夕方頃、テレビの画面に映るバラエティー番組の映像なんて、正直あまり頭に入ってこない。 だって、私の視線はいつだって別のところに向いているから。 ソファに腰掛けてテレビを眺めるマスターの後ろ姿。 何となく、その背中を見ていると無性にくっつきたくなってしまって、そっと後ろから抱き着く。 背中に頬を押し当てて、ぎゅうっと腕を回すと、 「くっつきすぎだ」なんて言われたり。 本を読んでいる時だってそうだ。 真剣な顔でページをめくる横顔を見ていると、気付けば隣に座っていて。 肩にもたれたり、頬を擦り寄せたり、膝の上に乗ったり。 勿論、マスターにはマスターでやりたい事があるんだろうし、悪いな、なんて思う事はあるけれど、 マスターが集中している姿を見ると、急に構ってほしくなってしまうのだ。 いつもの何気ない日常。 マスターからは時々、「調弦は距離が近いな」なんて言われることもある。 でも、それは仕方のないことだと思う。 ‥‥だって、好きなんだから。 そもそも、私たちの関係‥‥カードの精霊とマスターの関係は少し特殊だ。 私のようなカードの精霊は、ただカードがあれば存在できるわけじゃない。 持ち主であるマスターからの想いと、私自身の信頼や絆。 そういう目には見えないものを沢山沢山積み重ねて、初めてこうして実体を保つことができる。 だから今、私がここにいること自体が証明なのだ。 私がマスターを大切に思っていることや好きだと思っていることの。 だから、内心はバレバレで、相思相愛なのを隠したりしても無駄なんだから、 遠慮せずに甘えた方がいい。 抱き着きたい時は抱き着いて、撫でてほしい時は撫でてもらって。 たくさん構ってもらった方が、きっとお互い幸せだと思う。 スキンシップのし過ぎと言われるけど、マスターが満更じゃないのも分かってる。 ‥‥とはいえ。 私だって、全部を素直に告げられるわけじゃない。 そこは、その‥‥俗に言う乙女心というやつで。 私にも素直に言うのが恥ずかしいくらいある。 特に――夜、えっちのこと。 はじめて、って訳じゃない。 マスターから求めてくれて、私もそれを受け入れて。 何回か経験しているはずなのに、どうしても慣れないどころか、回数を重ねるほど恥ずかしくなっている気さえする。 好きだよ、って言うのは平気。 一緒にいたいね、って言うのも平気。 ぎゅーっと抱きしめて、なんて言うのも平気。 だけど。 自分から”えっちしたい”なんて、そんなの言えるはずがない。 だって、そんな事死ぬほど恥ずかしすぎて絶対に言えない。 口にしようと想像しただけで顔が熱くなって耳まで真っ赤になっちゃう。 だから、遠回りにそれをおねだりする。いつもより長くくっついてみたり。 頬を擦り寄せたり、手を重ねたり、わざと距離を近くしたり。 分かりやすく誘っているつもり。 マスターも鈍感というわけではないから、ちゃんと伝わってる。 ‥‥というより、伝わってくれないと困る。 例えば、マスターがソファで漫画を読んでいる時。 私はそっと後ろから近付いて、そのまま背中に抱き着く。 「ねえねえ、何読んでるの?」 そんなことを言いながら、肩越しにページを覗き込む。 腕を回しながら身体を密着させて、胸を背中へ押し当てる。 少しだけ膨らんだ柔らかな感触が伝わるくらいには、しっかりと。 普通に漫画を読むだけなら必要ない距離だ。 どきどきするけど、まだ焦っちゃダメ。 慌てて迫ったら台無しだ。 こういうのは、余裕があるくらいが丁度いい。 「へー、ちょっと読ませて?」 そう言いながら、さりげなく体重を預ける。 ほんの少し、もう一度胸がふにっと押しつぶされる。 狙ったわけじゃないフリをしてるのがポイント。 「読めないんだが」 ぽつりとそう言われた。 マスターは手にしていた本を閉じている。 さっきから後ろから抱き着いて、肩に顎を乗せて、頬を擦り寄せて。 その上、離れる気配もなかったのだから‥‥まあ、本くらい読みづらくもなるだろう。 