのは─明るく手を振る少女を守る、気高い竜の騎士だった。 「そうなんよー。私たち、悪いことしに来たんじゃないんよー」 幸奈はジョージたちの方にも手を振り、微笑む。 その笑顔は混乱の渦中にある戦士たちの間に、わずかな安堵をもたらした。 「頼りがいがありそうだ」 キャノンドラモンが低く唸り、砲門を再展開する。 「祭後終はどうした」 竜崎の問いに、メタルグレイモンViは沈黙したまま俯く。 「シュウは……」 短く呟き、ここまでの経緯を震える声で語り出した。 「オレが一人で飛び出した時、避難所で人助けをしていた幸奈とべたたんがついてきてくれたんだ」 「……そうか。後は、あいつ次第だな」 竜崎は薄々と感じていたシュウの中に潜んだ知り、目を閉じて小さく息を吐いた。 「アイツは臆病者だ。二度と現れはしない」 空の上から、"理想の兄"が鼻で笑う。 「貴様に聞いてはいない─メタルグレイモン、俺に力を貸せ!」 「当然だゼッ!!」 咆哮と共に、メタルグレイモンViが翼を大きく広げる。 その体が閃光に包まれ、アルタラウスモードへと変貌した。 ただその動きだけで、焦げた空気が一気に吹き飛ぶ。 だが、空に浮かぶミヨはその光景を鼻で笑った。 「茶番ね。お兄ちゃんの嘘の眩しさに引き寄せられて……バカみたい」 「違うよ」 幸奈の瞳に、鋭い光が宿る。 「"眩しい"んじゃない─シュウくんは、眩しくあろうとしてるんよ」 「それがどうしたの?ただの嘘つきじゃない!」 「今は、わからなくてもいいんよ」 幸奈は優しい顔で微笑んだ。 「っ…!?」 ミヨは、幸奈の放つ空気にぞくりと身を震わせた。 幸奈の下で、ゴッドドラモンがその翼を広げる。 「さぁて…べたたん、もう一度世界を救っちゃうんよー!」 「幸奈。貴女の信じる光を、私が形にしましょう」 三体の竜が並び立ち、灼けた空へと再び立ち向かっていった。 ・10 「俺の戦い方は荒いぞ」 「んなこたぁ─知ってるゼェェェッ!!」 雷鳴を切り裂き、メタルグレイモンViがアルタラウスを展開。 レールガンの隙間から電撃が迸り、連射される雷弾が空を焦がしながらシャイングレイモンBMへ殺到した。 だが、シャイングレイモンBMは微動だにしない。 片手をゆっくりと伸ばすと、迫る電撃弾を最小の動作で弾き落とす。 その仕草はもはや"防御"ではなく、支配かのようだった。 背後に回り込んだゴッドドラモンが両腕を広げ、掌から光を生む。 【ゴッドキャノン】 投げつけられた白光の砲撃がシャイングレイモンを包み込む。 だが光竜の炎翼は爆ぜ上がり、その光そのものを焼き消した。 シャイングレイモンBMは屈みこんで飛翔姿勢を取る─刹那、上空で連続爆発が咲いた。 キャノンドラモンの援護射撃…グレネードストームだった。 高空への退避を阻まれ、炎の翼が煙に呑まれる。 「今!」 ゴッドドラモンが腕に神聖な炎を纏わせ、燃え盛る翼を掴んで押さえ込む。 【ブーストクロー】 同時にメタルグレイモンViのトライデントアームが閃光を引き、射出される。 シャイングレイモンBMは拳を振り抜き、鉄爪を逸らそうとする─が、ゴッドドラモンが全身でその動きを束縛した。 鉄爪は地面に突き立ち、巻き取られるワイヤーに引かれてメタルグレイモンViが突進する。 アルタラウスに青い電流が走り、装甲の隙間からエネルギーが噴き上がった。 【アルタブレード】 メタルグレイモンViは瓦礫を撥ね飛ばしながら地を滑り、炎と風を巻き上げながら突き抜けた。 エネルギーを帯びた刃が、シャイングレイモンBMの胸を正面から薙ぐ。 回避不可能の刃が、確かに直撃した。 しかし─甲高い音と共にアルタラウスは真っ二つに折れていた。 衝撃のまま転倒したメタルグレイモンViが、ビルに逆さの姿勢で激突。 砕け散る窓、鉄骨の悲鳴。竜崎は咄嗟にしがみつき、息を呑む。 「効かないよぉ!そんなもの!」 ミヨが嫌な笑みを浮かべ、遠くから見下ろしていた。 ビルにめり込んだまま、メタルグレイモンViはアルタラウスモードを解除する。 自切されたアルタラウスが地面に落ちると同時に、胸のハッチが展開すると無数のミサイルが発射された。 キャノンドラモンも続いて火炎弾を放ち、弾丸とミサイルの軌跡が交差する。 夜空に火線の網を描き、爆炎がぶつかり合う─寸前、空気が一瞬だけ歪む。 シャイングレイモンBMの姿が、炎の中から掻き消えた。 次の瞬間には、上空で閃光が弾ける。 「─ッ!」 あまりの跳躍速度に、メタルグレイモンViたちは誰もその動きを追えなかった。 【コロナスプラッシュ】 炎の翼が花開き、真紅のホーミングレーザーが降り注ぐ。 ミサイルも、火炎弾も、触れた途端に溶けてしまう。 焼けた空気が波打ち、世界そのものが燃え上がるようだった。 シャイングレイモンBMが爆音を引き連れながら地を踏みしめ、着地する。 焦げた大地を軋ませながら一閃の光となった光竜はキャノンドラモンへ向かった。 空気を裂く衝撃音─その速度は、もはや目で追うことを許さない。 ビルの壁を蹴り、メタルグレイモンViがそれを追う。 ゴッドドラモンとキャノンドラモンが横に並ぶと、息を合わせて射線を展開する。 【ゴッドキャノン】 【ホーリーキャノン】 聖なる弾丸が幾筋も、流星のように空を切り裂いた。 光る弾幕をシャイングレイモンBMは一瞬だけ動きを緩め、弾丸を拳で撃ち落とす。 爆光が花のように咲き、赤い空をわずかに白く染める。 「くぅらぁえええッ!!!」 【タイラントコルブラント】 ドルビックモンは吠え、手のひらから産み出した炎の剣を全力で投げ放った。 剣は空を裂き、ゴッドドラモンたちの間をすり抜けて迫るが、シャイングレイモンBMは首をわずかに傾けるだけでそれを避けた。 再び放たれたキャノンドラモンの砲撃を弾き飛ばすと、背後に迫ったメタルグレイモンViに向けて振り返った。 空気が震え、耳をつんざく金属音が響く。 「─取ったゼ!」 メタルグレイモンViは掴んだ炎剣・タイラントコルブラントを、そのままシャイングレイモンBMの首筋に叩き込む。 「問題ない」 "理想の兄"の静かな声と同時に、空気が爆ぜた。 シャイングレイモンBMの全身から放たれた爆炎が、メタルグレイモンViを吹き飛ばす。 その身体は弾丸のように宙を舞い、空中で迎え撃つ拳が迫った。 ギィン、と火花が散る。 メタルグレイモンViはタイラントコルブラントで受け止めるも、腕が軋む。 反撃に転じようとした瞬間─黒いスパークがその全身を走った。 「っ…!?」 突如メタルグレイモンViの体内に嫌な感覚が走り、苦悶の声と共に動きが止まる。 その隙にシャイングレイモンBMは容赦なく襲いかかった。 【シャインスラッシュ】 光の刃が幾度も空間を閃き、鋼の躯を裂いていく。 焦げた翼、砕けた装甲、散る火花─やがて放たれた最後の一閃が、地へと叩きつけた。 メタルグレイモンViは轟音とともに崩れ落ち、燃える街の地面に沈んだ。 その強さには、美しささえあった。 炎が揺れる軌跡さえ均整を保ち、剣閃が一条の光として途切れない。 