アラスカ、ユーコン川。  秋の訪れとともに早くも氷の張り始めたこの厳寒の大河を、一列になって渡っているのはシスターズ・オブ・ヴァルハラの兵士たちであった。  ほとんどは寒冷地仕様のブラウニーとレプリコンで占められ、あとはフォトレスとフォールン。ヴァルハラ専用モデルはわずかにニンフが数機と、サンドガールが一機いるのみのささやかな小部隊である。  かれらは決死隊であった。人員も装備も決して十分とはいえないこの部隊で、川向こうにあるオルカの補給基地を破壊しなくてはならない。夕暮れの薄闇の中へ白い息を吐くバイオロイド達の顔は一様にけわしい。  突然、すべてのAGSがいっせいに動きを止めた。あとほんの数歩で向こう岸に足がかかるというところだ。 「……?」  不審に思った一人のレプリコンが顔を上げたとたん、何かが夜闇の中に閃いた。  顔面を真っ二つに断ち割られたレプリコンは凍てつく水の中へ倒れ込む。とっさにフォトレスの上へ飛び上がろうとしたブラウニーの首が飛んだ。銃を構えようとしたもう一人のブラウニーの鼻から上が切り飛ばされて真っ平らになった。 「て、敵襲! 敵っ」  悲鳴まじりの警戒の声を上げることができたのはようやく三人目のブラウニーで、それもすぐに消えた。  一人のニンフが、サブマシンガンに装着してあるサーチライトを点けた。光の輪の中、隊列の先頭に立つフォトレスの機体の上に、二人のバイオロイドが立っていた。 「せっかく静かにさせてあげたのに、騒ぎを起こしてしまって。腕が鈍りましたね?」  胸元の大きく開いた扇情的なビジネススーツの女……レモネードアルファが、薄笑いをうかべて言った。 「なあに、多少は悲鳴が聞こえないと戦場にいる気がせんだろう?」  白いスーツの腰に三本の剣を吊り下げた黒髪の女……無敵の龍が、あざけるように答えた。 「な、なんでこんな奴らがここに……!?」 「撤退! 撤退よ!」  かけ声もむなしく、AGS達はぴくりとも動かない。それがレモネードアルファのハッキングによるものだとニンフは気づいたが、グレムリンさえいないこの小隊にできることはない。すぐ横にボチャンと落ちてきたものが何かと思ったら、サンドガールの首だった。 「撤退けっこう。しかし、一時間早く決断すべきだったな。この私と出会った以上、貴様らは前にも後ろにも進めぬ。ここで死ね」  龍が大げさに手を振り上げると同時に、夜空を切り裂くようにして無数の炎の線が降ってくる。沿岸からの艦砲射撃だ。動かないAGSと、その周りにやっと陣形を組みなおした兵士達が炎の中に飲み込まれていく。 「くそ、くそ、やだよ、やだ……!」  己の性奴隷としたバイオロイドだけで世界を支配しようとたくらむ謎の男〈司令官〉率いる地獄の軍団オルカ。そのトップ三巨頭のうち二人までがこんな僻地の作戦に出しゃばってくるなど、誰が想像したろうか?  溶けたAGSの間を縫って、ニンフは這いずるように逃げまどう。凍てつく川の水を跳ねちらかし、顔にかかると鉄の味がする。たった数分で、一体どれだけの味方が斬り殺されたのか。この作戦はとっくにオルカに知られていたのだ。自分たちは捨て駒だったのか……。  闇に火花が散った。無敵の龍の刀が何かに弾かれたのだ。  フォトレスの装甲すらたやすく両断する魔剣・参精の刃を弾ける装甲など、いまの地上にそう多くは存在しない。見上げると、巨人の手のような異様なサイズのガントレットが、青い月光を跳ね返してにぶく輝いていた。 「……ガンマ様!?」 「つれねえな、龍。勝手にパーティを始めてんじゃねえよ」  溶けたAGSの上に仁王立ちし、不敵に微笑んでいるのは憤怒のレモネードこと、レモネードガンマであった。  無敵の龍が半歩下がり、憎々しげに睨みつける。 「招待した覚えはない。