「おや、坊。また来たのかえ」  艶やかな声。気安い印象を抱かせる、軽やかな声色が薄暗い牢に響く。黴臭い空気の中にあって尚、深緑を思わせる気配。さざ波のように広がる声が耳に届いた。  呼びかけである。誰かが、自分ではない誰かに呼びかける声である。  であるからして、ここには二者の存在がある。  一方は少年。  黒髪の、投げかけられた声にびくりと震えた、気弱そうな立ち振る舞いの少年。白い水干と紺色の袴を身に纏う齢十程の――牢の前に立つおのこ。  一方は女。  銀色の、円熟した気配の女。年長者としてのものか、或いは本人の気質故か、滋味ある柔らかい声を投げかけた当人。襤褸切れとしか見えない着物の残骸を身に纏い、肌の大部分を露わにした、煙管を咥えたままに縛された女。 「……また来いって言ってたから……」 「はて。婆は、婆の無聊を慰めるのに付き合うてくれんかの? とは言うたが……来いと望んだ覚えはないぞ」  少し恥じらうような、憮然とした面持ちの少年。  そして、こてん、と首を傾げる女。その動作に伴ってふわと揺れる煙は、女の意志に従って渦を巻くように牢内を巡ってゆく。それは銀糸か、或いは霧の如く。薄れることもないまま回るそれは親類の幼子に対して円状の煙を吐き出してやるような手妻とは異なる。ならばこれも女の――女怪、椏腥太夫の力によるものか。 「……」 「ああ、ああ。拗ねるな坊。坊は優しい童よな。婆が哀れで語り相手になるべく赴いてくれたかや」  少年のむっとした顔をみて椏腥はくすくす嗤う。黒い紅が塗られたものか、或いは人外故にそもそもの色彩がそうであるのかは定かではないが、黒い唇に縁取られたその口腔は炎すら霞む程に赤々として、蒼白に近い肌に良く映える。  ちらりとそちらを見返した少年は、口元の三色の取り合わせに思わず見惚れてしまい、すぐさまジロジロ見るのも失礼だなと思い直して視線を巡らせる……が、けれどその余りにも刺激的すぎる居姿に慌てて視線を明後日の方へと再度逸らし直した。人界には存在し得ない規模感の肉付きと、それを何一つ隠せていない布きれの取り合わせは十を迎えたばかりの幼子の眼前に出して良い姿ではない。……いやそもそも公共の場に出して良い肢体ではない。   「……椏腥太夫はなんで家の地下に封印されているの?」  ふいと逸らされた視線のまま投げかけられた唐突な問い。  視線の逡巡を誤魔化すための会話の内容については、少年自身もその故を理解しているつもりではある。  けれど、それは少年の本心からの疑問でもあった。  椏腥太夫。大凡千四百年前程に初めて公的記録に名が記された古き龍人種の一個体だ。  ……龍人種、と少年の家や国内の退魔の家々は椏腥をそうラベリングしているが、厳密には異なる種、外来の種であると見做されている。  邪悪にして残忍。  嗜虐的にして狡猾。  獰猛でありながら理知的。    人を餌としてしか見ていない訳ではなく、人に近い感性を保有しても、しかし人と協調することはない。  命を奪うことに愉しみを見出し、刃を以て刃向かわれ、傷つけられることであっても楽しみを覚えられる。  その癖、単体の戦闘能力が他氏族の龍人種と隔絶している……そんな、手の付けられない存在であったのだとか。  敵対的な妖の大部分が駆逐されて久しいこの現代に住まう少年であっても、聞くだけで生存を許して良い存在ではない事が分かる。  しかし、今は封印されている。――本当に?  それも、相手は牢内で、自分は牢外。そして当の本人は想像よりも朗らかで、友好的な態度を執っている。  ……だから、会話くらいは良いだろう。    打算が混じった会話であったが、あからさまでもあった。幼子の考えることなどその程度だということでもあり、椏腥もそれを理解しているから目くじらを立てるつもりもない。 