深夜、少女は目を覚ました。こんな時間に起きてしまった理由など唯一つ、尿意である。  つい数年前には、夢の中で済ましてしまい翌朝には実に見事な世界地図とご対面……などといったことも時折あったが、流石に今ではそのような粗相も無くなり、こうして事前に阻止することだって出来るのである。  長年こんな所に篭っていてもちゃんと成長している自身を内心賞賛しながら、少女はベッドの下へと手を伸ばし……やめた。同居人達を起こさぬようにそろりと布団から抜け出し、常夜灯の僅かな灯りを頼りにドアへと辿り着く。静かに病室を離れると、膀胱括約筋が限界を迎える前に且つなるべく振動を与えぬよう、巡航速度でトイレを目指すのだった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  無事目標へ到達した安堵と共に水音を響かせながら、少女は考える。最近、このように自らの足でトイレを訪れる機会が増えたことについてだ。  といっても別に頻尿気味とかそういう話ではない。病弱な彼女は、足元も覚束ないほど体調の優れない時(或いはマジで間に合わん時)はベッド下の容器へ用を足すことも珍しくなかった。しかし最近はどうだろう、不思議とそこまで衰弱した覚えが無い気がするのだ。  少女の父親は世界一の医者である……少なくとも彼女はそう信じているし、事実父が院長を務めるこの病院は、世界でも有数の先端医療を備えていることで有名だ。そして皮肉なことに、その娘である彼女は生まれつき難病を患っており、そんな父親の下で世界一の治療を受け続けてきた。  きた筈、なのだが……11年の闘病を経て、未だ戦況は芳しくない。常に自信に満ち溢れ『ここに居れば絶対に治せる』と豪語する父が、少女やその友人達の検査結果を確認してほんの一瞬だけ見せる険しい表情と沈黙の意味が解らない程、彼女も他人の心情に疎いわけではなかった。何より、この身体が年々思い通りに動かせなくなっていたことなど、自分自身が一番よく分かっていたのだ。  ところがどういうわけか、悪化の一途を辿るのみであった病状も今は随分と大人しくなった。相変わらず父の眉間の皺は深いものの、それでも体感としてはだいぶマシになったのは間違いない。はっきりとした理由など分からないが、おそらく切っ掛けは1年と少し前……あの病室に三人目の住民が増えたこと、そしてその姉が見舞いに訪れてくれるようになったことだろうか。  古来より『病は気から』という諺がある。病気は心の持ちようによって善くも悪くもなるといった意味だが、科学的な思考を是とする少女にとってはそのような迷信鼻で笑い否定……することはなく、むしろ彼女は科学的根拠に基づき納得していた。各種の薬物が精神へ大きな影響を与えるのは周知の通りだし、精神病の治療に投薬を用いることもある。体内で生成されたホルモンは、体調のコントロールだけでなく精神状態へも影響する。ならばその逆が無関係である道理も無いだろう。  少々気難しい幼馴染と共に二人で傷を舐め合うしかなかった頃に比べ、常に場の潤滑剤となってくれる三人目と、そして自分達に外の世界と未来を見せてくれる姉が存在する今の環境は、間違いなく体調にも善い影響を与えているのだろう。 そのように、少女は結論付けた。  ふと、そういえば明日は院内学級の授業参観だったのを思い出した。普通の生徒より遥かに賢い彼女にとっては、低レベルな授業をたまにマウントをとりながら過ごすだけの極めて退屈なイベントだ。おまけに両親は共に多忙な身であり基本的に見に来れない。それ自体はもう慣れており今更思う所は無いが、やはり未だ幼い彼女も、誰かに見て褒めて貰いたいのだ。  明日は件の姉が見に来てくれる約束だった。そうとなれば今回は一切手を抜くことなく全力で頭の差を見せつけてやらねば……いや、あまりやり過ぎると、またあの姉妹に咎められてしまうだろうか?  微笑みを浮かべてそんなことを考えながら、少女は個室を出るのだった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  階下から聴こえる喧騒に一度立ち止まる。そういえば先程、救急車のサイレンも聴こえていたような気がする。事故か何かだろうか……いや、自分には関係の無いことだ。少女はひとつ欠伸をして、再び病室へと歩き出した。  何も珍しいことではない。そもそもここは病院だし、ICU等も備えたこの棟には救急外来もある。休日だろうが夜中だろうが、哀れな患者が搬送されてくることなど日常茶飯事なのだから。  ……だから、あの胸騒ぎも、きっと気のせいに違いない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 『お姉さまのうそつきーーーーーーー!!!!!』 