その日、デジモンテイマーの少年は、相棒のグラディモンと共にアリーナに挑んでいた。 新進気鋭のコンビは調子良く勝ちを重ねて9連勝し、10戦目の開戦はもう間もなくだった。 「よーし、次で10勝目だ!派手に暴れてやろうぜ!」 「おう、任せてくれ相棒!」 そんな勢い付いて鼻息の荒いコンビの前に、一体のハニービーモンが姿を現す。 「随分と元気が良いな、どうかお手柔らかに頼む」 「沢山勝ってランクアップしたいからな!全力でやらせてもらうぜ!」 「そうか、では、お手並み拝見といこうか」 物腰柔らかな蜂の戦士が滞空し戦いの構えを見せると、開戦の合図が響く。 それが鳴り止むよりも早くにグラディモンが駆け出し、地を蹴り敵の頭上に躍り出て蜂を叩き落さんと剣舞を披露する。 「でやあああ!」 「いいぞ、そのまま毒針を近付けさせるな!」 昆虫型デジモンのハニービーモンの武器は体から生える毒針である、そのリーチは短いが、相手を麻痺させる毒性を有する。 対してグラディモンは小柄な体躯に不釣り合いな程に腕が長く、自慢の腕から繰り出す二刀流で敵を翻弄しながら戦う戦士型デジモンだ。 ならば、剣士が取る選択肢は一つ、毒針の間合いまで近付かれる前に叩き切るのみ! だからと言って闇雲に暴れる程グラディモンも未熟ではない、一方の剣を避けさせることで行動を誘導し、本命の一撃を打ち込む。 二刀流の剣士として対の剣を巧みに操り、果敢に攻め続ける。隙を与えれば何が起こるか分からない、だから敵の行動を許さない、それが彼がこの場で学び得た答えだった。 「おっと危ない!良い太刀筋だ、だが、剣士の相手は少し慣れていてね」 「そうかい!じゃあ斬られてくれても良いんじゃあないか?」 「いやあ、痛いのは勘弁だ」 球のような小柄な体躯に不釣り合いな長い腕を駆使し、縦横無尽に左右の剣を振るうグラディモンに対し、ハニービーモンは臆すること無く二刀に対応する。 宙を舞い接近する相手に対し、丸い戦士は後方に跳ねて距離を取りながら応戦。利点であるはずの長い腕が近過ぎる相手には邪魔になり剣を振り抜けないのだ。 有利な間合いを潰されてたまるかとグラディモンは刃を繰り出し続ける、否、攻撃し続けなければならない。止まれば一気に不利になる、そんな予感が彼を突き動かしていた。 相対するハニービーモンは流れるような動きで宙を舞い、時に身を翻し、時には纏った鎧で刃を受け流し、一振り一振りを確実に捌いていく。そうして戦場に舞う中で、蜂の戦士は己の毒針を見舞う。 (やべぇ…!こいつ、退くどころか突っ込んで来やがる…!それに、こんなに剣を振ってるのに直撃しねぇ…何者だこいつ!?) (あの針も…かすっただけなのに傷口が妙に熱い…早く決着つけないとヤバそうだ…!) グラディモンがいかに高速で腕を振るっていても、腕が伸び切りそれ以上は動作を変えられないという瞬間がいくつも存在する。 ハニービーモンはそういった隙を見逃さず、剣を回避すると同時に毒針で引っ掻くように小さな傷を作っていく。 その小さな積み重ねが、いずれは大きな事態を引き起こすであろうというのはグラディモンも察していた。だからこそ攻撃を止めるわけにはいかないのだ。 無論、グラディモン負けてはいない、蜜蜂の舞に翻弄されつつも連続して斬撃を繰り出して防御を誘い、着実に刃を当ててアーマーを削って消耗させる。 いくら受け流しが上手かろうと、研ぎ澄まされた刀剣が相手では無傷とはいかない、たとえ自分が攻撃させられているのだとしても、止まる方が危険なのだと本能で感じ眼前の敵を討ち取らんと攻め続ける。 そうした紙一重の攻防が繰り返され、グラディモンの焦燥とは裏腹に対戦は静かに白熱していった。 ――― 安全圏に居る観客達から見た戦いは、長いリーチから剣舞を繰り出すグラディモンが優勢に見えた。 だが、徐々に剣速が落ち、その様子から不調に陥っているのを察したは、他ならぬパートナーの少年だった。。 「どうしたグラディモン!?」 「やられた…!目が霞んでろくに見えねえし、力が入らねぇ…!」 「なっ…毒か!?いつの間に…」 不調を伝えるために足を止めたグラディモンはよろめき、片方の剣を地面に刺して支え、もう一方の剣で敵を牽制する。 ハニービーモンは毒針とは別に毒の鱗粉を放つ技を持つ、彼らはその対策をしていなかったようだ、ともすれば知らなかったのか。 