たった一人で我ら相手に何ができるつもりだ?」 「おいおい、誰が一人だなんて言ったよ」  ガンマがコートの裾をひるがえし、舞い散った火の粉がきらめいて河の向こう岸をあかるく照らし出す。それと同時に、まだ破壊されていなかったフォトレスとフォールンがいっせいに唸りを上げて再起動を始めた。 「リカバリ完了! AGS部隊は負傷者の回収と撤退の援護を!」  レモネードベータのりんとした声が戦場に響き渡る。 「負傷者をこちらへ。まだ息をしているなら連れてきて。必ず助けてみせるから!」  レモネードデルタの紫のドレス……彼女のケストスヒマスの端末である生体操作デバイスが優しい紫色の光をはなつ。 「ドローン展開完了。耐衝撃ピンポイントバリアを起動します」  小さな光の円が、雨の日の水面にも似て無数に夜空に広がり、降り注ぐ砲弾をさえぎる。銀色に輝く機械の両腕を広げて防衛ドローンを指揮するのはレモネードゼータ。 「くっ……生意気な!」  レモネードアルファが怒りに顔を歪ませてこめかみに手を当てると、背後に浮かべた巨大円盤……ケストスヒマス・タイプアルファが光を放ち、ごうごうと音を立てて回転を始める。その光がいっそう強くなろうとしたその瞬間、稲妻のような蹴りがアルファを襲った。 「姉さん!」 「オメガぁっ!!」  ブラックエナメルのビジネススーツが舞う。レモネードアルファと同じ切れ長の瞳、同じ波打つ髪。何もかもがアルファにうり二つだが、ただすべてが漆黒。終わりのレモネード・レモネードオメガは、始まりのレモネード・レモネードアルファとけり足を交叉させた姿勢のまま激しく睨み合った。 「あ……あ……!」  ニンフの目に涙がにじんだ。ついさっき死を覚悟したばかりなのに、今はもう暖かい安堵に胸が満たされている。自分たちは見捨てられてなどいなかった。  彼女たちこそはPECSの最高戦力にして、人類復興の道をすすむ希望の星、レモネードシリーズである! 「五人がかりとは、臆病者の妹達らしいわね」  レモネードアルファが吐き捨てると、その頭上にエメラルドグリーンに塗られたドローンモデルが一機、ふわりと飛んできた。 《六人だよ。私もいる》 「その声、イプシロンか」無敵の龍の刃がひらめき、ドローンが真っ二つになって爆発する。しかしすぐに、どこからともなく別のドローンが現れる。 「勢揃いとは豪勢なことだな。ラビアタも呼べばよかったか?」 《それには及ばないよ。私たちはもう退却するからね》 「!?」  龍とアルファの顔が険しくなる。 「イプシロン、それでは……」 《ああ、作戦は成功したよ》  アルファがケストスヒマスに手を触れ、何ごとか調べて舌打ちをした。 「オメガ、あなた……!」 「ご想像の通りよ、姉さん」オメガが不敵に笑った。  ちょうどその時。いま激しい戦いが繰り広げられているこの河岸から十マイルほど下った浅瀬で、イプシロンが指揮するAGS部隊がオルカ領土からの難民を渡河させ終えたところだった。 「貴様ら……!」龍の端正な顔が怒りにゆがむ。 「カハハ! 私はもうしばらくやりあってもよかったがな。まあいい、退くぞ」 「アルファ」オメガは最後に呼びかけた。 「何度でも聞くわ。戻ってくる気はない?」 「PECSに?」アルファは歪んだ笑みを浮かべた。「ガキと老人と半死人しかいない、あの病棟みたいな所に?」  そうして栗色の髪を翻し、姿を消した。 「オメガ」ベータが悲しげに言った。「アルファのことは諦めましょう。その優しさが、いつかあなたを危地に陥れるかもしれない」 「……いいえ」オメガはきっぱりと首を横に振った。「いいえ、希望はあります。いつだってあるはずです。そうでなければ、私たちがこうして戦っている意味もないじゃありませんか……」  その眼差しは気高い悲しみと決意に満ちていた。  * * *  俺は画面を一時停止し、目を何度かしばたたいた。 「これは……何? PECSの宣伝映画か?」  ある日の午後、アルファが持ってきたデータメディアには、映画のような偽のドキュメンタリーのような、何とも言いがたい映像が入っていた。今朝方、突然無差別に送信されてきたものだという。  どうやらこの映像の中では俺たちオルカが悪で、PECSが正義の味方ということになっているようだ。俺たちに対抗して、宣伝のための映像作品を作ったということなら、それはそれで不思議ではないが。 「私達もはじめはそれを疑ったのですが……」なんとも言いがたい、困り切ったような顔でアルファは言った。「もう少し続きをご覧下さい」  * * * 「帰ったぜ」 「おかえりなさい、ガンマ」  司令室の重いドアが開くと、最初に駆けよってくるのは一人の少年だ。  亜麻色の髪と華奢な手足、少女と見まがうようなたおやかに整った顔立ち。弱冠十二歳にして父アレクサンドロスからポセイドン・インダストリー全軍を受け継がねばならなかったこの少年の名をシーザー・パットンという。 「よお、ちび会長。いつも通りだよ。この私が負けるわけねえだろ」 「デルタ! デルタは無事かい!? 美しい顔に怪我なんかしていないかい!?」  シーザーに続いて、細長い手足を振り回すようにしてバタバタと駆けてくる白髪の老人はアラン・リキエル。かつては世界有数のファッションブランド・ムーンリバーの総帥であり、社交界きっての伊達男として知られた男だ。 「もう旦那様ったら、およしになってください。皆が見ているじゃありませんか」 「おおごめんよデルタ、でも君に何かあったらと思うと僕はもう心配で心配で……」  おろおろする老人と、困ったように嬉しそうにそれをたしなめるデルタをオペレーター達が苦笑して見ている。あまたの女性を虜にしながらついに一度も妻帯することのなかった彼が、秘書であるレモネードデルタを溺愛しているのは誰もが知っていることだ。 「そのへんにしておけ、あんた達。命を賭けてきたのは自分の秘書だけじゃない。ご苦労だったな、お前達」  最後の一人がゆっくりと、車椅子をきしませて現れる。顔中を包帯でおおったその姿は、その昔の平和な時代ならば誰もが一目見て言葉を失ったことだろう。カラカス産業の会長にしてベネズエラの英雄、シモン・ブランコ。  この三人がPECSの指導者であり、地上に生きて動いている最後の人類である。正体不明のオルカの支配者〈司令官〉を除けば、という意味だが。 「すみません、つい。皆さん本当にお疲れ様でした」シーザー少年がすなおに頭を下げる。 「ごめんよ、そうだね。難民の子達は救護班が収容して、いま手当をしている。二千人という話だったが、それよりだいぶ少ないようだ。ここまで来る途中で脱落したのだろう、可哀想に……栄養状態も良くないね」アランも汗をぬぐう。 「二千人か」ガンマが顔をしかめた。 「今回の作戦で、ヴァルハラ第22中隊の半分が死んだ。安物どもばかりだが、20年前のウラジオストク戦役の時から戦い抜いてきた叩き上げの部隊だった」  司令室の中に重苦しい静寂が下りる。 「奴らを失っただけの価値が、この作戦にあったのか。腹を空かした難民二千人の命と、ヴァルハラの命はつり合うのか」 「ガンマ、そういう風に考えるのはよくない。命を差し引きで考えちゃいけないよ」シーザーが憂い顔のまま、それでもきっぱりと言う。 「それに、収穫ならあったさ」シモンの顔を覆う包帯がゆがむ。それが微笑みだと、長年ともに戦ってきたレモネード達にはわかった。 「〈リオボロスの墓〉の在処がわかった」 「!?」  シモンが指を鳴らすと、壁の一面がスクリーンに変わり、ヨーロッパの地図が映し出された。東欧付近の一角が、ぼんやりと赤く光っている。 