とある天気のいい日。 ガオドラモン…もとい河戸桃慈は、鍛治師の花畑の近くの森に一人で向かっていた。 「さっきの流れ星…たしかこっちの方に…」 十数分ほど前、彼は森に落ちていく、黒く光る流れ星を目撃していた。 すぐ近くに落ちたそれを見に、彼は好奇心の赴くままに一人で出かけてきていたのだ。 「匂いがする…このへん…だよね…?……あれって!?」 焦げ臭い匂いが漂う方を目指して森の中を走っていた彼は、へし折れ焼けこげた木々の向こうに、先ほどの流れ星が落ちてできたのであろうクレーターを見つけた。 かなり強い力が加わったようで、それは結構な深さになっている。 「あそこ…何があるんだろう…?」 その中に何かがあるのを見つけ、慎重に、しかし速度はそれほど落とさずに、桃慈はそこを少しずつ降りていった。 近づいていくに連れて少しずつ煙が晴れ、だんだんと何があるのかが明らかになっていく。 「あれって…人間!?」 クレーターの底にだぼついた白い服を着た人間の子供が倒れているのを見つけ、彼は急いで駆け寄った。 「大丈夫かな…怪我は…してないみたいだけど…」 倒れている子供の、出血どころか傷もないその姿に違和感を覚えるよりも、彼への心配が勝ったのだろう。桃慈は、彼をなんとかクレーターの縁まで連れていく事にしたようだ。 「よい…しょっと…!」 まだ子供とはいえ彼はデジモン。妙に体重の軽い白い服の子供を抱き上げる程度の力は持っていた。 しかし、彼はまだ子供だった。抱き上げたとしても、どうしても背の低さが故に多少は引きずってしまう。 彼はその事に多少の申し訳なさを覚えつつも、なんとか白い服の子供をクレーターの近くの木陰まで運ぶ事に成功した。 「…そうだ。起きた時びっくりしちゃうかもしれないもんね…」 桃慈はそう呟くと首から提げていたディースキャナを操作し、自らの姿をガオドラモンから人間へと変えた。 それは、相手が人間ならばこちらの姿の方が驚かないだろうという、彼なりの気遣いだった。 「どうしよう…父ちゃ達連れてきた方がいいかな…」 桃慈が心配そうに寝かせていた白い服の子供の顔を覗き込んだそのとき、 「───────────────ん……」 彼は目を覚ました。 「…あ!大丈夫だった!?」 そう声をかけられても彼は答える事なく、どこか不服そうな目で辺りを見回すと、鼻を鳴らし始めた。 「えっ…とー…ぼく…何か変な匂いするかな…?」 少し恥ずかしそうに訊く桃慈。 彼はしばし桃慈の匂いを嗅いでから、一言こう呟いた。 「きみ…なにか食べるものもってる?もってるよね?」 それと同時に、ぐるると彼のお腹が唸った。 「え…あ、うん!はい、チョコバー!」 桃慈が差し出したそれを受け取ると、彼は包装を噛みちぎって開け、一口で食べる。 「───────甘くて…ザクザク…!おいしい!」 「よかった。ぼくは桃慈!君は?」 「ぼく?ぼくはブラックアグニモン。」 白い服の子供はそう名乗った。 黒く光る流れ星の正体はブラックアグニモン、つまり龍ヶ崎焚竜だったのだ。 ───────── 「ブラックアグニモン…君って人間じゃないの?」 「そうだよ?…きみはなんで人間の形してるの?きみもデジモンでしょ?」 焚竜は自分が人間と思われていた事にむしろ驚き返すように答えると、桃慈に質問し返した。 「ああ、それはね………ほら、こうやって姿を変えられるんだ!」 彼は再び人間からガオドラモンの姿に変わって見せる。 「へぇー…これってそうやって使うんだ。」 焚竜はポケットから自らの赤いディースキャナを取り出す。 「ぼくと同じやつだ!父ちゃから貰ったんだよ!」 首から提げた、茶色いそれを誇らしげに見せる桃慈。 「ふーん。ぼくのは…こっちに来た時に気付いたら持ってた。使った事ないや」 「そうなの?じゃあどうやってデジモンになってるの?」 そう訊かれ、焚竜はゆらりと立ち上がって 「進化。」 ただ一言、そう唱えた。 すると桃慈の目の前で黒い炎が一瞬激しく燃え上がり、次の瞬間にはそこにブラックアグニモンが立っていた。 