ヴァリトヒロイ王国のとある地方の、人里離れた一軒家、そこに一組の夫婦が住んでいた。洗濯物を取りにきたのだろうか、家から籠を持って出てきた女性を、夫らしき壮年の男性が後を追いかけて家から出てきた。 「イザベル、家事は俺がやるといっただろう」  夫が家の中から慌てて出てきて妻の側に駆け寄ってくる。そのまま洗濯物を物干し竿から外し始める。 「だめ!これは私の仕事だから」  断ろうとする妻を制して、テキパキと洗濯物を片付けた夫は、妻の膨らんだお腹に優しく手を当てながら問いかける。 「身重の妻に家事を任せきりにするほど甲斐性のない夫か俺は?イザベル」  夫の言葉に頬を染めてイザベルは首を横に振る。 「…ううん、私にとって、ボーリャックはとても頼りがいのある夫」 「そうか」  夫の名は、魔王軍崩壊の英雄、ボーリャック。妻の名はイザベルといった。  魔王軍崩壊後の功労者であり多くの武勲をたてた彼には望めばカンラークに大手を振って凱旋することができただろう。しかし、彼はそれを選ばなかった。 「俺の手は汚れ切っています。今更どの面下げてあそこに帰れましょうか。周りが許しても俺が許せません」  その言葉を伝え聞いたヴァリトヒロイ王国女王、シュティアイセ・アンマナインは「あやつらしいのう」と一言呟いたという。  甘くなってきた空気に夫婦同時に笑みが浮かぶ。これが、最近の二人の日常であった。 「じゃあ、お茶淹れるね」 「いや、それくらいなら俺が…」 「だめ、それくらいはしないと逆に体がなまっちゃうから、ただでさえ稽古が出来なくて鈍り気味なのに…」  イザベルの言葉にボーリャックも苦笑してその言葉を受け入れる。イザベルの淹れる紅茶がボーリャックは大の好みだったから、彼も強く言うことはできないのである。  その時、来訪の客を知らせるベルがなった。立ち上がろうとするイザベルを手で制し、武器を手にそっと玄関に向かう。平和になってきたとはいえ、ボーリャックも、妻のイザベルも手を汚しすぎている。いくら用心してもしすぎるということはないというところが、現在の彼等を取り巻く状況であった。  油断なく扉を開けたボーリャックの表情が僅かに和らぐ、そこには、かつてリャックボーとしてエビルソードの下で活動してた時に魔王軍の動向を知らせるべく密かに繋がっていた謀略仲間──王都大臣イーンボウの姿がそこにあった。 「クク…久しぶりだな」 「…貴様か」  悪役面した高貴そうな男の姿が玄関前に立っていることを確認し、ボーリャックの警戒が緩む。 「相変わらず人相が悪いな貴様は」 「くッ…隠遁場所を差配してやった人間にかける言葉かそれは…」 「フッ、冗談だ許せ」  自宅の中に迎え入れたイーンボウにイザベルが礼を持って挨拶をする。 「クク…身重の身だろう。楽にせよ」 「はっ」  彼の言葉にどう動くべきか判断に迷ったイザベルが、ボーリャックに視線で助けを求める。妻のSOSに気づいたボーリャックがお茶菓子を用意するよう告げると、弾かれたようにイザベルは台所に駆け込んでいった。 「……気を遣わせたようだな」 「すまん。普段貴人を家に上げる機会などないものでな」  それもそうだと含み笑いを浮かべるイーンボウに、「こういう所が悪役面と言われるんだろうな」と心中で軽くディスりながらリビングのテーブル椅子に案内をし、自身も向かい側の席に座ると今回の訪問の意図を尋ねた。 「ククク…、ボーリャック、お前には仲間たちから幾通か書状を預かってきたぞ」 「そうか、それはすまない」  イーンボウが懐から取り出した封筒を渡すと、ボーリャックは手に取った封筒の名に懐かし気に目を細めながら礼を言う。 「…礼を言うにはまだ早い。奥方より先に内容を確認しておけ、そして心の準備をするんだな」  イーンボウの言葉に驚きながら、ボーリャックが封筒を開ける。そして中の手紙を見たボーリャックはその内容に顔を曇らせる。 「……そうか」  お茶の準備ができたイザベルが戻ってきたのを素早く確認したイーンボウは、何気ない様子でイザベルに話しかける。 「クク、イザベル。お前に姉夫婦からの贈り物だ」 「わあ…」  イーンボウが持ってきた包みをテーブルに置いて広げると、そこにはマタニティドレスや果物、イザベル宛であろう精のつく食べ物や妊婦用のシャンプーやボディソープ、それに少なくはない額のお金などが出てきた。 「…クク、当初はこれの倍はあったんだぞ、これ以上あるとかえって迷惑だと何度も伝えてようやくこの規模に抑えたんだ」 「…ありがとうございます」  姉の厚意に胸を熱くさせながら贈り物を整理しようとイザベルが荷物に集中し始めたのを見計らって、イーンボウは小声でボーリャックに話を続けた。 「少なくとも、奥方にあ奴らが悪感情を抱いてるわけではない、ということだけはわかれよ」 「すまんな、気を使わせて」 「ふん、全くだ。この痴れ者が。お前たちの居場所を知りたがるあの二人を撒くのにどれだけ苦労したか…」  鼻を鳴らすイーンボウにボーリャックも苦笑を浮かべる。思えば、この悪役面の男には数えきれないくらい世話になってもらった。  この家だって魔族や人の目につきにくいことを念頭に、イーンボウが土地の提供から家の建築まで差配してもらったおかげなのだから。 「む、このお茶菓子、中々美味だな。これは、奥方が…?」 「ああ、そうだ。イザベルの手作りのクッキーだ」 「くく、中々の腕前ではないかイザベル殿よ…」  イーンボウの賛辞に、顔を赤く染めながら「恐縮です」と小さな言葉でイザベルが返す。 「何か、諸国の情勢に新しい動きはないか?」 「クク、そうだな…。レンハート勇者王国”第一王位後継者”ラーバル・ディ・レンハートの婚約が発表された。