「……モルドバ?」 「トランスドニエストルのどこか……までは絞れた。難民の中に旧東欧出身の奴が何人かいてな。リアンに聞き込みをしてもらってたのさ」 「言っとくけど、情報を解析したのは私だからね。けっこう大変だったんだから」  天井近くに据えられたオペレーターシートから、レモネードイプシロンが身を乗り出し、大きくあくびをした。 「わかってるよ、ありがとうな」 「ん〜」  のそのそとシートに戻っていくイプシロン。気だるげな言動と裏腹に、彼女が誰よりも働き者であることは司令室の皆が知っている。彼女がいつも眠そうなのは、常に激務続きでほとんど睡眠をとっていないからだ。 「それにしても、東欧ですか」レモネードゼータが眼鏡のふちに指を当て、形の良い眉をひそめた。「フランスやイギリスと言われるよりはましですが……とびきりの危険区域ですね」 「ですが、行かないわけにはいきません」  ブラックリバー総帥アンヘル・リオボロスはヒュプノス病で死に瀕したとき、自らが最も信頼する最強のAGSに守らせた秘密の墓所で、冷凍睡眠に入ったという。ほとんど伝説に近いような確度の低い情報であったが、数年前、他ならぬオルカがリオボロスの墓を探しているという情報を手に入れて状況が変わった。あのオルカが欲しがるほどのAGSを手に入れれば、そして世界最高の企業戦略家の一人であったアンヘルを味方に付けることができれば、オルカとの戦いは大きく有利になる。リオボロスの墓所の捜索は、ここ数年来彼らの最優先事項の一つであったのだ。 「お父様、まさかこれを見越して今回の救出作戦を? さすがです」 「バカを言うな、俺は神様じゃない」ベータの言葉に、シモンはくすぐったそうに肩をすくめた。「で、誰かがあそこに行って確かめる必要があるわけだが……」 「当然、僕だね」間髪を入れずにアランが立ち上がる。 「旦那様!」  血相を変えるデルタの唇にやさしく人差し指を置いて、痩せた老人はいたずらっぽく笑った。「小さなシーザーは僕らの未来だ。何があっても彼だけは生きてもらわなくちゃいけない。そしてシモン、まさかベータに車椅子を押してもらってヨーロッパ旅行をする気じゃないだろうね? 今の世界にバリアフリーなんて言葉はないんだよ」 「アランさん……!」  詰め寄ろうとしたシーザーを、ガンマがそっと押さえて引き戻す。シモンは車椅子を少しだけ前へ進め、アランとまっすぐ目を合わせた。 「行ってくれるか」 「ここはこの老いぼれの出番だとも」アランは優雅に一礼する。「もちろん、愛するデルタが一緒に来てくれればの話だけどね。どうかな?」 「嫌だとおっしゃっても着いていきます。決まっているでしょう?」デルタが声を張り上げ、アランの手をとる。「……私一人ではまだ心配です。テイラー達も連れていきます」 「心配性だなあ、デルタ。こっちの医療部門はどうするのさ?」 「いいですね、オメガ」主人を無視して、デルタはオメガを見据えた。その切実な眼差しに、オメガも黙って頷くしかない。 「どうか、お気を付けて。アラン会長、姉様」 「五人での遠出か、久しぶりだね」アランが明らかに無理をして陽気な声を出した。「北イタリアの取材旅行を思い出すよ」  * * * 「確かにアレクサンドロス会長のガキはシーザーって名前だったがよ。あんな女みてえなツラじゃない、生意気な小デブだったぜ」  ガンマが呆れかえった、という顔で鼻を鳴らした。 「アラン・リキエルはムーンリバーの会長で間違いないけど……あんな陽気なお爺さんじゃなかったわ。もちろんデルタを愛してもいなかった。知ってるわよね」テイラー・リストカットも大げさに肩をすくめてみせる。 「私が勤勉……寝てない……? うう、冗談じゃない。死んじゃうよ」イプシロンが心底嫌そうに身をよじる。  