霊――殻より抜け出たもの。現世を彷徨う実態なきもの。 あるいは、化精。自然の力のほんの破片が、やがて形を取ったもの。 ゆえに、本質的に霊とは不安定なものである。常に寄辺を求めている。 彼らに一時の止り木を与え――代わりに、その力を借りる。 それが、例えば前者の――死霊との契約によって操るものは、死霊術師と呼ばれ、 後者の――自然霊との契約によるものは、特に、霊使いと呼ばれている。 自然霊は、司る属性に関連した、何かしらの生物の形を取ることが多い。 肉体を持ち、契約によって操られるそれらは、使い魔と表現される存在だ。 あるいは、術師本人の体を依代に、霊を宿らせ――人ならざる力を得ることもある。 体の操縦権を預けたり、身体能力を引き出したり、異形のものへと変身したり、 自らの肉体を供物とすることで――結び付きを高めるのだ。 しかしながら、それぞれに欠点、危険性はある――例えば前者においてなら、 同じ肉体を持つもの同士、物理的な衝突、不仲、契約解除―― そんなことは茶飯事で、餌代や飼育場所の管理費だって、馬鹿にできない。 では後者なら、触媒と自分の体の維持費で済むのか――といえばそうではなく、 肉体に、魂に異物を重ねる危険性は、前者の比ではないのである。 憑霊解除後に、肉体に大きな影響の残ることさえ―― 熱い吐息が、部屋の中に雌臭い香りを撒いていた。 言うまでもなく、それは今、夢中に己の胸を捏ね回す少女の口から漏れたもの。 分厚い服の生地越しにもわかる、その膨らみ――乳房の大きさは、既に、手に余る。 元々、同い年の――同じく精霊術の研鑽に努める仲間の中でも、大きかった。 異性からの目を――そして、もっとも原始的な欲求として、この胸を―― そんな邪な視線に気付かずにいられるほど、少女は幼くはなかった。 だがそれより更に――両手のひらから優にこぼれ出す大きさというのは、 同性に見られたってさえ――具体的には、仲間たちにさえ――見せられない。 いや、大きいだけならまだよかった。重いのだ。枷を掛けられたような気分。 そしてまた、張る。痛く、切なく、甘く火照る。先端を中心に、全体が。 乳腺に沿って、溶岩がその内と外とを通っているかのような―― 重量だけなら、彼女の操る地術の中にある、重力制御でも用いれば耐えられた。 この熱とむず痒さに抗う魔術など、誰に訊ねれば知れるのだろう。 そもそも――こんなだらしない乳を、人前に晒すのか?それこそ無理な話だ。 失策だった――反省しても後の祭り。新しい術法を試そうと、降霊術に手を出したのは。 そして、降ろす前にその霊が、牛やら何やらの動物霊であることを確認していれば。 霊の種類、術者との相性によっては、思わぬ影響が出ると書いてあったのに―― その結果がこれである。牛乳女、と心無い言葉を向けられた記憶はあったが、 まさか本当に――おそらくは雌牛の――霊と感応してしまうとは。 思考は後悔の泥沼を堂々巡り、しかして体はそのままで。 乳房を服越しに捏ねているだけではとても――足りぬのである。 焼け石に水、という言葉はあるが、無尽蔵に体内から押し寄せてくる“何か”は、 彼女の小さな手のひらごときでは、とても押し留めておけるようなものではない。 胸の付け根からゆっくり、指の腹にも力を込めて、先端へと押し出す感覚で―― 「――んっ…!」 熱の塊が、わずかに動いた気がした。だが一層、存在感を増したようにも。 もう一度、力を込めて――声が漏れる。背が跳ねる。腰が揺れる。脚が震える。 自覚こそしていないが、力を込めるごとに彼女の声はどんどんと上ずり、 眼鏡はずれ、髪は乱れ、崩れた着装の隙間から、汗の浮いた肌が覗く。 少しでも、体の中の、“これ”を吐き出してしまいたい一心で――指は、止まらない。 そして自然と上着を外し、下着の上から―― 「あっ――ひ、ぁ、あぁ…っ」 突端に触れず、乳房を恐る恐る絞ってさえ、これなのである。 足りない、まだ、もっと――頭の中に響く声は、果たして彼女のものだろうか? 張った胸ではとても収まらず、少し揉むだけで両胸がすっかり露わとなってしまって、 少女の指は、それまでとても近づけなかった――乳輪の縁へ。 ぷっくりと、段のできた乳輪――その中に、恥ずかしげに隠れた陥没乳頭。 彼女が自身の胸を恥じた理由の、また大きな一因でこそあるそれが―― 既にその半分ほどを覗かせた、いやらしい様相を呈している。 先程までの行為で、胸の全体から送り込んだ“何か”が爆発寸前のように―― 血流とは別の、あるいは生物のような力強い流動を、感じさせているのだ。 あと、少し――誰に教えられるでもなく、自然と、悟る。 指は止まらず、なおも動く。本人の意思を超えて、ほとんど別個の生命体めいて。 「あっ、あぁぁ――っ…っっ!」 決壊――否、破裂、噴出、そんな言葉が似合うほどの、莫大な快楽の奔流。 目がちかちかとする――眼鏡が何の意味も持たないほど、視界がぐちゃぐちゃになる。 ぴん、と二つの乳首は飛び出して、ぶるぶる、ぶるぶると胸のたわみに従って暴れる。 息の詰まる感覚――何秒かの窒息が、何時間もの海底探索のように引き伸ばされて、 そして不意に、一呑み分の酸素によって世界の全てに色が付く。白から極彩。極彩から白。 指が乳輪を踏み、乳頭を轢くたびに世界が白く融ける。 だが――まだ、本当の意味での“それ”がない。形を持っていない。 いよいよ、親指と人差し指が輪を描き――挟む。潰す。穿り、めちゃくちゃにする。 太さと厚みのある乳首が、ぎゅうっと圧され――減った体積の分だけ、先端から―― 白い雫が、噴水のように空気を割いて、そして、重力に引かれて、床を汚す。 二筋の橋――放物線を描いて、自由に、部屋の埃臭い空気をかき回し、散る。 「なんでぇっ…ぼく、したこと、ない、っのにぃ…っ」 言葉の通り、彼女は処女である。恋すら自覚のない、生粋の乙女である。 無論、男と肌を重ねたこともない。それが――一足飛びに、乳を噴き出しているのだ。 母のように。牛のように。とめどもなく、だらだらと、収まる気配がなく。 ほんのわずかに、振り返るだけの知性が彼女に残されていれば、その理由が―― その身に降ろした牛霊の名残であると、判断し――対策もできたであろうに。 流されるだけの少女には、もはや、自分の中にある“それ”を搾る他に何もない。 指が沈むたびに、情けない声と甘ったるい乳臭を垂れ流し、搾れば搾るほど、体が熱く。 誰に飲ませるでもないそれを、無駄にしたくなくて――乳房を持ち上げて、自分の口へ。 ほとんどがこぼれてしまうが、わずかに喉を通った乳は、甘露の如く胃腑を癒やす。 もっと、飲んで、欲しい――ようやく、思考が形になる――誰でも、いい。 彼女の視線は、やがて部屋の隅で主の痴態をぼうっと見ていた使い魔二匹へと―― 年に似つかわしくない、ぞっとするような色気を漂わせながら、手招きをする。 僕のこと、好きにしていいから――人ならざるものに、決して吐いてはならぬ言葉と共に。 その意味を知らぬのは、やはり彼女が生娘であったからである。 羽と角の他には、ごく一般の――野生にいる獣と、そう変わらない姿。 竜だとか爬虫類人だとかを使い魔にした仲間たちに比べ、どこか少女趣味じみている。 その格好の通り、普段の餌は精々が木の実、食べても果実か何やらだ。 そこに――人の体液、特に血液由来の乳の味など覚えさせてしまえば―― いずれも哺乳類を模しているために、愚かにも少女の警戒心は薄くなってしまった。 「そう…もっと…舌を…んっ、つよく…」 壁際にへたり込んだそのままに、二匹の獣が主の乳首に掴みかかるように取り付いて、 それぞれに、実に拙い動きながら――歯を立てず、溢れる白い蜜を舐るのだ。 授乳相手を見つけてからは、もはや搾るまでもなく母乳がだらだらと垂れ続け、 それを誰かが飲んでくれている――甘えてくれている、という事実によって、 なおのこと、全身が熱くなる。ほとんど愛玩動物めいた接し方しかしなかった相手が、 なぜだか赤子のように――愛しい相手かのように錯覚してしまう。 それはいかほど危険な感覚であろうか。 ぴちゃ、ぴちゃという皿の上から舐めるような音が――いつしか啜る音へと変化して、 やがて意図的に、歯を押し当ててまで、乳首を潰し、吸い、いたぶる音へと。 明らかにその調子は、既に赤子の飲むような生易しいものではない。 「あっ、あ――っ…っ!やめ、ちょっと…ん、ぁあっっ!」 体を起こすこともできず、ほとんど押し倒される格好で、少女は両乳房を嬲られる。 乳が出続ける限り、解放されないが――いつ止まるかは、本人にすらわからない。 人の体液の味を魔物に覚えさせてしまったのは彼女自身とはいえ、 もはやその意図――ほんの少し、収まるまで吸ってほしいという境界はとっくに越えた。 先程までの、胸を中心とした性的な昂りは――ここに来て様相を変える。 熱の位置が正中線を下り――臍の下へと。その中へと。抗い難き存在感を持って。 「はっ…ひ、ぁ…あっ、なんか…っっ、や、ぁ―――っっ!」 がくん、と股間が上に突き上げられる格好で腰が反り、ぴぃんと伸びた足の指がもがく。 