「坊、そういう問いは本人に聞くものでは無い。……ま良かろ」  坊、座りや。  だからそう告げて椏腥は口の端に煙管を咥え、口の隙間から器用に煙を吐き出す。  散る事無く渦巻く紫煙は椏腥の遍歴の長さのよう。    ……そもそも煙管を咥えているが、その内に詰められているのは何なのだろうか。こんな所にたばこの葉も何もないと思うのだけれども。  そんな事を考えながらも素直に正面に――床の塵埃を少し払ってから――座る少年。その育ちの良い姿にくすりと嗤いながら椏腥は口を開く。 「そうさな、やはり婆と婆の子らは殺し過ぎたのが因ではなかろうかや」 「殺し過ぎた?」 「うむ。婆の氏族は、殺す事を楽しんでしもうた」  滔々と椏腥は語り出す。己が産み育てた子らが、人を楽しんで殺して来た過去を。  みやこより攫って来た若人の手脚をもぎ取って食い殺した事。  いくさ場にて相対した武士の心臓を貫いて殺した事。  食う必要があって殺した事が多く、けれど椏腥と椏腥の子らは、“食う必要もないのに”殺してきた事。 「無論、誰であれ、何であれ、この星に生きるモノであれば概ねは変わらざるや。誰とて生きるために他のものを糧としなくてはならぬのは同じ事。それは婆のような龍の民も、坊のような人の民も変わらぬ。そして、そこに善きも悪きも無い」 「無いの?」 「無いに決まってるおろうが!」  己が体内に足りない熱量を外界から摂取して性能を維持する。生命としての機能、当然の前提に善悪を問われても困ってしまう。  そもそもそんな馬鹿な話をし始めるのは概ね“その視座”に辿り着く迄に誰よりも他者を食い潰して歩みを重ねて来た高等知性体であるのだから、それは笑い話だ。  因を論ずるならば始原の祖先、海中に漂う泡であったものが体内に異なる存在を取り込んで己が機能とし、活動圏を大きく広げたその瞬間にまで遡るのだろうが、そこまで行くとそもそも生命をこのように育んだ母なる星を糾弾しなくてはならなってしまう故にそれもまた意味がない。  よって生きる為の糧を殺して得る事を否定する事は同時に己が立場の根幹を否定する愚行であり、故にその是非を問う事自体に意味がなく、ならば翻って生きるために殺す事は罪でもなんでも無い。   「──とまあここまでは分かるかえ、坊」 「まあ、うん」  といった内容を煙管をコンコンと打ち付けて灰を叩き落としながら椏腥は熱く語る。  一方の少年は「(この間『よく分かる!地球の歴史図鑑!』で読んだ、生物が酸素を使って生きるようになった話のことかしら…)」程度の反応であるが、一応は椏腥の言いたい事は飲み込んでいるので問いを投げ返す。 「でもおばあちゃんの話は良いか悪いかでしょ? 楽しむ楽しまないの話ではないよね?」 「そこよ。今婆は確かに“生きる為の糧を得る為に殺す事は善きも悪きもないわ“と言うたが、では猫が獲物を甚振ってから殺す事は善きか悪しきか? 獲物を狩って生きる命がその行いから逃れ得ぬのは当然の事よ。本能である故な。これもまた断じるものではなかろ」  猫科の動物は捕らえた獲物を甚振ってから殺す事がある。  ただこれは捕食本能の発露だとする言説が一般的であり、楽しんでいるかどうかは椏腥の言葉に反して些か微妙な位置にある。  幼子を言い包めようとする老賢の繰り言、といえなくもない。 「……じゃあおばあちゃんの一族が人を襲ってたのは本能だから仕方ないってこと? それだったら僕はもうお話しないけど……」  そして何となしに「これは自分を言い包めようとしているな?」と気付いたのか少年は腰を上げようとする。利発な子である。500年に一人の神童と謳われるだけはあった。  ここから立ち上がって歩み去ってしまったなら、その言葉通りに少年が椏腥と言の葉を交わす事は無くなるだろう。  なればまた暇な日々が始まってしまうではないか、と慌てて椏腥は呼び止める。 