第一話・怒れる暴雷 Chapter1・現実の続き 「え!?この世界……私達以外にも人いたの!?」 「居るよ。僕もここに来るまでの間に、何人か見てきた」 片桐篤人は、目の前で驚く少年少女達に一度だけ顔を向けると、すぐに針と糸でズタ袋の修復を続けるために視線を戻す。そしてそのまま、ズタ袋を見ながら話を続けた。 「僕は片桐篤人。理由は分からないけど誘拐されてさ、何とか帰る方法を探してるんだ。君達は?」 「えっと、私は火置麗子、後ろにいるみんなも選ばれし子供で、このデジタルワールド・バロッコを救うため呼ばれたって……」 ヒオキレイコ。なぜか聞き覚えのある名前が耳を通ると篤人は一度手を止め、顔を上げた。 「選ばれし子供か……そういえば、他のデジタルワールドにも居るとか、10年以上前もここに来たって聞いたこ「みんな、お前のせいで死んだけどな」 「……え?」 「っ……!」 飛び起きた篤人が最初に感じ取ったのは、全身から流れる不快な汗、バクバクと脈打ち続ける心臓、そして、胸をえぐられるような痛みであった。 (……なんでだよ!くそっ!!) 記憶が、汚された。今はもういない皆に出会ったのは、放浪を初めて一ヶ月くらいだっただろうか。自分もひと屋に誘拐された後、今思えば【奇跡】としか思えない数々の幸運に恵まれ、なんとか逃げ出すことに成功してから、もう場所もはっきりと覚えていないデジモンの集落で、みんなと出会った。 この後、一緒に行動しないかと誘われた。けど、追われていることを理由に拒否した。 それから少しして……皆で自分を捕まえに来た奴らと戦って、打ち勝った。 結局、その時はまた追われていることを理由にして皆と別れたが、それでも篤人にとっては大事な記憶が、悪夢で汚れたのだ。 眼鏡のない少しぼやけた視界のまま、不快な夢を頭から叩き出すため一度、周りを見渡す。自分は眠っていたこと、ダークエリアから帰還出来たこと、選ばれし子供はもう、自分しかいないこと。これだけはすぐに理解した。 篤人は、否定したかった。にも関わらず、これが悪い夢ではないことは不快に鳴り続ける鼓動と、フウジンモンに蹴られた時に庇った、右腕の痛みが嘲笑うかのように伝え続けている。 (……分かってるよ、そのくらい!) 痛みと鼓動による嘲笑を唾棄するように、もう一度周りを見渡す。横にあった机を見ると、赤いケースに立て掛けられた自分の眼鏡があった。手に取って掛けると、ぼやけた世界がはっきりと見えるようになり、広がっていく。 その広がった世界で最初に見つけたのは、自分の足元で寝息を立てるジャンクモン。その次は少し離れた椅子に座りウトウトとしている、どこの学校の制服かも分からない紺色のセーラー服を着た少女、犬童三幸と、その足元で丸くなって眠る彼女のパートナー、ファングモン。 それを見て、篤人は胸をなで下ろした。そこから間もなく、ジャンクモンが体を小さく震わせると、ビーバーのような腕を思いっきり伸ばして大欠伸をしてから目を覚ました。 「んん……おうアツト、起きたか……すまん。俺様も寝ちまってたぜ」 ジャンクモンは眠気を堪えた目で、腕とタイヤを動かして篤人に近づく。篤人は未だに続く痛みや鼓動の嘲笑を無視して、きっと不出来な作り笑いを浮かべ、起こしてごめんよ。とだけ伝えるとパートナーの頭をヘルメット越しに一度、軽く撫でた。 「起こした身分で聞くのもなんだけど……ここ、どこか分かる?」 「お前が気を失ってすぐにアヌビモンがきてな。急いだからだから場所を選ぶ暇も無くてよ。 ………俺様もアツトも来たことのない場所の集落だ。でもってここはそこにある宿だとよ」 篤人はジャンクモンの説明を受け、また周りを見渡した。自分が寝ているベッド、三幸が座り船を漕いでいるイスとベッド横に置かれている机以外にコレと言った物は見当たらない。 窓の外を見る。夜が近いのか、既に薄暗くなっている空。何も無い地面と名前も知らない短い草が一面に広がる穏やかに思える世界を、何体ものデジモンが通り過ぎていく。 そのまま外を眺めていたら、外から窓に手をかけたブイモンが急にこちらを覗き込んだ。 篤人は少し驚いた声をだし、そのブイモンも驚いたのか、そのまま目を丸くして慌てて逃げ去ってしまった。 「……んん……篤…人さん……?」 「ぅ……ああ、起きたのか。アツト」 ウトウトしていた三幸と眠っていたファングモンも、篤人の驚きの声に反応したのか、目を覚まして両手足を伸ばす。 「あっ二人とも起こしちゃった……」 少しだけ申し訳なさそうな顔をした篤人は一度起きようと思い、ベッドから足を降ろし、腰掛けた姿勢になる。誰かが揃えてくれたであろう紺色の靴を、踵に指を添えながら履く。 しっかりと靴が嵌った所で顔を上げると、いつの間にか立ち上がっていた三幸が、泣きそうな顔で、篤人の両肩を掴んだ。 「篤人さん!お体は!?あいつに蹴られて踏まれて!泣きそうなくらい痛かったでしょうに!!」 篤人は突然のことで体を小さく跳ねさせた後、ここでようやく、三幸の顔をまともに見た。 ブラウンのアーモンド型の瞳にしゅっとした鼻筋。初めてまともに見た三幸の顔に篤人の脳に、美人や綺麗という言葉が一瞬浮かび上がる。 くすんだ赤……篤人から見て、えんじ色に見えるセミロングヘアー、そして、初めて会った時には気にも留めなかった、右頬の大きな裂傷。これが浮かび上がった言葉を消失させ、彼女がパートナーを進化させた後に、右頬の傷から薄っすらと血を滲ませていた記憶を思い起こさせた。 その後で、消えたはずの綺麗や美人という浮かんだ言葉がまた出てきた。そして篤人は……三幸の顔を、目を逸らさずに見続けるのが……気恥ずかしくなり、やがて自分は何を思ってるんだとまで考え出して、顔を逸らしてしまった。 Chapter2・アヌビモン 「お、落ち着いてよ犬童さん……体は動かせるけどさ、まだ痛いんだ……」 顔を逸らしながらの篤人の言葉を受けてハッとなった三幸は、申し訳なさそうに篤人の肩から手を離した後、気恥ずかしそうに顔を俯かせた。 「ご、ごめんなさいつい……」 「ったく、そそっかしい……フウジンモンとやりあってた時とは大違いだぜ……」 「ファ・ン・グ・モン!聞こえましてよ!」 ファングモンが、三幸に対して呆れたような言葉と共に欠伸をすると、それが聞こえた三幸はファングモンの方に素早く振り向く。 篤人からはその顔は見えなかったが、ファングモンが一瞬怯んだのを見て、優しい顔はしていないことは察した。それでも篤人は、パートナーであるファングモンとの……少なくとも、彼女の素であろう所が見えたこのやり取りに、少しだけ穏やかな気持ちを取り戻せた。 懸命で、きっと勇気がある。けど、感情も激しい女の子。これが初めて出会い、フウジンモンの戦いを経て、この瞬間に至るまでに感じた、篤人の思う犬童三幸の印象であった。 「と、ところでさ……僕らをここに連れてきてくれたのがアヌビモンなら、まだいる?」 「……あー……みんな寝ちまってたしな……一旦帰ったもしれ「うむ。起きたか、片桐篤人」 話題と顔を逸らした篤人は、部屋の出入り口から聞こえた厳かな声の方を向き直す。 薄紫の身体に天使の羽根を生やしたジャッカルのようなデジモン……アヌビモンが、ゆっくりとした足取りで入ってきた。篤人はジャンクモンに手を触れられ、知らぬ間に握りしめていた拳に気が付き、ゆっくりと力を抜いて解いていく。 「皆……そのままで良い。少し、時間をくれぬか」 ダークエリアの監視者、アヌビモンは厳かな様子を一転させ、声を震わせ、悔恨で染まった目を篤人たちに向ける。 その目を見てから頷いた篤人は、軽く自分の頬を叩いてから、アヌビモンをしっかりと見据えた。 「……犬童三幸には、少し前にお主や仲間達のことは伝えた。知らねばならぬことだからな。 そして……すまぬ篤人。ひと屋の輩から邪魔を受けてな……間に合わなんだ」 「…君が…悪いわけじゃ…ない、よ。アヌビモン」 悔恨と罪悪感。その2つと篤人達から顔を背けることを堪えているようなアヌビモンの言葉に、篤人はちぐはぐに間を置きながら返し、軽く歯を食い縛る。 呪うような言葉が出るかもしれない。そんな言葉を吐いてもアヌビモンは受け止めるだろう。しかし、篤人は多分、そんな言葉を吐いた瞬間に自分の中の何かがぷつりと切れる。根拠はない。でも、そうなりそうで、それだけはいけない。言語化することも躊躇うような感情を、篤人は飲み込むことにした。 「そして犬童三幸……お主にも詫びねばならぬ。篤人がお主を巻き込んだのは……」 「先程も言いましたが……私は助かる機会と力を、篤人さん達に頂いたのです」 三幸が、アヌビモンの言葉を遮った。ジャンクモンが篤人の背中を軽く叩いて何か言うように促したが、篤人は一度ジャンクモンに視線だけ送って何も言わずに小さく首を横に振った。 「その篤人さんがお仲間の皆様の無念を晴らすために戦うのであれば……私もやりますとも」 じわりと、三幸の語気が強まっていくように聞こえた。それに引きずられ、三幸の形相には少し、怒りが滲み出てるようにも見えた。 強張っているファングモンの顔を見て、篤人は、三幸とアヌビモンの間に何かあったこと。これだけは分かった。そしてそれを聞くと、どちらの傷にも触れるような真似になると思い、篤人は、黙ってやり取りを聞くことを選んだ。 「……私も、全てに納得と理解をしてやるわけじゃない。それだけは、忘れないでください」 「……無論、だ」 まだ何か続く。篤人はその覚悟をしていたが……薄っすらと流れた張りつめた空気は、各々が何かを飲み込んで終わらせる形で、途絶えたのだった。 「……犬童さんもファングモンも、こんなことに巻き込んだこと……本当に申し訳無く思っている」 「それはナシですわよ篤人さん!フウジンモンとやりあった時も、私の意志でしたもの!」 「というか、オレを脅した奴が今それ言うかぁ? お前、本気で殺る奴の目してたぞあん時……」 「許せファングモン。あの時のお前、俺様から見ても本当に敵だったからな」 「……もう気にしてねぇよ、オレは」 アヌビモンが一度、ダークエリアに戻ってからも、篤人たちは部屋に留まり話を続けていた。 アヌビモンは篤人達に、まずは3日休み、その後に今後の方針を話し合うこと、そして宿の代金は既に払ってあること。これだけ伝えるとダークエリアへ戻っていった。 三幸を買った金で無一文の状態になっていた篤人は、恥ずかしい思いを抱えながらも、金のことには心の底から安堵して、アヌビモンに深謝の意を表したが、アヌビモンは当然のことをしたと言わんばかりであった。 