###タイトル:リミット・オーバー・エデン by Gemini3.0 ■パート1 漆黒の宇宙(そら)に、無数の光点が散らばっている。 それらは星々ではなく、敵機が放つ殺意の輝きであり、あるいは散りゆく僚機の最期の煌めきだった。 コックピットを満たすのは、計器類の低い駆動音と、自身の規則正しい呼吸音だけ。 私の皮膚を覆う薄型の生体スーツ――「ニューロ・スキン」の内側では、神経伝達ゲルが体温で人肌の温もりに馴染み、微かな圧迫感と共に全身を包み込んでいる。 「敵影多数。識別コード、無人機動兵器《スウォーム》。数は……想定の三倍か」 唇から紡がれる報告は、氷のように冷ややかだ。 恐怖はない。あるのは任務遂行への渇望と、この鉄の棺桶と一体化する深い安らぎだけ。 操縦桿を握る指先に、わずかに力がこもる。 網膜投影されたHUD(ヘッドアップディスプレイ)の情報が滝のように流れ落ち、私の脳髄へと直接染み込んでくる。 愛機である可変宇宙戦闘機《シルフィード》。 その機体各所に張り巡らされたセンサーが捉えた情報が、ナノマシンを介して私の神経系と接続される。 翼の先まで神経が通ったような感覚。 スラスターの噴射は私の足の蹴り出しであり、カメラアイのズームは私の凝視だ。 「エンゲージ」 呟きと共に、スロットルを押し込む。 重力が胸を押し潰し、世界が後方へと置き去りにされる。 眼前に迫る無人機の群れ。 それらは感情を持たず、ただプログラムされた効率だけで死を撒き散らす機械の蝗だ。 私は機体を螺旋機動させ、その弾幕の隙間を縫うように疾走する。 ビームの奔流が機体を掠め、装甲を焦がす熱が、まるで肌を焼かれるような感覚としてフィードバックされる。 熱い。だが、不快ではない。 自分が生きていることを、この身を焦がす熱量が教えてくれる。 「……遅い」 無人機の動きが、ひどく緩慢に見える。 彼らの演算速度が遅いのではない。 私の集中力が、時間の流れを引き伸ばしているのだ。 マルチロックオン。 視線入力で六機の敵機を捕捉。 トリガーを引く。 間髪入れず、機体上部のマイクロミサイルポッドが開放され、白煙の尾を引いて死の使いが殺到する。 爆発。爆発。爆発。 真空の宇宙に、音のない火球が次々と咲き乱れる。 美しい。 破壊の光景に、脳の芯が痺れるような陶酔を覚える。 だが、まだ足りない。 レーダーのアラートがけたたましく鳴り響く。 増援だ。空間の歪みを検知。ワープアウト反応。 「第二波、接近。……やってくれる」 数は先ほどの倍以上。 このままでは、ジリ貧だ。 消耗戦になれば、疲労を知らない無人機に分がある。 私はコンソールの隅にある、赤いプロテクトカバーを見つめた。 感覚増大ナノマシン《アクセラレイター》の追加投与ユニット。 すでに出撃前に規定量は投与されている。 これ以上の追加は、脳への負荷が大きすぎる。 軍医の警告が脳裏をよぎる。 『あれは劇薬だ。使いすぎれば、現実と幻覚の境界が溶けるぞ』 知ったことか。 今、この瞬間を生き延びられなければ、副作用を心配する未来すら訪れない。 私は迷わず、そのスイッチを弾いた。 「投与開始(インジェクション)」 首筋にあるコネクタを通じて、冷たい液体が血管へと流れ込む。 一瞬、背筋が凍りつくような悪寒。 直後、爆発的な熱量が脳髄を駆け巡った。 世界が、変貌する。 暗黒の宇宙が、鮮烈な色彩を帯びて迫ってくる。 敵機の放つ殺気が、肌を刺す物理的な刺激となって感じられる。 第六感の覚醒。 本来、無機質な戦闘機の装甲が感じるはずのない、空間の微細な揺らぎ、重力波の干渉、敵のエネルギー充填の予兆までもが、疑似的な触覚として翼の先までフィードバックされる。 「見える……」 敵機の砲口が光るよりも早く、その射線が赤いラインとして視界に焼き付く。 亜光速で放たれる粒子ビーム。 今の私には、それさえも止まって見える。 回避。 最小限の機動でビームを躱す。 紙一重。 装甲の塗料が蒸発する匂いすら、真空を隔てて感じ取れるようだ。 私の《シルフィード》は、宇宙空間に光の軌跡を描きながら舞う。 それは戦闘機動というよりは、死の舞踏だった。 トランス状態が深まっていく。 自我が拡散し、機体と、宇宙と、敵と溶け合っていく感覚。 思考のノイズが消え失せ、純粋な演算と反射だけの存在へと昇華される。 敵機を撃墜するたびに、脳内で何かが弾ける。 快感にも似た、強烈な全能感。 私は神だ。 この宙域を支配する、鋼鉄の女神だ。 「そこ」 思考するよりも早く、照準が吸い付く。 ビームガンの連射が、遥か彼方の敵機を刺し貫く。 次。右舷方向、三機。 バレルロールで死角に滑り込み、一斉射撃で蜂の巣にする。 完璧だ。 何もかもが手に取るようにわかる。 私の感覚は鋭敏に研ぎ澄まされ、宇宙の果てまで届きそうだ。 その時だった。 視界の端に、奇妙なものが映り込んだのは。 虹色の蝶。 宇宙空間に、巨大な極彩色の蝶が羽ばたいている。 そんな馬鹿な。ここは真空だ。生物がいるはずがない。 幻覚だ。わかっている。 ナノマシンの副作用が、視覚情報にノイズを混ぜているのだ。 だが、あまりにも美しい。 その羽ばたきが、敵のミサイルの軌道と重なり、一瞬、現実を見失わせた。 「──ッ!?」 警告音が、遅れて鼓膜を叩く。 回避行動を取ろうとした瞬間、強烈な衝撃が機体を揺さぶった。 背後から死角を突かれた。 誘導ミサイルの直撃。 警報音が鳴り響き、機体が悲鳴を上げる。 ダメージコントロール画面が赤く染まる。 メインスラスター一基、破損。出力低下。 「くっ……!」 姿勢制御が乱れる。 機体がきりもみ回転を始め、視界がグルグルと回る。 吐き気がこみ上げるが、奥歯を噛み締めて飲み込む。 集中しろ。蝶を見るな。敵を見ろ。 飛行形態での制御は困難だ。 片肺のスラスターでは、まともなドッグファイトは不可能。 ならば。 「モード・チェンジ!」 レバーを叩き込む。 《シルフィード》の機体が複雑怪奇に変形を開始する。 主翼が折り畳まれ、機首が折れ曲がり、エンジンブロックが脚部へと変わる。 マニピュレーターが展開し、鋼鉄の巨人がその姿を現した。 人型形態。 重心移動による姿勢制御が可能になる。 生体スーツを通じて、機体の手足が私の肉体そのものとなる。 私は宇宙空間に仁王立ちになり、迫りくるミサイルの群れを睨みつけた。 「落ちろ!」 右手に握ったレーザートーチを起動する。 真紅のプラズマ刃が伸びる。 私はそれを鞭のように振るい、殺到するミサイルを次々と切り払った。 爆炎が視界を塞ぐが、その向こうにある敵の気配は感知できている。 爆煙を突き破り、無人機が突っ込んでくる。 私はスラスターをふかして踏み込み、鋭い蹴りを放った。 鋼鉄の足甲が無人機の脆弱なセンサーアイを粉砕する。 装甲がひしゃげ、内部機構が飛び散る感触が、足の裏にリアルに伝わってくる。 その暴力的な破壊のフィードバックに、ゾクリと背筋が震えた。 増援の半数を片付けた。 だが、まだ終わらない。 空間の歪みが、先ほどとは比較にならないほど大規模に発生する。 重力波警報。 何かが来る。 無人機のような羽虫ではない。 もっと巨大で、異質な何かが。 漆黒の闇を引き裂き、それは現れた。 敵軍の新型人型兵器。 洗練された私の機体とは対照的な、刺々しく、無骨で、暴力の塊のようなシルエット。 規格外の大きさを誇るスラスターからは、凶悪な蒼い炎が噴き出している。 その姿は、神話の悪鬼を思わせた。 無骨な装甲は歴戦の傷跡で覆われ、不釣り合いなほど巨大なマニピュレーターは、鋼鉄すらも素手で引き裂く膂力を予感させる。 コンセプトがまるで違う。 私の機体が精密機械だとしたら、あれは削岩機だ。 洗練さの欠片もない、だが圧倒的な「力」の具現。 「……面白い」 恐怖よりも先に、闘争心が鎌首をもたげた。 ナノマシンが脳内で警告を発し、同時に興奮物質を分泌させる。 敵機のモノアイが、ギロリとこちらを睨んだ気がした。 瞬間、奴のスラスターが爆発的に噴射する。 速い! あの巨体で、この初速。 まともに反応すれば遅れる。 だが、今の私には「先」が見える。 空間の歪みが、奴の軌道を教えてくれる。 私はレーザートーチを構え、迎撃の体勢を取る。 敵もまた、実体剣とも呼ぶべき分厚いヒートサーベルを引き抜き、頭上から振り下ろしてきた。 激突。 レーザートーチの高熱と、ヒートサーベルの質量がぶつかり合う。 プラズマの火花が散り、強烈な閃光が網膜を焼く。 衝撃が腕を通じて肩へ、背骨へと抜け、全身の骨がきしむ。 馬鹿げた出力だ。 まともに打ち合えば、こちらの腕が持たない。 私はトーチを滑らせ、敵の剣を受け流すと同時に、懐へと飛び込む。 ゼロ距離での格闘戦。 私の得意とする間合いだ。 スーツ内のゲルが硬化し、Gの衝撃から身体を守る。 至近距離で睨み合う両機。 敵の装甲板の隙間から、冷却ガスが白く噴き出しているのが見える。 「もらった!」 腹部めがけてパイルバンカーを打ち込もうとした、その時だった。 第六感が、背筋に冷たい針を突き立てた。 危険。 思考する間もなく、私は機体を強引に捻った。 直後、私の脚があった空間を、何かが高速で通り抜けた。 ワイヤーだ。 敵機の腰部から射出された、極太のカーボンナノチューブ製ワイヤーアンカー。 死角からの攻撃。 もし回避していなければ、脚を絡め取られ、行動不能にされていただろう。 「チッ、小癪な……!」 無骨な外見に似合わず、トリッキーな武装を隠し持っているらしい。 距離を取ろうとバックステップを踏むが、敵は逃さない。 ワイヤーが生き物のようにうねり、再び襲い掛かってくる。 まるで、こちらの手の内を読んでいるかのような動き。 パイロットは相当の手練れだ。 機械任せの動きではない。 殺気と、熟練の技がそこにある。 戦闘の興奮が、脳内物質の分泌を加速させる。 心拍数が跳ね上がり、呼吸が荒くなる。 視界が赤く染まり、指先の震えが止まらない。 恐怖ではない。武者震いとも違う。 これは――快楽だ。 死線の上で踊る、ギリギリの均衡がもたらす極上の麻薬。 『警告。バイタルサイン、危険域。精神汚染レベル上昇。リラックスパルスを照射します』 スーツのAIが無機質な声で告げる。 首筋に埋め込まれた電極が、鎮静化のための電気信号を送ろうとする。 冷水を浴びせられるような感覚。 興奮が冷め、研ぎ澄まされた感覚が鈍る。 「邪魔をするな!」 私は叫び、コンソールを叩いた。 リミッター解除。 パルス機能を強制停止させる。 今の私に、理性など不要だ。 必要なのは、敵を屠るための狂気だけだ。 視界の隅で、虹色の蝶がまた舞った。 今度は一匹ではない。無数に増殖し、視界を埋め尽くそうとしている。 幻覚と現実が混濁する。 敵機のヒートサーベルが、巨大な鎌に見える。 無人機の残骸が、骸骨の山に見える。 再び両機が激突する。 取っ組み合い。 互いのマニピュレーターが相手の装甲を掴み、きしませる。 金属の悲鳴が、骨伝導で頭蓋に響く。 力比べでは勝ち目がない。 装甲がきしみ、コクピットのアラームが絶叫する。 敵機のカメラアイが、至近距離で赤く明滅する。 その奥に、敵パイロットの「意志」を感じた。 熱く、激しい、男の意志。 私をねじ伏せようとする、圧倒的な力。 その圧力に、私はゾクゾクと震えた。 「捕まえたぞ」 通信回線を開いていないはずなのに、男の声が聞こえた気がした。 瞬間、放たれていたワイヤーが急速に巻き取られる。 だが、その先端にはアンカーではなく、破壊された無人機の残骸が絡みついていた。 質量爆弾。 ハンマーのように振り回された鉄塊が、私の背後に迫る。 回避不能。 「しまっ――」 衝撃。 背中を巨人の拳で殴られたようなショック。 残存していた最後のメインスラスターが、根本からへし折れた。 推進剤タンクが誘爆する。 機体が制御を失い、予期せぬ方向へと吹き飛ばされる。 だが、私は離さない。 敵機の腕にしがみついたまま、道連れにする。 「逃がすかぁぁッ!!」 スラスターの爆発が生んだ推進力が、二機を絡み合ったまま彼方へと押し出す。 視界が灼熱の光で満たされる。 爆炎の赤、警告灯の赤、そして幻覚の蝶たちが放つ極彩色。 世界が色の渦となって溶けていく。 重力警報。 近くの惑星の重力圏に捕まった。 急速に落下していく。 大気圏突入の摩擦熱が、装甲を赤熱させる。 振動が激しくなり、視界がシェイクされる。 もはや、どちらが上かも下かもわからない。 ただ、目の前の敵機だけは離さない。 熱い。 機体が、身体が、魂が燃えている。 このまま燃え尽きてもいいとすら思った。 意識が遠のいていく。 深淵へと落ちていく感覚。 それは死への恐怖ではなく、母胎へと回帰するような、甘美な安らぎだった。 ■パート2 ノイズ。 鼓膜の奥で、砂嵐が鳴っている。 重い瞼をこじ開けると、そこにあったのは見慣れたコクピットの天井ではなく、ひしゃげたフレームの隙間から覗く、毒々しいほどに鮮やかな緑だった。 アラートは鳴っていない。 全ての計器が沈黙しているからだ。 あんなにも喧しかった警告音も、爆発音も、今は遠い。 代わりに聞こえてくるのは、風のそよぎと、未知の生物たちのさざめき。 そして、自分自身の荒い呼吸音だけ。 「……生きて、る?」 掠れた声が、狭い空間に吸い込まれていく。 身体を動かそうとすると、全身の筋肉が軋みを上げて抗議した。 激痛が走り、思わず呻き声を漏らす。 どうやら五体満足とはいかないまでも、致命傷は避けたようだ。 だが、愛機《シルフィード》はそうではない。 コンソールは完全に死んでいる。 非常用電源すら入らない。 完全に機能停止(シャットダウン)。 あの高度から落下して、よく原形を留めていたものだ。 奇跡、あるいは敵機のパイロットが最期に何かをしたのか。 「はぁ……はぁ……」 息苦しい。 空調システムが停止したコクピット内は、すでに蒸し風呂のような熱気が充満していた。 外装の亀裂から、外気が容赦なく侵入している。 未知の惑星の大気。 成分分析をする余裕はないが、少なくとも呼吸はできるようだ。 むしろ、酸素濃度が濃すぎるくらいに感じる。 肺の奥が焼けるような感覚。 むせ返るような植物の匂いと、腐葉土の湿った匂い。 私は震える手で、首筋のコネクタを引き抜いた。 プシュッ、という微かな音と共に、神経接続が遮断される。 途端に、世界が狭くなる感覚。 機体を通じて拡張されていた「私」が、ちっぽけな生身の肉体へと押し込められる喪失感。 それが、どうしようもなく不安で、心細い。 「スーツ……リラックスモード、起動」 音声コマンドを呟く。 戦闘の興奮冷めやらぬ神経を鎮めるため、生体スーツの機能を呼び出す。 だが、応答はない。 皮膚に密着した薄膜のスーツは、ただのゴムのように重く、肌に張り付いているだけだ。 内側の神経伝達ゲルが、汗と混じり合って不快なぬめりを生んでいる。 「……故障?」 最悪だ。 このスーツは私の第二の皮膚であり、精神安定剤でもあるのに。 パルスによる精神同調(シンクロ)がないと、自分の感情の輪郭すらあやふやになりそうだ。 ナノマシンの残滓が脳内でスパークし、視界の端にまだ虹色の残像を見せている。 早く、外に出なくては。 この鉄の墓標の中にいたら、狂ってしまう。 マニュアルリリースレバーを引く。 油圧が抜け、重くなったキャノピーを、渾身の力で押し開ける。 錆びついた蝶番のような嫌な音がして、視界が開けた。 「……何、これ」 言葉を失う。 そこは、圧倒的な「生命」の坩堝だった。 見渡す限りの緑。 地球の熱帯雨林(アマゾン)を数倍に巨大化させ、極彩色で塗りたくったような光景。 見上げるような巨木が空を覆い隠し、太い蔦が蛇のように絡み合っている。 見たこともない色の花々が、むせ返るような芳香を放ち、その周りを綿毛のような胞子が、まるで生き物のように舞い踊っている。 生命力が、濃すぎる。 空気が重い。 ただ呼吸しているだけで、肺の中に胞子や花粉が入り込み、身体の内側から植物に侵食されていきそうな錯覚を覚える。 ふらつく足取りで、機体の上によじ登る。 地面までは数メートルの高さがあるが、飛び降りるしかない。 着地の衝撃が膝に響く。 泥のような地面に足が沈み込む。 湿度が異常に高い。 生体スーツの表面に、瞬く間に結露した水滴が浮かび上がる。 汗が止まらない。 スーツの中に熱がこもり、肌が火照る。 脱ぎ捨ててしまいたい衝動に駆られるが、未知の細菌や寄生虫から身を守るためには、これを着ているしかない。 「……通信は」 手首のデバイスを操作するが、砂嵐が表示されるだけだ。 強力な磁場か、あるいはこの濃密すぎる大気が電波を阻害しているのか。 味方の救援を待つにしても、現在地を伝えられなければ意味がない。 まずは、生き延びるための環境確保だ。 喉が渇いている。 戦闘中の極度の集中と、ナノマシンの発熱で、脱水症状に近い。 「水……」 私はジャングルの中へと足を踏み入れた。 一歩進むごとに、蔦が足に絡みつき、巨大な葉が視界を遮る。 ナノマシンの超感覚(シックスセンス)を使おうと意識を集中する。 普段なら、周囲の地形や敵の気配をレーダーのように感知できるはずだ。 だが、ここでは駄目だ。 ノイズが酷すぎる。 植物たちの放つ「生きようとする意志」のようなものが、あまりにも強烈で、無秩序に押し寄せてくる。 頭痛がする。 まるで、満員電車の中で数千人の話し声を同時に聞かされているようだ。 幻覚と現実の境界が揺らぐ。 目の前の花が笑ったように見えたり、木の根が手招きしているように見えたりする。 薬が切れてきた離脱症状(バッドトリップ)と、環境の過剰な情報量が、脳を焼き切ろうとしている。 