社会というやつは、思ったよりずっと重い。 スーツに染みついた他人の視線。会議室に漂う建前の匂い。取引先の前で貼りつけた笑顔が、帰りの電車でもまだ剥がれない。気づけば本音なんてどこに仕舞ったか分からなくなって、鏡の前で「大丈夫」と呟くのが朝の習慣になっていた。 そんな夜に、オーリンくんは現れる。 「飯、食ったか」 メッセージアプリでも電話でもなく、突然の来訪だった。低くて、少し掠れていて、でも変わらない。あの時から何も変わっていない声。 「食べたよ。最近は冷凍の宅食も美味しくなったからさ、帰ってきてすぐに食べられるのが嬉しいよね。ジムのトレーナーさんにもここが良いって勧めら……」 「嘘つけ」 即答だった。 どうして分かるんだと言いかけて、やめた。オーリンくんには昔から通用しない。幼稚園のころから。遠足のおやつ代をゲームに使い込んだときも、好きな子の名前を誤魔化したときも、オーリンくんにはいつも見抜かれていた。幼馴染の目は、ごまかしに慣れた大人の嘘を暴くくらい、朝飯前なのだ。 「コンビニ行こうぜ」 「は、今何時だと思って――」 「今すぐ」 コンビニ袋の中で、ポテチとビールが鳴る。 昔はコーラだった。今は缶ビールになった。それだけが変わって、あとは何も変わっていない。並んで歩く歩幅も、沈黙の温度も、オーリンくんが少しだけ前を歩く姿も。 公園は暗かった。街灯がひとつ、闇にぽつりと白色光を投げかけている。遊具はそのままだった。ジャングルジム、鉄棒、そしてブランコ。子供の頃、日が暮れるまで毎日ここにいた。 オーリンくんはブランコに腰を下ろし、チェーンを片手で掴んで缶を開けた。当然のようにひとつ寄越してくる。 「座れよ」 隣のブランコに腰を下ろすと、錆びたチェーンがきしんだ。懐かしい音だ。世界中が変わっても、この音は変わらない。 缶を傾けた。麦の苦味が喉を通り過ぎる。 オーリンくんは何も言わなかった。急かさなかった。ただ静かに夜を飲んでいた。 その沈黙が、妙に心地いい。会社での沈黙は「間」で、「間」は「失敗」で、だから誰もかれも言葉で空気を埋めようとする。でもオーリンくんの作る静けさは違う。毛布みたいだ。包まれる感じがした。 気づいたら、喋っていた。 「……最近、よく分かんなくなるんだ」 「何が」 「自分が、何したくて働いてんのか。何がしたいのか。朝起きてスーツ着て、取引先に頭下げて、会議で喋って。気づいたら一日終わってて。それの繰り返しで」 オーリンくんは何も言わなかった。 「しんどい、とか、そういうんじゃないんだけど。ただなんか……空っぽな感じ? 自分じゃない誰かを演じてる感じ? 上手く言えないけど」 低い声が、夜に落ちる。 「そっか」 それだけだった。否定も、励ましも、アドバイスも、何もなかった。幼馴染のひと言だけが、ただそこにあった。 それで十分だった。 なぜかその三文字で、肩からすとんと何かが降りた。ずっと張り続けていた背筋が、ようやく弛んだ。目の奥がじわりと熱くなるのを、缶を煽って誤魔化す。 オーリンくんの横顔を、盗み見た。 鬣が夜風に揺れている。仄白く、毛先がゆるくなびいて、街灯に淡く照らされている。顎の輪郭は鋭くて、まつ毛が意外なほど長い。ブランコに座っていても、体の大きさはやっぱり圧倒的で。肩幅も、腕の太さも、脚の長さも、全部が自分より一回りも二回りも大きい。 ずっと好きだった。 ずっと。 言えるわけがなかった。言葉にした瞬間、何かが壊れる。その恐怖の方が、ずっと大きかった。 だから。 だから僕は、卑怯な手を使うことにした。 「ね、オーリンくん」 「ん」 「このあと銭湯行かない?」 自分でも笑ってしまうような動機だ。 オーリンくんの裸が見たいだけ。隣で湯に浸かりたかっただけだ。もっとそばに居たかった。もっと感じていたかった。この温度の続きを、ずっと居たかった。そんな下心が見え見えだ。 オーリンくんはしばらく夜空を見上げてから、立ち上がった。 「いいよ」 それだけ言って、空き缶をゴミ袋に入れた。 住宅街の銭湯には、客の姿がなかった。番台のおじさんに二人分の料金を払うと「あと30分で閉めちゃうからね」と言われた。 脱衣所に入る。 木製のロッカーが並んでいる。籐のかごが棚に重なっている。天井の電球が、少し黄色い。昭和の匂いがする場所だった。 オーリンくんは迷わずジャージを脱ぎ始めた。 頓着がない。本当に頓着がない。子供の頃から体育の着替えでも何でも、羞恥心というものを持ち合わせていないのかというくらい平然としている。 目が、離せなかった。 丸みを帯びた肩が、太い腕が、割れた腹筋が、電球の光の下で陰影を作った。獅子獣人の毛並みは短く、首から胸元にかけて少し濃い色をしている。体の中心で、オーリンくんのそれが、揺れていた。 