相手はサンク・マスグラード帝国のレストロイカ帝の養女ジーニャだ」 「…ほう。北方の大国マスグラードと、西の雄レンハート王国の同盟か」 「ああ、政情不安に揺れるマスグラードでは中々見られない吉報ということで、国中で二人の婚姻を祝って大騒ぎだったらしい」 「……そうか、第一王位後継者。ラーバルか…」  複雑な思いに囚われながらボーリャックは紅茶を口にする。イーンボウのもたらした情報は現国王ユーリンはコージン・ディ・レンハートの復帰を断念した、ということを意味する。 「…コージンは近況はなにか知ってるか…?」 「しらん。コージンに関してはまるっきり消息不明だ。ただ…」 イーンボウが紅茶を一口飲み、喉の渇きを癒す。ティーカップを置くと情報を整理するようにゆっくりと言葉を続ける。 「…確定の情報ではないが、赤い肌をしたレンハートマンホーリーライトと名乗る謎の男が率いる集団が、良民の生活を脅かす賊や魔王軍残党を撃退した。という情報が各地で聞こえているようだ」 「そうか」  生きている。そして、その命を平和のために続けている。それだけで十分だった。 「あの男も、運命を狂わされ、表舞台から立ち退かざるを得なかった男だ」  王族としての父からの期待を叶えられなかった無念を今も感じているのだろうか。コージンの未来に幸あれ。とボーリャックは瞑目した。 「…他は?」 「……マリアン殿が商業漫画家デビューした。原作者はミサ殿で」 「そうか!次!」 イザベルが驚いた表情でこちらを見ているが気にする余裕はない。これ以上聞いてはならないと本能が全力で警報を鳴らしていた。 「最後に、だが」  ティーカップで唇を湿らせたイーンボウが表情を改める。 「女王陛下からお前を大変高く評価している。お前がその気なら、厚く遇したいとの意向だ」 「…前も断ったのだが」  ボーリャックが腕を組んで苦い顔をする。富貴を望むつもりも資格もない。イザベルの顔を伺えば、向こうもこちらの顔を見てそっと頷いている。夫婦の意見が一致していることにボーリャックは内心安堵した。 「…そうか、では今回はこの話はここで終わりだ」 「意外だな、もう引き下がるのか?」 『話はこれで終わりだ』とティーカップの残りを飲み干すイーンボウに、ボーリャックはむしろ拍子抜けという表情を浮かべる。 「クク…何年お前と工作を行ってきたと思ってる…お前がそういう気持ちにならないことは重々承知している」 「…礼を言う」 「ただ」  イーンボウの纏う空気が、変わった。 「陛下は人材を見抜く目は一流だ。そして一度見込んだ人材を登用することへの執念も」 「その人物が今フリーな状態なら猶更だ。それだけは覚えておくといい」  イーンボウの見送りを終え、戻ってきた夫の顔に、憂慮の色があることに気づいたイザベルはその理由を尋ねた。 「どうも、俺たちの結婚がまだ理解を得られてないようでな」 「そう、なんだ」  俯くイザベルをボーリャックはそっと抱きしめる。 「大丈夫だ。何があっても俺はお前を守る」 「あなた…」  ボーリャックは先程届いたクリスト、イザベラ夫妻。それにギルからの手紙を思い返しながら決心を新たにした。 『貴方への尊敬が消し飛びましたよ!いったい何を考えてたんですか?僕は義妹を貴方とデキ婚させるために預けたのではないんですよ!』 『任せてくれ、と、イザベルを預ける時に貴方が言った言葉が、まさかデキ婚という意味とは気づきませんでした。貴方には失望しました。直ぐに妹を返してください』 『イザベル(聖騎士の方だ)に結婚を祝しに行った時の奴の顔が今でも忘れられん。何考えて同名の、しかもクリストの義妹とデキ婚したんだ。せめて俺に一言教えてくれれば、こんな思いを俺はせずに済んだ。どうしてくれるんだ貴様』 ************************************************  魔剣によって運命を分かたれた哀れな姉妹があった。姉をイザベラ、妹をイザベルといった。  魔剣に魅入られたイザベルは魔剣に血を吸わせるため、姉の、自分の家族を斬殺し、大切な姉にも刀を向け、そして返り討ちにあい死亡した。かに思われた…。  だが、彼女はまだ生きており、息を吹き返した後もイザベルは勇者の資格を持つものを手をかけていった。  イザベルが正気を取り戻したとき、既にいくら拭っても落とせないほど彼女の手は血に染まっていた。  ……贖罪のように人助けの旅を続けるイザベラとイザベル。再び姉妹が出会えたのは、神の導きとしか思えなかった。 「──イザ、ベル…?」 「───あっ、おねえ、ちゃ…」  金縛りにあったかのように姉妹は凍り付き、先に硬直から逃れたのは姉のイザベラだった。 「イザベル!…クリスト!」 「はあ!」 「っ!」  阿吽の呼吸でイザベラが指示を出せば、クリストがイザベルの退路に魔法壁を展開する。恐るべき業前の一太刀で魔法壁を切断するイザベルの剣技に驚くクリストだが、二人の仲間の女剣士──ジュダにはそれだけで十分だった。 「逃がさへんでぇ!」 「あっ…」  駆け去ろうとするイザベルに俊足で追いついて背後から抱き着き、二人そろって倒れこむ。激しく藻掻いていたイザベルだったが、続々イザベラ達がジュダの加勢に入り、とうとうイザベルも抵抗を断念した。 「離して!どうか私を放って!!」 「イザベル!どうか私の話を聞いて!」 「私は、お姉ちゃんの家族を、大勢の人をこの手で。お姉ちゃんに合わせる顔がない!」 「イザベル!お願いだから落ち着いて!」 「──私なんか、早く死んでしまえばよかった」 「っ!イザベル!!」  渇いた音が辺りに響き、呆然とした顔で赤く腫れた頬を抑えながらイザベルは姉を見た。 