・01 「ぐう─ッ!?」 全身の装甲が軋んで火花が散ると、メタルグレイモンViが大きな声で呻いた。 「お兄ちゃんのこと、大好き。だから─もう無理しなくていいんだよ?」 ミヨの穏やかな声が、惨劇を包むように響いた。 シュウの瞳は焦点を失い、震える唇から、かすれた声だけが漏れた。 「ミヨ…なにを言って…」 「臆病者の弱い兄は偽物ということだ」 "理想の兄"がそう告げた瞬間─メタルグレイモンViの両腕が宙を舞っていた。 シャイングレイモンが持つジオグレイソードが二つに別れると、音もなく連続で振るわれていた。 装甲が火花と黒煙を噴き上げながら砕け、輪郭が崩れていく。 「メ…メタルグレイモンが…!」 シュウは唖然としながらも、落下してきたヒヤリモンをなんとか受け止めた。 その姿を見下ろしながら、"理想の兄"は静かに言った。 「決したな。これからは俺がミヨを助けていく」 シャイングレイモンはジオグレイソードを投げ捨て、両腕を突き合わせる。 そこに周囲の熱が収束し、地鳴りのような低音が空気を震わせる。 街全体の光さえがそこへ集まっていき、巨大な球体が形成された。 だが、次の瞬間─空を裂く轟音と共に、無数の機銃弾が"理想の兄"を襲った。 弾丸は光の尾を引きながら雨のように降り注ぎ、その一つひとつが金属の悲鳴を上げてビルを穿つ。 シャイングレイモンが咄嗟に手を突き出し、身を挺してその攻撃を防いだ。 火花が散り、弾丸が翼を弾き、鉄と焦げた油の匂いが漂う。 "理想の兄"がわずかに顔を上げた。 眠そうな視線の先、屋上階へと繋がる階段室の扉が金属の軋む音と共にゆっくりと開かれた。 扉の向こうから、ひとりの女が現れた。 瞬間─誰も息をすることすら忘れたかのように、場の空気がぴたりと凍りついた。 色白の顔には、仮面のような笑みが貼りついていた。 左の眼は包帯に覆われ、光の無い片目だけがじっとこちらを覗いている。 艶めく唇がわずかに動き、微笑を形づくる。 その笑みの奥から言葉にならない嫌悪が、じわりと滲み出ていた。 「…!?」 言葉にならない震え声が、シュウの喉の奥から漏れた。 いつも職場で柔らかく笑っていた同僚を、見間違えるはずがなかった。 それは、全く変わらない姿形をした人物のはず…だが、何故か温度を失っているように感じられた。 空虚と狂気がひとつに溶け、静かな残酷さだけがその顔に宿っている。 【ジェノサイドギア】 冷たい声が響いた瞬間、夜空が赤黒く閃いた。 黒金の装甲を纏ったサイボーグドラゴン─ギガドラモンが、上空を旋回しながら腕からミサイルの雨をばらまく。 爆炎が夜を灼き、足元が砕け、今にもバランスを失いそうになる。 瓦礫が空を裂き、ガラスの破片が雨のように降り注ぐ。 "理想の兄"が眉をひそめ、邪魔物を叩き潰すためにシャイングレイモンを前へと押し出した。 だが次の瞬間─電光のような軌跡を描いて現れたギロモンが、その右腕に体当たりするように刀を激突させた。 火花、衝撃、閃光─空気が震え、音が消える。 シャイングレイモンが巨体を軋ませて踏ん張ると、足元のアスファルトがひび割れ、コンクリートがめくれ上がる。 電撃と土煙が空を覆い、視界を白く染め上げた。 シャイングレイモンがギロモンを押し返し、煙が風に押し流された時─そこには誰の姿もなかった。 ギロモン、ギガドラモン、シュウ、そして聖─まるで幻だったかのように、夜の闇へその存在を溶かしていた。 「お兄ちゃん…?お兄ちゃんどこ…?」 焦げた匂いと共に、風が止む。 残ったのは異様な静けさと、シュウを探すミヨの声だけだった。 ・02 意識が浮上する。 鉄と煙の匂いの中で、瞼の裏が白く焼けた。 目を開けると、そこは天井のない部屋だった。 いや、見覚えはある…ここは先ほどの戦いで、上層階ごと吹き飛ばされたマンションの残骸だ。 壁は剥がれ、天井は裂け、風が音もなく通り抜けていく。 「おはよ。元気?」 聞き慣れた声がした。 コーヒーの香りが、焦げた匂いに混じって鼻をくすぐる。 シュウがゆっくりと顔を向けると、隣では聖が穏やかにカップを傾けていた。 その笑顔と佇まいは、廃墟にすら美しく馴染んでいる。 