###タイトル:翠星の苗床(アルター)~子宮に咲く花と鋼鉄の約束~ by Gemini2.5pro ### パート1 無数の光の矢が、漆黒の宇宙を切り裂いていく。 その一つ一つが、知性なき殺意の塊。自律機動兵器、通称「ドローン」。私、レイナ・フォルクハルト少尉が駆る可変戦闘機《ヴァルキュリア・シルフ》のセンサーが、迫りくる脅威を冷徹な電子音で告げていた。 「多すぎる……」 思わず漏れた呟きは、誰に聞かれることもなくコクピットの静寂に溶ける。操縦桿を握る手に、じわりと汗が滲んだ。身体に密着した生体スーツの内側、神経伝達ゲルが肌の温度変化を敏感に捉え、私の精神状態をモニターしている。 思考と機体の動きが完全に一致する、この感覚。まるで自身の肉体を拡張したかのような全能感。それは、この身に投与された感覚増大ナノマシンと、ヴァルキュリアとの完璧なシンクロ率がもたらす恩恵だ。 機体を反転させ、敵編隊の死角に滑り込む。メインウェポンであるビームガトリングのトリガーを引き絞った。翠色の閃光が螺旋を描きながら虚空を走り、三機のドローンを正確に撃ち抜く。爆炎の薔薇が、音のない世界で次々と咲き誇った。 戦闘の高揚感が、血流を加速させる。脳の奥深く、普段は閉ざされている領域の扉が、軋みながら開いていくような感覚。意識が研ぎ澄まされ、世界のすべてがスローモーションに見え始める。これだ。この、すべてを掌握しているかのような感覚こそが、私をエースパイロットたらしめている所以。 『こちら管制。レイナ少尉、敵増援を確認。座標デルタ7より、ドローン部隊三十接近中』 「了解」 冷静な声で応じながらも、内心では舌打ちしていた。残弾、エネルギー、共に心許ない。このままでは消耗戦の末に嬲り殺されるのが関の山だろう。 選択肢は、ない。 「ナノマシン、追加投与を要請。レベル3へ移行」 『……承認。少尉、くれぐれも気を付けて。副作用のリスクを忘れないで』 管制官の気遣う声が、どこか遠くに聞こえる。コンソールの承認ボタンをタップすると、スーツの首筋にあるユニットから冷たい液体が体内に注入された。 瞬間、血管を灼熱の奔流が駆け巡る。視界の端がぐにゃりと歪み、全身の肌が粟立つほどの鋭敏な感覚が訪れた。世界の解像度が、一段階、いや数段階引き上げられる。遠い星々の瞬き、機体を撫でる宇宙塵の微かな感触、敵機の放つ微弱なエネルギーの放射さえも、肌で感じ取れるかのようだった。 第六感。ナノマシンがもたらす、人智を超えた知覚能力。 「来る……!」 思考よりも早く、身体が動いていた。センサーが捉えるより先に、敵増援部隊の一機が放った亜光速のビームを予測。操縦桿を僅かに傾けると、私のヴァルキュリアはまるで未来を知っていたかのように、優雅な弧を描いて死の光条を回避した。赤い閃光が、ほんの数センチ横を掠めていく。肌が焼けるような幻の熱を感じ、背筋にぞくりとしたものが走った。 「そこ!」 回避と同時にカウンターのビームを放つ。予測された進路上にいたドローンが、為す術もなく光に呑まれて霧散した。 覚醒した超感覚が、戦場を支配する。敵の思考ルーチン、弾道の予測、味方のいないこの宙域で、私という個は一個艦隊にも匹敵する戦力と化していた。 次々と爆散していくドローン。増援の半数を屠った頃だろうか。昂ぶりが最高潮に達したその時、ふと、視界の隅に色鮮やかな蝶が舞っているのが見えた。 (蝶……?宇宙に?) 金色の燐粉を撒き散らしながら、それは幻想的に舞い踊る。あまりの美しさに、一瞬、我を忘れて見惚れてしまった。 致命的な、一瞬の隙。 『警告!ミサイル接近!』 ハッと我に返った時には、もう遅かった。幻覚の蝶が覆い隠していた宙域から、白煙の尾を引く無数の誘導ミサイルが殺到していたのだ。 回避機動も間に合わない。歯を食いしばり、衝撃に備える。 凄まじい轟音と共に、機体右側面に灼熱の痛みが走った。フィードバックシステムが、機体の受けたダメージを忠実な痛みとして私の神経に叩き込む。肉体を直接抉られるような激痛に、思わず短い悲鳴が漏れた。 『右舷メインスラスター大破!姿勢制御、困難!』 機体が大きく傾ぎ、錐揉み状態に陥る。モニターに表示されるアラートが、絶望的な状況を告げていた。 このままでは、ただの的だ。だが。 まだだ。まだ、終われない。 「ヴァルキュリア……変形ッ!」 叫びと共に、変形シーケンスを起動させる。飛行形態を維持していた機体が、軋みを上げながらその姿を変え始めた。両翼が畳まれて鋭い腕となり、機首が左右に割れてしなやかな脚部が伸長する。宇宙を駆ける戦闘機は、瞬く間に白銀に輝く十八メートルの女神へと姿を変えた。 人型になることで、シンクロ率はさらに深まる。それは、もはや機械を操っているという感覚ではない。私自身の肉体が、巨大化したのだ。 破損したスラスターの代わりに、脚部のバーニアを噴かして姿勢を立て直す。残るドローン部隊が、好機とばかりに殺到してきた。 「舐めるな、鉄屑ども……!」 右腕にマウントされたレーザートーチを展開する。高熱の刃が、宇宙空間の闇を煌々と照らし出した。 眼前に迫るミサイルを、薙ぎ払うようにして切り捨てる。灼熱の刃に触れた弾頭が、次々と誘爆を起こしていく。 爆炎を突き抜け、一機のドローンに肉薄。鋭い回し蹴りを叩き込む。私の脚の動きと完璧にシンクロしたヴァルキュリアの脚部が、ドローンの装甲を紙のように打ち砕いた。 その時だった。 背後から、今まで感じたことのない強烈なプレッシャーが放たれたのは。 振り返ると、そこにいた。異形の、人型兵器。こちらのヴァルキュリアよりも一回りは大きいだろうか。有機的な曲線と無機的な直線が混在した、禍々しくも美しい、漆黒の機体。 あれが、噂に聞く敵軍の新兵器。 「ようやく会えたな、亡霊さん」 スピーカーから、若い男の声が響く。余裕綽々の、どこかこちらを試すような口調。 相手もまた、長大なレーザートーチを構えた。次の瞬間、漆黒の機体が恐るべき速度で突貫してくる。 キィィン、と甲高い金属音。白銀と漆黒の刃が交差し、凄まじいエネルギーが衝突して周囲にプラズマの嵐を巻き起こした。 重い。一撃の威力が、ドローンのそれとは比較にならない。複雑なマニュアル操作で、あれほどの機動を……?信じられない。 何度も刃を交え、互いの力量を探り合う。鍔迫り合いの状態で、機体が軋む音を立てた。 死角。右側面。何か来る。 第六感が、脳髄に直接警告を叩きつける。考えるより早く、機体を後方へ跳躍させた。直後、今まで私がいた空間を、カミソリのように鋭いワイヤーが走り抜けていく。もし回避が遅れていれば、脚を絡めとられていただろう。 『警告。パイロットの交感神経活動が危険域に到達。心拍数、急上昇。鎮静パルスを照射します』 スーツが、勝手にリラックスさせようと警告を発する。 うるさい。 今、この昂ぶりを鎮められてたまるものか。この滾るような興奮、全身を駆け巡る熱。これを失って、目の前の敵に勝てるはずがない。 「システム、マニュアル操作に移行。セーフティ、全解除。リミッター、カット!」 『……承認。パイロットの生命維持を最優先します』 システムの応答を最後に、鎮静機能は沈黙した。これでいい。私とヴァルキュリアを縛るものは、もう何もない。 再び、黒い悪魔と正面からぶつかり合う。レーザートーチを弾かれ、体勢を崩したところを懐に潜り込まれた。取っ組み合いになる。 鋼鉄の腕が、互いの装甲を掴み、握り潰さんと凄まじい圧力をかける。フィードバックされる圧迫感が、苦痛と共に倒錯的な快感をもたらした。 その時、先ほど放たれたワイヤーが高速で巻き取られるのが見えた。その先端には、先ほど私が蹴り砕いたドローンの残骸が絡みついている。 まずい。狙いは、残された左のスラスター。 「やられた……!」 回避は、間に合わない。 ドローンの残骸が、巨大な鉄槌となってヴァルキュリアの背部に突き刺さった。メインスラスターが完全に沈黙する。推力を失った機体は、ただ宇宙を漂うだけの鉄の棺桶と化した。 だが。 ああ、だが。 「逃がしはしない……ッ!」 最後の力を振り絞り、ヴァルキュリアの両手両足を、漆黒の機体に絡みつかせる。驚愕に目を見開いているであろう敵パイロットの顔が、目に浮かぶようだった。 道連れだ。 直後、誘爆したスラスターが、轟音と共に炸裂した。 予期しない軌道で、二機の機体はもつれ合ったまま虚空へと吹き飛ばされる。 視界を、灼熱の閃光と、色とりどりの幻覚が埋め尽くした。蝶が舞い、花が咲き乱れ、美しい歌声が聞こえる。痛みも、熱も、恐怖も、すべてが混沌とした快楽の奔流に溶けていく。 ああ、なんて、綺麗なんだろう。 近くにあった惑星の、青く輝く大気が、急速に近づいてくるのが見えた。 強い重力に引かれ、私と、私を打ち破った好敵手を乗せた二つの棺桶は、燃え盛る流星となって、どこまでも、どこまでも堕ちていった。 ### パート2 意識が、泥濘の底からゆっくりと浮上してくる。 最初に感じたのは、全身を苛む鈍い痛みと、まとわりつくような生暖かい湿気だった。金属が焼け付く匂いと、嗅いだことのない甘い腐葉土の香りが混じり合い、鼻腔を奇妙に刺激する。 「……う……」 呻き声と共に瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、無残にひしゃげたコクピットの天井だった。亀裂の入ったキャノピーからは、幾筋もの陽光が差し込み、舞い上がる塵をきらきらと照らし出している。 どうやら、生きているらしい。 あの灼熱と混沌の渦の中を生き延びたという事実が、まだぼんやりとした思考にうまく馴染まない。状況を把握しようと身体を起こそうとして、全身の骨が軋むような激痛に顔をしかめた。 「くっ……!」 フィードバックシステムは完全に沈黙している。ヴァルキュリアとの神経接続が断たれた、ただの肉体に戻ってしまったことへの途方もない喪失感が胸を締め付けた。あれは私の翼であり、手足であり、もう一つの身体そのものだったというのに。 計器類はことごとく沈黙し、生命維持装置もかろうじて最低限の機能を保っているに過ぎない。大破したコンソールの隙間から、蔦のような植物が侵入しているのが見えた。 そして、気づく。コクピット内に、外気が流れ込んでいることに。 幸い、というべきだろう。吸い込んだ空気は、窒素と酸素のバランスが地球のものと酷似しているようだった。少なくとも、このスーツなしで呼吸ができないような死の星ではないらしい。ここは、おそらく両軍にとって完全に未知の宙域。未踏の惑星。 まずは落ち着かなければ。戦闘の興奮と墜落の衝撃で昂った神経を鎮めるため、スーツの機能を操作する。 「システム、鎮静パルスを……」 応答がない。もう一度、今度はコンソールを直接操作しようと試みるが、やはり反応はなかった。モニターには、無慈悲なシステムエラーの表示が点滅しているだけ。 故障?まさか、このタイミングで。今まで、精神の均衡を保つためにどれだけこの機能に依存してきたことか。冷たい汗が背筋を伝うのを感じる。 ともかく、この鉄の棺桶に長居は無用だ。手動でハッチをこじ開け、身を捩るようにして外へ這い出す。 その瞬間、私は息を呑んだ。 そこは、圧倒的なまでの生命力に満ち溢れた世界だった。 見上げる空は、どこまでも澄んだターコイズブルー。巨大なシダや、見たこともない極彩色の花々が咲き乱れる木々が、天を突くようにして鬱蒼と生い茂っている。アマゾン、という言葉が脳裏をよぎった。濃密な湿気を含んだ空気が肌にまとわりつき、深く呼吸をするたびに、肺が植物の放つ青々とした匂いで満たされていく。 生命の気配が、あまりに濃すぎる。 それは、私の体内に残留するナノマシンがもたらす超感覚を、ひどく混乱させた。あらゆる方向から押し寄せる生命エネルギーの奔流が、まるで強力なジャミング電波のように知覚を掻き乱し、精密なセンサーであったはずの第六感をただの耳鳴りのような不快なノイズへと変えてしまう。これでは、敵意の察知どころか、すぐそこに潜む獣の気配すら捉えられないかもしれない。 味方との連絡手段は絶たれた。機体は行動不能。頼りの超感覚も、この環境では役に立たない。 途方に暮れそうになる思考を、無理やり奮い立たせる。まずは水の確保と、安全な場所の探索が最優先だ。 腰のホルスターに収められているはずのサバイバルキットを確認しようとして、私は再び絶望的な事実に直面した。墜落の衝撃で吹き飛んだのか、そこにあるはずのものが、ない。あるのは、空になったホルスターだけ。水質調査キットも、携帯食料も、そして、護身用のブラスターも。 「……最悪だわ」 それでも、歩き出すしかない。ヴァルキュリアの残骸に別れを告げ、巨大な植物の根が絡み合う地面を踏みしめて、森の奥深くへと分け入っていく。 どれくらい歩いただろうか。喉の渇きが限界に近づいてきた頃、微かな水音が耳に届いた。希望の光に導かれるようにして音のする方へ進むと、やがて木々の切れ間から、陽光を反射してきらきらと輝く澄み切った水面が見えた。泉だろうか。あるいは、川の上流か。 思わず駆け寄り、両手で水を掬おうとして、寸前で思いとどまる。水質調査キットがない今、未知の惑星の水を飲むのはあまりにも危険すぎる。見た目はこれほど清らかでも、人体に有害な微生物や物質が含まれていないという保証はどこにもないのだ。 唇を舐め、渇きに呻きながらも、ただその豊かな水源を眺めることしかできない。 その時だった。 水のせせらぎに混じって、場違いな音が聞こえてきたのは。 ふんふふーん、と。誰かの、男の鼻歌。 人がいる?この惑星に、原住民が?あるいは、まさか。 息を殺し、巨大なシダの陰に身を隠して、そっと音のする方を窺う。 そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。 泉のほとりの枝に、見慣れた敵軍の標準スーツが無造作に干されている。そして、その傍らの岩に腰かけていたのは、一人の男。局部を大きな葉で申し訳程度に隠しただけの、ほぼ全裸の姿。陽の光を浴びて逞しい筋肉が艶めかしく隆起し、水滴がその褐色の肌を滑り落ちていく。 間違いない。あの漆黒の機体のパイロット。私と相打ちになった、あの男だ。 奴も、生きていた。 全身の血が、一瞬で沸騰する。憎悪と警戒心がない交ぜになった感情が、私を突き動かした。 茂みから飛び出し、叫ぶ。 「手をあげろッ!」 とっさに腰に手をやるが、指が触れたのは空のホルスターだけだった。 しまった、と思った。迂闊すぎる。武器もないのに、ただ相手にこちらの存在を知らせただけではないか。 鼻歌を止めた男が、ゆっくりとこちらを振り返る。その顔には、驚きと、それから少しの呆れが浮かんでいるように見えた。彼は私の空っぽのホルスターを一瞥し、それから私の全身に視線を走らせると、やれやれとでも言うように肩をすくめた。 その視線が、私の身体のラインをなぞるのが分かって、屈辱に頬が熱くなる。この身体にフィットした薄いスーツは、私の女性的な輪郭を隠しようもなく露わにしていた。 そして、思い知らされる。男女の、圧倒的なまでの体格差。筋骨隆々とした彼の肉体の前に、パイロットとして鍛え上げたはずの私の身体は、あまりにも華奢で非力に思えた。もし彼がその気になれば、赤子の手をひねるように私を組み伏せることができるだろう。その事実が、絶望的な戦力差となって、喉の奥に詰まった息を重くする。 「……よぉ」 男は、緊張でこわばる私とは対照的に、実にのんびりとした口調で言った。 「あんたも無事だったか。なかなか頑丈なんだな、連邦のパイロットは」 「……黙れ」 「まあまあ、そう殺気立つなって。見ての通り、俺も丸腰だ。それに、こんなところでドンパチやったって、どっちかが死んで、残った方もこのジャングルで朽ち果てるだけだ。だろ?」 男は立ち上がると、両手を軽く広げて敵意がないことを示す。その、あまりにも飄々とした態度に、逆に毒気を抜かれてしまう。 彼の言う通りだった。この状況で争うことほど、不毛なことはない。生き延びるためには、協力、とまではいかなくとも、少なくとも互いに不干渉を貫くべきだ。 「……一時休戦とでも言いたいわけ?」 「話が早くて助かる。ああ、そういや腹、減ってないか?」 そう言うと、男は干してあったスーツのポケットを探り、銀色のパッケージを取り出した。敵軍のレーション。それを、こともなげにこちらへ放り投げてくる。 「やるよ。俺はまだ予備があるんでな」 放物線を描いて飛んできたレーションを、反射的に受け止める。ずしりとした重みが、手のひらに現実を告げていた。 敵の情けを受けるなど、軍人としてのプライドが許さない。だが、空腹はすでに限界を超えていた。未知の惑星にあるものを口にするリスクと、目の前にある保証された食料。天秤にかけるまでもない。 ぐぅ、と情けない音を立てて腹が鳴る。 「……感謝、する」 小さな声で呟き、パッケージを破る。中から現れたのは、味気ないビスケットのような固形食料だった。それを、私は夢中で口の中へと放り込み、貪るようにかぶりついた。 パサパサとした食感が口の中の水分を奪っていくが、それでも構わなかった。空っぽだった胃に何かが満たされていく感覚が、生きているという実感となって全身に染み渡っていく。 そんな私の様子を、男はどこか面白そうに、それでいて穏やかな目で見つめていた。 敵同士でありながら、一つの食料を分け合い、同じ星の光を浴びている。なんと数奇な運命だろうか。 これから、この男と、この星で、どうなっていくのだろう。 不安と、ほんの少しの奇妙な安堵感がない交ぜになったまま、私はただ、レーションを咀嚼し続けた。 ### パート3 男の名はカイトと名乗った。 飄々として、どこか掴みどころのないその男は、私の抱いていた敵軍エースパイロットのイメージとはかけ離れていた。類稀なる体力と、驚くほど豊富なサバイバル知識を有していることはすぐに分かった。彼は道具もなしに硬い木々を巧みに加工して火をおこし、蔓植物の強靭な繊維で頑丈なロープを編み、日が傾く前には雨露をしのげる簡易的なシェルターまで作り上げてしまったのだ。 だが、その一方で、こと安全性を見極めるような繊細な知識には、彼は信じられないほど無頓着だった。 「レイナ、これ見てみろよ。すげえ綺麗なキノコだぜ。シチューにしたら美味そうだ」 カイトが無邪気な子供のように差し出してきたのは、傘の部分が毒々しいほどの深紅に染まったキノコだった。その表面には、見るからに危険な光沢を放つ粘液が浮かんでいる。 私の第六感――この濃密な生命の気に満ちた惑星ではほとんど機能不全に陥っているはずのそれが、脳髄の奥でけたたましく警鐘を鳴らしていた。 「やめなさい、馬鹿!それには猛毒があるわ。食べたら三秒で全身が痙攣して死ぬ」 「え、マジかよ。勘か?」 「私の勘は当たるの。いいから捨てなさい」 彼は「へーえ」と感心したような声を出すと、いともあっさりとその毒キノコを放り捨てた。何の躊躇も、疑いもなく。そのあまりの無頓着さに、私は眩暈さえ覚える。 こんな男と、私は死闘を繰り広げ、相打ちになったというのか。この事実が、にわかには信じがたかった。彼の強さは、あの複雑怪奇な機体を乗りこなす技量と、常識外れの機体性能そのものに起因するものであり、パイロットとしての資質――例えば、危険を察知する鋭敏な感覚のようなものは、驚くほど欠落しているのかもしれない。 私が何度か、彼の無謀な行動を寸前で制止するうちに、彼我の間には奇妙な役割分担のようなものが出来上がっていた。彼が実践的な知識と労働力で生存基盤を築き、私が超感覚の残滓で危機を回避する。それはまるで、長年連れ添ったパートナーであるかのような、歪で、しかし妙にしっくりとくる関係性だった。 日が中天に差し掛かり、じっとりとした暑さが肌にまとわりつく頃、私たちは昨日出会った泉へと戻っていた。スーツの内側は汗で蒸れ、不快感が限界に達していたのだ。 「さすがにこのままじゃ不潔だな。水浴びでもするか」 カイトがこともなげに言う。それは合理的な判断だったが、敵である異性の前で肌を晒すという行為に、私は強い抵抗を覚えた。 「……あなたが見ていない保証はどこにあるの?」 「信用ねえなあ。じゃあ、俺は向こうの岩陰にいるから、あんたが先に済ませろよ。終わったら声をかけてくれ」 疑いの眼差しを向ける私に、彼はやれやれと肩をすくめて泉の上流へと歩いていく。その背中が完全に岩陰に隠れたのを確認してから、私は覚悟を決めた。 スーツのファスナーをゆっくりと下ろしていく。身体にぴったりとフィットしていたそれが剥がされていくたびに、生暖かい外気が素肌を撫で、ぞくりとした感触が背筋を走った。スーツと肌の間を満たしていた神経伝達ゲルが、ぬるりとした感触で肌を滑る。 完全にスーツを脱ぎ捨て、生まれたままの姿になる。豊かな森の緑を映した水面に、私の白い裸身が映り込んだ。軍での過酷な訓練で引き締められてはいるものの、丸みを帯びた胸や、くびれた腰から続く柔らかな尻のラインは、紛れもなく女のものだ。戦闘中には意識することのない自身の肉体の脆弱さが、今はひどく心細く感じられた。 そっと水に足を踏み入れる。ひんやりとした心地よい冷たさが、火照った肌を優しく包み込んでくれた。全身を水に沈め、汗や汚れを洗い流していく。水の清らかさが、昂った神経までも鎮めてくれるようだった。 どれくらいそうしていただろうか。不意に、足を置いた水底の石がぬるりとした苔で滑った。 「きゃっ……!」 短い悲鳴と共に、バランスを崩す。咄嗟に受け身を取ろうとしたが、水中では思うように身体が動かない。このまま頭を打つ、と覚悟した瞬間、力強い腕が私の腰をぐっと引き寄せ、支えてくれた。 「危ねえな、大丈夫か」 間近で聞こえた声に、心臓が跳ね上がる。振り返るまでもない。カイトだ。いつの間に、すぐそばまで。 彼の逞しい胸板が、私の柔らかな背中にぴったりと密着している。濡れた肌と肌が直接触れ合う感触に、全身の血が沸騰するのを感じた。 「なっ……!離しなさい!見てないと、言ったじゃない!」 「いや、悲鳴が聞こえたから、つい……。すまん、他意はねえんだ」 慌てて身を捩り、彼から距離を取る。その拍子に、彼の腕が私の豊満な乳房の脇を掠めていった。硬くなった先端が、彼の腕の筋肉の感触を敏感に捉えてしまう。羞恥と怒りで、顔から火が出そうだった。 彼は気まずそうに視線を逸らし、バツが悪そうに頭を掻いている。その純粋な反応に、先ほどまでの怒りが少しだけ萎んでいくのを感じた。本当に、悪意はなかったのかもしれない。 だが、見てしまったものは見てしまったのだ。お互いの裸体を。 その事実が、重く、気まずい沈黙となって二人の間に横たわった。 やがて陽が傾き、森が茜色に染まり始める頃には、私たちはシェルターに戻り、小さな焚き火を囲んでいた。パチパチと薪がはぜる音だけが、静寂を破っている。昼間の出来事のせいで、会話は途絶えたままだった。 この惑星には、動物の気配が一切ない。鳥のさえずりも、虫の音も聞こえない。聞こえるのは風が木々を揺らす音と、焚き火の音、そして互いの呼吸の音だけ。その生命感に満ち溢れているはずの世界の、異様なまでの静けさが、かえって不安を煽った。 「……なあ」 沈黙を破ったのは、カイトだった。 「夜は冷えるみたいだ。その……よかったら、身を寄せ合って寝ないか?その方が、暖かい」 彼の言葉に、私は焚き火の向こう側で身を固くした。昼間の失態を取り繕うつもりなのか、あるいは、ただ純粋な善意からの提案なのか。どちらにせよ、受け入れられるはずもなかった。 「冗談じゃないわ。敵と肌を合わせる趣味はないの」 きっぱりと、冷たく言い放つ。彼は「だよな」とだけ呟くと、それ以上何も言わなかった。 私は彼から最も遠いシェルターの隅に陣取り、硬い地面に横たわる。彼は、私がそうするのを見届けてから、反対側の隅に身体を横たえた。 焚き火の炎が揺らめき、シェルターの壁に二つの影を映し出す。その影だけが、寄り添うこともなく、かといって離れることもできずに、ただ夜の闇の中でゆらゆらと揺れていた。 硬い地面と、襲い来る寒さ。そして、すぐそこに敵がいるという緊張感。眠れるはずもなかったが、疲労は確実に私の意識を蝕んでいく。遠のく意識の中で、私はただ、この長い夜が早く明けることだけを願っていた。 翌朝、瞼をこじ開けた私を襲ったのは、奇妙な感覚の鈍りだった。 昨日まで、たとえ混乱していたとはいえ感じられた、植物たちの放つ微かな生命エネルギーの波動が、今はほとんど感じられない。まるで薄い膜を一枚隔てた向こう側の世界の出来事のように、すべてが遠い。 戦闘時に大量に投与したナノマシンが、時間の経過と共にその多くが活動を停止したのだろう。超感覚が鈍り、私はただの人間、ただの女に戻りつつあった。それが、ひどく心細かった。 ぼんやりとした頭で辺りを見回し、カイトの姿を探す。シェルターの中には、彼の姿はなかった。彼の分のレーションも、なくなっている。先に起きて、どこかへ行ったのだろうか。 一抹の不安が胸をよぎる。まさか、私を置き去りにして一人でどこかへ……?いや、彼に限ってそれはない、と思いたい。 重い身体を引きずるようにしてシェルターから這い出すと、朝の冷たく澄んだ空気が肺を満たした。カイトの姿を探して、森の中を歩く。 そして、私は信じられないものを目にした。 少し開けた場所に、それはあった。 この原始的な植物惑星には、あまりにも不釣り合いな人工物。流線型の、燃えるようなメタリックレッドに塗装された、四輪のスポーツカー。 その存在自体が、現実感を欠いていた。なぜ、こんなものがここに? そして、その車のボンネットは開かれ、一人の男がその内部を覗き込み、何やら作業をしていた。カイトだった。 脳が、理解を拒絶する。 救援が来た?彼の軍だけが、彼を助けに来たというのか? それとも。 最初から、すべては仕組まれていた?私を油断させ、情報を引き出し、生け捕りにするための芝居だったというの? ふつふつと、腹の底から怒りが込み上げてくる。昨日までの、あの奇妙な連帯感は、すべて偽りだったというのか。 「どういうことなの、これはッ!」 抑えきれない怒りを声に乗せ、彼に問い詰める。私の剣幕に、彼は驚いたように顔を上げた。その手は、機械油か何かで黒く汚れている。 「ん?ああ、レイナか。おはよう。どうしたんだ、そんなに怒って」 彼は、きょとんとしていた。 私の怒りの理由が、まるで理解できていないかのような、間の抜けた表情。 その態度が、私の怒りにさらに油を注いだ。 ふざけているのか。この状況で、まだ私を騙し通せると思っているのか。 「ふざけないで!その車は何なの!あなたの仲間が来たんでしょう!?私を捕虜にするつもりだったのね!」 「仲間?いや、来てないが……。だから、これは……」 「もういい!」 彼の言葉を、遮る。もう、何も聞きたくなかった。信じたくなかった。 信用できない。この男と一緒にいては、いけない。 気づけば、私はその場を駆け出していた。背後から私を呼ぶカイトの声が聞こえたが、振り返ることはしなかった。 ただ、ひたすらに、彼から、あの赤い車から、そして私を裏切ったという絶望的な事実から逃れるように、森の奥深くへと、私は走った。 ### パート4 どれだけの時間、当てもなく森の中を彷徨い続けたのだろうか。 怒りに任せてカイトのもとを飛び出したものの、激情の嵐が過ぎ去った後に残されたのは、深い後悔と、自分の浅慮に対する自己嫌悪だけだった。 