だが─それはあまりに整いすぎており、戦いというよりも完成された儀式だった。 【デスキャノン】 キャノンドラモンの腹に備えられた砲口が暗黒に染まる。 奥で黒い閃光が蠢き、重低音とともに高圧の暗黒エネルギー弾が撃ち出された。 シャイングレイモンBMはその弾丸を正面から受け止める。 拳を握り、放った殴打の衝撃で弾丸を逆流させた。 暗黒の塊が軌跡を反転させ、撃った本人─キャノンドラモンの胸へ突き刺さる。 デスキャノンの爆発で砲口が捻じ曲がり金属の歪む音が鳴る。 「テラケルモンに埋められたダークマターの力がさらに強まっているな」 "理想の兄"は、誰に言うでもなく呟く。 その声には哀れみも驚きもなく、ただ観察者のような冷たさがあった。 メタルグレイモンViのアルタラウスモード─それは本来の限界を越え、ダークマターが無理やり引き出した"才能の擬態"にすぎない。 使用するほどにダークマターが全身に負荷を与えて体を蝕んでいくものだったが、シュウたちはそれを知らなかった。 仰向けに倒れこんだメタルグレイモンViの巨体が、ゆっくりと地に沈む。 その衝撃で竜崎の身体が宙へと放り出された。 「ぐっ…!」 転がりながらも竜崎は即座に受け身を取り、無傷で地に着地する。 大気を引き連れながら迫ったゴッドドラモンの打ち出した拳が、炎を纏ったままシャイングレイモンBMの顎を捉える。 だがその反動を読んでいたかのように、シャイングレイモンBMが反対の拳を突き上げる。 音が一瞬消え、衝突の中心で空間そのものが震えた。 「くぅうっ…!」 弾かれたゴッドドラモンの巨体が後退する。 その肩に乗る幸奈は突風に煽られ、思わず身体を伏せた。 焼けた風が彼女の頬を打つ。 吹き飛ばされまいと、必死に鱗へとしがみつく指が白くなる。 (まだ、終われないよ…!) 唇を噛み締める幸奈の眼に、突如影が落ちた。 その時─ラストティラノモンが上空から、隕石のような勢いでシャイングレイモンBMを踏みつけた。 咄嗟に右腕を突き出して受け止めた光竜だが…その衝撃は一瞬で地面を陥没させ、周囲の廃ビルをも吹き飛ばすほどの衝撃を辺りに放った。 ミシリ…それは小さな音だったが、赤い腕に細かな亀裂が走る。 「いけええーーーッ!!!」 ヤスヒコの叫びに呼応するように、ラストティラノモンの喉奥に灼熱の光が集束する。 次の瞬間、吐き出されたのは錆を撒き散らす灼炎。 【ラストブレス】 炎が触れた箇所から、シャイングレイモンBMの装甲が茶色く蝕まれていく。 錆びて劣化した金属が軋みを上げ、動力の響きが鈍る。 その隙に、ヤスヒコは叫び続けた。 「ブッ潰れろおおお!!」 だが、シャイングレイモンBMの左腕に紅蓮の渦が巻き上がる。 炎はそのまま形を変え、巨大な"炎の盾"となって腕に顕現した。 シャイングレイモンBMは腕を振り抜き、炎の盾を投擲する。 唸りを上げて回転する炎の盾は、のしかかっているラストティラノモンの背部を正確に撃ち抜く。 それは電磁砲を一瞬で切断し、ラストティラノモンはバランスを大きく崩してしまった。 「えっ─」 反撃の悲鳴が上がるよりも早く、シールドはさらに加速して空を裂く。 次に狙った目標は、背後に回り込んでいたゴッドドラモンだった。 「がはっ─!!」 爆風が走り、神竜の翼が焼ける。 二体の巨竜はほぼ同時に空から墜ち、轟音と共に地面を揺らして沈んだ。 「捨て身の行動とはやるじゃないか、ヤスヒコ」 "理想の兄"の低く、無感情な声。 そこに偶然はなく、すべては完成された計算式の上にあった。 彼は勝利するように設計された存在─理想という名の機械だった。 シャイングレイモンBMは全身に力を込め、天へと掌を掲げた。 頭上に出現した太陽が、彼の意志に呼応して膨張していく。 次の瞬間─それは、まるで"己自身を喰らう"かのように落下した。 灼光が空を焼き、衝撃波が大地を砕く。 光の中心で、シャイングレイモンBMはその太陽を両腕で抱きしめ、破裂させた。 炸裂とともに噴き出した熱が鎧のひび割れを焼き塞ぎ、崩れかけた装甲が音を立てて再錬成されていく。 焼けつく白光の中─その姿は、完全に蘇っていた。 八体の究極体…そしてメタルグレイモンViを前にしてなお無傷で立つのは、ただ一体。 その存在はもはやデジモンの形を借りた、厄災の化身だった。 だが絶望的な状況にありながら、その光景はなぜか美しかった。 ヒビ一つない完璧な鎧…それは、生と死の否定と同義だった。 ─そのとき、空の彼方から金色の閃光が飛来した。 焼けた風を切り裂き、広がるは炎の翼。 「ホウオウモン…鳥藤さんか!」 竜崎が叫ぶ。 その背に、二つの影が見えた─シュウと、すみれだった。 「ゔあぁっ、オバチャン腰がもうダメそうだワ!」 「ちょっ、ちょっと!?早すぎない!?もう進化解除なんて!」 ホウオウモンの身体がちらつき、羽根の輪郭が点滅を始めていた。 「…ここまで連れてきてくれただけで十分だ」 シュウは風を受け、微かに笑う。 「まずは、ちゃんと謝るのよ」 「やってみるよ。ちょっと自信ないけど 」 二人は短く握手を交わす。 すみれはその手を一瞬見つめ、そっと離すと─シュウの肩を軽く叩いた。 「行きなさい、祭後くん」 ホウオウモンは翼を広げ、再び加速する。 すれ違いざま、シュウは跳躍した。 風が叫び、シュウの身体は宙を舞い─次の瞬間、メタルグレイモンViの腹へと転がり込む。 その直後、ホウオウモンの身体が光の羽が散らせながら弾けてシンドゥーラモンへと退化した。 「ちょっとーっ!ニワトリは飛べないのヨーっ!!」 空中でじたばたしながら叫ぶシンドゥーラモンの足を掴み、すみれはどうにか地上へと降りていった。 騒がしい声が遠のいていく。 シュウはゆっくりと顔を上げ、メタルグレイモンViの頬装甲に手を当てた。 「メタルグレイモン…俺も来たよ!」 呼びかけに応えるように、機械竜の瞳がわずかに光る。 ─その向こうで、"理想の兄"が無表情に言った。 「来たか、出来損ない」 そして指先を軽く振る。 その仕草ひとつで、災厄の太陽が再び動き出す。 「ミヨ…ミヨはこれでいいの……?」 ミヨの背後に、ロップモンが怯えたように寄り添っていた。 「え?どうしたの?」 少女の瞳はあまりに澄んいて、逆にどこか空っぽだった。 「うーん…?怖がらせてごめんね。私、おかしくなってたの」 ミヨはロップモンを抱き上げ、ぎゅっと抱きしめた。 「お兄ちゃんにも酷いことして…でも、もう大丈夫」 ロップモンは唇を噛み、震える。 違う─治ってなどいない。 目の前の少女は、確かに"元に戻った"ように見えて、前よりも歪んでいるように感じられた。 兄を、町を、デジモンを焼き払う姿を前にしたロップモンは、祈るようにただミヨを抱きしめ返した。 ・11 メタルグレイモンViの胸の上に腰を下ろし、焦げた風の中でシュウは大きく口を開いた。 「俺は、自分が嫌で。もう傷つきたくなくて…そんな自分が、また嫌だったんだ!」 指先が震え、拳を握るたびに血が滲む。 