聖は小さな携帯バーナーに火をつけ、金属のケトルをかざしていた。 手のひらほどの炎が、彼女の頬を赤く染めている。 やがて黒い液体がカップに落ち、かすかな香りが漂った。 「祭後くんも飲む?」 振り返った聖の微笑みは、いつもの職場の顔と同じ形をしていた。 ただ、その瞳の奥だけが─何も映していなかった。 シュウは状況を理解できないまま、無言でカップを見た。 その背後で、何かが光を反射した。 視線を向けると、瓦礫の陰に人の手が覗いていた。 白く硬直した指先、ぐしゃりと潰れた顔、血に染まった衣服─それは間違いなく死体だった。 焼けた床に赤黒い染みが広がり、生ぬるい臭気がコーヒーの匂いと混ざって鼻を突く。 「なにを……してるんだ……?」 状況が飲み込めないシュウの掠れた声が零れた。 頭の中で記憶が散らばり、再構築しようとしても形を結ばない。 「ねぇ、こうして見ると…人の終わりって、綺麗よね」 聖は答えず、ただカップを傾けると黒い液体を一口飲んでから、うっとりとした表情で小さく笑った。 USBの刺さったノートパソコンをぱたんと閉じた彼女は、スッと立ち上がった。 砕けた塀に片手を置き、瓦礫の向こうの水平線を指先でなぞる。 そこには、あり得ないほど澄んだ夜が広がっていた。 シャイングレイモンは爆心地の中心で沈黙している。 焦げた町から煙がまだ尾を引き、周囲には自衛隊かなにかの装甲車が待機している。 街全体が息を止めたように静まり返り、ただ風だけが、死んだ空を撫でていた。 メタルグレイモンViは未だに気を失っているが、不思議と退化の兆しはない。 悪魔のような翼がかすかに黒い電気を帯びて脈動しており、まるで悪夢の続きを見ているようだった。 「凄いよね。これ、全部─祭後くんのせいよ?」 聖は背を向けたまま、うっとりと頬を上げた。 その時、シュウの胸の奥で何かが崩れる音がした。 記憶が一気に蘇る─光、崩壊、ミヨの笑み、そして"理想の兄"の声。 「行かないと…行かないと…!」 掠れた声を押し出しながら、シュウはベッドから転がり落ちた。 床の木屑と埃が服にまとわりつき、汗ばんだ手のひらに張り付く。 逃げなければ─いや、探しに行かなければ。 そう思ったその瞬間、背後から囁く声がした。 「弱くて嘘つきな祭後くんには、どこに行ったって何もできないよ」 空気が凍った。 その一言が、シュウの中の影を確かに縫いとめた。 振り返ると、聖は相変わらず柔らかく微笑んでいた。 「だから、ここにいて私と話をしましょ?」 その声は甘く、優しく、まるで恋人に語るようだったが…残酷さを帯びていた。 瓦礫を踏む音が鳴る度、粉塵が白く舞い、破片の光が瞬いた。 思わず転んだシュウが見上げた聖は、ガラスの破片から反射した光で静かに輝いていた。 「ねぇ、そんな顔しないで」 後退るシュウを部屋の端に追い詰めた聖は、目の前で屈むと頬へそっと手を伸ばす。 僅かに温かい指先の裏側で、何かが確実に冷たく蠢いていた。 「弱かった自分が嫌だったんでしょ?」 煙と血の匂いに混じった囁きに、シュウの呼吸が詰まる。 否定の声を出そうとしても、喉が閉じて音にならない。 「だから…俺は…」 絞り出した言葉を、聖が微笑で押し戻す。 その声音には叱責も悲哀もなく、ただ穏やかな慈愛だけがあった。 「でも貴方は変われなかった」 彼の視界がぐらりと歪み、気がつくとそこはシュウが両親と住んでいた家になっていた。 ドン、ドン、と机を叩く音に、思わずシュウは頭を抱えて呻き声を漏らす。 ヒステリックな母親の起こすそれは、彼の心に未だ強いトラウマを根付かせていた。 思わず目を逸らすと、どこからかアスファルトの匂いが鼻を刺す。 蝉の声、クラクション、子どもの泣き声。 音が次々に混ざり、再び世界が過去と現在を曖昧に溶かしていく。 横断歩道の白線が、血に濡れて黒く滲んでいた。 その中央に、リョースケとタカアキが倒れている。 ひとりはまだ息がある…だが、もうひとりは完全に動かない。 「ぐっ…これは…!」 シュウは自分の影から伸びる赤い血に後ずさろうとするが、足は動かない。 現実の冷たい壁に背中がぶつかり、それ以上後ろに下がることはできない。 