「イザベル、謝るのは、私…。もっと魔剣の存在に注意を払えばよかった。気を失ってた貴女をもっとしっかりと見てれば貴女は罪を重ねずに済んだ」 「お、ねえちゃん…?」  切々と妹に説くイザベラ。その目には熱い涙が流れていた。それを見たイザベルの両眼も潤んでいく。 「生きてて良かった…!どんな形でも、イザベルが生きててくれればそれでいい!だからお願い!死んでしまえばよかったなんで言わないで…!」  二度と離さないと力強く抱きしめるイザベラの背中に、恐る恐るイザベルの手が回される。するとイザベラは益々力を込めて妹を抱きしめる。 「おねえ、ちゃ、……う、うああ、あぁぁあ…うわああああああああああああああん!!ごめんなさい!!お父さんとお母さん殺しちゃってごめんなさい!いっぱい人斬っちゃってごめんなさい!!ごめ、ごめんなさい!!」 「うんっ!……うん!」  運命を引き裂かれた姉妹、その運命が再び一つに重なった瞬間であった。  その後、イザベルは魔王軍との戦で目を見張るような勲功を数々立て。大いに賞される。だが、イザベルの心は晴れることはなかった。  魔王軍崩壊後、イザベラは夫のクリストと共に、三人で暮らすことを何度も進めたが、その都度彼女は「クリストさんたちにこれ以上迷惑はかけられない」「お姉ちゃんたちと暮らすような自分自身を許せない」と固辞するのが常であった。   頭を抱えていたクリストに、一人の人物が助け舟を出す。  その人物こそ魔王軍最強部隊、エビルソード軍壊滅の功労者、数々の重要機密を仕入れ、魔王城攻略の先導役として一番の勲功に輝いた仮面魔候リャックボー、かつての聖都の勇者ボーリャックだった。 ************************************************ ──某国〇県の宿屋にて 「お客様にお手紙が届いております」 「はて、どちら様から…?」  逗留している宿屋のスタッフから手紙を受け取ったクリストは、手紙の送り主に驚愕する。 「ちょっと出かけてきますね」  イザベラ達に声をかけるとクリストは宿を飛び出した。辺りを見渡して一息つくと、先程の動揺を抑えるように深く深呼吸をする。 (ボーリャックさんが、僕たちにいったい何の用で…)  恐らくイザベルのことだろうと、クリストは推測する。だが、あの人がイザベルについてどんな考えを持っているのか判断がつかない。  魔王城攻略時に、ボーリャックとイザベルが共闘しているシーンを何度か見たことがクリストはあった。  素晴らしいコンビネーションで魔王軍の猛卒相手に一歩も引かない戦いを繰り広げていた光景は、今も鮮明に覚えている。あれで即席タッグというのだから恐れ入る。   「あの人の情報網なら、あの子の情報は知っててもおかしくはないが…」  リャックボーと名乗っていた時期から、まだ恋仲に至ってなかった自分とイザベラと何度か邂逅していた。恐らくイザベラの周辺のことも、あの人は調べ上げているかもしれないとクリストは推察する。  それに、クリストも詳しく知るわけではないが、あの権謀術数に長けてそうな王都大臣イーンボウの下にいた経歴を持つボーリャックのことだ。恐らく、イザベルの情報もある程度は把握しているだろう。 (でも…)  不思議と、不安はない。恐らくだが、自分たちにとっては悪い話ではないはず。クリストにはそんな確信があった。  迷いを振り切ると、クリストは顔を上げる。そして、ボーリャックの指定した待ち合わせ場所に向かってクリストは走り出した。 ************************************************ 「──俺にあの子を任せてくれないか?クリスト」 「ボーリャックさん?」 「あの子、イザベルは恐らく、極度の負い目に苦しんでいるはずだ。きっと、心の内では姉といることを望んでも、自身の罪悪感がそれを許せない」 「なるほど、ですが…」  顎に手を当てて考え込んでいたクリストが、鋭い目つきでボーリャックの目を射抜く。 「失礼ですが、それと貴方が彼女の世話を見るということが線でつながりません。いったい、なぜ貴方はイザベルさんを引き取ろうと思ったのですか」 「……意外だな。お前がそこまで拘るとは」  驚くボーリャックにクリストは憤然として返す。 「当然です!あの子は僕の妻、イザベラのたった一人の血の繋がった家族!あの子の幸せを願うことがそんなに不自然ですか!」  憤るクリストを宥めながら、ボーリャックは(こういう男だから、イザベラ殿の心を掴めたのか)と得心する。  奥ゆかしく、自身や仲間の周囲からの評価に一喜一憂するなど、聖人と呼ぶには俗っぽく、復讐のためではなく他者を護るために大楯を持って戦場に立つ、どこにでもいる心優しい好青年。こういう男だからあのイザベラと深く心を通わせ、結ばれたのであろう。  クリストの激情が落ち着いたのを確認したボーリャックが辺りを見回し、自分の手をクリストに突き出した。 「俺の手を見ろ」  意味をとっさに察せず戸惑うクリストに、重ねてボーリャックがクリストに問いかける。 「俺の手はどれだけ汚れていると思う」 「っ!ボーリャックさん!貴方は魔王軍崩壊の第一の功労者です!貴方が耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで魔王軍の動向を知らせてくださらなかったら、どれだけ魔王軍攻略に苦しんだか」 「その言葉、俺がエビルソードの配下にいた時、俺がいた軍と戦い、死んでいった兵の家族の前でも言えるか!」  ボーリャックの一喝にクリストはハッとして言葉を失う。 