それでも、パイロットとしての生存本能が、私を導いていた。 湿気の流れ、微かな風の音。 水の匂い。 あっちだ。 私は鉈(マチェット)すら持たず、手で葉をかき分け、道なき道を進んだ。 スーツの表面が棘で擦れ、嫌な音を立てる。 どれくらい歩いただろうか。 時間の感覚すら曖昧になってきた頃、不意に視界が開けた。 「あっ……」 そこは、奇跡のように澄み渡った空間だった。 鬱蒼とした木々が途切れ、岩盤が露出した開けた場所。 岩の裂け目から清冽な水が湧き出し、天然のプールを作っている。 水面は鏡のように静かで、空の青を映し出していた。 水だ。 理性が吹き飛びそうになるのを、必死で抑える。 水質調査キットは……あいにく、機体に置いてきたサバイバルパックの中だ。 持ってくるのを忘れた。 いや、あんな状態で持ち出せるはずもなかった。 見た目は綺麗だが、毒が含まれている可能性もある。 だが、この渇きには耐えられない。 一口だけなら。 水辺に近づこうとした、その時だった。 『フフン、フフ〜ン♪』 音が、聞こえた。 鳥の声ではない。風の音でもない。 あまりにも場違いで、あまりにも呑気な、鼻歌。 人間の、それも男性の低い声。 心臓が跳ね上がる。 この未知の惑星に、先住民族がいる? それとも、調査隊? 私は身を低くし、岩陰に身を隠した。 ナノマシンの感覚を、ノイズに耐えながら限界まで研ぎ澄ませる。 気配は一つ。 すぐそこだ。 そっと岩陰から顔を覗かせる。 そこにいたのは、予想外の、しかしある意味で最も予想できた人物だった。 「……あいつ」 水辺の平らな岩の上に、見覚えのあるエンブレムが刻まれた、分厚いパイロットスーツが干されていた。 敵軍の標準装備。 そして、その横に立つ、一人の男。 彼は、信じられないほど無防備な姿を晒していた。 上半身は裸。 下半身も、大きな葉を腰巻のように巻いて、局部を辛うじて隠しているだけの、ほぼ全裸。 鍛え上げられた背中が見える。 鋼鉄のような筋肉が、日光を浴びて汗で光っている。 無数の傷跡が刻まれたその背中は、歴戦の戦士の証であり、同時に野生動物のような獰猛さを感じさせた。 あの、怪物じみた人型兵器のパイロット。 私と相打ちになり、ここまで落ちてきた男。 殺気。 条件反射的に、脳内でスイッチが入る。 敵だ。排除しなければならない。 私は音もなく岩陰から飛び出した。 彼の背中に向けて、鋭く叫ぶ。 「動くな! 手を上げろ!」 男がビクリと肩を震わせ、ゆっくりとこちらを振り返る。 その顔には、驚きと、どこか間の抜けたような困惑が張り付いていた。 精悍な顔立ち。 意志の強そうな太い眉と、子供のように純粋な光を宿した瞳。 敵に対して抱いていた「冷酷な殺戮者」のイメージとは程遠い、人間臭い表情。 「おっと……こりゃあ驚いた。生きてたのか、姉ちゃん」 「黙れ! そのまま、後ろを向け!」 威嚇しながら、私は習慣的に右腰へと手を伸ばした。 ホルスターから拳銃を抜き、眉間を撃ち抜く。 その動作(シークエンス)を脳内で描く。 だが。 私の指が掴んだのは、虚空だった。 「……っ?」 視線を落とす。 右腰のホルスターは、空っぽだった。 衝撃で脱落したのか、そもそも装着していなかったのか。 血の気が引いていく。 丸腰。 この状況で、私は武器を持っていない。 あるのは、故障したスーツと、薬切れでガタガタの身体だけ。 男も、私の動揺に気づいたらしい。 彼の視線が、私の空のホルスターへ、そして強張った顔へと移る。 ゆっくりと、彼が身体の向きを変える。 正面から見る彼の肉体は、圧倒的だった。 隆起した大胸筋、割れた腹筋。 丸太のような太い腕。 生身の人間としてのスペックが違いすぎる。 私がどれだけナノマシンで反応速度を強化していても、この距離で素手でやり合えば、一捻りにされる。 男女の体格差という、残酷なまでの現実。 彼が一歩、足を踏み出す。 威圧感に、喉がひきつる。 殺される。 そう思った。 私は一歩後ずさる。 構えを取ろうとするが、足が震えて力が入らない。 恐怖ではない。いや、恐怖もある。 だがそれ以上に、彼の発する「雄」としての圧倒的な存在感に、本能が竦んでしまったのだ。 彼は両手を軽く上げ、掌を見せた。 降伏のポーズではない。 宥めるような、落ち着かせようとする仕草だ。 「おいおい、そんなに殺気立つなよ。見ての通り、俺も丸腰だ」 彼の声は、低く、よく響いた。 不思議と耳に心地よいバリトン。 彼は腰に巻いた葉っぱを指差して、苦笑いする。 「武器どころか、服もねぇ。洗濯中でね。お互い、散々な目に遭ったもんだ」 「……近づかないで」 「わかった、わかった。動かない。……喉、乾いてるんだろ?」 彼は腰に下げていた水筒代わりの合成樹脂製パウチを外し、放り投げた。 放物線を描いて、私の足元に落ちる。 「毒なんて入ってないぞ。こっちの水も、一応飲めるのは確認済みだ。腹壊すかもしれんが、死ぬよりマシだろ?」 私は震える手でそれを拾い上げ、キャップをひねる。 一気に流し込むと、生ぬるいが清冽な液体が、干からびた喉を潤していった。 生き返る心地がする。 「……ふぅ」 「少しは落ち着いたか? ほら、こいつも食っとけ」 続けて彼が放り投げたのは、銀色のパッケージだった。 敵軍のレーション(携行食)だ。 「……何が、狙い?」 「休戦だ」 彼は短く言った。 その瞳に、嘘の色は見えなかった。 あるいは、嘘をつく必要すらないと思っているのかもしれない。 圧倒的強者の余裕。 「ここは両軍の勢力圏外だ。通信も繋がらねぇ。救援が来る保証もねぇ。そんな状況で殺し合いをして、何になる? 一人で生き残るより、二人で協力した方が生存率は上がる。単純な計算だろ?」 正論だ。 悔しいが、反論の余地がない。 私は唇を噛み締め、足元のレーションを拾い上げた。 封を切ると、甘ったるい匂いが漂う。 高カロリーの固形食。 警戒しつつも、一口かじりつく。 パサパサとしていて、決して美味とは言えない味。 だが、空腹の胃袋には、どんな御馳走よりも染みた。 唾液が溢れ出し、身体が震える。 それを飲み込むと、ようやく少しだけ、理性が戻ってきた気がした。 「……味方の救援が来たら、その時はどうするの」 「そん時はそん時だ。捕虜になるか、またドンパチやるか。……ま、今はとりあえず、生き延びることだけ考えようぜ」 彼はニカっと笑った。 白い歯が、日焼けした肌に眩しい。 なんて大雑把な男だろう。 緻密な計算と予測で生きてきた私とは、正反対の生き物。 だが、その大雑把さに、今は救われている自分がいた。 私はため息をつき、張り詰めていた肩の力を抜いた。 スーツの締め付けが、少しだけ緩んだ気がした。 この得体の知れない惑星で、とりあえずの「安全」は確保されたのだ。 目の前の、半裸の敵兵と共に。 ■パート3 男の名は、ウルフと言った。 階級は中尉。所属部隊は、あの忌々しい重機動兵器大隊。 焚き火の爆ぜる音を聞きながら、私は配給された固形食(レーション)の最後の一欠片を口に含み、苦い茶のような現地の植物の煮汁で流し込む。 彼が「食える」と判断した植物の根は、泥臭いが確かな滋養を感じさせた。 「……随分と、原始的なのね」 私は思わず呟いた。 目の前で、彼が太い薪を素手でへし折っていたからだ。 バキリ、という生木が裂ける鈍い音が響く。 ナイフやレーザーカッターを使うまでもないと言わんばかりの、純粋な腕力。 鍛え上げられた上腕二頭筋が盛り上がり、血管が浮き出る様は、まるで肉食獣そのものだ。 「道具がないなら、あるものを使う。それだけだ」 彼は事もなげに言うと、折った薪を火にくべた。 その動作一つ一つに、無駄がない。 というより、あまりに大雑把で、それでいて核心を突いている。 精密機械のような私の生活習慣とは、対極にある生き物。 それが、なぜか酷く癇に障り、同時に目を離せなくさせる。 食事の後、私たちは水源の近くで夜を明かすための準備に取り掛かっていた。 この惑星の植生は地球の熱帯雨林に酷似しているが、決定的に異なる点が一つある。 動物がいないのだ。 鳥のさえずりも、獣の遠吠えも聞こえない。聞こえてくるのは、風に揺れる葉擦れの音と、時折弾ける胞子の音だけ。 虫の羽音も、獣の咆哮も、鳥のさえずりさえもない。 この豊かな緑の牢獄には、動物という種が存在しないようだった。 あるのは、静謐で、それでいて貪欲な植物と菌類の気配だけ。 「……奇妙な星だ。食える草はあるが、肉が見当たらねぇ」 ウルフは不満げに鼻を鳴らしながら、採取してきた巨大なキノコを火で炙っている。 私のナノマシンによる分析──今はひどく不安定だが──でも、周囲に動物性タンパク質の反応は皆無だった。 動くものといえば、私たち二人だけ。 その事実が、奇妙な閉塞感と、彼への意識を強めさせる。 「ねえ。……貴方のその機体、どうなっているの? あれだけ派手な剣を振り回しておいて、サバイバルツールの一つも積んでいないわけ?」 沈黙に耐えかねて、私は刺々しい口調で尋ねた。 彼は焼けたキノコを放り投げ、熱さをものともせずに素手でキャッチしながら答える。 「俺のマシンは、漢(おとこ)の魂で動くんでね。細かい装備なんざ必要ねぇんだよ。拳と剣があれば十分だ」 「……非科学的すぎるわ」 「ハッ、お前さんのそのピチピチしたスーツよりは頑丈だぜ」 彼はニヤリと笑い、私の身体を無遠慮に眺め回した。 薄い生体スーツは、第二の皮膚として機能するために極限まで薄く作られている。 今は機能不全を起こしているとはいえ、ボディラインを露わにしていることに変わりはない。 彼の視線が、胸元の膨らみや、腰のくびれを舐めるように移動するのを感じ、私は反射的に腕で身体を隠した。 羞恥心よりも先に、背筋に走るゾクゾクとした悪寒。 いや、これは悪寒ではない。 ナノマシンが彼の視線を「刺激」として認識し、誤ったフィードバックを脳に送っているのだ。 「……見ないで」 「減るもんじゃなし。それに、今は味方だろ?」 彼は悪びれもせず、焼けたキノコを差し出してきた。 私はそれをひったくるように受け取り、かぶりつく。 ジューシーだが、ゴムのような食感。 食事を終え、水辺で汚れを落とそうとした時だった。 苔むした岩に足を滑らせ、私の身体がバランスを崩した。 ナノマシンの補助があれば、こんな無様な態勢など空中で立て直せるはずだった。 だが、今の私の平衡感覚は、薬切れのせいで泥酔したように鈍っている。 「きゃっ……!」 短い悲鳴と共に、水面へ倒れ込みそうになる。 その瞬間、太い腕が私の腰を抱き留めた。 「おっと。危ねぇな」 ウルフだ。 彼の反応速度は、機械による強化を受けていないはずなのに、驚くほど速い。 抱き留められた拍子に、私の背中が彼の裸の胸板に押し付けられる。 熱い。 火傷しそうなほどの体温。 汗ばんだ彼の肌と、私のスーツが密着し、ぬるりとした感触が伝わってくる。 「んっ……!」 私の口から、意図せず甘い声が漏れた。 腰を抱く彼の掌の熱が、スーツごしに下腹部へと浸透してくる。 故障したスーツが誤作動を起こしたのか、あるいはナノマシンがバグったのか。 ただ支えられただけという接触が、脳内で強烈な「快感」へと変換された。 接触部位から電流が走り、太腿の内側がキュンと収縮する。 ビクン、と身体が跳ね、私は彼の腕の中で震えた。 「おい、どうした? 怪我でもしたか?」 彼の低い声が耳元で響く。 その吐息がうなじにかかり、更なる痺れをもたらす。 だめ。 これ以上触れられていたら、おかしくなる。 私は全身の力を振り絞り、彼の腕を振り払った。 「さ、触らないで! ……自分で立てるわ」 突き放した反動で、私は濡れた地面に手をつく。 肩で息をしながら彼を睨みつけるが、頬が熱くてたまらない。 彼はきょとんとした顔で、自分の手と私を交互に見ている。 「……そうかよ。悪かったな」 彼は肩をすくめ、それ以上踏み込んでこなかった。 助かった。 もし今の身体の反応──秘部が僅かに湿り気を帯びていること──に気づかれたら、取り返しのつかないことになる。 私は逃げるように焚き火のそばへと戻り、膝を抱えた。 やがて、ジャングルに急速な闇が訪れた。 星明かりすら、分厚い樹冠に遮られて届かない。 完全な暗闇。 気温が下がり始める。 本来ならスーツが体温調節を行うはずだが、今はただの冷たいゴムの膜だ。 寒さが骨身に染みる。 震えを噛み殺していると、対面に座るウルフが口を開いた。 「寒いな」 「……ええ」 「こっちに来て、背中合わせで寝るか? 人間湯たんぽだ。互いの体温があれば、凍えることはねぇ」 合理的な提案だ。 サバイバルの常識でもある。 だが、先ほどのハプニングが脳裏をよぎる。 彼の熱に触れた瞬間の、あの異常な快感のフラッシュバック。 もし一晩中、彼と密着して過ごしたら? 私の理性が、あるいはスーツの制御が、朝まで持つ保証はない。 「……断るわ」 「あ? 意地張ってる場合かよ」 「貴方みたいな野蛮人と肌を合わせるくらいなら、凍死した方がマシよ。それに……貴方が寝ている間に何をするか、信用できないもの」 心にもない罵倒を口にする。 そうでもしなければ、自分自身の弱さに負けて、その温かさに縋り付いてしまいそうだったから。 彼は「へっ、可愛くねぇ女」と呟くと、それ以上は勧めなかった。 彼は焚き火の横にゴロリと横になり、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。 その神経の図太さが、今は羨ましく、そして恨めしい。 私は焚き火のわずかな熱に必死にしがみつき、膝を抱えて、長く冷たい夜を耐えた。           ◇ 翌朝。 まぶたを刺す光で目を覚ます。 身体が鉛のように重い。 睡眠不足と、寒さと、そして何よりナノマシンの離脱症状だ。 視界がぼやけている。 まるで度の合わない眼鏡をかけさせられたように、世界の輪郭が曖昧だ。 頭の奥で鈍い痛みが脈打っている。 「……ウルフ?」 掠れた声で名を呼ぶが、返事はない。 焚き火の跡は完全に冷え切っている。 まさか、私を置いていった? いや、あの男に限ってそれはない。 だとしたら、何かあったのか。 私はふらつく足取りで立ち上がり、周囲を見回した。 超感覚(シックスセンス)を使おうとするが、ノイズが走るばかりで何も感じ取れない。 ただの無力な女になった気分だ。 森の奥から、金属音が聞こえた。 カキン、カキン、という硬質な音。 私は音のする方へ、蔦をかき分けて進む。 少し開けた場所に出た私の目に飛び込んできたのは、信じがたい光景だった。 「……は?」 そこには、深紅のボディを持つ、流麗なフォルムのスポーツカーが停まっていた。 四つのタイヤ。低い車高。 空力特性を考慮したエアロパーツ。 どう見ても、舗装されたサーキットを走るためのマシンだ。 こんな泥濘と木の根だらけのジャングルに、最も不釣り合いな人工物。 そのボンネットが開かれ、ウルフが中を覗き込んで何か作業をしていた。 「よう、起きたか。おはようさん」 彼は油にまみれた手でスパナを回しながら、にこやかに振り返った。 私は呆然と立ち尽くす。 幻覚? いや、ナノマシンの効果が切れている今、幻覚を見るはずがない。 だとしたら、現実? あり得ない。 宇宙戦闘の果てに墜落した未開の惑星に、なぜスポーツカーがあるの? 「な……何よ、あれ」 「ん? ああ、こいつか。ちょっとラジエーターの調子が悪くてな。冷却水が漏れてやがった」 彼は愛車を自慢するようにボンネットを軽く叩く。 「ふざけないで!」 私は叫んだ。 混乱と恐怖が、怒りとなって爆発する。 「ここには私たち以外、誰もいないはずでしょ!? なんでそんな……そんな地球の乗り物がここにあるのよ! 貴方、誰かと連絡をとったの? 救援が来たの!?」 「あ? 何言ってんだ。これは俺の……」 「最初から騙していたのね! 私を油断させて、捕虜にするつもりだったんでしょ!?」 疑心暗鬼が理性を塗りつぶす。 やはり、敵は敵なのだ。 私の常識では測れない、何か恐ろしい罠に嵌められている。 そうに違いない。 こんな訳のわからない状況、まともじゃない。 「おい、待て。落ち着けって!」 彼がスパナを持ったままこちらへ歩み寄ってくる。 その姿が、今は凶器を持った処刑人に見えた。 信用できない。 この男も、この車も、この星も、何もかも! 「来ないで!」 私は叫ぶと、踵を返して駆け出した。 背後で彼が呼び止める声がしたが、振り返らなかった。 とにかく、ここから離れなければ。 足がもつれ、何度も転びそうになりながら、私は鬱蒼としたジャングルの中へと姿を消した。 ■パート4 鬱蒼とした森の中を、どれだけ走っただろうか。 泥に足を取られ、棘のある蔦にスーツを引っかけながら、私はただ無我夢中で足を動かしていた。 肺が焼けつくように熱い。 喉の渇きが限界を超え、貼りついた気管がヒューヒューと悲鳴を上げている。 それでも、あの場から離れなければという衝動だけが、重い脚を前へと突き動かしていた。 ようやく足が止まったのは、巨大な板根(ばんこん)を持つ巨木の下だった。 背中を預け、ずるずるとその場に座り込む。 心臓が早鐘を打っている。 恐怖か、怒りか、あるいは全力疾走による酸欠か。 荒い呼吸を繰り返すうちに、少しずつ、酸素が脳に行き渡り始める。 冷静さが、潮が満ちるように戻ってきた。 「……私、何をそんなに怯えているの?」 自問するように呟く。 冷静になって考えてみれば、おかしなことだらけだ。 あのスポーツカーは確かに異様だった。 この未開の惑星にあるはずのないオーバーテクノロジー、あるいは時代錯誤の遺物。 けれど、ウルフの態度に、私を罠に嵌めようとする狡猾さはあっただろうか? あの驚いたような、きょとんとした顔。 