「ねぇ、覚えてる?祭後くんがみんなを裏切った日」 その声が次第に変わっていく。 舌の動かし方が、音の響きが、少しずつ聖のものではなくなる。 目の前の彼女が、リョースケの声で言った。 「……どうして、来てくれなかったの?」 シュウの胸が凍る。 何年も封じていた音が、目の前の聖の口から漏れていた。 息が乱れ、声が掠れ、机を叩く音が鳴る。 「俺が、臆病だったから」 「自分がかわいいばかりに…お前なんか友達じゃない。勝手に思い込まれて迷惑だ…!」 声が熱を帯び、今度はタカアキの声が空気を震わせる。 シュウは耳を塞ごうとするが、その声は体の内側から響くように届く。 「当然だ!俺はお前たちに相応しくない!」 「─タカアキくんとリョースケくんが、貴方を赦してくれると思うの?」 彼女がそう囁くと、世界の音がすべて止まった。 蝉も、車も、風さえも消えた。 残ったのは、血の匂いと、聖の声だけだった。 「俺に、赦される資格は…無い…」 「そう。誰が一番悪いかなんて知ってるんでしょ?」 涙がこぼれるより早く、心が音を立てて折れていく。 「俺がいなければ、誰も死ななかった。俺がいなければ、誰も壊れなかった…!」 「そう。君はできもしない、ありもしない都合のいいその場しのぎの"イイコト"を話して…希望という名の病原菌をばら蒔いてるの」 その瞬間、空気が切り裂かれたように冷たくなった。 聖のか細い声が耳から離れず、刃のように柔らかく心臓にめり込む。 彼女は顔をグッ近づけ、息が触れるほどの距離で囁いた。 「それって凄く…無責任じゃない?」 血と夜が、静かに混ざりあっていた。 聖の声は、もう耳ではなく、頭の奥から直接響いていた。 その音は祈りのように柔らかく、それでいて神の断罪のように冷たかった。 「祭後くん、君はね─"光"になりたかったんでしょ?」 囁きながら彼女はシュウの手を握る。 その指先は白く、まるで教会の聖像のようだった。 「俺は、タカアキの変わりに誰かを照らしたいと思ってた…みんなの、理想に…」 懺悔のようなシュウの言葉を聞いた聖は、鼻で笑った。 「貴方みたいな偽物の弱い光じゃ、ただ影を生むだけ…それがわからなかったのかしら?」 「だから妹も友達も街もみんなその影に負けて、内へ沈んじゃったの」 悪夢に現れる自身を何処かへ引きずり込もうとする腕─その正体は、自分の振り撒いた病原菌の被害者…シュウはそう確信した。 その事に気づいたシュウは、声を出そうとしても言葉が粉になって崩れるだけだった。 頭の奥で、誰かの叫びと泣き声が混ざり合う。 「違う─俺は…みんなを…!」 「守りたかった?違うわ。君は自分が傷つきたくなかっただけ」 口の中を噛みながらようやく絞り出した声は、聖にあっけなく否定される。 その瞬間、視界の端で何かが光った。 沈黙していたはずのメタルグレイモンViの身体が、突然、痙攣したように震えた。 装甲の継ぎ目から、黒い液体が滲み出す。 「ほら─アレが君の中にあるものと同じよ」 「パートナーデジモンってね…自分の足りないところや、鏡のような存在だって言われてるの」 聖はシュウに後ろから抱きつくと、腕でその顎を力強く抑える。 メタルグレイモンの胸部装甲が破裂し、内部から黒い光が脈打つように広がる。 シュウの目蓋にかけられた指が、その光景を強制的に凝視させる。 「綺麗な理想の下には、いつだって腐った真実がある。君のデジモンは、君の心に似た構造をしてるのね」 「そして…それこそ私が欲しいもの…」 聖は鈍く光るデジヴァイスicを見て、ニヤリと笑った。 闇の塊・ダークマター…それは、あらゆる異世界の“破壊”が凝縮された究極の力。 シュウの足首を縛る見えない力…それは物理的な力でも、絶望でもなく、自己否定という名の鎖だった。 聖の声が再び、真横から囁く。 「君が"理想"を掲げたから、誰も救われなかった。君が"希望"を語ったから、誰ももう笑えない」 シャイングレイモンが目を光らせ、再起動するかのように立ち上がる。 熱と圧力が周囲を歪ませ、空気が鳴き、ビルの壁が軋み、窓ガラスが一斉に悲鳴を上げて割れた。 「だからね、祭後くん」 その声は甘く、破滅の鐘のように響いた。 