飛ぶ、とそう表現するのが正しいか。意識に、明らかな空白が出現した。 自分一人では到達できなかった領域である。脳のどこかが破けたかのような錯覚。 じんわりと、血管を通って全てを白い靄の中に覆い尽くしてしまう、深い悦び。 「あっ…あ――っっ…ふっ、ひぃ、ぁあ…!」 呼吸の戻った瞬間に、少女の喉からは言葉にできない、吠声がこぼれて。 口の端を通る涎の泡を、獣共が舐め取る。それに無意識に、舌と舌とを絡めてしまう。 男との口付けより先に。人と人との口付けよりよほど濃厚に、三本の舌が混ざり合う。 唾液の立体交差が、一人と二匹――いや、三匹の頬をぐちゃぐちゃにし―― 誰のものとも知れない吐息で、少女の眼鏡は真っ白だ。その視線は隠れて見えない。 けれど、わずかに動いた唇から―― 小さな体に不釣り合いな性器を覗かせた雄共に、いいよ、と最後の一言が放たれる。 どちらの獣が先に動いたのか――少女の股座に二匹の獣は揃って頭を突っ込んだ。 布越しにも、その湿り気は露骨にわかる。尿ではない、雌の香りがむわりと昇る。 鼻息盛んな二匹をなんとか手で制し、最後の一枚を自ら剥ぎ取ると―― 汗と愛液とにびったりと肌に寝ていた茶色の陰毛が、外気に触れて一本ずつ起きた。 異性に見せることを意識してもいない、生まれつきの毛の形――ちょうど逆さの桃のよう。 挿入の許可を出そうと少女の唇が動くより先に、二匹は競って蜜を舐る。 「ちがっ…そっちじゃ、ないよぉっ…!」 乳首をしゃぶられるだけで、意識が切れるほどの快楽であったのだ。 それが、直に性器を、明らかな獣欲と共に貪られれば――結果は明らかだ。 「ひぎぃっ、あっ、ふっ、ぁっ――ひぃ――っっ!」 それはほとんど悲鳴に等しい。快感を受け入れられる器が育っていないのに、 想像より遥かに純度の高い欲を注ぎ込まれ――あっという間に、余裕は剥ぎ取られる。 ぱくぱくと、口を動かす主の上に、獣は跨って――ずぶり。赤い涙が腿を伝う。 そしてその痛みに服する間隙もなく、ぐちぐちに蕩けた処女穴を、獣の肉槍が抉り通す。 「あーっ…っ、ぁ、あ、っ…!」 少女の両手は、自身と床との間に敷かれる格好となった上着の皺を握り込むように、 ぐっ、ぱ、ぐっ、ぱ、と断続的に力が込められては、抜ける。そこに意思はない。 ほとんど反射――噛み砕けない快楽へのせめてもの抵抗――として繰り返されるのだ。 さながら筒である。獣共の与える快楽の、その三分の一も咀嚼できているだろうか? 「っ―――!っ、く、ひぃい…!」 大半は、このような無為な行為と獣そのものの声にて逃げてしまうばかりで、 またがくんと腰が動き――ぶしり、と絶頂の証、雌の発情潮が容赦なく飛ぶ。 いつしか止まっていたはずの母乳が、また勝手に両乳房からぶぴり、と服を濡らして、 その乳を飲むべきものを、早く宿せと体の主そのものに命令しているかのようであった。 少女を犯していない方の獣は、目ざとくそれを見つけては乱暴に舌で吸い上げ、 相方が終われば次は自分、と目と目で語る。獲物は奪うより分かち合うべきだから。 てめぇにただで力を貸してやっていると思っていたのか――といった意図を読むのは、 さすがに露悪に過ぎるであろうか?だが結果として、この様である。 もはやこの時点で、完全に主従関係は逆転した。少女は主より与えられる快楽を、 なんとか少しでも零さずに受け止めることにばかり夢中にされてしまって、 それが、自分の使い魔として使役していた存在――何年も可愛がっていた相手からの、 生々しい生殖――繁殖の欲求であることさえ、考えられなくなっている。 人と、人ならざるものとの混血など――この世には溢れているというのに、 片側が自分で、もう片側が彼らだと、想像すらせぬ無垢な有様だった。 雄の精を雌が子宮に受ければ、その帰結として子が生されてしまう――そんな常識を、 彼らに肉体を差し出す直前まで、少女は自覚すらしていなかったのだ。 そしてまた、彼らが健康で――つまり十分な繁殖能力を有していて、 しかもまた、己がそれを受けるに相応しい、健康な雌であるという危険認識も―― 「あ、っ――――ふっ…っ……ぁ、あれ――ぼく…」 びゅぶりと熱い塊が膣内に爆ぜる感覚に、もう何度目かもわからない絶頂から帰ってきて、 辺り一帯に漂う雄と雌の交尾臭に、少女の喉はごほり、咳を一つ吐く。 輪郭の定まらない思考の中にも、自分が何度も、彼らの精を放たれたことはわかる。 そして、自分が彼らのつがいとなるべく、堕とされてしまったのも。 快楽に希釈されていた全身の疲労と痛みが、どっ、とぶり返して、苦悶の声が出た。 御主人様たちが、まだいくらでも交尾を続けられそうなほどの精力をたぎらせて、 じっと、疲れ切った自分を見ているのを――少女は満面の笑顔で見返した。 震える指で、すっかり赤くなった乙女の残滓を開くと――二匹分の精が、ぼとりと垂れる。 どうぞ、と媚びるその顔は――もはや、あのときの少女のそれとは似つかなかった。 「だめっ、ですぅ…っ…あかちゃん、びっくりするぅ…っ」 壁に手をつかされ、代わる代わる夫らの性器をねじ込まれる姿は、すっかり、雌の獣。 膨らんだ腹が、挿入の衝撃に重たくゆさり、ゆさりと揺れると、少女は歓びに震え、 一層大きく、重たく、下品に垂れた乳房も揺らして、媚びきった表情になっていた。 口ばかりの抵抗をすれば、もっと激しく、強く、愛していただける――そう知っているから。 ぐちゅん、どちゅん、と妊娠によって浅く、とろとろになった膣を毎日掘られ、 お前が誰のものか言ってみろ、とばかりに、片方の獣が、鼻先に舌を垂らす。 「ん、んむぅ…ごめんなさい、もうすこし、まってください…こうたい、ですからぁ…」 少女の愛は、二匹に掛け替えなく注がれているのに、夫たちはそれを競い合うように、 彼女に産ませた子の数――あるいは搾った乳の量、まぐわった回数で張り合うのだ。 今、腹にいるのがどちらの種であるか――そんなことも、お互いに主張しつつ。 男を知らなかった筋一本の女性器は、間断ない交尾でびろびろと肉が広がってしまい、 桃色だった陰唇も、淫水焼けで黒く――隠しきれないほどの下品さになっている。 陰毛も、剃らせてなどもらえないから――濃い林が、みっしりと。 もっとも、一番変化が激しいのは、やはり乳首周りであろうか。 ぶるん、ぶるんと振られて乳汁を無尽蔵に――それこそ牛顔負けにひたすら垂れ流し、 何匹産まされても、彼女の母乳を吸い切るだけの赤子が揃った試しはない。 色は暗く、濃い。乳輪のぼつぼつがはっきりと目に見えるほどに色差を作っており、 そこから撒かれる白い噴水が、三匹の獣のまぐわい部屋に、常に甘い臭いを漂わせている。 陥没乳頭は戻る暇もない。ひたすら赤子と、御主人様とに引きずり出されて嬲られるのだ。 「おほぉぉっ――やめ、そんな、いっしょに、すわないでぇっ――!」 犯すことに飽きた二匹が、両乳首を競うように口に含み、めいめいに舌で転がす。 この雌が、どう責められると弱いかは彼らのすっかり知るところだから―― 先ほど出していただいたばかりの精ごと垂れ流す勢いで、本気の絶頂汁が出る。 既に胎には出産間近の子がいて、少々こぼした程度では何もないのに―― 主従関係を刻み込むため、獣共は妻の尻を乱暴に引っ叩き、髪を握り込む。 「ひゃへぇ…ごめんなひゃい、ごめんなひゃいぃぃ――」 そうは言うものの、彼女の頬は明らかに、被虐の悦びに歪んでいる。 彼らが本気で害する気はなく――雌牛たる自分に、立場を教えて下さっているのだ、と、 ほとんど確信に近い盲愛でもって、彼らに従っているからに他ならない。 その証拠に、お仕置きの最中に産気づいた彼女を――二匹は甲斐甲斐しく世話をし、 新たな赤子が母の腕に抱かれるよう、産着まで着せてやるのだ。 今度の赤子は、人と獣との混ざりあった、不格好で醜い姿だったが――少女は頬に口付けた。 獣の使役は、己の血族と縁深い――例えば長年共に過ごした集落の猟犬であるとか、 先祖が遠い昔に契約をした血族だとかを使うのが、反乱の可能性を下げるという。 その点において、自ら産んだ獣との混ざり子を使うのは、確かに有益である。 血の繋がりが他のあらゆる使役法より遥かに濃く、主従の絆を強めるからだ。 霊使いとしての彼女の生き様は、ここで絶えてしまった――また今も獣の子を孕み。 しかし、彼女とその子孫との縁は、人同士ではとても得られない強度のものだ。 彼女が獣のつがいとされてから、接触を自ら断った相手、かつての仲間たちに―― こんな幸せがあったと知ってほしい、彼女らにも使い魔たる御主人様候補の愛を、 彼らとの結晶である子の大切さを知ってほしい――そう考えたのは、 色に毒された脳の妄想の果てか、あるいは心から彼女らの幸せを望んだゆえか? 日毎に増す腹の重さと、垂れ流す乳の量に、少女はどうしようもないほど、幸せになる。 たとえその始まりが、一体の動物霊を御し損ねた未熟さに依るのだとしても―― もしかするとそれは、神託とでも言うべきものだったのかもしれない。 人の真似事をして、杖など振り回すよりはよほど、彼女に合っているのだから。