そしてファングモンから、自分の負傷はアヌビモンが使ってくれた回復ディスクで治る範疇であったとも聞いた。なら、痛みが消えるのは時間の問題か……篤人がそう思うと、痛みも薄れてきたように感じてきたのであった。 「……あ、話変えるけどさ……その紋章とデジヴァイスの話、アヌビモンから聞いたかな?」 「い、いえ……それは……。 聞いたのは選ばれし子供が呼ばれた訳と、私を攫った組織……ひと屋のことでしたわ」 変えた話題に少し戸惑った顔を見せた三幸に篤人は、そっか。と短く相槌を打つと、言葉を選ぶために間を置いた。 少しの沈黙の後、不安そうな顔をするジャンクモンを見て、篤人は、そのまま伝えると決めた。 「その【勇気】の紋章とデジヴァイスはね、僕らの仲間が託してくれた物なんだ」 Chapter3・託された重み 三幸は首にかけたタグと、咄嗟にポケットから取り出した鮮やかな赤のデジヴァイスに、突然鉛が入れられたように重くなった感覚に見舞われた。 間が置いたのは多分、言葉を選ぶためだろう……何と言おうとしたかは、三幸には分からない。でも、言わないといけない。篤人の苦々しい顔からはそんな思いが、僅かに浮かんでいる。 「…オレとミユキにそんな大事なモンを!?」 「それしかないと、思ったから」 ファングモンの驚きの声に篤人は顔を逸らしてから答えた。苦々しい顔を逸らし、平静で取り繕った顔に戻してから、三幸とファングモンに向き直す。 「俺様もアツトも、それをどうするか迷ってた時にな……悪いが言うぜ、ファングモン」 「……構うもんか。どうせいつか言わなきゃいけねぇ話だしな」 続けて、眉を顰めて言い淀みながらファングモンの名前を呼ぶジャンクモンの言葉に、今度はファングモンがバツが悪そうに顔をそらす。 「……追い剥ぎやってたファングモンがきてな。そこでアツトが思いついた。 オークションで人を買ってから逃げると。自分だけ逃げても、後で何も出来ないと思ってな。」 ファングモンが、苦々しい顔で三幸の顔をみた後、そのまま小さな唸り声をあげて背を逸らした。 無茶苦茶なことをした。でもそこまでしてでも、篤人はやり遂げる決心をしている。 沈んだ顔をしながらも、自分達から目を逸らさないようにしている篤人とジャンクモンに、三幸は自分も、目を逸らしてはいけないと思い、顔を上げた。 「これ思いついたのは多分、僕もひと屋に誘拐されたからなのもあってかな…… どちらにせよ、僕達だけじゃ無理と思ったんだ」 「……聞きましたわアヌビモンに。篤人さんも、大変な思いをしていたって……」 三幸が篤人の話をアヌビモンから聞いた後、湧き上がった気持ちは、篤人に対して同情心と、自分と似た境遇を持つ者だったことへの、安堵の混ざった一種の仲間意識のようなものだった。 彼はその上で多分、できる限り自分を不安にさせないよう、穏やかに振る舞っている。勿論、彼自身のための所もあるだろう。だとしても、三幸が彼から感じた安心感が、嘘とは思えなかった 「僕のことはいいよ犬童さん。その後のこともアヌビモンに聞いたなら……結局、僕も、さ」 白いベッドシーツの端を、篤人が腕を震わせながら握り締める。篤人のそばに座るジャンクモンが、顔色を伺うように三幸に目をやる。三幸は、何も言わずに2人の顔を見続けた。 「自分の力じゃどうにもならなくなって、理不尽に誰かを……君を巻き込んだ。 そこだけは、絶対に変わらないよ」 「アツト……」 三幸が思いつく限りの負の言葉が、篤人とジャンクモンの顔に全て集まっているように思えてきた。つまりは、自分もこのデジタルワールドの管理者と、選ばれし子供を呼んだ存在と似たようことをした。篤人は、心底から思っている。 篤人に同情の目を向けるファングモンの傍ら、三幸が思い出したのは、アヌビモンの悔恨一色に染まった目と声であり……次に沸き起こった感情も、殆ど同じものであった。 だったら、同じことを口に出せばいい。そう思うと三幸は椅子から勢いよく、足元のファングモンを抱えて立ち上がった。 「おわっ!?ミユキなんだ急に……」 急に抱えられたことに驚いて目を丸くしたファングモンや篤人達に構わず、三幸は篤人達を見据えて口を開いた。 「私や篤人さんみたいに、誘拐された人間は……帰ろうとしても、戻れなくなってるのですね?」 「……理屈は分からないけどね」 「だから!私は自分が戻るためにも戦います! ……このままだと、篤人さんや私のような目に遭う人が増え続けることになりますから!」 「ミユキちゃん……」 「それに!篤人さんが自分のことをそう思っても……私は救われたとも思ってますから!!」 自分の思ったままを叫んだ三幸は、どこかすっきりとした気持ちでもう一度椅子に腰掛け、抱えたファングモンから手を離す。ファングモンは一瞬恨めしそうな顔をしたが、その後にまた、三幸の足元で体を丸めた。 三幸の感情のままの叫びを聞いた篤人は一度俯いた。何かを迷ったように少しだけそのままでいた後、顔を上げる。 「ありがとう犬童さん。火置さんも……その紋章を持ってた子も、きっと喜ぶよ」 篤人のはにかんだ笑みと、自分が託された物の持ち主の名前を聞いた三幸は、喜びだけではなく自分では、うまく言えない別の気持ちも薄っすらと湧き上がった。 「火置さんだけじゃない。風見さんも雷門さんも……大地なんて一番喜んだかもね」 「ああ、あいつミユキちゃんみたいに可愛い子が大好きだったもんな」 篤人の語る仲間達の名前を聞いている途中で、三幸はジャンクモンの楽しげな声……【可愛い子】……の辺りで急に恥ずかしくなり、背けないようにしていた顔を、思わず背けてしまった。 「急に顔背けてどうしたミユキ」 ファングモンが不思議そうに声をかけるも、ミユキは何でも無いとだけ答え、ぎこちない動きで篤人達のほうを向き直す。この間に、普段は気にしない自分の右頬についた傷とそのわずかな痛みが、とても疎ましく思えてならなかった。 「いや、やっぱり一番喜んだのは正木君かな……あ、彼は純真の……」 そこから三幸とファングモンは、篤人とジャンクモンから、かつての仲間達の話をずっと聞いていた。 話すだけでも、苦笑いや後悔の色は度々見えつつも、篤人はとても、楽しそうに話をしていた。 ただ、篤人自身の話は……あまりなかった。自分は初対面のみんなに、酷い態度を取っていた。それくらいのことを言っただけであった。三幸もそれについて聞くのは、今はやめておこうと思い、この時は何も聞かなかったが……いつか、彼のことを少しでも知りたい。そんな気持ちも少し、芽生えた。 「アツト。オレは大体一人で生きてきたからしっかりとはわからんが……お前は、ジャンクモンや仲間に会えて、本当に良かったんだな」 「そうだねファングモン。だからさ、そんなみんなのために、何だってするって決めたんだ」 「ふふ……篤人さんが、お仲間の皆様が大好きだったこと、良く分かりました」 初めて見た自然に笑う顔の篤人に、三幸もどこか嬉しさと、彼はこうやって笑える人なんだという安心感を感じ取った。きっと素は、こうやって笑えるはずの、どこにでもいる少年。 「……だからこそ、篤人さん」 だからこそ、思ってしまい、口に出す。 「自分を責め続けるのだけは、やめてください」 篤人は三幸の言葉を聞いて、表情を硬くして黙ってしまった。 だが、その硬くなった表情の目はうっすらと潤み、瞬きを繰り返していた。 「おいおいミユキちゃん、急に何を……」 「不快にさせたなら謝ります。でも、それだけは皆様も、望んでいないはずです」 篤人は、三幸から顔を逸らし、俯きながら拳を握り、何かを抑え込むように小さく震わせていた。 反射で発しそうになった言葉は、「無理だよ」だった。でも、抑え込んだ。きっとみんなと彼女を傷つけることになると思ったからだ。 目から何かが、伝っている。それに気づいて眼鏡を外して目を擦り、部屋にいる皆に、背を向けた。 返す言葉が分からない。何も返したくない。きっと返さなくてもいいはずだ。都合のいい考えだけが沸き上がり、ついに篤人は、誰にも向き合わないまま、掠れた声を上げた。 「……ごめん。少し、一人になりたい」 俺様も出ていくか?というジャンクモンの言葉にだけ、篤人は首を横に振った。 「……お休みなさい篤人さん。また、明日」 三幸とファングモンは、篤人の方を振り返らず、自分の部屋に戻ろうと立ち上がる。部屋を出る直前、堪えきれなくなった声が漏れ聞こえた。 振り返るのも留まるのも、三幸は違うと思い、足早に廊下を駆け抜ける。 顔も見せず、何かを堪らえようとした篤人の背中は、三幸の目にしばらく張り付いたまま、引き剥がすことが出来なかった。 「ヒオキさん。どんな方かは存じません。でも貴方は、何を思って篤人さんにこれを……」 部屋に戻った三幸は、ベッドに体を投げ出し、託されたデジヴァイスを見つめていた。 篤人や選ばれし子供の話を聞いてからは、それまで軽く掴めた物が、鉛が入れられたみたいに重く感じる。自分のくすんだ赤髪とは違う、鮮やかな赤のデジヴァイス。じっと見つめていると、自分の目や腕に、灼けた感覚が伝わってきそうだった。 その熱と鉛が、自分の体の中に流れ込んできたように、重くなる。瞼は開いても、白いシーツの上に投げ出した体は最早、動きそうにない。 色々、ありすぎた。整理のつかない感情を抱えながら、分からないことばかりが増えていく。それでも多分、安全な環境で眠って一日を終えられる。それだけでも奇跡かもしれない。 何もかも明日にしてしまおう。そう思うと、瞼も重たくなってきたが、不意の声で軽くなった。 「……ミユキ。その、なんだ」 床に座るファングモンが、辿々しく語りかけるのに対し、三幸はデジヴァイスを離さず顔だけをファングモンに向けた。しかしファングモンのほうは合わせられた目を逸らすように、顔を背けてバツが悪そうに話を続ける。 「いつかは、言う必要はあったが……オレが追い剥ぎやってたのは、本当で、な……その……」 「……そのお金で私を買った話、やっぱり負い目を感じますの?」 ファングモンは無言で首を縦に振り肯定する仕草を見せる。その後、完全に後ろを向いて、何も言わなくなってしまった。 三幸はベッドから重くなった体を起こすと、額に人差し指を当てて黙考する。少しの間、テイマーとパートナーは向ける言葉に悩み、沈黙しあったが、先に三幸が口を開いた。 「ファングモン。私の気持ちだけを正直に言えば……何も思ってないと言えば、嘘になります」 ファングモンは、何も言わずに背を向けたまま体をピクリと動かし、少し頭をもたげさせた。 