「だから嘘をついて…それでまた自分が嫌になって…ずっと、それを繰り返してた!」 言葉が風に溶けて消える。 シャイングレイモンBMが手のひらに光を集め、メタルグレイモンViを押し潰そうと腕を振り下ろした。 「責任を言い訳にして、罪を逃げ場にして…自分の理想を全部押し付けけきて…お前を、一人で戦わせてた」 刹那─グランクワガーモンが弾丸のように飛び込み、シャイングレイモンBMの腹部へ体当たりを叩き込む。 遅れて爆発音が響き、突風が瓦礫を巻き上げた。 「よくわかんないけどさぁ─」 黒い羽音を響かせるグランクワガーモンの上で、カノンの声が空に割り込む。 「おじさんが泣くだけの時間は、稼いであげようかなってさぁ!!」 グランクワガーモンの翅脈が軋み、顎に稲光が走る。 【ゾーンブラックホール】 二つの顎の間に生まれた歪みが、シャイングレイモンBMを超重力に引きずり込もうとした。 「力を貸してくれ─もう、お前だけを戦わせたりしない!」 シュウは顔を上げ、涙を滲ませながら相棒の傷ついた装甲に触れた。 「オレは…シュウが嘘つきだなんて思わねぇゼ」 メタルグレイモンViの声が、軋む体の奥から搾り出されるように響いた。 各部の装甲は砕け、ノイズ混じりにデータが漏れ出している。 「だってよ…命賭けて誰かや、オレを助けてくれたんだゼ…?」 「オレはバカだからよ…それが本当のシュウとなにがちげーのか、わかんねぇ」 彼は起き上がろうとするが、地面を上手く掴めずに体を振るわせるだけで終わってしまう。 「そこまでやれる奴のどこが"偽物"だってんだ、なぁ?」 シュウの脳裏に、すみれの声がかすかに響いた。 (──"その人にとっては、本当のこと") メタルグレイモンViの瞳が輝きを取り戻す。 「もしそんなシュウを"偽物"だとか抜かすヤツがいたら─オレがブッ飛ばしてやる」 体内から黒いスパークが走り、メタルグレイモンViは呻く。 「ぐっ…だからオレはシュウが諦めるのを認めねぇ、"力を貸せ"なんて言わせねぇ」 ゆっくり、ゆっくりと起き上がったメタルグレイモンViは大きく翼を広げた。 しかしそれは、ズタズタに引き裂かれて飛ぶ力はもうない。 「だってよ、オレたちの力は合わせるモンだろ?」 「ああ…そうだったな…!」 涙を拭ったシュウは、いつものように自信に満ちた笑みを浮かべた。 瞬間、シュウの懐から青白い強烈な輝きが放たれた。 光の正体…それは今までも進化の可能性を産みだし、シュウたちを助けてくれていたナガト機関長から貰った謎の"石"であった。 黒いダークマターの光を飲み込み、青黒い閃光へと変わった。 爆発的な衝撃が辺りを包み、空間に次々と亀裂が走る。 やがてガラスのように砕けた空が、シュウとメタルグレイモンViの姿を異空間に飲み込んだ。 「メタルグレイモン、究極進化──ッ!!」 叫びと同時に、青黒い光が爆ぜるように膨張した。 その光は一瞬で卵のような形に収束し、内部から数回の鼓動が響くと爆裂する。 炸裂する殻の破片の間から、浮遊する巨大な影が姿を現した。 それはまだ形を持たぬワイヤーフレームの輪郭、0と1のエネルギーを孕んだ線の集合体。 ゆっくりと呼吸するように蠢く足元に、金のリングがひとつ現れる。 リングは静かに回転を始め、やがて速度を増して上昇していった。 回転の軌跡が光の柱を描き、影の全身をなぞるように昇る。 リングの内側から無数の鎧片が噴き出し、それらは流星のような軌跡を描いて影に次々と装着されていく。 ひとつ、またひとつ。 鎧が嵌るたびに、影は金属音を響かせながら形を確かにしていった。 装着が進むごとに影は一枚ずつ皮を剥がすように実体を露わにし、鋼と棘で覆われた異形のシルエットを現実化させていく。 鎧の装着が最頂部に達し、リングが消失した瞬間─影が息を吸い込むように胸を反らせる。 ユキアグモン・ストライクドラモン・メタルグレイモンVi─そのすべてが連続したビジョンとなって頭部に浮かび上がる。 そして、頭部を覆うバイザーが降り、内部で黄色い双眸が閃光を放つ。 蒼の竜の全身に黒いスパークが走った。 「うおおおあおッ!!」 雄叫びとともに右腕を掲げ、力を漲らせ、そのまま振り下ろす─。 「─ダークドラモンッ!!!」 異空間の裂け目を突き破り、黒き巨体が現実世界へと降り立つ。 ズドンっという音が鳴り、大気が震え、地が鳴る。 【ダークドラモン:究極体】 「……ダーク、ドラモン」 シュウは息を呑み、デジヴァイス01からうるさい音が鳴るにも関わらず、ただその姿を見上げていた。 その時、シャイングレイモンBMがグランクワガーモンの顎を押し返す。 歯と歯が軋む音…圧力の中心で、空気が震える。 金属のような甲殻に、蜘蛛の巣のような亀裂が走った。 グランクワガーモンの巨眼が一瞬そちらに向いた瞬間─シャイングレイモンBMはそのわずかな隙を逃さなかった。 顎を掴んで振り回すと、その巨体を地上のゴッドドラモンへと叩きつけた。 【ソーラーハンマー】 シャイングレイモンBMは両腕を天に掲げ、振り下ろす。 黒い雲が割れ、白金の光柱が地上へと突き刺さる。 大気を焼き地表を揺らすその一撃が、グランクワガーモンたちを飲み込もうとした。 だが─その光はダークドラモンの掌に受け止められ、そこで凍りつくように流れを塞き止められた。 その背後でグランクワガーモンの外殻が砕け、姿は縮むとディノビーモンへと退化する。 彼は落下しかけたカノンを掴み取り、翼を震わせながら空へ退く。 「ったく、おじさん遅いよ!」 「悪い。迷惑かけたな」 ダークドラモンの肩に跨ったシュウが、振り向きざまに短く返す。 蒼黒の竜人は手に力を込め、光の柱を抱き潰すように打ち消してみせた。 その光景を見た"理想の兄"は初めて声を荒げる。 「…ダークマターを、完全に制御した…だと?」 彼の声に宿るのは、驚愕か、恐怖か。 その感情の名を、誰もまだ知らなかった。 仲間たちの元へ、シュウとダークドラモンはゆっくりと歩みを進めた。 その足取りは重くも、確かな決意を孕んでいる。 「シュウくん……!」 幸奈が、目に入った塵を払うように眉を潜めながら呟いた。 「─あの時、俺は君に逃げろって言った。けど、君は逃げなかった。だから、俺も逃げない」 「祭後、忘れ物だ」 ゴーグルを首から外した正義がそれを投げると、シュウの手元へ一直線に収まる。 静かにゴーグルを装着したシュウが正義に親指を立てると、ダークドラモンは"太陽"にむかって進みだした。 「っしゃあ!こっからはオレたちの出番だゼ!」 幸奈とゴッドドラモンは、二人の背を見送りながら小さく微笑んだ。 「やっぱり…シュウくんなら大丈夫だったね」 「今の彼らなら状況を変えられるハズ…私もそう思います」 シャイングレイモンBMの前に、ダークドラモンが立つ。 「今のオレたちは、負ける気がしねぇゼ」 ダークドラモンは歯を見せて笑いながら、風を切るように低く声を響かせた。 赤光と蒼闇が戦場の中心で再び相対し、睨み合った。 「死ぬ準備はできたようだな。」 