孤絶のエンジェルリリィ

分厚く垂れ込めた暗雲が空を覆い尽くし、時折走る紫色の稲光が荒涼とした大地を冷たく照らし出していた。乾いた風が吹き荒れ、土埃が舞う荒野の真ん中で、エンジェルリリィは荒い息を吐きながら立ち尽くしていた。

「返して……！ それは、私たち愛の天使にとって、絶対に失ってはいけない大切なもの……！」

リリィは、震える膝を必死に自制しながら毅然とした声で叫んだ。彼女の視線の先には、悪魔族の戦士ブリッツが冷酷な笑みを浮かべて宙に浮いている。その手には、リリィから奪い取ったばかりの重要なアイテムが握られていた。かつては聖なる光を放っていたその品も、今はブリッツの放つ邪悪な気配に当てられ、薄暗く濁った光を明滅させている。

「フン、愛だの絆だの、反吐が出るわ。そんな下らないものにすがるから、貴様ら天使は脆く弱いのだ。この力が欲しいのなら、力ずくで奪い返してみるがいい！」
「乙女の純情を踏みにじる悪魔……絶対に許さないわ！」

リリィは残された力を振り絞り、愛天使の力を解放した。セント・リリィ・タクトを天高く掲げると、タクトの先端に純白の光が集束し、周囲の淀んだ空気を切り裂くように清らかな波動が満ちていく。彼女の背後には淡い光の羽が浮かび上がり、その瞳には決して屈しないという強い意志が宿っていた。

「乙女の純真！ リリィ・レインボー！！」

リリィがセントリプライナーを振り下ろした瞬間、眩い虹色のリボンが爆発的な勢いで放たれた。空気を激しく震わせながらブリッツめがけて一直線に襲い掛かる。それはこれまでの悪魔たちを幾度も浄化し、退けてきた彼女の渾身の一撃だった。全てを懸けたその光芒が、ブリッツの体を呑み込もうとした、その時だ。

「……無駄なことを」

ブリッツは避けるそぶりすら見せず、ただ片手を軽く前にかざした。次の瞬間、空中で目にも留まらぬほどの高密度な魔力の壁が展開される。リリィの放った強烈な虹色の光線は、まるで見えない分厚いガラスに衝突したかのようにひび割れ、不快な破砕音と共に霧散した。光の粒子となって虚しく宙に消え去り、後には焦げた匂いだけが残された。

「リプライナーが…通じない……！？」
驚愕に目を見開き、セントリプライナーを握る手を震わせるリリィ。信じられない光景を前に、彼女の心に初めて明確な「恐怖」という感情が落ちた。その絶望の兆しを見逃さず、ブリッツは嗜虐的な嘲笑を浮かべた。

「愛の波動とやらも、所詮はその程度か。貴様らの底は知れたな。さあ、今度は私の番だ。存分に味わうがいい！」

ブリッツの全身から、空気を凍らせるような重くどす黒い魔力があふれ出した。彼が鋭く腕を振るうと、空中に無数の暗黒の光弾が形成され、雨霰のごとく一斉にリリィへと襲い掛かった。

「きゃあっ！」

防御結界を張る間もなかった。容赦ない漆黒の弾幕が、リリィの体を次々と捉える。一つ一つの光弾が爆発的な威力を持ち、圧倒的な破壊力の前にセントリプライナーは弾き飛ばされた。彼女の華奢な体は幾度も宙を舞い、容赦なく冷たい岩肌に叩きつけられる。ファイターエンジェルのコスチュームは無惨に裂け、白い肌には生々しい傷が刻まれていった。

「どうした、愛の天使！ さきほどの威勢はどこへいった！ その程度で終わりか！」

息をつく暇すら与えられない猛攻。リリィは身をよじって立ち上がろうとするが、ブリッツはそれに構わず、両手に強大な魔力を収束させ始めた。大気が震え、周囲の空間がぐにゃりと歪むほどのエネルギーが、彼の頭上で極限まで凝縮されていく。

「これで終わりにしてやる！」

放たれた漆黒の雷撃が、逃げ場を失ったリリィを真っ直ぐに貫いた。

「きゃあああああっ！！」

鼓膜を破るような轟音と共に凄まじい爆発が起きる。リリィは大きく吹き飛ばされ、地面を何度も転がった。全身から力が抜け落ち、視界が赤黒く点滅する。本来なら、こんな危機的状況になればピーチやデイジーが駆けつけてくれるはずだった。しかし仲間たちの気配はどこにもない。彼女は完全に孤立していたのだ。

それでも——。

「まだ……よ……。私は、愛の、天使……」

震える腕で血の滲む地面を支え、リリィはゆっくりと立ち上がった。足元はひどくおぼつかなく、立っているのがやっとの状態だった。土に汚れ、かつての輝きは見る影もない。だが、その瞳に宿る決意の光だけは、消え入りそうになりながらも必死に燃え続けていた。