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 地、水、火、風。万象の根源とされる四つの属性。光と闇の領域の間に浮かぶもの。 その均衡が崩れるのは――取りも直さず、全体に影響が伝播することでもある。 最近、友人のうちの一人の様子がおかしい――少女は思った。 お互いに、四属性の一つを担当して、それぞれに魔術を極めようと誓った同志―― 自分は火であり、件の少女は地を、それぞれ扱っていて、仲もよかった。 熱気と乾燥に係る火と、冷気と乾燥に係る地とで、扱う触媒も融通しあっていたし、 火を生むためには、地からの昇華が欠かせない――という原理的な理由もある。 ちょうど、みんなで降霊術の研究をしようと準備を重ねていたところだったのに、 あいつが急に付き合い悪くなったから、俺の方まで進まなくなったじゃねぇか―― そう、少女は独り言つ。本来なら、その相手が笑ったような困った顔をして、 ごめんねぇ、と柔らかく抱き止める謝罪をして、それで全てが落ち着いてしまうのに、 その姿ごと見えないのだから、一層、腹立たしい気持ちは募るばかり。 四人揃えば、二人と二人を随時組み替えてよろしくやれていたものが、 一人欠けただけで、なんだか蚊帳の外に置かれてしまったような感覚がある。 残りの二人を嫌っているとか、そんなわけではないのに――なんだか、気が引ける。 それはもしかすると、冷気と湿潤とで、自分と真逆の水を操る相手がいたからか―― もしくは、風を操る最後の一人がいくらか高度な術を操れるようになったことに対して、 どこか嫉妬心、焦りのようなものを持っていたからだろうか。 今姿を見せないあいつも同じぐらい難しいのを習得したと自慢してきたから、 こつの一つでも、吐き出させようと思っていたのに―― 共有の研究棟に顔を出さなくなったのであれば、個人の居所か――あるいは実家か。 最近、誰かがここを発ったというような話は聞いていないから――探せばいるはずだ。 そういう意味で、彼女らの使う霊術は、人探しや調べ物に適している。 人間の視座では得られぬ情報を、使役する獣達から得られるためだ。 目を瞑り、使い魔と五感を同期させる。人間にはない器官、翼に意識を重ねていく。 ふわりと体の浮く感覚――こればかりはいつまで経っても慣れそうにない。 そして同時に、二匹の使い魔に命令を出す――あの馬鹿眼鏡を、探してこい、と。 半霊体の狐が、壁をびゅんびゅんと通り抜けながら―― その軌跡にある書籍やら巻物やらに、薄っすらと焦げた足跡を残していく。 何枚もの翼を持った兎状の――最近契約したばかりの――使い魔が外側をぐるりと。 やがて両者は、少し離れたところに建ててあった、触媒管理庫の扉の前で止まった。 取り扱いに専門の知識が必要なそれらは、それぞれに管理を分担する決まりであり、 内部に関しては、干渉しないことになっていた。それをいいことにあの怠け者は、 自分だけ、しばらく休んでいたのだ――なんたる不届き、裏切り行為であろうか。 扉の前にいる使い魔どもに意識を集中させて、中の様子を探る―― 魔術で施錠された扉は、仲間といえど勝手に開けることはできないのだ。 ――思わず、少女は顔をしかめた。饐えたような臭い――甘酸っぱいような、異臭。 地の恵みを触媒に使うことはよくある、と以前、聞いたことを思い返す。 そしてまた、彼女の飼う獣めいた使い魔どもは、果実やらを餌に与えている、とも。 たとえばそれが、部屋の中で腐ったとして――酒か何かにでもなっているのか? しかしそれだけで、説明しきれぬような感じがした。そこには生物の息吹があった。 乳酒、というものを取り寄せたと前に言っていた気がするが――あるいは、それか? 狐の嗅覚でも、それ以上のことはわからない。それだけ、密封が強いのだ。 では、兎の聴覚をもって――耳に手を当てる。振動の一波を、漏らすこともないよう。 ――話し声だ。くぐもったようにも聞こえるが、それは少女の探し人に相違ない。 談笑するかのごとく、時折、照れたような音響が混じっているのが聞き取れる。 つまり、俺たちの知らない某かを――四人のための場所に連れ込んでいて、 しかも、そのことを秘密にしなければならない相手、ということになってしまう。 なら決まっているな――と、少女は下唇を噛んだ。男の他に誰がいるというのか。 そしてまたその想像に都合のいいように、声の狭間には、ばたんばたんと物音が混ざる。 一人だけ色気付きやがって――これもまた、嫉妬心からなのか? いよいよ怒りの収まらない少女は、暗黙の了解を破って、仲間の管理庫の扉を叩く。 何をしてんだ、遊んでないで出てこい、言えない秘密でもあるのか――怒鳴りながら。 乱暴に扉を揺らされ、さすがに庫内の怠け者も驚いたと見えて、声は静まるが―― 返事が返るまでにニ度。上擦った声を問いただすのに三度。追加で扉が蹴り込まれる。 「ごめんね、ちょっと、最近、体調が悪いから――」 取り繕うような、ありきたりの言葉――なら、柔らかい布団で寝ていればいい。 なぜ、こんな狭くてごみごみしたところで、何週間も身を隠す必要があるというのか。 開けないなら――と含みを持たせ、発火の術式を半ばまで詠唱する。 二人で研究した際には、目の前で何度も見せてやったあの魔法を―― するとさすがに慌てたらしく、扉が開くのだが――中から、籠もった臭いが。 使い魔の感覚越しに嗅いだものより、それは遥かに直接的に、少女の五感を震わせた。 明確な、命の臭い――生娘たる彼女にも、それがつい先刻まで放たれていたのはわかる。 相手の後ろにもぞもぞと動いている、使い魔らしき二匹の、あのふてぶてしい顔―― それらが部屋の外に出てこようとするのを実に恭しい手振りで押し留めては、 いかにも、邪魔な訪問者を追い返すような素振りで、こちらのことを見るのだった。 腿やら尻やらにがっちりとその獣どもが抱きついているのに、怒りもせずに、 ちらちらと、そちらの方を見て――研究中だから、手が離せないから、と嘘ばかり。 一層、少女の腹立たしさは増して、せっかく開けさせた扉を、強く打ち付けるように。 扉の術式が再び掛かるより先に、猫なで声で使い魔に接しているのが聞こえる―― ぐちぐちと文句を言いながら、空のごみ箱を蹴り飛ばしつつ、自分の部屋に戻る傍ら、 少女は、先ほど見た仲間の姿を――ふと、思い返す。あそこまで――大きかっただろうか? 口の悪い自分は、彼女の胸をからかうような言葉を吐いてしまったことはいくらもある。 しかしそれも、同年代の中では大ぶりなものに対して発した言葉に過ぎず、 あんな、分厚い生地の上から丸々と目立つような規模のものではなかったはずなのだ。 そして――使い魔に対して、愛玩動物として接する姿こそ見てきたものの、 まるで、愛しい恋人か何かのように――丁寧に、その体に触れていただろうか? 結局、それらに対する答えらしい答えは得られず、悶々と、思考は堂々巡りするばかり。 明確なことが言えなければ、他の二人に降ろすわけにもいかない――予断は不和を生む。 鼻の奥にまだ残るような、あの甘ったるい、“何か”の臭い――あれは何だ? 耳の中で反響し続ける、声の裏に響いていたあの音の内訳とは何だったのか? わからない、が――そのことを考えていると、じんわりと体の中に熱が籠もるのだ。 お前たちはわかるか?と、使い魔に問う。所詮は獣、言葉を吐きはすまいに―― しかし、珍しくも二匹は少女の肌にべったりと張り付いて、離れる様子も見せなかった。 さながら、伝えたいことのあるように――させたいことの、あるように。 体の芯に残る熱を持て余して、両手が肌の上を滑っていくと――服の隙間から覗く臍、 その上に、誂えたようにぴたりと手が落ち着いてしまう。指がくねる――芋虫めいて。 自慰もほとんどしたことのない彼女に、その感覚について説明のできるはずもないが―― 熱っぽい視線を主に向ける二匹は、その答えを知っているようであった。 「なんだよ…珍しいな、お前らがこんなにひっつくなんて」 もぞもぞと指を臍の上に踊らせ、両足に縋る使い魔たちをじっと見つめる。 なんだか頭がぼうっとする――同期酔いだろうか。やはり、あれには慣れない。 なんだか追っ払うのも億劫になって、そのまま彼らの好きにさせていると―― 「おい待て、そこまで触っていいとは言ってねぇぞ――」 直肌に、獣の指が――ふわりとした毛先が掛かる。ぼんやりとした熱を纏いながら。 普段なら、怒鳴りつけて追い払ってやるのに――肉球と肌が接触した瞬間、 「――っっ!あ、な、っ――!」 針――細長く硬いものに、脳天から足先までを一突きにされたような痺れ。 ぐわり、と目が見開かれ、得体の知れない感覚を見極めようと、無為な努力をする。 思わず身をくねる。貫かれた箇所から、じわりと冷たい神経の緊張が広がっていく。 背筋には大粒の冷や汗。それは、危険に対するせめてもの抵抗なのである。 声が、出ない――かはっ、と小さな吸気だけが許されて、全身が麻痺したように。 理由が、使い魔に直に触られたせいだ、ということはわかっても―― ではなぜ、触られただけでこうなってしまったのか、まで説明が及ばない。 