私達ウマ娘の耳はとても表情豊かに動くことで有名だ。くしゃみを自分の意志で抑えられないように、耳に感情が出るのは最早生理現象と言ってもいいくらいに。
『ばか、きらい、あっち行ってよ』
テレビの中で、ウマ娘の女優が俳優に背後から抱き締められる。台詞とは裏腹に、女優の耳は嬉しそうに垂れていた。俳優も彼女の気持ちを察して、抱き締めるのをやめない。
彼女の演技力は素晴らしい。本心では彼を愛しているウマ娘の複雑なキャラクター性を台詞と耳で見事に演じ切っている。やがてエンディングテーマが流れ始め、俳優が甘い言葉を囁くとその日の放送は終了した。
ため息を吐くと、膝に乗せた手をきゅっと握りしめる。ドラマの中のシチュエーションに自分を重ね、その考えが甘えであると我に返る度に嫌になる。
口が上手くないのは自覚している。それでも、私は何でも伝わるトレーナーに、いつしか甘えていたのかもしれない。



彼はいつだって真摯に向き合ってくれる。私の拙い言葉を、受け止めて理解してくれる。いつもトレーナーから手を伸ばしてもらってばかりだ。
それなのに私は、彼の気持ちを推し量りかねている。感謝を伝えたくとも、愛を伝えたくとも、これだけ長く一緒にいるのにトレーナーのことがわからない。
いつだって笑顔を絶やさない故に、この笑顔が本心からなのかも、私に合わせているのかも自信が持てない。いっそ、彼にウマ耳がついていれば、ひと目で感情が分かればどんなに楽かと弱音を吐いたこともあった。
しかしそんな逃げ道は許されない。トレーナーの気持ちを完全に理解出来ないのは彼にウマ耳がついていないからではない、他人の気持ちを推し量る努力が私に足りていないからだ。
自嘲すら禁じ得ない。私は、怖いのだ。いつもすべてを受け入れてくれる彼の態度が、個と個の愛情から来るものなのか、立場上、関係を円滑に進めるための社交辞令なのかすら判断がつかない。
もしこの恋が一方的なものだったとしたら、彼を困らせてしまうのだと思うと、胸が張り裂けそうになる。



クリスエスが顎に指を当てながら眉間にシワを寄せている。そして時折こちらをチラチラと見ると、深く息を吐き出して視線を逸らした。
こういう時は大抵、僕に何かを伝えたいがどう言えばいいか逡巡している、もしくは言うのを躊躇っている時である。長い付き合いで彼女が何を考えているかは大体察することが出来る。
「どうしたのクリスエス、こっちおいでよ」
両手を広げて呼び寄せれば、彼女は少し躊躇いながらもこちらに目線を向ける。その歯切れの悪い視線から、きっと悩みのタネは僕に対してであり、尚且つ言い出しにくく、けれどもこうしてトレーナー室に居るということは本心では伝えたいものだと推理出来る。
それが当たっているなら由々しき事態だ。僕としては何でも聞いてあげるつもりであるし、僕に遠慮されることなんかがあればそれは言い出しにくい空気を構築した僕の落ち度だからだ。
それにトレーナーとしてではなく、大好きな彼女の望みであれば、僕個人として叶えてあげたいと思ってしまっていることだし。



クリスエスがこちらに歩いてきた時、絨毯が滑って彼女がバランスを崩した。普段の彼女らしくないことである。余程何かに気を取られていたのか。
しかしそんなことを考える間もなく、僕はテーブルにぶつからないよう彼女に手を伸ばすと、自分の側に抱き寄せた。勢い余った僕達は、そのまま後方のソファに倒れ込む。
彼女がソファから落ちて怪我をしないよう強く抱き締めたままソファに着地を決めると、胸板に柔らかい感触がぎゅっと広がった。それがあまり触れてはいけないものだと遅ればせながら理解すると、僕は慌てて彼女の身体を引き離す。
ハリのある感触、甘いシャンプーの香り、鍛えられた筋肉の上に乗った柔らかな皮膚、細長く絡みつくような肢体。それらを記憶から抹消するように振り払いながらクリスエスの両肩を掴んで起こすと、彼女は突然の出来事に珍しく呆然こちらを見下ろしていた。
「大丈夫！？」
声をかけても返事がない。ただただ、僕の身体の上に乗ったまま、すべての動作が止まっているようだった。



普段意識しないようにしていた分、鮮明に脳にこびりついたクリスエスの女性的な部分から思考を遠ざけるため彼女の瞳を注視すると、やがてクリスエスの視線が僕の顔だけでなく、下を時折確認していることに気がつく。
僕の意思とは無関係に、隠し通していた恋心が、クリスエスのお腹に当たりながら数センチほど彼女を持ち上げていた。それは最早自分の意志では抑えられない生理現象と言ってもいいくらいに。
慌てて肩から手を離すと、当然の帰結のようにクリスエスの身体は再び僕の上に落ちてきて、彼女の胸が潰れるように形を変形させた。
「ご、ごめん！」
謝罪をしたところで、宙に伸ばしたままの両手はもう彼女の身体に触れることが出来ず、だからといって触らなければこの状況は変わらず、八方塞がりだった。
しかもこの時僕はそんなことよりも、僕はクリスエスに嫌われてしまうのではないかという不安で頭がいっぱいだった。しかし彼女は逆に嬉しそうに耳を立てると、顔を近づけるように僕の身体の上をずり上がっていく。



「All right.ヒトも、気持ちが…身体に現れると――ロブロイから聞いている」
何を言っているのかはわからないが、クリスエスは軽蔑の目ではなく、慈しむような、穏やかな目をしていた。吐息を感じるほどに近づいた僕達の顔に危機感を覚え、彼女を引き剥がそうとするも両手首が素早く握りしめられる。
「同じ気持ち…So happy.お前の心を――感じる」
クリスエスの長髪が顔にかかるほど目と目が近づいた。手首に感じる握力は力強く、彼女の吐息は荒々しい。僕はなんとかこの不穏な流れを変えようと頭をフル回転させ、間をつなぐ。
「クリスエス……まずいから……」
その時、クリスエスが笑った。長年傍で見続けてきたから僕にはわかる。彼女は喜びで小さく口元を歪めた。
「ああ、伝わっている」
そう言うと、髪が降りてきて僕の目を塞いだ。感触だけが鋭敏になり、唇が貪るようにキスを受けているのがわかる。手首を握る彼女の両手が僕の手を握るよう移行し、すべての指を絡めて強く握られる。
言葉も表情もわからない時間で、止まって欲しいと伝えようと手を強く握ってみたが、逆に更に強く握り返された。