Like an aquamarine 「前から聞いてみたかったんだけどさぁ」  ボックス席の正面に座る彼女は、もう何貫目かわからない炙りチーズサーモン寿司を口に運びながら言った。  SNSのタブをスクロールしていたスマホの画面からほんの少し顔を上げ、視線だけをそちらへ向ける。瀬良の前のテーブルには同じ色をしたお皿がうず高く積み上がっており、まるで摩天楼の様相を呈していた。食の細い私の軽く三倍は食べている。飽きないんだろうか。 「なにを?」  言ってはみたものの、瀬良は一口に頬張った寿司をしっかりと咀嚼して、米の一粒すら逃すまいと満面の笑顔で堪能していた。口を開くのがちょっとだけ早かったらしい。少々お待ちください。  やがて名残惜しげに大好物を嚥下し終えてお茶をひと啜りしてから、質問とやらの続きを口にする。 「なんで私だけ瀬良、なの?」 「え、呼びやすいからだけど」  一瞬の沈黙。とはいっても、8割ほど席が埋まった大手回転寿司チェーンの店内はそれなりに騒がしいものだったけれど。 「え?それだけの理由?」 「それ以外に何の理由があると思ってるの……」 「でもでも、一時期は穂乃花ちゃん、って呼んでなかった?」  しつこく食い下がってくる瀬良に眉を寄せ、視線を壁にずらりと並べて掛けられた木製の値札へとさまよわせながら記憶の糸を辿る。グループに加入して少し経った頃は、確かに彼女の言う通り名前を呼んでいたような記憶がうっすらとあった。けれど、 「瀬良の方が短くて呼びやすいからなぁ……」 「でもでもでも、そらちゃんは『そらちゃん』だよね」 「せら、と、そら、じゃ聞き間違えるかもでしょ。それに、苗字にちゃん付けだと逆に他人行儀な感じしない?」 「……たしかに〜」  口ではそう言いはしたものの、いまいち納得がいっていないような表情を浮かべて、瀬良は皿に取り残されていたもう一貫の炙りチーズサーモン寿司に箸を伸ばした。せらだのそらだのさらだの、ちょっと頭がこんがらがってきた気がする。 「無理やり理由つけるなら、せら、って響きが好きだから、かな」 「ほうなの?」 「飲み込んでから喋りなね」  セラフィム、というのは数ある天使の位階のなかでも最上位に位置するものらしく、漫画やアニメでもよく耳にする単語だった。母や伯父の影響で幼い頃からそういったものに触れてきたというのもあるけれど、一番と思われる理由はそれこそ至極簡単なものだった。 「単純にかっこよくない?瀬良って苗字」 「……そうかなぁ。生まれた時から瀬良だったからよくわかんないや」  うーん、まだわからないか、このレベルの話は……。  ただ、隣の芝は青いと感じるだけで、本人からしたらなんの感情も沸かないのもまた事実らしい。  私の答えに納得こそしていなかったものの、解答自体は得られたということで瀬良は皿をまた一枚重ねて各席に備え付けてあるタッチパネルへと向かい、私もふたたび手にしたスマホへと視線を落とす。 「ぎゃああ!?!?」 「静かにしなね」  瀬良の突然の大声にもすっかり慣れたものだ。咎めるような視線を遣りながらなにごとかと様子を伺うと、タッチパネルに表示された画面には『売り切れ』の文字。どうやら目の前の異次元胃袋は店の材料をすべて平らげてしまったらしい。 「食べ尽くしちゃうなんてこと、あるんだ」 「炙りチーズサーモン〜〜〜……」  涙目でがっくりと肩を落としつつも、そのまま注文ページをスクロールさせてデザートを一品タップする。いや、まだ食べるんかい。  これはいよいよ後輩ちゃんとの直接対決が楽しみになってきたというところで、ふとスマホの画面の左上に表示された時刻を確認した。  あぁ、気がついたらもうこんな時間か。 ◆ 「おはようございま〜す……」  着替えを済ませてレッスンルームの扉を遠慮がちに開くと、何人かはもう既に自主練を始めていたらしく、鏡越しに映った私の姿に気づくと慌てたように姿勢を正してあいさつを返してきた。もう何度か一緒にステージにも立ったしお仕事やご飯にも何度か行った仲とは言えど、こちらも向こうもまだまだ距離感を測りかねているという感じだ。  