坐禅。  それは姿勢を正して坐った状態で精神統一を行う、聖都の教義の基本的な修養方法の一つである。  信者たちは坐禅を通して瞑想状態に入ることによって、自分を見つめ直したり、自己を更なる高みへ至れるよう己の集中力を高めるのである。  それとは別に、心を無にするという目的で坐禅を行う信徒も存在する。これは坐禅により、心や頭の中の状態を無にし、自分の存在を捨て去り、自分という物体だけが座っているということに己の状況を置くこと。これにより欲や俗念を捨て去り明鏡止水の域に己の精神を至らしめること、これも坐禅の効能の一つである。    今日この日、イザベルたちカンラークの聖騎士たちが行っている坐禅は後者であった。  ウァリトヒロイの北部、人里離れた僻地に建てられた道場・『ヴァナニール』に続々と聖都を追われし聖騎士たちが集った。今日は偉大なる聖都の聖職者であり、数々の功績を残したギルドのS級冒険者でもある、聖都の生きる伝説、シック・ソーンブーツ師の下での坐禅修行の日。己の精神をさらに高める必要を覚えたイザベルの鶴の一声で、聖騎士たちは精神修養のためシック・ソーンブーツの下を訪れたのだった。  道場を訪れたイザベルたち一行を一人の長髪にひげを生やした、白いローブを身にまとった男性が丁重に出迎える。シック・ソーンブーツの弟子を名乗る男性は、奥に師が待っていることを告げられると、丁寧に礼を言ってイザベルたちは道場へ足を進める。  彼等の後姿を見送った男性───"導きの賢者"ファミツェルがニヤリと笑ったことに気づく者は誰もいなかった。   ********************  しいんとした道場で、8人の聖騎士と、一人の狼獣人の少年が坐禅をしている。咳一つしない静寂の空間の中、氷のように冷え切ったヒノキの床にも微動だにせず、参加者たちは無心に坐禅に取り組んでいる。 聖騎士たちに混ざってツジカイも胸に「代理」のピンバッジを付けて坐禅に取り組んでいる。ツジカイは「ナチアタねーちゃんの目と耳となって、参加できないねーちゃんにシック・ソーンブーツさんの修行風景を自分が報告するんだ」と訴え、その健気な彼の姿勢に感動したイザベルたちは、快くツジカイを迎え入れた。  無心に坐禅に取り組む聖騎士たちの背後を歩きながらシック・ソーンブーツが彼等に語り掛ける。 「頭であれこれと考えすぎるから、苦しみが生まれるのです。坐禅中は、その頭の働きを止めるのです。 ところが、止めようとすればするほど、心は揺らぎ動き、とめどなく彷徨うのであります」  シック・ソーンブーツがギルの背後を通り過ぎた。 「人の心とは雑念妄想が沸いてくるものです。次から次へと沸いてきます。それを殊更に卑下することはありません。煩悩具足の塊、それが人間なのです。 坐禅は無念無想にならないといけないと思う方がいます。雑念妄想を何とか片付けようと思って頑張るのです。ですが、これは必ずしも正解とはいえません。」  シック・ソーンブーツがクリストの背後を通り過ぎた。 「人間というのは、絶えず何かを考えるようにできています。無我無私。言うは容易いことですが、果たしてどれだけの人がこれを実践できるでしょうか。食べる時、休む時、働くときも、人は何か考えずにはいられない生き物です。 それは、愛かもしれません。憎しみ・怒りかもしれません。欲望・未練かもしれません。嘆き・悲しみかもしれません。それを煩悩といいます。 そして、人というものは煩悩を考えるまいと意識し、自力を尽くすほどかえってその心は忘れまいと煩悩に執着するかのごとくそれに囚われてしまうのです」  シック・ソーンブーツがゾルデの背後を通り過ぎた。 「己を受け入れなさい。決して煩悩具足の身を恥じ、そこから離れようと心を頑なにするのではなく。雑念に囚われる己をあるがままに受け入れ、認めることこそが解脱への一歩なのです。 煩悩即菩提…。悟りに至ろうと煩悩を敵視し、これを除こうと努めるのも良くはありません。