「──君が死ななきゃ、この世界は前に進めないの」 聖の腕が緩んだ瞬間、シュウは無我夢中で走り出した。 瓦礫を蹴り、崩れた壁を掴み、ただ出口を求めて。 胸の奥で、何かが悲鳴のように軋んでいた。 夜風が肌を裂くように冷たい…焦げた街を抜けると、街の中央で黒い渦が蠢いているのが見えた。 メタルグレイモンVi…彼の全身を包む炎はもう赤や青ではなく、黒だった。 闇と光が同時に燃え、夜中をどこか美しい黒光で染め上げる。 「メタルグレイモン……!」 声が届く前に、空気が裂けた。 黒い渦を纏ったメタルグレイモンViが、一直線に迫ったシャイングレイモンを逆に殴り飛ばしていた。 シャイングレイモンが高層ビルに叩きつけられ、一気に下層まで砕ける。 「もう…俺はつかれたよ…」 メタルグレイモンViの胸の奥から漏れ出した怒号と共に、翼が広がる。 まるで世界そのものを呪うように、火が爆ぜると周囲の建物が焼き払われた。 彼は黒い炎の前に立つ。 熱で皮膚が焼け、呼吸ができない…それでも、もう一歩だけ前に出た。 呟きが震える唇から漏れ、瞳の奥に燃え上がる黒い光が映る。 それは、彼自身の"理想"が燃え尽きる光でもあった。 「ごめんな……」 震える声で、彼は呟いた。 その言葉に反応するように、メタルグレイモンViの鉄爪が振り下ろされた。 地響きと共にシュウの身体は消し飛んだ。 音も、風も、止まった。 メタルグレイモンViの白い眼が揺れる。 手のひらの下から流れ出す赤を見て、彼はようやく理解した。 自分が潰したのは、最も信頼し、最も尊敬し、最も救いたかった存在だったのだと。 「─────────ッ!!」 空を引き裂く絶叫が轟き、黒が一瞬、白く反転する。 暴走するエネルギーが波となり、空気そのものが割れる。 "理想の兄"の指示を受けたシャイングレイモンが光を纏い、突進してくる。 黒い光の波に押し返されつつも、なんとかそれを振り払い肉薄する。 ─だが、次の瞬間に光竜は引き裂かれていた。 メタルグレイモンViの凪いだ一撃が、まっすぐにシャイングレイモンの胴を払い、両断した。 シャイングレイモンの呆気ない撃破に驚く"理想の兄"、凄まじい状況に焦るミヨ。 「デジモンイレイザー様。どうやら、メタルグレイモンの中に埋め込んだダークマターが…完全に覚醒したようです」 彼らの背後にデジタルゲートが発生すると、赤翼を揺らしながら怪しく笑うブラックセラフィモンが現れた。 闇の渦が唸り、空を飲み込む。 メタルグレイモンViの眼から涙のような光が零れ、溶け崩れる声が確かにシュウの名を叫んでいた。 装甲は泡立つように剥がれ、筋肉の影に走ったデータの線が崩れ…まるで存在そのものがエネルギーとなっていくかのようだった。 足元に倒れたシャイングレイモンもまた、沈黙したまま光の粒子を溢れさせるとその巨体が紫竜の破片と混ざりあい始めた。 半エネルギー体となった二つの竜は境界を失い、ゆっくりと…だが確実に融合していく。 無差別に開くデジタルゲートから、デジモンたちが降り注いだ。 爬虫類の影が電線を引き裂き、翼を持つ魔獣が道路を貫き、混乱だけが、大地に広がっていく。 「あれだ、あれがワタシの求めていたもの……!」 ブラックセラフィモンの声が、嵐のように高まった。 「ふっ…もう貴様たちに用は無い」 黒い天使はミヨたちを一瞥するだけで切り捨て、赤黒い残光を引いてメタルグレイモンViへと迫る。 光よりも早くゼロ距離へ、肉薄した。 【エクスキャリバー】 袖の奥から展開された光刃が、半溶解したメタルグレイモンViだった胸の裂け目へ突き刺さる。 「さぁ、ワタシの物となれ─最強の力よ!」 エクスキャリバーの先端から光が溢れ、同時に闇が吹き出し、炎と黒煙が天へ昇る。 その光景は、まるで世界の心臓が露出したかのようだった。 「なっ…これは…ワタシさえ取り込もうとしているのか…!?」 ブラックセラフィモンは刃を引き抜こうともがく─だが、遅かった。 闇は刃を伝い、腕を蝕み、羽根を汚し、天使の身体は泡立つように溶け出した。 悲鳴を上げる暇もなく彼の輪郭は崩れ、あっけなく半エネルギー体となり…メタルグレイモンViと混ざりあっていく。 