準備運動をしながら練習しているところを見ててもいいかと聞くと、ぜひアドバイスをくださいとのことで、どうしてもつっかえてしまう箇所を何度か踊って見せてくれた。 「たしか、こんな感じだったかな」  恒例の(三度目ともなれば恒例といってもいいだろう)定期公演で披露する既存曲の振り付けを記憶を頼りに一節披露すると、自認運動音痴の私が驚いてしまうほどスムーズに体が動いてくれた。  間違えやすい箇所を身振りと経験談も交えて指摘すると、各々メモをとったりすぐさま体を動かしてみたりと反応はさまざまだ。  今思い出しても入ったばかりの頃はなにもかもにいっぱいいっぱいで、初舞台なんてそれこそ記憶がまったくないくらいだったけれど、泣きべそをかきながらやり遂げた練習には、いつも誰かがそばにいてくれたのを覚えている。あの時の彼女たちも、今の私と同じような気持ちだったのだろうか。 「おはようございま〜す」  声のした方を向くと、イカニモ踊れますといった風体のみず姫がスポドリのペットボトルを片手に颯爽と現れたところだった。 「それじゃ、指導は本業の人に任せて私は動画でも撮ってようかな」 「えぇ?なんの話?」  状況がうまく飲み込めずに怪訝そうな表情を浮かべたみず姫に、後輩ちゃんたちは馬鹿正直に私から指導を受けていたと嘘偽りなく報告をした。それを聞いたみず姫はにまにまと意地の悪い笑みを浮かべながら、顎に手をやって私のことをじろじろと眺めてくる。 「なに?」 「いやぁ?あの純佳ちゃんがねぇ、って思って」 「親目線かな???」  言って抗議の視線を送ると手振りで怒らないでのジェスチャー。 「いっぱい努力したもんね」  誤魔化すように王子スマイルを浮かべてくるけれど、会ったばかりの頃ならまだしも、もうその手には乗ったりはしない。  その後は少し離れた場所で足首の腱を伸ばしながら、人数が揃うまで氷室みず姫先生の短期集中講座をぼんやりと眺めていた。 ◆  ごめんね、慣れないレッスンで疲れてるのに呼び止めちゃって。お詫びに飲み物奢らせて。ほら、好きなの押していいよ。  ……へぇ、意外と渋いチョイスだね。もっと甘いのとか選ぶと思ってた。ダイエット中?そんなの気にしなくていいくらい細いのに。それに、これは純粋にアドバイスなんだけど食事はちゃんと摂ったほうがいいよ。ライブ前とかになるとそれこそ死ぬほど体動かして、嫌でも痩せるから。……って、食の細い私が言っても説得力ないか。でも、倒れちゃわないくらいにはしっかり栄養補給すること。約束ね。  ここの会議室はしばらく使う予定ないみたいだから入って座ろっか。うん、大人の人たちが使ってなければ割と自由に使っていいから。作業に集中したい時とか、学校の勉強したい時とか、ご飯食べたりとか、お喋りしたりとか……でもお喋りするなら談話室の方が人がいるかな。それか地下の……ううん、なんでもない。  それで、どう?少しは慣れたかな。急に怪しい手紙で呼び出されてアイドルになれだなんて、びっくりしたかな。グループにいる人はみんなそうらしいよ。少なくとも私たち後輩メンバーはみんな……あぁ、ごめん、私ももう先輩になったっていうのに、いつまで経っても後輩気分が抜け切らないや。  私もね、当たり前だけどアイドルになりたてだった時期があって、その時はそりゃあ苦労したよ。その時加入したメンバーの中でも私はひときわ体力がなかったし、運動もできない方だったから。  けどね、そんな時に親身になってお世話してくれた人がいたの。丸山あかねさんっていうんだけど……  レッスンお疲れさま!大丈夫?疲れてない?水分ちゃんと摂ってる?奢ったげようか?  ……え?なに、デジャヴ?持ち回りでもあるのかって?あー……、なるほど、純佳ちゃんか。この前ダン練終わりに一緒にいたもんね。  お話、めっちゃ長かったでしょ。純佳ちゃんってああ見えて実はものすごくお喋りなんだよね。それと同時に人見知りなとこもあるから、マシンガントークが出てくるってことは気を許してくれてる証拠だよ。うん、たぶん。  それで、どんな話したの?ふむふむ……あはは、やっぱりあかねさんの話かぁ。純佳ちゃん、今でもあかねさんの大ファンだからさ、推しの布教には余念がないね。