煩悩こそが悟りへと転換できる貴重な鍵が隠されているのです。悩みなさい。迷いなさい。それが貴方を強くする糧となります」  シック・ソーンブーツがイザベルの背後を通り過ぎた。  『求道』と書かれた看板下に立ったシック・ソーンブーツが道場を見渡し、一段と声を張り上げる。 「恐らく、ここにいる貴方方には神に説法でしょう。……では、今から貴方たちにテストを行います。なに、難しく思うことはありません。……ただ、今の貴方たちの心の境地を測りたいと思います」  シック・ソーンブーツの足音が聞こえる。その音はサーヴァイン・ヴァーズギルトの背後で止まった。  ギルが身構える気配が微かだが、イザベルに伝わった………。 「エビルソード」 「!?」  イザベルは目を見開いて声の主を凝視した。いや、イザベルだけではない、クリストも、ジャンクも、姿は見えないが恐らくスリップスも、声の主───シック・ソーンブーツの方に首を向けていた。 「おまえ…!」 「おや?どうされましたかなサーヴァイン。心が千地に乱れているように見受けられますが」 「くっ…!」  口惜し気にギルが姿勢を戻して坐禅を再開すると、慌ててイザベルたちも姿勢を正して再び目を瞑る。 (恐ろしい御人だ…)  聖都の陥落を生き延びた聖騎士にとって、エビルソードは未だに忘れようとも忘れない怨敵の名。それをあえて口に出してギルの心を試したシック・ソーンブーツにイザベルは深く畏敬の念を抱いた。 (だが、これで師の手の内がわかった)  恐らくシック・ソーンブーツは、聖騎士の因縁の敵の名を挙げることで参加者たちの動揺を誘おうというのだろう。 (ギルには悪いが、お陰で心構えができそうだ。他の者も同様だろう。さあ師よ、どう出る…?) ********************  シック・ソーンブーツがスリップス・アッケヌスの背後に佇む気配を感じる…。 「最近魔ルックジョークの引き出しに困ってきて、深夜に本屋の壁をすり抜けて侵入してはことわざ辞典読み更けてるって噂ホント?」 「どどどどーしてそれを!!………はっ!?」 (スリップス……コミュニケーションに熱心なのはいいが違法侵入は感心しないぞ……いや、そもそも幽霊に生きてる人間の法が適用されるのか?)  シック・ソーンブーツがゾルデの背後に佇む気配を感じる…。 「ゾルデちゃん頑張ってるね。あとで特別にホットココア用意してあげようねぇ」 「私を子ども扱いしないでください!!………はっ!?」 (プッ、ククッ……師よ、それは酷いですよ。ゾルデも可哀そうに、フフッ…)  シック・ソーンブーツがジャンク・ダルクの背後に佇む気配を感じる…。 「次の魔ミケはジャンク殿も参加するらしいけど、記念すべき初参加の作品の進捗どう?」 「ま、ままままだ慌てる段階じゃねーしっ!!………はっ!?」 (む、ジャンクは何やら創作活動を始めているのか。後で少しばかり見せてもらえないだろうか)  シック・ソーンブーツがクリストの背後に佇む気配を感じる…。 「王都大臣イーンボウがイザベラ殿とジュダ殿にだいぶご熱心なようで、彼女たちを愛人にしておしゃぶり咥えさせたいと公言しているようだが大丈夫?」 「殺してやる…!殺してやるぞイーンボウ!!………はっ!?」 (大丈夫だクリスト!集中には失敗したが少なくとも私はお前のそういうとこ評価してるぞ!しかしイーンボウめ、なんと見下げ果てた男だ!この私が成敗してくれる!)  シック・ソーンブーツがツジカイの背後に佇む気配を感じる…。 「いくらデカパイでも異形となるとそれだけでそういう目で見れなくなりません?」 「ED自慢は他所でやってください!……はっ!?」 「興奮したんですね?」 「あっあっあっ」 (EDとはなんだ?ツジカイ少年に聞くのは恥ずかしいしヘルマリィ殿に聞いてみるか)  シック・ソーンブーツがコージン・ミレーンの背後に佇む気配を感じる…。 「気に障ったら謝ります、御免なさい。でも、プロレスって、ガチじゃないですよね?」 