「ですがあなた、逃げたくてもフウジンモンと戦ったのも事実じゃないですの。 蔑む理由は、どこにもございません」 少しだけ間を置いて、ファングモンが三幸のほうを向き直す。その顔からは負い目は消えきっていないが……少しだけ、明るくなっていた。 「それに私も……恥ずかしい話……昔色々と……だから余計に、そう思いますの……」 「……お前のことは、聞かないでおいてやるよ」 歯切れを悪くして視線を逸らす三幸に対してファングモンは、明るい顔を何かを察した呆れ顔に変えて嘆息した。三幸は僅かに顔を赤らめて小さく呻く。その様子を見たファングモンは、気恥ずかしそうに目を逸らしてから、一呼吸置いて三幸を見据えた。 「まぁ、なんだ、ミユキ」 「……なんでしょう、ファングモン」 「もうとっくに色々あったし、これからも色々あるだろうけどな? パートナーになったのがお前で良かったって、今のところはオレ、思ってるからな」 言い終えてすぐ舌打ちをすると、オレはもう寝る。とだけ吐き捨てて、ファングモンはまたしても背を向けた。 その様子を見た三幸は少しだけ黙考すると、ファングモンに呼びかけ、自分の腰掛けているベッドを軽く叩いて、促したが。 不機嫌そうに振り向いたファングモンは、少し呆気にとられた表情をした後……俯いてしばらく考え、やがて歩きだし、三幸のベッドに前足を掛け、ひょいと登った。 Chapter4・次なる刺客 片桐篤人は、ダークエリアの住人、ファングモンを唆し、オークションで犬童三幸を購入させた。犬童三幸には、火置麗子が使用していたデジヴァイスと勇気の紋章を与えて、戦力に加える。 そして、損傷を負ったまま決死の追撃を行ったフウジンモンを2名で撃破。その後は恐らく、アヌビモンの助力を得て、表に逃走した。 これが、フウジンモンの残したログと間に合わなかった援軍の報告であった。愛甲は簡素な事務机と事務椅子だけが置いてある社長室……ドアすらなく、表札に社長室とだけ書かれた入口。灰色のコンクリートと外から差す闇の色の2色しかない空間で、無言で傍らに控えるシスタモン・ノワールと共に、険しい顔のまま報告と共に渡されたログが残された素子のようなものを、金の義眼でじっと見つめる。 幹部を総動員しての強襲。ひと屋にとって一か八かの策は、これで失敗になった。ここで選ばれし子供を全て消す。一人でも生きている限り、どんな動きをされるかは、かつてそうだった自分ですら想像がつかず……実際に、そうなった。 僅かに、フウジンモンの最期を考えた。何を思った。スイジンモンやライジンモン……兄貴分達に詫びながら消えたか。それとも、決死の追撃を行ったことを後悔して消えたか。どちらにせよ、フウジンモンは必要な犠牲として散らせたわけではない。だから無駄にしては…… 「あ、あの……社長さん?」 報告のためにやってきた女性、鳥谷部晶子が心配そうな目を愛甲に向ける。その目に気づいた愛甲は咳払いをして、険しくなっていた顔を戻す。 「フウジンモンの強行は、同じ立場ならば私も向かった。あなたも、急いだ結果だろう鳥谷部さん。 土壇場でここまでやる相手とは思わなかったよ」 愛甲はできる限り優しい声音で、思ったままの言葉を伝える。その言葉と振る舞いを見た鳥谷部は、にこやかに見える細目を保ちながら、ほっと胸を撫で下ろすような表情を浮かべている。 見た目は、30歳を超えていると思われる。グレーの事務服と黒いタイトスカートに赤いパンプス。ウェーブがかった暗い茶髪のボブカット。纏う雰囲気も見た目も、事務や受付を担当する女性。これだけで表現が出来そうな見た目である。 だがそんな女性が、人身売買組織に参加していること。それもオークション会場の受付などではなく、敵の討つような立場にいる。 歪。不自然。何かある。組織と立場で一気に不穏な存在となる。そんな女性であった。 「片桐篤人を……いや、選ばれし子供を見くびっていたよ。自分もかつてはそうだったというのにな。 これは幸運か奇跡か……どっちだろうね鳥谷部さん」 鳥谷部はこめかみに人差し指あてそれ以外の答えを考える仕草を見せたが、結局何も思い浮かばなかったのかように、小さく首を横に振った。 「どちらにせよ、次の手だ。鳥谷部さん……明日、ライジンモンと共に表に向かって欲しい。 目的は勿論、片桐篤人と犬童三幸の抹殺だ」 「あの……ライジンモンさんの負傷は一日で治るものでは無かったのでは?」 「超再生ディスクを使う。出し惜しむところでは無さそうだからな」 鳥谷部は、細い目を丸くしてまぁ!と小さく感嘆の声を上げた。愛甲は鳥谷部の顔も見ず、デスクの上の無線機に手をかけ、手短に用件を伝える。 それから5分もせず、社長室に向かって重い金属音が慌ただしくが響いてきた。そこからやがて、淡い金色の装甲で身を包んだサイボーグ型デジモン、ライジンモンが現れ、愛甲の前で膝に手をついた中腰の姿勢で、頭を下げた。 「姐御!それに……鳥谷部の姐さん!フウジンモンの野郎は……」 愛甲と鳥谷部が、無念そうに首を横に振る。その様子を見たライジンモンは、中腰の姿勢を解くと、再生したばかりの右拳をわなわなと震わせた。 「ライジンモン。明日、鳥谷部さんと共に表に向かい……弟達の仇を、討ってくるんだ」 「貴重な超再生ディスクを使って!もうワシに弟達の仇を討つ機会をくれると!?」 命令に喜び勇んで頭を垂れるライジンモンを、愛甲は手で制す。そのまま先ほど見ていたフウジンモンが残した素子を、ライジンモンに手渡した。 「フウジンモンが残したログだ。選ばれし子供はあと一人……のはずが、2人になったと言うべき状況だ。私が話すより、それを見た方が早い」 ライジンモンは受け取った素子を頭部にはめ込み、直立不動の体勢を取った。少しだけ間を置くと、見終わったのか、小さく何かを呟いてから鳥谷部の方を向いた。 「鳥谷部の姐さん!ワシは飯食ったらまた後で確認するけぇ……後で知恵、貸してくれんか!?」 「それなら……よろしければご一緒にどうです?そろそろシーチューモンにも、ご飯食べさせてあげないと…いけないので……」 「ぼれぇありがたいきぃ!……ほいじゃあ姐御!ワシは一旦失礼させていただきます!!」 「でしたら社長さん、私も一度失礼します……さて、何を作ろうかしら……」 抹殺命令を下された後とは思えないほど和やかに話し合い、ライジンモンと鳥谷部は愛甲に頭を下げると、そのまま去っていった。 パートナーであるシスタモン・ノワールと自分しかいなくなった社長室で、愛甲は周りを見渡してから、鍵が複数かけられた引き出しを開ける。 額縁に入った写真が2枚と白いデジタルカメラ。たったそれだけが入った鍵付きの引き出し。愛甲は、そのうちの1枚の写真を手に取った。 写されているのは、写真の一番端で桜色のワンピースを着て、前髪で目を隠していた10年以上前の自分と、かつて共に旅した選ばれし子供たち。 自分だけが生き残りリアルワールドに帰還して、穴が空くほど見返して、左目が義眼に変わってからも何も読み取れないのに見つめ続けた写真。 「待っててねみんな。もう少しだから」 それだけ呟くと愛甲は、写真を引き出しに戻して再び鍵をかけた。そこから机に肘をついて、自分が顔すら知らない、抹殺対象のことを考える。 片桐篤人。本来ならばオークションに出すはずだった者。それがどんな因果か逃げ出し、選ばれし子供となり、生き残ってオークションに出された者を買い、ダークエリアから逃れた。恐らく、自分の目的の最後の障害。 「もし奇跡が続くなら、君はライジンモンにも勝てるはずだが……どうかな、片桐篤人」 Chapter5・怒れる暴雷 犬童三幸がデジタルワールドに誘拐されてから迎えた最初の朝は、学校生活の夢から目覚めた。今が夢だと期待するも、右頬の痛みが三幸に現実を突きつける。眠りで冴えた頭に先のこと、本能的な問題を突きつけられたが、すぐに解決した。 食べ物と飲み物はある。貨幣に値するものもあり、稼ぐ手段もある。ひとまずは安心出来る。 その後、片桐篤人と共に食事を取り、肉畑を手伝い、近くを探索して食べるもの、売れるものを探す。そして寝る前にシャワーを浴びる。1日目は、それで終わった。 不安も不満も、無限に湧き出る。それでも生きる術はある。そして、自分は一人ではない。それだけは救いであった。 二日目。昨日に自分が暮らしていた世界との違いをあらゆる意味で刻み込まれたがそれでも、全てが悪い世界ではない。そう三幸は思えてきた。 夢は見ず目覚め、篤人と共に肉畑の仕事を手伝い、食料を確保する。朝食を食べた後、篤人やジャンクモン、そしてファングモンと話をしながら、集落外の平原を歩く。食料や売れるものを集めるという名目ではあったが、何かしないと落ち着かなかった。 多分、三幸だけではなく篤人やジャンクモンもかもしれない。ファングモンも「黙って寝てるよりは全然良いだろ」と、ぶっきらぼうに背中を押してくれたのもあり三幸は今日も、家電や電子機器のオブジェが散見される以外は、現実と大きく変わりない平原に出ることに決めたのだ。 その最中で、ぽつりぽつりとだが自分のことを話せた。まず年齢や名前の漢字に始まり、学校や家族のこと……篤人は、三幸が全寮制の女子校に通っていることを聞くと、少し驚いた顔をしてから、自分は家の近くの公立校通いだということ、同じ中学2年生だということを答える。 家族の話も少しだけした。成人済の姉と国立大学の受験を控えた兄、2つ離れた弟もいると三幸が話すと、篤人は少し硬い表情で、自分にも高校受験を控えた姉がいることを話した。 「あんまり仲良くないけどね」 そう語り嘆息する篤人の顔からは、後悔が薄っすらと滲んでいるように見えた。もう少し知りたい気持ちもあったが彼の反応と、眉を顰めたジャンクモンの顔から、良い話には思えない。 (今は踏み込まない方がいいかな……) そう感じ取た三幸はデジタケを見つけたフリをして話を切り上げる。その後は沈黙を嫌った他愛のない話を繰り返し、後は同じように二日目を終えた。 三日目。アヌビモンと先の方針を決める日が来た。また同じように過ごしてから、飲み物を買う時間と金はあると思い、三幸と篤人達は外に出る。 宿から出て少し歩いた先で、成長期や幼年期のデジモン達が集まっている。何事かと思い近づくと、ゴーグルを着けた鳥のデジモンが、ピヨモンを背中に乗せ飛び回っているのが見えた。 「こ、これ!そろそろ降りて……母上!どうか見ておらずに……」 「良いではないですかシーチューモン。