「それに、俺の罪はそれだけじゃない」 クリストの耳元に顔を近づけたボーリャックは何ごとかをクリストに囁く。 「ッ!?……そうだったのですね、ボーリャックさん。貴方は…」 「わかったかクリスト、罪深さなら俺の方が上だ」  項垂れてボーリャックの言葉を聞いていたクリストが頷く。床に彼の碧眼から流れ出た涙が落ちる。 「つまり、ボーリャックさんはイザベルさんと似ているから彼女の気持ちがわかる。そう言いたいのですね」  長い沈黙の後、ボーリャックは頷く。 「ああ、俺は彼女の全てを知ってるわけではない。が、彼女を見てるとどうにも放っておけんのだ」 クリストは「わかりました」と短く答え目頭を腕で拭った。 「僕がイザベラを説得します。イザベルさんは貴方がお願いできますか」  クリストの涙はもう止まっていた。 ************************************************ 「失礼する」  ボーリャックが扉にノックをして部屋に入ると、テーブルを挟んで向かい合って座っている姉妹が彼の方に顔を向けた。 (酷い顔だな二人とも)  その顔色に色濃く憔悴が表れてることに気づいたボーリャックは、心中この説得への決意を新たにする。 「イザベル殿、ちょっといいか」 「…はい」  ボーリャックが後ろを振り向いて合図をすると、後ろからクリストが緊張した面持ちで現れた。 「クリスト?」 「…クリストさん?」 「イザベラ、ちょっといいですか」  まず、クリストが妻のイザベラに声をかける。 「僕たちから一つ提案があります。イザベラはちょっと別室に来てもらってもいいですか」 「えっ……うん」  躊躇いがちに席を立つと、イザベラはちらりとイザベルの方を見た後、ゆっくりと部屋を出て行った。彼女に続いてクリストが部屋を出る瞬間、ボーリャックの方を振り返る。 『頼みましたよ』 『任せろ』  クリストのアイコンタクトにボーリャックが深く頷く。長く続く話し合いの、第二ラウンドが開始された。 ************************************************  案の定、イザベラはボーリャックたちの提案にあまりいい顔をしなかった。 「いくらボーリャックさんの意見といっても、それは…」  イザベラは、妹がボーリャックの下に行くということ自体に抵抗を示した。理由は一つ、妹の身を案じて、ただそれだけである。彼女の懸念に誠心誠意答えたのはクリストの役目だった。 「ボーリャックさんの実力は知ってる。でも…」  躊躇いがちに話すイザベラの懸念をクリストは無言で頷いて聞く。その真摯な恋人の姿にイザベラの口も少しずつ滑らかになっていく。 「スパイだったボーリャックさんは魔王軍の復讐の的に狙われやすい。イザベルまで巻き添えになると思うと…」 「魔王軍の討伐した時点で、僕たちは等しく魔王軍残党の怨嗟の的です」  クリストの指摘にイザベラも頷かざるを得なかった。その通り、事実自分たちは魔王城を攻めモラレル討伐に一役買ってる身。自分たちの功績は大々的に評されてる現状で、ボーリャックの側がイザベラといるより危険とどうして言えようか。 「それに、ボーリャックさんはヴァリトヒロイ王国と太いパイプがあります。1個人で行動するよりずっと身の安全は確保しやすいです」 「……」 「もう、ボーリャックさんが魔王軍にいた事の聖騎士の恨みも氷解してます。今更、聖騎士同士で剣を向け合うこともありません」 「……」 「…恐らく、イザベルさんはまだ自分を許せないという思いがあるのだと思います」 「っ!」  ばッと険しい目つきで顔を上げたイザベラの視線を正面からクリストは受け止める。 「…だから、イザベルさんが自分自身を受け入れて、貴女の側にいく勇気が持てるまで、もう少し待ってはみませんか」  難しい顔をして黙り込むイザベラを黙ってクリストは見守る。 「クリストの、馬鹿」  ぽつりとイザベラが呟く、よく耳を澄ませないと聞こえないような小声にも関わらず、その言葉はクリストの肺腑を抉る。 「ばか、ばか。クリストの意地悪」 「すいません、僕がもっと頼もしければ…」 「ほんとそう、クリストは私の味方してくれると思ったのに」  イザベラの側に寄り、彼女の頬に流れる涙を拭う。 「せっかく、姉妹と暮らせると思ってたのに、ボーリャックさんも馬鹿、イザベルも、クリストも馬鹿」 「すいません」  わかっているのだ。聡明なイザベラはクリストの言っていることが正しいとわかっている。ただそれを肯定することは自身の感情が許せないだけなのだ。  イザベラの華奢な体をクリストは抱きしめると、腕の中で駄々をこねるように、イザベラが細腕でクリストの胸板を叩く。 「イザベラ…」  クリストがイザベラを抱く手に力を籠める。貴女は一人じゃありませんと、自分の想いが彼女に伝わるように。 「……ごめんね、クリスト。私、我儘だったね」 「我儘をイザベラが言ってくれるようになって嬉しいですよ」 「本当?」  クリストの胸に顔を埋めていたイザベラが顔をあげた。涙で充血した目がキラキラと輝いているようで、クリストの内に彼女への申し訳なさと愛おしさが湧き上がる。 「僕が、貴女に我儘を言ってくれるぐらい近い存在となれたっていうことですから」 「…でも、あんまりクリストを困らせると、『イザベラ様に自分は相応しくありません』って逃げちゃわない?」 「うっ…」  一瞬クリストの体が凍り付く。  イザベラ達への偏見を隠さない周囲の目。イザベラの器量、実績に見合わない低い評価。そして自分の虚飾な評判。これらに苦しんだクリストは自分が彼女といることは迷惑になるから、と一人思い込んでイザベラの下を去ろうとしたことがあった。  