「それを言ったら殺されても文句言えねえぞ!………はっ!?」 (その技はやめろーーーーーーー!!!………はっ!?)  シック・ソーンブーツがイゾウの背後に佇む気配を感じる…。 「『恋するオジサンはせつなくてボーちゃんを想うとすぐHしちゃうの』」 「や、やめてくれ…!俺は知らねえ…本当にその本は俺は知らねえっ、他人の空似だ!………はっ!?」 (な、なんだ!?あのイゾウがあそこまで取り乱すとは、師は何を言ったのだ!?) ******************** (なんと恐ろしい御方だ…!ここまで対象者の心理の動揺を誘える文句を選んで述べられるとは…!)  いよいよ参加者も残すところ最後の一人となった。もちろん、イザベルである。  これまでのやり取りを聞いてイザベルは一つの確信を抱いた。シック・ソーンブーツは各々の弱みや急所を的確について動揺を誘っている。 (だが、私に死角はない。既に耐性はついている。例えエビルソードを口にしても私の精神は揺るがない!)  シック・ソーンブーツは一つ誤りを犯した。それは最初のチュートリアルにイザベルを選ばなかったこと。既にギルの件を伺ったことから聖都の仇の名前への心構えも彼女はとうにできていた。  今のイザベルの心境は明鏡止水。最早エビルソード本人が目の前に現れても、彼女は一切心に揺らぎはなく。凪のごとく落ち着いた精神で迎え撃つことができるであろう。    シック・ソーンブーツがスリップスの背後に佇む気配を感じる…。イザベルは丹田に力を込めた。 「完全に顔カプだけど、ボーリャック×ヘルマリィっていい組み合わせだと思わない?」  プチッ 「ふざけているのかあああああああ!!……はっ!?」  眦を決して立ち上がったイザベルが振り返ると、そのまま彼女は必殺技、アイアンフィンガー───右腕の義手を手刀にして相手の喉元にたたきつける恐るべき技───を衝動的にシック・ソーンブーツに繰り出した。  イザベルが最後に見た光景は、容易く手刀を受け流し、瞬く間に距離を詰めニンマリと笑ったシック・ソーンブーツのミイラ顔だった。 「全員、不合格です。この漫才軍団が」  流石の聖騎士たちも返す言葉もなく、がくっと項垂れた。彼等の後方には、シック・ソーンブーツの掌底で意識を天空に飛ばされたイザベルが、大の字になって気絶していた。 ******************** 【おまけ】 「…まて」  一人、不平を顔に露にして立ち上がった者がいる。サーヴァイン・ヴァーズギルトだった。 「おや、なにか?」 「後のやつらのを聞いてれば…俺だけおかしいだろ」 「ふむ…」  ミイラ顔を器用に眉に皺寄せて考え込む仕草をするシック・ソーンブーツに、益々苛立たしさをギルは募らせる。 「はっきり言わせてもらえば、エビルソードの名を出すのは卑怯だ。ここにいる者誰だって冷静さを欠くに決まってる。それに…」  言葉を一度区切ったギルが周りの、彼の続きの言葉を待つ同胞たちの顔を見渡す。 「他の奴らは各々の弱点を突いたものだった。……なら、俺にもそれをやって見せろ。でないと納得がいかん」 「…よかろう」  シック・ソーンブーツが頷くのを見たギルは挑戦的な目つきで笑うと、自分の座っていた位置に戻りどかっと坐禅の姿勢をとった。  誰も、言葉を発しない。シック・ソーンブーツがギルの背後に回るのを、緊張した面持ちで皆見守っていた。  シック・ソーンブーツがサーヴァインの背後に立った……。 「私は常々思ってるんですが……パイルバンカーって近接攻撃なら別に刀剣の類でいいですよね?弾薬費いらないし。…それに、接近戦なら素直に散弾銃でも…。ロマンとか言ってるけど、そんな高い物理耐性持ってる敵なら魔法攻撃の方がずっといいと思いますよ。それにパイルバンカーの杭ってしょっちゅう壊れるって言いますし。正直実用性は」 「貴様のような合理性至上主義者どもがいるからパイルバンカーがいつまでもマイナー武器の誹りを!!!………はっ!?」