その子、とても楽しそうですよ?」 シーチューモンと呼ばれたデジモンは、着地してからも背中にしがみつくピヨモンにどうにか降りてもらおうと、慌てた声音で母上と呼ぶテイマーらしき女性に懇願するも、笑顔で流される。シーチューモンは諦めたような嘆息をして、また飛び立つ。ヒヤリモンを抱えた事務服を着た女性は、その様子をどこか陰った笑みで見つめていた。 「篤人さん、あの方も……人間……ですわよね?」 「うん。居る理由は知らないけど……あんな風にテイマーやってる人間も普通にいるよココ」 篤人以外の人間を初めてデジタルワールドで見かけた三幸は一瞬、見間違えを疑った。その一瞬の思い返しで三幸は僅かに恥ずかしくなり顔を逸らしたが、篤人は気にした様子もなく穏やかに答える。 「俺様とアツトだけで行動してた時も居たぜ、色んな奴。自分のテイマーを母上と呼ぶやつは流石に見たこたぁねェけどな……」 「色んな関係があんのはよ、デジモンも同じってことだミユキ」 ジャンクモンとファングモンの言葉に相槌を打った後、三幸は篤人に、あの2人楽しそうですわね。程度の話をしようと思い、彼に視線をやった。 しかし、視線の先の篤人は先ほどと打って変わり、険しい顔で紫と黒のデジヴァイスを握っていた 表情が変わった篤人を見て、三幸も彼の視線の先を追う。シーチューモン達と反対の方向に、淡い金色の装甲と両肩部に何らかの装置、そして尻尾のようなコネクタをぶら下げた、人間の倍はある大きさのマシーン型デジモンがいた。両腕には、成長期のデジモンが2体、ぶら下がっている。 「おうおう。元気がええのぉ……そらっ!」 目も声音も楽しげに、デジモンをぶら下げたまま腕を上下左右に動かしたり、ゆっくりとその場で回り、回旋塔のようになり遊ばせている。 三幸は、ただ微笑ましい光景を篤人が睨む訳が無いと考えた直後、ダークエリアで戦ったフウジンモンのことを思い出し、そこから答えが繋がった。 多分、あいつもひと屋所属のデジモンだと。 視線の先のデジモンが一瞬、殺意の籠もった目をこちらに向けてきた。その後、ゆっくりとぶら下がっていたデジモンを降ろし、殺意は霧散した目と優しい声音で、降ろしたデジモン達に小さく謝った。 「すまんのぉ。ワシ急用出来たわ……またな?」 そして名残惜しそうに手を振りながら去っていくデジモンを見送ると、マシーン型デジモンがまた殺意の目でこちらを振り向き、三幸と篤人に近づく。土を踏む音が近づく度に、圧力が徐々に大きくなる。額に、首筋に、手のひらに、嫌な汗が滲むのを2人は息を呑み込んで、堪えた。 そしてそのデジモンは、篤人の前で足を止めた。 「片桐篤人……ワシのツラ、忘れとらんな?」 「ライジンモン……!」 名前を答えた後は自身を睨みつける篤人の反応を見て、ライジンモンは鼻を鳴らして右手を上げる。すると少し前まで飛び回っていたシーチューモンと、その近くにいた事務服の女性が近づいてきた。篤人達は呆気に取られたが、すぐに気を持ち直した。 「犬童三幸と片桐篤人ね。初めまして、私は「ファングモン!!」 三幸の声に応えたファングモンが、テイマーと思わしき女性に飛び掛かるも、指示することもなく割って入ったシーチューモンが氷を纏った爪でそれを防ぎ、ファングモンを押し返した。 「……私は鳥谷部晶子で、この子はシーチューモン……気の荒い子ねぇ、三幸さん」 ファングモンの事に構わず、瞬き一つせず苦笑いを浮かべた鳥谷部と名乗る細目の女を、三幸は顎を引いて睨みつける。集落の住民は突然始まった一触即発の雰囲気の察知すると、各々が逃げたり、住居としている場所に身を隠して、身を守り始めた。 (いきなり仕掛けたの、間違いだったな……) 集落の様子を見た三幸は、無関係のデジモンを怖がらせたことから下唇を噛んで僅かに後悔した。 「やるなら平原でだよ。お前の残骸なんて、集落のデジモンに見せたくない」 「はっ!口の減らんガキめ……まぁええ」 三幸の後悔を察してか、わざとらしくズボンのポケットに手を突っ込み、挑発的な言動を取る篤人に対しライジンモンは肩をすくめてから、背を向けた。 「シーチューモン。鳥谷部の姐さん。犬童三幸のほうを頼む。ワシは仇を討ってくる」 Chapter6 ・仇討ち合戦 自然物に混ざり家電や電子機器のオブジェが点在する平原の一角で、ライジンモンは争いの始まりを思い返す。自分は姐御と呼ぶ愛甲真優美はダークエリアに到達した選ばれし子供に対し、六幹部総員での強襲を命じた。 そして弟であるスイジンモンやフウジンモン、筆頭幹部のムルムクスモン、メデューサモンやザンバモンも討たれ、生き残ったのは自分だけになった。 そして、選ばれ子供の生き残りも、眼前で仏頂面を浮かべている片桐篤人と、そのパートナーのみ。 ライジンモンと片桐篤人は、お互いに最後の生き残りであり、仇となった。 (にしても姐御は……何を考えたんじゃ?) 自分達に襲撃を命じた愛甲の様子は、ライジンモンには何かを委ねたように見えた。デジモンに人間を売る商売を行う組織の創業者は、金が目的で動いているようには、自分にも見えなかった。 (ええわ……ワシら兄弟は姐御に恩がある。奴を殺る理由なんぞ、それで十分じゃ) 創業者の裏を考える前に、自分達が拾われた恩を思い返すし……再び腹を決めると、自分の両拳をぶつけ合わせ、仇を睨みつけた。 「死ぬ前に言いたい事があるなら、聞いちゃる」 「お前こそ辞世の句、考えとけよ」 「アヌビモンが気にいったなら、特別にデジタマに戻してくれるかもな」 「はっ!ほざきおって……」 一歩も引かずに煽り返す仇とジャンクモンを鼻で笑うと、ライジンモンは近くの大岩を殴り壊し、人の倍はある両拳で破片を握りしめ、そのまま拳闘の構えを取った。 「弟達の仇討ちじゃあ!さっさと進化させてかかってこんかい!!」 「……ジャンクモン!超進化!!」 篤人はライジンモンを睨みつけて、デジヴァイスに力と怒りを流し込む。白い光が放たれ、ジャンクモンは同じ輝きに包まれると、空き缶の大砲ではなく、本物の大砲とガトリングガン装備した青白い竜人と戦車を合わせた姿へと進化した。 「仇を取るよ!タンクドラモン!!」 「おう!……覚悟しやがれカミナリ野郎!!」 「あなたも来てくれたこと、感謝するわ。子供を巻き込むの、嫌だったもの」 篤人達とは逆方向の平原で、鳥谷部晶子は細い目で、三幸とファングモンの対応に対して嬉しそうに微笑んだ。その様子に三幸は、あれは本心だと感じながらも、問いただすように口を開く。 「篤人さんや私を攫っておいてどの口で……」 「本心よ。デジモンと言っても子供は子供だもの」 「もう一度言いますわよ。篤人さんや私を攫っておいて!どの口でほざく!!」 憎悪すら見え隠れする声音の三幸に、鳥谷部はこめかみに人差し指をあて考える様子を見せた後、少し顔を俯けてから答え始めた。 「……色々あるの、ひと屋にも」 「そもそもアンタ、なんでひと屋にいる?オレにはアンタが、事務で働いてる女にしか見えねぇよ」 「娘の仇を討ってもらったからよ」 鳥谷部はファングモンの問い対して間髪入れず、滲んだ何かを押さえるような低い声で答えると、潤んだ目を擦って顔を上げる。 娘の仇。その言葉で三幸は衝動的に考え始める。もし家族の誰かが殺されたら、私は何をする?その果てにひと屋のような組織に行き着いても、仇討ちの渇望を堪えることは出来るのか。 僅かな沈黙の間に、最初から線になる考えが続き、あっという間に本心からの答えが浮かび始めた。 「何考えてるミユキ!あの女の言葉が本当だとしても、今何してる奴かを考えろ!」 「っ……そう、でしたわ」 出てはならない答えが思いつく前に、ファングモンの言葉で我に返ると、三幸は右頬の傷に爪を軽く突き立て、痛みで無理やり自分を引きずり戻した。 かつてよりも、今。自分達が打ち倒すべき組織の一員がどんな過去を持っていようが、関係無い。 「母上。それ以上語るのはあなたにとっても……」 「……そうね、シーチューモン……やるわよ!」 三幸と同じようにシーチューモンの言葉を聞いた鳥谷部は、濃紺のデジヴァイスを構える。それを見た三幸も驚きを堪えて、託された深紅のデジヴァイスを、同じように構えた。 「ファングモン!」 「シーチューモン!」 「「進化!!」」 お互いのデジヴァイスから放たれた光が、ファングモンを全身に炎を纏った巨大な魔狼へ、シーチューモンを、透き通った氷の外殻に身を包んだ青い竜人へと姿を変える。 「ヘルガルモン!!」 「クリスペイルドラモン!!」 進化した名を叫ぶと同時に、炎の魔狼と氷の竜人の爪がぶつかりあう。氷にも関わらず重い金属音を響かせた後、薄氷が割れるような音が鳴らし、クリスペイルドラモンの爪がひび割れ、砕け散った。 「もう片方の爪もぶっ壊して……ん!?」 パワーは勝っている。そう踏んだヘルガルモンがもう一撃を叩きこもうと、反対の腕を振り上げようとした瞬間、ぶつけあった爪の熱が一気に消える感覚に襲われ、慌てて後ろに飛んだ。 「ヘルガルモン何で攻撃を止め……あ!?」 パートナーの行動に困惑した三幸が声を掛けた瞬間、ヘルガルモンの爪が分厚い氷に覆われ、炎ごと凍りつくという、思考が追いつかない光景を目の当たりにした。 「すまんミユキ!何とか出来るか!?」 「……こうすればきっと!」 三幸は歯を食い縛ってデジヴァイスに力を送り、炎の勢いを上げる。凍った炎が小さく揺れ、氷は徐々に水蒸気に変わり、炎が勢いを取り戻し始める。 「クリスペイルドラモン、大丈夫よね?」 「はい、母上……凄まじい力でしたが、まだ!!」 クリスペイルドラモンの砕かれた爪に、青い0と1が覆い尽くすと、ゆっくりと元の形へ戻っていく。 ヘルガルモンも氷を溶かし切り、炎は先ほどよりも強い勢いで噴き上がり、激しく揺らめいていた。 「……犬童三幸……これは確かに、オークションに出されるだけの素質があるわね」 鳥谷部からは、笑みが消えた。ほんの少し前には、幼年期のデジモンを抱きかかえ、優しい笑みを浮かべていた事務服の女性は、今や氷のように冷たい目を三幸に向けている。 「ミユキ!出し惜しんだら全身が凍っちまう!一気に行かせろ!!」 「ええ!すぐに終わらせて、篤人さん達を助けに行きますわよ!!」 パートナーの頼みに答え、限界近くまで力を送り込む三幸を見てから、鳥谷部はクリスペイルドラモンへと力を送ると、冷たさを消して、子どもを諭すような優しい声で語りかけた。 「焦っちゃダメよ?あなたと私なら、凌げるわ」 「心得ました母上……さぁ来い!今度は全身を凍りつかせてくれよう!!」 