「ラジエーターの水漏れ」なんて、とぼけたことを言っていた彼の表情。 もし私を捕虜にするつもりなら、あんな隙だらけの姿を見せるだろうか。 銃を突きつけるでもなく、拘束するでもなく、ただ車を修理していただけ。 「……早まった、かもしれない」 後悔が胸を刺す。 もっときちんと話を聞くべきだったのではないか。 仮に彼だけが味方と連絡が取れていて、その結果、私が捕虜になるのだとしても。 このまま一人、訳のわからない植物に囲まれて朽ち果てるよりは、ずっとマシな結末だったはずだ。 私は、彼の手を振り払ってしまった。 生存の可能性を、自ら手放してしまったのかもしれない。 膝を抱え、自身の身体を見下ろす。 薄汚れたニューロ・スキン。 かつては最新鋭の技術の結晶だったこのスーツも、今はただの重荷だ。 私は今まで、精神の均衡をこのスーツの機能に頼りすぎてきた。 戦闘の恐怖も、死への不安も、すべてパルスによる調整で誤魔化してきたツケが、今ここに回ってきている。 生身の私は、こんなにも脆く、感情的で、臆病だったのだ。 俯きがちになって歩き出そうとした、その時だった。 足元の落ち葉の堆積が、不自然に盛り上がった気がした。 「……?」 目を凝らす。 緑色の太い何かが、蛇のように地面を這っている。 ナノマシンの残滓が見せる幻覚だろうか。 まだ視界の端には、時折ノイズのような光が走っている。 疲れているのだ。 そう思い、跨ごうとした瞬間。 その「幻覚」が、跳ね上がった。 「っ!?」 足首に、強烈な力が食い込む。 鋼鉄の万力で締め上げられたような圧迫感。 幻覚ではない。 現実の質量と、生々しい力強さを持って、それは私の身体を宙吊りにした。 「う、あぁっ!」 世界が逆さまになる。 私は悲鳴を上げ、地面に手を伸ばそうと藻掻く。 だが、その蔦は見た目からは想像もつかないほどの怪力で、私を軽々と高い枝の高さまで吊り上げた。 この惑星の生命体。 動く植物。 敵性生物(ホスタイル)だ。 「離せ……ッ! 離して!」 必死で抵抗するが、足首を掴む蔦はびくともしない。 それどころか、暴れれば暴れるほど、締め付けがきつくなっていく。 更に、周囲の茂みから、無数の蔦が鎌首をもたげて現れた。 それらは意思を持っているかのように、空中でうねり、私を目指して殺到してくる。 一本が、腰に巻きつく。 もう一本が、手首を拘束し、頭上へと引っ張り上げる。 まるで磔にされるように、私は空中で大の字に広げられた。 引き剥がそうとしても、蔦の表面は粘着質の液体で覆われており、ヌルヌルと滑って力が逃げてしまう。 「な、何なの、これ……っ」 恐怖に震える声が出る。 スーツに覆われていない首筋に、細い蔦が巻きついた。 冷たく、ぬめりのある感触。 だが、次の瞬間、その接触部位がカッと熱を帯びた。 粘液が皮膚に浸透してくる。 ただの樹液ではない。 皮膚の下、毛細血管へと直接入り込んでくるような、侵襲性の高い成分。 「熱ッ……!」 焼き鏝を当てられたような熱さではない。 身体の芯から疼くような、甘く、痺れるような熱。 これは、毒? いや、違う。 体内に残留していたナノマシンが、侵入してきた成分に過剰反応を起こしている。 警告信号が脳内でスパークするが、それは痛みとしてではなく、奇妙な高揚感として変換されていた。 他の蔦は、スーツの表面を這い回り始めた。 まるで獲物の形を確かめるように、あるいは味わうように、ゆっくりと蠢いている。 本来なら、外部からの衝撃や圧力を吸収し、着用者を守るはずのゲル状素材。 だが今は、蔦の強すぎる締め付けを分散させるどころか、その動きのすべてを克明に肌へと伝えてくる。 這い回る感触。 食い込む力強さ。 それらがスーツ越しに伝わり、背筋をゾクゾクとしたものが駆け上がる。 「んっ……や、やめて……」 口から漏れたのは、拒絶の言葉のはずなのに、どこか艶めいた響きを帯びていた。 心地良さを感じている? まさか。そんなはずがない。 私は襲われているのだ。 生命の危機だ。 なのに、なぜ。 視界に、再び極彩色の幻覚が映り込む。 ナノマシンと、皮膚から浸透してきた植物の成分。 それらが体内で化学反応を起こし、未知の相乗効果を生み出しているらしい。 乳房の奥が、じわりと熱い。 下腹部の芯が、疼くように脈打ち始めている。 この成分は、神経毒などではない。 もっと原始的で、抗いがたいもの。 媚薬だ。 「くぅっ、うぅ……!」 逃れようと身をよじるが、拘束はきしむ音を立てるだけで、決して緩まない。 新たに現れた、半透明の管のような蔦が、私の顔の前に垂れ下がってきた。 先端から、甘ったるい香りのする透明な雫が垂れている。 その香りを嗅いだだけで、思考が白く濁り、蕩けていくようだ。 蔦の先端が、唇に触れる。 ぬるりとした感触。 必死で口を噤み、顔を背けようとする。 だが、胸に巻きついた別の蔦が、敏感な突起をスーツの上から容赦なく擦り上げた。 「あひっ……!?」 予期せぬ快感に、身体から力が抜ける。 その隙を逃さず、半透明の蔦が一気に唇をこじ開け、口内へと潜り込んできた。 「んぐっ、んううぅっ!」 異物が口腔を埋め尽くす。 舌を押し潰され、喉の奥まで侵入される。 太い。 苦しい。 蔦は口腔内を這い回り、粘膜のひだを味わうように蠢くと、やがて一定のリズムで前後運動を始めた。 ズポ、ズポ、と湿った音が、頭蓋骨に直接響く。 私は未通女(おぼこ)ではない。 この動きが何を模倣しているのか、嫌でも理解させられる。 犯されている。 口を、この植物に。 その認識が、恐怖と共に、下腹部の疼きを爆発的に加速させる。 身体を拘束する他の蔦も、呼応するように動きを強めた。 太腿の内側、脇腹、首筋。 私の身体の、どこが敏感なのかを正確に知っているかのように、執拗にそこを攻め立ててくる。 間違いない。 こいつらには、明確な意思がある。 ただの反射行動ではない。 私という獲物を屈服させ、種付けするための苗床にしようとする、強烈な本能。 「んぐっ、ぉっ、ぉぉぉ……ッ!」 口内を犯す蔦の動きが激しくなる。 呼吸ができない。 喉の奥を突かれるたびに、涙が滲み、意識が遠のく。 視界いっぱいに、幻覚の蝶が乱舞する。 半透明の蔦の内部を、根元から先端に向けて、何か白い塊が急速にせり上がってくるのが見えた。 喉の奥、食道の入り口まで深く突き入れられた瞬間。 それは弾けた。 ドクリ、と蔦が脈打つ。 次の瞬間、生暖かい液体が、喉の奥に奔流となって解き放たれた。 「んんーーーーーッ!?!?」 悲鳴は蔦によって封じられ、くぐもった絶叫になる。 未知の白濁液。 意思とは無関係に、嚥下反射によって飲み込まされていく。 量が多い。 あまりにも多すぎる。 人間のそれとは比較にならない、圧倒的な量。 胃袋へと直接流し込まれる、熱く、重い液体。 それはただの水分ではない。 粘度が高く、生命力そのものを凝縮したような濃厚な味わい。 放出は長く続き、呼吸をせき止められた私の意識は、酸欠と快楽の狭間で急速にブラックアウトしていく。 『警告。バイタルサイン低下。窒息の危険性を検知。強制覚醒(ウェイクアップ)パルスを照射します』 脳内で、スーツのAIが無機質に告げた。 バチッ! うなじに鋭い衝撃が走る。 強制的に意識を引き戻される。 「ごふッ、げほっ、うぇっ……!」 ようやく全てを注ぎ終えた蔦が、スポン、と音を立てて引き抜かれた。 私は激しく咳き込み、口から溢れた液体を吐き出す。 だが、大半はすでに飲み込んでしまった後だ。 胃の中が熱い。 鉛を飲み込んだように重く、そして身体の内側からカッカと火照る。 おそらく、これも媚薬。 だが、それだけではない「何か」を感じる。 胃壁を通じて、ナノマシンが成分を分析している。 高濃度の栄養素。ホルモン剤。そして、遺伝子情報を含んだ、種子。 「はぁ、はぁ、ひゅぅ……」 糸を引く唾液を垂れ流しながら、虚ろな目で宙を見上げる。 もう、許して。 だが、植物たちの宴は、まだ前菜が終わったに過ぎなかった。 私の股間に、同型の蔦が新たに鎌首をもたげた。 その動きは、驚くほど繊細で、器用だった。 先端の触手が、スーツの股間部分にあるファスナーのつまみに絡みつく。 まさか。 やめて。 そんなところを開けられたら。 「い、いやぁ……」 ジジ……ッ、という小さな音が、森の静寂に大きく響いた。 ファスナーが下ろされていく。 冷たい外気が、熱を持った秘部に触れる。 過度の緊張を察知したスーツが、再び警告を発した。 『精神ストレス、危険域。リラックスパルスを照射。筋弛緩を促進します』 「ちが、だめ……!」 私の制止も虚しく、うなじから微弱電流が流れる。 身体の力が、ふわりと抜ける。 抵抗しようと強張っていた太腿の筋肉が、強制的に弛緩させられる。 開かれたファスナーから、下着もつけていない無防備な秘部が、露わになった。 恥ずかしさに顔が沸騰しそうになるが、それ以上に、身体は正直だった。 ナノマシンと媚薬の効果で、そこはすでに準備完了の状態になっていた。 蜜が溢れ、太腿を伝って滴り落ちている。 そこへ、蔦の先端がくちゅりと触れた。 「ひゃうっ……!」 声が跳ねる。 こいつの目的は、明白だ。 捕食ではない。 生殖。 私の身体を、ただの雌として利用しようとしている。 腰をよじり、逃れようとする。 だが、両脚に絡みつく蔦の本数が更に増えた。 太腿を左右に大きく開脚させられ、恥部を完全に見せつける体勢で固定される。 無慈悲にも抵抗が封じられ、私はただ、受け入れるしかない状態にされた。 「や、やだ、はいらない、入らないぃ……ッ!」 懇願は無視される。 蔦の先端が、濡れた入り口を割り、侵入を開始した。 蔦の表面を覆う粘液と、私の愛液が混じり合う。 その接触面から、火が灯るように強い熱が発生した。 異物感。 太い植物が、私の内側を押し広げていく感覚。 だが、すでに蕩けきったそこは、抵抗なく異物を受け入れてしまった。 「あ、あぁ……、んくぅ……っ」 蔦は、肉壁の襞(ひだ)を一枚一枚擦り上げるようにして、ゆっくりと、ぬめりながら押し進んでくる。 異物が体内を侵食していく恐怖と、隙間なく埋められる充足感が同時に押し寄せる。 やがて、先端が最奥の子宮口(うつわ)をこつりと押し上げた。 内臓が圧迫され、苦悶とも快哉ともつかない息が漏れる。 「はぐっ……! お、おく、当たって……」 侵入を終えた蔦は、内部の感触を確かめるように、体内で僅かにうねった。 表面の細かな凹凸や、うぶ毛のような突起が、敏感な粘膜を容赦なく刺激する。 ゾクゾクとした感覚が、背筋を駆け抜け、脳天を突き抜ける。 そして、蔦はゆっくりと、本当にゆっくりと後退を始めた。 襞が裏返り、引きずり出されるような感覚。 完全に抜ける直前で、動きが止まる。 焦らされる。 身体が、続きを求めて勝手に震える。 次の瞬間、勢いよく突き込まれた。 「あぎっ!?」 先ほどよりも更にスムーズに。 粘液のおかげで、摩擦抵抗は快楽へと変換されている。 ゆっくりと抜け、素早く侵入する動き。 それはすぐに加速し、確かなピストン運動へと化していった。 ズチュッ、ズプッ、グチュッ。 水音と、肉が打ち付けられる音が混じり合い、卑猥なリズムを刻み始める。 「はっ、あっ、ああっ、うあぁっ!」 呼吸が早くなる。 幻覚で視界が歪み、緑色の森が、ピンク色の肉壁に見えてくる。 世界が回る。 駄目だ。 来る。 何かが、来る。 拘束されたままの手足に、勝手にギュッと力がこもる。 足の指が丸まり、背中が弓なりに反る。 身体の芯が震え、圧倒的な感覚が背筋を走り抜け、脳内で炸裂した。 「いッ、いくっ、イくぅぅぅーーーーーッ!!」 絶頂。 目の前が真っ白になる。 思考が吹き飛び、ただ快楽だけが存在する空白の時間。 あたかも私を気遣うように、蔦のピストンが弱められ、余韻に浸らせてくれる。 だが、呼吸が整う暇もなく、動きは再開した。 一度屈服し、開発された身体は、すでに次の頂点へ向けて準備を始めてしまっている。 感度が上がっている。 さっきよりも、深い。 さっきよりも、気持ちいい。 突如、うなじの部位にあるスーツの制御モジュールが異音を発した。 ピーッ、ガガッ、というノイズ音。 『異常興奮を検知。性感覚抑制シーケンスを開始。パルス照射』 スーツが、私の絶頂を「異常事態」と判断したらしい。 これで、この状況が少しはマシになる。 感覚が麻痺すれば、狂わずに済むかもしれない。 そう期待した瞬間、その希望は粉々に打ち砕かれた。 バヂヂッ! 照射されたパルスは、抑制信号ではなかった。 むしろ、神経を逆撫でするような、強烈な快楽信号。 「ひギッ!? あ、ああああああッ!?」 制御モジュールが故障している。 あるいは、ナノマシンの暴走と干渉し合い、プログラムが反転してしまったのか。 スーツから照射されたのは、感覚を遮断する壁ではなく、感度を極限まで増幅させるアンプだった。 パルスに性感覚が刺激され、それを抑制しようとして更に強いパルスが放たれる悪循環(ループ)。 断続的に流れる電流のような刺激に、膣壁がギュウギュウと収縮し、体内で動き続ける蔦を締め付ける。 蔦はそれを「歓迎」と受け取り、ブルブルと身を震わせて歓喜しているようだ。 「や、あ、あ、こわ、壊れ、てるっ、スーツ、とめて、とめてぇぇ!」 ナノマシンと媚薬、スーツと蔦。 全てが共犯関係となって、私の身体を好き放題に弄ぶ。 もはや自分の意思で制御できる領域を超えている。 柔らかい乳房は別の蔦にぐにゅりと揉みしだかれ、口からは自分のものとは思えないほど甘く、高い喘ぎ声がひっきりなしに漏れ出ている。 熱がこみ上げる。 次の絶頂が近づく。 身体の内側で膨張し、満たし、収まりきらなくなり、ついに真っ白に爆発する。 「アッ、ああっ、イッ、イくっ! あひィィィッ!!」 快楽の頂点が、繰り返す誤作動パルスによって無理やり引き伸ばされる。 終わらない絶頂。 脳が焼き切れるようなエクスタシーが、何秒も、何十秒も続く。 痙攣する身体。 白目を剥き、涎を垂らし、私は快楽の奴隷に成り果てていた。 絶頂が収まる頃には、もう次が近づいている。 三度、四度と達するうち、途切れ目はなくなった。 いつまでも、いつまでも達し続ける。 満足に呼吸ができない。 酸欠で指先が痺れ、視界が点滅する。 体内を貫く蔦も、もはや手加減を止めていた。 獣のような、素早いピストンを繰り返す。 その根元で、先ほど口内に注がれたものとは比較にならないほど濃密な、熱いエネルギーの塊がぐつぐつと煮え立ち、渦巻いているのがわかる。 第六感が、その「気配」を捉える。 半透明の蔦の内側を満たし、白い筋となって結合部へ向けて伸びていく、生命の奔流。 「くるっ、くるっ、なにか、熱いの、くるぅぅぅッ!!」 最後に蔦が一度、力強く、深々と突き込まれた。 子宮口をこじ開け、その中へと先端が侵入する。 そして、びゅくん、と蔦が大きく跳ねた。 ドプンッ! 「んぎイイイイイイイイイイイイイッ!?!?」 凄まじい勢いで、奔流が炸裂した。 最奥の器が、注がれたものでブワッと膨れあがる。 それは煮えたぎった鉛のように熱く。 身体の芯を焦がし、溶かし、その熱ですべてを塗り替えていく。 濃く、熱く、重い奔流。 思考が押し流され、私は暗く、深く、温かい海に、どこまでも沈んでいくような心地に囚われた。 注入は長く、長く続く。 ドクン、ドクン、と脈打つたびに、新たな熱量が注ぎ込まれる。 お腹が熱い。 重い。 いっぱいになる。 意識も深く、深く沈み、もうこちらの世界には戻ってこられない気がした。 ナノマシンの第六感が、胎内の生命力のうねりを、残酷なほど精緻に感じ取る。 視界に映る幻覚。 黄金色に輝く、無数の光の粒子。 これは、この植物の種子……精子だ。 私の卵子を求めて、何十億という数が泳ぎ回っている。 その生命の欠片の一つ一つが、ハッキリと感じられる。 なんて力強い。 なんて美しい。 ああ、これで。 きっと、新たな生命を授かるのだ。 私は、この星の一部になる。 戦いも、任務も、もうどうでもいい。 ただ、種を受け入れ、育むだけの存在になる。 それが、女としての究極の幸せなのかもしれない。 壊れたスーツが、祝福のファンファーレのように、快楽のパルスを送り続けている。 幸福な心地で意識を手放そうとした、その時だった。 「──い、おいッ! しっかりしろッ!!」 遠くで、誰かの叫び声が響いた気がした。 聞き覚えのある、力強い、男の声。 ウルフ……? 彼の名を思い浮かべた瞬間、私の意識はプツリと途絶え、完全な闇へと落ちていった。 ■パート5 温かい海を、漂っている。 重力も、苦痛も、孤独も存在しない、羊水のようなまどろみ。 けれど、その海は私の身体の外側にあるのではない。 内側だ。 下腹の奥底を中心に、とろりとした熱を持った質量が渦巻き、全身の血管を通して甘美な痺れを送り続けている。 対照的に、肌を撫でる空気はひんやりとしていて、心地よい冷たさが火照った皮膚を冷ましている。 「おい……。おい、大丈夫か」 焦りを含んだ、低い声が鼓膜を震わせた。 ハッとして目を開ける。 視界に飛び込んできたのは、心配そうにこちらを覗き込む、男の顔だった。 ウルフ。 逆光で陰になった彼の輪郭が、やけに頼もしく、そして眩しく見える。 「あ……」 口を開こうとして、喉が張り付いていることに気づく。 咳き込むと、彼はすぐに私の背中をさすり、水筒のキャップを開けて口元に当てがってくれた。 冷たい水が、灼かれた喉を潤していく。 意識の焦点が結ばれ、周囲の状況が認識される。 ここは、この男と最初に出会った水源だ。 私は苔むした岩の上に横たえられ、彼は片膝をついて私を介抱していたのだ。 