「ずっとしてきたさ…でも、それは今じゃない」 その瞬間、光と闇が弾けた。 シャイングレイモンBMとダークドラモン─互いの顔面には刹那の間に拳がめり込んでいた。 クロスカウンターの状態となり、同時に大きく反り返る。 シャイングレイモンBMの爪が白く閃光を帯びる。 対するダークドラモンの爪は、深紅と漆黒を混ぜたような輝きを放つ。 【シャインクロー】 【ブラッドクロー】 振り抜かれた瞬間、二条の光が交差して空間が裂けた。 一線ごとに大気が凪ぎ払い、熱と衝撃が奔る。 白と赤黒の閃光が連続してぶつかり合い、爪のぶつかり合う音が雷鳴のように何度も鳴り響いた。 「性能(ステータス)は追い付いたようだな。」 "理想の兄"が鼻で笑い、シュウのデジヴァイス01に数値が走る。 双方のDPを示す数値が高速で桁を増やしていき、拮抗するかのように赤と青で点滅していた。 「じゃあ、俺たちの勝ちだな」 シュウは眉間を親指で叩くと、不敵に笑った。 「シュウ、なんか決まったみてぇだな!オレは乗るゼ!」 ダークドラモンも牙を見せて笑った。 デジヴァイス01の画面には、連なる技の名が次々と浮かぶ。 ─ジゴワットレーザー、ストームドリルアロー、テリブルゲイズ、パワーチャージインパルス、ヘルカウンター。 「やりようはある!」 その一言で、ダークドラモンの動きが爆発的に加速した。 空を裂き、地を蹴り、光竜へと突撃する。 シャイングレイモンBMも即座に応じ、両者の拳が再び交錯する。 【シャインハンマー】 光を宿したシャイングレイモンBMの腕が、熱風を裂いて振り下ろされる。 【ダークスピリット】 闇の奔流が球となって生まれ、ダークドラモンの掌で脈動する。 振り下ろされた光と、振り上げられた闇─相反するエネルギーが激突した瞬間、轟音と共に爆風が吹き荒れた。 爆風が巻き起こるのとほぼ同時、シャイングレイモンBMは上空へと跳翔していた。 だが─そのさらに上を、ダークドラモンが取っていた。 影が光を覆い、降り注ぐ。 【バスターダイブ】 ダークドラモンは全身の重みを乗せて突撃し、シャイングレイモンBMは咄嗟に腕で防御する。 だが、全身を質量弾とした蒼黒の竜は赤熱する光竜をそのまま地面に叩きつける。 砂塵の中、マウントを取られたままのシャイングレイモンBMに、強烈な拳が降り注ぐ。 受け止める、弾く、防ぐ…止まらない勢いに対して"理想の兄"は的確に防御を続けさせる。 次の瞬間─ダークドラモンの手が顔面の直前でぴたりと止まった。 だがそれはフェイントではなく、掌の奥から青黒いオーラが滲み出した。 【スピードブレイク】 速度を奪う波動が空気を歪ませ、光竜の動きが鈍る。 その刹那─拳が再び閃くと、ついにシャイングレイモンBMの頬を撃ち抜いた。 「うおおおあああッ!」 【ダークスピリット】 再び闇の球を握りしめ、至近距離から叩き込む。 閃光と爆風が地表を裂き、空間に亀裂が走った。 「シャイングレイモンの技は、攻めの一手で戦いを支配する─」 光竜の装甲に大きなダメージが入り、その破片がシュウの横を通り過ぎる。 「相手の有利な場所で戦ってやる義理なんてない…俺たちは搦め手に走るだけだ」 シャイングレイモンBMの持つ技を見て、シュウは口の端を吊り上げた。 その目に迷いはもう無く、代わりに現実を焼くような決意が燃えていた。 「お前がそれを理解する時間も、余裕も無かったハズだ」 「普通はそうだ、普通はな」 シュウは指を立て、ゴーグルを指差す。 ゴーグルのレンズが光を反射し、閃光のように煌めく。 「コイツは俺のデジヴァイス01とリンクし、そのデータを送受信するのさ!」 そう言われた"理想の兄"はハッとし、正義がこのゴーグルを首から下ろしていたことを思い出す。 「お前、俺の癖に知らなかったのか?俺の最強の武器─仲間を!」 それは"理想の兄"が持たないもので、否定したものだった。 ゴーグルの無い額をわずかに歪めた表情は怒りにも似ていたが、実際には恐れだった。 【ファイヤーウォール】 シャイングレイモンBMは炎を爆発させ、スピードブレイクの嫌なオーラを焼き払った。 灼熱の奔流が弾け、衝撃波となってダークドラモンを吹き飛ばす。 わずかに爪の先を焼かれながら飛び退いたダークドラモンは、地面を滑りながら体勢を立て直す。 手を地面に突き立てると、滑走の軌跡が黒煙を上げる。 だが、己のスピードを殺しきれず背中からビルへぶつかってしまう。 硬質な衝撃音が街に響いた刹那、空気が裂ける音が走る。 ビシュンッ─高音が鳴り、眼前にシャイングレイモンBMが現れた。 炎を纏った脚が唸りを上げ、回し蹴りが残像を描く。 ダークドラモンも瞬時に身を翻し、同等の速度で後方に回り込み踵を叩き込む。 だが、それすらも瞬きよりも早く避けられる。 【スパイラルドライバー】 【スパイラルドライバー】 二体の竜が同時に高速回転し、光の残滓と闇の燐光が螺旋を描いて衝突した。 ガギッという衝突音とともに空間が軋み、互いに弾かれるように距離を取る。 空中で体勢を整えた両者は、地に爪を立て、再び睨み合った。 「俺は、完璧なお前だ…!」 "理想の兄"の声が、炎の中で凶器のように響いた。 「そりゃどうも」 シュウの声は、皮肉を纏いながらもどこか穏やかだった。 反応速度、パートナーの力、戦法…その中にある少しの"違い"がシュウにはわかったからだ。 【ジャッジメント】 シャイングレイモンBMが掌に集めた光を一点に束ね、巨大な光を鋭い板のような形に凝縮させる。 灼熱の唸りが戦場を震わせ、その光が振り下ろされた。 ダークドラモンは白羽取りのように、両手で正面から受け止める。 掌が灼け、装甲が軋む…瞬間、視界の端で閃光が弾けた。 ジオグレイソード─シャイングレイモンBMが足元のそれを追撃として蹴り放っていた。 ダークドラモンは体をひねり、光を全身で振るう。 流れるように体勢を回し、ジオグレイソードの軌道を紙一重で弾き落とした。 火花と光が散り、焦げた風が二体の間を裂く。 回避の余波が収まるよりも早く、シャイングレイモンBMがゼロ距離まで肉薄した。 腕から噴き上がった炎が形を変え、剣となって唸りを上げる。 連撃の炎刃が残光を描き、その一閃がダークドラモンを捉えた。 焼けた金属が弾け、アーマーの裂け目から橙の光が滲み出す。 痛みが電撃のように走り、焦げた装甲から煙が上がる。 ダークドラモンのアーマーは、背後で燃え立つ炎に照らされ紅く輝いた。 炎の剣が連続で振るわれ、青い装甲に次々と傷が刻まれていく。 受け止めようにも、その焔は陽炎のように形を変え、振るわれた拳をすり抜けた。 揺らぎのない剣筋が再び閃き、ダークドラモンの全身を斬り裂く。 それは、一手先どころか百手先まで読み切ったような"完璧な動作"─狂いなき制圧だった。 デジヴァイス01の表示が数値の減少を示し、シュウは焦りながらボタンを操作する。 ダークドラモンが苦し紛れに放った闇のエネルギーは、炎の盾に弾かれ町のビル群をなぎ倒した。 あの剣を打ち消す武器はないのか─シュウの視線が、ひとつの項目に止まる。 