使い魔たちは、少女の服の隙間へと顔を突っ込み、乱暴にそれを押し退けていく。 柔肌の面積が、臍周りの極一部から、鼠径部の覗くところまで広がり、股も。 事ここに至っては、つまり、自分が――この獣たちに見初められているのはわかるけれど、 自分の体は、どうして一切の抵抗を許さずになすがままになっているのだろう―― 感覚共有は、本来、感情、本能までを重ね合わせる術式とは聞いたことがあるが―― 獣たちにとっては、己の使い魔に屈服し、つがいとなることを受け入れた女の存在は、 まさに天啓と言うべき大きな知見をもたらしたのだ――つまり、自分たちも。 上位の自然霊は、自身の子孫――分霊を残すことなどに一々汲々としない。 しかし、下位に降り、獣と近くなればなるほど、その欲求は強くなる。 不安定な己の存在を、なんとかして受肉させて繋ぎたい――そう考えるからだ。 少女らごときに扱えるものは、そうして自身の子孫を残すのを、暗黙のうちに要求する。 きちんと飼育態勢を整え、異性を宛てがってやるところまでが飼い主の責務―― 主である、この火を操る少女は――荒々しさこそあっても、雌としては十分に魅力的だ。 同種、近縁のつがいが見つからないなら――と、身の丈に合わぬ考えがあったのが、 実例を目の前にすれば――もう、歯止めが効かないのだ。孕ませたい、ものにしたい。 その、繁殖に対する思考の波が、接続された意識を通じて、強烈に流れ込んできた。 まだ、男と手を繋いだことはおろか、まともに話したことさえないような少女に―― 浮島のように脳内に点在する、雌雄の交わり、子を生すことへの曖昧な認識が、 ぴぃん、と一直線に結ばれてしまう――一切の、準備も済まないうちに。 嫌だ、と跳ね除けられるほど、自身の中の雌性に対して理解もしておらず、 体の動くままに、少女は腰をぐっ、と持ち上げて、ただ、天井を見ていた。 「ぁ――っ、まっ、て――!」 そこから辛うじて絞り出した声を踏みつけに、獣のうちの一匹が、股座に埋もる。 捩じ込まれた性器の熱に、下半身が火傷しそうなぐらいに、ずきずきと痛む。 濡れてもいない箇所を――ただ、獣欲のままに、突き刺し、刻むのだ。 破瓜の痛みもさることながら、ぴったりくっついていた膣肉を内側から剥がされて、 無理矢理、自分たちの形へと作り変えていく――乱暴で、原始的な交尾の形。 血の赤を塗り潰す白は、彼女の有り様が決定的に変えられてしまった証であった。 訳もわからず涙が溢れる――それでも相手を蹴り飛ばすことすらできず、 自分が使役していた存在が、好き勝手に自分の体を汚しているというのに、 少女の心身は、抗うだけの余力を持たない。後戻りできないことしかわからなくて。 ――ようやく解放されたのは、とっくに日も暮れた夜更けのことであった。 そこからの日々は、ずっと、生殺しのような感覚が、体にへばりついているのである。 あのとき、無理矢理にされたように、指を突っ込んでみる――なんの感慨もない。 杖の先、机の角、小ぶりな根菜、艶めく大理石の黒い張り型――どれも、だめ。 「うっ…ぁあ…っ…ちくしょう、やだぁ…なんでぇ…っ」 あのときされたものより、幅も、長さも、ずっと大きいはずなのに―― 欠けた何かが、どうしても、永遠に、埋まらない。足りない。渇く。耐え難く。 使い魔たちは、頭にがつんと拳骨の一つでも叩き込んでやったのに、素知らぬ顔して。 幸いに、あの時襲われた影響は、他に残ってはいないのだが。 「くそっ…なに、みてんだよぉ…おまぇ、ら、が、あんなぁ…」 ぐちり、ぐちりといじましく掻き回しても――あの時の、何十分の一にも届かない。 また、二匹の獣が、少女の腿に指を掛ける――ぞわり、と背筋に冷たい痺れ。 「ひぃ…や、やめ、て、ぇ――っ…」 声色こそ恐怖に彩られてはいても――そこには隠せない熱があった。 また、彼女の体は腰を差し出すように、肩を床に付けて、背を反らせていたのだから。 ――痛いはずなのに、悔しいはずなのに、足りなかった箇所が、充足されている。 動かない体を、めちゃくちゃにされているだけなのに――なぜか、声が出てしまう。 目の前にいる二匹の獣の、思考が流れ込んでくるかのよう――お前を、つがいにしてやる、と。 契約の強度が弱まったのか、使い魔たちが少女を低く見始めたのか―― 本来なら不可能な、使い魔側からの強制的な思考共有、念話めいた感情の押し売りで、 彼らの、孕ませたい、子を産め、という本能が、少女の心を満たしていく。 それは、主客を転倒させれば、孕みたい、という雌の本懐に至るのであった。 「やだぁ…おまえらの、こども、やだぁ…」 ぐすぐすと泣いてはいても、体は母となるための儀式を、喜んで受け入れている。 あのときこそ、孕まず仕舞いだったが――次はどうなるか、何の確証もないのだ。 最奥に、獣畜生の精を放たれる屈辱――少女の感情を置き去りにして、肉体と本能は、 命を生すための行為を、限りなく喜んでいたのである。 「なぁ…今日は…しないのか?ほら――」 二度目の種付けも、失敗にこそ終われど――もう、抗うことは不可能であった。 へこ、へことみっともなく獣の目の前に腰を振りつつ、種付けを媚びる―― 強制的に雄のものにされるという刺激がなければ、とても、日々を過ごせない。 少女の頭の中は、彼らに犯してもらうためにはどうすればいいか――そんなことで一杯だ。 暇さえあれば、傍らに浮かぶ使い魔たちに、無理矢理開発された秘所を晒してねだる。 いつしか四人の集まりが、三人、二人へと減っていったことも――どうでも、いい。 彼らの子が、いつかは本当にできてしまうかも、そんな考えはあるのだけれど、 この行為の果てに、自分が、こいつらのものになった結果として生るならば、 それはそれでいい――いや、そうあってほしい、そんな風に考えるようになった。 「おい…やめろ、みつかっちまう、だろ…」 口ではそう言いつつも、誘ったのは彼女自身であり、やめられることを全く望んでいない。 あのとき、管理庫の中で行われていたことを、その外で、彼女自身が繰り返しているだけ。 誰かに見つかって――使い魔に良いように体を貪られていると知られて―― そして、罵りと軽蔑の言葉でも掛けられたなら。酷い想像が、却って心地よい。 使い魔はただ、自分たちと契った雌の、言葉とは裏腹の欲求を満たしているだけである。 子を生すという行為は、もう、成功するか否かを一々気にせずともよいからだ。 「はぁ、はぁ、へへ…まったく、ひどいやつらだな、おまえら…」 ぽってり膨らんだ腹から、白い塊をぼとり、と何筋か垂れ流し――少女は笑った。 どぼどぼ落ちるその液体も、その腹部の内容物の全てではない――直に止まる。 褐色に色付いた乳首が、薄く、白い肌着越しからも確認できるほどとなり、 彼女が妊娠している――当然、それは使い魔との交尾によってなされた――のは明白だ。 妊娠中でも、少女がねだれば、あの時のように強引に、乱暴に――犯すのである。 獣の欲を吐き出すための袋として、自身が使われていることそのものに、女は興奮し、 主として仕えた少女を自分たちの子を産むための存在に成れ果てさせたことに、 二匹の獣――今は既に、使い魔とも呼べない存在は、喜びを感じるのだった。 少女の腹部には、産んだ数と同じ数の縦横の線が、自身の手によって入れられている。 これを見ると、獣たちは一層昂ぶるのである――より多く、より強い子を、と。 彼女自身も、自分が――魔術の淵源を目指したはずの、この体が―― そんなものを産むためだけに消費されていくことへの、破滅的な快感があった。 人と獣の混ざった、どちらに分類するにも半端な、取るに足らない赤ん坊たち―― それでも、産まされたからには育てるのが努めであって、そうして、己に枷が掛かるのが、 何とも言えない、ぞくぞくとした震えを全身に与えてくる。 ああ、もっと――臍の緒をぶら下げながら、笑う。そこに狂気は微塵もない。 自分はこいつらに狂わされてしまった、これは仕方のないことなんだ――そんな自己弁護。 お互いに、子を作るという行為に溺れていることからは目を背け。 相手が望むから、俺には抵抗する選択肢などないから――なんという嘘だろう。 種付けされている、なのか、種付けさせている、なのか―― 孕ませている、なのか、孕まさせている、なのか。両者の繁殖本能の混合体であり、 そこにはっきりとした区別をつけることは、誰にもできなくなっているのである。 先に姿を隠し――今はどこで何をしているか知らないが――連絡の取れない仲間。 彼女があの日、自身の使い魔に見せた熱を帯びた雌の貌――その訳は、少女にもわかる。 契約の際は、相手が同性であるようにきちんと確認を取れ、さもなくば同種を用意せよ、 決して、自分の弱い部分、心の隙を、獣共の前に晒してはならない―― そんなことが、召喚と契約の教本の第一項に、赤字で書かれていたその意味も。 意図せぬ形で関係が破壊され、力が逆転してしまった例など、枚挙にいとまがない。 そしてそれが、自身の体を狙う雄に、そうされてしまったなら――結果は明らかだ。 