会議室に集められた旧PECS所属の幹部メンバーはみんな、思い思いの表情や仕草で今見た映像を全否定している。「たとえ宣伝のためだとしても、こんな映像はありえない」と、全員が感じているのは間違いないようだった。 「まだ簡単に調べただけですが……」ベータがおずおずと言った。「CGやフェイク映像の可能性は低いです。つまり、事実かどうかは別として、実際にカメラで撮影した映像ってことです」 「発信元は?」 「まだ特定できていません」 「ていうかさあ」イプシロンが机を叩く。よほど腹が立ったのか、寝そべりもせずまっすぐ椅子に座って身を乗り出している。「これ、単にPECSが善玉でオルカが悪玉ってだけじゃないよね。私とかデルタとか、なんだか色んなことが実際と逆さまになってるように感じる」 「確かに」アルマンが首をかしげる。「わざとそういう配役にしてあるのでしょうか。どういう意図で撮影されたものかが読めませんね……念のためうかがいますが、皆さんこんな撮影に参加してはいないんですよね?」 「当たり前だ」ガンマが吐き捨てた。「てえか、こいつはいつまで続くんだ? ずっとこんなもん見てなきゃいけねえのか」 「あと何時間かありますが、終わりの方まで飛ばしましょうか」アルファがリモコンを操作すると、画面がぱっと切り替わった。  * * *  ティアマトの剣の切っ先が貫いたのはオリビア・スターソワーの首ではなく、その前に身を投げ出してきたレモネードデルタの胸だった。 「デルタ姉さん!?」 「デルタ!!」  オリビアと、そしてアランが叫ぶ。デルタは口の端に血の泡をにじませて、己の胸に突き刺さった剣の束をたどり、それを握るティアマトの腕をつかんだ。 「……ふふ、ふふふ。貴女の本心、見えているわよ。本当はこの場所を、壊してしまいたいのでしょう?」 「!?」  オルカ最強の暗殺部隊、ファントム・ストライカーズの筆頭〈魔剣のティアマト〉の顔色が変わる。腕を引こうとするが、デルタの爪がしっかりと食い込んでいた。  東欧の片田舎の教会には不似合いな、最新式の地下シェルター。鋼鉄製の扉には、まぎれもないブラックリバーの紋章が刻まれている。それを切り裂くように走るいくつもの傷跡や弾痕は、たった今デルタ達とティアマトとの戦闘でついたものだ。 「ここに眠っているのは、アンヘル・リオボロスじゃない……おそらく、姉のマリア・リオボロス。貴女はそれを知っていたからこそ、こんなにしつこく私達を追ってきたんじゃなくて?」 「黙れ」  ティアマトの手に力がこもり、デルタがまた血の泡を吐いた。だが、食い込んだ爪は緩まない。 「だって、困ってしまうものね? もしもマリアが……人間の女が復活したら、貴女達の大事な司令官様の奥さんになってしまうかもしれないものねえ?」 「黙れ!!」 「私は嫉妬のレモネード。今貴女が抱いている感情なんて、手に取るようにわかるのよ」 「黙れえっ!!!」  ティアマトは空いている右腕を振り上げて、デルタの顔を殴りつけた。二度、三度と殴りつけた。それでもデルタの笑みはより悽愴に、青ざめたティアマトを睨めつける。 「そして、私のケストスヒマスはType Dessiner……どんなものでもデザインできるわ。ドレスも、宝石も……毒だってね」 「……!?」  腕に灼けるような痛みが走り、その時になってティアマトはようやく気がついた。デルタの長く尖った爪が、皮膚を破って食い込んでいる。そして食い込んだ箇所から急速に、腕全体が紫色に変色し始めている。 「キサマ!!」  左腕にはすでに力が入らない。ティアマトは一呼吸だけ躊躇したあと右手を振り上げ、己の左腕を肩から斬り落とそうとした。しかしその一呼吸は、テイラーの単分子鋏の刃が彼女の首をとらえるには十分な時間であった。 