「……蒸発させてやれ!ヘルガルモン!!」 三幸の目が血走り、右頬の傷が薄っすらと赤く滲み始めたのをヘルガルモンは気づかないフリをして、再びクリスペイルドラモンに突撃した。 雨垂れ石を穿つ。ならば銃弾の雨で、装甲を穿つ。それが篤人の選んだ戦い方であった。 フットワークを刻み、風切音を鳴らしながら上下左右から鉄槌のような拳が飛び交う。タンクドラモンはキャタピラを駆動させながら、拳が届かない距離でガトリングガンを撃ち続ける。正確な例えではないはずだが、インファイトとアウトサイドボクシングのやり合いと篤人は捉えている。 (後は、何をしてくるかだけど……) ガトリングの音に混ざり、弾丸の命中音と、舌打ちが聞こえる。フットワークで弾丸の雨を躱しながら接近をするも、回避しきれない、或いは装甲を頼って防ぐ良い弾も出ている。 だが、これで究極体という巨石を穿てるほど甘くない。銃弾の雨垂れの後に、ストライバーキャノンを撃ち込んで、ようやく穿てる。 13ラウンドで終わり、勝敗を判定に委ねる試合ではなく、格上相手の命の奪い合いを制するには、リスクを背負うしかない。篤人は唾を飲み込み、ライジンモンの動きを凝視し続ける。 「小うるせぇ奴め!これならどうじゃ!!」 ライジンモンが後ろ脚に力を溜める様子を見て、篤人はすぐ後退指示を出す。タンクドラモンも射撃を止め、キャタピラを逆回転させ一気に離れる。後脚で地を蹴り、前脚に重心を乗せ大きく踏み込み、肩も突き出す。風切り音……いや、空気を突き破るような拳は、後退したタンクドラモンの眼前で止まる。その拳の風圧を受け、タンクドラモンは直撃したことを想像し、背部に冷たいモノを感じながら攻撃を再開した。ライジンモンは、舌打ちをして構えを取り直ると、自身もまた攻撃を再開する、 自分が見ていれば対応出来る。額から流れてくる嫌な汗を眼鏡を外して後、詰襟の袖で拭き取る。一度呼吸を整えてから、声を上げた。 「タンクドラモン!あいつの動きは僕が見てるから!!気にせず撃ち続けて!!」 「おうよ!頼むぜアツト!」 心強い返答を受け、この綱渡りを続ければ、敵に変化が起きる。篤人はそう確信した。 (あの野郎、よく見てるのぉ……) ライジンモンは再び全て避けきれない銃弾の雨を受けながら、タンクドラモンへ拳を振るう。動き回りながら拳が捉えられない距離を保たれている。 銃弾を受け続けた装甲から感じる歪み。内部から僅かに感じる軋み。このまま弾を受け続けたら、いずれ身体に穴が空く。大きな衝撃を受けたなら、身体が吹き飛ぶかもしれない。 片桐篤人は、姐さん…鳥谷部晶子が自分ならばこうすると話した事と同じ行動に出た。そして、思った以上に敵はこちらを良く見ている。 一撃でも受ければ形勢が傾く綱渡り。それで勝つつもりならば、弾丸の雨程度に怯むものか。 片桐篤人。弟分であるスイジンモンやフウジンモンの仇。ひと屋に歯向かう選ばれし子供の最後の生き残りであり、肝の据わった強敵。 それだけは認めてやる。そうひとりごちると、ライジンモンは次の手を打つために再び動いた。 「まだ終わっとらんわい!!」 ライジンモンが大きく動き、弾丸の受ける箇所を散らばらせながら、タンクドラモンに接近する。やはり拳が届かない距離を維持するように動き回り、後脚に力をためて踏み込もうとすると、テイマーの指示で一気に後退する。 延々と続く綱渡り。ならば、綱を切り落とす。 ライジンモンが大きく横に飛ぶと、握りしめていた岩を、テイマーに向けて投げつけた。 「しまっ……アツト!!」 「っ…僕に構わないで!今だよ!!」 タンクドラモンは投げつけられた岩にガトリングの銃口を向けようとしたが、篤人の叫びを受けとると、苦虫を噛み潰した顔でキャノン砲をライジンモンに向けた。 ライジンモンは、岩を投げた瞬間に、頭と顔だけは守る姿勢を取った篤人の姿を見て、舌打ちをした。その直後、鈍い音と痛みを堪える声が聞こえたが、一瞥もせず、タンクドラモンを見据える。 「隙を晒したなカミナリ野郎!ストライバーキャノンを喰らいやがれ!!」 着地した瞬間、キャノン砲を向けたタンクドラモンが、ライジンモンに向けて必殺の砲弾を撃ち込むべく、平原に轟音を響かせた。 銃弾の雨に晒され傷つき軋んだ装甲で必殺の砲撃。直撃すれば、ひとたまりもない。 雨垂れ石を穿つ。銃弾の雨で装甲に穴を開け、砲弾で吹き飛ばす腹積もりだったならば、こちらは一撃で風穴をぶち開ける。 「それでワシのタマを取ろうてか!10年早いわボケが!!」 ライジンモンは、満タンに充電した肩の電力ユニットを起動する。起動音が鳴った直後、バチリバチリと音を立てる電光が、拳に向かい集まっていく。 「大穴ぶち開けたる!エレクーゲル!!」 ライジンモンが掌を突き出すと、放電が始まる。迸る雷撃は大槍のように収束し、一直線に空間を貫く勢いで放たれると、ストライバーキャノンは貫かれ……そのまま爆ぜ、爆煙を撒き散らした。 「ストライバーキャノンが簡単に……がぁぁ!?」 タンクドラモンは、必殺の一撃が呆気なく爆ぜたことに驚愕した瞬間、爆煙を突き破る雷槍に貫かれ、激痛と感電した音を混ざった絶叫をこだまさせた。 投げつけられた岩は、咄嗟に頭と顔を守った腕に直撃した。痛みを堪えられずに呻きを漏らし、直撃した箇所を擦る。その直後にストライバーキャノンを砲撃音が鳴り響く。 この一撃でどうなる。固唾を呑んだ篤人の眼前で、ライジンモンが放った雷槍が、ストライバーキャノンごと自分のパートナーを貫いていた。 「タンクドラモン!?」 「ぐがぁぁぁ!!…ア…ツト!レーダ……が…れ!」 「周りは僕が見る!まず動いて!!」 雷槍に貫かれた激痛と感電して言葉がまともに出せないタンクドラモンに無茶かもしれない指示を出すと、即座に後悔が襲いかかってきた。 (クソ!放電だけじゃなくて、あんな真似もできたのか……!) タンクドラモンが動こうとしている最中、今度は地面を殴りつける音がした。その瞬間、けたたましいスパーク音を打ち鳴らす紫電が波状に広がり、タンクドラモンに迫りくる。 「くそ!何で動け………ガぁぁぁァ!」 未だに動けないタンクドラモンは、そのまま紫電の大波に呑み込まれ再び絶叫した。 「もう逃げられんぞ!!往生しぃ!!」 爆煙の中からライジンモンが、ダンプカーのような勢いで突っ込んできた。その両拳には、巨大なナックルダスター状の雷撃が纏われジリジリと耳障りなノイズを大音量で撒き散らす。 そして、その拳で放たれるストレートが、タンクドラモンの顔面に叩き込まれた。 綱は、呆気なく切り落とされた。真っ先に思い至った事実に篤人は、身体に鉛が流し込まれたように感覚に見舞われた。 Chapter7・役立たずの紋章 繰り返される風切り音、スパーク音、打撃音、苦悶の声。ライジンモンは身動きの取れないタンクドラモンに、無言で拳を叩き込み続ける。タンクドラモンも、ガトリングを動かそうとするが、何故かライジンモンに向けることも叶わない。キャタピラも駆動せず、悪あがきで腕を振り回すことも出来ず、サンドバッグ同然となってしまった。 「……いい加減にしろこの野郎!!」 篤人は、投げつけられた岩を両手で持ち上げ、ライジンモンに叩きつけるために走り出す。腫れた腕の痛みは、全く気にならなかった。 「てめぇは後じゃ片桐篤人!!」 ライジンモンは一瞥もせず、後ろから近づく篤人に裏拳を叩き込み突き飛ばすと、再びタンクドラモンを殴る。コーナーポストに追い込まれた後の一方的な状況はタンクドラモンが力尽き、ジャンクモンの姿に戻ると一度止まった。 だが、ここにはレフェリーもいなければ、ゴングもない殺し合い。ライジンモンの目はすぐに篤人のほうに向くと、そのまま歩を進めた。 「ジャンクモ……この野郎よくも……がぁっ!」 突き飛ばされ、仰向けに倒れ込んだ篤人の腹部を、ライジンモンが殴りつける。体の中が潰れたと思うほどの鈍く重い衝撃。声にならない悶え声と灼けた何かが、間欠泉のように吹き上がる。 「良い度胸じゃ。てめぇのそこだけは認めちゃる」 ライジンモンは、苦しむ篤人の胸倉を片手で軽々と持ち上げ、無機質な目と篤人に顔を近づけた。 「褒美じゃ、言いたいことがあるなら聞いて「まだ終わってないのに勝った気になるの、弟達と一緒だなライジンモン」 篤人は言い終わるのを待たず、侮蔑する声音で吐き捨てた後、口を真一文字に結ぶと、敵意をむき出した黒目でまだ勝ってもいない相手を睨みつける。 「……はっはっはっは……そうか、まだ終わっとらんか……ははは……」 ライジンモンは篤人の、今もなお敵意を剥き出して一切引くつもりもない、その強硬な態度と発された言葉を受け取ると、一瞬目を丸くした後に、天を仰いで乾ききった笑い声をあげた。篤人はその様子すらも、無言で睨み続けている。 「はっはっは……どの口で弟達のことをほざき腐るんじゃこのクソガキャぁ!!」 乾いた笑いを終え、鼻先に落ちた雷のような怒号と共に篤人を振り上げ、地面に勢いよく叩きつけた。鈍い音と背中から全身に走る重い衝撃を受け、篤人は悲鳴を堪らえたような高音で苦悶の声を漏らす。ライジンモンは、今度は篤人の首を掴むと、怒りで血走った目で凄み始めた。 「もう一度抜かせ!どの口で弟達をほざきくさ「そういう所だよ、ライジンモン」 またしても言い終わるのを待たず、名前通り怒り狂う雷神の形相で凄むライジンモンに対し、篤人は血の混ざった唾を顔を吐きかけた。そして、身体に走る痛みを堪え、またしても睨みつける。 ライジンモンは、吐き出された唾を片手で拭うと、怒りで肩を震わせ始めた。 「てめぇこのまま殴り殺……あァ!?」 ライジンモンは自分の背中に何かが当たった事に気付き、顔を動かす。視線を遮り、時には甲高い音を力無く鳴らす、錆びたネジやクギ、用途がすぐに分からないジャンクが飛び交っている。 「今更、何しとるジャンクモン」 「うるせェぞカミナリ野郎!アツトから……俺様のパートナーからその汚い手ェどけやがれ!!」 打ちのめされ進化が解けたジャンクモンが、地面に爪を突き刺し姿勢を安定させながら、ズタ袋からありったけのジャンクバーツを、放物線上にライジンモンめがけて打ち込み続けていた。 ライジンモンは時折身体に当たるジャンクに一切の反応を示さず、無駄なあがきを続けるジャンクモンを、自分の眼前に飛び交うモノと同じ目で見た後、もう片手で握っていた岩を放り投げ、ジャンクモンに直撃させた。 「ごがっ……!」 「さっさとくたばらんかい!腐れネズミが!!」 「ジャンクモン!……この野郎!!」 