　選抜レースを午後に控えたある日。俺は奇妙なウマ娘に出会った。
「ふっ……すぅー……はぁ」
　そのウマ娘は、耳の先から目元までを、メンコを被って覆い隠していた。しかし、奇妙なのはそこではない。確かにメンコを被るウマ娘は結構珍しい。だが、それよりも――。
　――そのメンコが、まるでダンボールとガムテープで作ったかのように角張っていて、ツギハギで、手作り感溢れるモノであることが、奇妙なのである。

「……やあ、君も選抜レースに出るのかい？」
　その奇妙さに惹かれて、好奇心から思わず彼女に声をかけてしまう。
「はい、そうですけど……あなたは、……トレセン学園のトレーナーさん、ですか……？」
「ああ」
　……まだ担当している子はいないが。
「そうですか。……あなたは、……選抜レースの下見ですか？」
「ん、まあそんなところかな」
　彼女に問われそう答える。まだ担当がいない身だ。選抜レースで光るものがある子がいないか、事前に見ておきたいと思っていたのだ。

「…………トレーナーさん」
　手作り工作感溢れるそのメンコについて、いつ尋ねようかと機を伺っていると……彼女の方から先に話しかけられてしまう。
「ん、どうしたんだ？」
「トレーナーさんは……夢って、ありますか？」
「夢……？」
「どんなことがあっても、叶えたい。無理だと言われても目指したい、そんな目標――夢は、ありますか？」
　彼女は、真剣な眼差しでこちらに問いかける。
　夢、夢……か……。いつか担当と一緒に勝ちたいとは思っているが……彼女の言うような、何が何でも、と呼べるほどの目標がある訳ではなかった。
「そうですか……」
　彼女にそのことを告げると、すこし残念そうな表情でそう呟かれた。

「……君の夢を、聞いても良い？」
　それは、言ってしまえば好奇心であった。彼女の真剣な眼差しや彼女の言葉から伝わる熱。そんな彼女の夢を知りたくなったのだ。
「……私の夢は、……みんなから、無理だ、正気じゃない、と嘲笑われてきました」
　彼女はぽつりぽつりとそう零す。
「自分でも分かっています。私では、その夢を叶えられないって……。……でも」
　俯いていた顔を上げ、その瞳に決意を浮かべながら、彼女は続ける。

「でも、それでも……っ！　私は、勝ちたい……！　無理なんて、限界なんて、知らないっ……！　私は、この脚で、“あのレース”に、勝ちたいんです！！」
　彼女が叫んだのは、何処までも純粋で、何処までも深い、渇望。何が彼女の夢を妨げているのか、それは分からない。でも……それでも、勝ちたいという熱意は伝わってきた。

「……って、あ、あはは……つい、叫んじゃいましたね……すみません」
「……いや、大丈夫。君の熱意は、夢は伝わったよ」
「あ、その……ありがとう、ございます……」
「その……頑張って！　選抜レース。俺、応援してるよ」
「っ……！　ありがとうございます……！」

　そうして、彼女にエールを送って別れる。次の選抜レースを楽しみにしつつすこし歩いたが、ふと気になったことがあって振り返る。
「なぁ、君！」
「えっ？　あっはい、なんでしょう」
　彼女も振り返り返事をする。そんな彼女に、尋ねる。
「君がそれほどまでに勝ちたい“レース”って、どんなレースなんだ？」
「それは……」
　どんなレースだろう。あれほどまでの熱があるということは……クラシック三冠や春秋のグランプリだろうか。
「それは……世界各地からこの日本に強豪ウマ娘が集う国際的なG1レース……」
　世界各地……G1……ということは、つまり……。

「私の夢は、ジャパンワールドカップで勝つことです……！」
　そうか、やはり……ジャパンカップか……！　なんか、名前を間違えてる気はするが、些細なことだろう。
　ジャパンカップは、かの日本総大将スペシャルウィークが凱旋門覇者のモンジューを破った一大レース。彼女が勝ちたいと望むのも当然だろう。
「そうか……！　頑張れよ！」
「はいっ！」
　そうして、今度こそ彼女と別れる。今日の選抜レース……俄然楽しみになってきた。彼女が出てきたら、ちゃんと見届けよう。彼女の走りを、夢の始まりを――。