高次の魔術師ですら、霊の操作は暴走の危険と隣り合わせなのである。 未熟な少女たちが、踏み外すには十分すぎるだけの罠だ。 自分たちの体に、どれだけの価値があるとも気付いていない無防備な獲物。 常につがう相手を求める低級な動物霊などは、だからこそ、危険な相手である。 ――そして、残りの二人は――今も、降霊術なんぞをありがたがっているのだろうか。 二人に減ったあの部屋で、黴臭い硝子瓶をひっくり返したりしているのだろうか。 つまらない――そう、少女は思った。心から、あの二人を可哀想に思った。 こんなに刺激的で、満たされることがこの世にあるのに――そのまま、知らずに生きる? それはどんなに、女としての、世界の幅を狭めてしまうことだろうか――と。 “産まされた”赤ん坊を抱きながら、少女はその口に、乳を含ませる。 ああ、こんなに忙しい時に――こいつらときたら、次を孕ませることばっかりだ。 抵抗できない自分を、また、めちゃくちゃに“してくれる”んだろう―― その顔には、もはや、喜び以外の何物でもない感情が浮かんでいた。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― あの時と同じだ――そう、少女は思った。離れて久しい故郷が、毒風に巻かれた時と。 自分にとって縁ある人たちが、少しずつ離れていって――誰も、いなくなってしまう。 修業と研鑽の旅に出たこと自体を後悔したことはない。父や姉の現状にも興味はない。 ただ、自分のいた場所、知っている相手が――不可逆の時の流れに去っていって、 ふとそれを思い返したとき――何も、彼らを偲ぶ証のないことだけが、凄く虚しい。 永遠に付き添う間柄など、将来を誓った相手とさえ、結ぶことはできないものだ。 魔術の根源を探らんと、志を同じくした四人の仲間が――いつしか一人消え、二人消え。 彼女らが残した研究成果、道具、資産の数々は、まだ面影を宿してはいるけれど、 脳裏のあの声、あの姿が掠れたとき――きちんと、思い出してやれる自信はない。 付き合い自体は、ほんの数年程度のものだが――自分なりには、大切に思っていた。 今、どこで何をしているかまで、追いかけてやるつもりもないけれど。 付き合いが悪くなり始める前の、どこか熱く、色の付いたあの視線―― それは、なんだったのだろうか。誰も、答えを教えてはくれないのだ。 彼女の周りに残るものといえば、旅立った当初からの相棒である、この竜だけ。 新しく使役するようになった方の使い魔は、どこか自分に対して線を引くところがあり、 どうしても、主の関心やら興味やらは、そちらに向いてしまうのであった。 しかし――故郷の湿地帯に迷い込んだのを保護し、面倒を見てきたという他に、 少女は竜の、あらゆる来歴を知らない。知る術がなかった、とも言える。 知性ある竜の中には、自ら言葉を操り、高度な魔術を操ることだってあるのだけれど、 ごく小型の――大きさで年齢を推し測るのは無意味なことだが――この姿では、 竜族に伝わる寝物語の一つすら、彼女に教えてはくれないのである。 都合、ほとんど羽の生えた蛇と差別化することも難しい――のだが、 さすがにそこまで、少女は相棒を侮るようなことも、無碍に扱うこともしなかった。 どこかも知れない故郷から離れ、お互いの他に気心の知れたような相手もおらず、 信念を持って交わったはずの仲間も、やがてそれぞれに別の道へと分かれていく―― 結局、自身の目指すところである、風使いとしての高みには、 自分自身で登攀するしかないらしく、掴んだと思った真理の出っ張りは、夢想に過ぎず。 降霊術――こうして自然霊やら生物霊やらと協力関係を結ぶ使役術とは根本的に異なる、 己の肉体自身に霊を宿らせ、力を引き出す術式――その研究というものは、 随分と集まりへ足が遠のいた、かつての同志二人のせいで頓挫していたのである。 降ろすものを選ぶには細心の注意をもって挑むべきである、だとか、 安易に自身の体を貸すのは危険であり、いくつもの制約と安全装置を作るべき、だとか、 そもそも、術者本人に降ろすより、第三者の体を媒体に行うのが適当であるとか―― 本にはそんな禁則事項ばかりで、実に、うんざりとしてくる注意書きがずらずらと。 四人もいれば、お互いがお互いを監視・補助できる体制が整ったというのに、 抜け駆けして――そしていつの間にか、顔も見せなくなったのは、無責任なことだ。 つまるところ――この失敗例は、降ろす霊との信頼関係が構築できていないからでは? そう、少女は考えた。予想外の影響が云々、体への後遺症が云々、というのも、 勝手知ったる相手との――数年来の相棒との――感応によるのであれば、 恐らく、無理をされることはないだろう――あまりに楽観的な発想である。 実際に、仲間の目の前で試してみせる予定ではあったのだから、危険性はあるまい。 じっと自分を見ている緑色の瞳に、悪意のようなものは欠片も―― 目を瞑る。意識の輪郭がほどけ、激しく何かが流れ込んでくる―― ――視界のずっと先まで裂けた岩の断面、それがずうっと遠くまで。 風の方向は、頭の後ろをぐるりと覆うように激しく変わり続け、上下左右がわからない。 落ちる――そう思うと、差し込む光が目に焼き付いて、天へと飛び上がっていたと知れた。 目の回る、どうしようもなくうねる大気の中に、他にいくつも、素早く飛び交うもの。 それは――一対の翼によって、渓谷の岩肌を掠めるように飛び交う、竜の成体だ。 その身には鎧や兜を想起させる甲殻と、鈍い黒色の刃がいくつも備わっていて、 そこが、竜の戦士たちの住処であることは、少女――の共有する視界から、すぐわかった。 自分の体を見てみると、体を浮かせるのがやっとの小さな羽と、黄色く細長い胴。 知ることすらなかった使い魔の、ずっとずっと昔の記憶――その一片。 そして突然、その光景はぶつん、と切れるように暗闇の中に消えてしまい、 靄と影とが浸食する途切れ途切れの世界のところどころに白黒に、 先ほど見た岩肌の仔細な――無論それは限りなく顔が近づいたための――様だとか、 全くの空白――掴む大気すら絶えた、無重力の空気の穴の絵に変わる。 上下左右が目まぐるしく入れ替わり、息ができているのかもわからなくなるぐらい―― 振り回されたその最後、ふっ、と開けた視界には、ただ、沈みゆく夕陽と夜とがあって。 いつかもわからぬその記憶ながら、少女は極めて強い――望郷の念を感じ取った。 それを最後に、また見えたものの中には、自分自身の顔、見慣れた湿地の泥がある。 あの時、傷だらけの幼竜が一匹、親の庇護もなく、集落の近くにいた理由。 風を――それに纏わる生物を操る一族として、その存在を聞いたことこそあるのだが、 なぜ、そこにいたのかは――今の今まで、知らなかった。 「そっか…迷って、怪我、しちゃってたんだね――」 相棒のそんな過去を、図らずも覗いてしまったという罪悪感。 彼はどう思っているだろう――懐いたからと、故郷から引き離してしまって、 帰りたいのに帰れないのなら――それは自分のせいである、そう思った。 しかし彼女は、感応により――己の記憶までもが、使い魔に読まれていたとは知らない。 彼女もまた早くに母を失くして、父や姉との間に、自分の知らない母への記憶の差、 母なし子に対する、ある種残酷な思いやり――気を使われている、という不快感、 一方的に憐れまれるばかりで、自分から何かに愛着を向ける先を与えられないことが、 こうして、ずっと遠くの場所まで逃げてきた理由であるのを知られてしまったことを。 両者は、お互いに似たところがあった。埋められぬ感情の穴を自覚しておらずに、 その理由を――竜は親代わりの主に向けて、少女は、愛情を向ける先として、竜を。 主従の関係というより、実のところ、共依存に近い、危うい力学の上に成っている。 そしてそれは――相手の心の底までを、こうして知ってしまったことにより、 容易に、不可逆の変化をもたらすのであった。 竜の寿命は長い。仮に、少女が老いて死ぬまでの時間を共に過ごしたとしても、 彼が真の意味で老成するだけの時間には、十分の一にもならないのである。 二人の関係は、少女が他のあらゆる結び付きに対して抱く諦念と同じく、 悲劇的な――そして約束された、将来的な別れを意味していた。 親もなく、連れ添う相手もおらず、この子はまだまだ長い時を生きねばならない―― かつて、父がこの竜を拾うのに反対した理由を、ふと、思い出す。 人と竜の世界は、決して交わらないのだから――深みに嵌らないように。 自分から彼に人の世界を教えておきながら、あと何十年程度で、放り出すことになる。 よもや子孫に任せて、延々と世話をさせ続けるというわけにもいくまいに。 ――子孫。その言葉は、両者の心に、同時に響いた。 やがて別れてしまうなら。お互いの死の瞬間を、同じくできないというのなら。 橋渡しになるものが、あっていい。例えばそれは、明らかに己の血を引く―― 霊の使役に際しては、動物霊を使い魔として使うなら――その血を絶やすことなく、 子孫を作らせてやるのが主としての責務とも、基礎を学んだ頃には聞いた。 