少しずつ、冷静さが思考の主導権を取り戻してくる。 こちらに負い目がある人間が、あんな間の抜けた、純粋に驚いたような顔をするだろうか。もし私を謀ろうとしていたのなら、もっと別の反応があったはずだ。もっと、きちんと話をすればよかった。あの赤いスポーツカーが何なのか、彼の口から直接聞くべきだったのだ。 仮に、彼の言動のすべてが偽りだったとして。向こうにだけ救援が来て、私が虜囚の身になったとしても、この生命の気配以外は何もない惑星で、誰にも知られず孤独に朽ち果てていくよりは、よほどマシだったのではないか。 そんな考えが、冷たい絶望となって胸に広がっていく。 「……弱いな、私」 ぽつりと、乾いた唇から言葉がこぼれ落ちた。 今まで、精神の均衡を保つために、どれだけ生体スーツの機能に依存してきたことか。戦闘中の昂ぶりも、恐怖も、絶望も、すべてパルス一つで正常値に戻してくれる。そんな便利な機能に甘え、自分の精神と向き合うことを怠ってきたツケが、今、回ってきているのかもしれない。 カイトという予期せぬ他者の存在が、私の脆い精神の均衡をいとも容易く崩してしまったのだ。 俯きがちに、力なく歩を進める。疲労で重くなった足が、腐葉土の積もった柔らかい地面に沈み込んだ。 その時、ふと、足元で何かが蠢いたように見えた。 見慣れた、緑色の蔦だ。 まだ幻覚が見えるほど、ナノマシンが体内に残留しているというのか。あるいは、疲労が見せるただの錯覚か。 そう思った、次の瞬間。 足首に、ぬるりとした生々しい感触が絡みついた。 「ひっ……!」 幻覚ではない。現実だ。 それは確かな質量と力をもって、私の足首を締め上げる。見れば、地面から伸びた太い蔦が、まるで蛇のように私の脚に巻き付いている。 驚きに声も出せず、必死でそれを引き剥がそうとするが、蔦の表面は奇妙な粘液で覆われており、指が滑って全く力を込めることができない。 そして、その蔦は信じられないほどの力で私の身体を宙吊りに持ち上げた。 「きゃあああっ!」 逆さまになった視界が、激しく揺れる。木々の間から、更に無数の蔦が、まるで獲物を見つけた捕食者のように、ざわざわと蠢きながら私めがけて伸びてきた。 あっという間に、身体の自由は完全に奪われる。腕に、脚に、胴体に、蔦が幾重にも巻き付き、私を拘束していく。外見からは想像もつかないほどの強い力で締め付けられ、身動き一つ取れなくなった。 「やめ……離して……!」 スーツに覆われていない、剥き出しの首筋。そこに、ひときわ太い蔦がするりと巻き付いた。ひんやりとした粘液が肌に触れ、不快感に身を震わせる。 直後、蔦が触れた部分の皮膚から、何かがじわりと浸透してくるような感覚。そして、そこが後からカッと熱を帯びた。 これは、ただの植物じゃない。何か、危険なものだ。 他の蔦は、まるで私の身体の形状を確かめるかのように、スーツの表面を執拗に這い回り始めた。柔らかな胸の膨らみを押し潰し、くびれた腰のラインをなぞり、丸い尻の谷間へと滑り込んでいく。乱暴な衝撃や圧迫はスーツ内部の神経伝達ゲルが巧みに吸収し、なぜか私の神経には、くすぐったいような、心地良い刺激だけが到達する。 心地良い?まさか、そんなはずが。 思考が混乱する中で、再び視界に幻覚がちらつき始めた。色とりどりの光の粒子が舞い、甘い花の香りが鼻腔をくすぐる。体内に残留するナノマシンと、皮膚から浸透してきた未知の成分とが、危険な相乗効果を生み出しているらしい。 その証拠に、身体の芯が、じわりと熱を持ち始めていた。スーツに守られた乳房の先端が硬く尖り、下腹部の奥深くが疼くように熱い。 この成分は、媚薬……? この植物は、捕らえた獲物を、性的に昂奮させるというのか。何のために。 逃れようともがくが、蔦の拘束はびくともしない。それどころか、私の抵抗に呼応するかのように、締め付ける力はさらに増していく。 新たに現れた一本の、半透明な蔦が、私の顔の前で鎌首をもたげた。そして、その先端が、私の唇にそっと触れる。 「ん……んぅ……!」 必死で口を固く噤むが、その瞬間、両の乳房を蔦がぐにゅりと揉みしだいた。予期せぬ刺激に全身の力が抜け、喘ぎと共に開いてしまった唇の隙間から、蔦は一気に口内へと潜り込んでくる。 甘ったるい、芳醇な香りが思考を蕩けさせる。 口内に侵入した蔦は、粘液を撒き散らしながら舌を絡めとり、歯列をなぞり、上顎の敏感な粘膜を這い回った。やがて一度、喉の奥深く、息の根を塞ぐ寸前まで侵入すると、今度は乱暴に前後運動を始めた。 未通女ではない。それが何を模倣した行為なのか、嫌でも理解してしまう。 犯されている。植物に。 その屈辱的な事実に、下腹部が勝手にきゅうんと疼いた。 身体を拘束する蔦の動きは、さらに執拗さを増していく。スーツの上から、乳首を先端でこすり、内腿の付け根をなぞり、そして、股間の最も敏感な場所を集中的に刺激し始めた。 間違いない。これには、明確な意思がある。ただ獲物を捕食するのではない。これは、交尾行動に酷似している。 口内を犯す蔦が、その動きをさらに強めた。呼吸がままならず、意識が霞んでいく。視界は、もはや現実と幻覚の区別がつかないほど、色と光で満たされている。 半透明の蔦の内部を、その根元から先端に向けて、何か白いものが奔流となって走り抜けるのが見えた。 そして、蔦が深く喉奥に突き入れられた瞬間、それは弾けた。 未知の、白濁した液体。意思とは無関係に、ごくり、ごくりと喉がそれを飲み下していく。量が、あまりに多い。濃厚で、少し温かい液体が、絶え間なく食道を流れ落ちていく。放出は長く、長く続き、呼吸を完全に堰き止められて、意識がブラックアウトした。 その瞬間だった。 生命の危機を察知したスーツのシステムが、強制的に再起動したのだ。うなじの制御モジュールが微かな駆動音を立て、私の昏倒した意識に向けて覚醒を促すパルスを照射する。 「……ッ、かはっ……!」 脳天を貫く電気的な衝撃に、意識が無理やり引き戻された。 喉を塞いでいた蔦が、ようやく全てを注ぎ終えたのか、するりと引き抜かれていく。堰を切ったように激しく咳き込むと、口の端から飲み込みきれなかった白濁液がどろりと溢れ落ちた。だが、その大半はすでに胃の中へと収まっている。熱く、ずしりと重い。それはただの栄養分などではない。身体の内側から燃え上がらせるような、強力な媚薬。いや、それだけではない、もっと根源的な何かを孕んだ液体であると、本能が告げていた。 安堵する暇もなく、新たな絶望が眼前に迫る。 拘束に使われていなかった別の蔦が、まるで意思を持つ指のように器用な動きで、私のスーツの股間部分にあるファスナーの金具を弄り始めたのだ。 「や……やめて……!」 掠れた声で懇願するが、植物に言葉が通じるはずもない。ジジジ、と無機質な音を立てて、ファスナーがゆっくりと下ろされていく。 まさか、そんな。口だけでは、飽き足らないというの。 過度の緊張と恐怖を、スーツのセンサーが正確に読み取った。 『警告。パイロットの精神状態、極度の緊張を検知。リラックスを促すため、鎮静パルスを照射します』 やめて、それだけは。 しかし、私の意思とは無関係に、システムは忠実にその機能を果たそうとする。首筋から放たれた微弱なパルスが、強張っていた全身の筋肉を弛緩させていく。それは、この絶望的な状況において、抵抗する気力そのものを根こそぎ奪い去る、悪魔の囁きにも等しかった。 ファスナーが完全に下ろされ、私の秘部が、湿った外気に無防備に晒される。すでに媚薬の効果で潤みきったそこからは、恥ずかしいほど濃密な愛液が、一筋、また一筋と糸を引いて垂れ落ちていた。 そこへ、半透明の蔦の先端が、くちゅりと音を立てて触れる。 「あ……ぅ……んっ……」 こいつの目的は、捕食ではない。快楽でもない。 生殖だ。 この植物は、私を母体として、その種を植え付けようとしている。 腰を必死によじり、最後の抵抗を試みる。だが、両脚に絡みつく蔦の本数がさらに増え、私の僅かな動きさえも無慈悲に封じ込めてしまった。 開かれたそこへ、蔦の先端がゆっくりと侵入してくる。蔦を覆う粘液が私の愛液と混じり合い、まるで化学反応でも起こしたかのように、火が灯るように強い熱を帯びた。 「ひぃっ……!ぁ、あ……!」 すでに蕩けきっていた私の肉体は、何の抵抗もできずに異物を受け入れてしまう。蔦は、柔らかい襞を一枚一枚慈しむように擦りあげながら奥へ奥へと押し進み、やて最奥にある柔らかな器の入り口を、わずかに押し上げた。内臓がぐっと圧迫される感触に、苦しい吐息が漏れる。 蔦は、内部の感触を確かめるかのように僅かに身をうねらせた。そして、襞の一枚一枚にその存在を刻み付けるように、ゆっくりと、本当にゆっくりと、外へと這い出していく。表面にある微細な凹凸が、粘膜の全面を容赦なく刺激し、ぞくぞくと粟立つような快感が背筋を走り抜けた。 完全に抜けきる、その寸前。 今度は、勢いよく、再び奥まで突き込まれる。先ほどよりも更にスムーズに、ぬぷり、と生々しい音を立てて。 ゆっくりと抜き、素早く侵入する。その動きは徐々に速度を増し、やがて、人間の交合と何ら変わらない、確かなピストン運動へと変わっていった。 「はっ、ふ……ぅ、ぁ……っ!」 呼吸がどんどん早くなっていく。幻覚で視界が歪み、世界が万華鏡のようにきらめいていた。 駄目だ。もう、駄目。 来る。意識とは無関係に、快楽の波が、すぐそこまで。 拘束されたままの手足に、勝手にぎゅっと力がこもる。身体の芯が、ぷるぷると小刻みに震え始めた。そして、圧倒的な感覚の奔流が背筋を駆け上り、脳髄の奥で真っ白に炸裂した。 「あ、アアアァァッ……!」 絶頂。 あたかも私の反応を理解しているかのように、蔦のピストンがふっと弱められ、甘い余韻に身を委ねることを許してくれる。だが、乱れた呼吸が整う暇さえ与えられず、その動きはすぐに力強さを取り戻した。 一度屈してしまった身体は、もう抗う術を知らない。すでに次の頂点へ向けて、忠実に準備を始めてしまっている。 その時だった。 うなじの部位にあるスーツの制御モジュールが、ジジ、と異音を発したのは。 『警告。性感覚の過度な高揚を検知。抑制パルスを照射します』 これで、この地獄のような快感が少しはマシになる。そう思った瞬間、その淡い期待は、最悪の形で裏切られた。 スーツから照射されたのは、抑制どころか、むしろ快感をさらに増幅させる、強烈な快楽のパルスだったのだ。 制御モジュールが、故障している……! 「なっ……あ、あああああっ!?」 パルスに性感覚が直接刺激され、身体がびくんと大きく跳ねる。その反応を「さらなる興奮」と誤認したシステムが、抑制しようと更にパルスを放つ。そのパルスでまた感じてしまうという、絶望的な悪循環。 パルスへの反応で、私の内部が意思に反してきゅう、きゅうと断続的に締め付けられる。その度に、体内で動き続ける蔦は、まるで歓喜するかのように身を震わせた。 ナノマシンと媚薬。スーツと蔦。四つの共犯関係が、快楽に蕩けきった私の身体を、好き放題に弄んでいく。 柔らかい乳房は、別の蔦によってぐにゅりぐにゅりと形を変えるほど揉みしだかれ、硬くなった突端を執拗に転がされる。口からは自分のものとは思えないほど甘い喘ぎが、ひっきりなしに漏れ出ている。やがて身体の芯に再び熱がこみ上げ、次の絶頂がすぐそこまで迫っているのが分かった。内側から何かが膨張し、満たし、もう収まりきらないというところまで張りつめて、ついに真っ白に爆発する。 二度目の絶頂は、一度目よりもずっと深く、長く、私の理性を根こそぎ奪い去っていく。そして、故障したスーツが放つ断続的なパルスが、その快感の頂点を無理やり引き伸ばした。 「あ、ぅ……あ、ああああッ!や、だ……とまら、な……ぃ……!」 絶頂がようやく収まる頃には、もう次の波が押し寄せている。三度、四度と達するうちに、もはや快楽の途切れ目はなくなった。いつまでも、いつまでも、身体の芯が痙攣し、達しつづける。満足に呼吸もできず、生理的な涙が止めどなく頬を伝った。 体内を貫く蔦も、もはや手加減というものを完全に止めていた。ただ獣のように、速く、深く、激しいピストンを際限なく繰り返す。 その根元で、先ほど口内に注がれたものとは比較にならないほど濃密な白濁液が、ぐつぐつと煮えたぎり、渦巻いているのが、幻覚にぼやけた視界でもはっきりと見て取れた。半透明の蔦の内側を、粘性の高い白い液体が満たし、まるで生き物のように蠢きながら、私と繋がる結合部へと伸びていく。 まずい。あれを、注ぎ込まれる。 本能的な恐怖が思考をよぎるが、連続する絶頂の嵐がそれをすぐに掻き消してしまった。 最後に、蔦が一度、ぐっと深く、子宮の入り口をこじ開けるように力強く突き込んだ。そして、びゅくん、と大きく一度跳ねる。 瞬間、凄まじい勢いで熱い奔流が炸裂し、最奥にある器が、注ぎ込まれたものでブワッと大きく膨れあがった。 それはまるで煮えたぎった鉛のように熱く、重い。身体の芯を焦がし、溶かし、その灼熱ですべての感覚を塗り替えていく。 「アッ……!アアア、アアアァァァァッ……!!」 声にならない絶叫が、喉の奥から迸った。 濃く、熱く、重い奔流に、思考のすべてが押し流されていく。暗く、深く、そして温かい生命の海に、どこまでも、どこまでも沈んでいくような心地。 注入は、長く、長く続いた。私の小さな器では受け止めきれないほどの量が、脈打つように、繰り返し送り込まれてくる。意識もまた、深く、深く沈み込み、もう二度と戻ってはこられないのではないかという、甘い恐怖に支配されていく。 その時、体内で活動を停止しかけていたナノマシンが、最後の力を振り絞るように、その超感覚を覚醒させた。 