「デルタ、デルタ、デルタ! しっかりして、大丈夫だから、きっと助かるから……!」  子供のようにうろたえるアランの手を弱々しく握り返して、デルタは安心させるようにそっと微笑む。そして、かすみ始めた目をゆっくりとかたわらへ移した。  テイラー・クロスカット。オリビア・スターソワー。オードリー・ドリームウィーバー。三人は沈痛な面持ちでただじっと、デルタの側に膝をついている。胸の傷が致命傷であり、もう手の施しようがないことをよくわかっているのだ。  ムーンリバー・インダストリーが開発したデザイナーバイオロイドである彼女たちはデルタにとって妹のようなものであり、また旧時代から共に戦い続けてきた腹心の部下でもある。デルタは懐から細長い紫檀のパイプを取り出して、テイラーの右手に握らせた。 「……!」  その意味を理解して、テイラーの顔がこわばる。デルタ愛用のそのパイプは、デルタ専用ケストスヒマスのマスターキーでもあるのだ。 「……無理よ。私のスペックじゃ運用できないし、生体認証だってあるでしょう?」 「三人でならきっと大丈夫。生体認証は……」デルタは咳き込み、ちいさな血の塊を吐いた。「……私の左手をあげるわ」 「何言ってるの!?」 「緊急手術キットは持ってきているでしょう? 私と貴女達なら、拒絶反応も最小限で済むはず。オードリー」 「……準備はできていますわ。いつでも」  青ざめた顔で答えたオードリーが、一瞬だけテイラーの手元を見る。先ほどの戦闘でティアマトに切り飛ばされたテイラーの左手首はまだ血止めを済ませただけで、包帯すら巻かれていない。 「デルタ、お願いだよデルタ、そんなことを言わないで。君がいなくなったら僕は、僕は……!」  服が血に染まるのも構わず、冷たくなっていく体をかき抱くアラン。デルタは最後にもう一度笑って、皺の刻まれた頬にそっと手を添えた。 「本当に、しょうがないひと。ありがとう、アラン…………貴男に愛されて、私は幸せでした」  笑顔のままデルタは目を閉じ、そうしてその目が開くことは二度となかった。  黄金の髪が、青みがかった細胞賦活液をしたたらせてゆっくりと立ち上がる。マリア・リオボロスが数十年ぶりに目を開けると、そこには一人の背の高い老人と、三人の美しいバイオロイドがいた。  四つの顔のいずれもが、戦塵と血で汚れていた。四つの眼差しのいずれもが深い悲しみと、それを乗り越えた固い決意をたたえていた。その顔を見ただけでマリアは、己が長い眠りにつく原因となった戦禍が、いまだ地上から少しも消え去っていないことを察した。 「ご無沙汰しています、ミス・マリア・リオボロス」涙の跡を二すじ、ぬぐいもせず頬に残したままの老人は、優雅に腰を折って一礼した。「二度ほどパーティーでお目にかかったことが」  ヴェールに包まれたような記憶が徐々にはっきりしていく。黒髪のバイオロイドがそっとガウンを着せてくれて、初めて自分が裸だったことに気がついた。 「……ムーンリバーの?」 「アラン・リキエルです」老人はうなずいた。「レモネード評議会を代表して参りました。そちらは私の筆頭秘書の」  黒髪のバイオロイドがうやうやしく頭を下げた。その左手首には大きな真新しい傷跡があった。まるで手首を切り落として、ふたたび縫い合わせたかのようだった。 「テイラー……リストカットと申します」  * * *  映像はそこで終わっていた。俺は暗くなった画面から目を外し、会議室の皆と顔を見合わせた。 「とりあえず間違いなく言えるのは、これはPECSが作った宣伝映像ではないということですね」ラビアタがきっぱりと言った。「こんな内容では宣伝になりません」 「と、いうか」テイラー・リストカットがこれ以上ないくらいの渋面をつくった。「PECSの誰かがこんなものを作ろうとしたら、デルタが殺してでも止めてたはずよ。