「あーあ、言ったのになー」 今や俺の身体に、彼女らによるマーキングの付いていない箇所はないと言っていい。 「ウチは怒んないよ、って…でも、先にあのコらに手、出したっしょ?」 ただでさえ体力を消耗しているところ、傷がいよいよ増えたとなれば、どうなるか。 直接的な暴力を受ける頻度は随分と下がったが、これでは元も子もない。 少女は俺の肌の上の、できたばかりのかさぶたにマニキュアの塗られた爪の先を掛ける。 皮膚とのつながりがぷちぷち切れ――じんわりと、皮膚の下で真新しい血がうねり始める。 「痛いよねぇ。辛いよねぇ…」 俺の痛みが倍増する理由を棚に上げ、彼女は心底同情するような視線を向けてくる。 血の垂れそうなギリギリのところ――辛うじて“蓋”が乗っかっているだけの傷に、 ふぅーっと息が触れ――電流が走る。痒みと痛みの丁度中間の、悶えるような皮膚の悲鳴。 「レコも…キューも…クリップも…ひどいこと、するよねぇ…」 彼女は確かに、俺の身体に新しい傷を付けてきているわけではない。 だが、どこからが苦痛との境目であるかを――恐ろしいぐらいに熟知している。 まるで既に何人も使って、“実験”してきたかと思わせる。 俺の方はといえば、それにまんまとやられて――全身に脂汗を浮かべていた。 「改めて聞くよ。君…あの三人のこと、ホントに好き?」 朧に霞む視界には、顔の上半分しかよく見えない。目は確かに柔らかく、眉は軽く弓なりに。 だが――声色からは、僅かばかりの笑いさえも感じ取ることができなかった。 「ウソだったらウソって言いなよ」 どこかのかさぶたが剥がされた。少女の指に、暗い血の色が付いているのが見える。 「ウチに守ってほしいって言える、最後のチャンス、あげる」 何をかを言おうとしても、口の中が乾いて声が出ない――舌は化石として口底の地層に沈む。 「――返事は?」 どうしろというのか。肯定しようが否定しようが、結果は同じことではないか。 少女の指は、俺のピアス穴と歯型とを――少しく乱暴な動きでごしごしと擦る。 俺の無言を都合のいい回答と理解したか――あるいは俺を既に見放したか、 彼女の笑みは、また突然に表のステージにいるときのような、快活で裏表のないものになる。 「ま、いいよ…下手に振ったら、何されるかわかんなくて怖いだろうしね」 鼻歌交じりに視界の端へ消えていく後ろ姿は、何かおぞましいものに見えてならなかった。 「さ…心の準備、できたかな?」 先程と同じような遊びのない声色は、軽い口ぶりとミスマッチで、俺の警戒心を刺激する。 言葉を探す余裕もない。いっそここで一息に殺されてしまった方が楽なのではないか? 死にたくない。生きていたくない。死にたくない。生きていたくない―― 生存本能と希死念慮の間の、目の回るような反復横跳びに強烈な嘔吐感を覚えて、えづく。 「しゃーないね。じゃあ、悪く思わないでね――」 訪れるであろう鈍い痛みを想像して、俺は目をつぶり、身体を胎児のように小さく丸める―― 数瞬の後訪れたのは、右の手の甲への――真っ赤に灼かれた金属塊の、重たい熱。 理解が及ばなかった。反射的に悲鳴が出る。口に、何か布のようなものが押し込まれる。 火にかけた薬缶に触れたそのほんの一瞬すら、耐え難い痛みを後に残すというのに、 彼女は俺の手の甲に、その赤熱したものを火箸で押し付けて来ているのである。 「もーちょっとだから、我慢しなー」 自分で自分の指を折ってしまうのでは、と思えるぐらいに強く、拳を握り―― それでも足りず、もう片方の手で服の裾をめちゃくちゃに握り締め、爪を立てる。 ずきずき痛む手の甲に、今度は逆にきんきんに冷やされた氷嚢が押し当てられ、 指の感覚が自然に麻痺してくる。