「ねぇ――あたしのこと、好き?」 少女はゆっくりと、竜の細長い体を撫でる。その声はわずかに震えている。 緊張か――それとも高揚か。彼女自身にもわかるまい。 竜はその言葉に応えるように、身体を巻き付け、翼を少女の肩に這わせた。 元の姿ではさすがに幼すぎた竜も、術の影響か、その身ははっきりと大きくなった。 緑の瞳は黄昏に暗く、黄一色だった体も、翠と桃との蛇腹に変わっている。 翼の節はくっきりと、そこに太い骨の通っていることを窺わせた。 もはやあの乱気流の中においてさえ、彼が道を見失うようなことはないのだろう。 二本の角は――さながら小ぶりの短剣のように、鋭い艶をもって輝いている。 完全な成体となるにはまだ遥かに長い時間が掛かるが――既に子竜ではない。 人に換算すればちょうど――大人と子供との境にある少女の年齢と――同じぐらい、か。 一人と二匹なら、少し余るぐらいの余裕のあった寝床の上でも、 成長した竜を乗せるには、全くといっていいほど、布が足りていない。 少女は自ら寝転がり――布を解くには全く適さない彼の代わりに――下着を脱いでやり、 両手を恥ずかしげに広げて、使い魔の体をその中へと導くのだった。 おずおずと、主の半裸体に身を近付けるその耳に――そっと、囁く。 「あたし、あなたとの赤ちゃんなら、いいよ――」 「そう、ゆっくり――こっちも、はじめて、だから――」 言葉としての形をなさない唸り声――興奮と、困惑と、主への感謝との混合体。 彼が後二百才も年上なら――歯の浮くような愛の言葉の一つでも、吐けたろうが。 どれだけの思慕も、体一つで表すしかないのだ。自分より小さな、主の肌目掛け。 朱色に脈打つ、竜の性器――それは、剥けたばかりの少年のものに、よく似ていた。 ぐずり、とゆっくり――濡れ紙に指を押し当て、穴を開けるその感覚―― 「――っっ、だい、じょうぶ…ちから、ぬいて、ね…?」 己の痛みを脇にやり、少女は彼の首に手を回して、そっと、優しく、指を這わす。 人に例えるなら肩との境、鎖骨の上に、軽く口づけをして――肌を、密着させる。 大きな体を駆動させる、竜の心臓の激しい命の律動――存在感、温かさ。 寝床からはみ出た体で、よもや少女を踏みつけにしないように、と気を使って、 竜の体がよじられるごとに――挿入部に、少しずつ力がかかる。 ぎち、ぎち、ぎち…ずり、ずり、ずり―― 小さな音の響くごとに、少女の目からは少しずつ涙が、口からは苦悶の声が漏れ、 焦ったように動きを止めようとする竜を、少女は何度も何度も、なだめるように触れていく。 やめなくていい、あなたの好きなようにすればいい、受け止めてあげるから―― 両者が実に緩慢に交わるのを――一匹だけ残された使い魔は呆れたように見ていた。 私のことは放ったらかして、好きなだけいちゃついているわね――そんな風に。 雌である彼女は、相手を見つけた女がそれ以外の何物にも目が行かなくなるのがわかる。 気持ちはわかるが――わざとらしく存在を誇示してやるというわけにも、 始まる前にさっさと部屋を離れてやる、というわけにも、いかなかった。 その機を逃した、といえばそうなのだが、二人を引き裂いてやるのは気が引けた。 そんな配慮のあることなど二人はお構いなしに、段々とまぐわりには熱が入ってきて、 ほんのすこし、指の第一関節分しか前後させなかったその先端も、 少女の膣液が分泌されていくに従って、段々と滑らかに、より深くまで動いていく。 ぐちゅり、ぐちゅりと、水音が少しずつ大きくなり――雌雄の耳に届く。 自分の行為で、相手が、長年付き添った相棒が――これから、長年共に生きるつがいが―― 喜んでくれている、共同で一つのものを生そうと、心が重なっている―― 竜と人とは暮らす世界も、その寿命の尺度もずっと違うもの。 だが、時に横断した両者が、その結晶たる命を間に得ること自体は珍しくはないのだ。 六体の、人間の姿に身を変えた雌竜を己の妻とした男であるだとか―― 人から竜となり、縁深い相手を輪廻の中に何度も追い掛けた乙女であるとか、 そんな逸話は、探すまでもなく両者の世界のすぐ横にいくらでも転がっているのだ。 しかし今、そんな他人の話――この交尾の外の、あらゆる無粋――などに、意味はない。 いるのは、人として、竜の子を孕むことに同意した少女が一人と、 その想いに答え、彼女と――そして間に生される子孫と、過ごすことを決めた竜のみ。 その目的のため、お互いの絆の再確認のため、一対の雌雄が重なり合っている。 「あっ――ねぇ、もっと――あたし、へいき、だから――」 しがみつくように両手を首に回す少女の頬を、竜の舌先がちろりと舐める。 それになんとか絡めようと――少女も舌を伸ばして応えんとするのだけれど、 とても合わせられないから――竜の方が、迎えるように舌を曲げて。 上半身はそうしてくっついたまま、下半身は――大きく、ばたばたと動いている。 少女は身をよじらせて下腹部の熱を転がし、竜は蠕動させて性器をより奥へと動かし、 ずりゅん、ぐりゅん、ねちゃり、そんな音が、部屋の中に響いている。 もしかすると、最後に残った――水を専門とする、霊使いの仲間が、 音を聞きつけてやってくるかもしれないのに――考えられない。 今は、これが、彼女にとって大事なすべて。 「そろそろ、でそう――?うん、いいよ、いっしょに――」 言葉に合わせ、盛んに動かしていた腰を、ぐっ、と竜の体に密着させて、 膝を中心に、太い胴体を足で包む格好に――射精を促す体勢へ。 後は、彼からの合図――膣内に脈動するその熱の動くのに意識を集中させ―― 「ふぅ、あ――っ、っ…!や、ぁ、いっ――く、ぅぅ…!」 最大限の密着、肌と肌との距離が消えるに従い、心と心も限りなく重なる。 竜の、心底からの愛情を込めた鳴き声――少女に彼の言葉はわからないが―― 「えへへ、あたしも――」 大きく育った竜は、それ以降、少女を乗せて飛ぶようにもなったが、 直に、中断せざるを得なくなった――身重の妻を慮ってである。 彼が故郷で成竜として育っていれば、あるいは、こんな風に誰かを乗せて、 誇り高き戦士として戦ったのかもしれないが――そうはならなかった。 あの時、寄る辺なく彷徨った自分に手を差し伸べ――全てを分かち合った相手を、 己の力の限りに、守ることが彼の存在意義となったからだ。 生き様を変えたのは、少女――今は竜の妻となった――も、同じことである。 風についての研究を深めるのは、己自身の価値観、目標に過ぎないが、 自身と時間を共有する相手と、その愛の結晶を生して育てる、ということは、 自分一人のことではなく、誰か愛する相手をも想ってのこととなるからである。 かつて、仲間だった少女たちが、大義を違えて、去っていってしまった際には、 随分と薄情なことと思えたが――今となっては、それも、責められまい。 あの眼鏡の下に、はっきりと、彼女自身の使い魔への被虐の情が浮かんだのを―― それを咎めながら、やはり、己自身も同じ側に転んだ男勝りの少女も、 今の自分のように――何か、大切なものを他に見つけてしまったのだ、と。 それは何の確証もないが――かつて志を同じくしたもの同士、わかるような気がする。 どん、どん、と元気に、内側から蹴りをくれる、彼との間の子―― それは、自分と彼との、どちらにより、似ているのだろう。 半人半竜の子は、どれだけ時の流れの中に彼を追いかけていってくれるだろう―― 後何百、何千年かも知らぬ自分の夫の残りの竜生の消閑として、 もしくは、生きる目的そのものとなってくれたら――そんなことを少女は考えた。 あたしはきっと――何十年かしか、ついて行ってあげられないから―― ごめんね、と謝る少女の肩を、やはり竜は優しく翼で撫でてやるのだった。 これ以上、君に何を欲しがるというのか――慰めるように。 少女と竜の子は、人に似たようで――翼もあり、角もあり、牙もあり。 尻尾や鱗も、父親と似たような風に生やしながら、明らかに人間の血を感じさせた。 深い緑の瞳――それは、父親のかつての目の色とは違って、母親由来の、もの。 頭頂部の毛は若草に、ゆらゆらと風に泳いでなびいている。 そんな人と竜の混血は、二人が夫婦である間、何人も、何匹も、産まれることだろう。 あるときは人そのものの、しかして竜の血脈を確かに想わせる姿を取り、 またあるときは、竜にしか見えず、人間の思考と知性とを、誰の目にも示すのだ。 誰が何年、父親と共にあれるかなど――誰にもわからないだろう。 ただ一年でも長く、一人でも多く、我が子が夫と生きてくれることを、少女は願った。 かつての仲間がどんな相手の子を授かって――そしてどんな風に暮らしているのか。 無性に、少女――だった、竜のつがいは知りたくなることがあった。 同じ、母親になったものとして、夫たる相手の自慢でもしたくなったのだろうか。 産まれた子の顔見せと、将来共に学び、競わせる――さながら昔の自分たちのように―― そんな空想を、本当のものにしてしまいたかったのだろうか。 しかし年ごとに増える子の世話と、夫から離れたくないという彼女自身の甘えによって、 それはなかなか、実を結ぶこともないらしく、時だけはゆっくりと過ぎていく。 