記憶が、濁流のように蘇る。 逃げ出したこと。 植物に捕まったこと。 そして、あの冒涜的で、あまりにも快楽的な凌辱の宴。 植物の蔦に犯され、種を注ぎ込まれ、快楽の淵に沈められていた私を、彼が助け出してくれたのだ。 あのまま放っておけば、私は自我を失い、ただの苗床として生きる屍になっていただろう。 敵である私を。 一度は拒絶し、逃げ出した私を。 「……ごめんなさい」 唇から零れ落ちたのは、震える謝罪だった。 「私、貴方を疑って……。それなのに、助けてくれて……」 「よせ。謝る必要なんざねぇよ」 彼は視線を逸らし、バツが悪そうに頬を掻いた。 その仕草には、敵兵を助けたことへの葛藤ではなく、もっと別の種類の気まずさが滲んでいた。 彼は直視できないのだ。 私の、今の姿を。 スーツのあちこちには、植物の粘液がべっとりと付着し、乱暴に扱われた痕跡が生々しく残っている。 股間のファスナーは下ろされたままで、そこからは白濁した液体が、止め処なく溢れ出していた。 凄惨な凌辱の爪痕。 普通の女性ならば、泣き叫び、心に深い傷を負って塞ぎ込むような状況だ。 彼は、私が傷ついていると思って、言葉を選びかねているのだ。 けれど。 私の身体は、心は、彼の想像とは真逆の反応を示していた。 ナノマシンと媚薬の相乗効果は、まだ続いている。 いや、むしろ助け出された安堵感によって、タガが外れようとしていた。 身体の奥が、熱い。 子宮を満たす異物の感覚が、不快感ではなく、おぞましいほどの充足感をもたらしている。 私は、あの植物に犯されることを、悦んでいた。 そして今も、疼きが収まるどころか、より強い刺激を求めて渇望している。 「……っ」 居ても立ってもいられなかった。 理性が、音を立てて崩れ落ちる。 こんなにも淫らで、どうしようもない雌になってしまったことを、彼に知らしめたい。 同情なんていらない。 欲しいのは、もっと直接的な、魂を焦がすような熱だけ。 私は身体を起こすと、這いずるようにして彼に擦り寄った。 「ありがとう……ウルフ」 「お、おい? まだ安静にしてた方が……」 「ううん。大丈夫。……ねえ、お礼をさせて」 とろりと甘い猫撫で声が、自分の喉から出たことに驚く。 彼の瞳が、驚愕に見開かれる。 私は彼の手を取り、自分の胸へと押し当てた。 スーツ越しに伝わる、狂ったように早鐘を打つ心臓の鼓動。 そして、植物の成分によってパンパンに張り詰め、敏感になりきった乳房の感触。 「あんた、まさか……」 「ふふ。……こんないい身体をしていて、女に迫られるのが初めてってわけじゃないでしょう?」 私は妖艶に微笑み、彼の標準スーツのファスナーに手をかけた。 躊躇なくそれを引き下ろし、はだけさせる。 露わになったのは、ギリシャ彫刻のように鍛え上げられた、分厚い胸板だった。 汗と、男性ホルモンの混じった匂いが鼻腔をくすぐる。 その匂いを嗅いだだけで、脳の奥が痺れ、下腹部がきゅんと収縮する。 なんて雄々しい。 あの植物の無機質な蔦とは違う、生命の熱量に満ちた肉体。 「ちょ、まて……!」 彼の制止など耳に入らない。 私は両手を彼の胸筋に這わせ、その硬度と弾力を指先で確かめる。 熱い。 彼の心臓もまた、ドクンドクンと激しく脈打っているのが伝わってくる。 私の手が触れるたびに、彼の筋肉がビクンと反応する。 拒絶ではない。 彼もまた、男なのだ。 こんな状況で、女に触れられて、感じないはずがない。 「いい身体……」 思わず舌なめずりをしてしまう。 手はさらに下へと滑り落ち、彼の腰元へ。 標準スーツを腰まで一気に引き下ろす。 布地が引っかかり、そして弾けるように解放された瞬間、彼の中心にあるものが、逞しい腹筋にベチンと跳ね返った。 「ッ!?」 彼は息を呑み、身を強張らせた。 私の目の前に現れたのは、想像を遥かに超える代物だった。 怒張し、血管が浮き上がり、赤黒く充血した、巨大な剛直。 あの植物の蔦にも劣らない太さと、それを凌駕する熱量。 こんなに大きく、熱く、生命力に満ちたものは見たことがない。 第六感が、その「力」を直接的に感じ取る。 これは凶器だ。 女を貫き、屈服させ、種を植え付けるための、最強の武器。 「すご……い」 おずおずと指先で触れる。 灼熱の塊。 ビクン、と彼の身体が跳ねる。 私の指が上下に動くたびに、それはますます硬度を増し、天を突くように反り返っていく。 先端から、透明なカウパー液が滲み出し、玉のような雫となって光っている。 私は顔を寄せ、その雫をそっと舌先で掬い取った。 「ん……」 独特の味。 微かな塩気と、彼自身の匂い。 ナノマシンが成分を分析し、脳に「極上の栄養素」という信号を送る。 たまらない。 もっと欲しい。 私は竿の根元から先端にかけて、長い舌を這わせた。 ザラついた舌の感触に、彼が低く呻く。 そのまま、先端のキノコのような傘の部分を、大きく口を開けて咥え込んだ。 「うぐっ……」 あまりに大きすぎて、顎が外れそうだ。 先端しか口内に収まらない。 口内いっぱいに広がる、圧倒的な存在感と熱気。 私は一旦口を離し、唾液で濡れそぼった竿の部分を、側面から舐り回した。 アイスクリームを舐めるように、愛おしげに、丁寧に。 太く、力強く、とても熱い。 舌に伝わる血管の脈動が、私の心臓のリズムと同期していくようだ。 「……くっ、やめろ、馬鹿……!」 彼の声は震えていた。 拒絶の言葉とは裏腹に、腰がわずかに浮き、私の口へと自身を押し付けようとする微細な動きを、第六感が見逃さない。 これは彼へのお礼なのだから、奉仕に徹するべきだ。 理性ではそう思っている。 けれど、もう我慢がきかない。 目の前の極上の雄を味わいたいという本能と、植物によって開発されきった身体の疼きが、限界を超えようとしている。 私は片手で、自身の重たく揺れる乳房を支え、もう一方の手を自身の股間へと伸ばした。 ファスナーはすでに全開だ。 内側のぬかるみに、指を触れる。 そこに、明らかな違和感を覚えた。 「っ……」 あの蔦に注がれたものは、もはや液体とは呼べないものに変質していた。 粘り強いトリモチのようなゲル状の物質が、膣道を入り口から突き当たりまで、みっちりと隙間なく埋め尽くしていた。 子宮口(うつわ)に注がれた種を、外へ漏らさぬようにするための、強固な蓋。 自然界の摂理が生んだ、残酷で完璧な生殖の証。 あの植物の精子を含んだ、紛れもない精液の塊。 それは膣壁の襞の一枚一枚にまで浸透し、粘膜を通じて媚薬成分を絶えず供給し続けている。 だから、いつまで経っても熱が引かないのだ。 そっと指を差し入れてみるが、粘度の強いそれにねっとりと絡め取られ、指一本を引き抜くだけでも力を込める必要があった。 糸を引いて指にまとわりつく、白濁した粘液。 私はそのどろどろになった指を彼の目の前に掲げ、見せつけた。 「見て……ウルフ」 私の瞳は、媚薬と欲情でとろんと潤んでいるはずだ。 唇の端を吊り上げ、背徳的な笑みを浮かべる。 「中……こんなになってる。あいつの種で、いっぱいにされちゃった。……きっと、孕んでしまうわ」 「な……ッ」 「この身体、どうなってしまうのかしらね……? 植物の苗床にされちゃうのかな……」 挑発的に告げる。 彼に、私の「汚れ」を見せつける。 普通の男なら、ドン引きして逃げ出すかもしれない。 けれど、彼は違った。 気遣い、気後れするような言葉とは裏腹に、彼の剛直がさらにビクリと跳ね、一段と硬度を増したのがわかったからだ。 第六感が、彼から放たれる感情の波動を捉える。 嫉妬。 そして、強烈な独占欲。 「自分の獲物に、他者が手を出した」ことへの、雄としての原始的な怒りと興奮。 歓喜に、私の心臓が爆発しそうになる。 彼に求められたい。 身体はもうその気になっているのだから、次はその心だ。 私は、どろりと汚れた指のまま、彼の手をギュッと握りしめた。 大きく、ゴツゴツとしていて、温かい掌。 愛おしいそれに頬ずりし、指の一本一本を丁寧に舌で愛撫し、唾液と粘液で濡らしていく。 そして、そっとこちらの胸へと導いた。 「触って……」 彼の指が、スーツ越しに私の乳房を包み込む。 大きく揉みしだかれる感触。 指先が、尖った突端をわずかに掠めた瞬間。 「あンっ……!」 甘く、甲高い声が勝手にこぼれた。 脳天を突き抜けるような痺れ。 たまらない。 彼の指の無骨さが、植物のぬるりとした感触とは違う、確かな「他者」としての刺激を与えてくれる。 私は身を乗り出し、彼の厚い胸に抱きついた。 汗ばんだ肌とスーツが密着し、体温が混じり合う。 彼を見上げ、唇を奪う。 舌を差し入れようとしたが、彼は唇を閉ざし、拒んだ。 やはり、こうした行為には慣れていないらしい。 あるいは、まだ迷っているのか。 「……昨日出会ったばかりの敵軍の男に、どうしてそこまで……」 彼は苦しげに尋ねた。 その問いかけは、彼自身の理性の最後の砦なのだろう。 私は小さく笑った。 「最初は、貴方のほうが馴れ馴れしかったくせに」 彼の胸に指で「の」の字を書きながら、囁く。 「……媚薬で火照った身体を鎮めてくれるなら、誰でもいいって言ったら、軽蔑する?」 嘘だ。 言葉にはしないが、彼に惹かれているのは自分でも明らかだった。 あの頼もしい背中。 不器用な優しさ。 そして、この圧倒的な雄としての魅力。 でも、もし他の誰かと同じ状況に陥ったらどうなるか。 正直を言うならば、今の私は本当に誰とでもまぐわってしまう気がした。 それほどまでに、身体は飢え、渇き、狂っている。 この見え透いた挑発に、果たして彼は乗ってくれるのか。 もし拒まれたら、満たされない身体を抱えたまま、私はきっと狂ってしまう。 ナノマシンが暴走し、廃人になってしまうかもしれない。 瞳を潤ませ、彼を見つめる。 私の瞳の中にある不安と、懇願を読み取ったのか。 あるいは、彼もまた、限界まで昂っているのか。 彼の喉仏がごくりと動き、瞳に暗い情欲の炎が宿った。 「……誰でもいいなんて、言わせねぇよ」 彼が低い声で唸ると、力強い腕で私の身体を引き剥がし、そのまま押し倒してきた。 背中が冷たい岩に触れるが、そんなことは気にならない。 彼が私の上に覆いかぶさってくる。 その重み。 圧力。 求められている。 抱いてもらえる。 嬉しさに、目尻から涙がこぼれ落ちた。 今度は彼が主導で、私の唇を塞いだ。 荒々しく、貪るような口づけ。 舌が強引に入り込んできて、私の舌を絡め取る。 唾液が混じり合い、呼吸が奪われる。 彼の唇が顎から首筋へと滑り落ち、敏感な鎖骨を舌が這う。 大きな掌が、スーツの上から乳房を鷲掴みにし、激しく捏ね回す。 痛いほどに強い力。 でも、それがいい。 突端を指先で摘まれ、グリグリと弄られると、腰が勝手に浮き上がる。 「あっ、あぁっ……! ウルフ、ウルフぅ……っ!」 名前を呼ぶ。 まだ始まったばかりだというのに、下半身はもどかしく疼き、蜜が溢れて止まらない。 早く欲しい。 貴方のその大きくて熱いもので、私の中の異物を搔き出して、塗り替えて欲しい。 「はやく……入れて、お願い……ッ」 何度もおねだりしているのに、彼は焦らすように愛撫を続ける。 技術的には拙い、ただ力任せな愛撫。 けれど、そこには私を慈しみ、同時に自分のものにしようとする執着心が込められていた。 彼の指が脇腹をなぞり、くびれを愛で、背中へと回る。 そして、内腿を割り、ようやく陰核にそっと触れた。 「ひギッ……!?」 ずっと刺激を待ち望んでいたそこを、硬い指の腹で擦られる。 電流が走る。 思わず腹の底から下品な声を出して悶えてしまう。 ナノマシンと媚薬で過敏になったクリトリスは、わずかな接触でも爆発的な快感を生み出す。 けれど、彼のタッチは壊れ物を扱うように優しかった。 もっと強くして欲しいのに。 このままでは、いつまでも達することができない。 生殺しだ。 「もう……限界ッ!」 私は手を伸ばし、彼の滾りきった部位を掴んだ。 脈打つ竿をさすりながら、先端を自身の秘部へと導く。 ぬめる入り口。 内部で半固形の塊のようになっていた粘液が、私の濃密な愛液と混じり合い、わずかに溶け出して潤滑油となっている。 これなら、あの巨根でも受け入れられるはず。 はやく。 はやく。 彼が息を吞み、覚悟を決めたのがわかった。 腰を沈め、先端をあてがう。 「……いくぞ」 「んっ……きて……ッ!」 待ちに待った挿入の瞬間。 ズブ……ッ。 粘液を貫き、掻き分けるようにして、彼の亀頭が内側へと沈み込んでくる。 太い。 あまりにも太い。 膣壁が限界まで引き伸ばされ、裂けそうなほどの充満感。 今までの人生で交わった中で、最も大きく、雄々しい。 依然として粘度の高い白濁がねっとりと絡みつき、痛みをもたらす摩擦を防ぎつつ、彼の形、熱さ、脈動を、襞のすべてに行き渡らせる。 きつきつの膣内を、無理やりこじ開けて進んでいく感覚。 「あぐっ、おおぉ……っ! おおきぃ、おっきいぃ……ッ!」 出し入れするたび、濃厚な粘りが吸着をもたらし、追いすがるようにして彼のものを締め付ける。 まるで私の身体が、彼を離すまいと食らいついているようだ。 彼はその抵抗をものともせずに力強く腰を動かし、ズンッ、ズンッ、と何度も内部を貫き、奥を打ち据える。 「くっ、すげぇ……中、すげぇ締め付けだ……ッ」 「あぁっ、んああっ! そこっ、そこいいッ!」 子宮口に、彼の先端がガンガンと当たる。 植物の種で満たされた子宮が、外側からノックされ、揺さぶられる。 これが、これがずっと欲しかった。 無機質な蔦ではなく、温かい血の通った男根による蹂躙。 快楽に意識を深く沈め、体内のナノマシンの残滓を必死にかき集めて、彼の感覚を探る。 彼がどこで気持ちよさを感じているのか。 どの角度、どの深さ、どのリズムが彼を悦ばせるのか。 第六感が、彼の神経とリンクする。 彼が悦ぶのに合わせて腰の角度を調整し、彼の弱い部位──裏筋やカリのふち──が、私の内部の固まった粘液の凹凸に擦れるようにする。 腰を動かしているのはあなたでも、責めるのはあなただけではない。 私もまた、あなたを喰らっているのだ。 それでも、媚薬の熱に浮かされ、十分に焦らされきった身体には、彼よりもずっと早く限界が近づく。 彼のピストンの速度が上がるにつれ、私の呼吸も荒くなる。 するりと彼の腰に脚を絡め、背中でロックする。 分厚い胸板をぎゅっと抱きしめて、その瞬間を待ち構える。 もうちょっとで、来る。 来る── 「あっ、あ、あ、イくッ! イくぅッ!!」 繋がった身体の芯から背筋を電流が走り抜け、頭の中で爆発した。 平衡感覚を見失い、超現実的な光がうねり、渦を巻く。 絶頂。 彼のアレを強く締め付け、ビクビクと痙攣する。 絶頂から降りてきて、身体感覚を取り戻したとき、彼の腕に包まれていることに別種の暖かい喜びを感じる。 彼は動きを止め、こちらが落ち着くのを待っていてくれたらしかった。 荒い息を吐きながら、私の髪を優しく撫でてくれている。 優しい人。 もっと容赦なく、獣のように責めてくれても構わないのに。 「……まだ、終わってないでしょ?」 耳元で甘く囁き、ねだるように腰を揺さぶる。 まだ彼の中に残っている熱を、全て私の中に注いで欲しい。 彼が唸り、動きを再開した。 深い絶頂を味わったばかりの身体は、先ほどより感度が跳ね上がっている。 彼の楔が擦れるたびに、脳がとろけるような快感が押し寄せる。 早すぎる。 これでは、彼が達する前に、また私がイってしまう。 彼も同じところへ連れて行ってあげなければならないのに。 そこへ、想定外の追い打ちがかかった。 完全に許容量をオーバーした性感に呼応してか、うなじでスーツの制御モジュールが低い唸りを上げ始めた。 ブゥゥン……という駆動音。 知っている。 この音。 『快楽レベル、上限突破。同調パルス、最大出力』 スーツが、性感覚抑制のためにパルスを照射する。 救済などないことは、先ほどの経験で嫌というほど理解させられていた。 絶望的な予感に、身体が強張る。 バチチッ! やはり、スーツから照射されたのは、抑制信号ではなく、神経を焼き切るような増幅信号だった。 それも、先ほど植物に襲われた時よりもさらに強力な、快楽のパルス。 「ひギィッ!?」 ひと波ごとに背筋が痺れ、軽い絶頂感が押し寄せる。 このポンコツめ。 スーツが故障していて喜ぶことがあるなんて、思いもしなかった。 彼の動きとパルスが重なり、次の頂点が加速度的に近づく。 胸の内を絶頂感がこみ上げ、満たし、飽和して、そして決壊する。 「あひっ、また、またきちゃう、きちゃううぅぅッ!!」 全身を巡り、荒れ狂うものが、ふたたび現実感を失わせる。 彼が止まっても、パルスは繰り返される。 絶頂が引き延ばされ、終わらない。 どこまでも達しつづける。 彼の存在を感じながら、意識は深く、深く沈んでいく。           ◇ 心地よい暗闇の中に、自分と彼のふたつの存在だけが浮かんでいる。 これは超感覚? それとも、幻覚? わからない。でも、とても綺麗だ。 おそるおそる彼に触れると、そこから溶け合い、混じり合っていく。 境界線が消滅する。 ふたつの鼓動が重なり、同期し、ひとつになっていく。 『……ウルフ』 『……お前』 言葉を交わす必要はない。 意識が直接繋がっている。 もっと近く。 彼の大きな存在感に飲み込まれ、彼の一部になっていく感覚。 彼の男性としての荒々しい衝動、私への愛おしさ、そして爆発寸前の射精欲求。 それら全てが、私のものとして流れ込んでくる。 逆に、私の蕩けるような快感、彼への依存、そして受け入れたいという渇望が、彼へと流れ込んでいく。 内に抱えた破裂寸前の快感を、彼にも分け与える。 生命力という名のガソリンで満たされた彼の内側に、快感の火が灯される。 