その姿を見たブリッツの顔から、嘲りの笑みが消え失せた。代わりに浮かんだのは、自らの力を前にしてもなお屈服しない相手に対する、底知れぬ怒りとどす黒い殺意だった。

「……往生際の悪い小娘だ。そこまでして己の無力を悟りたくないというのなら、貴様が二度と立ち上がれぬよう、私の世界で微塵に砕いてやろう」

ブリッツが腕を大きく振り上げると、周囲の景色が音を立てて崩壊し始めた。空間そのものがガラスのように割れ、その裂け目から底なしの闇が溢れ出す。次の瞬間、強烈な引力がリリィを飲み込み、彼女は外界から完全に遮断された、ブリッツの魔力で構築された暗黒の結界内へと引きずり込まれた。

「ここは私の絶対領域。光も、愛も、希望も届かない。誰一人として助けには来ない絶望の底だ」

周囲は完全な闇だった。上下左右の感覚すら喪失するような異次元空間。その暗闇の四方八方から、不可視の刃と、骨を軋ませるようなすさまじい重圧がリリィを襲い始めた。

「うっ……ああっ……！」

何もない空間から突如として見えない打撃が彼女の腹部をえぐり、鋭利な真空の刃が彼女の腕や脚を切り裂く。防ぐことも、避けることもできない。リリィは暗闇をあてもなく漂いながら、一方的な蹂躙を受け続けていた。

（お願い……力を貸して……！）

リリィは薄れゆく意識の中で、奪われたセント・サムシング・ブルーに向けて必死に祈りを捧げた。自分の内に眠る愛の波動を振り絞り、奇跡が起きることを信じて。かつて何度も彼女たちを救ってきた、新たな力への覚醒。その光の導きを求めて、彼女は心の底から祈った。

しかし、無情にも奇跡は起きなかった。

この暗黒の空間は、彼女の愛の波動を無惨に吸い尽くし、祈りの声すらも闇へと溶かしていく。セント・サムシング・ブルーからの応えは一切なく、ただ冷たい絶望だけが彼女の全身にまとわりついていた。

「無駄だと言っているだろう。貴様の祈りなど、ここではただの雑音に過ぎない」

ブリッツの冷酷な声が、空間の全方位から反響する。もはや反撃の糸口すら掴めず、リリィの体は限界を超えていた。呼吸をするたびに肺が焼け付くように痛み、指先を動かすことすらままならない。

「終わりだ、愛の天使！」

死角からの、これまでで最も強烈な魔力の奔流が、リリィの背中を無慈悲に捉えた。

「ぁ…………」

ついに糸が切れたように、リリィの体から全ての力が抜け落ちた。暗闇の中で糸の切れた人形のように崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった彼女を見下ろして、ブリッツは満足げに鼻を鳴らす。そして、指先を鳴らして結界を解除した。

空間が反転し、二人は再び元の荒野へと戻ってきた。冷たい地面に仰向けに投げ出されたリリィは、焦点の合わないうつろな目で灰色の空を見つめていた。すでに抵抗する力はおろか、立ち上がる気力すら残されてはいない。

「愛の天使の最期がこれとはな。どこまでも無様で、滑稽極まりない」

ブリッツはゆっくりとリリィに歩み寄り、彼女の頭上に見下ろすように立った。そして、その手に濃密な魔力を凝縮させる。とどめを刺すための、最後の一撃。それが、一切の躊躇いもなく、無慈悲にリリィの体に叩き込まれた。

「あ…………っ……」

小さな掠れ声が漏れた直後、リリィの体を包んでいた聖なる光が激しく明滅し始めた。愛の波動の源泉が完全に絶たれ、天使としての力を維持することができなくなっていく。防具が砕け散り、リボンが解け、コスチュームが光の粒子となって剥がれ落ちていく。

パリンッ、というガラスの割れるような音と共に光が弾け飛ぶと、そこには傷つき、ボロボロになって倒れた一人の少女——谷間ゆりの姿があった。

「フン……他愛もない。所詮は人間の小娘よ」

ブリッツは奪ったセント・サムシング・ブルーを見せつけるように高く掲げると、その戦果を誇示するかのような高笑いを荒野に響かせながら、空高くへと飛び去っていった。

冷たい風が吹き抜ける荒野に、ただ一人取り残されたゆり。傷だらけの体は氷のように冷たく、彼女の意識は深く、暗い闇の底へと沈んでいく。かすかに聞こえていた風の音すらも遠ざかり、もはや誰の助けを呼ぶことも、仲間の声が届くことも叶わなかった。