「待て待て、逸るな坊。婆が言いたいのはな、詰まるところ”それが生来のサガであるなら善悪は無い。しかしその行いに対する他からの好悪は付いて回る“という話よ」 「えーと、つまり?」 「婆の一族がそういうサガである事は致し方ないが、それを危険視されたのであれば婆に申し開く事はない、という事よな」    椏腥の氏族は人を襲う事を生存の内の楽しみの一つとした。  人は自らに危害を振り撒くその生態を自分達にとっての悪とした。  よって互いに相争い、そして椏腥の氏族が敗れた。  ただそれだけに過ぎない、と椏腥は語る。 「故、汝らに敗北し、脚も翼も角ももぎ取られたが負けた事への恨みは無い。そして反省もしておる。千年も暇であったからの」  暇でなければ反省などしない、と言わんばかりの口ぶりだが、逆にいうなら反省は本当にしているようだった。少なくとも少年の目からは、反省している、という言葉は真実に思えた。    だからこそ、少年の態度は今の問答を経て劇的に軟化した。千年の囚われた日々を哀れに思ったのか。或いは、千の年を経ても尚美しい存在の来歴に同情を抱いたのか。  気が付けば脚を抱えて体育座りをしていた少年は、牢の眼前で正座になって椏腥との会話に勤しんでいる。 「……千年も何してたの?」 「する事はなかったぞ。殺しきれなんだ獲物に余生の過ごし方に関しての選択肢を与えるほどヤスチカは心ばせびとならざりや」    何もない、ここに在るのは石とまじないと埃のみであったよ、と肩を竦める椏腥。 「じゃあそれは?」  今口に咥えているその煙管は何なのか、と少年は問う。 「これはヒロミツが婆に投げ寄越したモノよ……ああ今のは言葉の綾故気にせずとも良い。頑丈でな。ずうと咥えておったが、ほれ八十ほどの年前に地揺れがあったであろ? あの際に取り落としてしもうてな。先日坊に拾われ、こうして婆の口を慰めおる」  くいくい、と口に咥えたまま煙管を上下させる椏腥。  また落としても拾ってあげないよ……とその姿に呆れながらも、少年は胸を躍らせていた。  ヒロミツ……即ち土御門煕光。昭和初期に少年の家の当主であった人物であり、当時の帝都に潜む陰謀を打ち砕いて回ったとされる伝説的な現代退魔師である。若くして早逝してしまっているが、時代遅れとなりつつあった退魔の術を電気文明下でも存続させるべく術式のふぉーまっと整理を提唱した功績は大きい。  そんな偉大な先人が、今自分が座っている場所で同じ相手と会話をしていた……。  それはその才質を以て100年に一人の神童と謳われながらも、未だ全霊を発揮する機会を得られない気弱なおのこにとって、あまりにも胸のすく甘美な響き。 「煕光様に貰ったものだったんだ……」 「うむ。ヒロミツが最後に赴いたのはおおよそ百年ほど前かの」 「すごい……! 煕光様とどんな事話したの!?」 「おおう……急にずいと来るではないか坊……ヒロミツとの語らひ事……そうさなあ……」  ……いつの間にか、少年は身を乗り出して椏腥との会話に勤しんでいた。  椏腥の口から語られるのは現代退魔師の祖とも呼べる天才の幼き日の姿だけではない。  既に根絶されて久しい古き種と相対した経験を持つ古強者としての語り。  退魔師の全盛期であったとされる平安期を敵対側から知る古妖としての体験。  この列島にクニが生み出された黎明期をすら見た永きを生きる古賢としての含蓄。  全て、全てが少年にとっては眩いものだったと言えるだろう。  故に、少年は興奮に頬を赤らめて、そして時折椏腥のあられもない姿に顔を赤らめて、その言葉に耳を傾けて続けるのだった。 「――ありがとう、おばあちゃん! また来るね!」 「おうおう来やり来やり。汝らにとては日々は短いものよ」  そうして、少年がもう地上に戻らなければ、と思い至り、立ち上がるその時。 