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明智 和葉 ここにも、当然居ない。そもそも人の気配がないのだから当たり前。

明智 和葉 「……ま、そりゃそうだよねぇ」

明智 和葉 す、とベンチに腰掛けた。プールなのに服を着たままの、場にそぐわない姿だ。

明智 和葉 でも、この静寂は、かすかな塩素の匂いは、気を落ち着かせるのにちょうどよかった。

黒木 翼 そのかすかな塩素の匂いを追い出すように、甘くて、ふわふわした…

黒木 翼 「……あはは」後ろからぺちぺちと足音を立てて。

明智 和葉 「────ぇ」記憶に深く刻み込まれた、香りが。

明智 和葉 いや、そんなわけがない。たまたま脚を運んだだけで、タイミングよく、都合良く居るわけがない。

黒木 翼 「和葉ちゃん」申し訳ないような、そんな声。

明智 和葉 「……翼、くん」

明智 和葉 でも、声をかけられてしまえば、その存在を知覚しないわけがない。

黒木 翼 「振り返っちゃ、ダメですよ」頭を撫でて、呟く。

明智 和葉 「……」言われるがままに。いや、言われなくても。身体が硬直して、視線を動かせない。

黒木 翼 「我慢、できなくなっちゃいますからねぇ…」頭を撫でている。

明智 和葉 「……我慢、してくれるんだ」

明智 和葉 それは、今強く求められたら、おそらく抗えないと。そして、その後、心底自分と貴方を嫌いになってしまうと、分かっていての、囁き。

黒木 翼 「ああ…我慢、出来なくなりそう。だから今日は、少しだけ。これだけ」

黒木 翼 彼女の手元に小瓶を二つ。鮮やかな紫色の液体と、蕩けたような桃色の。

黒木 翼 「紫の方は、和葉ちゃんに似合うと思って、用意しました。ピンクの方は…一人の時に。僕の、香りですから」

明智 和葉 「……これは、なぁに?」

黒木 翼 「香水、ですよ」

明智 和葉 「……ずるい」

明智 和葉 「そんなの……受け取らないなんてできないよ」

明智 和葉 「どうして……わすれさせてくれないの」

黒木 翼 「忘れてほしくないから…かな」

明智 和葉 「……そんな翼くんだから、モテるんだね。でも、わたしなんかじゃなくて、他の娘に、してあげたほうが」

明智 和葉 言いながら、声が震えるのを抑えられない。香水を受け取って、俯く。

黒木 翼 「…少し、欲張る事にします」

黒木 翼 ブラムストーカーではないけれど、彼女の首筋に舌を這わせ、吸い付き、痕を残す。

黒木 翼 「…ぷは」

明智 和葉 「ひぅ」消え入るような声。口を押さえて、なんとかそこまでに押し止める。

黒木 翼 「それが消えるまでに、会いに来ますよ」そう呟いて。残り香だけを名残惜しげに残して、消えた。

明智 和葉 残されて。ぎゅっと、自分の身体を抱く。縮こまる。

明智 和葉 「……どうして、そんな、期待させるの……」

明智 和葉 上手いこと引き止めるための、適当な言葉だと知っているのに。女誑しの常套手段。それでこんなにも嬉しくなってしまう自分の浅ましさが恨めしい。

明智 和葉 ……いや、今更だ。思い出に縋って、またここに脚を運んでいる時点で。

明智 和葉 ……一夜限りの、都合のいい女だったはずなのに。その後、かなり面倒くさいことを言ったのに。キープにするには、自分はウザったいと思うのに。

明智 和葉 「どうして、まだ、ここまでしてくれるの。……もしかしたら、って、思っちゃうよ……」

明智 和葉 頭を振る。この場にいたら、どんどん考え込んて、頭がぐるぐるしてしまう。

明智 和葉 今日は、帰ろう──