どちらにせよ予習不足が招いたピンチを前に、少年テイマーは動揺を隠せない。 「っ!グラディモン、踏ん張れ!!まだチャンスはある!」 「お、おう!」 無理を押しての戦闘続行、その指示を聞いたハニービーモンの反応は、少年の予想外のものであった。 「何故回復してやらない?この試合はアイテム禁止のルールじゃなかったはずだが…」 「…っ!?そんなの持ってない…この戦いはシミュレーターだ、試合が終わったら治ってるし…」 言い訳じみた少年の返答、それを聞いたハニービーモンは羽ばたきながらがっくりと肩を落とす。 離れていても聞こえる程の溜め息交じりの深呼吸、深い落胆を湛えた瞳を伏せながら戦士は告げる。 「…非常に不本意だが、これもルールの内だ。勉強代と思ってくれ」 「あっ!おい、待て!」 舞い上がり身を翻したハニービーモンは、グラディモンの制止を意に介さず置き去りにし、一気に少年との距離を詰める。 それを追うべく駆け出したグラディモンは、渾身の踏み込みで間合いを詰めて追い付く―――追い付けるはずだった。 視界が急激に回転し、地面が激突してきた。否、グラディモンは踏み込んだ勢いのまま顔面から地面に突っ込んだのだ。 一体何が起きたのか、理解の追い付かないまま顔面に走る痛みに呻きながら地面を掴み、何とかパートナーのもとへ駆け付けようと足掻き続けている。 そうして四苦八苦するグラディモンの様子を背に、飛来したハニービーモンは少年の目と鼻の先で滞空し、毒鱗粉をまき散らす。 動揺し立ち尽くす少年は、無防備に毒鱗粉を吸い込み、哀れにもその体内を蝕まれていく。 子供の体は毒にせよ薬にせよ、少量で大人よりも早く強く効果が出る。それはデジタルワールドでも変わらない。 みるみるうちに顔が青ざめ、ガタガタと小刻みに震える。呼吸も荒く、誰が見ても危険な状態に陥っている。 「は…っくしょん!はくしょん!!い、一体何をした!?」 「なに、大したことじゃないさ。ただ、ちょっと覚えていて欲しくてね。  デジモンの戦いはゲームじゃない、命を賭した生存競争だ、甘く考えるのはすぐにやめることだ」 「そ、そんなの分かって…うぷっ!?き、気持ち悪…うっ!?おええぇぇっ!!!!」 ハニービーモンは戦いの準備を怠った少年へと説教を始めるが、当の少年は地面に伏せて嗚咽と嘔吐を繰り返す。 病に侵された少年が苦しんでいる、血沸き肉躍る闘争を観覧すべく来た観客からすれば、とても見ていられない光景だろう。 「ゲホッゲホッ…!た、助けて…」 「そうだよな、苦しいよな…でも、【敵】に頼むような事じゃないのも分かるだろう?  君が今いるそこは【観客席】じゃない、デジモンと共に戦う【戦場】だ。君はあの相棒を指揮して代わりに戦ってもらっているんだ、そこは忘れちゃいけない」 「そ、そんなの分かって…あ゛ぁ゛っ!?あだまいだい!! 嫌だ、死にたくない…!お母さ…助…け…」 戦士は淡々と諭すが当の少年はそれどころではなく、そこには居ない母に症状を訴えて助けを求め、病に耐え兼ねた少年は地に転がり込んでしまう。 力を振り絞って吐瀉物を避けて倒れこんだ少年の目は虚ろで、身を引き摺りながら近寄った寄ったグラディモンの呼びかけに応答する余力も無いようだった。 「その恐怖を努々忘れるな。…それと、家族を大事にな」 意識が朦朧としているであろう少年の耳に届くように告げられたそれは、グラディモンの耳にも届いたようで、何かを察した彼は安堵の表情で脱力した。。 それから間もなくして戦闘続行不能の判断がなされ、ハニービーモンの――リングネーム【RD-10】の勝利がアナウンスされた。 ――― 試合終了からしばらくして、少年達はアリーナ内の廊下を闊歩していた。 「はぁ、酷い目に遭った…」 「シミュレータから出たらすぐ治って良かったじゃん」 「だな、医務室の人も大丈夫って言ってたし、切り替えていこうぜ!クヨクヨしてても仕方ない!」 決着の直後には顔面蒼白で、アリーナの職員たちに医務室に担ぎ込まれていたのだが、今では嘘のようにケロッとしている。 それもそのはず、先ほどの戦いはアリーナのシミュレータを用いた、言わば『仮想戦闘』であり、実際の戦いとは異なるのだ。 職員たちは、毒を受けての急激な衰弱を体験したことによる精神的なショックを主に心配したようだが、この様子を見るに問題無しと判断したらしい。 