「えへへ」 思わず笑ってしまう。 読めない、とは言われたけれど、離れてほしい、とは言われなかった。 するりとマスターの正面へ回り込んで、そのまま胸元へ飛び込むように身体を寄せた。 「‥‥近い」 呆れたような声だけれど、本気で嫌そうな響きはない。 だから私は少しだけ口元を緩めた。 「近いの好きじゃない?」 両腕を背中へ回してぎゅうっと抱き締める。 顔を少し動かせば鼻先が触れそうで、吐息が肌を撫でて、額だって、あと少しで当たりそうだった。 好きな人とこうしてくっついてるだけで、なんだか堪らなくなってくる。 好きな人の体温、好きな人の匂い、好きな人の鼓動。 全部がこんなに近くにある事に胸の奥がふわふわして、なんだか満たされる。 「ほら、何も出来ないから退いてくれ」 「‥‥ちぇーっ」 仕方がない、やりすぎて嫌がられても困るし、素直に離れる。 するりと身体を離して、一歩後ろへ。 少しだけ空いた距離が妙に寂しくて、さっきまで感じていた体温がなくなっただけなのに、胸の辺りが少しだけ物足りなくなる。 くだらない意地の張り合い。 私の誘惑に負けたマスターが、我慢できなくなって私を押し倒してきたことがあった。 その時の私は、マスターを誘惑出来た事で少しだけ調子に乗っていて。 「我慢できなかったんだもんね♡」 なんて言ってしまったのだ。 だって仕方がない。 マスターが私で興奮してくれたのだから、少しくらいからかいたくもなる。 その時のマスターは少し悔しそうな顔をしていたけれど、私は気にしていなかった。 あの時までは。 そう、今度は逆のことが起きた。 その日は私の方が先に我慢の限界を迎えてしまった。 散々遠回しに甘えて、遠回しに誘惑して、それでも気付かないふりを続けるマスターに痺れを切らして。 結局、自分から抱き着いて、自分から求めて、最終的には私の方から押し倒してしまった。 そして翌日、頭を撫でられながら。 マスターは何でもない顔で言ったのだ。 「昨日、腰本気で振ってるの可愛かったぞ」 ――恥ずかしさで死ぬかと思った。 今すぐカードの中へ逃げ帰りたいと思った。 しばらくの間、私はまともにマスターの顔を見られなかった。 傍から見れば意味不明な攻防戦。 勝敗なんてどうでもいいような駆け引きだけれど、そのくだらなさが楽しい。 お互いに好きだと分かっていて、お互いに求めていると分かっていて。 それでも少しだけ意地を張って、どちらが先に降参するか競い合う。 そんな時間が、私は案外嫌いじゃなかった。 だから、色んな手を試してみた。 「ねえマスター、髪乾かしてー」 お風呂上がり、私はタオルだけを巻いてリビングに居るマスターに声をかける。 やってきたマスターを椅子に座らせて、その上に飛び乗る。 驚いた様子のマスターに、私はわざと首を傾げる。 もちろん理由は分かっている、タオルを巻いているだけだから。 間には服がない、いや‥‥正確には、マスターのズボンがあるけれど、その上に直にお尻を乗せている。 だけど私は平然とした顔を続ける。 もちろん、これも作戦の一つだった。 ドライヤーをお願いするだけなら、別に私が座って、マスターが立ってやればいい。 私はマスターの胸へ背中を預けながら、静かに目を閉じた。 お風呂上がりの身体はまだ火照っていて、髪からは石鹸の香りが残っているし、 身体にも湯上がり特有の熱が残っている。 そのまま力を抜けば、自然と体重は後ろへ預けられる。 お尻が、マスターの脚にぴったりと密着している。 布一枚隔てただけのお尻をマスターの太腿に擦り付けて、湿った熱気をマスターの脚に伝えてしまう。 この状態ならマスターが理性を失えば私の作戦勝ち。 私はさらに少しだけ身体の力を抜いた。 マスターがドライヤーを動かすたび、後ろから指先が髪を梳いていき、心地よさが広がる。 そして、温かい風がタオルをふわりと揺らして、私の胸をマスターにちらちらと見せる。 視線に気付かなかったわけじゃない。 