胎内でうねる、圧倒的なまでの生命力の奔流。その一つ一つの粒子が、精緻に、鮮明に感じ取れる。 これは、この植物の種子……精子だ。 私の卵子を求め、その熱に引き寄せられるようにして、無数の生命が泳ぎ回っている。その何十億という生命の欠片一つ一つの、力強い脈動がハッキリと感じられる。 なんて、力強いんだろう。 ああ、これで、きっと、私は。 新しい生命を、この身に授かるのだ。 その抗いがたい、原始的な幸福感に満たされ、私が完全に意識を手放す、その直前。 「レイナーーーッ!!」 遠くで、男の切羽詰まった叫び声が響いたような気がした。 ### パート5 温かい、生命の海。 その心地よい揺らぎの中を、私は静かに漂っていた。満ち足りた感覚が全身を包み込み、思考は穏やかな凪の中に溶けていく。 ふと、その海が、私の身体の内側にあるのだと気づいた。そして、私の身体を取り巻いているのは、むしろ心地よい冷たさを湛えた── 「……ん……」 ハッと意識が覚醒する。 瞼を開けば、すぐ間近に、心配そうにこちらを覗き込む男の顔があった。カイトだ。 見回せば、そこは彼と初めて出会った、あの澄み切った泉のほとりだった。記憶が徐々に鮮明になっていく。私は、あの忌まわしい植物に嬲られ、意識を失いかけていた。そこを、彼が助けてくれたらしい。 身体を起こすと、彼はさっと手を貸してくれた。その手の温かさに、胸の奥がきゅうと締め付けられる。 「……ごめんなさい」 かろうじて、それだけを口にする。 「あなたを疑って、飛び出して……。それに、助けてくれて、ありがとう」 心の底からの、謝罪と感謝だった。 私の言葉に、彼はどこかぎこちなく視線を彷徨わせた。その反応は、私の予想通りだった。凄惨な凌辱を受けたであろう女を前にして、かけるべき言葉を選びかねている。その気まずそうな横顔が、彼の優しさの証明のように思えた。 きっと彼は、私が抵抗する術もなく犯され、心身ともに深い傷を負ったと思い込んでいるのだろう。 その快楽を、私が最後の最後には完全に受け入れ、悦んでいたことなど、まったく想像もしていないに違いない。 その考えに至った瞬間、身体の奥深くから、再びあの熱が込み上げてくるのが分かった。胃の中に残る媚薬の残滓が、彼の優しさに触れて再び活性化したのか。それとも、私の精神そのものが、もうおかしくなってしまったのか。 居ても立ってもいられなくなった。気づけば、私は彼の逞しい身体に、そっと自分の身を擦り寄せていた。 「レイナ……?」 戸惑う彼の声が、耳をくすぐる。 「お礼を、させて」 「礼なんていい。あんたが無事なら、それで……」 「いいえ。させてほしいの」 こんなに淫らな身体になってしまった女に対して、あなたが気に病むことなんて、何一つないのだと。それを、言葉ではなく、身体で伝えたかった。 彼の着ていた敵軍の標準スーツの胸元を、ゆっくりとはだけさせていく。現れたのは、分厚い筋肉に覆われた、逞しい胸板だった。そっと手のひらを這わせると、彼の心臓が早鐘を打っているのが伝わってくる。 「……すごい身体」 「訓練の賜物だ」 「こんなにいい身体をしていて、女の人に迫られるのが初めて、なんてことはないでしょう?」 悪戯っぽく笑いかけると、彼の反応はそれを雄弁に否定していた。顔を赤らめ、慌てて視線を逸らす。まさか。本当に? 思わず、乾いた唇をぺろりと舌なめずりしてしまった。 彼のスーツを腰まで引き下ろす。すると、彼の昂ったそれが窮屈そうな下着の布地に一旦引っ掛かり、そして弾けるようにして解放され、逞しい腹筋に見事な弧を描いてべチンと跳ね返った。 彼の、灼熱の塊。 恐る恐る、指先でそっと触れてみる。見たことがない。こんなに熱く、大きく、猛々しいものを。私の指が触れただけで、それはびくりと震え、さらに硬度を増したようだった。手を上下に優しく動かすと、血管が浮き出た猛りはますます膨れあがる。 先端から滲み出た透明な雫を、そっと舌で掬い取った。少し塩辛く、それでいて彼の生命力を凝縮したような、独特の味。竿の硬い根元から、傘の開いた先端にかけて、ゆっくりと舌を這わせる。彼の身体がびくっと大きく震え、荒い息が漏れた。 そのまま、先端をゆっくりと咥え込む。 「んむ……っ」 あまりに大きすぎて、先端の傘の部分だけで、私の小さな口内はいっぱいになってしまった。一旦口を離し、今度は竿の部分を側面からねっとりと舐め回していく。太く、力強く、そして、どこまでも熱い。 これは、彼へのお礼のはずだった。奉仕に徹するべきなのに、もう我慢ができなかった。 片方の手で自身の重たい乳房を下から支え、もう一方の手は、するりと自分のスーツの股間のファスナーへと伸びていた。それをゆっくりと下ろし、露わになった内側のぬかるみへと、そっと指を滑り込ませる。 その瞬間、私はそこに確かな違和感を覚えた。 あの蔦に注ぎ込まれた白濁液は、もはや液体とは呼べないものになっていたのだ。粘り気の強い、まるでトリモチのような半固形の塊が、私の膣道を入り口から突き当たりまでみっちりと埋め尽くしている。そして、その先の器に注がれたものを、強固に押しとどめる蓋と化していた。 あの植物の精子を、無数に含んだ、紛れもない精液。 それは襞の一枚一枚にまで浸透し、その粘膜を通じて媚薬成分が絶えず染み出し、私の身体を内側から熱く、熱くさせている。 そっと指を差し入れてみる。粘度の強いそれに、指がねっとりと絡め取られた。それを引き抜くだけでも、ある程度の力を込める必要があるほどだった。 どろりと白い粘液をまとった指を、彼の目の前に突きつける。 「見て。きっと、私、孕んでしまう」 背徳的な笑みを浮かべ、挑発するように告げる。 「この身体、どうなってしまうのかしら」 すると、彼は息を呑んだ。私のことを気遣い、気後れするような言葉とは裏腹に、彼のものがさらに一段、硬度を増すのが分かった。 この男から、嫉妬と、そして独占欲を向けられている。 その事実に、歓喜で心臓が大きく跳ねた。 彼に、求められたい。彼の身体は、もうとっくにその気になっているのだから、次は、その心だ。 私は彼の大きな手を、自分の両手でぎゅっと握りしめた。温かく、節くれだった、愛おしい手。その手に頬ずりし、指の一本一本を丁寧に舌で愛撫してから、そっとこちらの胸へと導く。 彼の大きな指が、私の豊かな乳房をスーツ越しにふわりと包み込んだ。そして、指先が硬くなった突端をほんのわずかに掠めた、その瞬間。 「ぁ……んっ!」 思わず、甘く甲高い声が喉からこぼれ落ちた。 身を乗り出し、彼の厚い胸板を強く抱きしめる。そして、そっと唇を奪った。舌を差し入れようとしたが、それは彼の固く閉ざされた唇に阻まれてしまった。やはり、こうした行為に、彼は慣れていないらしい。 「どうして……。どうして、俺なんかに、そこまで……」 昨日出会ったばかりの、敵軍の男に。最初はあなたのほうが、よほど馴れ馴れしかったというのに。彼の戸惑いが、声に乗って伝わってくる。 「媚薬で、身体が火照って仕方ないの」 私は、彼の耳元で囁いた。 「それを鎮めてくれるなら、誰でもいいって言ったら……軽蔑する?」 もちろん、言葉にはしないけれど、私はもう、とっくに彼に惹かれている。でも、もし他の誰かと同じ状況に陥ったら?正直に言うならば、本当に、私は誰とでもまぐわってしまう気がした。それほどに、この身体は淫らに作り替えられてしまったのだから。 この、見え透いた挑発に、果たして彼は乗ってくれるだろうか。もし、ここで拒まれてしまったら。この満たされない身体を抱えたまま、私はきっと、狂ってしまう。 私の瞳の中に浮かんだ不安を、読み取ってくれたのだろうか。あるいは、彼自身も、もう昂りを抑えきれなくなっていたのか。 彼が、ゆっくりと身体を起こし、私の上に覆い被さってきた。 求められている。 抱いて、もらえる。 その喜びに、堰を切ったように涙がこぼれ落ちた。 今度は、彼が主導で、じっくりと唇を重ねてくる。不器用ながらも、彼の体温が伝わってくる優しい口づけ。その唇が私の首筋を滑り、鎖骨の窪みを舌が這う。大きな掌が、スーツの上から私の乳房をわし掴みにし、柔らかく揉み捏ねる。その度に、痺れるような快感が突端から全身へと広がっていった。 まだ始まったばかりだというのに、もう下半身がもどかしくて仕方がない。腰が、勝手にくねくねと蠢いてしまう。 「はやく……はやく、欲しい……」 何度もおねだりしているのに、彼の愛撫は、技術的には拙いながらも、どこまでも丁寧だった。こんなに、こんなにも焦らされてしまったら、この後に待つ本当の行為では、私は一体どうなってしまうのだろう。 彼の指が、脇腹を、背中を、そして柔らかな内腿をゆっくりとなぞっていく。そして、ようやく、私の最も敏感な場所に、そっと触れた。 ずっと、刺激を待ち望んでいたそこ。硬くなった小さな突起を、彼の指先が優しく擦る。 「ひゃっ……!あ、うぐぅ……!」 思わず、腹の底から下品な声を出して、身悶えてしまう。 女の身体の、最も感じると言われる場所の一つだというのに。壊れ物を扱うような、あまりにも優しい刺激では、いつまでも、いつまでも絶頂に達することができない。 もう、限界だった。 私は彼の滾りきった部位に手を触れ、熱い竿をさすりながら、一番欲しい場所へと、そっと導いた。 内部で半固形の塊のようになっていた植物の粘液が、私が流し続ける濃密な愛液と混じり合い、わずかに溶解して、受け入れの準備を整えている。これなら、きっと。 はやく。はやく、入れて。 彼が、ごくりと息を吞み、覚悟を決めたのが分かった。 待ちに待った、挿入の瞬間。 私の肉を押し広げ、内部の粘液を貫き、掻き分けるようにして、彼の灼熱の芯が、ゆっくりと内側へと沈み込んでいく。 「あ……っ、あぁ……っ!」 今までの人生で交わった、誰のよりも、最も大きく、雄々しい。 依然として高い粘度を保っている白濁液が、彼の猛りにねっとりと絡みつき、痛みをもたらすはずの摩擦を防ぎながら、それが浸透した襞のすべてに、濃厚な刺激を行き渡らせる。 彼が腰を動かし、出し入れするたび、濃厚な粘りが吸盤のような吸着をもたらし、追いすがるようにして彼のものを締め付けた。彼は、その甘い抵抗をものともせずに力強く腰を動かし、何度も、何度も私の内部を貫き、一番奥にある器を強く、強く打ち据える。 これだ。これが、ずっと欲しかった。 快楽に意識を深く沈めながら、私は体内に残るナノマシンの残滓を必死にかき集めて、彼の感覚を探る。彼が悦びを感じるのに合わせて腰の角度を微妙に調整し、彼の最も弱い部分が刺激されるように、内側から誘う。 腰を動かしているのはあなたでも、この交合を支配するのは、あなただけではないのだと。 それでも、媚薬の熱に浮かされ、十分に焦らされきった私の身体には、彼よりもずっと早く限界が近づいていた。するりと彼の腰に脚を絡め、分厚い胸板をぎゅっと抱きしめて、その瞬間を待ち構える。 もう、ちょっとで。 来る。来る── 繋がった身体の芯から、背筋を強烈な電流が走り抜け、頭の中で真っ白な光が爆発した。平衡感覚を見失い、現実とは思えないほど鮮やかな光が、目の前でうねり、渦を巻く。 絶頂の嵐から降りてきて、身体の感覚をゆっくりと取り戻したとき、自分が彼の太い腕に優しく包まれていることに気づいた。そこに、今まで感じたことのない、別種の温かい喜びを感じる。彼は動きを止め、私が落ち着くのを、黙って待っていてくれたらしかった。 もっと、容赦なく責めてくれても構わないのに。 「……もっと……」 耳元で甘く囁き、ねだるように腰を揺さぶると、彼は私の望みに応えるように動きを再開した。 深い絶頂を味わったばかりの身体は、先ほどよりもずっと早く、そして鋭敏に高まってしまう。彼を、同じ場所へ連れて行ってあげなければならないのに、これでは私ばかりが達してしまう。 そこへ、想定外の追い打ちがかかった。 完全に許容量をオーバーした性感に呼応したのか、うなじでスーツの制御モジュールが低く唸り、ふたたび、あの快楽のパルスを照射し始めたのだ。 ひと波、またひと波と、パルスが放たれるたびに背筋が甘く痺れ、軽い絶頂感が繰り返し押し寄せる。この、ポンコツめ。スーツが故障していて、これほど喜ばしいことがあるなんて、今まで思いもしなかった。 彼の力強いピストンと、スーツが放つ断続的なパルスが重なり合い、次の頂点が恐ろしいほどの速度で近づいてくる。胸の内を、絶頂感という名の熱い奔流がこみ上げ、満たし、飽和して、そして決壊する。全身を巡り、荒れ狂う快楽の嵐が、ふたたび私の現実感を奪い去っていく。 彼が動きを止めても、パルスは止まらない。 絶頂が、無理やり引き伸ばされ、終わらない。どこまでも、どこまでも、達しつづける。 彼の確かな存在を感じながら、私の意識は、暗く、深く、甘美な快楽の海の底へと、どこまでも沈んでいった。 心地よい暗闇の中に、私と彼の、二つの存在だけが浮かんでいる。 これは、ナノマシンが見せる超感覚?それとも、ただの幻覚? おそるおそる、精神の指先で彼の存在に触れると、そこから境界線が溶け合い、混じり合っていくような、不思議な感覚が訪れた。二つの鼓動が重なり、やがて一つの、力強いリズムとなって響き渡る。 もっと近くへ。 彼の大きな存在感に飲み込まれ、私が、彼の一部になっていく。 私の内に抱えた、破裂寸前の快感を、彼にも分け与える。 生命力という名のガソリンで満たされた彼の内側に、私の快感が、小さな火種となって灯された。それはたちまちのうちに燃え広がり、彼の全身を満たし、焦がし、そして、お互いの輪郭さえも超えて、熱が、快楽が、真っ白に弾け飛んだ。 精神の絶頂が、爆発する── 「う、おおおおおっ……!」 彼の、獣のような呻き声が聞こえた。 