次の瞬間、デジヴァイス01から強烈な光が溢れだした。 シュウは反射的に画面へ手をかざし、その名を叫ぶ。 「ギガスティックランス・発動!!」 ダークドラモンがハッとして上空を仰ぐ─そこに、アルタラウスのワイヤーフレームが出現していた。 光の骨格は瞬時に形を変え、槍のような輪郭を描き、進化の時と同じく影が弾け飛ぶ。 金属の質量を得たそれは、注がれた雷の如く一直線に落下した。 蒼黒の竜は力強くその槍を掴み、構えを取る。 「力が…溢れてくる─こっからが本番だゼぇぇぇっ!!」 ダークドラモンが雄叫びを上げると同時に、背部の推進装置から四対の光翼が展開された。 青白いエネルギーの翼から噴き出す推進が、いくつもの廃ビルを貫く。 凄まじい衝撃波が周囲を薙ぎ払い、足元のテイマーたちは思わず身を伏せた。 軌跡すら取り残すほどの速度で、ダークドラモンは一気にシャイングレイモンBMへ肉薄する。 握りしめたギガスティックランスが突き出されるが、炎の盾が瞬時に構えられて銀の穂先を受け止めた。 「まだまだァッ!」 ダークドラモンは体を大きくひねり、槍の腹で殴るように横薙ぎに振るう。 二度目の衝撃が炎の盾を叩き、鈍い音とともに表面に亀裂が走った。 次の瞬間、その姿がかき消える。 超高速の跳躍…まるでテレポートのように上空へ飛び上がったかと思うと、全身の重量を込めて袈裟斬りの一撃を叩きつけた。 轟音─盾が粉々に砕け散り、その勢いのままシャイングレイモンBMの胸部装甲にも巨大な亀裂が刻まれた。 焦げた破片が宙に散り、火花が夜空に線を描く。 シャイングレイモンBMは呻き声とともに腕を広げ、瞬間的に膨張する高熱のエネルギー球を作り出した。 「アレはまずいぞ、シュウ!!」 灼熱の光に顔をしかめながら、浩介が叫ぶ。 それは先ほど、彼らが見た再錬成─炎で己の傷を焼き塞ぐ、"理想の兄"の完璧を象徴する技だった。 小型の太陽が弾け、世界を焼く閃光が走る。 だがその光が収まったとき、シャイングレイモンBMの胸には依然として亀裂が残っていた。 「いや…塞がってないぞ!」 マグナモンが呆然と呟き、その答えをシュウが告げる。 デジヴァイス01を掲げ、光を宿した瞳で笑みを浮かべた。 「ギガスティックランスには、"不死"に打ち勝つ力がある─」 荒い息の合間に、勝ち誇った声を絞り出す。 それに対し、シャイングレイモンBMと"理想の兄"はこれだけのダメージを受けてもなお一片の息の乱れもない。 炎の剣と盾が再生され、シャイングレイモンBMは再び構えを取る。 ドンっという音を遅れさせて格闘戦の距離に持ち込んだシャイングレイモンBMは、圧倒的な火力を叩き付けた。 両者の間に火花が散る─しかし、ダークドラモンは進化したばかりのその力をまだ完全に制御しきれていなかった。 速度も、出力も、あまりに急激に強くなり過ぎている。 振るうたびに生じる反動が隙となり、炎の刃がそれを正確に捉えていく。 まるで戦場そのものを理想通りに動かしているかのようだった。 鍔迫り合いの瞬間、ギガスティックランスの銀色の穂先が火花を散らす。 シャイングレイモンBMは剣を押し込み、勝負を決めに出た。 だが次の瞬間─ダークドラモンは槍を残してその姿を消した。 ほんの一瞬、"理想の兄"の意識が手放された槍に向いた。 完璧であるためには、全ての攻撃を制御し尽くさなければならない。 彼は強迫観念のような心理のまま、炎の剣を槍に力強く振り下ろさせる。 ─それがわずかな隙を生んだ。 【レーザーエッジ】 蒼黒の閃光が空を裂き、エネルギーの刃を纏った手刀が背を一閃する。 返しでもう一撃─光が散り、シャイングレイモンBMは膝をついた。 ダークドラモンは息を荒げ、次の出方をうかがう。 その眼前で、炎の巨体が再び爆ぜた。 【テラファイアレゾルヴ】 振り向きながら放たれた爆炎が迫り、咄嗟に両腕を交差させて防御する。 焦げた空気を切り裂きながら、シャイングレイモンBMは再び両腕を掲げた。 三度、太陽が生まれる。 焼けた装甲が新たな熱光を帯び、自己修復が始まった。 ─だが、その過程はもはや"正常"ではなかった。 再生のたびにデータの整合が乱れ、装甲の裏で黒い火花が爆ぜる。 ひびを埋めようとする熱が、逆に装甲を焼き崩していく。 理想を維持しようとする力そのものが、己を蝕んでいた。 「完璧を…完璧を……!」 その声は、もはや咆哮ではなかった。 理想という幻影に縋りつく亡霊の、ひび割れた祈りだった。 「お兄ちゃんが…負ける……?」 ミヨは震える声で呟く。 自分が"完璧"を求めた、その願いが崩れていくのを見て、背筋が凍った。 「お前は完璧なんだろうよ」 シュウは呟く。 「だが、俺との比較に拘るが故に─すべての攻撃を"受けた上で制圧しよう"とする」 自嘲気味に静かな笑みを浮かべながら、わずかに首を振る。 「それがお前の弱点…いや、誰にも頼らず、全部を自分で背負おうとした"俺の"弱点かもな」 「黙れ……俺に、弱点など、ないッ!!」 炎が荒れ狂い、シャイングレイモンBMの動きがカクつく。 それでも彼はなお、全身に炎のエネルギーを蓄積していく。 対するダークドラモンも腰を落とし、渦巻く闇の推進力を全身に集中させる。 空間が軋み、双竜の足元からガラスのように地平が裂けた。 亀裂の中心から、光と闇が暴風となって吹き荒れる。 世界が歪み─二人と二匹を、異空間へと呑み込んだ。 世界は裏返り、上下も、時間の流れも、すべてが曖昧になる。 赤と蒼の粒子が螺旋を描き、光と闇の境界が融けていく。 炎の翼を大きくX字に広げ、上空を取ったシャイングレイモンBMがさらなる力を解き放つ。 轟音が空間を灼き、赤く染める─それはもはや光でも炎でもなかった。 物質の理すら拒絶する、"創世"の兆し…世界が軋み、溶け落ちていく。 「力が……溢れてくる……これで……全てを守れる……!」 "理想の兄"の声と形は熱に歪み、歓喜とも悲鳴ともつかぬ音へと変わる。 溶けたその身体はデジモンの炎と混ざり合い、やがて人の形を失っていった。 紅蓮の光が肉体を覆い、輪郭が揺らぐ─それは半ばエネルギー体となった存在。 進化か、崩壊か…もはや判別もできない。 ブラストエボリューション、マトリックスエボリューション、あるいはバーストチャージか。 これがなんなのか…ただ一つ確かなのは、"理想の兄"が生者の理すら踏み潰し始めているということだった。 デジヴァイス01のディスプレイが狂ったように点滅する。 DPは桁を増し続け、レベル表示は7、8、9─異常な数値を示していく。 指針が振り切れ、デバイスの境界線すら熱で歪んだ。 それでもなお、焦げて溶けた装甲が再生を始める。 だが…それは修復ではなく、崩壊の先延ばしだった。 力を注ぐたびに構造は軋み、崩れ、ついに光竜の胸部がひしゃげた。 金属質の軋みとともに、溶けたデータが泡のように溢れ出し─内部から無数の光片が弾け飛んだ。 「おい!ありゃ…デジメモリだゼ!」 「…そうか。