頭の中にぼんやりと、根性焼き、という言葉が浮かぶ。 俺の手に押し当てられていたそれは、今や水の入ったバケツの底に沈んでいた。 そして指で取り出せるぐらいに冷え、本来の金属色を取り戻したそれは、 彼女たちキラーチューンのシンボルを彫り込んだ指輪だった。 店を訪れるファンが身に着けるような、物販用のちゃちな作りのもの―― 俺の頭を子供にそうするように撫で、少女はにかりと笑う。 「よしよし…痛かったねー…でもこれで、君はウチのものだって、誰が見てもわかるよね」 熱で塗装の剥げた指輪をネックレストップにし――俺の火傷痕の上に、重ねて。 「痛いのばっかじゃイヤだよね――だーいじょうぶ」 俺の左手は強引に右手から引き剥がされる。服もまた、同じく身体とおさらばだ。 全身には、もういつかいたものかもわからない汗が生乾きで張り付いている―― それを彼女の舌がなぞると、俺の身体はくまなく噛み跡を付けられた時を思い出して震えた。 情けなくも垂れた涙、それをも舌は舐め取る。眼球までをも舐られてしまいそう。 消えることのない、刻々とした傷を付けられて――こんな風に弄ばれているとは。 「正直ね…あいつらのお古、ってのは気に食わないけど――」 布の擦れる音、落ちる音。それを聞いても興奮どころか、もう恐怖しか覚えない。 若い女たちが、自ら処女を捧げに来ているというのに、贅沢な話だろうか? それとも――外見が少女であるだけの、俺とは異質な生物達なのだと捉えるべきであろうか。 肉体の感じる快楽と――精神の感じる悦楽とは、こんなに相容れないものであったろうか? 関係を持った相手が一人増えるごとに――俺の精神はより削られ、痩せ細っていく。 「んっ…!どう、ウチは…他の、やつ、よりもっ…!」 そんな言葉を投げかけられるのは――果たして何度目のことだろうか? 「恋人にっ、なれっ、とか…っ…ウチは、言わない、からねっ…!」 そうは言いながら、俺の顔のあちこちに何度も唇と、鼻先が衝突する。 ではこの行為は、一体何の感情を源泉に行われているのか――問うことすら、怖い。 束縛する自覚もないまま、俺の逃げ道だけを奪って、追い込んで、そして―― 「くっ、ふぅ――っっ!」 両手で俺の胴体に思いっきりしがみつき、鎖骨のあたりに頭を擦り付けてくる。 髪飾りか何かに、何箇所かのかさぶたが剥がされた感覚があった―― ただ俺の下半身だけは、役目を粛々と果たして、彼女の胎内に熱を吐く。 もし、誰かの中にそれが生ったら――そう想像することさえ恐ろしいものを。 「イジメられたらね、その手の印…見せればいいからね」 俺の身体にしがみついたまま、まだヒリヒリと痛む俺の火傷痕を細い指で撫でる彼女の顔は、 今は、上機嫌な時の――快活で、明るくて――そんな形容の似合う表情であった。 だが皮一枚めくったすぐ下に、こんな傷を付けてくるような本性があるのなら―― この傷をあの三人が見たらどうなるか。あるいはその三人が対抗策を、 この少女が見たら――次はどこに、何をされるかわかったものではない。 そして間の悪いことに、キラーチューンは五人組なのだ――ああ、もう泣き出したい。 「あのさ…男と女の友情って、あると思う?」 俺の返答を端から必要としていない、答えを予め用意してある、そんな問い。 何を答えようが――彼女の心を打ち震わせることはできないのだろう。 俺のことを助けてくれ、解放してくれ――そう、心から懇願したとしても。 「何かしてほしいことがあったら、遠慮せず言ってよね」 彼女の笑みだけが、天井に張り付いて俺をいつまでも見下ろしているかのようだった。