『ご、ごめんね灯花ちゃん……お姉ちゃん急に来れなくなっちゃったみたいで……』 『いい加減落ち着いたらどうだい灯花、ういも困ってるじゃないか……お姉さんだって、何か理由があったんだろう?』 『うん…お父さんからのメールには何かどうしても外せない急用だって。いつもならお姉ちゃんから言ってくるし、よっぽど忙しいのかな……』 『でもでもでもぉ……にゃう!!いいもん!今度来た時はいーーーっぱいなでなでしてもらうんだからー!』 『まったく……おや、そんな事より大丈夫かなうい?そろそろ検査の時間だったんじゃないのかい』 『え?あっ…!ありがとうねむちゃん!わたし行ってくるね!』 『むふっ。ああ、朗報を期待しているよ。……で、灯花はいつまで拗ねている気なんだい本当に……』 『うるさい!!だいたいねむだって本当は怒ってるでしょー!?』 『……まぁ、一切の不満が無いと言えば嘘になるね。けど仕方無いだろう?大した理由もなしに約束を破るお姉さんじゃないのは君だって知っている筈だよ』 『にゃあああモヤモヤするぅ……!ねむ!なんでもいいからテレビつけて!』 『はぁ……やれやれ……』 ピッ≪──次のニュースです≫ 『ほら灯花、せいぜい気でも紛らわすと──』 ≪昨夜10時半頃、神浜市内の交差点で、歩行者が信号を無視して進入したトラックにはねられる事故がありました。この事故により、宝崎市立第一中学校に通う生徒、環いろはさん(15)が意識不明の状態で病院に搬送されましたが、間もなく死亡が確認されました。原因はトラックに搭載された自動運転装置の故障と見られ、警察とメーカーは現在詳しい状況を──≫ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  僕は正座のまま俯いた幼馴染を……里見灯花を車椅子の上から見下ろして呆れ返っていた。  昨晩、珍しく泥酔して帰ってきた灯花を介抱し、おぶって連れてきてくれた彼女の従姉妹と共に寝室まで運んでやったのは覚えている。その後僕もすぐ眠りに就いたのだが……背中の冷たさに気付いて目覚めた時には、シーツに描かれた世界地図と、いつの間にか僕のベッドへ潜り込んできていたその作者にご対面というわけだ。そして現在はそいつを叩き起こして寝具とパジャマを洗濯機に投げ込み事情聴取を開始した所である。流石の彼女も高めの身長を縮こませしおらしくなっている。ウケる。  諸事情で両足が不自由な僕は、普段は同居している彼女に色々と身の回りの世話をして貰っている。まぁ、この電動車椅子は色々と高性能なため実際の所は独りでも大体の事はなんとかなるのだが……彼女にとっては贖罪の面もあるらしく、自ら進んでこの役目を買ってくれているため、僕もこうしてその気持ちに甘えている状況だ。……それに、気心の知れた相手がいつも傍に居てくれるというのは、やはり心強い。  しかしこれでは一体どちらが介護されているのやら……一緒に来ていた氷室さんによれば、どうも従姉妹である里見……那由他さんとの呑み比べ勝負など始めていたらしい。無謀としか思えないが、氷室さん曰く大して飲まない内に二人揃ってダウンしたそうだ。結局のところは、体積の差で一足先に復活を果たした里見さんが高らかに勝利を宣言し決着となったようだ……随分仲が良くなったようなのは結構だが、そのお陰で僕はこうして最悪の目覚めを迎える羽目になっているのだ。  むふふふっ全くやってくれたね灯花……!君ももういい歳だろうに恥ずかしくないのかな。何?夢?…………ふーん、凄く怖い、ねぇ……子供みたいな粗相をしたかと思えば言い訳までまるで子供じゃないか。  君の性根が子供っぽいのは昔から知っているけど、それでも近頃はその聡明さに見合った落ち着きも備わってきたようだとこれでも感心していたんだけどね……今回ばかりは失望してしまったよ。  反省の色も薄いしこれは一度お仕置きをしなければならないね。むふ……どうせ我慢出来ない尿道ならばいっそ"これ"を付けて一日過ごして貰おうかな。そうだよ導尿管(カテーテル)だよ君も昔お世話になっただろう?おっと逃げようったって無駄だよこのアームがそんなに優しくないのはこの車椅子を造った君が一番よく知っているだろうさぁ大人しく股を開 ガラッ「おはよう灯花ちゃんねむちゃん!すごいんだよお姉ちゃんがねあっごめんね邪魔しちゃったみたいで」 待ってくれういこれはだね 「大丈夫…隠さなくてもいいんだよ…二人がそういう仲だったのは入院してた頃から知ってるから…気にせず続けていいからね……」 違うんだ うい 聞いてくれ 「そんなことよりお姉ちゃんがお医者さんの試験に合格したんだって!それでね今度みかづき荘でお祝いするから二人にも絶対来て欲しいの!あとで予定とか送るから忘れないでね!」ピシャッ  …………あの子もなかなか押しが強くなったね。お姉さんの影響かな……解っているさそんな目で見ないでくれ。ここまで来たらちゃんと最後までしてあげるとも……可愛い僕の灯 続きはTONEMUBOXにて💜