ヤツの異常な回復能力やパワーは…!」 シュウの喉が震え、ダークドラモンが呻く。 アンコク、キカイヘンイ…異なる紋章を刻んだメモリが、空中へと飛散していく。 あの時、幸奈から告げられたアトラーカブテリモンの森における事の顛末を思い出す。 これは間違いなく森を蘇らせたのと同様の再構成能力(でじめもりのちから)─だが、度重なるデータの上書きはシャイングレイモンBMの限界を超えていた。 封じられた多属性のデータが暴走し、焼け爛れた胸からは水棲生物の鱗が、肩口からは植物の枝が伸びた。 それは人でもなく、デジモンでもなく─"理想のシュウ"を追い求めた結果、形を保てなくなった亡霊だった。 シャイングレイモンBMの喉を通し、"理想の兄"の叫びが漏れる。 全身がメルトダウンしながらも力だけが上昇し、制御不能のエネルギーが空間を赤い光で満たす。 「お前は俺じゃない…過去の俺が"なりたかったもの"の亡霊だ」 異空間を照らす紅蓮の光が、彼の瞳に映った。 シャイングレイモンBM─いや、"理想の兄"は再び両腕を広げ、掌に炎を凝縮する。 内側で爆ぜる光の奔流が、空間を震わせた。 「そうだ!お前がなりたかったものに!お前はなれないッ!この世界を!背負う覚悟がないお前には!!」 "理想の兄"の叫びが熱線となって迸り、余波だけで、ダークドラモンの装甲が軋んだ。 「俺のなりたかったものはもう無い!だが、俺の守りたかったものは!」 シュウの脳裏に、仲間、友人、知り合い…そしてタカアキの笑顔と思い出が走馬灯のように過ぎる。 過去も傷も、すべてを抱えた"現実"の熱い力が宿る。 「─昔から、何ひとつ変わっちゃいねぇッ!!」 「ならばここで消えろォォッ!!」 【ファイナルシャイニングバースト】 "理想の兄"が抱えた太陽から超高熱の奔流が全方位へ無差別に放たれる。 だが、ダークドラモンは退かない。 光線の軌跡に添って最速で飛び上がり、腕にエネルギー砲を掠めながら突き進む。 「やっぱりシュウが相棒でよかったゼ!」 「ええい、そういう話は後でいい!」 シュウは笑うダークドラモンの青い装甲をぺしぺしと叩く。 「それより─ヤツの力の根元はデジメモリだ!この空間内に浮いているメモリを一時的に機能停止させる!」 光線を掻い潜るダークドラモンにしがみつきながら、シュウは叫ぶ。 「任せろッ!」 ダークドラモンは推進器を全開にし、ぐわわっと加速すると光の奔流をギリギリで潜る。 彼の拳が浮遊するデジメモリを叩き割ると、まばゆい発光がふっと消えた。 「止まった…のか…?」 「へっ!こういうのはブン殴りゃ大体解決すンだゼ!」 シュウがゴーグルを触りながら驚く横で、ダークドラモンがガッツポーズを取って笑う。 だが次の瞬間、空間全体が震える。 デジメモリが自らの意思を持つように軌道を変え、どこかへ向かおうとしていた。 「デジメモリがどこかに行こうとしてるゼ!」 「この空間から出ようとしてるのか…追うぞ!」 シュウが指示を出すものの、異空間の壁は厚く黒曜石のように亀裂一つ入らない。 「貴様はここから出さん!この創世の光で消え失せろ!」 "理想の兄"が叫び、ファイナルシャイニングバーストの方向を一つに向ける。 「ぐっ…技をブチかませば空間を脱出できるのによぉ!」 ダークドラモンは歯を食いしばりながら光線を回避する。 しかし、終わりなき光の奔流が全方位から押し寄せ、反撃の隙を与えない。 「俺の勝ちだッ!!」 衰えたエネルギーを補うように、更に全身を輝かせた"理想の兄"が吠える。 「それはどうかな」 光の中から響いた声に、"理想の兄"の目が見開かれる。 直後─ファイナルシャイニングバーストの収束軸が乱れ、光線は歪み、ダークドラモンから完全に逸れた。 「な、にぃ…ッ!?」 同時に灼熱の肉体からパーツが崩れ落ち、赤が色を失って燃え尽きた鉄のように鈍く沈む。 「デジメモリを異空間から外に逃がしたのは失敗だったな」 シュウはゴーグルを弄り、反射する光を目に走らせる。 「このゴーグルはデジモンイレイザー…ミヨが試作したものだ」 シュウが指でゴーグルのフレームを軽く叩くと、光がレンズに反射して炎の光景を切り裂いた。 「性能スキャンだけじゃなく、同型機同士なら異空間でも通信が通る…使ったことはなかったがな」 説明口調になった彼の声は、緊迫した戦場の中で異様に冷静だった。 それが逆に、"理想の兄"を苛立たせる。 「その一部はリアルワールドで、実験用に持ち出されていた」 シュウは言葉を区切り、ゴーグルの表示を操作しながら続ける。 彼の周囲を光線が掠めるたび、デバイスの画面が明滅した。 「だが、実験をしていたチンピラ共は不幸にも逮捕されてしまうんだ」 彼の口元に笑みが浮かぶ…確か、竜崎と出会ったのはそれくらいの時だった気がしたからだ。 「証拠品として押さえられたゴーグルは、シンドゥーラモンが失くしてしまい…結果、俺の手元に来る」 張り詰めた空気の中での冗談めかした語り口は、むしろ決意の裏返しのようだった。 「そして、残った一つは──」 彼はしたり顔で指を鳴らし、視界の向こうを見据える。 その瞬間、ゴーグルに備えられたスピーカーからすみれの声が割り込んだ。 『ねぇ祭後くん?ソレ今もやらないとだめなの?』 「おい!今いいところだろ!」 『よくないです!こっちで止めたデジメモリがいつ動きだすかわからないのよ?』 『早くケリをつけて帰ってきなさい。この騒がしい人たちの責任者なんでしょ?』 溜め息交じりの柔らかい声の後に、通信の向こうでオアシス団の歓声が弾ける。 「それはそいつらが勝手に言ってるだけ!俺は無関係なの!」 「締まらねぇなぁ」 ダークドラモンが欠伸をし、溜め息を吐いた。 「……ま、こういうことだ」 シュウは軽く肩をすくめ、笑う。 「聞いてなかったみたいだからもう一度言ってやろう─俺の最強の武器、仲間だ!」 仲間、仲間、仲間─否定していたものが最大の障害となっていた事を知らされた"理想の兄"は絶叫する。 絞り出すように炎の剣を生み出し、半壊の体で突撃を開始した。 【デスクロウ】 だが、ダークドラモンは闇のエネルギーを拳に収束させ、その一閃を弾き返した。 そしてダッキングのような姿勢で素早く体を沈め、低く潜り込む。 穿弓腿─鋭い蹴りが閃光のように顎を掠め、相手を仰け反らせる。 ダークドラモンは右手を脇に構え、左腕を高く掲げた。 埋め込まれたデジメモリが、低く唸りを上げる。 【変異種防壁(イリーガルプロテクト)】 左腕が発光して結晶のようなバリアが展開されると、ゆっくりと上昇した。 ダークドラモンは一気に跳躍し、空中で回転して勢いをつける。 エネルギー翼から推進エネルギーを放ち、変異種防壁に衝突しながら足へと纏わせる。 「ダークドラモン!言われた通りケリをつけろってなぁッ!!」 「後は─ブッ飛ばして終わりだぁぁッ!!」 シュウの叫びと同時に、闇の軌跡が紅蓮の空間を切り裂いた。 次の瞬間─ダークドラモンのキックが炎の核を貫き、"理想の兄"の腹を突き抜けた。 