「よし、始めるぞ。用意――スタート」
　――パン。

「……っ！」
　ダッと、若いウマ娘が駆け出す。
　それを見守るのは……トレーナーさんと、僕。
　あの子の走りは……僕に似ている。僕に憧れて、僕のように一番速くなりたいと言った彼女の言葉に、偽りは無い。

　基礎に抜かりは無い。トレーナーさんの指導通り、堅実にしっかりとした体作りを行い形成されたこの走りは、僕の持つ走りと同じ“速さ”を確かに感じられるものであった。

「――よし、そこまで。おつかれ、ジャンダルム」
「はっ……はっ、は……はい、ありがとうございますトレーナーさん」
　走りきったあの子――ジャンダルムにトレーナーさんが声をかける。
　ジャンダルム――僕がアメリカに行っていた頃に出会った、僕の走りに憧れているというウマ娘。僕の“仕事”の成果に感銘を受けてくれた、僕の後輩だ。
　僕とトレーナーさんのチームに入りたいと言った彼女を連れて、僕はアメリカから日本に戻った。それから、僕たちはトレーナーとして、先輩として、ジャンダルムに走りを指導していた。

「――うん、現状の地点から考えれば仕上がりは悪くない。このままトレーニングを継続していこう」
「はい」
　トレーナーさんの言葉を静かに、真剣な眼差しで受け止めるジャンダルム。普段は大人しい子だけれども、トレーニングに対する姿勢は非常に真摯で積極的だった。

「そうだ、ビリーヴ。君から見てどうだった？　ジャンダルムの走りは。同じ走りをしている君だから指摘できることもあるだろう」
「……そう、ですね」
　トレーナーさんに振られて、すこし考える。どのようにアドバイスをするべきか、慎重に言葉を探す。そうして。

「――走りに、少し……まだ、ブレがあるように思えます。決して崩れることのないと言えるほどの安定性はまだ」
「……はい」
「……ジャンダルム。走っている間、“潜る”イメージをしてください」
「潜る……？」
「水中を潜るように、沈むように、じっと。走るペースも、上がる息も、苦しさも、底へ底へと潜っていくようにじっと。……そうすれば、揺るがない安定感が手に入る、筈です」
「……！　はい、わかりました」
　僕の言葉に目を輝かせ、頷くジャンダルム。
　この子は、僕の走りを目指している。ならば、僕がこれまで走ってきた中で得た経験や技術は、きっと彼女の役に立ってくれる筈だと。僕は思う。

　技術の継承、というには僕もまだ、途上の身で。おじいちゃんのような職人と呼ばれる人たちのように、誰かを弟子に取るのはまだまだ早いと思えてしまうけど。
　それでも、僕の仕事に惚れ込んで、僕のように走りたいと願ってくれるのならば。僕は僕の持てる全てをこの子の為に注ぎ込みたいと、そう思えた。

「ご指導ありがとうございます、ビリーヴさん」
「よし、それじゃあもう一周。今のことを意識して走ってみようか」
「はい。行ってきます」

　そうして、ジャンダルムは走っていった。僕とトレーナーさんは、あの子の背を見守る。僕たちの、大切な後輩の、教え子の姿を。

――――
「……ふと、思ったのですが」
　休憩中、水分を補給し終えたジャンダルムが不意に言葉を零す。

「ビリーヴさんとトレーナーさんって……おじいさまとおばあさまによく似てらっしゃいますね」
「え？」
　突然そんなことを言われて、思わず固まる。彼女の言うおじいさまとおばあさまというのは、僕の祖父母のことだろう。まだアメリカに居た頃、彼女は僕のところを訪ねに何度か祖父母の住む家に行く機会があった。おじいちゃんの仕事に僕と一緒についていったことも……。お世話になっていたことも。
　つまるところ、僕とトレーナーさんがおじいちゃんとおばあちゃんにそっくりだと、彼女は言いたいみたいだった。

「あはは、そうかなー？」
　照れくさそうに笑うトレーナーさん。……うん、僕がおじいちゃんに似ているのは、自分でも自覚している。おじいちゃんに憧れて、僕はこの道を選んだ。仕事に対して真摯なのも、おじいちゃんのようになりたいと、思ったからだ。
　一方で、トレーナーさんの方は……。おばあちゃんに、似てる……のかな？　そう言われてみると、僕が仕事に集中してる時は環境を整えてくれて、邪魔にならないようにしてくれて、見守ってくれて……小さな気配りで、僕の仕事を陰ながら支えてくれていて……。そして、僕がひと仕事を終えた時は労ってくれて……。