「こうやって……あれ?」 しかし、すぐに進化は解け、焚竜は元の人間の形へと戻ってしまった。 「お腹すいた…」 またしてもぐるると鳴るお腹。エネルギー切れだ。 そもそも、先刻の黒い流れ星も彼が空を飛んでいる最中にエネルギー切れとなって墜落したのがその正体。ブラックアグニモンとはかくも燃費の悪いデジモンであった。 「だったら、ぼくんちでご飯を──────」 そう言いかけた桃慈の言葉を遮り、焚竜は 「いや、……空気に混ざって甘い匂いがする。こっちだ!」 と言うと、その匂いの方へと向かっていってしまった。 「ちょっ…ねぇどこ行くのー!」 ───────── 「あった!」 彼が探し当てたのは、リアルワールドで言うところのモミジイチゴに近い、ワイルドベリーの茂みだった。 「トウジも食べなよ」 焚竜にはそう言われたものの、桃慈は口に運ぶのに少し躊躇いを覚えていた。 「食べても死なないよ。こう言うのは毒があるやつもあるけど…これは平気。」 しかし、すでに口いっぱいに頬張っている焚竜の様子を見て、彼も意を決して口に放り込んだ。 「…おいしい!」 朗らかな甘味と爽やかな酸味。野生種とは思えぬほどのその味を、二人はしばらく楽しんだ。 「これ、あとで兄ちゃんにも教えてあげよっと!」 ───────── これだけの味を誇る果実であれば、当然他のデジモンも食べに来る。 運悪く、この時二人と居合わせていた相手は、かなりタチの悪いデジモンであった。 「…誰かいる?」 何かが草をかき分けるような音を聞きつけたガオドラモンの耳が、ぴこぴこと動く。 その音の主は、それが聞きつけられるより前に二人に襲い掛かろうとしていた。 「グォぉぉ!!」 唸り声を上げながら突進する、ボアモンに類似した黒紫のデジモン。 その名はゼフリムモン。焚竜は知る由もないが、彼とは因縁めいたものを持っているデジモンだった。 「危ない!」 突進が焚竜に向かっている事に気づいた桃慈が、悲鳴にも似た叫び声をあげる。 「…ッ!」 焚竜は反射的に敵の鼻先を掴んで受け止め、その突進を無理やり止めさせた。 華奢で貧相な体からは想像もできない力。これこそが、彼がデジモンであることの何よりの証拠だった。 「きみ…何?見た事ないデジモンだけど…ぼくの邪魔するなら倒す。進化。」 その体勢のままに進化した彼は、ゼフリムモンの脳天に拳を叩き込んで吹き飛ばす。 「ぐぁォっ!?……ブルル…!」 近くの木の幹に叩きつけられたゼフリムモンはすぐに立ち上がると、再びブラックアグニモンに狙いを定め、一目散に突撃した。 「ガァァァッ!」 「当たらないよ。」 しかし、その突進は空を切った。 ゼフリムモンがブラックアグニモンに衝突しそうになったその瞬間、彼の身体がまるで蜃気楼であるかのように一部分だけかき消えたのだ。 身体を黒い炎へと変え敵の攻撃を無効化する。それはブラックアグニモンの持つ能力の一つであった。 彼は周囲に燃え広がっていた黒い炎を吸収し、右腕へと集める。 炎は彼の腕の先へと延び、やがて一本の剣を形作った。 「はっ!」 彼はそれを振るい、文字通りゼフリムモンを真っ二つにしてしまった。 「すっごい!君ってつよいんだね!」 一連の光景を見て興奮する桃慈をよそに、焚竜は剣についた血に似たデータの残滓を舐めとり口に含んだ。 ”味見”である。 「─────────……ぺっ。」 5秒ほど味わうと、彼はそれを吐き出した。 「美味しいけど…何かが混ざってる。なんだろう…?でもこれは…毒だ。」 食人衝動因子。 ゼフリムモンの造り主が仕込んだ悪意の結晶を、彼の舌は確かに感じ取っていた。 ───────── ゼフリムモンは一度殺された程度で大人しく死ぬデジモンではない。 ブラックアグニモンを模倣したその能力によって、一晩もすれば元通りになってしまう。 「フゴォぉぉ……!」 飼育場から逃げ出し、好き放題にあらゆるものを食い尽くしていたそのゼフリムモンのデータ量は大きく、完全体一歩手前にまでなっていた。 