後一人、残してきた仲間に別れを告げなかったことだけは心残りである―― しかし、彼女は彼女で、きっといい伴侶を見つけているのだろう。 自分が、長年使役し、共に歩んだ相手と結ばれたように――彼女もまた、 あの爬虫類めいた顔の――亜人の使い魔とは、悪くない関係のようであったから。 いよいよ少女の心残りは、ただ一つ。自分と夫とがくっついてしまったために、 一体だけ、仲間外れにしてしまったもう片方の使い魔に片割れを見つけてやることだけ。 兎のような、その姿――そういえば、以前、仲間の一人が連れていたっけ。 彼女に訊きに探すのも、もしかすると、気分の転換には、いいのかもしれない。 家族を連れて。自由に空を駆けながら。一斉に、風の中を泳いで、世界中を。 妻が何をかを言う前に――竜は黙って、彼女のために座布団を載せて拵えた座席を見せる。 いくつもの影が、同じだけの体積の空気を巻き上げて、空に消えていった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 水鏡はぼんやりと、なんとも判別できない人影をそこに映している。 少女の周りの、三人の仲間たちは――いつしか自然と顔を見せなくなり、 四人が顔を寄せ合って本をひっくり返した共有の書庫も、今はただ一人きり。 人探しのための鏡映術も、彼女らの名残を思わせる色彩を少しは見せるのだけれど、 その赤い髪の下がどうなっているか――緑色の瞳が何を見ているのか、隣にいるのは―― そんな確かなことを何も、少女の目には返してくれないのだ。 霊のざわめき、水が遠くに弾ける音――仲間がいた頃は却って心休まったその響きも、 冷たく、寂しいものとして聞こえる。奥に、水霊の存在が感じられなくなったよう。 占いが成功しなくなったのも、もしかするとそんな心の動揺を感じ取ったからなのか。 水盆は独りでに揺れて、せっかく覗かせたものを残像に溶かしてしまう。 何度目かのため息――いつもなら、それを三人のうちの誰かが聞きつけて、 他愛無いような馬鹿話で、胸の中のものごと消し去ってくれたのに。 一度友を得たからこそ、それを失ったときの空しさは、また強く深いものだった。 片付けようと手を伸ばすと、その影の下に、ちらりと小さな姿が映り込んだ。 蜥蜴を思わせる頭――身長は少女よりも更に低く、子供そのもの。 彼女の使役する使い魔で――珍しく、人間の言葉を片言ながら操ることができる。 少女にとって彼は、ほとんど、弟か親戚の小さな子のようなもの。 どれだけ、身振り手振りを交えた懸命な励ましをもらったとしても、 それはあくまで、無責任で思考の裏付けのない、あぶくのようなものである、と。 獣そのもののような使い魔を操っていた仲間二人――長年連れ添った竜を従えた一人、 その誰も、使い魔たちの考えや言葉までを知ることはできなかったために、 信頼性には欠けるものの、その断片を知ることのできる彼女は内心得意だったが―― それも、共に研鑽する相手がいてこそのもの。一人残されてどうなろう。 「もうちょっと、あんたが大人だったらなぁ…」 そんな言葉を、彼女は何度、彼にかけたことだろうか。 使い魔として契約を結ぶまでの生き様、今後の見通し、水術に関するあれやこれや―― 子供に訊ねるには、どうやらどれも荷の勝つことばかりのようで、 眉だけ上げて頬を掻く、愛くるしくも頼りない様は、少女にとっては腹立たしかった。 爬虫類、と一括りにしても、その中には太古の神話的存在から、外界からの侵略者、 特有の文化を持った蛇人の一族――と、様々な種族が含まれている。 彼がそのどこに位置するのか、どんな物語を受け継いできたのか――知りたいのに、 断片化された言葉では、日常の会話すら、やっとのことであったのだ。 降霊術――術者の肉体に、霊的な存在の力を与える術式で、国によっては禁呪の一つ。 もたらす利益も、万一の被害も、大きいために――未熟者が使ってはならない、とも。 よほど熟達するか、降ろす相手との信頼関係がそこにないのであれば、 本来なら、少女らごときが挑戦していいようなものではない。 それでも――四人いればきっと、そう、思っていたのだが。 「私しかいないしな――」 諦めるのは癪であった。自分たちが何のために、これだけ資料と触媒を用意したのか。 理性の部分では諦めてしまった方がいいと知っているのだが、研究者としての意地は、 彼女に計画の中断を許さなかった。見返してやりたい、という想いも―― 使い魔を前に、再び水鏡を敷く。自分自身の未来を見ることは不可能でも、 これから降ろそうとしている相手を占うことで――間接的に未来が見える。 こういった迂回策は、少女がよく使う方法であった。もちろん、他者を視るのだから、 必ずしも、予想された通りの画を現実が辿るとは限らないのだけれど。 水盆には、随分と逞しく、大柄になった使い魔の姿が見える。 降霊術によって、主の魔力を直に受けた使い魔が急速に成長するという事例は、 教本にも絵付きで載っていたことである。そう、珍しいものではないらしい。 顎の周りの骨格もすらりと伸びて、舌の動きが巧みになっていることから、 どうやらこの姿の爬虫類坊やは、随分と会話が上手になっているらしい。 お姉さん気分のまま、そのしばらく後の姿を見てみる。こうして眺めると、案外悪くない。 身長がぐんぐん伸びて――筋肉も発達し、どことなく精悍なようにも思えてくる。 まだ存在しないものを、鏡を通して見る不思議な体験――少女はこの時間が好きだった。 途中で、赤と黒の泡が映像を覆い始めて、それが晴れた時――映ったものを理解するまで。 その光景は、どこかの戦場や廃墟、ずっと遠く、先の話であるように感じられた。 映っているのは変わらず、彼女の使い魔たる爬虫類人の、おそらく未来の姿であろうが、 全身には刺々しい金属の鎧が付けられ、目つきも狂ったように荒々しい。 まさか、この子に限って――しかし、映るものは結局、あり得る世界の可能性の一つ。 本人も自覚しない暗い道、血生臭いその姿は、大きな衝撃を与えるものである。 そこからほんの少し未来を手繰っても、やはり、姿は変わらず――一層、仰々しくなった。 使い魔の未来を覗いたのに、契約しているはずの自分の姿が、そこには全く見えない。 あんなごてごてした姿は、自分の趣味ではないから――許すはずもないのに。 どうやら二人が道を違えていることだけは、確かなようである。 ならば、とそこから過去に戻ると、時間軸としては今よりほんの僅かに未来、 数年以内のその間に、少女と使い魔の最後の時間が映し出された。 背を向けた自分、そのずっと後ろに、無数の骨の路の上に、倒れ伏した使い魔の姿。 現実の光景か――心的風景との混合体かまではわからぬものの、そこが分水嶺らしく、 その日をきっかけに、使い魔の生き様はどんどんと、取り返しの付かない方に行くようだ。 この時の自分は、彼に何をしたのか――わかるはずもない。 やはり言葉を介さねば、それ以上のことは見えてこないようである。 自分のことを知りたいのに、ある時を境に関係が途絶えて、辿ることができないなら、 知りたかった、水の魔術を極めているはずの自分のことなど、見えてこないのだから。 少女は――ただ彼が成長し、流暢に言葉を操ってくれるようになることだけを期待し、 それがどんな結果をもたらすかまでを考えずに、己の肉体と同期させのだ。 術自体は、すぐに終わった。ほんの一瞬のこと――それでも数刻は経っていた。 はっきりと背の伸びた姿――こうして見ると、思っていたより上背がある。 「ねぇ――あんたさ、なんか変わったところ、ある?」 少女の問いに――野太く、性徴を感じさせる声が返った。喉仏がそこに見えていた。 体の動き、力の入り具合は言うまでもなく、主との結び付きを感じるようになった―― そして、使い魔はにやり、と口の端を吊り上げて、少女の上に影を載せるのである。 「何よ、急に大きくなったからってさ――言いたいことあるな、ら…」 言葉が急に止まる――少女の口は閉じられていた。使い魔たる、爬虫類人の唇により。 目をぐっ、と見開く少女の利き手、その手首を、彼の手が柔らかく、優しく握る。 不意打ちに等しい口付け――それを、弟のように思っていた相手から。 動揺は、たちまち、同じだけの強度の――分類不可能な、感情の泥に化けた。 「あんたねぇ…!私、今の、初めてだったんだけど…!」 口調こそ怒れど、批難の色よりも、事実の再確認――己自身に対する意味合いが強い。 将来、誰と恋仲になるか――誰と夫婦になり、誰の子を産むか――などは、 まだ少女の中で明確な形を持っていなかったから――なおさら、驚きが強いのだ。 その相手が、よもや、と。彼が、自分にそんな感情を向けていたとも思わないで―― 主への非礼を詫びつつ――彼女にはとても軽薄に聞こえたが――離れようともせず、 彼はむしろ、己の肉体が、想い人の年齢のそれに近づいたことを喜んでいる。 少年時代の初恋が、もしかすると――そんな興奮もあるのだろう。 水鏡には、先程の、分水嶺とよく似た光景が映っていた。 