関節が痛む。体が重い。さらには頭痛に悪寒と、彩葉はわかりやすく体調を崩していた。  熱は38度ちょうど。  ……久々にやっちゃったなぁ。っていうか、まだ上がるなこれは。  ぼんやり他人事のように思いながら、起きかけた体を横たえる。  大学生になってからというもの、勉強、バイト、ツクヨミで息抜きして、ヤチヨとたまにライブ。あとの時間は研究、研究、研究、研究。  あの頃のような生き方なのに、切迫感はなくて、あの頃以上の勢いで生きてる。  目標があって、ヤチヨが側にいる。苦しいときでも見ててよって笑えるような、そんな毎日だった。ヤチヨは半分マジのトーンで「彩葉ちょっとこわーい」と言ってたけど。  しかし、まあ、流石にちょっと頑張りすぎたか……。  心より先に、体に限界が来たっぽい。 「……休むかぁ」  今が夏休みなのは幸いだった。  講義はないし。バイト以外の時間は、とにかく図書館と研究室に籠もるだけだ。 「はー……。ぼーっとする」  エアコンの効いた部屋の中で抱き寄せるように毛布に包まった。  少し眠っていたようだ。  時計を見ると、夜8時。  ……は? 12時間寝てた……?  パジャマの下は汗ぐっちょりで。シーツも枕も湿っている。  熱は……、少し下がった気がする。だるさとか頭痛とか関節とか、少し楽だ。 「うう……、水、水……」  ふらつきながらどうにか冷蔵庫にたどり着き、ちびちびと舌に染み込ませるように水を飲む。  冷たさが心地良い。熱を持っていってくれる気がする。 「はー……」  冷蔵庫にもたれかかり、ずり落ちるようにキッチンに腰を下ろした。  ペットボトルを額に当てる。 「きもちい……」  少しだけ思考がクリアになる気がする。  そうすると、じわ、と胸の奥で痒みに似た感覚が湧いてきた。  焦る。  勉強と研究にずっと打ち込んできた。  かぐやから月の技術の話も聞くし、それも可能な限り取り込もうとしてきた。  月の技術は難解以前にそもそもの摂理から異なっていて、はっきり言って理解が及ばない。  それでも、月の技術はかぐやに肉体を与えたし、それは同じ地球上での出来事だ。  絶対にできないなんてことはない。  心が折れそうになっても、記憶にあるかぐやの顔が、声が、体温が、絶対に無理じゃないと背中を押してくれる。  一歩ずつ、いや、つま先ほんのちょこっとずつかもしれないけど、前に進んでいるんだ。  でも、まだゴールは見えない。  たどり着くのはいつになるんだろう?  80年後かもしれないし、もしかしたら私の死後、跡を継いだ人が成し遂げるのかもしれない。  それでは駄目なんだ。 『彩葉……! 彩葉……!?』  ぐるぐるとネガティブ思考が回り始めたところで、寝室から声が聞こえてきた。 「あ、ヤチヨ……?」  やばいやばい。体の調子が悪いと、ネガティブに陥りがちだ。  すっかりぬるくなったペットボトルを片手に、寝室に戻る。  暗闇の中で光るタブレットに、切迫したヤチヨの顔が浮かんでいた。  明かりを点けると、カメラ越しに目が合う。 『彩葉!』  力の抜けたような笑顔を、ヤチヨが浮かべた。 「ごめんごめん。ちょっと水を取りに」  飲みかけのペットボトルを振って見せる。 『良かった……』  ヤチヨは涙まで浮かべていて、あー、やっちゃったなぁ……なんて思いながら、 「いやー、盛大に寝坊したわー」  誤魔化しにもならない誤魔化しを試みる。 『……彩葉』 「ごめん」  思いの外マジトーンだった。 『今日、彩葉ログインしてこないから心配したんだよ』 「はい…」 『様子を見に来たらずっと寝てるし汗すごいし』 「はい……」 『具合悪いの』 「や、え、まあ、その、ちょっと」  怒ったように、真正面からの上目遣い。  昔から、こう迫られて折れなかったことはない。自慢じゃないけど。自慢できないけど。 「熱がですね、ちょっとありまして……、いや、多分今は下がったんですけど……。ちょっと体だるいくらいで……」 『彩葉無理しすぎー……!』  怒られているのに笑ってしまう。  いつものちょっとほわほわした感じのヤチヨの喋り方じゃなく、そう、ちょっとシリアス入ったときのかぐやみたいな喋り方で。  かぐやみっけ。  ちょっと嬉しくなる。  ……怒られてはいるんだけど。 『彩葉~? 笑いごとじゃないからね~』 「ごめんごめん。でも、ありがと。大丈夫だから」  ヤチヨは口をパクパクさせたけど、何も言葉が出てこなかったのか、むつっと口を結んで俯いてしまった。 『……』 「ヤチヨ……? おーい」  反応がない。 「怒んないでよー」 『……ちがう』 「ん?」 『怒ってない。……ごめんねって、言いたかった』  え、何何。 「ヤチヨが謝る理由なくない?」 『あるよ。だって、彩葉が大変なのも、頑張っちゃってるのも、全部ヤチヨのせいだから』 「ちょ、ちょちょちょ、ヤチヨさん」 『なのに、何もしてあげられない。彩葉が熱を出したのに、病院に連れてくことも、お腹に優しいご飯を作ってあげることも、ふかふかを用意してあげることもできない。……だから、ごめんね、彩葉』 「……はー」  またあんたはそういうことを。  こういうかぐやは見つけても嬉しくないぞ。  タブレットにデコピンしてやる。 『わ……!』  カメラが揺れて、ヤチヨが驚いたようにこちらを見ている。 「私が頑張っているのは、ヤチヨのためだけじゃない。言っとくけど、かぐやのためだけでもないよ。私が、かぐやと歌いたい、やり残したことを全部やりたい。だからやってる。毎日ご飯を一緒に食べて、ゲームして、一緒におばあちゃんになって、最後にずっと楽しかったねって、そういうハッピーエンドにしたい。だからやってる。私たちのためなんだよ」  ……一気にまくしたてたら、すこしふらふらする。 『……』  ヤチヨは黙っている。  そんなこと、ヤチヨだってわかっている。  今更だ。今更なことを言ってしまった。  自己嫌悪に陥り始めたところで、ヤチヨが口を開いた。 『それでも、それでも……、彩葉が苦しんでるなら、なんとかしてあげたい。なにかしてあげたい』  切実に、苦しげに、彩葉だけに見せる顔で、ヤチヨは訴えかける。 「なら、歌って」 『歌……』 「眠るまで、ヤチヨの歌が聞きたい。お願い」 『……わかった』  ヤチヨが微笑む。  伴奏のない、アカペラのRemember。  子守唄なら、これっしょ?  ちょっといたずらっぽく細められた目が、そう言ってる。  あっという間に眠気が襲ってきて。 「……いい夢見れそ」  そう呟いたのは、夢か現か。