短い悲鳴をあげ倒れたジャンクモンを見て、篤人は衝動からライジンモンの指を引き剥がそうと、血走った目で唸り声を上げ、抵抗する。当たり前だが、引き剥がせない。次は指に噛み付こうと、頭を必死に動かし始めた。当たり前だが、届かない。 「てめぇらを殺した後は犬童三幸の番じゃ!今頃、鳥谷部の姐さんに凍らされ、粉々にされてるかもしれんがのぉ!!」 ライジンモンは、腕に力を入れ、篤人の首を絞め始めた。篤人は苦しみを堪え、ひたすら指を引き剥がそうとする。足をバタバタと振り回し、必死の抵抗を続けるも、少しずつ、苦しみが増していく。 「生きとるならワシがてめぇの後を追わせたる!! そして、ひと屋に歯向かったバカなガキ共の末路をデジタルワールド中に聞かせたるけぇ!!」 絞まっていく首、解けない指、涙で滲んでいく目。 苦しい。助けて。白黒し始めた視界の中で吐きだしたい思いをひたすら堪え、抗う。 (くっそ……息が……) やがて、腕の力が抜け、白黒していた視界は黒一色に染まった。 黒一色の視界の中、首を絞められ朦朧としていくはずの篤人の意識は、何故かはっきりとしていた。走馬灯かと思いもしたが、他のものは見えず、何かが始まる気配もない、何も見えないのに、自分の存在だけははっきり分かる。 自分は死んだ。そう思うとまず、安堵を感じた。 「ああ、これで僕も…」 安堵から口走った言葉が終わる直前、自分を殴りたくなるほどの怒りで、一気に感情が浮かび上がる。 ライジンモンを……ジャンクモンを散々痛めつけたアイツを、殺したくないのか。 犬童さんとファングモンはどうなる。僕が死んだら彼女は、永遠に苦しむことになる。巻き込んだ自分が死ぬなんて、絶対に許されないだろ。 そして何より、僕は決めたじゃないか。仲間の無念を晴らす。仇を討つんだと。 だから力が欲しい!ライジンモンを殺し……ひと屋を……何もかもを、ぶち壊せる強い力が! 「篤人さん!」 何も見えない、どこにいるかも分からないにも関わらず、犬童三幸の声がした。必死に目を動かすが誰もいない。死にかけの幻聴か、今度こそ走馬灯の始まりか、そう思った矢先に、自分の名前を呼ぶ声が、矢継ぎ早に聞こえてくる。 篤人。片桐。篤人君。片桐さん。 そうやって自分の名前を呼ぶ、仲間達の声。 「片桐君!」 そして、一番聞きたかった……好きだった、火置麗子の声も、聞こえた。 「君が【奇跡】起こすって……仇を取ってくれるって、私は信じてるから!!」 最期の言葉と、違う。だがその違和感をかき消す激しい感情が、腹底から爆発的に湧き上がる。 【奇跡】。管理者が最も素晴らしい個性だとほざいた紋章。居てほしかったみんなではなく、自分だけを生かす役立たずの証。 なのに今、自分は死にかけている。この事実に爆発的に湧き上がった感情が、どす黒い炎になり、天まで焼くような勢いで燃え上がる。その勢いに任せ篤人が口を開くと、真っ先に、罵倒が出た。 「おい役立たずの紋章。いい加減に働け。 ここで死んで楽になれたのが奇跡とほざくなら、踏み潰すからな」 「……ちっ!この光は!!」 ドス黒い光が片桐篤人のデジヴァイスから放たれていることにライジンモンが気づくと、篤人の首を絞めたまま、ジャンクモンのほうを向く。やはり、同じ光が体を包んでいる。恐らく進化だ。早急に止めなければいけない。 エレクーゲルの充電は、タンクドラモンを打ち倒すために全て使い切った。それだけの相手だと判断してのことだった。だが一瞬、それだけ充電出来ればどうにでもなる。 ライジンモンはコネクタを地面に突き刺し、一瞬でも充電した電撃をデジヴァイスに打ち込み、進化を止めようとしたが……コネクタは地面に刺さらず、力の無い音を鳴らした。 「ちっ……無駄な抵抗をしくさりおって……!」 ジャンクモンが打ち込み続けたジャンクパーツが、たまたまコネクタに当たり、弾かれた。ライジンモンが、もう一度差し込もうとした瞬間、巨大な何かで横面を叩かれ、吹き飛ばされる。そしてその拍子でライジンモンは、篤人から手を離してしまった。  「げっほ……ゥう……言っただろ…終わってないのに…勝った気になるの、弟達と同じだって……」 「……けっ!悪運の強いガキじゃの!!」 地面に叩きつけられた後、圧力から解放され咳き込みながらも煽り続ける篤人に対し悪態をつき、すぐ立ち上がったライジンモンは、再度充電を行いながら、自分を吹き飛ばしたモノを、見上げた。 「ちっ……こいつぁ…面倒じゃのぉ……」 直前まではスクラップを撒き散らしていたビーバーの人形は、タンクドラモンとは比べ物にならない巨大なデジモンへ進化を遂げた。 巨体に似つかない細腕と、肘に取り付けた三連装砲には、生半可なデジモン(容易く引きちぎるであろう金の大爪。背部には、肘の三連装砲よりも遥かに巨大な砲塔を背負い、腰から脚部、そして胸部も赤金のパーツに覆われている。 一通り咳き込み吐き出し、眼鏡をかけてから立ち上がった篤人は、憎悪と殺意の二つが宿った黒目をライジンモンに向けると、その宿った感情のまま、破壊の紫竜の名を叫ぶ。 「ぶち壊せ!!デストロモン!!!」 破壊の紫竜、デストロモンは篤人の感情に応えるかのように、空を突き破るような咆哮をあげた。 そして咆哮がこだまする中、篤人が身に着けた役立たずの証が微かに光っていることに、誰も気づいていなかった。 Chapter8・破壊する奇跡、デストロモン 何かが聞こえ、犬童三幸の背に薄ら寒いものが走った。ソレは眼前にいるクリスペイルドラモンの冷気ではなく、もっと力のある何かによるもの。眼前の敵は爪も翼も破損してはいるが、決定的な一撃は与えられなかった。 ヘルガルモンは氷の爪で切り裂かれ、ハウリングバーストは吹雪で掻き消されを繰り返し、少し陰った氷の中で身に纏う獄炎が小さく揺らめいている。 「ミユキ……まだ……やれるか……?」 「……これで多分、本当の意味で限界!」 凍てつきながらも闘志という炎は消えていないパートナーに応え、三幸は自分の奥底にある全てをデジヴァイスに注ぎ込む。 だがその直後、身体からは炎ではなく透き通った氷が体を突き破り、獄炎ごとヘルガルモンの体を貫いた。魔狼の絶叫を聞き、三幸は驚愕の声を堪えて力を送ることを中止した。 やがて、全身を氷で穿たれたヘルガルモンはその場で膝を着き、ガジモンまで退化した。 「ヘルガルモン……お前!何をしたぁ!!」 「教えない。でも、止めたのは賢明よ三幸さん」 額から僅かに流れた汗を拭ってから、鳥谷部が穏やか顔で答えた。三幸は、身動きの取れないガジモンの体を抱き起こす。 息はある。それだけを確認するとガジモンを背負い、クリスペイルドラモンを睨みつけた。 「その目が出来るのは褒める所だが……策は尽きたであろう、犬童三幸」 「心配しないで。殺さないから……目的が終わるまで牢屋にでも入っててもらうけど!」 クリスペイルドラモンが少しずつ、三幸に歩み寄る。土を踏む音と漂う冷気が自分の身に近づく度に、出来ることを探す自分と恐怖を感じる自分がせめぎ合う。 目の前まできた氷の竜人が、腕を伸ばす。その直後に虚空から突然現れた獣の牙が、クリスペイルドラモンの腕を噛み千切った。 「クリスペイルドラモン!?一体どこから……」 「心配なさるな母上……この程度!」 一瞬のことで少し狼狽えた鳥谷部を宥め、クリスペイルドラモンは食いちぎられた腕から冷気を発生させ、瞬く間に氷の腕を作り出す。 その一瞬のことを考えたのは三幸もだったが、答えはすぐに現れた。空中に真っ黒な大穴が開き、そこからアヌビモンが姿を現した。 「アヌビモン!」 「ここからは我に任せよ、犬童三幸」 助かった。真っ先にそう感じて安心した三幸に、アヌビモンは一瞬視線をやると、何らかのデータを三幸のデジヴァイスに送り込んだ。 「お主のデジヴァイスに回復ディスクを入れた…ここは我に任せ、篤人の元へ行け」 「っ……お願いしますわアヌビモン!」 三幸はそのまま、ガジモンを背負って走り出した。 「……よくも私の息子の腕を!!」 「息子」を傷つけた張本人を見つけ、細目をつり上げ激昂する鳥谷部を、アヌビモンは無言で、それでも怒りを滲ませながら口を開いた。 「ひと屋の者よ。貴様らに主文は不要ぞ。今すぐ死をもって償うが良い」 アヌビモンが鳥谷部を睨みつけ右手を上げると、黒く巨大な輪が地に現れ、そこから光も通さない闇の色をした鰐や獅子に河馬の群れ。そして一際巨大な、それらを合わせた魔獣が現れた。 「母上……如何なさいますか?」 「……最悪の予定通り、時間を稼ぐわよ」 闇色の魔獣の唸りを聞きながら、激昂していた鳥谷部は冷静さを取り戻し、クリスペイルドラモンへ力を流し込む。アヌビモンはただ、怒りを滲ませた目を「親子」に向けると、そのまま腕を下ろし、冷たい声で二人を指さす。 「アメミット。欠片も残すな」 アヌビモンの号令の元、地獄の魔獣達は一斉にクリスペイルドラモンへ飛びかかった。 デストロモンが咆哮を終えると、山のような巨体から金の大爪をライジンモン目掛け振り下ろしたが、それを難なく回避する。 地面が突き抉られた音に、思わず視線を向けたくなったがそれを堪え、眼前に迫る尾を拳で殴りつけ相殺を図るが、力負けして吹き飛ばされる。 「ワシが押し負けるじゃと!?パワーは下手すりゃスイジンモン並……!」 世代が違う相手に押し負けたことに衝撃を受けたライジンモンに構うことなく、デストロモンは左腕の三連装砲を撃ち込む。轟音と放たれた閃光をライジンモンは回避しようとしたが、時間差で逃げ道に置くように放たれた右腕の砲撃見て、回避ではなく全て雷撃で相殺する。 「くそっ……手こずらすな死に損ないが!!」 「お前が殺し損ねただけだろ」 冷淡に、それでも強い殺意を滲ませた片桐篤人が短く答えると、今度は背負った三連装砲を放った。 ライジンモンが吹き飛んだ瞬間を見た篤人の胸中には、陶酔で浸された。雨垂れ石を穿つなどという真似をした結果、タンクドラモンが穿たれた。だが、破壊の紫竜へと進化した途端、形勢は変わった。 腕や背の三連装砲から放たれる光弾から逃げ回るライジンモンを見ると、僕は、こんな奴に。そんな思いすら湧いてくる。 砲弾を走って避け、雷撃で相殺し、防戦に回ったライジンモンに向けて、先端に刃を取り付けられた尾を、思いっきり振るわせる。 しなり、風切り音を鳴らす鞭ではない。風を砕きながら迫る巨大な尾からライジンモンは、踏ん張りながら身を守る。 装甲とぶつかったとは思えない鈍く重い音が響いた後、ライジンモンの左腕を刃が貫いた。