幸い周囲の必死のフォローや喝もあって騒動は短時間で解決した。だが、クリストと再会した時の自分に抱き着いて泣きじゃくる、イザベラの憔悴した姿を見て自分がどれだけ独り善がりな選択でイザベラを悲しませたのか、自分が彼女の中でどれだけ大切な存在だったかを嫌でも自覚させられたのだった。 「に、二度とあのような真似はいたしません!もし僕が負い目を抱いた時はしっかりと相談いたします!」  必死で自分の想いを伝えるクリストだが、ふと腕の中にいる彼女の肩が震えて、しかも微かに笑い声が聞こえることに気づく。 「イ、イザベラ?」 「クッ…フフッ…ごめん、つい意趣返しに意地悪しちゃった」 「イザベラ~~~…」  ひとしきり笑ったあと収まった後、イザベラはすっきりした表情で自分の涙を拭うと。クリストに頷いた。 「私は、ボーリャックさんを信じてみる」 ************************************************ 「久しぶりだな。魔王城で会った時以来かな」 ボーリャックが声をかけるも、イザベルは軽く会釈をしただけで殆ど表情に変化はみられない。 「座らせてもらってもいいかな」  緊張した面持ちのイザベルが微かに頷いたことを確認したボーリャックが、真向かいの椅子に座る。 「………」  10秒、20秒、30秒、無言のまま時間だけが過ぎていく。 (さて、どう糸口をみつけるべきか)  クリストには任せろとは大口叩いたものの、正直ボーリャックとて確実な成算があってこの場に臨んだわけではなかった。返り血で汚れた者が覚える負い目や罪悪感は自分が一番よくわかっている。気にするな。お前は悪くないなどという言葉は彼女にとって一番かけてもらいたくない言葉だろう。 「……なにか、喋ったらどうなのですか」  長考していると、先に焦れてきたイザベルの方から声をかけてきた。 「私を説得にきたのでしょう?」  口の端を歪めてイザベルが笑う。その笑みは心中の自暴自棄な態度が現れているようで、見ていて愉快なものではない。 「ああ、言っておくけど私は、姉さんとクリストさんの二人と違うところで暮らすっていう点では賛成です。ただ…」  ギラリとイザベルの目が剣呑な光を帯びる。その視線の先──ボーリャックを真っすぐに射抜く。 「私は、貴方の世話になんてなりたくない。一人で世界を回り、平和のために剣を振り続けます」   彼女から放たれた先制ジャブにボーリャックは、 「そうだよなー」  と腕を組んで深く頷いた。  思わずイザベルは”信じられない”という表情で口をあんぐりと開け、慌てて口を閉じる。 「いや、納得しないでください!貴方私を説得にしにきたんでしょう?」 「むっ、そうだったな」  ぽんっと手を叩くボーリャックにさすがのイザベルも気勢が削がれ、思わず頭を抱える。 (なにこの人、本当に私を説得しに来たの!?) 「いや、お前の気持ちが嫌というほどわかるからな」 「……へえ」  その言葉がイザベルの癇に触り、再び鬱屈とした気持ちがイザベルの心の奥底から湧き上がってくる。 「なにがわかるんですか?勇者ボーリャック様」  嘲るように口の端を歪めたイザベルがボーリャックに問いかける。 「見事魔王軍の内情を調べ上げ、手の内を曝け出し、魔王城陥落に大きな功績を挙げた一代の英雄ボーリャック。貴方様に私の事がわかりますか?」 「……わかるさ」 「ッ!ふざけるな!」  積もりに積もった鬱屈を爆発させイザベルはテーブルに拳を叩きつけた。 「魔剣に正気を奪われ、自分の家族を、お姉ちゃんの家族を斬り殺しただけでなく、多くの人をこの手で斬ってしまった私の気持ちがお前にわかるというのか!」 「………」 「夢に出るの。私の家族が、私が斬った大勢の人たちが。お前が幸せになっていいはずがない。お前の行く先は地獄しかないって!」 「………」 「私の手は血で汚れすぎた。きっと己の重ねた業の報いがいつか来る。その時、お姉ちゃんとクリストさんの側にいたらあの人たちまで災いに巻き込むことになる。英雄様にはこんな気持ちわからないだろうけど!」  心の奥底に溜まった思いを全てぶちまけたイザベルはふっと笑うと、席を立つ。 「どうか、クリストさんにも伝えてください。私の事は放っておいてって」 「それはできんな」 「っ!」  部屋を出ようとしたイザベルの左腕をボーリャックが掴む。「しつこい」と一喝しようとしてボーリャックの方を振り向いたイザベルは──何も言うことができなくなった。 「まだ俺の話はおわっていない」  そこには、勇者ボーリャックの姿がそこにあった。いかなる修羅場も生き延びてきた者のみが持つ眼力、振り払うことはおろか、動くことすら叶わぬ彼のオーラ。イザベルは、ボーリャックに圧倒されていた。 「座れ。まだ俺の話はこれからだ」 「……はい」  腕を放されたイザベルは、夢遊病のように覚束ない足取りで自分が先程座っていた席にもどった。気のせいか、先程まで彼に握られていた箇所がすごく熱いようにイザベルは感じていた。 ************************************************ 「お前は、俺が英雄だと言ったな」 「…違うのですか?」  違う、と大きくボーリャックは首を横に振る。 「俺は、大罪人だ」 「罪人!?」  ボーリャックの自身への下した評価にイザベルは驚愕する。 「な、なぜですか?」 「俺は確かに、魔王軍に潜伏した。…どこの軍に潜伏したかは知ってるか?」 「……わかりません」 「エビルソード軍だ」 「エビルソード!?」  ボーリャックの口から出た魔族の言葉にイザベルは思わず椅子から立ち上がった。エビルソード。その悪名は聖都の事情に疎いイザベルでも知っている。