意気揚々と通路を進む彼らの前に、1人の青年が立ちはだかる。目元を隠す仮面で詳しくは分からないが、大人の男性だという事は分かる。 「よぉ少年、さっきは惜しかったなぁ。だが、元気そうで何よりだ」 「おじさん誰?あんたがさっきのデジモンのテイマー?」 「いいや、あいつにテイマーはいないよ。まぁ、友達っつーか知り合いか?それと、おじさんじゃない、お兄さんだ」 見知らぬ人間へ警戒態勢をとる少年に「俺は怪しい者じゃない」と手を上げる彼は、オアシス団に所属しコードネームをDJ-38号という。 「見るからに怪しいじゃないか」と少年は睨み付けるが「俺から見れば、デジモン連れてるガキもだいぶ怪しいぞ?」と返され、反論が思いつかず押し黙ってしまう。 「負けたばっかりで元気なもんだ…これなら心配要らなかったな」 「余計なお世話だ!まぁいいや…おじさん、何の用?」 「さっきは大変そうだったからな、親切なお兄さんからのサービスだ」 不服そうな少年のささやかな抵抗を意に介さずに仮面の男は端末を操作し、すぐに少年のデジヴァイスから通知音が響く。 その画面を覗き込んだ少年は一瞬硬直し、目を丸くしながら顔を上げる。 「これって…こんなにたくさん貰って良いの?」 少年の端末には、解毒剤を始めとした多数の治療アイテムが届いていた。 だが、それが何を意味するのか、贈られた少年は分からなかった。 人によっては、敗者への哀れみだと怒る者、あるいは無償の優しさだと喜ぶ者もいるだろう。 しかし、この場で考えるべきはそれだけではない、本当の贈り主は誰か?その真意は何か?聞くべき事はいくらでも有る。 だが、それにどう反応すればいいのか分がからない、未熟な戦士の経験の乏しさが、わずかな沈黙となって現れた。 そんな少年の不安を知ってか知らずか、仮面の男は答える。 「親切は素直に受け取っておくもんだぞ。戦いの備えも不十分だったようだし、あんまり小遣い持ってないんだろう?  今度はそれを使いこなして、あいつにリベンジしてみなよ。そしたら、あいつもきっと喜ぶぜ?」 「そういうもんかな…」 「そういうもんさ、こんな場所に来る奴だ、強い奴が増えたら嬉しいに決まってる。  せっかくだから、俺からもアドバイスだ。何の為に強くなるのか、強くなって何をしたいのか、それをしっかり考えろ、そして忘れるな。」 「あ、ありがとう!よぉーし、絶対にリベンジしてやる!待ってろよ、RD-10!!」 青年の意図が伝わったのか否か、はたから見ているだけでは判断できないが、少年は意気揚々と駆け出し雑踏へと消えていく。 仮面の男はその様子を満足そうに見送っていた。 ――― 「…行ったぞ」 「ふい〜、助かった…気に病んでる感じじゃなさそうだったな…」 仮面の男が声を掛けると、物陰からアロハシャツと帽子を身に着けたブイモンが辺りを伺いながら姿を現す。 件の少年が先程まで戦っていたハニービーモン、その正体がこのブイモンであり、名を河戸リンドウという。 子供相手に大人げない戦いをしてしまい、合わせる顔が無いと思い悩んでいたところに声をかけた者こそ仮面の男【DJ-38号】――樫戸正規であった。 アリーナで行われる試合を観戦していた彼は、普段ランク戦等に挑戦しないリンドウが参加していた事にどういう風の吹き回しかと声をかけた所、リンドウに代わって少年と話すことにしたのだ。 当の少年はリンドウの心配をよそに、前向きな様子であったため両者とも少々面食らっていた。 「まぁ、こんな所に通うような奴だし、ちょっと怖い目に遭うくらいじゃ折れないだろ…まぁ、良い経験にはなったんじゃないか?  それにしても珍しいな、リンドウさんが試合に出るなんて。やっぱアレか?忍者小僧の影響か?」 「そう…だな、胸を張ってアタルと一緒に暮らせるように、もっと強くならないとな」 照れ隠しだろうか、リンドウは帽子を目深に被りながら頷いた。 今回の記録では仔細は省くが、リンドウは未来から来た忍者だという少年に懐かれ、家族になりたいという彼の申し入れを受けて養子縁組をすることになっている。 そうは言ってもここはデジタルワールドだ、ましてや時空を超えた人物に対応する手続きなど不可能と言っても差し支えないだろう。 それでも、1人の男の決意を新たにし、普段は寄り付かない施設での試合に臨ませるには充分過ぎる事態だったようだ。 