　身体が――疼く。激情が、芯から溢れて仕方ない。
「……ハァっ！！　破ぁッ！！」
　拳が、風を切る。
「たぁッ！！　エィやぁッ！！」
　脚が、大地を蹴り上げる。
　己の身体の熱を打ち放つように、振り払うように、まだ日も登りきっていない河川敷で無心に拳足を撃ち続ける。

「くっ……何故だ、何故消えぬ……！　この身体の熱は、この烈火は、何故我が身体からなくならぬのだ……っ！！」
　身体が、熱くて、熱くて、仕方ない。息を吸い、拳を強く握り締め、打ち出し、吼える。
「破ぁッ！！！」

　何度拳を振るっても、身体の疼きは止まらない。こんなことは今まで無かった。耐え難い、血が滾るようなこの熱に、身体が暴れるのを止められない。本能のままに拳を振るう。
「……くッ……！　こんな、これでは……私は、ただの獣ではないか……っ！」
　己の烈火を抑えることのできなかった幼き頃のように、私は身体の熱に振り回されてしまっていた。

「…………ヤエノ？」
　不意に、私を呼ぶ声が聞こえる。肩で息をしながらも、呼ばれた方を振り向くと……そこにはトレーナー殿が立っていた。

「こんな時間に稽古？　精が出るな」
「……ぁ、……い、いえ……その……っ」
　トレーナー殿を目の前にして、言葉が詰まる。こんな、己の烈火を抑えることのできないこんな未熟な姿を彼に見せることなど、とてもじゃないができなかった。

「……？　どうかしたか？」
「……ぁ、いえ……その……っ」
　……しかし、隠すこともできない。己の未熟さをひた隠し、彼に何でもないと嘘ぶくこともまた、悪しき行いだと理解してしまっている。
　思考が板挟みになりながら、言葉を紡ぐ。

「……トレーナー殿……身体が、身体が疼いて、疼いて、疼いて、仕方がないのです……」
「っ……！？」
　身体が自然と、彼の方へと倒れ込む。
「ヤエノ？　ヤエノ……！？　大丈夫か……っ！？」
　トレーナー殿に身体を支えて貰って、抱きかかえられて、情けない姿を晒しているというのに、何故か渇きが満たされるような、そんな不思議な気分になる。
「……トレーナー……殿……――」
　ふっ……と。身体が軽くなり、ぼんやりと意識が遠のいていく。
「ヤエノっ！？　おい、しっかりしろ……！？」
　あぁ、トレーナー殿の顔だ。
　そんなことを遠くで思いながら、私の視界は黒に覆われた。

――――――

　――ひんやりと。
　冷たい感触がひたいに当たる。
「…………ぅぁ……？」
　薄ぼんやりと、明るさを覚えてまぶたを少しずつ開いていく。

「……！　ヤエノ、起きたか……？」
「ぁ……れ……？　ここ、は……？」
「トレーナー室だよ。君が急に倒れたから、とりあえず運んできた」
　優しい彼の声。光に目が慣れて視界が広がって、そうして見える彼の心配そうな表情。

「っあ、……す、すみません……私……」
「まだ無理をするな、ヤエノ。……そのままソファーで横になっていてくれ」
「…………はい」
　まだ意識はボーっとするが、ひとまず彼の言う通りにする。

「……寝てる間に熱を測らせて貰ったけど、ちょっと高かったな。……さっきまで身体を動かしてたからというのもあるだろうけど、熱が出てるかもしれない。まだ保健室は空いてないから、しばらくここで休んでなさい」
「は……はい……ありがとう、ございます」
　熱……。身体の熱さは発熱のせいだったのだろうか。
　しかし……だるさや気分の悪さは無かった。むしろ、身体を動かしていたいと思うような、身体の底から湧いてくるような欲求があったのだが……。

「気分は、どう……？」
「そ、そう……ですね……。……まだ、身体は熱い……気はします。でも少し、マシになった……かも……？」
「そう、か」
　ふと、ひたいの冷たさを思い出す。触れてみれば、冷たい濡れタオルが当てられていた。……トレーナー殿が私の為に用意してくれたのだろう。
　……何故だか、この濡れタオルのことを意識すると、彼が用意してくれたということを意識すると、胸の奥がキュッとなって、身体の渇きが潤されたような気分になる。

「……っ……ぁ……その……ありがとう、ございます。色々……」
「ああ、大丈夫。気にしないで」
「……っ……」
　彼の優しい声が身体に沁みる。飢えが満たされるようで……。しかし、もっと……と熱が再び燃えるような気もして……。

「ぁ……熱い……」
「大丈夫か、ヤエノ……？」
　身体が熱くて、熱くて、苦しい。息が詰まるみたいに苦しくて、呼吸が荒くなる。
「……っあ……はっ……はぁ……っ、熱いっ……」
「っ……！　ヤエノ……！？」
　息が苦しくて、熱くて、服の胸元を緩め、少しおろす。肩が空気に触れ、涼しさを感じる。

「…………？　トレーナー殿……？」
「な、なに……？」
「何故、そっぽを向いてるのです……？」
　彼は慌てたように向こうを向いて急に目を合わせてくれなくなった。それがなんだか寂しくて、弱々しい声が出る。

「トレーナー、殿……」
　手を伸ばして、彼の服の裾を掴む。くい、くい、と幼子のように服を引っ張り彼を呼ぶ。
「や、ヤエノ……？」
「トレーナー殿……」
　私の呼び声に応えて、彼は屈んでこちらに顔を寄せてくれる。それがなんだか嬉しくて、私は身体の求めるままに彼に抱きつく。