――――――
　午後。選抜レースは始まった。先の彼女が出るレースを探していると……。

　いた。
　8番のゼッケンをつけたメンコのウマ娘。彼女だ。

「このレース、誰が有力だと思う？」
「そりゃあ、未来の三冠ウマ娘って名高いあの子でしょ」
　選抜レースを見に来たトレーナーたちがレース結果を予想している。未来の三冠ウマ娘と言えば……噂には聞いている。
　ゼッケン1番のウマ娘ギンシャリボーイ。
　確かに、この面子の中でなら最有力だろう。

「いやいや、俺はあの子を推すけどね。ちょっと素行は悪いらしいけど、でもバイクのような力強い走りには期待できるよ」
「あー、3番の」
　そう言われてコースを見ると、リーゼントをしたガラの悪そうなウマ娘がいた。確か彼女は……チョクセンバンチョーだったか。

「何にせよ、楽しみだなこの選抜レースは」
「だな」
　…………ここでも、彼女の名前は出ない。彼女は言っていた、みんなから無理だと言われてきた、と。
　確かに、有力候補に上がるほど、名は知られていないようだった。
　でもだからこそ、俺は気になっていた。彼女の実力を、走りを。

「全選手出揃いました」
「それでは、位置について。……よーい……！」
　パンッ。

　出走を告げる炸裂音とともに、ウマ娘たちが走り出す。さて、8番の彼女はどんな走りを――。

「っ……くっ！」
　――――。
　――これは……明らかに……。
　彼女は、出遅れてなどいなかった。好スタートは切れていた。だが、しかし――。

「……おいおい、あの子大丈夫か……？」
「あー、まあそういうこともあるよな」
　……明らかに、彼女の走りは遅かった。それなりのスピードは出ているものの、他の出走者と比べて最後方に置いてかれてしまっている。

　――これは……無理だと言われても仕方ない……。
　彼女の夢が否定された意味を、ここで理解する。

「っぅ……！　まだ、まだァ……！！」
　しかし、ここで彼女は加速した。未だ最後方ではあるが……それでも、食らいつこうと必死に脚を走らせていた。
「……っ……！　頑張れ、頑張れ……！」
　思わず、応援してしまう。その間にも彼女はグングンと加速していって――。

「これはっ！　最後方8番凄い追い上げ！」
　レースはまだ序盤だが、彼女の加速力は目を見張るものがあった。
　レースは加速し第3コーナー手前。一直線に加速する彼女は、どこまで食らいつけるのだろうか……！

「っあっ……！　くぅっ……！！」
　しかし、ここで。彼女は苦しそうな表情を浮かべる。限界なのか？　いや、違う。これは――。

「っぅ……！！　あぁあぁっ……！！！　っ！！」

「っ！！　っっ……！！　曲がれぇええええ！！！！」
　彼女が叫んだその時、彼女の身体は大きくバランスを崩し、そして……。

「あーーっと！！　8番転倒！！　これは、大丈夫なのかっ！？」
「くっあぁ……！！」
　バランスを崩して大きく転倒する彼女。そう、彼女はその一直線な加速力故に第3コーナーを曲がりきることが出来なかったのだ。

「それでもレースは続きます！　依然先頭は1番ギンシャリボーイ！」
　転倒した彼女への心配は程々に、観衆の目は激しいレースに目を向ける。
　だが俺は、ボロボロになった彼女から目を離せなかった。

「くっ……まだ、まだぁ……！」
　8番の彼女が立ち上がる。幸い大きな怪我はしていないようだが……彼女のトレンドマークであるメンコはグチャグチャになって破けてしまっていた。

「っ……！！」
　それでも、彼女は走り出した。どれだけ先頭から引き離されても、どれだけ身体がボロボロになっても。
　彼女の瞳は、あの夢を語った時のように真剣そのもので。ボロボロになったメンコから覗く彼女の表情に、曇りは――無かった。

「先頭は1番ギンシャリボーイ！　後続から3番チョクセンバンチョーも来ているぞ！　さあゴールまで残り400m！」
「いけーーー！」「差せーー！！」
　実況も観客も、先頭の競り合いに熱を上げる。
　一方で、最後方をポツンと一人走る彼女の姿は誰の目にも留まらない。