その影響か、本来ならばゆうに10時間はかかる再生を、その個体はすでに完了していた。 「まだ動くんだ。…トウジ、きみも戦えるでしょ?一緒にやろうよ。」 「わかった!スピリットエボリューション!」 ディースキャナに手をかざしたガオドラモンの体を、トゲトゲしい茶色の鎧が包み込み、ブラックアグニモンよりも多少小柄な程度にまで大型化する。 「ギガスモン!やあっ!」 巨人の名を持つそのデジモンは、向かってくるゼフリムモンを力任せにぶん殴った。 「ブァオオオ…!」 「いったたぁ…あのデジモン固いよぉ…なんでブラックアグニモンは平気だったの…?」 桃慈は少し涙目になりながら焚竜の方を見る。 「固いかな…?…じゃあトウジはあいつを打ち上げて。トドメはぼくがやる。」 「わかった!アースクェイク!」 ギガスモンは飛び上がってから地面を殴り、その振動で相手を空高く打ち上げ、 「邪黒…炎龍波!」 狙いを定めていたブラックアグニモンが、すかさずエネルギーの矢を撃ち込んだ。 命中の瞬間空中で大爆発が起き、吹き付ける爆風に桃慈は思わず顔を覆う。 「…今だ。」 焚竜はその爆炎の中に飛び込み、その中心からゼフリムモンが退化したデジモン、アンブロモンを掴み取った。 「その力、それはお前のじゃない。返してもらうよ。」 自分のその手から逃れようともぞもぞと動くそれに、彼は自身のディースキャナを押し当てる。 「なんて言うんだっけ……そうだ。デジコードスキャン。」 「きゅあぁ…いぃ…!」 苦しみ呻くような声をあげるアンブロモン。その体から徐々に黒みが抜けていく。 「これで、返してもらったよ。」 それが終わる頃には、禍々しい角は片方が抜けおち、体毛は色落ちしたかのように白と黒のまだらになっていた。 「燃えろ。」 「ぎっ…ギゅ。」 彼は用済みとばかりに自らの炎でアンブロモンだったものを燃やす。 それは先ほどまでのように復活することはなかった。 ───────── 「はー…つかれたー…」 進化を解除し、疲労困憊といった様子で呟く桃慈。 まだスピリットの力を使うことに慣れきっていないのか、彼の進化による疲労は、焚竜のそれよりもずっと大きかった。 「あいつみたいなのが他にもいるかもしれない。もう帰った方がいいよ、トウジ。」 焚竜はブラックアグニモンの姿のまま、彼にそう告げた。 桃慈と違って、エネルギーさえ足りていれば彼の本来の姿の維持は容易い。 「そうする…ブラックアグニモンは?」 「焚竜。」 「…へ?」 「龍ヶ崎焚竜。ぼくがまだ、人間だった頃の名前。きみはそっちで呼んでもいいよ。」 もはや思い出すのも難しいほど薄れた、人間だった頃の記憶。 名前を呼ばれると、忌々しいそれに起因する鈍い痛みが彼を襲う。 それを嫌い、彼は自らをブラックアグニモンと名乗っていた。 「わかった!タケル!」 そう呼ばれ、焚竜は喜びとも怒りとも、悲しみとも取れないような複雑な表情を浮かべる。 もっともブラックアグニモンの仮面によってその表情の大半は覆い隠されてしまい、桃慈には伝わることがなかった。 「──で、タケルはどうするの?」 「さぁ…わかんない。」 「行くところないんだったらぼくんちに来なよ!きっと歓迎してくれるよ、兄ちゃんも父ちゃも────「いい。」 彼は桃慈の誘いを食い気味に断った。 焚竜にとって、父親というモノは顔も知らぬ誰かか、自分に暴力を振るう敵、そのどちらかでしかない。 無邪気に父親のことを信じていられる桃慈の言動は、彼には鋭利な刃物も同然だった。 「それに…行かなきゃいけないところが…ある気がする。」 だがなんと言っても、彼も、彼の中のスピリットも、まだまだ闘争を求めていた。 桃慈が普段当たり前に享受している平穏を、彼は求めていなかった。 (あいつらともっと戦おう。あいつらを殺せるのは…ぼくしかいない。) 焚竜は二、三歩走って勢いをつけると、四肢から黒い炎を噴射し空へと飛び立つ。 「またねー!タケルー!」 桃慈は空の遠くへ消えていく黒い流れ星に、見えなくなるまで手を振っていた。