魔王軍最強と呼ばれる剣士であり、四天王の筆頭。そしてなによりその男は…。 「カンラーク、の」 「そう、カンラーク聖騎士千人切りで名をはせた男だ」  イザベルの言葉に重ねるようにボーリャックが先んじて口にする。その顔に一切の感情の変化が見られない。 「俺は、カンラークが落とされた後魔王軍に潜入し、エビルソードの配下になった。力づくであいつに勝つことはできない。ならどうする?魔王軍の内情を調べ上げ、少しずつ内部から崩していくしかないと思ったからだ」 「…ちょっと待ってください」  耐えきれずイザベルはボーリャックの話を一旦中断させる。カンラークを滅ぼした元凶のエビルソード。当然聖騎士たちの恨みは深いはずだ。そんな男の配下として潜伏したということは。 「それを、他の、例えばクリストさんのような聖騎士たちは…」 「ああ、皆俺を裏切者として糾弾し、剣を向けてきた。例外がそう、クリストだな」  彼の口から出た名をイザベルも反復する。聖盾のクリスト。攻めよりも支援や守りに重点を置いたパラディン。そして…イザベルの姉、イザベラのパートナーの名前。 「あいつとは何度か潜伏中に邂逅したことがあったが…。まあ、暫くすると俺の正体に感づいてきたな」 「おかしいのはそこからだ」とボーリャックの口の端が吊り上がる。姉の伴侶のエピソードに思わずイザベルも前のめりになって彼の言葉に集中する。 「あいつは、『ボーリャック先輩どうしてですか!』『理由を話してください!』と、俺が何度仮面魔候だと名乗ってもスルーして追いかけてきた。お陰で俺は周囲に潜伏がばれないか気が気でなかった!」 「ッ!……ククッ…!」  当時の事を思い返したのか青汁を一気飲みしたかのような顔に、不謹慎とは自覚しながらも吹き出す己の体をイザベルは抑えることができなかった。ボーリャックに睨まれて慌ててイザベルは姿勢を正す。 「……おまけに、だ。アイツは俺が生き残りの聖騎士たちに裏切者と剣を向けられた時、俺に殺し合いをさせまいと駆けつけて間に立ちはだかった」 「クリストさんが…!」 「馬鹿だよな。俺がエビルソード軍の一員として動いてたことは紛れもない事実。聖都の勇者にあるまじき振舞として斬られても一切文句言える立場ではなかった。いや、そもそも…」  ここまで喋り、慌ててボーリャックは「話が逸れたな」と強引に話を打ち切った。イザベルもそのことには気づいたが追及することはなかった。  ボーリャックが言いかけたことは恐らく、 『俺も糾弾されて死ねるならどんなに楽だったか』  だろう。わかるから、イザベルは聞かない。わかってしまったから、イザベルは聞くことはできない。 「言っておくがここはクリストに感心するところじゃないぞ、むしろアイツの人の好さを義妹として心配してやれ。利敵行為だと弾劾されて失脚してもおかしくない振舞だったのだからな」 「わ、わかってます」 (クリストさんって、お人よしだったんですね…)  無意識にイザベルは自身の胸に手を当てる。そういう男性を射止めた姉の見識の高さに改めて尊敬の念を抱いた。  だが、これだけで大罪人と自身を断じるのには少々軽い、とイザベルは首を傾げる。勿論人によって罪の軽重は変わっていくが、どうもボーリャックの自身を責める言葉とその所業は釣り合ってないように思える。 「でも、それだけで大罪人とは言い過ぎでは」 『ないでしょうか』とイザベルが続きを言うことはできなかった。彼の目に、とてつもない澱みのような漆黒の闇が影を差したように感じたから。 「エビルソード軍は配下も猛卒ぞろいだ」 「常に最前線で武勇を振るい、少しでも恐怖を見せるものはそれだけで軽蔑の対象となる」 「…お前に聞くが、そのような軍の中で俺が評価を高め、信頼を稼ぐためにはどうするべきだと思う?」  イザベルの頭に瞬時に浮かぶ一つの答え。だが言葉にしようにも金縛りにあったように体が動かない。イザベルの中で警報が最大警報で鳴り響いている。 「…ま、まさか……人間の兵士と…」 「ああ、そうだ」 「俺も前線に立った。そして魔王軍に反抗する兵と戦ったのさ」 「ああっ……」 「俺の手を見ろ。俺の手は、俺と剣を向け合った兵士の怨念と、エビルソードによって斬られた聖騎士の恨みがこもっている」 「……もう、聖都に戻ることはできない。ましてや、世間一般でいう幸せを求める資格など俺にはない、と思う」 「これがお前を気に掛ける理由だ。さっきのお前の話を聞いて改めてハッキリとわかった。お前は、俺に似ているんだよ」 (ああ、そうか…) 「…ふふ、そっくりか、確かにそっくりですね」 「…ああ、そっくりだ」  わかってしまった。この人は自分と同じだと、ぬぐい切れないほどの血と、罪を被って、それでも前を向いて生きていかなければいけない人だと。イザベルはこの時、はっきりと認識した。 「いったい何をすれば許されるんでしょうね」 「わからんな。世界が許しても俺が俺を許せる日が来るとは到底思えんからな」  イザベルもその言葉に頷く、たとえ神が自分の罪を許すといっても、自分は否と言い地獄へ飛び込むであろうから。 「罰せられないって辛いですよね」 「ああ。イザベラもクリストも優しすぎる。糾弾してくれた方がずっと楽なのにな」  イザベルは姉の姿を、ボーリャックはクリストの姿を思い浮かべる。全く、幸せになってほしいなどと、自分たちのような人間にはどんな刑罰よりも重い願いだと、あのお人よしたちはわかっているのか。 「……私は、どうしたらいいですか」 「俺にもわからん。どの道を行けばいいのか正直五里霧中ってところだからな」 「だから、一緒に道を探さないか。頼む…力になってくれ」 (あれ、ボーリャックさんの姿が滲む。