次の瞬間、彼の生命力が、熱い奔流となって形を成したものが、私の胎内を突き抜け、全身を貫いた。 戻ってきたばかりの意識が、その圧倒的な熱量と衝撃によって、たちまち吹き飛ばされる。 きっと、後にも先にも、これ以上の悦びは、この人生でないだろう。 私の胎内の最奥、子宮に留まり続けていたあの植物の精子たちが、彼の新鮮で、力強い熱を注ぎ足され、混じり合い、狭い内側で歓喜するように荒れ狂う。 彼の肌が粟立ち、一度では終わらない。何度も、何度も、新たな奔流が送り込まれてくる。 放出は、長く、長く続いた。まるで、私のスーツが放つ快楽のパルスが、彼にも伝染してしまったかのように、彼の猛りはいつまでも、いつまでも脈打ち、達しつづける。 一滴も残さず、すべてを打ち尽くした後、彼自身の身体を支えていた腕が、ついに力を失った。彼の全身が、私の上にどさりと倒れ込んでくる。 重い。ちょっと、息が苦しい。 けれど、今は、それが何よりも心地良かった。 未だにスーツは断続的にパルスを発し続け、私の身体は、微かな痙攣と共に達し続けたまま。 彼を、彼のすべてを受け止め切ったことで、私の心は、どこまでも柔らかな充足感に浸っていた。 ### パート6 肌に突き刺さるような朝日の眩しさに、私はゆっくりと瞼を開いた。 最初に感じたのは、私を包み込む逞しい腕の温もりと、規則正しく繰り返される穏やかな寝息。見上げれば、カイトの安らかな寝顔がすぐそこにあった。無防備に開かれた唇から、子供のような寝息が漏れている。 昨夜の激しい情交の記憶が、熱を帯びた靄のように脳裏をよぎり、頬が熱くなるのを感じた。私たちは、抱き合ったまま眠ってしまったらしい。 その事実に、胸の奥から温かいものが込み上げてくる。敵同士という現実を忘れさせるほどの、穏やかで満ち足りた朝。 彼の腕の中で身じろぎした瞬間、私の下腹部に、硬く、熱い感触が押し付けられた。 見れば、彼のものは昨夜あれほどたっぷりと私の内に注ぎ込まれたというのに、再び力強く、雄々しく硬化している。男の朝の生理現象だとは知識として知っていたが、それをこれほど間近で、しかも自分の身体で感じたのは初めてだった。 悪戯心が、むくりと頭をもたげる。 そっと彼の腕の中から抜け出し、彼を仰向けにさせる。そして、朝日に晒された彼の猛りの間近に、顔を寄せた。 改めて見ても、本当に、ものすごく大きい。血管がくっきりと浮き出た猛々しい姿は、それだけで私の身体の芯を疼かせる。 先端を、ゆっくりと唇で挟み込む。そして、傘の形状をなぞるように、ねっとりとした舌を動かした。彼の身体が、ぴくりと小さく震える。 口だけでは、この雄大なものを十分に刺激し、悦ばせることはできない。竿の硬い部分を両手で優しく握りしめ、指の力を微妙に加減しながら、丁寧に、丁寧に扱いていく。 最初はゆっくりと、彼の覚醒を促すように。やがて彼が身じろぎし、んん、と微かな呻き声を漏らしたのを合図に、その速度を上げていく。 夢中で責め続けるうちに、彼のものにはさらに血流が集まり、灼熱と呼んでいいほどの熱を帯び始めた。次第に、私の手の中でびくびくと小刻みに震え始める。もう、限界が近い。 私は彼の腰に跨るようにして体勢を変え、全力で、すばやく扱きあげた。そして、目いっぱい口を開き、その先端を深く、深く咥え込んだ瞬間。 「ん……ッ!」 ついに彼が我慢しきれなくなったものが、私の口内へと勢いよく吹きこぼされた。 喉の奥を突く熱い奔流。濃厚で、少し苦味のある、朝一番搾りの生命の雫。ごぷ、ごぷ、と脈打つ奔流が、私の口内を余すところなく埋め尽くしていく。飲み込みきれずに口の端から溢れたそれが、私の顎を伝い、豊かな胸の谷間へと零れ落ちた。 いつの間にか目を覚ましていた彼が、どこか呆然とした、それでいて熱に浮かされたような瞳で、こちらをじっと見つめている。 私はゆっくりと口を離すと、彼が達した証である白い液体を、わざと舌の上に乗せて見せつけた。それから、こくり、と大げさな音を立ててそれを飲み込み、再び空になった口の中を彼に見せる。 「おはよう、カイト。朝ご飯、先に頂いちゃった」 悪戯っぽく微笑むと、彼はようやく我に返ったように、はーっと深いため息をついた。その顔は呆れと、羞恥と、そして隠しきれない悦びがない交ぜになった、複雑な色をしていた。 「……あんた、本当に食えない女だな」 水で身体を清め、残っていたレーションを分け合って本当の朝食を済ませた後、私はずっと気になっていた疑問を切り出した。 「それで、あの場違いなスポーツカーは、一体何なの?」 私の問いに、カイトはさも当然といった様子で答える。 「ああ、あれか。あれが、俺の乗機のコクピットだ」 「……は?」 一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった。 宇宙戦闘用の兵器のコクピットが、緊急脱出用のポッドや、小型の連絡艇になるというのなら理解できる。だが、四輪駆動の車?それも、悪路走破を目的としたバギーの類ではなく、見るからに車高の低い、舗装路でなければまともに走れそうもないスポーツカー? 設計者は、一体何を考えているというの。 「じゃあ、どうして昨日の探索の時に使わなかったのよ。歩くよりずっと効率的でしょう」 「見ての通り、この辺りはぬかるんだ未舗装の地面ばっかりだろ?こんなところで走らせたら、すぐにスタックするのがオチだ。だから使わなかった」 「……やっぱり、不便じゃない」 私の呆れを含んだ声に、彼は「まあな」と肩をすくめるだけで、特に気にした様子はない。 彼の価値観は、私が今まで軍で学んできた兵器運用の常識とは、根本からかけ離れているようだった。理解に苦しむ、とはまさにこのことだ。 彼の案内で、再びあの赤いスポーツカーのもとへ向かう。車内に乗り込み、助手席のシートに腰を下ろした。革張りの、身体を包み込むような上質なシート。内装も、戦闘兵器のコクピットというよりは、高級な乗用車そのものだった。 だが、ダッシュボードに目をやれば、確かに普通の車にはない複雑な計器類や、用途不明のレバーが並んでいる。それでも、あの巨大人型兵器の、きわめて複雑な機動のすべてを、この車のハンドルやペダルだけで賄っているというのは、にわかには信じがたかった。 「機体の本体部分は、今、基地モードで待機させてある。通信が繋がるのを待ってる状態だ」 「……基地モード?」 嫌な予感しかしない。 彼の運転するスポーツカーに乗り、私たちはその「基地」とやらに向かうことになった。生まれて初めての、彼とのドライブ。それがこんな状況で、しかも目的地が敵の「基地」になろうとは、なんという皮肉だろうか。 やがて木々の切れ間から視界が開け、そこに待ち受けていたものを目にした瞬間、私は絶句した。 それは、なんとも珍妙なオブジェ、としか形容しようのない代物だった。 彼の乗機であっただろう漆黒のロボットの手足が、まるで子供がブロックを並べたかのように地面に横たえられ、パズルのように奇妙な平面を構成している。そこから、申し訳程度の板切れがスロープに見立てて地面に垂れ下がっているが、その役目を担うには勾配があまりにも急すぎる。 戦闘で私をあれほど苦しめたワイヤーは、クレーンアームとして上空に吊り下げられているが、これで一体何の作業をする想定なのか、まったく想像がつかない。 そして、極めつけは、銃座らしき構造物の上部から、こちらを睥睨するように鎮座する、むき出しのロボットの頭部だった。高所にカメラアイを配置するという発想自体は合理的といえるが、人型からかけ離れた形態に変形した「基地」に、生々しい顔だけが残っているというのは、なんとも収まりが悪く、不気味ですらあった。 そもそも、基地と呼ぶには、すべてがあまりにも小さすぎる。ロボット一機分の質量を無理やり基地に見立てようという発想そのものに、無理があるのだ。 やっぱり、私は騙されているのではないだろうか。いや、私ではなく、彼の方が、彼の所属する軍の上層部に。 「……これが、基地?」 「ああ。どうだ、すごいだろ」 胸を張るカイトに、私はかける言葉も見つからなかった。 コンソールを開いて通信ログを確認する。しかし、ここ数日の間に外部からの通信が届いた記録は、どこにもなかった。 ここは両軍にとって未知の惑星だが、地理的には、こちらの連邦軍の支配宙域により近い。彼が友軍と連絡を取るには、あまりにも厳しい状況だ。 「……一つ、考えがあるわ」 私は彼に進言した。 「一旦、私のヴァルキュリアの残骸のもとへ戻りましょう。もしかしたら、通信ユニットが生きているかもしれない」 私の提案に、カイトは頷いた。 再びスポーツカーに乗り込み、墜落現場へと戻る。無残に横たわる白銀の機体。その姿に胸が痛んだが、今は感傷に浸っている場合ではない。 二人で協力して残骸の中から通信ユニットを探し出し、幸いにもそれがほとんど損傷していないことを確認した。動力さえ供給できれば、まだ機能するはずだ。 彼の「基地」へとそれを持ち帰り、彼の機体の動力システムに接続する。信号を発信すると、ほとんど待つ間もなく、スピーカーからノイズ混じりの応答があった。 『……こちら連邦軍、第7艦隊司令部。……応答せよ。そちらは、レイナ・フォルクハルト少尉の機体か?』 繋がった。 だが、それはカイトの軍ではなく、こちらの、私の所属する連邦軍とだった。 すぐに救助部隊が派遣されるという。二人でひとしきりその僥倖を喜んだ後、ふと、カイトが神妙な顔になっていることに気づいた。 「……レイナ」 「なあに?」 「もし……あんたが、俺に少しでも恩を感じてくれているなら……」 カイトは、言いづらそうに言葉を選びながら、続けた。 「俺のことを見逃して、身を隠させてはくれないか」 その言葉は、歓喜に沸いていた私の心に、冷水を浴びせかけるには十分すぎるほどの重みを持っていた。 そうだ。忘れていた。いや、この数日間、意図的に忘れようとしていたのだ。 私たちは、敵同士。救助が来るということは、彼にとっては捕縛を意味する。 彼と、離れたくない。その想いが、喉元までせり上がってくる。彼を捕虜として連れ帰れば、少なくともその命の保証はされるだろう。軍の施設で、生きていさえいてくれれば、いつかまた会えるかもしれない。 けれど。 その瞬間、私と彼の間にあった、この奇妙で、しかし温かい対等な関係は、音を立てて崩れ去るだろう。彼は「敵軍のエースパイロット」という記号になり、私は彼を捕らえた「連邦軍の少尉」に戻る。もう、名前で呼び合うことも、肌を重ねることも、二度と許されはしない。 それが、分かってしまった。痛いほどに。 「……分かってる」 絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。 「分かってるわ。あなたが捕虜になれば、もう、今みたいにはいられないことくらい」 俯く私の顎に、彼のごつごつとした指がそっと触れ、顔を上げさせられる。彼の真摯な瞳が、まっすぐに私を射抜いていた。 「レイナ、俺は……」 「いいの。何も言わないで」 彼の言葉を、遮る。きっと、彼は謝ろうとしている。あるいは、感謝を述べようとしている。どちらも、聞きたくなかった。そんな言葉で、この関係を終わらせてほしくなかったから。 私は意を決し、彼の唇に、自分のそれを重ねた。 今度は、拒まれなかった。別れを惜しむ、最後の口づけ。お互いの温もりを確かめ合うように、深く、長く、そしてどこまでも切なく。 ゆっくりと唇を離し、私は彼の瞳をまっすぐに見つめ返して、告げた。 「約束して」 「……何をだ?」 「いつか、この馬鹿げた戦争が終わったとき、必ず私のところへ来て。そして、責任を取って、添い遂げてくれるまで……どうか、死なないで」 それは、命令であり、祈りだった。 私の言葉に、彼は一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。そして、次の瞬間、その口元に、いつもの飄々とした笑みが戻る。 「とんでもない女を捕まえちまったな、俺は」 そう言って、彼は私の身体を強く、強く抱きしめた。 「ああ、約束する。必ず、あんたを迎えに行く。だから、あんたも死ぬなよ」 その温もりに安心して、私は最後に、ずっと胸の内にあった、儚すぎる望みを口にした。 「……先に、あの植物の精子で満たされてしまったけれど」 彼の腕の中で、私は囁く。 「もしかしたら、私のお腹の中には……あなたの子が、いるかもしれない」 それは、万に一つの可能性すらない、ただの願望。分かっていた。それでも、そう口にせずにはいられなかった。この繋がりが、ただの一夜の過ちではなかったと、信じたかったから。 私の言葉に、カイトの腕の力が、一層強くなった。 彼の機体が、あの珍妙な基地モードから、再び禍々しくも美しい人型兵器へとその姿を変えていく。地面に横たえられていた手足が起き上がり、本体へと結合していく様は、まるで神話の巨人が眠りから覚めるかのようだった。 コクピットである赤いスポーツカーが、胸部ハッチへと吸い込まれていく。 やがて、完全な人型となった漆黒の機体は、静かに空へと浮かび上がった。 『じゃあな、レイナ。必ず、また会おう』 スピーカー越しに聞こえる彼の声は、もうすぐそこにはない。 私は、ただ黙って頷いた。 漆黒の巨人は、私に背を向けると、惑星の裏側へと向けて、一直線に飛んでいく。その姿が、空の青に溶けて、やがて小さな点になり、完全に見えなくなるまで、私はずっと、その場に立ち尽くしていた。 それから、数時間が過ぎた頃だろうか。 上空の雲を突き抜け、友軍の所属を示す白い船体の救助艇が、ゆっくりと降下してきた。 ハッチが開き、武装した兵士たちが駆け寄ってくる。 