隠そうともしない。 当たり前のように、どこまでも自然にぶら下がるオーリンくんの男性器。 僕は慌てて視線を逸らして、自分のシャツのボタンを外した。指が、微かに震えた。 「先、行ってるぞ」 オーリンくんの声が、浴室の扉の向こうへ消えた。 浴場には湯気が充満していた。 白くて、熱くて、体の輪郭が少し溶けそうな感じがする。カランの前に腰を下ろすと、隣にオーリンくんがいた。 「背中、流してやるよ」 こういう事をさらりと言う。 「え、いや、別に」 「座れって」 逆らえない声だった。 後ろを向いた。お湯が背中に落ちてくる。タオルが、肩甲骨のあたりをゆっくり動く。力強いのに、丁寧だった。擦らず、撫でるように。 脱力しそうになる自分と、全力で戦った。 下腹部に、熱が集まっていた。オーリンくんの手が上下するたびに、じわじわと、どうしようもなく溜まっていく。湯気のせいにしたかった。体温のせいにしたかった。でも、そんなわけがない。 前を隠せばいい。振り向かなければいい。このまま終われば、何事もなかった。 「今度はお前の番な」 オーリンくんの声が、すぐ後ろにある。 立ち上がれなかった。体が強張った。 そのとき。 そっと、温かいものが、触れた。 オーリンくんの手が、僕のチンポに添えられていた。 思考が、白くなった。 反射的に、振り返る。 オーリンくんがいた。 いつもと同じ顔をしていた。でも、いつもと違う目をしていた。ずっと穏やかだった目が、今は違う温度をしていた。雄の目だった。静かで、真っすぐで、底が見えない。 視線が、下に落ちる。 オーリンくんのチンポも隆々とそびえ立っていた。獅子獣人の男性器が、湯気の中で雄々しく。隠すつもりも、恥じるつもりもないように、そこにあった。 僕は、泣きそうになった。 「……知ってたのか」 声が掠れた。 「何を」 「僕が、オーリンくんのこと」 オーリンくんは何も言わなかった。 「言えなかったのに。ずっと言えなかったのに、きみばっかり、ずるい」 情けない声が、湯気に溶ける。うつむいた。床のタイルが滲む。 オーリンくんの手が、僕の顎を持ち上げた。 そのまま、唇が重なる。 柔らかかった。熱かった。オーリンくんの唇は思ったより柔らかくて、僕はしばらく呼吸の仕方を忘れた。されるがままに舌先を弄ばれる。少しだけしょっぱい。隙間から漏れる生々しい水音が、僕の強がりを砕いていく。 唇が離れると、オーリンくんが笑っていた。あの、昔と変わらない笑い方で。 「言えなくても、分かる。お前のことは全部」 「……」 「そうか」 言ってないのに。 また、手が触れた。今度は僕も、逃げなかった。 獣欲と渇望が真っ向からぶつかり合う。 オーリンくんのチンポは限界まで硬く、太く、どす黒く膨れ上がっていた。毛並みに縁取られた根元を、僕は力任せに握り込んだ。掌に伝わるのは、今にも爆発しそうな脈動だ。 オーリンくんが獣じみた声で喘ぎ、僕の敏感な先端を、その分厚い指で乱暴に弄り倒す。ぬるついた感触はどちらの鈴口から溢れたカウパーか分からない。お互いの本音をぶつけ合う罪悪感と、卑猥な肉の擦れる音が、銭湯のタイルに反響する。 オーリンくんの指が亀頭の裏の筋をカリカリと執拗に掻き回すたびに、僕の腰がびくんと跳ねて、制御不能な快感が脳天まで駆け抜ける。 「うっ…ふぅッ!オーリンくん…っ!」 いつ他人が入ってくるかもしれない。僕が小さく鳴けば、オーリンくんはますます獰猛な顔で僕のモノを絞り上げた。 僕も負けじと、オーリンくんの太い竿を根元からねじり、上下に激しくピストンする。擦り上げるたびに、オーリンくんの喉から低い地響きのような唸りが漏れ、その度に僕の快感も際限なく底上げされていく。 先走りを塗り拡げて亀頭を包む。張り出したエラに指をかけて扱く。裏筋を撫で下ろし、双球を弄ぶ。オーリンくんの目が僕を捕らえている。 虚飾を取り払って口を開けば、漏れ出るのは淫らな吐息ばかり。間柄なんて関係ない。手の中で膨らみ、脈打ち、互いを貪り尽くすこの感覚。オーリンくんの荒い息が顔にかかった。限界を告げるように、獅子の肉竿が僕の手の中で一段と熱く、ドクンと跳ねた。 もう、理性なんて湯気に溶かしてしまえ。二つの肉塊として、快楽だけを貪り合う。そんな獣じみた愛撫が、僕の理性を完全に焼き切っていった。 積年の思いは、互いの間に精の糸を掛けるまで、ゆっくりと、静かに、蒸発していく。 「またお越しください」 番台の主は、穏やかに見送ってくれた。 幾分冷たくなった風が頬を撫でる。 前を歩いていたオーリンくんが、今は隣並びに。 「だいぶ、マシな顔になったな」 「おかげさまで。……そうだ、オーリンくん」 「ん?」 「好きだよ」 「…そっか」 繋いだ手は暖かかった。 オーリンくんの優しさは宇宙一。 ち○○食べたい。