でも、やっぱりちょっと喋りすぎちゃうところがあるから、ブレーキかけてあげられるようにならないとね。歌もダンスもトークもだけど、暴走しがちな同期や先輩を止められるようになるのも大事なことだよ。自分で言うのもなんだけど、個性的なメンバーが揃ってるからさ。  そんな中でもニコルさんはいつもクールで完璧でぇ…… 「という感じになりかねないので君たち二人には前もって釘を刺しとくね」 「キャラ付けに若干の悪意を感じるんですけど」 「その言葉そっくりそのままお返ししてもいいです?」  新加入したメンバーとの初顔合わせのあと、突然私とそらちゃんだけが桜さんに別室まで呼び出されたかと思えば、要約するに『お前らあんまり喋りすぎて後輩のこと困らせるなよ』という注意喚起を小芝居まで打って伝えたかったのだそうだ。神妙な顔をしていたからなにごとかと思えばこれである。 「なんだよーう、私はきみたちのことを想って言ってあげてるんだからねー」  頬を膨らませてぶーたれる桜さんから視線を外し、そらちゃんと目で会話して肩をすくめ合う。 「だったら私たちの手綱は桜さんが握っておいてくださいよ」 「まだしばらくはここに居るんでしょ。後輩ちゃんたちも入ってきたばっかりだし」  二人してそう言うと、まるでその返しが予想できていなかったみたいに桜さんは面食らったような表情を浮かべ、次いでばつが悪そうに頬を掻いた。 「まぁ、まだ、ね」  なら、まだいいんじゃないですか。  立場が人を作るとは言うけれど、まだ私たちは先輩初心者なんだから、教えてもらいたいことなんて山ほどあるんですよ。 ◆ 「これから先輩って言うの禁止ね。私と藤間から指摘されるたびにコーヒー一杯奢ること」  突如言い渡された勧告に、塔子は思考停止してフリーズしてしまった。もともとアスリートだったせいかおかげか、上下関係は厳しく教えられてきたのだろうし、この決めごとは塔子にとってはかなりきつい縛りになるんじゃないだろうか。 「いきなりすぎません?」 「文句なら壁に言って。いきなりどこからかまた8人も連れてきて、準備もなにもあったもんじゃないわ」  言ってニコルさんは少し不機嫌そうに台本チェックを中断して、珍しくかけている眼鏡を手にしたペンの頭で押し上げた。 「ま、私はもう慣れっこだけど」  だからといって私たちにもそれを強制するのはいかがなものかと。メンバーが増えるだなんて思ってもいなかったから、一番どう振る舞っていいのかわからないでいるのは私たち後輩だ。 「もう5年近く一緒にやってきてるんだから、いつまでも余所余所しいっていうのも考えものでしょう」 「余所余所しくしてるつもりはないんで……ないんだけどな……」  口から出かかった言葉尻を慌てて訂正するも、そのあまりのカロリーの高さに驚く。いままでの当たり前を力ずくで捻じ曲げるというのは、やはり思う以上に労力を必要とする行為なのだろう。  頭を抱えながらうーうーと低い唸り声をあげる様子にそれとなく向けた視線に気づくと、塔子は意を決したかのように頷いて、深く息を吸い込んだ。 「……ニコルちゃん、せんぱい!」 「はいだめ」 「口が勝手に!!」  たったひとことに撃沈してその場に崩れる塔子。  直後に発した言葉にもきっと嘘や言い訳なんてこれっぽっちも含まれていないのだろうということは、これまでの付き合いで十分に理解している。真っ白い布地に染み付いた色は、懸命に洗ったところでそう簡単には落ちてはくれないのだ。 「まぁ、冗談だからいいわ」 「だまされた!?」 「もし、はじめから無理だって諦めてたら奢らせるつもりだったけど、挑戦だけはしたからこの辺にしといたげる」  つまり、試し行為。私たちはからかわれただけで、最初から本気で言っていたわけではなかったようだ。 「ニコルさんも冗談とか言うんだ」  お財布の危機を乗り越えて脱力をする塔子を椅子に座らせて、ふとそんなことを口走った。 「意外?」 「なんていうか、ストイックってイメージが先行してて」 「なのに、ステージの上ではエンターテイナーで……」  要は切り替えや線引きがしっかりとしている。