「であるがな、坊」  悪龍は語り出す。 「坊ばかりが得をするでは公平でなかろ? 婆にも何か見返りはあって然るべきではないかえ?」  にこやかな声だった。  それは正に、祖母が己が家に遊びに来た孫らを慈しむような声であった。  だから、それは本当は見返りなど求めていないのだ。ただ会話の流れが生んだ、ささやかな戯れに過ぎない。 「何かって……例えば?」 「ふむ……譬ば、この牢の封を解く、などどうか?」 「駄目」  ――――ぴり、と空気が張り詰めたのを、当事者以外に感じ取れる第三者は此処には居ない。 「ああ、心解きて聞きや坊。婆はもう昔のような事はせぬ。山の奥に潜みて山河の獣で腹を満たして生きようではないか」 「駄目」    ――――ぴしゃり、と言い放つ少年。その立ち振る舞いは先ほどの物とは異なり、どこか腰を落とした半身の構えとなっている。 「この千年で婆は己が身を知った。本来ならば人を喰らわずとも生きていけるとな。喰らわずとも良いモノを喰うために無用に争うのは意味がない。ならば大人しく隠居を望んでもよかろ?」 「……駄目」  少年の目は警戒と、……僅かな葛藤に細められていた。  反省したという言に嘘はないのではないか、と少年は直感的に感じ取っている。自分に面白いおかしな話を山ほどしてくれる目の前のおばあちゃんは、もう危険ではないのではないか、と。  しかし、同時に、少年には己が直感を全能視するほどの自信を未だに持ち合わせていなかった。  故に、此度もまた、椏腥の言葉を信じる事はできない。“まだ”、椏腥本人よりも一族の言い伝えの方が彼の中では重いからだ。 「……嘘かもしれない」 「婆は嘘は言わぬ。龍の民は得てしてそういうものよ」  ……これも事実だった。  龍の民、龍人種は、嘘を言わない。  彼女ら――雌性体が種族特性として多い故の三人称――は純粋だ。繰り言を好まない。  これもまた、一族の言い伝え。 「……」  少年には判断が出来なかった。  信じたいが、信じても良いのかと自己懐疑し、信じても良い理由を探している。  二律背反――いや、信じたい感情が二であり疑念が一であるから背反できていないのだが――の中でじりと後退りする少年に、けれど助け舟はすぐに出される。 「……いや待て坊。今すぐの話ではない。将来的に、の話よ」  坊が成長し婆を汝らにとってより安全だと思える程に弱体化させられたなら、という但し書きが付くであろ?  とあっけらかんと述べる椏腥。 「……それを早く言ってよ……!」  急速に弛緩してゆく空気。どっと吹き出た冷や汗を拭い、少年ははあ……と息を吐く。 「すまぬすまぬ。……ふむ、坊がそんなに物思ふであれば、“誓約”を施しても構わぬぞ?」 「……おばあちゃん胡散臭い……」 「年増とは言えどおなごに向こうて臭いとは何事ぞ。それに龍の民は快い匂いしかせぬ。婆も昔は子らに「母様は甘い匂いがする……」と擦り付かれたものよ」    はいはい、と話半分に聞き流す少年であったが、内心では好気なのではないか、と考えていた。  千年来封印され続けて来た悪龍、椏腥太夫を誓約で以て無害な物とできるのであれば、きっと父様も母様も自分を褒めてくれるのではないだろうか、と。  子供らしい、浅はかで、どこまでも純真な希望。  それもまた善い悪いの区別を付けるべからざる物だ。  子は、そのぼやけた希望を足場として成長するのだから。   「……じゃあ、おばあちゃんはもう人を襲わない。襲ったら死ぬ! これなら良いよ、いつか出られるようにしてあげる!」 「……坊、汝は意外と苛烈な所があるな……まあおのこなどそれでこそというところか。うむ、良いぞ。婆はこれより後人を襲わば死ぬ。その条件で良い」  ――誓約、とは太古より存在する極めて原始的なまじないの一つである。  