ここで、拒絶するか――それとも、だ。 彼からの求愛を拒むのは、遠からぬ離別をほとんど意味している。 惚れた相手に強引に迫って、拒否されたとなれば――確かに、傍にはいられまい。 嫌いか、嫌か、と訊ねられれば、はっきりとした答えは少女の中にはない。 想定もしていなかった事態への驚きと、避けるべき未来を急に突きつけられたことへの、 悩みの感情こそあれ――積極的に、彼を退けるだけの動機に欠けたのだ。 彼女の心の波紋に従って映像は乱れ、先程のぎらぎらした戦場での姿と、 もう一つ――まだはっきりとは判別できない何かしらの映像とが、激しく入り乱れる。 そうして――夕陽の沈むその中に、鏡像は一つに定まるのであった。 「痛くしたら――やめさせる、から、ね…」 赤く染まった頬は、明らかに夕暮れの残滓によるものではない。 少女をそっと、使い魔は寝床へとお姫様抱っこで運び込んで、再び、舌を伸ばした。 一度目に比べ、ゆっくりと――確かめ合うような口付け。恐れのようなものが見える。 今更拒絶されたら――そんな感情を打ち消すように、少女の腕はゆっくりと、 彼の毛のない頭を撫でて、鱗の境目に爪を擦るようにして遊ぶのである。 肉体こそ育っても――彼も、人間に換算すれば十代の半ばに差し掛かる頃。 当然、口付けも愛撫も、まったくもって稚拙――時には、痛みさえ与えてしまう。 少女の口から、痛っ、とか、馬鹿、とか、ほんの少しの棘のある言葉が出ると、 ますます、彼の指は頑なに、緊張と焦りとにぎくしゃくした動きを見せる。 それがどこかおかしくて――ついに少女は、笑いだした。 「――しない、の…?」 その言葉だけで十分であった。少年は、主の――告白を受け入れた恋人の服に指を掛け、 一枚一枚、錠前を外すように、慎重な指遣いでもって、隙間を作っていく。 普段、布すらほとんど身に付けない種族の彼には、それは実に困難な作業で、 上着と下着を一組外すだけのことに、随分と多くの汗を流した。 その様子を――にたにたとからかう顔で、少女は見つめている。 頑張れ、頑張れ、と煽るようなことを――その先にあることを、想像しつつも。 形のいい、小ぶりの胸が覗くと、少年の喉には思わず、唾の塊が落ちていった。 恋慕の情を伝えて、受け入れられて――では、そこから具体的に何をする? 父と母は、どうやって自分をこの世界にもたらしたというのか――知りもしないのに、 今度は自分が、惚れた女を相手取り、一からやらねばならぬのだ。 失望されたら、いやいややっぱりやめるとお預けを食らったら――また、体は固くなる。 「私の、ここ、に――その、あんたの…」 恋人のそんな様子を見かねて出された助け舟も、川の途中で止まってしまう。 彼女も生娘、何をどうやってどうなるかの理論的なところまではわかったとして、 実際にそれを実現したことも、現物を見たこともないのだ。言葉が詰まる。 その沈黙は、彼の背中を押すのであった。自分しか、主の全てを知るものはない―― 自覚なき、雄としての独占欲である。未踏への征服欲である。 ぎちり、と鈍い音がして――二つの影が、宵闇の中に重なった。 始まるまではいくらか冗談を投げ合っていた両者も、それ以上言葉もなく、 消し忘れの蝋燭のゆらゆらとする光の中に、ただ無言で、交わっていた。 主従の関係が、雌雄の、つがいの関係になってしまう事例も少なくはなく、 彼女と彼の間に存在したものも、一段階先へと進んだだけのことである。 彼の、広くなった背中を――少女はなんだか、無性に愛おしく感じた。 雄としての部分を知らずにいたこと――それがどこか、申し訳のないような気もして、 抱きついたり、手のひらでゆっくりと撫でてみたり、爪を軽く立ててみたり―― 彼が腰を動かす間に、少女は様々に彼に働きかけて――その変化を楽しんだ。 姉のように――内心に子供らしいぼんやりした慕情を持ちながら――見ていた相手の、 こんな、可愛らしく、華奢で――壊れやすい花のような、小さな体の全体。 彼の懐中に留めておくのは、それだけ大儀なことである――そしてまた、 無理矢理に貪れば、彼女との間にどうしようもない亀裂ができるという予感。 雄として、獣のように目の前の雌を食い荒らせという本能とのせめぎ合い。 その均衡を維持しつつ、初体験をどうにかまともに軟着陸させねばならない。 これは彼には非常に困難なことであった。ふとした瞬間に砕ける、飴細工―― 額には汗が浮く。冷や汗か、脂汗か、単なる体力の消耗の証に過ぎぬのか。 床についていた指と指とを絡め、一本一本の表と裏が、食い合うように混ざり合う。 ぐっ、と握れば同じだけの力が、そこには返る。心配しなくても、いなくならないから―― 少女からの、そんな心情を表すかのような、優しい指の圧力―― さすがに恥をかかせるわけにはいかない、と彼も覚悟を決めたのか、 腰の動きを少しずつ、終局に向けて加速させていく。 彼女の声も、それに合わせて音程が上がっていき、熱と、湿気とを帯び始める。 両者の脳内に――もうすぐ訪れるであろう、未体験の、終点への想像――それが飛来し、 そこから間もなくして、物理的に、熱と実体を持った、互いへの感情が、 どぽり、と鈍い音を立てて――放たれる。 「よく、でき、ました――」 恋人の頭を撫でながら、少女は彼の頬に軽く唇を当てた。 水鏡に映る使い魔の横に、常に、彼女の姿が伴うようになったのは、それからだ。 時間を進めれば、両者は共に成長し――どうやら仲も深まっていくらしかった。 そこには、あの無粋な――鎧を纏った彼の姿などは見当たらない。 代わりに、きらりと輝く銀色の輪が、二人の指にそれぞれ嵌まっているのが見える。 二人が三人になったり、四人になったり――その時々で映る数は増えるようだ。 彼女が、水の魔術をどれだけ鍛錬し、淵源に近づけたのかまではわからない。 家族連れでどこかに行く姿、二人きりで部屋の中、見つめ合う姿であったり、 研究らしい光景は、他の夫婦の情景が増えるに連れて、どんどんと減っていったからだ。 両者の間に産まれた――まだ未来のことだから産まれる、というべき――子は、 父親に似れば体格が大きく、母親に似ればさらりと流れるような髪の、 人と爬虫類人とを、組み合わせた姿になるようである。 自分が、彼の子を――そんなことを、鏡の中に見ると、流石に少女は照れ臭く、 日課となった、彼との語らいの時間でも、顔を背けて恥ずかしがってしまう。 そんな恋人の肩を抱きながら、熱心に、子供は何人欲しいとか――作る間隔のこととかを、 彼は語る――勿論、片言ではない、流暢な発音、堂々たる自信を持って。 そんな風に迫られると、少女も、なんだかそれが正しいような気がして、 今日は一回だけ、だの、中ではなく外、出したとしてもきちんと避妊はする――という、 家族計画のための考えごと、融かされてしまう。 始まるのも、最中も、終わりに掛けても――二人は無言のままである。 行為の間は、上っ面の愛の言葉を交換しあったりするよりは、 相手と、相手との時間そのものに集中するべき、という考えだ。 ぎゅっ、と互いの肌を密着させて、熱と熱の交換をする、この至福の時間―― 第二子を授かった頃――少女はふと、仲間たちのことを、占ってみようと思った。 自分はこうして、魔術の研鑽からは遠ざかってしまったけれど、彼女らは――と。 想像の中では、三人はそれぞれに、自分なりの魔術理論を組み立てたはずだったが―― 映るのは、自分と同じように腹を膨らませ、自身の身体をそうさせたであろう、 使い魔たる獣たちに、べたべたとくっ付く姿ばかり。 大きな腹と乳房を、激しくがつんがつんと揺らしながら、何体もの子に囲まれていたり、 しかめっ面しながらも、腹にある十数本もの画線を指でなぞっていたり、 竜の背中に乗りながら――それとの混血に乳を与えていたり。 どれも、今の自分とほとんど同じように、使い魔として使役した相手のつがいとなって、 魔術のことなど、脇に放り出しているかのような。 それを今更責めはすまい。同じだけの言葉が、三倍になって帰ってくるから。 そして誰を占っても決まって、かつての仲間四人が、それぞれの夫と、子とを伴って、 母親になったもの同士、久方の再開を喜ぶ光景にたどり着く。 それは何年の後か――すぐ、近くのことなのだろうか。 自分と夫との間にある、爬虫類人との混血児の数だけは、少なくとも今よりずっと多い。 彼の表情は、妻と、その仲間たちとの再会に合わせてか、険のとれたものである。 いつぞやの、決して、訪れてほしくはなくて――別の未来で塗り替えた可能性。 その時の顔と見比べれば、とても同じ個体とは思えないほどだ。 そしてその日のことを想って、彼女は内心に、自慢の言葉を拵えるのである。 私の旦那が一番格好いい、この子が一番賢くてかわいい――そんなことを。 同じ言葉を、彼女らも、自分と同じだけの確信でもって言うだろう。 だが負けてやるわけにはいかない。家族のためにも、自分のためにも。 霊使いとして、互いを同志、競争相手として高めあった日々は―― またいつかの光景の中で、形を変えて繰り返されるのであった。