私も同じことをしたかもだけど。…………デルタが死んで、私たちに後を託す? あの女の手首を私が? 想像しただけで鳥肌が立つわ」 「例えばだけど、デルタの死後に作られたっていう可能性は?」 「デルタの死に確証が得られたのは、カラカスでアルファから聞いた時です」ベータが首を振る。「あの事件の直後から、オメガはゼータへの対応で手一杯になったはずですから、こんな映像を作る余裕があったとは思えません」  沈黙が流れる。誰が、何のためにこんな映像を作ったのか。そして、どこから発信しているのか? 「実は、ご存じない方も多いかもしれないのですが……」アルマンが珍しく自信なさげに口を開いた。「何年か前にも同じような出所不明の映像を受信したことがありました。陛下、覚えていらっしゃいますか?」 「ああ……!」正直完全に忘れていたが、言われて思い出した。  アイシャ90号と名乗るバイオロイドが、オルカ号と、スマートエンジョイ本社ビルとかいう場所を案内する短い映像だ。のどかでありながらもどこか物悲しい雰囲気で、 〈この状況が嘘だったらどんなによかったでしょうか。まるでエイプリルフールのように……〉 というモノローグで締めくくられていた。 「あの映像データも、いくら調べても出所がわからなかったのですが、ただ受信の前後に原因不明の電磁パルスを確認していました。実は、今回も同様の現象が確認されており……そして前回と違って、この電磁波と似た現象をすでに記録しています」アルマンはそこでいったん言葉を切った。「ミシガンです」  会議室がどよめいた。 「おい、まさか鉄虫が映画を撮ったなんて言い出さねえだろうな」ガンマが身を乗り出して大声を出す。 「そうは思いません」ラビアタの答えは落ち着いていた。たぶん秘書室の中心メンバーにはもう共有済みの話なのだろう。 「ですが、これらの映像が鉄虫と同様の……地球上のどこでもない場所からやってきた、という可能性はあると考えています」 「地球上のどこでもない場所……」テイラーが手首をなぞりながら、ゆっくりと呟く。 「並行世界とか……未来とか……?」 「それ以上は、想像にしかなりません。鉄虫がどこから来たのか自体、まだわかっていないのですから」アルファは素直に認めた。 「要するに、今考えても何もわかんないってことでしょー?」  イプシロンが大きくあくびをした。「なら今はほっとくのが一番だよ。考えても無駄な時は寝るのが一番」 「あなたはもう少し起きていた方がいいと思いますけどね……」  アルファのその一言で場の空気がゆるみ、なんとなく解散、という流れになった。  立ち上がって腰を伸ばしてから、俺はもう一度、何も映っていない画面に目をやった。 「もう一度ご覧になりますか?」リモコンをとったラビアタに、俺は首を振る。 「もし……もしもだよ。あの映像が、こことは違う別の地球の記録だったとしてさ。あの世界では、何もかもがこことはあべこべなんだよな」 「そんな風に見えましたね」 「だったら……あっちの世界のバイオロイド達は、鉄虫が来る前は人間に大事にされて、幸せに暮らしてたのかな?」  もしそうなら、それは俺たちが今いるこの世界より、よほど幸福で、平和で……取り戻す価値のある世界なのかもしれない。  そんな考えがふとよぎったのを見透かしたように、ラビアタとアルファが両側から俺の腕をとって微笑んだ。 「私たちはご主人様の下にいる今が一番幸せです」 「それ以外の可能性なんて、考える必要を感じません」 「……そうだな。ありがとう」  イプシロンの言った通り、こんなことは考えても仕方がない。俺は二人の腰に手を回すと、会議室を後にした。  ここではないどこかの世界にも、幸せな未来が訪れてくれることを願いながら。 End