それはたちまち燃え広がり、全身を満たし、焦がし、お互いの輪郭を超えて熱がはじける。 『イこう……一緒に』 精神の絶頂が、爆発する── 「う、おおおおおおおおおッ!!」 現実世界で、彼の野太い咆哮が響いた。 次の瞬間、彼の生命力が形を成したものが、胎内を突き抜け、全身を貫いた。 ドプンッ! ドプンッ! 戻ってきた意識がたちまち吹き飛ばされるほどの、強烈な射精。 熱い。 植物のそれとは違う、人間としての、雄としての熱い精液。 子宮に留まり続けていた植物の冷たい精が、彼の新鮮な熱を注ぎ足され、混じり合い、狭い内側で化学反応を起こしたように荒れ狂う。 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」 きっと後にも先にも、これ以上の悦びはない。 彼の肌が粟立ち、痙攣し、何度も何度も新たな奔流を送り込む。 放出は長く、長く続く。 まるでパルスが彼にも伝わっているように、いつまでも脈打ち、達しつづける。 私の身体もまた、彼を受け入れながら、痙攣し、潮を吹き、絶頂の波に揉まれ続けた。 一滴残らずすべてを打ち尽くした後、彼自身の身体を支えてきた腕が力を失った。 ドサリ、と全身がのしかかってくる。 重い。 汗でべとべとだ。 ちょっと苦しい。 けれど、今はそれが何より心地良い。 彼の重みが、私が彼を受け止めた証だから。 未だスーツは微弱なパルスを発し続け、身体はピクピクと達し続けたままだが、彼を受け止め切ったことで、心は柔らかな充足感に浸っていた。 「……ありがと」 意識を失った彼の耳元で、私は小さく呟いた。 その言葉は、森の静寂に吸い込まれて消えた。 ■パート6 木漏れ日が、閉じた瞼を淡く灼く。 鳥のさえずりのない、風と葉擦れの音だけの静かな朝。 意識が覚醒へと向かうにつれ、昨夜の狂乱の記憶が、鮮烈な色彩を伴って蘇ってくる。 植物に犯され、開発され、そして彼に上書きされた夜。 隣には、確かな体温と、岩のような質量の存在感。 私たちは、岩場の苔をベッド代わりに、互いに抱き合ったまま眠りに落ちていたらしい。 彼の太い腕が私の背中に回され、私の頭は彼の分厚い胸板に乗っている。 安心感。 戦場で、しかも敵兵の腕の中で、こんなにも安らかに眠れるなんて。 「ん……」 身体を動かそうとすると、下腹部に重たい違和感を覚える。 彼の剛直だ。 昨日、あれほど私の胎内へ種を注ぎ込み、何度も果てたというのに。 彼のそれは、朝を迎えて再び怒張し、鋼鉄のような硬度を取り戻して、私の太腿の間に存在を主張していた。 なんて生命力。 呆れると同時に、愛おしさがこみ上げる。 そっと彼から身を離し、仰向けに寝かせる。 彼はまだ深い眠りの中にいるようだ。 規則正しい寝息に合わせて、胸板が上下している。 私は這い上がり、彼の下腹部に顔を寄せた。 改めて見ると、暴力的なまでの大きさだ。 血管が浮き上がり、赤黒く充血したその巨塔は、朝露に濡れた森の空気の中で、圧倒的な熱を放っている。 先端からは、透明な先走りが玉のように滲み出し、朝日を受けてキラキラと輝いている。 「おはよう、元気な子」 誰に聞かれるわけでもないのに、囁きかける。 ナノマシンが、そこから発せられるフェロモンを感知し、脳髄を甘く痺れさせる。 まだ、足りない。 昨夜あんなに貪ったのに、私の身体は、この雄の全てを欲している。 先端のカリ首に舌を這わせる。 独特の匂いと、微かな塩気。 「んむ……、ちゅ……」 亀頭の裏側、敏感な帯の部分を舌先で執拗になぞる。 ビクリ、と彼の身体が反応する。 口だけでは、この巨体を満足させることはできないだろう。 私は両手で、太い竿の根元を握りしめた。 指が回らないほどの太さ。 掌に伝わる脈動が、私の鼓動とリンクする。 「はむっ……、じゅるっ……」 先端を口に含み、真空を作るように強く吸い上げる。 同時に、両手を上下させ、扱(しご)き上げる。 熱い。 擦り上げるたびに、竿の熱量が増していくのがわかる。 皮膚の下で血液が奔流となって駆け巡り、更なる硬さを求めて膨張していく。 「ふぐっ、ん、んうぅ……っ!」 喉の奥を突かれる苦しさが、今は快感だ。 彼を目覚めさせるための、淫らなモーニングコール。 私の唾液と、彼から滲み出る液で、剛直はぬらぬらと光り輝いている。 夢中で責め続けるうちに、彼の腰が浮き上がり始めた。 呼吸が荒くなり、低く唸るような声が漏れる。 目覚めたのだ。 けれど、彼は目を開けない。 私の奉仕を、全身で味わっている。 「……気持ちいい? ウルフ」 口を離し、唾液の糸を引きながら尋ねる。 返事の代わりに、彼の太い手が私の頭を掴み、再び股間へと押し付けた。 もっとだ。 もっと激しく。 彼の欲望が、頭蓋を通じて伝わってくる。 私は期待に応えるべく、全力で奉仕を再開した。 舌を絡め、吸い付き、手で激しく扱く。 ビクン、ビクン、と巨塔が痙攣を始める。 来る。 「んーっ! んぐぅっ!!」 限界まで口を開き、彼の先端を喉の奥深くまで迎え入れた瞬間。 彼の腰が跳ね上がり、大量の白濁が噴き出した。 ドピュッ! ドプッ! 喉を直撃する、熱い弾丸。 昨夜あれほど出したというのに、枯れることを知らない泉のように、濃厚な精が溢れ出してくる。 口内が埋め尽くされ、鼻腔にまで精臭が充満する。 飲みきれない。 でも、一滴も零したくない。 私は喉を鳴らし、彼の生命をごくり、ごくりと飲み干していく。 熱い塊が食道を通り、胃袋へと落ちていく。 身体の内側から、彼に満たされていく感覚。 「ぷはっ……」 最後の脈動が収まるのを待って、ゆっくりと口を離す。 口元から、白濁した雫がとろりと垂れる。 彼が目を開け、呆気にとられたような、しかし情欲に濡れた瞳でこちらを見つめていた。 私は舌を出し、その上に残った白いとろみを乗せて見せつける。 「……んッ」 わざと喉を鳴らし、大きな音を立ててそれを飲み込む。 そして、空になった口の中を見せるように、舌をなめずりした。 「ごちそうさま。……朝ごはん、お先に頂いちゃった」 「……お前なぁ」 彼は呆れたように吐息を漏らし、それから優しく笑った。 「精がつくな」と呟きながら、私の頬についた汚れを親指で拭ってくれる。 その粗野で優しい仕草に、胸が締め付けられるように痛んだ。 ずっと、こうしていられたらいいのに。           ◇ 近くの小川で身体を清め、べとつく汗と体液を洗い流す。 スーツの機能は相変わらず死んでいるが、水浴びのおかげで少しはさっぱりした。 彼が持っていた最後のレーションを半分こにして、遅い朝食をとる。 味気ない固形食だが、彼と肩を並べて食べると、不思議と悪くない味に思えた。 腹が満たされると、当然の疑問が頭をもたげてくる。 昨日、私をパニックに陥らせた、あの場違いな乗り物についてだ。 私は、木陰に停められた真紅のスポーツカーを指差した。 「ねえ。……あれ、何なの?」 「ん? ああ、俺のマシンだ」 ウルフは事もなげに言う。 「マシンって……移動用?」 「いや、コクピットだ。アレに乗って、本体(ロボ)と合体するんだよ」 「は?」 思考が停止した。 コクピットが、車? 宇宙戦闘用の兵器のコクピットが、脱出ポッドや小型艇になるのであれば理解できる。 《シルフィード》のコクピットブロックも、緊急時には射出座席として機能する。 だが、四輪の自動車? それも、バギーのような悪路走破性を重視したものではなく、車高の低い、空力パーツ満載のスポーツカー? 「……正気? 設計者は何を考えているの?」 「カッコイイだろ?」 彼は真顔で親指を立てた。 駄目だ。 技術体系(コンセプト)が違いすぎる。 宇宙空間でタイヤなど何の意味もないし、気密性や耐久性の面でもリスクしかないはずだ。 スーパーロボットだか何だか知らないが、彼らの軍の技術者は狂っているとしか思えない。 「じゃあ……なんで探索の時に使わなかったのよ。車があるなら、もっと広範囲を調べられたはずでしょう」 「見てみろよ、この地面。ぬかるんだ未舗装路だぞ? あんなシャコタンの車で走ったら、一発で亀(スタック)になっちまう」 「……」 やはり不便じゃないか。 合理性の欠片もない。 私は頭痛をこらえながら、スポーツカーの助手席に乗り込んだ。 座席を確認すると、確かに、普通の車にはない計器類の存在が確認できる。 スピードメーターの隣に、エネルギー残量計や、スラスター出力計らしきアナログな針が並んでいる。 それでも、人型ロボットのあの複雑な挙動を、ハンドルとシフトレバー、そして三つのペダルだけで制御しているというのは、にわかには信じ難かった。 私の機体は、脳波コントロールと視線入力、そして数百の物理スイッチを併用してようやく動かしているというのに。 この男は、ハンドルさばきだけであの亜光速戦闘をこなしていたというのか? 「本体部分は、近くの開けた場所で待機させてある。『基地モード』で通信回線を開いてな」 「基地モード……?」 嫌な予感しかしない。 彼の言う「カッコイイ」が、私の常識と合致した試しがないのだ。 彼が運転席に乗り込み、キーを回す。 フォン! という軽快な排気音が響く。 電気自動車ですらない。内燃機関の音だ。 もはやツッコミを入れる気力もなく、私はシートベルトを締めた。 せっかくの彼との初ドライブが、こんな状況になろうとは。 森の中の比較的平坦な場所を選びながら、車は進む。 数分後、少し開けた丘の上に到着した。 「着いたぜ。俺の前線基地だ」 彼が誇らしげに指差した先を見て、私は絶句した。 「…………」 果たしてそこに待ち受けていたのは、なんとも珍妙な、現代アートと見紛うばかりの巨大なオブジェであった。 彼の人型兵器が、地面に仰向け……いや、うつ伏せ? とにかく、手足を大の字に広げて横たわっている。 一応、パーツの配置を変えて、平べったい建造物のように見せかけてはいるようだ。 脚部は格納庫らしきスペースを形成し、腕部は防壁のような役割を果たしている。 だが、無理がある。 どう見ても、「寝そべったロボット」にしか見えない。 スロープに見立てているのか、胸部装甲の一部が板切れのように地面へ垂れ下がっているが、その勾配は45度を超えている。 あんな急坂、彼のスポーツカーで登れるわけがない。 戦闘でこちらを苦しめたワイヤーアンカーは、クレーンのように空高く吊り下げられているが、先端のフックが風に揺れているだけで、具体的に何の作業をする想定なのか、全く想像がつかない。 そして、極めつけは。 「……顔」 銃座らしき塔の頂上から、あの無骨なロボットの頭部が、むき出しの状態でこちらを見下ろしていた。 カメラを高所に配置すること自体は、監視の観点から合理的といえるかもしれない。 だが、人型からかけ離れた形に変形した「基地」のてっぺんに、生首のように顔が鎮座しているというのは、なんとも収まりが悪い。 シュールすぎる。 「どうだ? 鉄壁の要塞だろ」 「……そうね。敵も呆れて攻撃を忘れるかもしれないわ」 そもそも、基地と呼ぶには明らかに小さすぎる。 ロボット一機分の質量を基地に見立てようというのは、物理的に無理があるのだ。 内部スペースなど、猫の額ほどもないだろう。 やっぱり、何か騙されているんじゃないのか? 私ではなく、彼自身が、軍の上層部に。 とにもかくにも、通信だ。 私はため息をつきながら車を降り、彼の「基地」へと近づいた。 コンソールパネルが露出している場所を探し出し、ログを確認する。 表示された文字は、無情な『NO SIGNAL』。 「駄目ね。通信が届いた記録はないわ」 「マジかよ。高性能アンテナ塔も展開してるってのに」 彼は頭部の角(アンテナ)を指差すが、私は首を振った。 「ここは両軍にとって未知の宙域よ。しかも、この惑星の磁場が強すぎる。貴方の軍の通信周波数帯とは相性が悪いのかもしれない」 彼が友軍と連絡を取るには、厳しい状況だ。 しかし、希望はある。 この惑星の位置は、こちらの勢力圏に近い。 そして私の機体《シルフィード》の通信システムは、あらゆる周波数帯に対応した量子通信機を搭載している。 「……ひとつ、考えがあるわ」 私は彼を見上げた。 これは賭けだ。 もし成功すれば、私は助かる。 けれど、それは彼との別れを意味するかもしれない。 それでも、このまま二人で野垂れ死ぬわけにはいかない。 「一旦、私の機体の残骸のところへ戻って。通信ユニットだけ回収するの」 「お前の?」 「ええ。機体は全損したけれど、ブラックボックスと通信ユニットは最優先で守られる設計になっているわ。破損はしていないはず」 「なるほど。で、そいつを俺のこの基地の動力に繋ぐってわけか」 「……その呼び方はやめて欲しいけど、そうよ。規格は違うけれど、動力バイパスくらいなら私の技術でなんとかなる」 「よし、乗れ! 善は急げだ!」 彼は迷わず頷いた。 敵の通信機を使うことに、躊躇いはないらしい。 その屈託のなさに、胸が痛む。 私は再び助手席に乗り込み、来た道を戻った。           ◇ 作業は順調だった。 《シルフィード》の残骸から通信モジュールを引き抜き、彼のスポーツカーのトランク(ここにもミサイルが積んであったが、無視した)に積み込む。 再び「基地」へと戻り、ケーブルを剥き出しにして、強引に接続する。 異なる技術体系の融合。 スパークが散り、異臭が漂うが、やがてコンソールの画面に『ONLINE』の文字が浮かび上がった。 「繋がった……!」 震える指で、緊急救難信号(SOS)を発信する。 数秒の沈黙。 そして、スピーカーからノイズ交じりの声が響いた。 『こちら……第……艦隊……所属……! 識別信号を確認……! 生存者がいるのか!?』 味方だ。 こちらの軍の、哨戒艦からの応答。 安堵で膝から力が抜ける。 「こちら《シルフィード》パイロット! 座標を送ります! 至急、救助を請う!」 『了解した! すぐに救助艇を向かわせる! 待っていろ!』 通信が切れる。 やった。助かる。 歓喜に湧き上がり、隣にいるウルフに抱きつこうとして――止まった。 彼の表情が、影に覆われていたからだ。 通信相手は、私の軍。 つまり、彼にとっては敵軍だ。 「……ウルフ」 「よかったな。これで助かる」 彼は静かに言った。 その声に、喜びの色はない。 あるのは、覚悟を決めた男の、静謐な響きだけ。 「恩を感じるなら……身を隠させてくれねぇか」 彼は真っ直ぐに私を見つめた。 「俺は捕虜になるわけにはいかねぇ。部隊の仲間が待ってるんだ。ここでおめおめと捕まるわけにはいかねぇんだよ」 わかっていた。 彼と離れたくない。 一緒に来てほしい。 けれど、それは叶わない願いだ。 仮に彼を捕虜として連れ帰ったとしても、待っているのは過酷な尋問と、終わりのない収容所生活だ。 今のように、対等な男と女ではいられない。 本来、私たちは殺し合うべき敵同士なのだ。 ここで出会ったこと自体が、奇跡のような間違いだったのだ。 「……わかったわ」 私は涙を堪えて頷いた。 救助艇が来るまで、まだ時間はある。 私は彼に歩み寄り、その厚い胸に顔を埋めた。 彼の匂いを、体温を、魂に刻み込むように深く吸い込む。 「死なないで」 顔を上げ、彼の唇に口づけを落とす。 今度は、媚薬に流されたものではない。 私の意志による、誓いのキス。 「いつか、この戦争が終わったとき……責任を取りに来て。私、待ってるから」 「……ああ。必ずだ」 彼は力強く頷き、私を抱きしめ返した。 お腹の奥が、温かい。 昨日、彼に注がれた種。 そして植物の種。 胎内は先にあの植物の粘着質な種で満たされてしまったけれど、その奥深く、核心には彼の熱い楔が打ち込まれた。 異種族の侵食を焼き尽くすほどの、強烈な生命力。 もしかしたら、彼の子を身籠っているかもしれない。 科学的な根拠など何もない、極めて儚い望み。 けれど、その可能性だけが、今の私にとって唯一の救いだった。 「行け、ウルフ! 救助艇のセンサーに捕捉される前に!」 私は彼を突き放した。 これ以上触れていたら、行かせられなくなる。 彼は一瞬だけ寂しげな目をしたが、すぐに戦士の顔に戻った。 「達者でな! 愛してるぜ、姉ちゃん!」 彼はスポーツカーに飛び乗ると、アクセルを全開にした。 車が「基地」のスロープを駆け上がり、頭部の下にあるハッキングポイントへと飛び込む。 ガキンッ、ギュイィィン! 激しい駆動音と共に、「基地」が変形を開始する。 手足が折り畳まれ、また別の形態へ。 今度は、翼を持った飛行形態だ。 相変わらず人型の面影を残した、無理のある変形だが、今はそれが何よりも頼もしい。 轟音と共に、スラスターが火を噴く。 彼の機体が空へと舞い上がる。 惑星の裏側、救助艇の進入ルートとは逆の方向へ。 あっという間に、彼は雲の彼方へと消えていった。 後に残されたのは、静寂と、私一人。           ◇ 数時間後。 上空から、友軍の救助艇が降下してきた。 白い機体が、眩しい。 降りてきた兵士たちが、私を確保し、毛布で包む。 「無事か!? 一人か!?」 「……ええ。一人よ」 「信号の発信源と、機体の残骸の座標がズレていたようだが……」 「移動したのよ。通信機を運んで……少しでも高いところへ」 苦しい言い訳だったが、兵士たちは深く追及しなかった。 生還したこと自体が奇跡のような状況だったからだ。 私は担架に乗せられ、救助艇に収容された。 窓の外を見る。 重力を振り切り、艇が上昇していく。 緑色の地表が遠ざかる。 あの水源も、彼と過ごした岩場も、全てが小さくなっていく。 大気圏を抜け、宇宙へ。 星空の中に、惑星の全貌が浮かび上がる。 毒々しくも美しい、生命の星。 