加入したての頃にオンとオフのニコルさんを見比べた時は、失礼だけれど猫を被っているなとすら思ったというのに、その姿勢は今では尊敬に値するほどの徹底ぶりだ。真似できるかと言われたら、正直なところ自信がない。 「褒められているんなら、悪い気はしないわね」  言いながらほんの小さく浮かべた笑顔からは、初めの頃に受けた冷ややかなイメージからは考えられないほど、余所余所しくない印象を感じた。 ◆  春先のまだ冷たすぎる海水に足首まで入って、スカートの裾を濡らさないように指でつまんで持ち上げた。  海岸線での撮影なんて何度も経験してきたことだというのに、今回のメンツだと何かといろいろと思い出してしまう。  ソロショットの撮影を終えて暇を持て余し、周辺を歩く。強い海風に髪が暴れてはためいた。 「ちょっとさむいねぇ」  そうだろうか。空気は確かに冷たい気もするけれど、陽射しの方は5月らしくじりじりと照りつけて、もうすぐ夏が来ることを否が応でも感じさせてくる。スタッフさんに日傘を借りてくるべきだったかとも思ったけれど、この強風の中では手に負えないかもしれなくて悩ましかった。 「海、そんなに好きじゃない?」 「そう見えるかな」  楽しいからっていつも楽しげにしなきゃいけないわけじゃないし、しんどい時でも気分を無理矢理に上げなきゃいけない時だって往々にしてある。芸能人って、そういうものじゃないかな。  人への印象だって同じだ。別にその人の全部が嫌いなわけじゃないし、全部が好きじゃなくてもきっといい。全部が好きだなんてそれこそ嘘くさく感じてしまう。  ニコルさんの、真面目なところが好きで、真面目すぎるところが嫌い。  桜さんの、面白いところが好きで、だっていうのに実は後ろ向きなところが嫌い。  塔子の、人懐っこいところが好きで、変なところで遠慮するところが嫌い。  そらちゃんの、おしゃべりなところが好きで、人見知りすぎるところが嫌い。  みず姫の、実は裏ではふざけまくるところが好きで、それを外へさらけ出さないところが嫌い。  瀬良の、私にないものを全部持っているところが好きで、私にないものを全部持っているところが嫌い。  流行り病が蔓延していた頃、私は歌うことをほとんど諦めていたというのに、瀬良は歌いたいというただそれだけで招待状の誘いに乗った。対極に立っているから、どうしたって好きだけど嫌い。  きっと過去も未来も、変わらず好きで嫌いなのだろうと思う。 「うわ、手のひら冷たい」 「でしょ〜」  擦り合わせて暖をとる瀬良の手に手を伸ばすと、ひんやりとした彼女の熱が手のひら越しに伝わってきた。手のひらが冷たい人は優しい、という俗説が本当ならば、程度としては瀬良の方が優しいのだろう。  私は特別優しくなんてない。優しいのだと評価されるのであれば、それはおそらく他の誰かからもらった優しさを真似しているだけだ。 「あったか〜」  それならよかった。  私たちの名前を呼ぶ声が風切り音に紛れて聞こえた。見ると、離れたところからそらちゃんが大きく手を振っているのが見える。手招きの仕草も交えていることから、きっとソロショットを撮り終えて集合写真を撮るから集まれ、ということを言いたいのかなとなんとなく察した。  もう少しくらいこのゆったりとした時を楽しみたかったのだけれど、それもどうやら時間切れらしい。  握った手に力を込める。  あぁ、すきだよ。  四六時中一緒にいるわけじゃないし、交友関係で言えば家族や地元の友達や大学の同級生なんかに比べたら一緒に過ごした時間はほんの短い間だったかもしれないけど、その時間は驚くほど濃密だ。いつの間にか過ぎ去っていったあんなに辛く苦しく悲しく、けれど幸せで楽しくて宝石のようにきらきらと輝いていた四年間がきっと、何よりの証拠だと思うから。  やっぱり私、この場所が好きだ。だからできるだけ、この時間が長く続いてほしいって思う。時間を止めたいわけじゃなくて、ゆっくり進めばいいのにと願う。 「行こっか」 「うん」  別に、わざわざ言葉にして伝えたりなんかしないけどさ。  たぶん、みんな同じでしょう。  そうであるなら、いいなって思う。 了