　トレーナーと担当ウマ娘の距離感は適切なものであるべきだ。まだ若く未来ある、思春期の学生をつきっきりで指導するのだ。万が一のことがあってはならない。
　特に、自分の担当であるヴィブロスはまだまだ幼く、甘えたがりで、そして何より距離感がとてつもなく近い。だからこそ、彼女との距離感にはこちらから気をつけなければならないのだ。

「トレっち〜♡」
「ん、どうしたヴィブロス？」
　トレーナー室で仕事をしていた所、ヴィブロスに呼ばれた。
　俺は机の上の書類から顔を上げてヴィブロスに返事する。彼女の表情は何かを企んでいるような、ワクワクしているような表情で――。

「――トレっちの〜……えっち♡」
「――！！？？」

――――――
「――って、言ってみたいな〜♡」
「…………いや、駄目に決まってるでしょ」
「え〜っ！？　どうして〜！？」
　彼女の無邪気な好奇心から来た台詞を、胃を痛めながら否定する。
　突然何を言い出すのだ。彼女のとんでもない発言に一瞬言葉を失った。色んな責任問題が頭を駆け巡ったが、その後に続いた言葉で事態を理解した。

「どうしてトレっちのえっちって言っちゃだめなの〜！？」
「言って良い要素が1ミリも無いだろ」
「え〜っ！？　だってなんか語呂良くない？　言いたくならない〜！？」
　そんな語感の良さだけで発して良い台詞では無い。彼女の無邪気さはたまに心臓に悪い……。

「とにかく、そんなこと言っちゃ駄目」
「え〜〜！　トレっちのケチ〜！！」
「ケチで結構。駄目なものは駄目」
「う〜〜……ホントにダメ〜……？　おねがい〜」
　上目遣いでおねだりしても駄目なものは駄目である。というか、おねだりしてまで言いたいものなのか？

「つーん！　じゃあいいもんっ……トレっちのえっちって言っちゃ駄目って、トレっちに口止めされたってお姉ちゃんたちに言っちゃうから〜！」
「待って待って待って」
　それはとても、とても語弊がある。
「色んな意味で死んじゃうからやめて」
「えっ……トレっち死んじゃうの……！？　なんでー！？」
　それは主に君のお姉さんとかお父さんとかに……とは流石に言えなかった。

「……あのな、ヴィブロス。そういうことは気軽に言っちゃ駄目なの」
「えっちって言っちゃダメなの……？　どうして？？」
「……とりあえず、その理由が分かるようになるまでは、絶対言っちゃ駄目」
「そんな〜！　うぅ〜……」
　涙目でこちらを見つめるヴィブロス。だがそれでも俺の心は変わらない。駄目なものは駄目である。
「……ん……わかった……。トレっちがそこまで言うなら、言わないようにするね……？」
　……とりあえず、納得してくれたみたいで良かった。ホッと胸を撫でおろす。

「――……あっ、そろそろトレーニングの時間だ！」
「そうだな」
　腕時計で時間を確認して椅子から立ち上がる。ヴィブロスを連れてコースに行こうと歩き出して――。
「――あっ」
「わわっトレっち！？」
　どん。
　床に躓いてヴィブロスの方へと転んで押し倒してしまった。
「す、すまんヴィブロス……！　ケガはないか――！？」
「う、うん。平気だけど……」

　――ふにゅ。
　押し倒したヴィブロスからどこうとした時、手から柔らかな感触が伝わっていることに気付く。
「あ――」
　……マズい。慌ててその柔らかな所から手をどけ起き上がるも。倒れたヴィブロスの顔は、にんまりと笑っていて――。
「――……トレっち〜……♡」
　その表情に、声色に、全てを察した俺は処刑寸前の囚人のような諦観とともに、予想しきった彼女の次の言葉を聞かされるのであった。

「トレっちの、えっち♡」
おわり