…いや、違う。私は今泣いてるんだ)  姉と再会した時を泣くのは最後にしようと決めてたのに。もう泣いてしまった自分自身に呆れてしまう。でも、どこか身が軽くなった気がする。 「あはは…力になってくれと来ましたか。しょうがないなあ…」  ボーリャックが椅子から立ち上がって右手を差し出す。その意味を解したイザベルも涙を手の甲で拭うと立ち上がり、しっかりとその手を握り返した。 「よろしくお願いします」 「ああ。よろしく頼む」 ************************************************  ──ヴァリトヒロイ王国の国境間近の野道にて── 「イザベル?絶対に無茶はしないでね。手紙は必ず月一回は…いや二回は送ってね」 「わかったから離してお姉ちゃん。恥ずかしい…」  旅立ちの時が近づいてきた。イザベルの手をギュッと握りしめて何度も何度も、いつまでも別れの言葉を続ける姉に妹は周囲の目をチラチラと気にしながら、恥ずかし気に顔を赤らめている。それでも振りほどこうというそぶりが見えなくなったのは、これまでと比べてだいぶ改善傾向にあるといってもいいものだろう。 「イザベルがどれだけ自分を許せなくても…、私は、ずっと貴女の姉だから。私は、ずっと貴女の見方だから」 「だから……待ってる」 「…うん、ありがとうお姉ちゃん」  別れの言葉を言い終えると、イザベラは力強くイザベルを抱き寄せた。初めは驚いた表情を浮かべていたイザベルの顔を次第に和らぎ、姉の背に腕を回して、そっと抱きしめ返す。それは、正しく魔剣によって運命を引き裂かれた前の仲睦まじい姉妹の光景だった。 「ボーリャックさん、どこへ旅立ちますか?」 「まだ、決めてはいないが…西方の、魔王領国境が接する国々の様子を見てみようと思う」  魔王は倒れたが魔王軍自体が滅んだわけではない。むしろ、自身の才とカリスマで全てを統率していたモラレルが倒れたことで、首輪が外れた魔族が暴走を始めているという情報も入ってきている。実際の情勢を確認するためにも、自分の目と足で現場を見に行く必要があるとボーリャックは判断していた。 「聖都には戻られないのですか?イザベル先輩をはじめとして、貴方を待っている人は大勢いますよ」  ボーリャックはクリストの誘いを有難く思いながらも、静かに首を横に振った。  クリストも、それ以上重ねて勧めることはしなかった。 「元気でな、クリスト」 「ボーリャックさんもお元気で。それと…」 「?」 「貴方がどんなに自分を許せなくても、それでも貴方に生きて、幸せになってほしいと願っている人がいるということを忘れないでください」 「…ふん、このお人よしめ」 「クリストさん……大変迷惑をおかけしました」  イザベルがクリストの前に立って別れの挨拶を述べる。 「いいえ、迷惑なんてかけてませんよ」 「ふふ…、クリストさんって思ったよりも俗っぽくて普通な人なんですね。なんか意外でした」 「な、なぜそんなことを。まさかボーリャックさん!?」  思わぬ話題が出たことに動揺したクリストがボーリャックを睨むと、素知らぬ顔で地図を取り出して行き先を確認している。 「私が言えることではないと思うけど、どうか、どうか私の姉を幸せにしてください!よろしくお願いいたします!」  姉の幸せを願い深々と頭を下げるイザベルの姿に、クリストも表情を引き締め、深く頷いた。 「はい!」  イザベルとクリストのやり取りを目頭を熱くさせながら見ていたイザベラが、ボーリャックに声をかけた。 「ボーリャックさん。どうか私の妹をよろしくお願いします」 「任せてくれ。この身に代えてもイザベルは守って見せる」 「…君も、幸せになってくれよ。クリストは、ああ見えて評判を気にしいでマイナス思考な面がある男だが」 「ふふ、もう私もそのことは知ってます」 「本当にその節は申し訳ございませんでした!」  またしてもクリストが自身の未熟ゆえの過ちを掘り返され、クリストはもはや恐縮することしかできない。そんな彼の姿がおかしく三人から笑い声が漏れた。イザベラも笑いながらクリストの肩に手を置く。 (ああ、きっとこの二人は良い夫婦になれる)  二人の姿にボーリャックは心中で呟いた。きっと、二人の中でクリストのおこした騒動があくまで過去の事であり、もしまた似たようなすれ違いが起こりかけても、今度は二人で悩みを打ち明けあい、共に乗り越えていくことができるに違いない。 「だがイザベラ殿、こいつは間違いなくいい男だ。幸せな家庭を築ける男だと、このボーリャックが断言する」 「ボーリャックさん…」 「ふふ、知ってます」  イザベラはクリストに目を向ける。彼の優しさも奥ゆかしさも、脆い部分も全て知ったうえで彼に惚れ込んだのだ。今更言われるまでもない。 「幸せになってくれ。イザベラ殿」 「…はい!」  出発の時刻が来た。ボーリャックがイザベルに合図をすると、まずボーリャックが、次いでイザベルもひらりと馬に乗った。  イザベルは、駆ける直前にイザベラと目と目で数秒見つめあったが、やがて「はあっ」と馬を駆けていく。 「イザベラーー!元気でねーー!」  徐々に遠ざかっていくイザベルに向けて大声で呼びかけながらイザベラは手を振る。その直後、馬上のイザベルが右腕を真っすぐ上にあげる姿が見えた。イザベルが米粒のような姿になり、完全に見えなくなるまで、イザベラが手を振り続けていた。  こののち、ボーリャックは旧四天王、ダースリッチ率いるネオ魔王軍の討伐。エゴブレインの技術を惜しむヘルマリィの依頼を受けた、エゴファミリーのヴァリトヒロイ王国への帰順勧告の使者など様々な功績をあげる。