周囲では、降り注いだデジモンたちすら形を失い、触れた者はすべて溶けて混ざる。 地面に落ちた血が、コードの文字列へと変換されていく。 「あらら」 デジタルゲートはさらに拡大し、渦巻く空の裂け目から何か巨大なものが落ちてきた。 そのあまりにも巨大な物体を見た聖は、思を声を漏らして笑った。 それは、電子の砂を纏った巨大な地殻─それは、デジタルワールドだった。 ひとつの大陸が丸ごと、空から落下してくる。 街に黒い粒子が溢れ、建物が溶けて霧のように散り、空が血のように赤く染まる。 世界は、静かに滅びを迎えようとしていた。 その黒いエネルギーの余波が触れた瞬間、ミヨの瞳の奥で何かが剥がれ落ちた。 「あ……れ……?」 声が震えた。 ミヨはあわてて辺りを見回し、胸を押さえ、息を浅くしながら後ずさる。 足元にいたロップモンも耳を震わせ、必死に彼女の足にしがみついた。 「なっ…なに…?なにが起きてるの…!?わたし、どうして……ここに……!?」 その声は、先ほどまでの狂気の檻を脱ぎ捨て、ただの少女の声に戻っていた。 ついに彼女を蝕んでいた疑似人格の残滓が剥がれ、闇の支配が消えていく─しかし、救われるには遅すぎた。 都市を包む黒い嵐の中心で、今にも衝突しそうなデジタルワールドの下で、メタルグレイモンViは完全に崩壊しつつあった。 半エネルギーの肉体が収束し、螺旋を描きながら地の一点へと押し潰されていく。 やがて黒い閃光が爆ぜると、巨大な白い卵がそこに残った。 都市の瓦礫より巨大で、月のように冷徹で、血のような赤い紋様だけが表面を脈打っていた。 ドン、ドン、ドン…卵はゆっくりとした深い鼓動で空気を震えさせながら、徐々にひび割れていく。 表面の紋様が眩い光を放ち、殻がはじけ飛んだ。 破片が爆風となって散り、空の裂け目へ吸い込まれていく。 そして─白い霧の中から"それ"が姿を現した。 膝をついたまま、巨大な影がゆっくりと身を起こす。 異様なほど白く、異様なほど美しく、異様なほど無機質だった。 その存在には魔も善もなく、ただ"終"だけが宿っていた。 立ち上がった影は、天を貫くほどの体躯で、空を見上げる。 パキン─冷たい響きを残し、その瞳が赤く光った。 その瞬間、空の色が変わった。 赤い雲が裂け、虚無の風が吹き抜け、世界がひとつ深い呼吸をする。 だがそれは、希望でも秩序でもない。 ただ、終演という概念が形を得たもの…それだけだった。 【アルファモン:究極体】 ・03 火傷はようやくかさぶたになってきて、触るとまだひりっとするけど「もうすぐ退院だね」と看護師さんは笑った。 その顔を見ながら、私はただ「そっか」と思った。 帰りたいとか帰りたくないとか、そういうのはなかった─家はもう無いから。 赤いゆらゆらが壁を食べて、天井も服も、とけるみたいに白くなっていった。 熱かったけど、それはそれで面白かった。 "人が燃えると、こうなるんだな"って。 その日の昼頃、病室に誰かが運ばれてきた。 ストレッチャーがきしんで、小さな足音が走って、点滴のスタンドがカラカラ鳴っていた。 カーテン越しに聞いた医者の声はひそひそしていて、どうやら自分を傷つけたらしいと話していた。 お父さんは全然来なくて、お母さんは離婚していないとかなんとか。 看護師さんたちは「かわいそうね」と口々に小さくつぶやいた。 ─かわいそう。 その言葉が、頭の中でゆっくり響いた。 どんな子なんだろう…どんなことがあって、そんなふうになったんだろう。 知りたくなったから、カーテンを開けた。 そこにいたのは、暗い顔の男の子だった。 光の届かない水の底みたいな目をして、右腕にぐるぐると包帯を巻いて、俯いたまま小さく呼吸していた。 「……だれ」 か細い声でそう言った。 びっくりもしないで、ただそのままこちらを見た。 全部に絶望したみたいな顔をしていたのに、すごく、綺麗だと思った。 この子はどんなふうに終わるんだろう。 どんなふうにもっと壊れていくんだろう。 見ていたら、きっと綺麗だろうな。 気づいたら、そんなことを考えていた。 だから、私は笑った。 「おはよ。元気?」 おわり .