「レイナ・フォルクハルト少尉で間違いないか!」 「……はい。私が、レイナです」 「無事で何よりだ!しかし、妙だな。信号の発信源はここだが、少尉の機体の残骸は、ここからかなり離れた座標にあったはずだが……」 救助部隊の隊長らしき男が、首をかしげながら問いかけてくる。 「……墜落後、安全な場所を探して、移動していました」 我ながら、苦しい言い訳だと思った。だが、彼らはそれ以上深く追及することもなく、私を無事に救助艇へと収容してくれた。 上昇していく艇の窓から、眼下に広がる緑の惑星を見下ろす。彼と出会い、憎み、そして愛し合った、あの森が、泉が、急速に小さくなっていく。 やがて、救助艇は大気圏を抜け、漆黒の宇宙空間へと躍り出た。窓の外には、青と白のマーブル模様に彩られた、美しい惑星の全貌が浮かんでいる。 あの星のどこかに、彼はいる。 彼との、あまりにも濃密な数日間の逢瀬が、まるで遠い夢の一場面のように、過去のものになっていく。 パイロットとしての自分に、戻らなければならない。あの、すべてを掌握し、敵を屠ることに何の躊躇いもなかった、かつての私に。 けれど。 果たして、かつてのように戦うことができるのだろうか。 敵を愛してしまった、この私が。 遠ざかる青い惑星を見つめながら、私の胸に去来したのは、パイロットとしての使命感ではなく、一人の女としての、あまりにもか弱く、そして切実な不安だった。 ### パート7 母艦《アルゴス》への帰還は、一種の凱旋の様相を呈していた。 未知の惑星からの奇跡的な生還。そして、墜落前に多数の敵機を撃墜した戦果。私は英雄として迎えられ、デブリーフィングの席では、上官たちから惜しみない賞賛の言葉を浴びせられた。 しかし、彼らの言葉はどれも、薄い膜を隔てた向こう側の世界の出来事のように、私の心には響かなかった。私の意識は、報告書の作成に追われながらも、しばしばあの緑の惑星へと飛んでいた。 カイト。 彼の名前を心の中で呟くだけで、身体の奥深くが、きゅう、と微かに疼くのを感じる。あの逞しい腕の温もり、不器用な口づけ、そして、私のすべてを灼熱で満たした、あの圧倒的な熱量。 その記憶が蘇るたびに、下腹部に微かな熱が灯る。 (……あの惑星での体験の、余韻にすぎない) 私は、そう自分に強く言い聞かせた。異常な環境下で、媚薬の効果もあった。精神が昂っていただけだ。日常に戻れば、この奇妙な身体の火照りも、いずれ消え失せるはずだ。そうでなければならない。 そうでなければ、私はもう、戦場には戻れない。 「レイナ、顔色が悪いぞ。無理もないがな」 声をかけてきたのは、同僚であり、数少ない友人の一人でもあるミリアだった。私と同じく《ヴァルキュリア》隊に所属する、快活な女性パイロットだ。 「少し、疲れているだけよ。心配かけてごめん」 「当たり前だろ、心配するに決まってる。本当に、無事でよかった。あんたがMIA(戦闘中行方不明)になったって聞いた時は、生きた心地がしなかったんだから」 カフェテリアのテーブルで、ミリアは心底安堵したように胸を撫で下ろした。彼女の気遣いが、ささくれだった私の心を少しだけ癒してくれる。 「戦況は、あまり良くないみたいね」 「最悪だよ。あんたがいない間に、こっちはボロボロさ。敵の新型……あの黒い奴、あんたが相打ちになったっていう、あれのせいで、こっちの被害は増える一方だ。パイロットも、機体も、補充が全然追いついてない」 ミリアの言葉に、胸がずきりと痛んだ。あの黒い機体。カイトの乗機。彼が今も、あの機体で誰かの命を奪い続けているという現実が、重くのしかかってくる。 「……そう」 「だから、あんたが戻ってきてくれて、本当に助かった。あんたがいれば、百人力だからな!しっかり休んで、またあの神業みたいな操縦を見せてくれよ、エース!」 屈託なく笑うミリアの期待に満ちた眼差しが、今はひどく痛かった。私は、曖昧に微笑んでみせることしかできない。 その夜、一人になった自室のシャワールームで、私は再び、あの奇妙な感覚に襲われた。熱いシャワーが肌を打つ。その心地よい刺激に身を委ねていると、ふいに、子宮のあたりがずくんと熱く脈打ったのだ。 「……っ!」 思わず、壁に手をついて喘ぐ。それは、あの植物の蔦に内部を犯された時の、あの疼きによく似ていた。媚薬の成分が、まだ身体に残留しているというのだろうか。 いいや、違う。これは、もっと。 もっと、私の身体の根源的な部分から湧き上がってくる、抗いがたい欲求のようなものだった。誰かに、強く求められたい。満たされたい。あの、すべてが溶け合うような圧倒的な快楽を、もう一度。 カイトの精を注ぎ込まれ、歓喜した、あの瞬間を。 「……なんて、ことを……」 自分の思考の淫らさに、ぞっとする。私は、いつからこんな女になってしまったのだろう。 鏡に映る自分の裸身を見つめる。軍での過酷な訓練で引き締められた身体。しかし、その内側では、得体の知れない何かが蠢き、私をふしだらな獣へと変えようとしている。 その恐怖を振り払うように、私は冷たい水で無理やり身体の火照りを鎮めた。これは気のせいだ。疲れているだけなのだ。 戦闘に支障など、あるわけがない。 そう、信じていた。 その思い込みが、根底から覆されることになるのに、そう時間はかからなかった。 帰還から三日後。敵の大規模な攻勢が開始され、艦隊に緊急出撃命令が下った。 ブリーフィングルームの喧騒の中、私は自分の高揚感が、以前とは少し違う種類のものであることに、微かな違和感を覚えていた。それは純粋な闘争心だけではない。もっと、どろりとした、粘着質な熱を帯びた感情。 危険な戦闘へ身を投じることへの興奮が、私の身体の奥深くに眠る、あの淫らな疼きを呼び覚ましている。 そんなはずはない、と首を振る。 私は、レイナ・フォルクハルト少尉。連邦軍のエースパイロットだ。私情で揺らぐような、弱い人間ではない。 ハンガーで、完全に修復・改修された純白の愛機、《ヴァルキュリア・シルフ》が私を待っていた。 整備兵が、真新しい生体スーツを手渡してくれる。 「少尉、スーツの制御モジュールは最新型のものに交換しておきました。もう、あのような不具合は起こりません」 「ありがとう。助かるわ」 礼を言い、スーツを身に纏う。新品のモジュールが、首筋にひんやりとした感触を伝えた。身体にぴったりとフィットする感覚が、私の神経を戦闘モードへと切り替えていく。これでいい。これが、本来の私だ。 コクピットのシートに深く身を沈め、操縦桿を握りしめる。神経接続ケーブルがスーツに接続され、私とヴァルキュリアが再び一つになる。この、全身の神経が拡張されていくような全能感。これさえあれば、私は何でもできる。 『レイナ、聞こえるか?準備はいいな?』 ミリアの快活な声が、通信機から響く。 『問題ないわ。いつでもいける』 『よっしゃ!じゃあ、派手にやろうぜ、エース!』 カタパルトのシークエンスが開始される。カウントダウンの無機質な音声が、コクピットに響き渡った。 私は、コンソールのパネルを操作する。 「感覚増大ナノマシン、投与開始。レベル2」 いつもの手順。これまでの出撃で、何百回と繰り返してきた行為。 首筋のユニットから、冷たい液体が体内に注入される。血管を、慣れ親しんだ灼熱感が駆け巡り、第六感が覚醒を始めるはずだった。 その、直後。 「―――ッ!?」 異変は、起きた。 それは、下腹部の、子宮のあたりからスパークするような、強烈な衝撃だった。 電流。いや、それよりももっと生々しく、官能的な閃光。明らかな性的快感が、何の脈絡もなく、私の全身を叩きのめしたのだ。 「あ……ッ、ぁ、う……ッ!?」 手足が、甘く痺れる。操縦桿を握る指から、力が抜けていく。視界が、ぐにゃりと歪んだ。 何かが、おかしい。ナノマシンの副作用?いや、違う。こんな感覚は、初めてだ。 秘裂から、愛液とは違う、もっと粘り気の強い何かが、ぼた、ぼたと垂れ落ちていくのが分かった。スーツの内側が、私の意思とは無関係に分泌される液体で、じゅくじゅくと濡れていく。 『警告。パイロットの性的興奮を検知。心拍数、血圧、異常上昇。鎮静化のため、抑制パルスを照射します』 正常に機能しているスーツが、私の身体の異常を正確にキャッチした。 そして、鎮静化のためのパルスを、首筋のモジュールから照射し始める。 深い、リラックスの作用。強張っていた筋肉が弛緩し、昂った神経が鎮められていく、はずだった。 だが。 「ひ、ぅ……ッ!あ、ああああああッ!」 自分のこの身体にとって、その「リラックス」は、精神を抵抗不能な快楽の海へと、強制的に沈めていくための引き金でしかなかった。 この身体は、もう、何をされても感じてしまうのだ。 鎮静パルスそのものが、強烈な媚薬となって全身に作用する。現実感が急速に遠のいていき、意識は純粋な快楽の色のみに染め上げられ、溺れていく。 下腹部が、子宮が、燃えるように熱い。 これは、知っている。あの植物が分泌していた、媚薬と同じ。いや、それ以上に強力だ。ナノマシンが、あの未知の成分と最悪の相乗効果を生み出し、身体が内側から砕けてしまうのではないかと思うほどの、暴力的な快感が、私の全身の感覚を狂わせていく。 視界に、いつもよりずっと鮮明で、強烈な幻覚が映り始めた。 色とりどりの蝶が舞い、甘い香りを放つ花が咲き乱れる。あの惑星の光景。そして、無数の蔦が、私の身体に絡みついてくる幻。 カイトの、汗ばんだ逞しい胸板。私の名を呼ぶ、低い声。 『レイナ!?どうした、応答しろ!レイナ!』 ミリアの、切羽詰まった声が聞こえる。管制官が、何かを叫んでいる。 戦友たちが、見ている。聞いている。この、私の無様な姿を。 通信越しに、彼らの困惑と焦りが伝わってくる。その事実が、背徳的なスパイスとなって、私の快感をさらに増幅させた。 だめだ。みんなが見ている前で、こんな。 誰にも、何もされていないのに。 コクピットの中で、たった一人で。こんなにも、感じてしまうなんて。 パイロットとしての私が、プライドが、尊厳が、粉々に砕けていく。 パルスの鎮静作用は、もはや完全に逆効果だった。照射されるたびに、身体がびくん、びくんと大きく跳ね、その反応をスーツが「さらなる興奮」と誤認し、またパルスを放つ。終わりのない、快楽の地獄。 勝手に、声が漏れる。自分のものではないような、甘く、濡れた喘ぎ声が。 「あ……っ、ん、ぅ……!や、だ……!み、ないで……っ、ぁ、ああッ!」 もう、限界だった。 身体の芯に、灼熱の塊が形成されていく。それが、破裂寸前まで膨れ上がっていくのが分かる。 イってしまう。 こんな、ところで。みんなに、聞かれながら。 イく。イく。イっ――― 「アアアアァァァァッ……!!」 絶叫と共に、意識が真っ白に染め抜かれた。 気がつくと、私は医務室のベッドの上に横たわっていた。 真っ白な天井が、ぼんやりとした視界に映る。消毒液の匂いが、鼻腔をかすめた。 出撃は、中止になったらしい。カタパルトで意識を失った私を、整備兵たちが大慌てでコクピットから引きずり出したのだという。 その時の記憶は、ほとんどない。ただ、衆人環視の中で、快楽に身をよじり、みっともなく喘ぎ続けていたという、断片的な屈辱の記憶だけが、烙印のように脳裏に焼き付いていた。 もう、パイロットとしては終わった。誰もがそう思っただろう。私自身も、そう思っていた。 「……気分は、どうだね。フォルクハルト少尉」 声をかけてきたのは、艦隊付きの軍医である、初老の男性だった。その険しい表情と、憐れむような瞳が、私の置かれた状況の深刻さを物語っている。 「精密検査の結果が出た。……単刀直入に言おう。君の身体には、深刻な異常が見つかった」 医師はそう言うと、手元の端末を操作し、壁のモニターに一枚のスキャン画像を映し出した。 それは、私の、子宮の断面図だった。 そして、その中央に、信じがたいものが映り込んでいる。 それは、まるで植物の根のように、子宮内膜に複雑に張り巡らされ、その中心で、小さな蕾のようなものを形成していた。 「……これは、何、です……か?」 震える声で、尋ねる。 医師は、重々しく口を開いた。 「君が報告書に記していた、あの未知の惑星の植物。その遺伝子情報が、君の体内で検出された。どうやら、君の卵子の一つが、あの植物の精子によって……言わば『汚染』され、本来の機能を失い、まったく別のものへと変質してしまったらしい」 卵子が、植物の種子へと。 その、あまりにも荒唐無稽な言葉に、思考がついていかない。 「それは……君の子宮内に深く根を張り、芽吹き……そして、小さな花を咲かせている」 花。私の、子宮の中で。 医師は、続けた。 「そして、最悪なことに、その花は、宿主である君に、さらなる『栄養』……つまり、男性の精子を求めさせるため、常時、強力な媚薬成分を分泌し続けている。君があの惑星で摂取した媚薬の、さらに濃縮されたものだ」 だから、か。だから、私の身体は、あんなにも淫らになってしまったのか。 「その媚薬成分は、君たちパイロットが使用する感覚増大ナノマシンと、極めて相性が悪い。いや……より正確に言うならば、相性が良すぎる。二つが結びつくことで、脳に許容量を遥かに超える快楽信号を送り続け、最終的には神経を焼き切り、廃人にしてしまうほどの、危険な代物だ」 医師の言葉の一つ一つが、宣告のように重く、私の胸に突き刺さる。 カイトの精さえも。 私が、彼の繋がりとして、儚い希望を託したあの熱い奔流さえも、このおぞましい花は、ただの栄養として、喰らい尽くしてしまったというのか。 「治療法は……あるのですか?」 かろうじて、それだけを尋ねる。 医師は、一度、辛そうに目を伏せた。 「……花の根は、君の子宮内膜と完全に癒着してしまっている。