向上心に満ちた一言に気圧された仮面の男は驚きと呆れの感情を漏らす。 「あれ以上かぁ?もう充分だろ」 「いやいや、あれでもだいぶ手加減してるぞ?インフルエンザの症状再現してるだけだし。」 「マジかよ…っていうか、まだ上があるのかよ…」 「まだ気合で動けるレベルだからな。まぁ…二日酔いの不快感もプラスしたら、大体の人間は身動きとれなくなるだろうな」 「死ぬほど苦しいけど死にはしないよ、情報聞き出したりしないといけないからな。まぁ…それで人間は殺した事無いよ」 「人間は…か、本当に手加減してるんだな…」 戦いの経験値の積み重ねにより、リンドウはハニービーモンの毒を操る能力の熟練度が非常に高く、相手に合わせて様々な状態異常を操れるのだと語る。 リンドウはいい機会だからと詳しく説明し始めたのだが、聞いてるだけで具合が悪くなった様な錯覚に陥ったDJ-38号はげっそりした様子でそれを遮った。 せっかく興が乗ってきたのにと不服そうにするブイモンは、一呼吸置くと天を仰ぎ見ながら口を開く。 「アタルが俺と一緒に暮らしたいって言ってくれた時、とても嬉しかったと同時に、ちょっとガッカリしたんだ。  この世界は、俺の時間は、いつかアタルが生まれる日に繋がる、それが分かって嬉しいと同時に、俺たちがどれだけ頑張っても戦う力が必要な世界なのままなんだなって」 「なるほどなぁ…まぁしょうがねぇよ、どれだけ強いデジモンをパートナーにしてても、俺たちはただの人間だし一般人だ。世界への影響なんて微々たるもんさ」 「だから、俺ももう少し強くならないとな…」 「…ま、あんまり気負い過ぎんなよ。お互い程々に頑張ろうぜ」 どれだけ才能があろうと、人もデジモンも個々に出来ることには限度というものがある、だからと言ってやらなくて良い理由にはならないのだ。 その大きな壁にぶつかり、打ちひしがれてしまわないようにと正規青年は言葉を選ぶ、当たり障りの無い言葉であっても効果は確かにあったようだった。 子供1人の人生と未来を預かるという大きな重圧、仮面の男の言葉は知ってか知らずかその重圧を逸らしていた。 目に見えない大きな力に圧し潰されないようにと気を張っていた小竜は、ふっと笑みを浮かべて肩の力を抜いて言葉を続ける。 「正直なところ、とても不安だよ。考えないようにしてるけど、俺の命があとどれくらいなのか…まるで想像できない  一年後か十年後か、それとも明日か…すっげぇ怖いよ…でも、後悔はしたくないから頑張ってる。じゃなきゃここまで体張った甲斐が無いだろ?  旨いもん食って、思いっ切り遊んで、くだらない事で笑って…そうやって一日一日を続けていけたら…俺の勝ちだ」 恐怖を握り潰し、不安を噛み砕き、未来を見据える小竜の仕草は、仮面の奥の瞳に如何様に映っただろうか。 「アタルが…それ以外の子たちも…子供が笑えない世界なんて絶対つまんねえもん。人間もデジモンもそれは変わらないんだと思う。  だから、やれるだけやってみるよ、俺に出来る範囲で…まぁ、理想の話だけどな」 「良いじゃねぇか、理想論。理想の一つや二つも無きゃ何も始まらねぇだろうよ」 「確かに」と、納得したように頷いた後、らしくない話をさせてしまったと詫びながらブイモンは伸びをし、背中と尻尾をピンと伸ばす。 それから埋め合わせの約束をし、解散の雰囲気が漂い始めてお互いに自然と次の行き先を視線で探し始める 「さて、そろそろホテル戻るか…あいつも起きるだろうし」 「何だ、奥さん置いてきたのか?良いのかよ…」 「昼寝中。いつも色んな家事してもらってるから、ホテルに居る時くらいはゆっくり昼寝してもらおうかなって」 「そういうもんかね…」 「起きた時に近くにいないと機嫌が悪くなったりするからちょっと急ぐけどさ」 「そういうのは、あのガキンチョに聞かせてやりなよ…」 そうして他愛もない雑談をした後、その場はお開きとなった。   ――― 余談だが、このアリーナにおいて試合結果を予想する賭博が行われている。 本日、新進気鋭の少年の連勝記録が途絶えた事により、その賭博グループ内で筆舌に尽くし難い騒動が起きたようである。 しかし、その者達は私の管轄ではないため、これ以上の言及は控えておこう。興味があるなら該当スプシモンの記録を探してみてはいかがだろうか。 以上をもって今回の報告は終了とする。