その彼の傍には常にイザベルの姿があった。  そして10か月後、ボーリャックとイザベルはデキ婚した。  イザベラは激怒した。  クリストも激怒した。 ************************************************ 【おまけ】 (早まった)  これがイザベルを祝いに、彼女の家を訪れたサーヴァインの偽らざる心境だった。  魔王モラレル討伐後、聖都を占領していた魔王軍は逃散し、聖都は無事聖騎士たちの手に取り戻した。  だが、信仰を一度は手放したサーヴァインは聖都に戻ることを潔しとはせず、自分へのけじめとして、聖都から離れる選択を選んだ。  道中仲間になったハナコの勧めで、レンハート王国で城兵として雇われ、給金の大半を聖都の復興基金に振り込む生活を送っていた彼は、ある日『勇者ボーリャックと聖騎士イザベルが結婚』という新聞の見出しに目が釘付けとなる。クリストをはじめとしてかつての同胞たちから全く報せがないことに不満を感じたギルだったが、直後自分の愚かさに気づき自嘲した。 「馬鹿か俺は…あいつらに背を向けたのは自分からじゃないか…」  そんな彼の様子を不審に思い、問いただしたのは、現在通い妻としてギルに猛アピール中のハナコだった。  新聞の見出しに気づいたハナコは、自虐モードに陥りかけたギルの尻を叩き、急いで祝い品と祝儀金を整えると、馬を”二頭”レンタルし聖都に旅立つ準備を済ませた。  なぜ二頭?そう訝しむギルにハナコは胸を反らして答えた。 「私も行くわ。だって貴方だけじゃ途中でまた長考モードに入った時に困るでしょ」  聖都に辿り着いた二人は、聖都の街並みをキョロキョロ見渡すハナコを窘めたり、帰還した避難民でごった返している都の様子に目を白黒させたり、復興途中の聖都の街並みに目を細めたりしながら、途中何度もイザベルの住居の居場所を確認してようやく彼女の家に辿り着いた。  この時彼女の名前を口にした時の信徒や避難民の、微妙な顔の原因に思いを巡らせておけばと、ギルは後に大いに後悔することになる。  扉をノックし暫し待つと、ドアが開いて中からゾルデが出てきた。この時の「あっちゃー…」みたいな顔をした時に、ギルは嫌な予感を感じたが、今更引き返すことも叶わず家の中に案内される。  ロビーにイザベルや、懐かしき同胞たちがほぼ勢ぞろいしていた。彼女たちの表情を見た瞬間、ギルとハナコは全てを悟った。  イザベルは顔をこわばらせてテーブルの奥の椅子に腰かけていた。ギルたちの姿を見て嬉し気に立ち上がったが、手荷物を見て「お前もか…」と口が動いたのをギルは見逃さなかった。  彼女の側に佇んでいたのは、知らない顔だが魔力の気配からおそらく変装したヘルマリィだろう。気づかわし気にイザベルの方をチラチラ見ている。  台所からお茶を持って現れたのはイゾウ…ではなくミサだろう。何となく所在なさげな顔をしている。というか何ミサに任せて引きこもってるのだ彼奴は。  どでかいため息が聞こえた方を向けば、ジャンクが椅子に座って足を組んでいた。ギルと顔が合うと「よお」と呟いて、何とも言えない笑みを浮かべた。  椅子に座って、目を瞑ってテーブルに頬杖をついていたのはマリアン。チラリとギルの方を見ると、また目を瞑った。  そして、一番目に付いたのは今にも自殺するんじゃないか、というくらい思いつめた顔をして床に正座しているクリストと、その隣で体育座りしている彼の妻のイザベラだった。  この異様な空間を目の当たりにしたギルとハナコは互いの顔を見合わす。 「どうやら、早まったようだな」 「ほんっとうに、申し訳ありませんでしたぁぁぁぁ!!!!」  ギルが呟くのと、クリストが土下座するのはほぼ同時だった。  シーーン…とした空間の中、イザベラのすすり泣く音が嫌になるくらいよく響く。「ごめんギル、私のミスよ」とハナコが謝る声が聞こえた。  クリストから全ての事情を聴いた後、皆が持ってきた祝い品の酒で急遽「イザベラを慰める会」「イザベルを励ます会」「クリスト、お前は悪くない会」を開くことに決まった。  清貧?何それ美味しいの?と鬱憤を晴らすかのように聖騎士も関係者も飲みまくり、食べまくり、騒ぎまくりのどんちゃん騒ぎへと突入する。  手尺でウイスキーを飲みまくり、イゾウ、ジャンクと早飲み勝負をし、ヘルマリィの頭でイザベルと人頭ボーリング大会と、大いに騒ぎまくったギルが意識を失う前に最後に見た光景は、 「ク゛リ゛ス゛ト゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!イザベルが私たちに交際報告も挨拶もなしにデキ婚しちゃったよぉぉ!!お姉ちゃんクリストの子供まだなのにぃぃぃ!!」 「すいません…申し訳ありませんでした…覚悟決めます…」 「クリスト~~~、ねえボーリャックしゃんとイザベルしゃんってどれくらい歳離れてるの~~?」 「ほんと!?うえへへぇ…じゃあ私たちも今晩から頑張ろうねぇクリスト…」 「はい…頑張ります…自刃します…切腹します…介錯はジュダさん、いやイゾウさんに…」 「ねぇおひえてよぉクリスト~~!ボーリャックしゃんとイザベルしゃんって何歳差らったの~~~?」  幼児退行してクリストに膝枕されながら泣きじゃくるイザベラと、彼女の頭を撫でながら明らかにやばい顔つきで虚空を睨みながら不穏な台詞を呟き続けるクリスト。更にクリストの肩を揺らしながらとやけに爛々とした目で、なぜかこちらをチラチラ見ながらデキ婚した二人の年齢差を聞きたがるハナコという、なんともカオスなシーンだった。  ちなみに数日後、件の新聞は紙面の片隅に、ボーリャックの結婚の訂正記事をしれっと載せた。許せん。