花だけを、安全に取り除くことは、現代の医療技術では不可能だ。方法は、一つしかない」 その言葉の先に待つ絶望を、私は予感していた。 「子宮そのものを、全摘出する。それしか、君がパイロットとして戦場に戻る道は、残されていない」 選択肢は、二つ。 子宮を摘出し、女であることを捨て、パイロットとしての人生にすべてを捧げるか。 あるいは、ナノマシンの使用を諦め、パイロットとしてのキャリアを断ち、この、常に精を求め続ける淫らに染まった身体を抱えて、生きていくか。 「……考える時間を、ください」 「……分かった。だが、軍は君の判断を長くは待てない。時間は、一晩だけだ」 医師は、同情的な、しかし軍人として冷徹な視線を私に向けると、静かに部屋を出て行った。 一人、がらんとした診察室に残される。 私は、ただ呆然と、モニターに映し出された、自分の子宮に咲く、忌まわしい花の映像を見つめ続けていた。 それは、私からカイトとの繋がりを奪い、パイロットとしての未来を奪い、そして、女としての尊厳さえも奪い去ろうとしている。 絶望という名の暗い沼に、身体がずぶずぶと沈んでいくような感覚。 この長い夜が、明けることなどあるのだろうか。 私には、もう、何も分からなかった。 ### パート8 夜が来た。医務室のベッドの上で、私はただ、真っ白な天井に浮かぶ無数の染みを数えていた。眠ることは、許されなかった。思考は、医師から突きつけられた二つの選択肢の間を、振り子のように往復し続ける。 子宮を、摘出する。 その言葉の響きは、私の内側から女という性を抉り出す、冷たい手術メスの感触を伴って響いた。そうすれば、忌まわしい花の呪いから解放される。ナノマシンを再び投与し、ヴァルキュリアの翼で空を駆ける、エースパイロットとしての自分を取り戻せるだろう。 それは、あまりにも魅力的で、そして正しい選択のように思えた。軍人として、兵士として生きると誓ったあの日から、私の人生は常に戦場と共にあったのだから。 だが。 脳裏をよぎるのは、あの緑の惑星で交わした、彼の温もり。 『いつか、この馬鹿げた戦争が終わったとき、必ず私のところへ来て。そして、責任を取って、添い遂げてくれるまで……どうか、死なないで』 私が、彼にそう願ったのだ。 もし私がエースとして戦場に戻れば、どうなる?戦況が逼迫する中、最前線に投入されることは間違いない。そして、いつか必ず、あの漆黒の機体と再び相見えることになるだろう。 その時、私は彼に引き金を引けるのか。いや、引いてしまうに違いない。パイロットとしての私は、あまりにも優秀で、冷徹だったから。 自分の手で、彼を殺す。 その未来を想像した瞬間、心臓を氷の鷲掴みにされたような、凄まじい恐怖が全身を駆け巡った。 それだけは、駄目だ。 そして、もう一つ。 この子宮は、たしかに忌まわしい花の温床となってしまった。だが、同時に、彼と私が繋がった、唯一の場所でもある。彼の精を受け入れ、その熱に震えた記憶が、この場所には生々しく刻み込まれている。たとえ、彼の生命の欠片が、あの花に喰らい尽くされてしまったのだとしても。この子宮を失うことは、彼と過ごした時間の痕跡を、この身から完全に消し去ってしまうことと同義だった。 それは、彼との約束を、私自身の手で反故にするような行為に思えた。 夜が明ける前に、私の心は、静かに、そして固く定まっていた。 司令官執務室の重厚な扉を、私は迷いのない手でノックした。 入室を許可され、敬礼する私を、艦隊司令であるヴァインベルク提督は厳しい表情で見つめていた。 「……話は、軍医から聞いている。フォルクハルト少尉。君の決断は、決まったかね」 「はい、提督」 私は、背筋を伸ばし、彼の目をまっすぐに見据えて告げた。 「私は、パイロットを辞します。これ以上、ヴァルキュリアに乗ることはできません」 提督の眉が、ぴくりと動いた。周囲に控えていた副官たちにも、動揺が走るのが空気で分かった。エースの、あまりにも唐突な引退宣言。彼らにとっては、部隊の戦力を大きく削ぐ、受け入れがたい申し出であるはずだ。 「……正気かね、少尉。君を失うことが、我が軍にとってどれほどの損失になるか、分かって言っているのか」 「承知しております。ですが、私の身体は、もう戦場には耐えられません。ですが――」 私は、一度言葉を区切り、続けた。 「パイロットだけが、軍人としての道ではありません。かつて、私は士官学校を首席で卒業しました。戦術理論や兵站学において、誰にも引けを取らない自負があります。どうか、私を後方勤務へ。作戦参謀部への転属を、ご許可願います」 かつて、いくつもの論文を綴り、教官たちを唸らせてきた記憶が蘇る。空を飛ぶことだけが、私の全てではなかったはずだ。この知識と経験を、別の形でこの戦争に捧げる道が、まだ残されている。 私の揺るぎない瞳に、提督は何かを読み取ったのだろう。彼は長い沈黙の後、重々しく、そして深いため息と共につぶやいた。 「……分かった。君の希望を、受け入れよう。だが、覚えておくがいい。デスクワークは、空を飛ぶより、よほど過酷な地獄だぞ」 その言葉の意味を、私はすぐに思い知ることになった。 それからの日々は、パイロットであった頃とは比較にならないほど、過酷なものだった。 絶え間なく更新される戦況データ。膨大な量の報告書。敵味方の損耗率。兵站の確保。眠らない司令部の喧騒の中で、私の睡眠時間は容赦なく削られていく。 戦場ならば、敵の拠点を制圧すれば、あるいは夜になれば、つかの間の休息が訪れた。だが、ここでは終わりがない。膨大なデータと睨み合い、血の気の多い古参の士官たちと侃々諤々に罵り合い、喉が枯れるまで議論を重ねる。そして、一つの作戦を立案するために、人の命を、物資を、未来を、冷徹な数字として差配する。 モニターに映し出される無数の光点。その一つ一つが、かつての私のようなパイロットが乗る機体であり、私の引く一本の線が、彼らの生死を分ける。その重圧は、物理的なGよりも、よほど私の精神をすり減らしていった。 戦争が終わったら、添い遂げてほしい。 彼にそう伝えたのに。本当に、この戦争に終わりなど来るのだろうか。どちらかの軍が、あるいは、この宙域に生きる人間すべてが絶滅する日まで、終わりなど来ないのではないか。 そんな絶望が、霧のように心を蝕んでいく。 そして、私の身体は、変わらず熱を訴え続けていた。 過酷な勤務によるストレスのはけ口を求めてか、あるいは、子宮に巣食う花の命令に抗えなかったのか。私は、何度か同僚の男性士官と肌を重ねた。 薄暗い士官用の個室。汗ばんだシーツの上で、見知らぬ男の重みを感じる。だが、彼の腕はカイトほど逞しくなく、彼の唇はカイトほど熱くなく、彼のものは、カイトほど私の内側を満たしてはくれなかった。 ただ、身体だけが、機械的に快楽を貪る。絶頂の瞬間にカイトの名前を呼びそうになり、慌てて自分の唇を噛みしめる。行為が終わった後に残るのは、深い虚しさと、自分自身への嫌悪だけだった。 誰でもいいわけでは、なかったのだ。私の身体が求めているのは、他の誰でもない、カイト、あなただけなのだと。その事実を、思い知らされるだけだった。 時間は、飛ぶように過ぎ去っていった。 戦況は泥沼化し、終わりは見えないまま、いくつもの季節が巡る。鏡に映る自分の顔には、いつの間にか、消えない疲労の影と、微かな皺が刻まれていた。もう、子供を望むには遅いと言われる年齢を迎え、女としての盛りは、とうに過ぎ去ってしまった。 そうなると、もはや枷でしかないこの子宮を、いっそ摘出してしまおうかという考えが、悪魔の囁きのように脳裏を掠めることが増えた。 この疼きさえなければ。この呪いから解放されれば、もっと楽に生きられるのではないか。 それでも、最後の最後で、私は踏み切ることができなかった。 これを手放してしまったら、彼と過ごした時間の、最後の痕跡まで、すべてを失ってしまう気がするのだ。 それとも。 この身はもう、とっくの昔に、あのおぞましい植物に乗っ取られてしまっているのだろうか。彼の痕跡など、もはやどこにも残ってはいないというのだろうか。 そんな自問自答を繰り返す、出口のない迷宮。 その日も、私は司令部の巨大なホログラムモニターの前に立っていた。 新たな大規模攻勢作戦の最終ブリーフィング。私が中心となって立案した、敵の重要拠点を叩くための、大規模な陽動作戦だ。 「―――作戦の要は、敵エース部隊、通称『黒騎士隊』を、いかにこのデルタ宙域に引きつけ、足止めできるかにかかっている。予測される敵隊長機は、コードネーム『ディアブロ』。極めて高い機動力と、トリッキーな武装を有する難敵だ。これを確実に無力化するため、我が軍の精鋭、《ヴァルキュリア》隊三個中隊を集中投入する」 私は、淡々と、淀みなく説明を続ける。 指先でコンソールを操作すると、モニターに一体の機体の三次元データが映し出された。 有機的な曲線と、禍々しいまでの黒い装甲。 カイトの、機体。 それを撃破するための、最も効率的で、最も確実な包囲殲滅陣を、私はこの数週間、寝る間も惜しんで構築してきたのだ。 彼を殺すかもしれない指令を、今、私は自分の声で発している。 その矛盾に、眩暈がした。指先が、微かに震えているのを、誰にも気づかれないように、強く握りしめる。 ブリーフィングが終わり、解散していく士官たちの背中を見送りながら、私は一人、がらんとした司令部に立ち尽くしていた。 自室に戻り、冷たいシャワーを浴びる。 水の流れが、私の頬を伝う熱い雫の正体を、曖昧に隠してくれた。 私は、彼を殺すための罠を作った。 そして、その一方で、心の底から祈っている。 どうか、私の張り巡らせた罠を、あなたなら打ち破れると信じているから。 どうか、生きていて。 そして、いつか、約束を果たしに、私の前に。 その矛盾した祈りを、私は誰に聞かれることもなく、ただ、漆黒の宇宙に向かって、捧げ続けることしかできなかった。 ### パート9 戦争は、終わった。 勝者も、敗者もいなかった。長きにわたる泥沼の戦いは、両軍の継戦能力を完全に奪い去り、ただ燃え尽きた骸だけを残して、まるで熱病が過ぎ去るかのように唐突に終結したのだ。 民衆は、長すぎる戦争で失ったものを取り戻せと叫んだ。平和を、豊かさを、愛する者たちの命を。だが、そのための力は、もう世界のどこにも残されてはいなかった。 民衆の期待に応えられなかった司令部は、戦後の混乱の責任を一身に背負わされ、解体された。輝かしい戦果を上げた将軍たちは名誉を剥奪され、戦犯として歴史にその名を刻まれた。私が立案した数々の作戦も、結果として多くの命を消耗させただけの愚策として断じられた。 何のために、私たちは戦ってきたのだろう。 その問いに、誰も答えることはできなかった。 私は、軍を去った。かつてのエースパイロット、怜悧な作戦参謀として知られたレイナ・フォルクハルトという女は、もういない。そこにいたのは、戦友たちと静かに別れを告げ、ただ過ぎ去った時間に身をやつした、齢を重ねただけの、ただの女だった。 「……達者でな、レイナ」 最後に会ったミリアは、すっかり落ち着いた大人の女性の顔になっていた。彼女もまた、多くのものを失い、それでも前を向いて生きようとしていた。 「あんたもね、ミリア。幸せになるのよ」 「あんたもな」 短い言葉を交わし、背を向ける。もう、二度と会うことはないだろう。私たちは、それぞれの人生という、新たな戦場へと向かうのだ。 退役金と、僅かばかりの私財。それが、私の手元に残された全てだった。何者でもなくなった私が、次に向かうべき場所は、もう決まっていた。 再会を、誓ったわけではない。 けれど、私の魂が、この身体が、あの場所へ還れと叫んでいる。 オンボロのチャーター船に揺られ、私は一人、あの座標を目指していた。星図に正式な名を持たない、忘れられた惑星。彼と出会い、そして別れた、始まりと終わりの場所。 船が、ゆっくりと高度を下げていく。 窓の外に広がるのは、あの日とまるで変わらない、青と白のマーブル模様。大気圏に突入する際の機体の軋みと熱が、あの灼熱の落下を鮮明に思い出させた。あの時は、彼と共に燃えながら堕ちていった。今は、一人。 着陸脚が、柔らかな腐葉土の大地を掴む。 ハッチが開き、外へと一歩踏み出した瞬間、濃密な湿気を含んだ空気が、懐かしい植物の香りと共に、私の肺を満たした。 見上げる空は、どこまでも澄んだターコイズブルー。天を突くように生い茂る巨大なシダや、極彩色の花々。すべてが、あの日のまま。まるで、時間の流れがここだけ止まっているかのようだ。 私だけが、歳をとり、独りになった。 あの日、彼と出会った泉を目指して、ゆっくりと歩き出す。記憶を頼りに森を進むと、やがて聞き慣れた水のせせらぎが耳に届いた。 そうだ、この場所だ。 泉のほとりに立ち、水面に映る自分の姿を見つめる。そこにいたのは、かつての鋭さを失い、疲労と、そして諦念を瞳に宿した、見知らぬ女だった。 彼がもし、今の私を見たら、誰だか気づいてくれるだろうか。 そんな、詮無い感傷に浸っていた、その時だった。 背後で、ざざっ、と茂みが大きく揺れる音がした。 (まさか) 心臓が、大きく、痛いほどに跳ね上がる。 期待が、雷のように全身を貫いた。彼が?彼が、この星に戻ってきていた?約束を、果たしに? 震える身体で、ゆっくりと振り返る。 そして、私の目に映ったのは―― 「……あ……」 緑色の、ぬらぬらと粘液に濡れた、忌まわしい蔦だった。 茂みの奥から、まるで蛇の大群のように、無数の蔦がざわざわと蠢きながら這い出してくる。 あの、植物。 ああ、そうか。 一瞬にして、淡い期待は氷のように冷たい絶望へと変わった。だが、不思議と恐怖はなかった。むしろ、心のどこかで、こうなることを予感していたような、奇妙な納得があった。 