短く堪えた声を聞くと、篤人は胸がすく気持ちになった。 「……腕ぶっ刺して満足か!?あぁ!?」 直後に、苦悶を漏らしたライジンモンからは落雷のような怒号が発され、デストロモンの尾に雷撃を纏わせた手刀を叩き込む。尾はスパーク音と共にバターのように切り落とされると、デストロモンの激痛を堪えた叫びが、平原に響き渡る。 ライジンモンは左腕に突き刺さった刃を引き抜くと、篤人に向かって投げつけた。刃は突き刺さることなく、篤人を庇ったデストロモンの赤金の装甲にあたると、甲高い音を鳴らし力なく地に落ちた。 左腕を抑え声を荒げるライジンモンを、篤人は憎悪と侮蔑を込めて見据える。確かにまだ、腕を刺しただけ。そして尾は切り落とされもう使えない。 だが付け入る隙を作れた。左腕を使おうとしたら、それだけでも消耗する。 次は右腕だ。爪で引き千切るか、三連装砲で吹き飛ばしてやる。その次は足だ。最後にはバラバラにして、踏み潰す。それで仲間は少し報われる。 力への陶酔で浸された腹の底に、加虐の意思が加わると、甘露のようなソレは瞬く間に篤人の脳に届いた。そこに憎悪と怒りが乗っかり、篤人は呑み込まれ溺れるほどに、満たされそうだった。 「アツ……ト……」 「デストロモン!?君喋れ……」 「……ノマ……レルナ……」 それでも篤人は、発されないとすら思っていたパートナーのしわがれた声で、止まった。 自分を呑み込もうとする甘露の代わりに、まだ血の混ざった唾を地面に向けて吐き出す。少し、浸していたものが乾く。だがきっと、また滲み出る。 篤人はそこで考えを止め、自分の頬を両手で叩いてから、遥か高くのデストロモンの顔を、謝意を込めた目で一瞬見る。そしてライジンモンには、憎悪と怒りは少し薄れた目を向けた。 「ありがとう、デストロモン……よし!僕も最後まで気を抜かずにやるよ!!」 デストロモンが篤人に応えるようにあげた咆哮は、姿が変われどいつものように、篤人がこの世で最も頼もしいと思えるものと、何一つ変わらなかった。 Chapter9・地獄に落ちろ (馬鹿力め……だが、どうしたもんかの……) ライジンモンは、自分より大きな相手も何体も打ち破ってきた。だが、いま目の前にいるのは尾の一振りですら、自分が押し負ける程のパワーを持つデジモン。今も、振り下ろされた大爪を回避するしかない現状を、歯噛みするしかなかった。 左腕は自由に動かせない。距離を取れば、デストロモンの武装との撃ち合いになり、負ける。片桐篤人が指示している砲撃は、狙うだけではなく移動先に置くように撃ってきたものもある。 (あの死に損ないは多分、ワシを誘導しとるけぇ……だが、このままじゃ何も変わらん……) タンクドラモンの時には無かった、力がある。状況はこれだけで変わった。何かありそうな進化だったが、暴走をしているようには見えない。このままだと、追い込まれる。 「……こうなりゃ腹、括るかぁ!」 意を決したライジンモンは一気に距離を取ると、コネクターを地面に突き刺し、充電を開始した。 「今ここで充電!?何考えてるんだアイツ!?」 愚策にしか思えないライジンモンの動きを見た瞬間、驚愕のあまり篤人から憎悪も怒りも霧散した。 ライジンモンの「エレクーゲル」は確かに極めて強力な雷撃だが、充電が切れると使えなくなる。だから、度々コネクターを地面に突き刺し充電をするが……その間、大きな動きは出来ない。 敵の考えが分からない。だが止まる理由もない。篤人はすぐ、デストロモンに前進と砲撃の指示を出した。紫竜が突き進むごとに篤人の周りは揺れ、地が窪んでいく。 破壊の行軍を始めた紫竜の砲撃を、ライジンモンは下肢に力を込め、刺された左腕で自分の右手を庇い、苦悶の叫びを上げながら耐え忍んでいる。 「避けもしない!?……デストロモン!アイツの右手を引き千切れ!!」 今度は大爪で右腕を殴りつけるが、ライジンモンは苦痛の表情を浮かべ左腕で右腕を庇う。そのまま左腕は折れ曲がる。直後に反対の大爪。ライジンモンは、折れ曲がった左腕を体を捻って無理やりぶつけ右腕を守る。 この直後、左腕はブチリと千切れた。 「そんなに右手を守って何を……!?」 力無く落ちたライジンモンの左腕を見たのもあってか、篤人はゾワッとしたものを感じつつも、引き続き攻撃を加えようとした。 しかし、その判断は今までに聞いたことのない勢いで掻き鳴らされるスパーク音を耳にした瞬間、消し飛んだ。 「腕一本くらいでイモ引いたとありゃ六幹部の名折れじゃけぇ……こいつで終いにしたる!!」 「リミッター外したこれを見せるのは、てめぇが最初じゃ片桐…デカブツ諸共消し炭にしたるわ!!」 ライジンモンの右腕は、激情のまま雷太鼓を叩き続けるような「神鳴」を轟かせ、弾け続ける白光が、熱で周囲を歪ませている。 手を近づけた者は文字通り、「神の怒りに触れる」事となるほどの、白き熱。 篤人は鼓膜が破れそうなほどの神鳴が鳴り響く中、大きく息を吸い込んで、そのまま吐くと、ほんの一瞬だけ思考を整理する。 アレに近づいたら、きっと耐えられない。砲撃しても掻き消される。 なら、これしかない。 二度目の深呼吸のあと、篤人はデジヴァイスに向かいありったけの力と感情を注ぎ込む。黒と紫のデジヴァイスは、先程までのドス黒く淀んだ光ではなく、黒いが、とても力強く輝きを放つ。 「デストロモン!最大火力!!」 デストロモンが口から蒸気を噴き上げ、地を抉るような叫びを発すると、篤人の流し込んだあらゆる感情がそのまま、緑色の輝きとなり胸部に収束する。大爪よりも力強く冷たい、三連装砲から放ってきた光弾よりも眩く無慈悲な輝き。 決して止められない巨大な力と感情の輝きが、胸部から巨木のような閃光となり、神の怒りをも破壊せしめんと、一直線に放たれた。 「ジャガーノートブラスター!!」 「エレクーゲル!!」 ライジンモンの放った雷霆が黄金の一閃となり、デストロモンの放った光線とぶつかると、そのまま神の怒りと破壊の意思の鍔迫り合いが始まった。 神鳴が響く最中、破壊の意思が神の怒りに歯向かい、そのまま押し込み始めた。 「ぐっ……ワシは弟達の仇を討つんじゃ!この程度でぇっ!!」 「こっちだって!お前らなんかに!!」 仇同士が、叫ぶ。ライジンモンは軋み始めた右腕に構わず、更に出力を強める。白い稲光で、右腕から吹き出した煙には誰も気付かなかった。 神鳴に、金属が歪み軋む音が混ざる。やがて雷霆が、デストロモンの閃光を押し返し始める。 「っ!デストロモン……!」 篤人は自分の限界を超えた力を送り込もうとしたが、その瞬間に膝から崩れ落ちた。それでもデジヴァイスだけは離さない。流し込める情も力も無い中、パートナーの勝利を、神に願った。 やがて、神の怒りは止められないはずの力を、押し返した。 「……片桐篤人!てめぇの負──」 神鳴、金属が軋む音。そこに愚かにも神の怒りに触れた紫竜の悲鳴が響くはずだった。 だが、ライジンモンが勝利を確信した瞬間、内外両方から軋んでいた右腕は、ボンと小さな爆発音を鳴らし、消し飛んだ。 「なっ……」 エレクーゲルは止められない破壊の閃光にあっさりと掻き消され、ライジンモンはそのまま、光に呑み込まれた。 光が消え、土煙が晴れる。そこから現れたライジンモンは、両腕も肩のユニットも失い、片足も消し飛び0と1が周りに浮かんでいる。 残骸同然の姿を確認した後、篤人はデストロモンと共に近づき、二度と立ち上がれないライジンモンを見下ろした。 「まだ終わっとらん。勝った気になるな」 「終わりだよ。コネクターも破壊されてる」 「かっ……なら、終いじゃな」 篤人の言葉で、全ての望みを絶たれたと知らされたライジンモンは、なにかを含んだ目で、自身を見下ろす篤人を睨みつけ、黙り込んだ。 「ねぇ、何で僕の誘いに乗った?あのまま集落で犬童さんごと、まとめてやる手もあったでしょ」 「はっ、今更聞くことか」 篤人が自分の口走った言葉に、少し驚いたように何度か瞬きを繰り返したのを見て、ライジンモンは鼻で笑うと、少し間を置いてから顔を背けた。 「てめぇらの死骸をカタギに見せたかねぇ。それに、ガキを巻き込むのはワシの流儀じゃねぇ。 それだけじゃ、それを聞いて何になる」 ライジンモンの少し意外で、納得はする言葉と共に篤人は目の前の仇敵が、直前まで集落のデジモンと遊んでいた姿を思い出した。それから篤人も少し間を置き、憎悪も侮蔑も消えた目でライジンモンから目を離さず、静かに口を開いた。 「あのデジモン達に会ったら、おじさんは帰ったとでも言っておくよ」 「勝手にせぇ」 「……最期に言い残す、ある?」 「地獄に落ちろ死に損ない」 顔を背けたまま吐き捨てたライジンモンに対して、篤人はパートナーの名を呼ぶと、デストロモンが爪を振り下ろした。 破砕音が響いた後、どこかへ消えていく0と1を篤人が見送り終えると、デストロモンはジャンクモンへと姿を戻し、篤人は全身の力が抜け、その場に座り込んだ。 何故、ライジンモンに問いかけた?最後の言葉を聞こうと思った?篤人は自分でもわからなかった。ただ、仇討ち相手の苦しみ藻掻く姿を嘲笑い、絶命させるのは違う。そう思っただけであった。 「でも今考えることは……違うよね……」 デストロモンへの進化で、凄まじく消耗した。ジャンクモンは気を失っている。だが、犬童三幸を助けに行かなければいけない。 立つことすらままならない。体は鉛を流し込まれ、石を括りつけられたように重い。少し前に岩をぶつけられた腕も、殴られた腹部も、猛烈に痛む。 なら、這ってでも進んでやる。そう思った矢先に足音が聞こえてきた。重くなった顔を上げると、えんじ色の髪が、真っ先に目が入った。 「篤人さん!またボロボロに……!」 「……そっちこそ泥だらけだよ犬童さん」 ガジモンまで退化したパートナーを背負い走ってきた三幸は、紺のセーラー服を泥まみれにしたまま、低い声でぜぇぜぇと息を切らせて現れた。そのまま回復ディスクを取り出すと、ジャンクモンと篤人に使用する。楽になった篤人は、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、三幸に歩み寄った。 「ありがとう犬童さん……退化しちゃってるけど……ガジモンは大丈夫?」 「ええ……ごめんなさい篤人さん、負けました……アヌビモンが来てくれなかったら……」 ガジモンを優しく降ろし、同じように回復させると、三幸は涙声が混ざった声音で俯いた。 篤人は少し間を置き、ポケットから汚れていない事を確認したハンカチを三幸に手渡すと、ぎこちなく柔らかな表情を選び、そのまま穏やかに答える。 