だけど、私は何でもない顔をして前を向いている。 内心は全然平静じゃないけど。 好きな人に意識されているかもしれないと思うと、それだけで心臓が少し速くなる。 ドキドキさせるのはこっちのつもりだったのに、最後に緊張したのは私の方だった。 立ち上がる時、ふと気になる。 変な跡、残ってないよね。 さっきまで私のお尻が密着していたズボンのところ。 自分でも意識していたくらいだから、余計に。 熱とか、湿り気とか、えっちな染みとか‥‥そういうの、残ってないよね? ちらっと視線だけで、あからさまにならないように確かめる。 正直分からなかったけど、自爆してる気がした。 今回のマスターは、大分手ごわい。 ここまで来たら、もう小細工はやめる。 遠回しに触れたり、さりげなく距離を詰めたり。 いつもなら正直ドライヤーをお願いした時に襲って来るかな、なんて思ったけれど、このままだと膠着状態だろう。 だから私は、少しだけ勇気を出すことにした。 やりすぎかもしれないとは思ったけど、ここまで来ると引けない意地がある。 ベッドの上にうつ伏せになる。 着ているのは借りたままのマスターのTシャツ一枚。 ぶかぶかで、立っていればワンピースみたいに身体を覆ってくれるそれも。 うつ伏せになれば、話は別だ。 足を少しだけ曲げて、力を抜いて、無防備に見えてしまうようにする。 空気に触れる感覚が、無防備なのだと自覚させる。 視線が来るかもしれない、その予感も。 全部、分かっていてやっているけど、こんなの平然としてるなんて出来る訳が無い。 顔は本に向けたままで何も気付いていないふり。 ただ読書に集中しているだけ、みたいに。 指先だけでページをなぞるけど、内容なんて一切頭に入らない。 だって分かるから。 はっきりと、逃げ場のないくらいに見られてる。 じっとりとした重たい視線が、どこに向いているのかも、意識せずとも分かってしまう。 心臓がどくどくと音を立てる。 こんなの、平然としていられるはずがない。 でも“気付いている”って認めてしまわないように、表向きの平然を装う。 だけど、何でもないふりをしているのに。 ただ本を読んでいるだけにしないといけないのに。 内側が、勝手に反応してしまう。 意識しないようにしようとしても、気にしないようにしようとしても。 身体の奥が、じわりと熱を持つ。 じわりと、滲み出る湿り気を感じてしまう。 ‥‥ばれてる? そんな不安がよぎる。 だけど、今更どうにもできなくて。 本を読んでるふりなんて、もうとっくに出来ていない。 そして、視線に敏感になってしまったせいで、ほんのわずかな違いなのに分かってしまう。 さっきまでと、少しだけ視線がズレていると。 お尻の穴をじっと見られている。 触れられていないのに、ただ視線だけなのに。 まるでそこをなぞられているみたいに、じんわりと感覚が広がる。 ぞくり、と背筋を走る震えを意識した瞬間、身体が勝手に反応してしまった。 きゅっ‥‥と、ほんの一瞬。 自分でもはっきり分かるくらいに、力が入ってしまった。 視線がその瞬間、余計に熱くなって、じっとそこに絡みついているのが分かる。 視線なんてものに熱量があるわけないのに。 じりじりと焼かれているような錯覚さえ浮かんでしまう。 もう、恥ずかしさが限界で。 耐えきれずに逃げるように足を閉じようとしたら、マスターに太ももを掴まれた。 「マ、マスター‥‥っ!?」 「あーゆうわくにまけちゃったなー」 そのままゆっくりと、脚を開かされながら、ゆっくりと理解していく。 ああ、そうなんだ。 さっきまで、あんなに誘惑してるのに、視線だけだったのは我慢してるんじゃなかった。 ――もう、決めてたんだ。 これから触れる場所として、恋人として抱く相手として。 開き直った余裕で、じっくりと。 勝った、はずなのに。 先に押し倒して来たのはマスターのはずなのに。 声も、呼吸も、ぐちゃぐちゃにされる。 ‥‥今回は、引き分けって事で良いよね?