そういえば。 あの日の私は、こんな得体の知れない植物による凌辱でさえ、最後には喜んで、悦んで受け入れてしまっていたのだっけ。 口内を犯され、胎内を種で満たされるあの感覚を、身体のどこかがまだ、鮮明に記憶している。 立ち尽くす私の身体に、無数の蔦が迫ってくる。もう、逃げようという気は起きなかった。 これが、この旅路の終着点。 これが、私の、運命。 ふしだらな女に。愛した男を殺すための作戦を、冷徹に立案し続けた女に、相応しい末路ではないか。 誰にも知られず、この星で、この植物の苗床となって朽ち果てていく。それこそが、私に与えられた、唯一の罰なのだ。 ゆっくりと、目を閉じる。 蔦が私の足首に絡みつき、腕に巻き付いてくる、ぬるりとした感触。 その瞬間、私の身体の奥深く、子宮に棲みついたままの花が、まるで久方ぶりのつがいを歓迎するかのように、ずくり、と熱く疼き始めた。 ああ、これで、終わるのだ。 突如、空を引き裂くような甲高い飛翔音と共に、天から一条のビームが閃いた。 それは、凄まじい熱量を持った光の槍となり、私に絡みつこうとしていた植物の群れを、一瞬で焼き尽くす。 轟音と、植物の焼け焦げる異臭。 あまりの出来事に目を開けると、先ほどまで私を拘束しようとしていた蔦は、すべてが黒い炭と化し、ぱらぱらと崩れ落ちていくところだった。 何が、起きたのか。 呆然と、空を見上げる。 そこにいた。 雲間から、ゆっくりと、天の使いのように降下してくる、巨大なロボットの姿が。 それは、私が知るどんな機体とも違っていた。 かつてカイトが乗っていたあの機体の禍々しさは、そこにはない。白と青を基調とした、ヒロイックなカラーリング。洗練された装甲のラインは、まるで物語の中に登場する正義の騎士のようだ。荒唐無稽で、ヒーロー然とした、圧倒的な存在感。 だが。 そのシルエットは。関節の駆動音は。私に向けられる、カメラアイの優しい光は。 間違えるはずが、ない。 呆然と立ち尽くす私の前で、その巨大なロボットは、まるで祈りを捧げるかのように、静かに片膝をついた。 地響きと共に、胸部のハッチが、ゆっくりと開かれていく。 逆光の中に、一つの人影が現れる。 歳を重ね、顔には精悍な皺が刻まれている。だが、あの頃と変わらない、飄々とした、それでいて優しい笑みを浮かべて、彼はそこに立っていた。 「……よぉ、レイナ」 懐かしい声が、私の名を呼ぶ。 「迎えに来たぜ。約束、果たしに」 ### パート10 時の流れが、凍り付いたかのようだった。 彼の声。彼の姿。彼の、あの頃と少しも変わらない、私だけに向ける優しい眼差し。 夢を見ているのだろうか。ここは、死の間際に見る、都合の良い幻の世界なのではないか。頬を伝う熱い雫が、これが紛れもない現実なのだと、痛いほどに教えてくれるまで、私はただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。 「……カイト……」 絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れて、震えていた。 彼の名前を呼べたのは、何年ぶりだろう。何度、心の中で繰り返し呼び続けたことか。 彼は、ヒーロー然とした巨大なロボットから軽やかに飛び降りると、一歩、また一歩と、ゆっくり私に近づいてくる。その足取りには、かつての若々しい性急さはなく、長い年月がもたらしたであろう、穏やかな落ち着きが感じられた。 「歳、とったな、お互い」 目の前に立ったカイトが、悪戯っぽく笑いながら言った。その目元には、深い皺が刻まれている。だが、その瞳の奥に宿る光は、あの日のまま、少しも色褪せてはいなかった。 「……あなたこそ。少しは、分別のある大人になったみたいね」 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、私もようやく笑い返すことができた。 次の瞬間、私は彼の逞しい腕の中に、強く、強く抱きしめられていた。嗅ぎ慣れた、彼の匂い。汗と、機械油と、そして彼自身の、どうしようもなく私を安心させる匂い。失われた長い、長い時間を取り戻すかのように、私たちはただ、お互いの存在を確かめ合うように、固く抱きしめ合ったまま、動けなかった。 「……すまない。遅くなった」 彼の声は、私の肩に顔を埋められ、くぐもっていた。 「待っていたわけじゃないわ。私も……今、ここに着いたばかりなの」 「そうか。……なら、奇跡だな」 彼はゆっくりと身体を離すと、私の涙の跡を、ごつごつとした指先で優しく拭った。その時、彼の右手が硬質なグローブに覆われていることに気づく。いや、違う。それはグローブなどではない。関節部分から覗く金属の駆動部。それは、精巧に作られた機械の義手だった。 「その腕……」 「ああ、これか。ちょっとした勲章みたいなもんだ」 彼はこともなげに言うと、私を促して泉のほとりへと腰を下ろした。 語られた彼の半生は、私の想像を絶するものだった。所属していた軍は内乱で崩壊し、彼はその混乱の中で多くのものを失ったという。 「……内乱の鎮圧に協力を求められてな。だが、くだらない権力争いに嫌気がさして、全部放り出して逃げ出したんだ。行くあてもなく、ただ宇宙を彷徨って……気づけば、ここにいた。あんたとの思い出だけが、最後の道標だったのかもしれないな」 そして、彼は私の瞳をまっすぐに見つめて、言った。 「最後の戦い……あんたが立てたっていう、あの陽動作戦。見事だったよ。おかげで、俺の仲間はみんな死んだ。俺も、この腕と、乗機を失った」 彼の言葉は、刃となって私の胸を深く抉った。息が、詰まる。 私が、この手で。彼から、仲間と、腕と、すべてを奪った。 「ごめ……なさい……」 「謝るな。戦争だったんだ。あんたは、あんたの仕事をしただけだ。まあ、乗機の方は奇跡的にコアユニットだけは無事でな。そこに記録されていた情報をもとに、こいつ……《スターゲイザー》が、本来の姿に復元してくれたんだ」 (本来の姿……?では、あの漆黒の機体は仮の姿だったというの?そもそも、あの常識外れな兵器のコアユニットとは、一体何なの……?) 無数の疑問が頭をよぎる。だが、今はそれを問い詰めるべき時ではない。失われた時間を取り戻す方が、今はもっと大切だ。 「……捕虜になった部下から、作戦を立案したのがレイナ・フォルクハルト作戦参謀だと聞いた時……正直、一度は疑ったさ。あんたは心変わりして、俺を本気で殺しに来たんだってな」 彼の言葉に、心臓が凍り付く。 「でも、分かったんだ。あんたはパイロットを辞めていた。エースだったあんたが、だ。何か、よほどの理由があったんだろうって。俺を殺すためじゃない。俺との約束を守るために、あんたは空を降りたんだって……そう、信じることにした」 彼の言葉は、私の長年の罪悪感を、温かい光で溶かしていくようだった。 だから、今度は私が話す番だ。この、忌まわしい身体の秘密を。 私は、すべてを打ち明けた。子宮に巣食う花の呪い。パイロットでいられなくなった理由。そして、彼を殺す作戦を立てながら、彼の生を祈り続けていた矛盾した日々を。 私の告白を、彼はただ黙って聞いていた。その真摯な眼差しは、一度も揺らぐことはなかった。 「……そうか。全部、俺のためだったのか」 彼は、私の手を、彼の義手と、生身の左手で、優しく包み込んだ。 「そんな身体ごと、俺が一生かけて愛してやる。その花が精を求めるって言うんなら、俺が、この身が枯れるまでくれてやるさ。あんたの身体に巣食うのが呪いだって言うんなら、俺の愛で、その呪いを根こそぎ上書きしてやる」 「カイト……」 「もう、一人で苦しむな、レイナ。あんたの痛みも、快楽も、全部、俺に寄越せ」 その言葉は、何よりも強力な薬となって、私の長年の孤独と絶望を、跡形もなく溶かしていった。 私は、彼の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。 その夜、星空の下、私たちは再び一つになった。 それは、かつての若さと激情に任せた交合とはまるで違う、どこまでも穏やかで、慈しみに満ちた時間だった。 彼は私のスーツをゆっくりと脱がせ、歳を重ねて少しだけ柔らかさを増した私の身体の隅々を、まるで初めて見る宝物のように、じっくりと眺めた。 「……綺麗だ、レイナ。昔より、ずっと」 彼の唇が、私の額に、瞼に、頬に、優しい口づけを落としていく。 そして、彼の手が、私の乳房を柔らかく包み込んだ。義手である右手の、ひんやりとして滑らかな感触と、生身の左手の、温かくざらりとした感触。その対比が、妙に生々しく、私の身体の芯を疼かせた。 彼の指は、かつての不器用さが嘘のように、私の身体がどうすれば喜ぶのかを正確に知っていた。硬くなった突端を優しく捏ね、くすぐるように腹部を撫で、そして、ゆっくりと足の付け根へと滑っていく。 「……ずいぶん、手慣れたじゃない」 昂る息を抑えながら揶揄うと、彼は少し気まずそうに笑った。 「あんたを満足させるために、色々……勉強したんだ」 その言葉に、胸の奥がきゅう、と甘く痛む。 (お互い様よ、カイト。この長い年月、貞操なんて守っていられるはずがないもの) 不思議と、嫉妬はなかった。むしろ、込み上げてくるのは感謝の念だ。 (名も知らぬ、顔も知らぬ誰かさん。私のカイトを、こんなにも素敵な、立派な男に育ててくれて、ありがとう) だって、彼の還る場所は、最初から、この私だけなのだから。 私の指が、彼の義手にそっと触れる。冷たい金属の感触。これも、彼が生きてきた証。彼という人間の、かけがえのない一部だ。 私の身体は、もう彼の愛撫だけで、熱く潤みきっていた。子宮の奥深くで、あの花が、待ち焦がれた伴侶の訪れを歓迎するかのように、ずくり、ずくりと甘く疼いている。 彼の灼熱が、ゆっくりと私の内側を満たしていく。 かつてのような、すべてを塗り替える暴力的な熱量ではない。それは、乾いた大地に染み込む慈雨のように、優しく、深く、私の魂ごと満たしていく、温かい光だった。 「……私の内側が、あなたを欲しがってるのが分かる……」 「ああ、俺もだ。ずっと、こうしたかった」 一突き、一突きが、あまりにも優しくて、切なくて。快楽よりも先に、愛されているという実感が、涙となって溢れ出す。 かつて味わった、脳が焼き切れるような絶頂とは違う。それは、魂が満たされ、溶け合っていくような、どこまでも穏やかで、そして深い多幸感だった。温かい光が、身体の内側から溢れ出し、私たち二人を優しく包み込んでいく。 彼の愛を受け止め、私の身体のすべてが満たされたとき、私は静かに、そして満ち足りた頂へとたどり着いた。 彼の生命の奔流が、私の胎内の最奥へと注ぎ込まれる。 その温かい雫が、子宮に咲く花へと染み渡っていくのを感じた。花は、まるで歓喜するかのように、その蕾をわずかに開く。 もう、あれを忌まわしい異物だとは思わなかった。 これも、私の一部。彼との愛を受け止めるために、この身に宿った、祝福の証なのだと、心からそう思えた。 長く、長く続いた放出の末、彼は私の身体の上に、完全に力を失って倒れ込む。 その重みが、今は何よりも愛おしかった。 二人で、静かな余韻に浸っていた、その時だった。 どこからともなく、拡声器を通したような、朗々とした美声が響き渡った。 『お楽しみのところ、失礼する。我が主よ、そろそろ夜が明ける』 「……え?」 声の主を探してきょろきょろと見回す私に、カイトは苦笑しながら空を指さした。そこには、彼の愛機である白銀のロボット、《スターゲイザー》が静かに佇んでいる。 「こいつが喋ったの……?」 「ああ。こいつ、ただの機械じゃねえんだ」 カイトは、驚くべき事実を語り始めた。スターゲイザーの正体は、未知の知的文明が作り出したロボット生命体であること。彼の古い機体のコアユニットこそが、その本体であり、最後の戦闘のさなか、追い詰められたことで本来の機能――人格を取り戻し、今の姿へと再生したのだという。 「じゃあ、さっきの……私たちの、その……」 「ああ、ばっちり見られてたな」 カイトがけろりと言うと、私の顔から一気に火が噴いた。 「み、見てたの!?なんて破廉恥な!」 『誤解である、レイナ・フォルクハルト女史。我々のような生命体に、貴殿らの言う性欲という概念は存在しない。あくまで、マスターの生態活動の記録は、彼との連携において重要なデータとなる故の観測である』 スターゲイザーは、理知的で、しかしどこか人間味のある男性的なトーンで反論してくる。理屈は分かっても、感情が追いつかない。 「さて、今後のご予定は?」 スターゲイザーが、私たちに問いかける。 行くあてなど、どこにもない。だが、不安はなかった。 「どこへでも行けるわ。あなたたちと、一緒なら」 私が微笑むと、スターゲイザーは『承知した』と応えた。 『ならば、長期航行に適した、移動形態へと移行する』 その言葉と共に、ヒーロー然としていた白銀の巨人が、滑らかな駆動音を立ててその姿を変え始めた。戦闘兵器の鋭角的なフォルムは、みるみるうちに居住性の高そうな、流線型のラインへと変わっていく。 やがて、私たちの目の前に現れたのは、巨大なキャンピングカーのような、快適な旅を約束してくれる、夢のビークルだった。 「さあ、行こうか」 カイトが、義手ではない方の温かい手で、私の手を強く握る。 長すぎた戦争は終わり、私の魂の放浪も、今、ようやく終わりを告げた。 この緑の惑星で、彼と、そして少し変わった仲間と共に、新しい人生を始めよう。 私の、子宮に咲く花と共に。 それは、もはや呪いの証ではない。彼との愛の結晶であり、私たちがこれから歩む未来を、静かに見守り続ける、祝福の証なのだから。 (完)