「――ゴール！！　勝ったのは1番ギンシャリボーイ！　2着は3番チョクセンバンチョー！」
　先頭集団がゴールインをし、それから暫くしてから彼女はゴールした。

　最後まで諦めずに走りきった彼女への称賛は、激しい1着争いをしていた二人のウマ娘たちへの期待の眼差しでかき消されていた……。
　それでも、彼女は走りきった。誰からも期待されていなくても、誰の目にも留まらなくても、彼女は最後まで諦めずに走ったのだ。

「はぁ……はぁ……っ……」
　そしてその表情に、曇りは無い。彼女は言った。無理や限界だなんて知らない、と。これも、彼女の渇望する夢の途中なのだろう。

「ナイスファイト！」
　俺は一人彼女に声を掛ける。それは、1着争いをしたウマ娘たちへの称賛の声でかき消されてしまったが。

「…………！」
　それでも、彼女には届いたのかもしれない。こちらの方に振り返る彼女を見ながら、そう思うのだった。

――――――
「――あはは、バレちゃいましたね」
　選抜レースが終わり、俺は真っ先に彼女の元へと向かった。最下位のウマ娘に声をかけるような物好きはおらず、すんなりと彼女と再会することができた。
「なんのこと？」
「……私の脚じゃ、到底夢になんて届かないこと。それから、これも――」
　そう言って、彼女は取れかかったダンボール製の耳カバーを指差す。
　それは――ほぼ原型を留めていなかった。“中に耳が入っていたのなら”それはもう、耳カバーの役目を果たすことは到底できないであろう。

「……でも、君は……」
「……？」
「最後まで、諦めないで走りきった。例えどんなにボロボロになっても、どんなに周りから注目されなくても」
「………………」
　レース中の彼女は、最下位になってしまった。だが、しかし俺には……彼女が、誰よりも勝利を諦めないで、渇望して、本気で走っていたと、一番だったと。
　そう思わざるにはいられなかった。

「あはは……変なトレーナーさんですね。……でも、その……ありがとうございます。…………それじゃ」
　そう言って、彼女はその場から立ち去ろうとする。
　その後ろ姿を見て、俺はすぐに声をかけた。

「待って！」
「……？　他に何か……？」
　不思議そうにこちらを見る彼女に、俺は一度深呼吸をしてから、伝える。
「俺を、君のトレーナーにしてくれないか！？」
「…………。……え……。…………えーっ！？」
　彼女は目を丸くして、叫んだ。
「あ、あなた……正気ですか……！？　見たでしょう？　私の走り！　私の正体を！　それなのに、どうして――！？」
　こちらに駆け寄って言葉をぶつけてくる彼女に俺は言った。
「――君が、誰よりも、一番だったから」
「――っ！？」

「走りは遅くても、曲がりきれなくても、ボロボロになっても。君の闘志は、夢への渇望は、一度も揺らがなかった。最後の最後まで諦めなかった。それは……今も」
「………………」
「――だから、……俺と一緒に、夢を叶えないか？」
「……そんな、そんなの……」
　彼女は、目を潤ませながら言葉をこぼす。
「……そんなの、正気じゃない……」
「――君が言ったんだろ？　無理だとか正気じゃないだとか、そんな言葉じゃ諦められないって」
「――！」
「俺だって、諦められないさ。君の熱意を見てしまったんだから。無理だとか限界だとか、そんな言葉は知ったこっちゃない」

　そう、俺はいつの間にか、彼女に魅入られていて。彼女の熱に突き動かされていて。だから、俺は――。
「――俺は、君の夢に、賭ける。……だから俺と一緒に、夢を駆けよう！！　担当とトレーナーとして！！」

「…………ぅっ……〜〜〜っ……はいっ……！！」
　彼女は涙を浮かべながらうなずく。

　こうして俺は、すこし奇妙で、誰よりも夢にひたむきなウマ娘と――担当ウマ娘と出会った。

――――
「……そうだ、君の名前。ちゃんと聞いてなかったな」
「……あはは、確かにそうですね。……えっと、私の名前は――」


「――ハリボテエレジー」


　これは、種の限界をも越える、二人の。
　反逆の物語。

おわり