「ヤエノ……！？」
　彼に触れて、抱きついて、理解する。これだ。これが、私の求める物だ。
　彼に触れていると、心が満たされていく。飢えが、渇きが、無くなる。

「…………っ♡」
「や、ヤエノ……？」
　もっと……もっと、欲しい。
「トレーナーっ……はぁ……殿……っ……」
　呼吸が荒くなる。血が滾る。
「はぁ……はぁ、……っ……もっと、もっと……貴方が……」
　彼が、トレーナー殿が、欲しい。欲しい。欲しい。
　欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい――。

「私を……満たして……っ」
「…………。……ぎゅ」

　――身体が、包まれる。彼の腕で、温もりで。
「あっ……」
　彼が、トレーナー殿が、抱きしめてくれた。その幸せで……脳が、思考が、塗り潰されていく。
「ぎゅう……。……これで、いいか……？」
「ぁっ……トレーナー、殿……っ」
　心が、身体が、満たされていく。好き。好き。
「大丈夫、大丈夫だ……俺がついてる」
　優しい言葉とともに、温かく抱きしめられて、そして頭の後ろをそっと撫でられる。
「ふあ……」
「俺がついてるからな、ヤエノ……」
　ぎゅうっ。彼の身体に回した腕に力が入る。
　好き。
　もっと。

　ミシり。
「っ」

「……ぁ……はぁっ……はぁ……っ……。……好き……っ」
「…………そうか」
「……もっと、っぁ……ください。こんな、浅はかな私を……獣のような私をっ……もっと、もっと、満たしてください……っ」
「……わかった」
　哀れな懇願を、彼は優しく受け止めてくれる。トレーナー殿はどこまでも優しい、こんな私に、本能に抗えない獣のような私に……。

　彼がぎゅっと抱きしめてくれる。なで、なで、と優しく撫でてくれる。それが幸せで、幸せで、堪らない。
　私の身体の熱はグツグツと煮えたぎり、今にも溢れそうで――。

「はあっ……ぁっ……♡　はっ……ぅぅ……」
　ぎゅぅ、ぎゅう、ぎゅーーぅ。

　ミシ、ミシ、ミシり。
「っぅ……」

「……っあ……熱くて、身体が……身体がっ……」
　身体の熱が滾るほどに、逃げ場を探すように腕に力が入り……そして、やがて――。
「っ…………っぅ……！！　ぁっ……あっ……！！」
　ミシ、ミシ。
「ぅぐっ」
　――煮え滾った熱が身体から溢れだし、脳を焼き切り、そして、壊れたように視界が覆われる。
「っ〜〜〜！！　っあ……――――」

　――そうして、私の意識は、光に包まれて、消えた。

――――――

　――目が覚めると、そこは保健室だった。
　どれだけの時間気を失っていたのか、ぼんやりとした意識のまま考える。
　……今はもう、身体の熱は収まっていた。

「…………ぁ、わ、私は……」
　熱の冷めた頭で今朝の出来事を思い出す。そうして、背筋が凍る。あの時は頭に入ってこなかった、骨が軋む音が、彼の苦悶の顔が、フラッシュバックする――。

「と、トレーナー殿っ！！」
「――どうした？　ヤエノ」
「――ぁっ」
　飛び起き声を荒げた私を迎え入れるように、彼がベッドを囲むカーテンをめくり顔を覗かせる。
「おはよう、ヤエノ。身体はどう……？」
「あっ、その……大丈夫……ですが、そ、それよりもトレーナー殿っ！　お身体は……！」
　……そう、あの時私は、我を忘れ彼の身体を思いきり抱き締めていた。……力任せに、ウマ娘の力をもって。

「あーー……うん、まあ……大丈夫だよ。どうにか」
「し、しかし……！」
「……あー、そうだな……確かに、ちょっと痛めちゃったけど……ヤエノを運んだついでにここで湿布も貼ってもらったし……大丈夫だ」
「すみません……私……っ」
「いや、気にしなくていい。……ヤエノの方が辛かったんだし、仕方ないさ」
「そう……ですか」
　彼の表情はこれ以上この件に関することは聞き入れないと、言外にあらわしていた。

「保険医さんは今は外に出てるよ。……保険医さんが言うには、時期的な物だろうってさ。ヤエノのそれ」
「時期……ですか……？」
「ああ、まあ……あんまり詳しくは聞いてないけど、熱が平熱より高いくらいで見た感じ他に異常も無さそうだし……って感じで……」
「そう……ですか……」
　時期的なもの……というのは、どういうことなのだかよく分からなかったですが、ひとまず受け入れます。
「ヤエノ的にも特に今は問題なさそう？」
「そう……ですね……身体の熱も収まったみたいです……」
「そっか……良かった……！　本当に……！」
　彼の噛みしめるように喜ぶ姿に、また、胸が疼く。
　温かな……でも確かな熱が、胸に広がっていく。

　ふと、思い出す。彼が抱き締めてくれたことを。その時の幸せを、満たされる感覚を――。

「ぁっ……トレーナーさん……すみません……また、少しだけ、身体が熱く……っ」
「っ！？　大丈夫か、ヤエノ……！？」
　そうして、また再び身体にメラメラと血が滾り、熱が溢れてくる。
「……その、っ……また、私を抱き締めてはいただけませんか……？」
「…………。……それで、ヤエノが楽になるなら」
「…………ありがとうございます……♡　トレーナー殿♡」
　ぎゅう……。彼が抱き締めてくれる。幸せが思考を埋める。ああ、これだこの味だ。

　私はもう、戻れない。この味を、幸せを、快楽を、知ってしまったから。覚えてしまったから。もう私は戻れない。私の身体はもう、獣の道へと深く、深く、堕ちてしまったのだから。
　こうして、私ヤエノムテキは、彼を、トレーナー殿を求め、飢える、一匹の獣になり果てたのであった。

おわり