彼との逢瀬の時間が、過去のものになっていく。 あの星のどこかに、彼は潜んでいる。 生きている。 「……っ」 胸が締め付けられる。 もう、あの熱い腕に抱かれることはない。 私は、パイロットとしての自分に戻らなければならない。 冷徹で、正確無比な、殺戮の道具へ。 けれど。 下腹部に手を当てる。 そこには、まだ微かな熱が残っている。 私の身体は、もう以前の私ではない。 植物に改造され、彼に愛された、雌の身体。 果たして、かつてのように戦うことができるのだろうか。 ナノマシンがないと手が震えるほどの依存症だった私が、もっと強烈な快楽を知ってしまった。 この先、私はどうなってしまうのだろう。 不安と、微かな期待を抱きながら、私は漆黒の宇宙を見つめ続けた。 ■パート7 帰還してから数日。 私は、軍医の許可を得て戦列に復帰した。 精密検査の結果は「異常なし」。 肉体的な外傷は完治しており、精神的なストレス値も許容範囲内に収まっているとのことだった。 あの惑星での記憶は、報告書の上では「不時着後のサバイバル」という数行の無味乾燥な記述に置き換えられた。 ウルフのこと。 植物に犯されたこと。 そして、彼と結ばれたこと。 それらは全て、私だけの秘密として、心の奥底にあるブラックボックスへと封印した。 「……大丈夫。やれる」 ハンガーの冷たい空気を吸い込み、自身に言い聞かせる。 身体の芯に、微かな疼きが残っている気がした。 けれど、それはあの濃密すぎた体験の余韻に過ぎない。 戦闘に支障などあるわけがない。 私はエース・パイロットだ。 コクピットに座れば、私は鋼鉄の女神に戻れる。 そう信じていた。 更衣室で、真新しい「ニューロ・スキン」に袖を通す。 故障した旧スーツは廃棄され、調整済みの新品が支給されていた。 ひやりとしたゲルが肌に触れ、真空パックされるように全身に密着する。 かつては安心感をもたらしたその圧迫感が、今日はなぜか、あの植物の締め付けを連想させた。 「っ……」 乳首が衣擦れに過敏に反応し、尖る。 股間のファスナーを上げる際、指が触れただけで、下腹部がキュンと甘く鳴いた。 気のせいだ。 ただの生理的な反応。 私は首を振り、フライトジャケットを羽織ってハンガーへと向かった。 整備兵たちの敬礼を受け、新たな愛機へと乗り込む。 失われた《シルフィード》の後継機。 同型だが、まだ私の癖が馴染んでいない、他人のような機体。 シートに身体を沈め、システムを起動する。 見慣れた計器の光が灯り、無機質な電子音が響く。 これだ。 この冷徹な空間こそが、私の居場所。 「システムオールグリーン。発進シークエンスへ移行」 オペレーターの声。 カタパルトに接続される衝撃。 Gが身体をシートに押し付け、私は宇宙へと飛び出した。 漆黒の闇。 散りばめられた星々。 数日ぶりの無重力空間に、身体がふわりと浮く。 ここまでは、いつも通りだった。 索敵モード。 遠距離に敵影を確認。 交戦規定に基づき、戦闘態勢へと移行する。 「ナノマシン、注入(インジェクション)」 私は迷いなく、首筋のコネクタを接続し、スイッチを入れた。 感覚増大ナノマシン《アクセラレイター》。 私の感覚を鋭敏にし、世界をスローモーションにするための魔法の薬。 冷たい液体が血管へと流れ込む。 いつものように、視界がクリアになり、集中力が高まっていくはずだった。 ドクンッ! 「がッ……!?」 異変は、即座に起きた。 脳が冴え渡るよりも早く、下腹部に電流がスパークするような衝撃が走った。 痛いほどの熱。 そして、爆発的な快感。 血管を駆け巡ったナノマシンが、子宮の奥深くに眠っていた「何か」と接触し、化学反応を起こしたのだ。 「あ、あぐっ、な、なに……これ……ッ」 操縦桿を握る手が震える。 視界が、赤く明滅する。 敵の動きが見えるのではない。 自分の内側にある血流が、脈動が、全て快感の信号となって脳を焼き尽くしに来る。 手足が甘く痺れ、力が入らない。 ペダルを踏み込もうとした足が、ガクガクと痙攣して空を切る。 ジュワッ……。 秘裂から、自分の意志とは無関係に、大量の愛液が噴き出した。 いや、ただの愛液ではない。 もっと粘度が高く、甘い香りを放つ、あの植物の分泌液に似た何か。 それがボタボタと垂れ落ち、スーツの内側に溜まっていく。 太腿の内側を、熱い液体が伝い落ちる不快感と、背徳的な温かさ。 『警告。パイロットの心拍数が異常上昇。精神状態が不安定です。リラックスパルスを照射します』 正常化したはずのスーツが、私の異常興奮を検知する。 AIが冷静な判断を下し、鎮静化プログラムを実行した。 うなじから、微弱な電気信号が送られる。 本来ならば、これで過った交感神経が鎮まり、深いリラックス状態へと導かれるはずだった。 だが。 私の神経は、昨夜の過剰な快楽によって、すでに書き換えられてしまっていたのだ。 苦痛も、恥辱も、そして鎮静のための信号さえも、すべてを悦びとして貪るように回路が組み替えられている。 開発され尽くしたこの肉体にとって、スーツのパルスは「鎮静剤」ではなく、興奮を煽る「起爆剤」でしかなかった。 「ひギッ!? あ、や、やめ……っ!」 パルスが流れた瞬間、背骨を突き抜けるような快感が炸裂した。 リラックス作用によって強制的に筋肉が緩められ、そこへ快楽が津波のように押し寄せる。 精神が、深い快楽の海へと沈められていく。 抵抗できない。 防御壁が溶かされる。 現実感が遠のいていく。 コックピットの計器類が、あの惑星の極彩色の花々に見える。 宇宙空間を飛ぶ無人機が、光り輝く蝶の群れに見える。 耳元で響く警告音は、ウルフの荒い吐息のように聞こえる。 幻覚だ。 ナノマシンの暴走と、体内を駆け巡る血液が、まるで未知の媚薬成分に摩り替わったかのように熱く、強烈な相乗効果を生み出している。 脳への過負荷(オーバーロード)。 身体が砕けるような快感が、全身の感覚を狂わせていく。 下腹部が、熱い。 子宮が、燃えている。 あの植物に犯された時と同じ、いや、それ以上の熱量。 身体の内側から、何かが芽吹き、根を張り、甘い毒を撒き散らしているような感覚。 『中尉! どうした!? 機動が乱れているぞ!』 『応答せよ! 敵機が接近している!』 通信機から、僚機たちの焦った声が聞こえる。 彼らのモニターには、私の機体がふらふらと千鳥足のように漂っている姿が映っているはずだ。 戦場のど真ん中で。 無防備に。 「あ、はぁっ、くぅ……っ、ちが、ちがうの……っ」 答えなければ。 私は正常だと。 戦えるのだと。 けれど、口をついて出るのは、任務とは無縁の、甘く濡れた喘ぎ声だけ。 通信回線は開いたままだ。 私のこの無様な声が、部隊全員に、もしかしたら司令部にまで筒抜けになっている。 羞恥心で顔が沸騰しそうだ。 でも、その恥ずかしささえもが、今の私には最高のスパイスになってしまう。 誰にも何もされていないのに。 コクピットで一人、座っているだけなのに。 皆の前で、こんなにも感じてしまっている。 パルスの鎮静作用は追いつかない。 いや、スーツが「異常」を検知して出力を上げれば上げるほど、私は深く泥沼に沈んでいく。 「あ、あ、だめ、だめぇッ! み、見ないで、聞かないでぇ……ッ!」 股間の濡れそぼった部分が、スーツの振動に合わせて擦れる。 まるで、あの植物の蔦が、また這い回っているみたい。 ウルフの指が、乱暴に弄っているみたい。 パイロットとしての私が、音を立てて壊れていく。 誇りも、理性も、快楽の濁流に飲み込まれて消滅する。 限界だ。 子宮の奥が、ぎゅうっと収縮する。 耐えられない。 「あ、あっ、くるっ、きちゃう、イっちゃうぅッ!」 操縦桿にしがみつき、身体を弓なりに反らせる。 白目を剥き、口から唾液を垂れ流す。 「イくっ! イくッ! イっ―――――――ッ!!」 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」 絶叫と共に、全身が激しく痙攣した。 頭の中が真っ白に弾け飛ぶ。 太腿の間から、大量の潮と愛液が噴き出し、スーツの許容量を超えて溢れ出す。 コクピットのシートを汚し、あの特有の甘ったるい匂いを充満させる。 意識がブラックアウトする寸前、遠くで私のバイタル異常を告げる警報と、帰還命令(アボート)を叫ぶ管制官の声が聞こえた。           ◇ 目が覚めると、そこは無機質な白に囲まれた医療室だった。 拘束具のついたベッドの上。 身体には何本ものチューブが繋がれ、モニターが規則的な電子音を刻んでいる。 身体の火照りは引いていたが、下腹部には重たい鉛のような違和感が居座っていた。 「……気がついたかね」 白衣を着た軍医長が、厳しい表情でこちらを見下ろしていた。 私は何か言おうとしたが、喉が渇いて声が出なかった。 軍医長は無言で一枚のホログラム映像を空中に投影した。 私の、腹部のスキャン画像だ。 「これは……」 息を呑む。 そこには、あまりにも異様な光景が映し出されていた。 私の子宮内部。 本来なら何もないはずの空洞に、細い根のようなものがびっしりと張り巡らされている。 そして、その中心には、小さな、しかし確かに脈打つ「蕾」のような影があった。 「詳しい検査の結果、君の子宮内に異常が見つかった」 軍医長は淡々と、しかし残酷な事実を告げた。 「あの惑星で、君は現地の植物性生物と接触したそうだな。その際、体内に侵入した精子……いや、種子が、君の卵子を変異させたようだ」 「へん、い……?」 「君の卵子は、人間のそれではなく、あの植物の種子へと書き換えられている。それは君の胎盤に根を張り、養分を吸収して成長を始めている」 あの植物の精子に犯され、未知の遺伝子で染め抜かれた私の卵子。 それは、ウルフの精さえも栄養として取り込み、子宮内に根を張り、芽吹き、小さな花を咲かせようとしていたのだ。 人間と植物の、おぞましくも神秘的な融合。 「問題は、それだけではない」 軍医長が画像を切り替える。 脳波とホルモン値のグラフが表示される。 異常な数値を示して、赤い線が振り切れている。 「この寄生植物は、宿主に栄養となる精を求めさせるため、強力な媚薬成分を絶えず分泌している。君が感じていた慢性的な火照りは、これのせいだ」 「そ、そんな……」 「そして最悪なことに、その成分は、君たちが使用している感覚増大ナノマシンと極めて相性が悪い。より正確には、相性が良すぎるのだ」 媚薬とナノマシン。 二つの物質が脳内で結合し、快楽神経を爆発的に刺激する神経毒へと変貌する。 先ほどの戦闘での暴走は、それが原因だった。 ナノマシンを投与した瞬間、私は自分で自分に致死量のアッパー系ドラッグを打ち込んだのと同じ状態になったのだ。 「花の根は子宮内壁に深く癒着しており、それだけを綺麗に取り除くことは困難だ。無理に剥がせば、大量出血で君の命に関わる」 軍医長は眼鏡の位置を直し、私に最後の宣告を突きつけた。 「今の君の身体では、ナノマシンを用いて超感覚を発揮し、戦うことはできない。次に乗れば、今度こそ脳が焼き切れて廃人になるぞ」 沈黙が落ちる。 機械の音だけが響く。 私は震える手で、シーツを握りしめた。 「……どうすれば、いいんですか」 「選択肢は二つだ」 彼は指を二本立てた。 「一つ。外科手術によって、子宮そのものを全摘出する。原因である花ごと切除すれば、ナノマシンの影響はなくなる。君はパイロットとして復帰できるが、当然、子供を産むことは二度とできなくなる」 パイロットであることに、女としての人生を捧げるか。 「二つ。ナノマシンの使用を諦め、パイロットを引退する。その場合、君はその淫らに染まった身体を抱えて、植物と共生しながら生きていくことになる。……軍としては、貴重な適合者である君を失いたくはないがね」 考える時間は、一晩だけ与えられた。 軍医長が去った後、私は広い個室に一人取り残された。 お腹に手を当てる。 この中に、花が咲いている。 ウルフの種を吸って育った、異形の花が。 これを切り捨てて、空に戻るか。 それとも、空を捨てて、この恥ずべき、けれど愛おしい痕跡を守るか。 窓の外には、星空が広がっていた。 あの日、彼と見上げたのと同じ、美しい宇宙が。 「ウルフ……」 彼の名前を呼ぶと、お腹の奥がトクンと跳ねた気がした。 ■パート8 長い夜が明ける。 病室のカーテンの隙間から、青白い朝の光が差し込んでくる。 その光は、私がかつて愛し、支配していた宇宙(そら)の色とは似ても似つかない、冷たく無機質な色をしていた。 けれど、不思議と迷いはなかった。 私は腹部に手を当てる。 この皮膚の下、筋肉の奥、子宮という名の聖域に、異形の蕾が根を張っている。 ウルフの種と、あの惑星の生命力が混じり合い、私という母体を苗床にして息づいている「それ」。 医学的には病巣であり、軍事的にはリスクでしかない異物。 けれど、これは彼が私の中に残していった、唯一の確かな痕跡なのだ。 パイロットとしての誇り。 空を駆ける全能感。 それらを天秤にかけてもなお、私はこの重たく、熱い呪いを手放すことができなかった。 もしこれを切除してしまえば、あのジャングルでの日々が、彼との交わりが、すべて悪い夢だったと認めてしまうことになる気がしたから。 「……おはよう、私の花」 誰にも聞こえない声で、胎内の異物に語りかける。 すると、呼応するように下腹部がトクンと跳ね、じわりと甘い痺れが広がった。 それはまるで、「正しい選択だ」と私を肯定し、誘惑する悪魔の囁きのようだった。           ◇ 上層部への報告は、拍子抜けするほど淡々と進んだ。 エース・パイロットの突然の転向願い。 通常であれば却下されるか、執拗な引き止め工作が行われるところだ。 だが、私の身体検査データ──ナノマシン不適合と、子宮内の未知の生物寄生──という事実は、彼らを黙らせるに十分な説得力を持っていた。 使い物にならなくなった駒に、軍は執着しない。 むしろ、私のこれまでの功績と、士官学校時代に修めた戦略論の成績を考慮し、後方勤務への配置転換は「有効な資源の再利用」として歓迎された。 「本日付で、統合参謀本部・戦術解析課への異動を命じる」 辞令を受け取り、私は愛機から降りた。 Gのかからない地面。 泥臭い人間関係と、紙と電子データの山。 それが、私の新しい戦場となった。 だが、そこでの日々は、パイロット時代よりも遥かに過酷で、陰湿なものだった。 「このシミュレーション結果は間違っています! 敵の機動パターン、特に重機動大隊の反応速度を過小評価しています!」 「机上の空論はやめたまえ、大尉。過去のデータに基づけば、この損耗率は許容範囲内だ」 「現場を知らない人間が、数字だけで兵士を語らないで!」 会議室での怒号が、私の日常になった。 相手にするのは、顔の見えない敵機ではない。 保身と出世しか頭にない、腹の出た高官たちや、前線の恐怖を知らないエリート参謀たちだ。 彼らにとって、パイロットはただの数字であり、消耗品に過ぎない。 かつての自分が、そう扱われていたように。 睡眠時間は、容赦なく削られていった。 パイロットだった頃は、出撃の合間に強制的な休息が与えられた。 精神の均衡を保つため、リラックスルームで音楽を聴き、最高の食事を与えられた。 けれど、ここでは終わりがない。 次から次へと送られてくる戦況データ。 膨大な報告書。 作戦立案、修正、再立案。 モニターの光が網膜を焼き、偏頭痛がこめかみをノックし続ける。 「……はぁ」 深夜の執務室。 冷めきった泥のようなコーヒーを流し込み、ため息をつく。 椅子に深く沈み込むと、下腹部がジクリと疼いた。 ストレス。疲労。そして、満たされない渇望。 私の体調が悪化すればするほど、子宮内の「花」は、宿主の生命力を活性化させようと、媚薬を分泌するのだ。 (ねえ……お腹が空いたの?) 胎内の存在が、そう訴えかけてくる気がした。 熱い。 空調が効いているはずなのに、身体の芯がカッカと火照る。 秘部が湿り気を帯び、スーツではなく窮屈なスカートの下着を汚していく。 ナノマシンを使っていなくとも、この花は私を淫らな雌へと作り変え続けている。 ストレスのはけ口が必要だった。 そして、この花に「栄養」を与える必要があった。 ウルフがいない今、私は代用品を探すしかなかった。           ◇ 週末の将校クラブ。 私は、誘ってきた情報部の少佐とホテルへ入った。 端正な顔立ちの、知的な男だった。 ベッドの上での彼は紳士的で、私の身体を丁寧に扱ってくれた。 前戯に時間をかけ、十分に濡らしてから挿入する。 教科書通りの、完璧なセックス。 けれど。 「……っ、ふぅ……」 彼が私の上で腰を振り、息を荒げているのを見上げながら、私の心は冷めきっていた。 違う。 何もかもが、足りない。 彼のものは、平均的なサイズよりは大きいのかもしれない。 でも、ウルフのあの暴力的なまでの巨塔を知ってしまった身体には、細すぎる。 頼りない。 膣壁の襞(ひだ)が、「隙間だらけだ」と不満を訴えている。 もっと太く、もっと強引に、内臓を押し上げるような圧力が欲しいのに。 「君、すごいな……中が、吸い付いてくるようだ」 彼は私の名器に夢中になり、早々に果てようとしていた。 子宮口に絡みついた花の根が、侵入者を捕食しようと蠢き、無意識に締め上げているのだとは気づかずに。 彼は悦に入っているが、私にとっては、ただ粘膜を擦られているだけの作業に過ぎなかった。 「いくッ、出すぞ……!」 彼が射精する。 温かい液体が中に出される。 けれど、それはウルフのあの、煮えたぎる鉛のような熱量とは比較にならない。 薄い。 ぬるい。 量が、絶望的に少ない。 (こんなものじゃ、足りないわよ……) 胎内の花が、嘲笑うように震える。 もっと濃厚な、生命力に満ちた精を寄越せと、渇いた悲鳴を上げている。 私は演技の喘ぎ声を上げながら、心の中で舌打ちをした。 情事の後、満足げに眠る男の横で、私は虚しさに押し潰されそうになりながら、一人で自分を慰めるしかなかった。 ウルフの、あの野獣のような瞳を思い出しながら。 乱暴な愛撫と、魂を焦がすようなキスを幻想しながら。           ◇ 時間は、残酷なほど早く、そして緩慢に過ぎ去っていった。 一年。二年。五年……。 季節のない宇宙要塞の中で、暦だけが更新されていく。 鏡に映る自分の顔に、微かな疲労の色と、年齢による変化が刻まれていく。 だが、不思議なことに、肌の艶や身体の張りは、若い頃と変わらないどころか、以前よりも艶めかしさを増していた。 体内の寄生植物が、宿主である私を若く保ち、生殖に適した状態を維持し続けているせいだ。 魔女のような若さ。 それは祝福ではなく、終わらない発情期という呪いだった。 両軍の戦力は拮抗し、戦線は膠着状態に陥っていた。 どちらかが決定的な勝利を収めることもなく、ただ互いの資源と人命を削り合う、泥沼の消耗戦。 私の立案した作戦によって、敵の艦隊が沈む。 その報復として、味方の基地が焼かれる。 数字が増減し、人が死ぬ。 その繰り返し。 終わりなど、来るのだろうか。 どちらかが、あるいはお互いが絶滅するその日まで、この馬鹿げたダンスは続くのではないか? 「……また、生理が来たわ」 トイレの個室で、下着に付着した赤い染みを見つめる。 花は私の身体を支配しているが、本当の意味での妊娠──人間の子供を宿すことは許してくれなかった。 子宮内に根付いた花は、私が与える「代用品の精」をただの養分として貪るだけで、決して人間の胎児を宿すことを許さなかったのだ。 あるいは、私が与える代用品では満足できず、あの男の生命力以外はすべて拒絶しているのかもしれない。 子供を望むには、厳しい年齢に差し掛かりつつあった。 時折、強烈な誘惑に駆られることがある。 いっそのこと、この子宮を摘出してしまおうか、と。 そうすれば、この毎月の痛みからも、終わらない欲求不満からも、ナノマシンを使えない枷からも解放される。 もう一度、パイロットに戻れるかもしれない。 空を飛べば、この閉塞感を忘れられるかもしれない。 メスを入れる自分の腹部を想像する。 綺麗さっぱり、えぐり出す。 あの花の根ごと、ウルフの記憶ごと。 「……っ」 想像しただけで、吐き気がした。 だめだ。 できない。 これを手放したら、私は本当に何者でもなくなってしまう。 あの惑星で、彼と過ごした数日間。 あれだけが、私の人生における唯一の「真実」だった気がするのだ。 もしこの身から彼の痕跡が消えてしまったら。 私はただの、戦争という巨大なシステムの一部品として、古びていくだけの存在になってしまう。 それとも。 ふと、おぞましい考えが脳裏をよぎる。 私の自我は、とうの昔に死んでいるのではないか? 今の私は、あのおぞましい植物に乗っ取られた、ただの肉人形なのではないか? 彼への執着も、この花が見せている幻覚だとしたら? 彼の痕跡など、もしかしたら最初からどこにも残っていないのかもしれない。 「それでも……いい」 私は腹を抱きしめる。 たとえ偽物でも、狂気でも構わない。 彼を想う心が、私を私につなぎ止めているのだから。           ◇ 作戦指令室。 巨大なホログラムマップに、無数の光点が展開されている。 赤が敵軍。青が友軍。 私は指揮官席に立ち、冷徹な声で指示を飛ばす。 「第4機動艦隊、前進。敵の右翼を陽動し、本隊の突入路を開け」 私の言葉一つで、数千の兵士が死地へと向かう。 そして、その先には、同じ数だけの敵がいる。 マップ上の赤い光点を見つめる。 敵の主力部隊。 その中に、彼はいるのだろうか。 あの規格外の、スーパーロボットに乗って。 彼はまだ、生きているのだろうか。 それとも、とっくの昔に宇宙の塵になってしまったのだろうか。 もし生きていたとしたら。 私の出したこの指令が、彼を殺すことになるかもしれない。 私の艦隊の砲火が、彼を焼くかもしれない。 矛盾。 欺瞞。 愛する男を殺すための策を練り、完璧な包囲網を敷きながら、私は心の奥底で、正反対の祈りを捧げている。 (逃げて……ウルフ) プロフェッショナルとしての冷酷な仮面の下で、一人の女が泣き叫んでいる。 (私の作戦を破って。私の艦隊を蹴散らして。……どうか、生きていて) 「大佐? どうされました」 部下の声に、ハッと我に返る。 いつの間にか、ホログラムの赤い光点に手を伸ばしていたらしい。 「……なんでもない。作戦を続行せよ」 私は表情を引き締め、再び指揮官の顔に戻る。 腹部の奥で、花がキュンと切なく鳴いた。 それは空腹の訴えではなく、遠く離れた「片割れ」を呼ぶ、孤独な共鳴音のように思えた。 ■パート9 終わりは、爆発音も歓声もなく、ただ静寂と共に訪れた。 勝利のファンファーレも、敗北の慟哭もない。 あったのは、ただ燃料が尽き、歯車が錆びつき、巨大な機構が自重に耐えきれずに停止するような、鈍く重たい音だけだった。 「……全戦域における、戦闘行為の停止を確認。両軍の代表者による停戦協定が調印されました」 オペレーターの報告は、事務的で、どこか他人事のように響いた。 ホログラムマップに浮かんでいた無数の赤い光点と青い光点が、一つ、また一つと消灯していく。 それは平和の到来を示す希望の光が消えるようでもあり、長すぎた悪夢がようやく幕を下ろす瞬間のようでもあった。 私は指揮官席で、その光景をただ呆然と見つめていた。 安堵感はない。 達成感など欠片もない。 胸の奥に広がるのは、どこまでも空虚で、砂を噛むような虚無感だけだった。 両軍共に、継戦能力の限界を超えていたのだ。 資源は枯渇し、経済は破綻し、兵士となるべき若者は死に絶えた。 これ以上の戦争継続は、人類という種の存続に関わる――そんな、あまりにも遅すぎる判断が、泥沼の底で見失われていた勝敗に無理やり蓋をしたに過ぎない。 「終わった……のですか?」 若い副官が、震える声で尋ねてきた。 彼の瞳には涙が浮かんでいる。 それが安堵の涙なのか、散っていった戦友たちへの無念の涙なのか、私には判別できなかった。 「ええ。終わったわ」 私は自分の声が、驚くほど乾いていることに気づいた。 終わったのだ。 何もかもが。 私が捧げた青春も。 ウルフと交わした約束も。 彼と共に生き、育むことができたかもしれない未来の可能性も。 すべてが、うやむやな灰色の結末の中に埋葬されてしまった。           ◇ 戦後の混乱は、戦争そのものよりも醜悪だった。 長すぎた戦争で何もかもを失った民衆は、その怒りの矛先を軍部へと向けた。 「失ったものを取り戻せ」 「死んだ家族を返せ」 「無能な指揮官を吊るせ」 シュプレヒコールが街に溢れ、かつて英雄と持て囃された兵士たちは、一夜にして税金を食い潰す人殺しの集団へと転落した。 民衆の期待に応えられず、勝利をもたらすことのできなかった司令部は解散させられ、名誉は泥に塗れた。 私もまた、その糾弾の波に飲まれた一人だった。 軍事法廷にこそかけられなかったものの、階級は剥奪され、退職金代わりの僅かな手切れ金を渡されて、軍を追放された。 「お元気で、大佐……いえ、マダム」 最後まで付き従ってくれた副官との別れは、雨の降る港だった。 彼は敬礼しようとして、途中で手を止め、深々と頭を下げた。 もう、敬礼を交わす関係ではないのだ。 私は、何者でもなくなった。 「シルフィードの魔女」でも、「冷徹な作戦参謀」でもない。 ただの、齢を重ねた、疲れた女。 「貴方もね。……故郷に帰ったら、恋人を大切にしてあげなさい」 ありきたりな言葉を残し、私は彼に背を向けた。 振り返らなかった。 振り返れば、自分が積み上げてきた砂の城が崩れ去る音が聞こえてしまいそうだったから。 私は一人になった。 家族はいない。 帰るべき故郷の家は、とうの昔に空襲で焼失している。 友人? 戦友たちは皆、宇宙の塵になったか、私のように社会の片隅で息を潜めているかだ。 私には、行くあてなどどこにもなかった。 手元にあるのは、小さなトランク一つと、片道切符が一枚。 行き先は、辺境の宙域。 あの、禁忌とされた未開の惑星。 そこで彼と再会すると誓ったわけではない。 連絡を取る手段もない。 彼が生きている保証など、どこにもない。 むしろ、死んでいる可能性の方が高いだろう。 それでも、私の足は自然とそこへ向いていた。 私の人生の中で、唯一「生きていた」と実感できる場所。 そして、私の子宮に巣食うこの花が、生まれた故郷。 民間用の老朽化したシャトルに揺られながら、私は窓の外を流れる星々を眺めた。 かつては戦場だった宇宙。 今は、ただの暗く冷たい真空の海。 ガラスに映る自分の顔を見る。 目尻には小じわが刻まれ、瞳からは光が失われている。 けれど、肌だけは不気味なほど艶やかで、唇は熟れた果実のように赤い。 胎内の寄生植物が、宿主の魅力を維持しようと懸命に働いている証拠だ。 皮肉なものだ。 誰に見せるわけでもないのに、私は怪物のおかげで、魔性の美しさを保ち続けている。 「……ウルフ」 ガラスに指を這わせ、彼の名をなぞる。 お腹の奥が、とくん、と反応した。 期待しているの? それとも、ただ故郷に近づいたことに興奮しているだけ?           ◇ 大気圏突入の揺れが収まると、窓の外には見覚えのある緑色が広がっていた。 十数年という時が流れたはずなのに、その星はあの日と何一つ変わっていなかった。 圧倒的な生命力。 毒々しいほどの極彩色。 人類の戦争など、一瞬の瞬きにも満たない些事だとあざ笑うかのような、悠久の森。 廃墟となった観測基地の跡地に、シャトルは着陸した。 私はタラップを降り、その惑星の大地を踏みしめた。 「……ッ」 むせ返るような湿気が、全身を包み込む。 腐葉土と、花の香りと、フェロモンの混じった濃厚な大気。 それを肺いっぱいに吸い込んだ瞬間、身体の奥底で燻っていた火種が、一気に燃え上がった。 ドクンッ! 子宮が激しく収縮する。 胎内の花が、故郷の空気を吸って歓喜の声を上げている。 「帰ってきた」 「ここは私たちの場所だ」 そう囁いているようだ。 スーツを着ていない生身の肌に、湿った風がまとわりつく。 汗が吹き出し、薄手のシャツを肌に張り付かせる。 太腿の間が、じわりと湿る。 懐かしい。 この感覚。 理性が溶かされ、ただの雌の獣へと還元されていくような陶酔感。 私はふらつく足取りで、森の中へと歩き出した。 目指す場所などない。 けれど、身体が勝手に道を覚えている気がした。 あの水源へ。 彼と出会い、彼と結ばれた、あの場所へ。 道なき道を進む。 棘のある草が衣服を裂き、白い肌に赤い線を描く。 痛みすら心地よい。 ナノマシンはもう投与していないはずなのに、五感が異常に鋭敏になっている。 遠くの葉擦れの音、花の蜜の甘い匂い、地面を這う虫の気配。 すべてが、私を祝福し、同時に狙っているように感じられる。 どれくらい歩いただろうか。 息が上がり、足が重くなる。 私は大木に手をつき、荒い呼吸を整えた。 「はぁ……はぁ……」 歳をとったものだ。 かつては、この森を走り回る体力があったのに。 今は、歩くだけで精一杯だ。 でも、不思議と辛くはない。 身体の火照りが、疲労を麻痺させている。 ふと、視界が開けた。 記憶の中にある風景。 澄み渡った湧き水。 苔むした岩場。 あの日、彼が裸で立っていた場所。 そして、私たちが愛を確かめ合った場所。 「……誰も、いない」 当然だ。 わかっていたことだ。 そこには、彼のスポーツカーも、干されたスーツも、そして彼の笑顔もなかった。 あるのは、静寂と、植物たちの息遣いだけ。 膝から力が抜け、私はその場に崩れ落ちた。 涙が溢れる。 悲しみではない。 諦めだ。 やっぱり、彼はもういないのだ。 私の長い旅は、ここで終わる。 空っぽのゴール。 残されたのは、私という抜け殻と、お腹の中の異物だけ。 「……ウルフ。会いたかったな」 呟きは、森の闇に吸い込まれた。 その時だった。 背後の茂みが、ガサリと大きく揺れた。 風ではない。 明らかな質量を持った何かが、こちらへ近づいてくる気配。 「……!」 私は弾かれたように振り返った。 心臓が跳ねる。 もしかして。 彼が? この星で、ずっと私を待っていてくれた? そんな奇跡が、あるかもしれない。 「ウルフ……?」 期待に声を震わせ、私は立ち上がった。 茂みが割れる。 そこに現れたのは―― 「――あ」 絶望が、冷水を浴びせられたように全身を駆け巡った。 彼ではなかった。 人ですらなかった。 そこにいたのは、艶めかしい緑色の表皮を持ち、無数の触手をうねらせる、巨大な植物塊だった。 あの日。 私を捕らえ、辱め、種を植え付けた、あの忌まわしい植物。 いや、個体としては別かもしれない。 だが、その本質は同じだ。 私という獲物を見つけ、歓喜に震えるその姿。 「……そう」 私は後ずさりもしなかった。 逃げようとも思わなかった。 ああ、そういえば。 あの日の私は、こんな得体の知れない植物による凌辱でさえ、喜んで受け入れてしまっていたんだっけ。 ナノマシンのせいにして。 媚薬のせいにして。 本当は、心のどこかで、こうなることを望んでいたのではないか? 植物が、鎌首をもたげる。 ズルリ、と太い蔦が伸びる。 先端から、あの甘い香りのする粘液が滴り落ちている。 ドクン、ドクン。 私の子宮に棲みついた花が、目の前の「つがい」を歓迎して、激しく疼き始めた。 内側から熱い波を送り出し、私の抵抗心を削ぎ落としていく。 股間から、愛液がとめどなく溢れ出す。 身体が、準備を始めてしまっている。 「これが……この旅路の終着点なのね」 私は自嘲気味に笑った。 ふしだらな女に相応しい末路だ。 愛した男に兵を差し向け続け、数多の兵士を死地に送り込み、最後は誰にも看取られず、怪物に犯されて朽ち果てる。 それもまた、悪くないかもしれない。 少なくとも、孤独ではない。 この植物と一つになれば、私の意識も、記憶も、すべて溶けてなくなれる。 ウルフを失った悲しみからも、解放される。 「いいわ……来なさい」 私は両手を広げ、植物を受け入れる姿勢をとった。 抵抗などしない。 どうぞ、好きにして。 残りの人生すべてを、苗床として差し出しましょう。 植物が、私の同意を理解したかのように、シュルシュルと音を立てて殺到した。 無数の蔦が迫る。 視界が緑色に埋め尽くされる。 太い一本が、私の腰に絡みつこうとした、その瞬間だった。 ズドンッ!! 天を引き裂くような轟音が、鼓膜を叩いた。 直後、まばゆい閃光が走り、目の前に迫っていた植物塊が、一瞬にして蒸発した。 「――え?」 何が起きたのか、理解できなかった。 爆風が私の髪を乱し、熱波が頬を撫でる。 焼き尽くされた植物の残骸が、炭となって宙を舞う。 私は呆然と、光が差した上空を見上げた。 そこには。 常識ではあり得ないものが、降臨しようとしていた。 雲を突き破り、降り注ぐ陽光を背に受けて、巨大な影が舞い降りてくる。 鋼鉄の巨躯。 真紅と蒼の、派手で、時代錯誤で、けれどどうしようもなく力強いカラーリング。 背後より噴き出すエネルギーの奔流は、実体を持った翼ではなく、揺らめく光の干渉膜となって空へ大きく広がっていた。 高出力の粒子が周囲の光を複雑に屈折させ、極彩色の燐光となって虚空にたなびいている。 撒き散らされる黄金色の光粒は、あたかも空から降り注ぐ鱗粉のようにキラキラと舞い、視界のすべてを鮮烈な色彩で塗り潰していく。 その揺らめきは優雅で、どこか非現実的な美しさを湛えながら、世界を極彩色に染め上げていた。 (続く) ■パート10 ズシンッ……。 重量感のある着地音が、大地を揺らした。 余剰エネルギーの風が吹き荒れ、周囲の木々をざわめかせ、私を包み込もうとしていた甘ったるい死の匂いを一瞬にして吹き飛ばした。 「……嘘」 荒唐無稽。 非現実的。 まるで子供の空想から飛び出してきたような、ヒーロー然とした姿の、巨大なロボット。 理屈も物理法則もねじ伏せるような、圧倒的な存在感。 涙で滲む視界の中で、その鋼鉄の巨人が、ゆっくりと顔を上げた。 エメラルドグリーンのカメラアイが輝き、小さく震える私を捉える。 間違いない。 形は変わっても、わかる。 あの不器用で、乱暴で、温かい魂の光を。 彼だ。 「……ウルフ?」 私の問いかけに応えるように、巨人の胸部装甲がプシューッという音を立ててスライドした。 白い蒸気が立ち込め、ハッチからリフトが降りてくる。 そこに立つ人影は、私の記憶の中にある野性的な獣のようだった彼とは、少し違っていた。 逆光の中、彼が歩み寄ってくる。 一歩、また一歩。 その足取りは重厚で、しかし確かな力強さを帯びていた。 距離が縮まるにつれ、彼の顔立ちが鮮明になる。 目尻に刻まれた深い皺。 かつては黒々としていた髪に混じる、白いもの。 頬には新たな傷跡が走り、無精髭が顎を覆っている。 そして何より、私の目を釘付けにしたのは、彼の右腕だった。 かつての逞しい丸太のような腕ではない。 肩口から指先まで、鈍い輝きを放つ無骨な金属の義手。 サーボモーターの駆動音が、彼が動くたびに微かに響く。 「……随分と、待たせちまったな」 彼の第一声は、掠れていて、ひどく低かった。 けれど、その響きには、私の記憶にある彼そのものの温かさが宿っていた。 十数年という月日が、私たちの間に横たわっている。 その残酷なまでの時間の厚みを、彼の老いた姿が雄弁に物語っていた。 