「生きているなら、本当の意味で負けじゃないよ」 「篤人さん……」 三幸が渡されたハンカチで顔を拭くと、潤んだ目のまま、顔を上げた。 「それにさ、犬童さんだけじゃない。僕もまだ……強くならなきゃいけなかったよ」 「うむ。その通りだ篤人」 Chapter10・二度目の旅路 どこからか、聞いたことのある声の主を探すために篤人と三幸は周りを見渡し始めた。 それから少しして、空間が歪む。そこから両手にバスケットを抱えたアヌビモンが現れた。 「まず、ありがとうアヌビモン。犬童さんを助けてくれて」 「その程度の事は当然、いや不足だ……鳥谷部なる女には、逃げられた」 アヌビモンの悔やんだ様子の言葉に三幸は驚きを隠せない表情をしているが、篤人は、それ以上に強い衝撃を受けた。 逃げ切った。つまりはあの鳥谷部という女も、究極体に対抗する力がある。ライジンモンやフウジンモン達、六幹部にも負けていない奴らがまだいる。 篤人は腹底に重石が落ちたような感覚に見舞われ、脳裏にあらゆる負の言葉が思い浮かぶのを、ひとまず振り払った。 「……ぅ……ん……ミユキ……」 「……っ!アツト!?どうなった!?」 「二人とも無事か……然らば」 目を覚ましたジャンクモンとガジモンにアヌビモンは視線をやると、まず、両手に持ったバスケットを下ろした。 「昼餉にしようぞ」 最後に米を食べたのは、いつだったか。豆にマカロニ、少量の肉に揚げたタマネギ。そこにトマトソースの酸味とスパイスを効かせた米を、ひたすら口に入れ篤人はそう思い返す。 目を覚ましたジャンクモンもガジモンも、一心不乱に食べている。三幸に至ってはまたお米が食べれたと涙ぐみながら、あっという間に二膳目に突入しており、アヌビモンも意外そうな顔をしていた。 米だけでは無い。豆と野菜のコロッケに、ナッツが散らされた牛乳プリン。名前も分からない料理を、言葉も出さずにひたすら口に入れ続け、平らげた。 「ご馳走様でした……アヌビモン、本当にありがとう。美味しかった。」 「うむ。良い食べっぷりであったぞ」 アヌビモンの表情は、どこか嬉しげであった 「……さて、本題だ」 全員が食事を終えた事を確認したアヌビモンが、また尊大に思える様子に戻り、再び口を開いた。 「まずは現実だ。今のお主達が再びダークエリアに向かい、ひと屋に戦いを挑んでも……死ぬぞ」 アヌビモンが心苦しそうに発した言葉に、その場にいる全員が、歯を食いしばって黙ることしかできなかった。篤人は左手を背中に隠し、八つ当たりのように拳を握りしめ、何かを言う事を飲み込んだ。 「……私も、アヌビモンがこなければ…どうなるかは分かりませんでしたもの………」 「よくぞ認めた。それも勇気であるぞ、犬童三幸」 隠さずに硬く拳を握りしめ、声を震わせる三幸を、アヌビモンは目を瞑って讃えると、再び苦い顔に戻り、現実の話を再開する。 「足りぬのは力だけではない。如何にお主らが強くなろうとも、二人では限界がある」 「つまりは、全部足りないってことか」 ガジモンの苛立ちの混ざった言葉をアヌビモンは苦々しく肯定すると、ひとまずの現実の話を締めくくりに入る。 「ガジモンの言う通りだ。ひと屋に立ち向かうには何もかも足りぬ。奇跡を願うような旅となろう」 奇跡。という言葉に篤人の肩が僅かに跳ねる。それを見たジャンクモンは最後まで聞けと小声で話すと篤人は顔を少し顰め、足を崩して座り直した。 「故に問う。今…ひと屋の者と戦い苦しい思いをしてなお、立ち向かうのか?」 アヌビモンは今ならまだ考え直せる。そう言ってもいるように篤人は感じた。 そして真っ先に、焼き付いたままの火置麗子の最後の言葉と泣き笑う顔が脳裏に浮かび、即答した。 「うん。それが僕の望みだから」 「私もですわアヌビモン。自分だが救われたままで、良いワケはありませんもの」 三幸も、即答だった。 「ったく…とんでもないテイマーを買っちまったが……不思議と立ち向かうのは、嫌じゃねえ」 「ってことだアヌビモン。んでもって、アツトの望みは俺様の望みだ」 ガジモンもジャンクモンも、言葉を選ぶ様子すら無かった。全員の言葉を効いたアヌビモンは、喜ばしいと言わんばかりに目を閉じた。 「……皆の選択を深甚に思う。 だからこそ、言わねばならぬことがある」 そしてすぐ、睨むような目に変わった。 「この先は長い旅となる。故に……良く食べ、良く眠れ。楽しめる所があったならば、楽しめ。 軽々しく、己を削る道を選ぶでないぞ」 アヌビモンの言葉と目には、有無を言わせないものすらあった。それを全員が、思わず固唾を飲み込んで聞いている。篤人にはそれが、現実を語る言葉よりも重く感じられた。 「ええと……分かりましたが、何故そんな話を?」 「長く苦しい旅となるからだ。だからこそ、安易に身も心も削りながら歩んではならぬ。 本懐を果たす前に壊れる者は、珍しくない」 アヌビモンの言葉には、見てきたと断定出来るだけの圧があった。三幸はこの発言が身に沁みたらしく、額から一筋の冷や汗を浮かばせ、表情を硬くし口を真一文字に結んだ。 「それと篤人……一つ問うが、お主が果たしたい事は仇討ちか?それとも世界を救うことか?」 「……それは……」 篤人は、脳裏に仲間の顔が浮かび……答えが、出なかった。それでもアヌビモンは篤人の肩に手を置くと、穏やかな顔で語りかけた。 「お主はどちらを望んでも良い。 だがそのために……己や大事にしたいモノまで、捨ててはならぬ。これだけは、忘れるな」 アヌビモンは最後に、経験を積むために良い施設が北にあると話すと、そこを目指すことに全員が同意した。そして彼は、ダークエリアへと帰還した。 篤人は三幸達と話し合い、もう少し休んでから出発することにした。幸い、今日中に到着出来る場所には別の集落があり、今日はそこを目指す。 休んでいる間に、打倒したライジンモンのことやデストロモンへの進化をどうするのかと、自分の問題ばかりを考えてしまっていた。 (何か一つ違ったら、負けてたよね……) 負の方向ばかりが思い浮かぶ。篤人は、ライジンモンは自滅したと思っている。あの判断に至る経緯はあれど、最後の最後に見誤った。 殺すことに抵抗は無かった。討った喜びも確かにあった。だが…強く、執念深く、潔さもある敵でもあった。そこだけは否定はしなかった。 ジャンクモンには、デストロモンに進化した時の話を聞いた。はっきりとは覚えていないようだが、気を抜いたら、自分が何か別の存在に引き抜かれてしまいそうだったと、心地の悪い顔で話したのを聞き、篤人は自分の感じた陶酔や衝動を思い返した。 自分がしっかりしなければいけない力。篤人はそう直感したが、今後あの進化をどうするかは、集落についてから考えればいいと決め、ジャンクモンと共に三幸達とも話すため、立ち上がった 「長旅……かぁ……」 三幸は地面に座り込み、ため息をつく。立ち向かうと口では言ったが、長い旅と言われると、三幸は頭の隅に追いやった事柄を否が応でも思い出す。 学校は?家族は?一体どれだけかかる?わかることは、3日では済まないことだけ。隣に座るファングモンは「だからアヌビモンはああ言ったんだ」と渋面だが、三幸を気にかける声音で話す。 「何もかもたりない……かぁ…」 負けた。冷えている今の頭で振り返れば、多分勝てるかも怪しい相手だった。何をされたか分からないまま、ヘルガルモンの体を突き破ったあの透き通った氷柱が目に、絶叫が耳に残っている。少し前に力が戻ったファングモンも、何をされたかすら分からないと、歯がゆそうに小さく唸る。 どうすれば良かったかも、思いつかない。これが足りないということか。そう思い返して三幸は、体の内側から冷たいものを感じ、右頬の傷に触れた。 「足りないのは僕もだよ犬童さん」 不意に聞こえた篤人の声は、慰め混ざりの穏やか物だった。一瞬のことで三幸はビクリと肩を動かしたが、篤人の顔を見るなり、どこか安心した気持ちになり、むず痒さも冷たさも、消え失せた。 「あ、篤人さんはそんなこと……現に、仇の一人は討ったではないですの……私は、負けて……」 「ミユキちゃん、アツトが言ってるのはその上でだぜ……まァ、俺様もなんだが」 苦い顔でジャンクモンがため息をつくのを見て、三幸は考え始めてしまった事柄も、一旦だが頭の奥に追いやることが出来た。 話を聞いた限り、三幸に聞こえた薄ら寒さを感じる何かは、デストロモンの叫び。そう思うと、篤人との差を歯痒く思ったが、すぐにそれは、デジタルワールドで生きてきた時間の差だと思い直した。 「アヌビモンも言ってたよね犬童さん。負けを認めるのも勇気って。それに君は、生きている」 「生きて……そう、でしたわ!」 篤人の声音には、堪えているような物があった。三幸はそれに、何かを言うのは違うと思うと立ち上がり、スカートについた土を手で払った。 「私も篤人さんも、生きなきゃいけない。自分のためにも、ひと屋の被害に遭った皆様もためにも!」 生きるという言葉で、三幸にはっきりとしたものが胸の奥に根付いたように感じ、拳を握りしめた。 「ファングモン。買われた立場になりますが……私のパートナーは、あなたですものね?」 「…ダークエリアの追い剥ぎが、こうなるなんて、全く想像してなかったがな」 隣に座るファングモンが少し気だるそうに立ち上がると、自分の歩んできた事を振り返るかのように僅かに間を置いてから、答えた。 「私は未熟ですが、生きて強くなります。これからも力を、貸してください」 「……言われなくてもだよ。オレも、世界を救った奴のパートナーなってやるさ」 「篤人さんにジャンクモンもです!ここから先……きっと私、ご迷惑をかけると思います。 ですがその、えっと……精一杯、戦います!」 「うん。改めてよろしくね犬童さん、ファングモン。僕らも、精一杯戦うよ」 三幸達と話を終えてからしばらく経ち、篤人は自分の紋章が微かに光っていることに、気付いた。 「……やっと、働く気になったのかよ」 篤人は不満と呆れの混ざった気持ちで、奇跡の紋章を指で強く摘むと、輝きは、一瞬で消えた。 思わず、ため息が出る。篤人は役立たずの証を首から外し、まだうっすらと敵意のある目でじっと見つめ、問いただすように口を開いた。 「お前……このくらいやれないと僕が起こしたい奇跡なんて土台無理。とでも言いたいのかよ。 ……上等だ。お前なんかに、負けてたまるか」 再び紋章を首にぶら下げ、篤人は立ち上がる。もう見向きもしていない紋章が、また微かに光ったことには、気づかなかった。 これが二度目の、旅の始まり。