「ビリーヴがおじいさまと似てるというのは、分かるなあ。俺の方はどうだろ……というか、俺がおばあさまなのか……いやまあ、順当に考えたらそうか……？」
　優しいトレーナーさんの横顔をそっと見つめて、思う。確かに、そうかもしれない、と。
　いつだったか、おじいちゃんが言っていた気がする。僕のトレーナーさんは、おばあちゃんにどこか似ている、と。その時はピンとは来ていなかったけど、今なら……。

「おふたりはベストパートナー、ですね……♪」
「ええ、そうかなー？　……はは、そうだと良いな」
　嬉しそうに顔をほころばせるトレーナーさん。こういう時、いつも。トレーナーさんは感情が顔に出る。それを見ているとなんだか僕も嬉しいような気分になって。うん……悪くない、と思う。

　なんだか温かな気持ちでトレーナーさんとジャンダルムと僕とでこの時間を過ごしていると、唐突に、彼女はこんなことを言い出した。
「――パートナーと言えば……」
「うん、なんだ？」

「……トレーナーさんとビリーヴさんって、なんだかパパとママみたいですね」

　…………？　……。…………！？

「うんっ！？　ちょ、突然何を言い出すんだ！？」
　トレーナーさんの焦った言葉に内心同意しながらジャンダルムを見る。ぼ、僕が、ママ？　それで、トレーナーさんがパパ……？

「はい、だって……私のために、ふたりでいっぱい教えてくれて、見守ってくれて、育ててくれて……それって、なんだかパパとママみたいだなって……」
　……ジャンダルムはまだ幼さが残っている部分もある。だからこそ、そんなことを言ってるのかもしれないけれど。
　いや、それでも……パパとママというのは……。

「それに、トレーナーさんもビリーヴさんも、お互いを支えあってて、想い合ってて、それって、とってもベストパートナーなので」
「い、いや……確かに二人で君のことは見てるけど、俺たちが君の両親っていうのはちょっとまた……というか、俺とビリーヴの関係はなんて言うか、その……“仕事仲間”って言うか……」
「それだけ、なのですか……？」
　じっと、ジャンダルムはトレーナーさんを見つめる。彼女の曇りなき眼に、トレーナーさんは怯んでいるみたいだった。

「ビリーヴさんも……！　ビリーヴさんも、トレーナーさんのこと――好きじゃないんですか……？」
「…………え」
　ジャンダルムから掛けられた言葉に、思考がフリーズする。

　好き……？　好き、とは……僕が、トレーナーさんを……。……？？

「あ、あの……ジャンダルム……？」
「私は、おふたりはお似合いだと思います」
「ジャンダルム……！？」
　お似合いって、……？？　僕は、トレーナーさんのことを……好きな訳じゃ……いや、嫌いだとかは決して、ある筈は無くて……それだと、失礼になっちゃう。えっと、好き、ではあるけど……それは、トレーナーさんがトレーナーさんだからであって、僕は、えっと、トレーナーさんのことは……仕事仲間……？　いや、でもその言葉が相応しいかは……。

「おい、ビリーヴ……？　ビリーヴ……！？」
　ぐるぐると、頭の中でジャンダルムからの問いかけが駆け巡る。考えれば考えるほどに、分からなくなっていく……。考えてみれば、僕はトレーナーさんのことをどのように思っているのか、ハッキリとした答えは持ったことがなくて、考えたこともなくて。
　いや、一緒に仕事をできる人として、心の底から尊敬しているし感謝しているし、これからも一緒に仕事をしたいと思っているけれど。それが、ベストパートナー……おじいちゃんとおばあちゃんのような、あるいは彼女の言うパパとママのような、その……関係性なのかと言えば……。
　しかし、僕とトレーナーさんであの子を育てているのは確かで、それはつまり言い換えれば子育てというものに近しい物と言えてしまうのだろうか……？　それでは、僕とトレーナーさんは夫婦……？　おじいちゃんとおばあちゃんみたいに……？

　……？？？？

「び、ビリーヴがフリーズしてる……」
「――トレーナーさん……！　トレーナーさんは、ビリーヴさんのこと、好きですか？」
「うえっ！？　いや、そりゃビリーヴのことは好きだけど」
　……っ！？

「まあ……！　それじゃあ、やっぱりトレーナーさんとビリーヴさんは私のパパとママですね……♪」
「いや、いやいやいや……！　その、そういう好きとはまた違うというか……！　いや、誤解があるって！」
「〜♪」
　楽しそうなジャンダルムと、慌てふためくトレーナーさん。一方の僕は、想定外すぎる問いかけに頭の処理が追いつかず、立ち尽くすばかりで――。

「……それでは、これからもご指導よろしくお願いしますね、パパ、ママ……♪」
「――――」
　無邪気に笑いかけ僕をママと呼ぶジャンダルムに対して、今の僕にはまだ、全くと言っていいほどに、かける言葉を見つけることは出来ないのであった。

おわり