「……遅いわよ。馬鹿」 罵倒しようとして、声が震えた。 涙が堰を切ったように溢れ出し、私は駆け出した。 もつれる足で地面を蹴り、彼のもとへ飛び込む。 ガシャン、と硬質な音がした。 彼の左腕──生身の腕が私の背中を抱きしめ、右腕──冷たい機械の腕が、私の頭を優しく撫でた。 「悪かったな。……道に迷っちまってよ」 「嘘つき。……私、もう諦めかけてたのに……!」 彼の胸に顔を埋める。 懐かしい匂い。 オイルと、硝煙と、そして彼自身の雄の匂い。 あの日と同じ匂いが、私の脳髄を痺れさせ、枯れ果てていたはずの心を一瞬で潤していく。 彼はこの惑星でずっと待っていたわけではなかった。 彼が語った言葉は、私の想像よりも遥かに過酷で、そして運命的なものだった。 彼もまた、私と同じように戦争の泥沼を生き抜いていた。 そして、あの内戦の混乱の中、彼はある勢力から助力を求められたのだという。 だが、彼はそれを拒絶した。 もう、誰かの都合で殺し合うのは御免だと。 彼は軍を脱走し、追っ手を振り切り、あてどない逃避行の末に、偶然にも──いや、必然のように、この宙域へと流れ着いたのだ。 燃料が尽きかけ、引力に導かれるように降り立ったのが、この星だった。 ほんの数時間前のことだという。 「俺の部隊は、全滅したよ」 彼はぽつりと呟いた。 その言葉が、私の心臓を鋭利な刃物で突き刺した。 「最後の決戦……敵の包囲網は完璧だった。俺たちは退路を断たれ、一機、また一機と撃墜された。……俺も、機体を大破させて、この腕を持っていかれた」 彼は義手を掲げ、寂しげに笑った。 その包囲網を敷いたのは、誰あろう、私だ。 「第4機動艦隊による右翼陽動と、本隊の突入」。 あの作戦立案書にサインをしたのは、この私なのだ。 私の指先一つが、彼の戦友たちを殺し、彼の手を奪った。 「……ごめんなさい」 私は彼の胸から離れ、震える唇で告白しようとした。 私が殺したの。 貴方の仲間を。貴方の腕を。 貴方が愛したものを奪ったのは、私なのよ。 その事実を伝えなければ、彼に抱かれる資格などない。 「私、作戦参謀として……あの戦域の指揮を……」 「知ってるさ」 彼は私の言葉を遮った。 その声には、責める色は微塵もなかった。 ただ、すべてを受け入れたような、静かな凪のような響きだけがあった。 「捕虜になった奴から聞いたよ。敵の参謀に、凄腕の女がいるってな。……名前を聞いた時、まさかとは思ったが」 彼は私の頬に、無骨な義手の指を這わせた。 冷たい金属の感触。 けれど、その動きは驚くほど優しく、私の涙を拭ってくれた。 「お前が心変わりして、あっち側で出世したって聞いた時は、正直疑ったぜ。俺との約束なんて、忘れちまったんじゃないかってな」 「忘れるわけ……ないじゃない!」 「ああ。わかってる。……お前の指揮は見事だったよ。完敗だ。俺たちが生き残れなかったのは、俺たちの力が足りなかったからだ。お前のせいじゃねぇ」 「ウルフ……」 「それに、こうしてまた会えた。……五体満足じゃねぇし、シワも増えちまったが、中身はあの時のままだ」 彼は私の腰を引き寄せ、再び強く抱きしめた。 その腕の中で、私は赦されていた。 敵として戦い、傷つけ合った過去さえも、この再会のための長い試練だったのだと思えるほどに。 私は彼の背後で沈黙を守る、真紅の巨人を見上げた。 かつての無骨な重機動兵器とは似ても似つかない、洗練された、神々しいまでの姿。 まるで古代の神話に出てくる守護神のようだ。 「あれが……貴方の機体なの?」 「ああ。驚いたろ? こいつが本来の姿なんだとよ」 彼は愛機を親指で指した。 「俺が乗っていたあの無骨な機体は、仮の姿に過ぎなかったらしい。コアユニットに封印されていたデータが、あの激戦の最中に覚醒して、ナノマシンで周囲の残骸を取り込んで再構成(リストア)されたんだ」 「……そんな馬鹿な話、あるわけないわ」 技術屋としての私が、即座に否定する。 質量保存の法則も、エネルギー変換効率も無視している。 コアユニットからの復元? 未知の文明の遺産(オーバーテクノロジー)だとしても、限度がある。 けれど、今の私にはどうでもよかった。 理屈なんて、この星では無意味だ。 重要なのは、彼がここにいること。 そして、彼が私を求めてくれていること。 それだけが、揺るぎない真実だ。 日が落ちかけ、森が藍色に染まり始めていた。 夜の帳が下りる。 それは、かつて私たちが結ばれた、あの熱帯の夜の再来。 「……ねえ」 私は彼の標準スーツ──継ぎ接ぎだらけで古びているが、よく手入れされたそれ──の胸元に手をかけた。 「約束、覚えてる?」 「責任取れ、ってやつか?」 「ええ。……随分と待たされたから、利子がたっぷりついてるわよ」 悪戯っぽく微笑むと、彼は「参ったな」と苦笑し、そして真剣な眼差しで私を見つめ返した。 その瞳の奥に宿る熱は、若い頃のようなギラギラとした飢えではなく、もっと深く、静かで、消えることのない熾火のような情熱だった。 彼は私を抱き上げると、巨人の足元、苔むした柔らかな草地へと運んだ。 私たちは、言葉もなく互いの衣服を脱ぎ捨てた。 露わになる身体。 私の肌は、植物の恩恵で未だ若々しい張りを保っているが、彼に見せるのは気恥ずかしかった。 魔女のような不自然な若さだと、気味悪がられるかもしれない。 けれど、彼の視線は熱く、愛おしげに私の全身を舐めるように巡った。 逆に、彼の身体には、歳月が刻んだ年輪があった。 筋肉は依然として鋼のようだが、皮膚には無数の傷跡が走り、義手との接合部には痛々しい手術痕が残っていた。 そのすべてが、彼が生き抜いてきた証。 美しいと思った。 「……綺麗だ」 彼が呟き、義手の指先で私の乳房を包み込んだ。 ひやりとした感触に、身体がビクリと跳ねる。 かつては熱い肉の指だった場所。 今は冷たい機械。 そのコントラストが、なぜか堪らなく官能的で、胸の奥をキュンと締め付けた。 「冷たくないか?」 「ううん……気持ちいいわ」 嘘ではなかった。 彼の義手は、私の柔らかな肉を傷つけないよう、ミリ単位の繊細さで動いている。 その不器用な配慮が、何よりも熱い愛の言葉となって伝わってくる。 彼が私の上に覆いかぶさる。 その重み。 ああ、これだ。 十数年間、どんな男と寝ても、どんな玩具を使っても、決して満たされることのなかった空洞。 それが今、彼の存在によって埋められようとしている。 私の下腹部が、歓喜の声を上げていた。 子宮に根付いた「花」。 ずっと忌まわしい異物だと思っていた、呪いの種。 けれど今、それはまるで、ずっと帰りを待っていた主人の帰還を祝うように、甘く、切なく震えている。 (そうか……。貴方も、待っていたのね) 私はようやく理解した。 この花は、私を苦しめる寄生虫ではなかった。 あの日の彼の種と、私の想いが結晶化した、私たちの絆そのものだったのだ。 だからこそ、彼以外の男を受け入れず、私をこの場所へと呼び戻した。 すべては、この瞬間のために。 「ウルフ……っ」 私は彼に抱きつき、唇を求めた。 重なり合う唇。 舌が絡み合う。 若い頃のような、貪り食うような激しさはない。 互いの味を確かめ合い、空白の時間を埋めるような、深く、濃密な口づけ。 「……ん、ぁ……」 自然と、私の脚が開かれる。 そこはもう、あふれるほどの愛液で濡れそぼっていた。 花が分泌する媚薬と、私自身の愛が混じり合い、芳醇な香りを放っている。 彼はそれを見て、喉を鳴らした。 「準備万端だな」 「誰のせいだと……思ってるのよ」 「へっ、違いねぇ」 彼は自身の剛直を、私の秘部に宛てがった。 年齢を重ねてもなお、その雄々しさは健在だった。 いや、むしろ昔よりも威厳と風格を増しているようにさえ思える。 ゆっくりと。 噛み締めるように、彼が入ってくる。 「……ぁ、ぁぁ……っ」 「……くっ、キツいな……相変わらず」 侵入の速度は、もどかしいほどに緩慢だった。 粘膜の一枚一枚が、彼の形を記憶し直すように吸い付く。 きつくなった膣壁が、彼を締め付け、歓迎する。 子宮口に絡みついた花の根が、するりと解け、彼を迎え入れる扉を開く。 根元まで収まった瞬間。 ふぅ、と二人の吐息が重なった。 繋がった。 パズルのピースが嵌まるように。 欠けていた半身が戻るように。 完璧な結合。 「動くぞ……」 「ええ……お願い」 彼が腰を動かし始める。 ゆったりとした、波のようなリズム。 かつての激流のようなピストンではない。 寄せては返す、穏やかで、それでいて深く芯まで響く愛の波。 ズズっ、と彼が最奥を擦るたびに、脳髄が白く痺れる。 快楽の種類が違う。 脳を焼き切るようなスパークではなく、温泉に浸かっているような、全身の細胞が融解していくような深い安らぎと悦楽。 「あ、ん……っ、ウルフ、そこ……いい……」 「ここか……?」 「んぅ、あぁ……っ、深い……」 彼の目を見つめる。 至近距離で、視線が絡み合う。 彼もまた、私を見つめ返している。 瞳の中に、私だけが映っている。 この十数年、私は身体の貞操など守ってはいなかった。 寂しさに負けて、他の男に抱かれた夜もあった。 彼だって、そうかもしれない。 名も知らぬ誰かが、彼を慰め、彼を生かしてくれたのかもしれない。 (……ありがとう) 心の中で、見知らぬ誰かに感謝する。 私のために、彼を死なせずにいてくれて。 そして、彼のために、私を繋ぎ止めてくれて。 貞操なんて、ちっぽけなことだ。 今、ここでこうして身体も心も溶け合っていることこそが、すべてなのだから。 「……愛してる」 言葉が、自然とこぼれた。 彼が目を見開き、そして破顔した。 「俺もだ。……死ぬほど愛してる」 その言葉が合図だった。 私たちの動きが、少しずつ熱を帯びていく。 互いの愛を確認し合い、高め合う。 体内の花が、彼の熱を吸い込み、喜びの歌を歌う。 媚薬が全身を駆け巡るが、それはもう暴走する毒ではない。 私たちを一つにするための、祝福の蜜だ。 「あ、いく……っ、ウルフ、一緒に……!」 「ああ……っ、俺も、限界だ……!」 高まりが頂点に達する。 爆発的な絶頂ではない。 夜明けの光が世界を包み込むような、温かく、眩い光の奔流。 彼の熱いものが、私の中に注ぎ込まれる。 ドクンドクンと脈打つ、生命のリズム。 私はそれを、子宮の底ですべて受け止めた。 花の根が、彼の精を逃すまいと絡みつき、吸収し、そして私の一部へと変えていく。 「んんんーーーーっ……!」 長い、長い口づけと共に、私たちは果てた。 互いの身体が震え、余韻が波紋のように広がり、やがて静寂が戻ってきた。           ◇ 事後。 私たちは衣服を整え、寄り添って空を見上げていた。 満天の星空。 かつては戦場だった場所が、今はただ美しい宝石箱のように輝いている。 彼の体温を感じながら、私はこれ以上ない幸福に浸っていた。 お腹の中が、ポカポカと温かい。 今度こそ、本当の意味で彼と一つになれた気がした。 その静寂を破ったのは、唐突な美声だった。 『……まったく、見せつけてくれるものだな。我が主よ』 天から降ってきたかのような、朗々としたバリトンボイス。 拡声器を通したような大音量が、森の木々をざわめかせた。 「えっ……!?」 私は飛び上がり、慌てて周囲を見回した。 誰もいない。 いるのは、私とウルフ、そして背後に立つ巨大なロボットだけ。 まさか。 「……悪い。こいつ、デリカシーってのがなくてな」 ウルフは頭を掻きながら、ロボットを見上げた。 「おい、覗き見とはいい趣味だな。少しは気を遣えよ」 『覗いていたわけではない。センサーが自動的に周囲の状況を監視していただけだ。……それに、生体反応の激しい高まりを感知したゆえ、緊急事態かと危惧したのだ』 ロボットが喋った。 あの巨大な鋼鉄の巨人の口元にあるスリットが、言葉に合わせて明滅している。 ただのAI音声ではない。 そこには明らかな「人格」と、感情の機微が含まれていた。 「こ、これ……喋るの?」 「ああ。さっき話しただろ? こいつはコアユニットが覚醒して、本来の姿に戻ったって」 ウルフは苦笑交じりに説明した。 彼の愛機──かつては無骨な量産型兵器だと思われていた機体──の正体は、遥か彼方の銀河から飛来した、未知の文明の遺産。 機械生命体(ロボット・ライフフォーム)だったのだ。 最後の激戦の最中、ウルフの危機に呼応して眠っていた意識が目覚め、周囲の残骸を取り込んで自己修復・再構成を果たしたのだという。 『我が名はブレイブカイザー。遥かなる時空を超え、正義の心を持つ者に力を貸す守護者である』 ロボット──ブレイブカイザーは、芝居がかった口調で名乗りを上げた。 そのカメラアイが、今度は私に向けられる。 『そして、貴女が我が主の伴侶か。……ふむ。データ照合。かつて敵対していた指揮官個体と同一人物と推測されるが……まあよい。愛に国境も過去もない、というやつだな』 「ちょ、ちょっと……!」 顔から火が出そうだった。 見られていた。 しかも、一部始終を。 あんなにも乱れ、喘ぎ、彼に愛を乞うていた私の姿を、この巨大なロボットに見下ろされていたなんて。 羞恥心で死にそうだ。 「き、聞いてないわよ! こんな……こんなのが見てる前で……ッ!」 「だから、気にするなって。こいつはロボットだぞ? 性欲なんてねぇよ」 ウルフは呑気に笑っている。 『左様。我々機械生命体にとって、生殖行為とは即ちデータの転送、あるいは工廠での製造工程に他ならない。有機生命体特有の、粘膜を接触させて体液を交換する非効率的な儀式になど、性的興奮を覚える回路は持ち合わせていない』 ロボットは淡々と、しかしどこか得意げに言い放った。 「……嘘よ」 私は赤面したまま、彼の胸に顔を埋めて呻いた。 性欲がない? 興奮しない? 理屈はそうかもしれない。 けれど、その朗々とした低い声色、芝居がかった傲慢な口調、そして「見せつけてくれる」などという茶化し方。 どう見ても、その人格は「デリカシーのない男」そのものではないか。 穴が開くほど見つめられ、あまつさえデータとして分析されていたかと思うと、羞恥心で全身の血液が沸騰しそうだった。 「ガハハ! まあ、そう怒るなよ。こいつも悪気があるわけじゃねぇんだ」 ウルフは楽しそうに笑い、私の背中をポンポンと叩いた。 その大雑把な優しさが、今は少しだけ恨めしい。 けれど、同時に救われてもいた。 彼が笑っている。 私がここにいてもいいのだと、その笑顔が肯定してくれている。 「さて……。積もる話もあるが、まずは落ち着ける場所が必要だな。野宿も悪くねぇが、久しぶりの再会だ。もう少しマシな環境がいいだろ?」 彼は私の腰を抱き寄せ、巨大なロボットを見上げた。 「頼めるか、相棒」 『承知した。我が主とその伴侶のために、極上の休息空間を提供しよう。……トランスフォーム! エクスプローラー・ベース・モード!』 ブレイブカイザーが叫ぶと同時に、大地が振動した。 ガキンッ、ギュイィィン、ズシンッ! 重厚な駆動音が森に響き渡る。 人型を構成していた鋼鉄のパーツが複雑にスライドし、回転し、噛み合っていく。 かつての「基地モード」と呼ばれていた無理やりな変形とは次元が違う、洗練された変形シークエンス。 巨大な脚部が折り畳まれてシャーシとなり、腕部がキャビンを形成し、胸部装甲が居住区へと展開する。 数秒後。 そこに現れたのは、装甲車のような頑強さと、豪華客船のような優雅さを兼ね備えた、巨大なキャンピングカーだった。 タイヤの一つ一つが私の背丈ほどもあり、側面にはタラップが伸びている。 『完了した。空調、給水、エネルギー供給、全て正常。内部にはキングサイズのベッドも完備している』 スピーカーから響く声は、どこかホテルのコンシェルジュのようにすましていた。 キングサイズのベッド、という単語に、再び頬が熱くなる。 このロボット、絶対に面白がっている。 「へっ、気が利くじゃねぇか。……さあ、乗んな。俺たちの新しい家だ」 ウルフが私をエスコートし、タラップへと誘う。 その手を取り、私は一歩を踏み出した。 車内──いや、船内と呼ぶべき広さの居住区は、驚くほど快適だった。 清潔な空気が循環し、柔らかな照明が灯っている。 キッチンがあり、シャワールームがあり、そして奥にはロボットの言葉通り、広大なベッドが設えられていた。 かつて泥と湿気にまみれて過ごしたサバイバル生活とは、雲泥の差だ。 「どうだ? これなら、文句ねぇだろ」 「……ええ。最高よ」 私は室内を見渡し、ため息をついた。 夢みたいだ。 彼が生きていて、私がここにいて、そしてこれから二人きりの時間が始まるなんて。 ウルフが背後から私を抱きしめた。 その体温が、これが現実なのだと教えてくれる。 「これからは、ここがお前の居場所だ。もう、誰の命令も聞く必要はねぇ。作戦も、戦闘も、全部忘れちまえ」 「ウルフ……」 「ただの男と女として、生きていこうぜ。……この星で」 彼の言葉に、私は深く頷いた。 お腹の奥で、花がトクンと穏やかに脈打った。 かつて私を苦しめ、淫らに狂わせた疼きは、もうそこにはない。 あるのは、愛する人と繋がっているという、静かで確かな充足感だけ。 この花もまた、長い旅を終えて、ようやく安住の地に根を下ろしたのだ。 「ええ……。もう、離さないでね」 振り返り、彼に口づけをする。 義手の冷たさと、生身の温かさが、同時に私を包み込む。 窓の外には、満天の星空と、極彩色の森が広がっていた。 戦争は終わった。 私の、私たちの新しい戦いが──いや、平穏な日常が、ここから始まるのだ。 私はそっと目を閉じ、彼の胸に深く身を預けた。 その鼓動は、どんなエンジンの駆動音よりも力強く、私を心地よい眠りへと誘っていった。 (了)