通常の術が一方から他方に無理矢理働きかける物であるのに対し、誓約は双方からの相互作用である故に、本来ならば術が作用しない程の総力差があっても成立するという特性を持つ。  互いの力で成立した誓いを相手だけに背負わせる、と言っても良い。  無論これは「人が砂山であるなら、彼女らは木々の生え揃う真なる山に等しい」とまで言われる程の総力差を持つ龍人族相手であっても同じだ。いや、むしろ相手は己が捻出した力をそっくりそのまま自分に覆い被せさせられるのだから、龍人族にとっては天敵のまじないである、とまで言える。  そんなものを、簡単に受け入れた。  自分が、受け入れさせたのだ、という感覚。 「…………!」  ぱちぱちと力の弾ける感覚、術が成立した感触に閉じていた目を開ければ、椏腥の首元に新たに施された紋様は、レース編みのチョーカーのようだった。 「……ほう。これはこれは……なかなかやりおるな。思ったよりも強く刻まれおった」  別に破ったりする気はないが、想定したよりも坊の割合が多いの。と感心したように呟く椏腥。 「坊は案外、歴史に名を残すおのこになるやもしれんな」  つい、と視線の会った先にある、蒼い瞳。くすりと嗤う美貌に、少年はぽつりと頬を赤らめた。  その感情が何であるのかは、少年自身は未だ知らず。  恥じらうように「もう行かないと……」と立ち去ってゆくその背に、「また来やれよ」と見送る椏腥の声が届く。  悪龍と謳われたもの。解いてはならぬと伝えられたもの。  されど悔い改め、己が行いを顧みた美しきもの。  それを、己が手で良い方向に向かわせることができるかもしれない。そんな甘美。 「……頑張らなくちゃ……!」  ぐっと手のひらを握りしめて、少年は地上へと戻っていくのであった。    ……少年は気付くことはなかったが。  椏腥には一つ、口にしていない事があった。  否、敢えて“どうとでも取れる”程度にしか語らなかった、というべきか。  確かに椏腥は、椏腥太夫は反省している。  もしもこの牢より解き放たれたなら、山奥で蟄居して暮らそうと思っている……というのも嘘ではない。人を食わずとも生きていられる事を自覚したのもまた事実だ。  しかし、しかし。  椏腥が反省したのは、あくまで「人に氏族全体が敵視される程の積極的な娯楽殺戮行為」でしかなく。  悪龍、椏腥太夫は悪なるモノだ。  それも、他の龍人種よりも、ずっと“人間的”な悪性を持つ。  よく言えば純粋、悪く言えば単純な他氏族とは違い、彼女は人間の悪性に近似した性質を持っている。  己が行いを悪であったと認め――――敵対視されてしまったなら仕方ないと開き直り。  己が行いをもうしないと悔いて――――それ以外の手段であればまあ良いだろうと考え直し。  己が行いを改めて――――次はもうちいと上手くやろうではないか、と嘲笑い。  己が行いを表明する――――後々に嘘は言っていないぞ、と踏み潰すために。  そう、椏腥は、椏腥太夫は、確かに反省した。  しかし、人を殺す事を楽しむ、という己が性質に付いては、何一つ改心などしていないのである。  その暴虐を体現したかのような威姿と古き真名を以て椏腥太夫――大元より分たれた、血風に塗れた大いなる女怪――と名付けられたそれは、例え千の年を経ようとも依然悪の華なれば。  これが彼女の出自に依るものであるのか。  または彼女自身の性質に依るものなのか。  或いは……或いは、彼女の大元。彼女が分たれたるより前の、十冠を戴く七頭の――――――。  否、多くは語るまい。  仮にそうであったとしても、それは“元を辿れば人の悪性”に過ぎない。  そして既にそれを語るには、人の世は時を隔て過ぎていた。    故にそれを知る者は誰も居らず――――ただ暗い牢の内には、くつくつと嘲笑う悪龍の姿だけが在る。