地面に蒼黒の竜が着地すると、背後で紅蓮の光が爆ぜた。 世界は、一瞬だけ無音になった。 ・12 「す、すみれ!下がってるのヨ!」 戦いの行方を案じていたすみれの前に突如として謎の穴がぬるりと開くと、シンドゥーラモンが反射的に前へ飛び出た。 色鮮やかな尾をうねらせ、影を威嚇する姿はまるで巨大な盾のようだった。 やがてその向こうから転がり出てきたのは、ボロボロの身体を引きずるシュウだった。 彼はその異空間の裂け目に躓くと、顔面から地面に倒れこんだ。 「んげぇ」 情けない声を上げるシュウの頭の上で、ダークドラモン…いや、ユキミボタモンは目を半開きにしたまま、涎を垂らしてぐうぐうと爆睡していた。 すみれとシンドゥーラモンは同時に変な声を上げた。 「びっくりしたったらもうビックリしたわよ!いきなり穴がパッカーンでそこから何かゴロゴロ〜って転がってきたんだもの!最初はねぇ新種のデジモンか、あるいは宇宙人かと思ったのヨ!そしたらアンタじゃないの!もう口から悲鳴出るかと思ったわよほんとに!コケーッて!しかもその顔!ボロボロで泥まみれで大丈夫!?それにねぇ!前も似たような登場してたでしょ!?あれよ、"でじゃぶ"ってやつ!いやでも、そういうオトコに魅かれる時期がオバチャンにもあったの!あ、そうそう!この前シンドゥーラモンの会で話したんだけど〜急降下とか転がり落ちるのは美容に悪いって─えっ何の話だっけ?あぁそうそう!びっくりしたのヨ私!ほんっとに心臓止まるかと思ったんだから〜!」 「…もう」 止まらないお喋りを繰り広げるシンドゥーラモンと、ボロボロのシュウたち。 思わず呆れたようにため息をつきながらも、すみれの声にはどこか安堵が滲んでいた。 傷だらけのシュウはすみれと目が合うと、彼は即座に体制を整えた。 シュウは地面に両手を突き、額を床に叩きつけた。 「この度は誠に申し訳ございませんでしたーっ!」 すみれは瓦礫に腰かけ、やれやれと言った呆れ顔で頭を抱えていた。 「色々隠してるのは察してたけどここまでとは思わなかったわ」 「いや、ホントに今まで悪かったよ─すみれ」 名前だけを呼んだシュウに、彼女は一瞬きょとんとした顔を見せた。 そして、すぐに視線を逸らす。 「…今さら名前で呼ばれると、変に照れるわね」 言葉とは裏腹に、声の端がわずかに震えていた。 頬を撫でた風のせいか、顔に差した紅がほんの一瞬だけ彼女を少女のように見せた。 「あっ、シュウく〜ん!」 「ほら、みんな来たわよ…な、なに見てるの!」 幸奈の声が聞こえ、すみれは照れ隠しにそう言いながら背中を叩く。 しかし、伏せた睫毛の奥では、どこか安堵の色が滲んでいた。 シュウは立ち上がると、相棒を抱えて仲間たちの前に立った。 「おかえり」 「…ただいま」 幸奈はそれだけを言うと、いつものように微笑んだ。 彼女の頭上に乗るべたたんが、シュウの頭を撫でた。 「浩介、ありがとな。お前は昔からすげぇ頼りになるよ」 「なんかあったら俺とチビモンに任せな」 軽く手を振る浩介に、シュウも笑って返す。 「木野さん、貴方はやっぱり強い」 「祭後、お前は俺との約束を守ってもらわないと困る」 「こうやってマサヨシが笑えたのはキミたちのおかげだ」 正義はマフラーを軽くつまみ、ジャスティモンが爽やかに笑い声を上げる。 「竜崎さんも助かったよ」 「貴様の生意気な顔を見ていないと張り合いがないからな」 「その調子で残った始末書も片付けてほしいギャ」 竜崎がうめくような顔をし、アグモンは吹き出した。 「ジョージ、いつもつきあわせて悪いな」 「借りは返せよ。特に今回のはな」 互いに笑い合う二人。短い笑いが、長い信頼の重みを帯びていた。 「マガネちゃん、生きてる?」 「馬鹿者がぁ!心配かけさせおって!!」 マガネはボロボロの拡声器を握りしめて地団駄を踏む。 「えー、それでは今回の騒動を解決した者の一人として私から簡単な…」 「今度こそチェスで勝負だ!」「お前の頑張りを見ていたんぬ」 「私バカだからよぉ…私バカなんじゃないか?」「死にたい…」 「すっげーー!」「どるりーん!バイト先ぶっ壊れてる!やった!」 「んんww皆様のお役に立てて看護師冥利に尽きますぞwwww」 「うーん、俺の知らない未来だ…」「まずい!紙袋がもうボロボロだ!」 「町もボロボロだぞ!これは私の知り合いの建築家に相談だな!」 「偽物のプライドを証明したのですよ貴方は」「メリークリスマス」 「(早口の英語)」「私そろそろ誕生日なんだけどMG22号にするべきかしら…」 「ええいっ!!一斉に喋るな貴様らぁ!この私がいいことを言ってるんだぞ!!!」 マガネの周りで、団員たちが騒がしく声を上げる。 あまりにも奇抜な人間たちの集まりは、正に百鬼夜行そのものといった風貌だ。 「思ってるより元気そうで安心したぜええっ!!!!!!」 「あー、やっぱお前たちがうるさくてやっぱ死にそうだわ…」 マガネのシャウトモンがそれら全てをかき消す大声で叫ぶと、シュウは頭を痛めた。 「ヤスヒコくん、学校楽しいか?」 「まぁまぁ!」 「もー、そこは"楽しい"って言うんだよー!」 ヤスヒコは笑いながら親指を立て、エレキモンは困ったように笑った。 「おじさん元気?ん、これ前もやったな」 焦げた毛先を弄りながら軽口を叩くカノンの声に、空気がわずかに和らいだ。 だが次の瞬間、空の向こうに浮かぶ光景がそれを凍らせる。 「お兄ちゃんが……負けた……お兄ちゃんが……!」 浮力が落ちてきた光の板の上で、瓦礫の街の上で、ミヨが呆然と立ち尽くしていた。 その姿はまるで、夢の底に取り残された子供のようだった。 シュウが声をかけようとしたその時─ミヨは頭を抱え、狂ったように笑い出した。 「あは…あっはははは!すごいっ!すごいよお兄ちゃん!!」 その瞳には涙が滲み、頬を伝って光の粒がこぼれ落ちる。 「やっぱりお兄ちゃんはすごい…!」 ぶつぶつと呟きながら、彼女は歓喜と錯乱の狭間で震えていた。 「な、なんだよこいつ…!」 ジョージのベタモンが驚きを隠せない反応をする。 「ミヨちゃ…」 幸奈が声をかけようとするのを静止し、シュウは苦い顔で前に進み出た。 「ミヨ…俺は、お前の求めるようなものにはなれない…」 シュウの声は、痛みを噛み殺すように低く沈んだ。 その言葉に、ミヨはゾクリと肩を震わせ、うっとりと笑う。 「私なんかの想像なんて、簡単に越えちゃうんだ……」 その笑みは崇拝にも似ていた。 理想の兄に打ち勝った兄へ、更なる理想を見出だしている。 「見ないフリをしていた弱さを、受け入れて進むことを決めたんだ」 「やっぱり私、お兄ちゃんのことが大好き…だから、ずーっと二人でいようね」 ミヨは恥ずかしそうに頬を染め、少女のように微笑む。 その純粋さが、かえって残酷だった。 「だから俺は、だから俺は……お前を…傷つける…!」 シュウは唇を噛み、震える声を振り絞る。 次の瞬間、世界が爆ぜた。 凄まじい突風が巻き起こり、地平が裂ける。 【ヘルムモン:究極体】 シュウたちが持つデジヴァイスに通知が同時に鳴り響く。 「…見たことの無い究極体」 正義とジャスティモンが身構え、わずかに遅れてディノビーモンも構える。 嵐の中心、魔導師のような風貌をしたデジモンの肩に、ひとつの影が立っていた。 「デジモンイレイザー様。お迎えにあがりました」 透き通るような声、光を跳ね返す程に綺麗な青い髪…シュウの目が見開かれた。 「アンコちゃん…さん…!?」 そこにいたのは、かつて彼を救ったはじまりの町の女性だった。 彼女の周囲には、機能を停止したデジメモリがいくつも浮かび、ゆるやかに光を明滅させている。 「お久しぶりです…皆様とても、素晴らしいご活躍でした」 その声音は、祈りにも似た静けさを帯びていた。 「なんで……なんで貴女がここにいるんだ!」 慌てるシュウを前に、アンコは一歩も動かず、ただ穏やかな微笑を湛える。 「それは─私が"デジモンイレイザー様"の配下であり、そして…そのお方を創り出した者のひとりだからです」 その言葉に、シュウは絶句した。 混乱と怒りが入り混じる─空中にいながら、今にも飛び出しそうになるが、ディノビーモンの握る手がそれを制した。 そんなシュウを見て、アンコはゆるやかに頬を上げるを。 「今回は、私たちの敗北に終わりました。しかしご存じでしょうか、シュウ様」 「なにがだ…!?」 「貴方がこの世界にいない間に、デジタルワールドの均衡は大いなる意志の導きによって、すでに塗り替えられつつあるのです」 「アンタの目的は一体なに?おじさんの妹たぶらかしてさ」 「私はただ……デジモンイレイザー様が創り出された理由を果たすのみ、ですわ」 カノンがアンコを睨みながら問い詰めると、彼女は一歩前へ進み出る。 デジモンイレイザー、その名前を彼女はそっと吐息に乗せる。 「終焉の果てに訪れる、新たなる創世の瞬間を見届けたいのです」 その声音は透き通るように柔らかい─だが、その奥に滲む熱は理性の鎖をきしませていた。 呼吸の端にわずかな高揚が混じるたび、アンコの頬が微かに紅く染まる。 「滅びも再生も、等しく祈りの形」 その言葉を紡ぐたび、アンコの指先がかすかに震えた。 高鳴る鼓動を抑えきれず、唇の端がわずかに笑みに歪む。 「全ての世界が終わり、全てが始まる─その完全なる循環を、私はこの身で拝したいのですわ」 その微笑には熱と静けさが同居していた。 穏やかな声の裏に潜む、ぞくりとするような昂ぶりが見る者の背を撫でていく。 そして、その昂りが頂点に達した瞬間─逆光に包まれた彼女の姿は、異様なまでに美しく見えた。 まるで何かを愛おしむように、アンコは細く瞳を開く。 「んだよ!自分勝手な願い事のためにテキトーなヤツを浚ったのかよ!」 「─考えた上で、選びましたわ。いえ…貴方たちには、まだ理解の及ばぬことかもしれませんわね」 アンコは唇に指を添えて軽く首を傾げると、視線をゆっくりにヤスヒコへと向けた。 彼女は静かにヘルムモンの方へ向き直る。 「…参りましょう」 顎をわずかに上げると、ヘルムモンは杖を掲げた。 次の瞬間、白い閃光が弾け、空間を塗り潰す。 赦しと断罪が同時に訪れたような、甘い光。 「ぐっ…!」 テイマーとデジモンたちは顔を覆い、強い光から目を守った。 光が収まったとき─そこに、ミヨたちとアンコの姿はもうなかった。 シュウはただ、胸の奥で焼けるような熱を感じていた。 それが強大な敵への恐怖なのか、妹を好きにされた怒りなのか、彼自身にも分からなかった。 「─俺は、ミヨを取り戻しに行くよ」 顔を上げたシュウの目は、もう迷いのない光を宿していた。 短く息を吐くと、彼は仲間たちへと振り返る。 「言うと思った。ちゃんと準備してから行くのよ?」 すみれは少しだけ笑ってみせる。 それは強がりとも、優しさともつかない笑顔だった。 「…あ、あと毎日夜には連絡しなさいよ。ちゃんと寝るのよ?変なもの拾い食いとかしちゃダメよ?それから─」 「だーーっ!お前は母親か!!」 すみれは自分の首にかけたゴーグルを軽く持ち上げ、連絡を促す。 一言の度に迫りくるすみれにシュウは思わずひっくり返り、苦笑してその姿を見つめる。 地面に落ちて目を覚ましたユキミボタモンが、パートナーデジモンたちと戯れだすのを見たシュウは爽やかに微笑んだ。 そんな彼の顔を見たすみれの髪に、夕陽が反射して柔らかく光った。 笑い声が瓦礫の向こうで続く。 シュウが倒れたまま空を仰ぐと、赤く染んだ空に一番星が瞬いていた。 それは、タカアキと初めて出会ったあの夜にも、確かに空にあった。 彼の笑顔が、星の光に溶けて見える。 (お前は─あの日見た星の光だ…) 風が吹くと、灰を含んだ空気がふわりと舞い上がる。 焦げた瓦礫の間には、夜の匂いがうっすらと漂う。 ─そのとき、遠くで車輪の軋む音がした。 「あ〜!いた!…って、なんでひっくり返ってるんだろ」 その声に、シュウは振り返る。 茜空の下、滝谷陽奈美が瓦礫の上でおっかなびっくりに車椅子を押していた。 夕陽に照らされた車椅子に座る顔を、シュウは見た。 「─リョースケ…?」 喉の奥から洩れたその名は、声というよりも祈りに近かった。 車椅子の青年はゆっくりと顔を上げ、静かに微笑んだ。 「久しぶり」 ただ二人の間に、長い沈黙が落ちた。 瓦礫の上を転がる車輪の音が、夜風に溶けて消えていく。 空には一番星が、ひときわ強く輝いていた。 まるで、過去と現在の二人を繋ぐように。 おわり 牢屋の鉄格子が、ひやりとした音を立てて閉まった。 冷気が狭い空間を満たし、空気はひと息で止まる。 正義は穏やかな顔で床に腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。 彼には、逃げる気配も抗う気配もない。 「いいのぉ〜?シャバにいようと思えば、いくらでもいられるんだよぉ?」 鉄格子の外で、チドリがくるりと黒い上着を振る。 それは、先ほどまで正義が着ていた服だ。 「はい、それではこちらが月額三千五百円からになります」 「てめーが商売やりたいだけじゃねーデスか。たっけぇんデスよ」 チドリの相棒・デスモンのミツメちゃんが、あきれ声で毒づく。 「今さら俺たちに、組織的な団体行動なんて無理だ」 「はは…そうだね」 正義とモノドラモンは顔を見合わせ、乾いた笑いをこぼした。 だがその笑いには、どこか清々しい空白があった。 その様子に、ミツメちゃんが肩をすくめる。 「なんだか満足気デスね」 「あーあ。シュウちゃんもだけどさぁ、一人で勝手にスッキリしやがって〜って思うわけですよ、あたしゃ」 「オマエは不満デスか?」 チドリはふらりと揺れる足取りで振り返り、壁に背を預けた。 笑顔の目を更に細め、軽い笑みを浮かべる。 「うんにゃー?トモダチの悩みが解決するのは、いいことだぜ?」 黒い服をひらりと放り投げると、彼女はそのまま壁にもたれてへらへらと笑った。 ミツメちゃんが呆れて視線を外すと、やがてその笑みはほんの少しだけ陰りを帯びた。 うっすらと目を開いたチドリは、疲れた呼吸の間から自嘲の笑みをこぼした。 .