ポストの底に、それはあった。 いつ投函されたのかも覚えていない。郵便受けを開けたとき、広告の束に挟まれるようにして、その封筒は収まっていた。 白無地の封筒。宛名のインクはかすかに滲んでいる。指先で引き抜くと、紙全体が少し湿気を吸ったような奇妙な手触りだった。 波打つ表面を眺めながら、ふと鼻腔をくすぐる匂いに脳の奥が痺れる。泥と、青草と、夏のプールの匂い。かつて夏休みの終わり、夕立上がりの田舎町で嗅ぎ慣れた、あの特有の匂いだった。 「……っ」 封を切るまでもなかった。中から引き出した便箋の、少し癖のある跳ねるような文字を見た瞬間、都会の喧騒ですり減っていた神経のトゲが、急速に丸まっていくのを感じた。 差出人は、大島虎彦。あの頃、毎日のように用水路の縁を走り回り、秘密基地の設計図を一緒に描いた幼馴染だった。 『たまには帰ってこいよ。あの場所で、ずっと待ってるから』 それだけの短い文章だった。いつ書かれたものかも分からない。それどころか、この手紙を自分が本当にポストから回収したのかどうかすら、記憶の輪郭はひどくぼやけている。ただ「帰らなければならない」という強い確信だけが、胸の奥に残った。 ――― ガタン、と重い単線電車の揺れが響く。 冷房の効いた車内から、抜けるような青空と、どこまでも広がる鮮やかな緑の山々を眺めながら、幾度目かの乗り換えを繰り返した。最後に乗ったローカルバスは、乗客の姿もまばらなまま、舗装された山道をエンジンを唸らせて進む。 途中で通った、山を真っ二つに貫くトンネルを抜けると、窓の外の世界は一気にまぶしい光に満たされた。 バスがスピードを緩め、緑に囲まれた『水郷村役場前』のバス停で停まる。 プシュー、と抜けるような空気の音とともに扉が開いた。車内に流れ込んできたのは、アスファルトの熱と、草木の爽やかな匂いを孕んだ初夏の風だった。コンクリートの地面に足を下ろした瞬間、じっとりとした暑さの中にも、どこか懐かしい空気を感じる。 「おーい、こっちこっち!」 バス停の脇にある小さな待合所から、ひとりの男が大きく手を振って飛び出してきた。 虎彦だ。黄金色に光る毛皮に鮮やかなタンクトップ、足元は泥のついたスニーカー。 あの日の面影をそのまま引き延ばしたような、快活な笑みがまぶしい日差しの中に浮かんでいる。 「虎彦! 久しぶり!」 驚きよりも先に、懐かしさが胸を満たした。 「……よく俺がこのバスに乗るって分かったな。時間までは伝えてなかったはずだけど」 笑いかけながらそう言うと、虎彦はへへっと豪快に笑って肩をすくめた。 「なに言ってんだよ! この村に来るバスなんて一日数本しかねぇんだから、この時間の一本に決まってんだろ! お前が来る気になってくれたら、俺が迎えに来るって決めてたんだよ!」 もっともな返答だ。そう言われてみれば確かにそうだ。だが、バスの時刻表すら調べずに出てきた自分の行動を、なぜ虎彦がこれほどピンポイントで把握していたのかという微かなひっかかりは、周囲のあまりの好天に押し流されるように、すぐに消えていった。 虎彦に案内され、舗装されたあぜ道の間を歩く。 道の両脇には、黄金色に色づき始めた稲穂がどこまでも広がり、風が吹くたびサラサラと心地よい音を立てて波打っている。頭上では、耳が痛くなるほどやかましいほどの蝉の声が降り注いでいた。 「変わらないな、ここは」 周囲を見回しながら呟くと、虎彦は振り返って真っ白な歯を見せて笑った。 「当たり前だろ! 東京のビル風に揉まれて疲れた頭を休ませるには、最高の田舎だぜ!」 虎彦の弾むような足取りについていくと、視界の開けた一角に、その建物が現れた。 虎彦の実家が経営する温泉旅館『おおしま』だ。 木造三階建ての立派な旅館は、記憶の中にある姿のまま、青空の下に堂々と建っていた。軒先には古びた「営業中」の木札が風に揺れている。周囲には観光客の車や他の宿泊客の気配はないものの、窓ガラスは磨かれ、木の玄関からはほんのりと香ばしいお茶の匂いすら漂ってくる。 「さ、中に入れ! 部屋はちゃんとお前が昔に使ってた離れを用意してあるからさ」 虎彦に促されるまま、ガラガラと軽快に音を立てる引き戸をくぐる。 玄関の土間では、柱に掛けられた古いタイプの置時計が、カチカチと軽快に正確な時を刻んでいた。ひんやりとした板の間が、歩き疲れた足の裏に心地いい。 部屋に通され、重いボストンバッグを畳の上にドサリと下ろした。 ひと息つこうと、ふとポケットからスマートフォンを取り出す。家に無事を知らせようと画面を覗き込んだ。 しかし、画面の左上には、見事なまでに「圏外」の文字がぽつんと表示されていた。 電波のマークは空のままで、何度か機内モードを入り切りしても変化はない。 窓の外を見やれば、どこまでも抜けるような青空の下、緑は色濃く影を落として、やかましい蝉時雨のなかで一斉に揺れていた。 ――― 荷物を置いた俺達は、虎彦にせがまれるようにして、かつての母校へと足を向けた。 木々に囲まれた細径を抜けると、草木がぼうぼうと生い茂る木造の校舎が見えてくる。数年前に統廃合で廃校になったはずのその場所には、すでに錆びたブランコが揺れ、校庭の隅には見覚えのある二人の影が立っていた。 「おっ、来た来た!」 手を振るのは、翠屋辰樹と三日月柔一だった。かつての面影を残したまま大人になった二人は、俺を見つけると満面の笑みで駆け寄ってきた。 「お前、東京ですっかりスマートになっちまってさあ!」 「変わってねえよ、中身はあの頃のままだろ!」 久しぶりの再会を喜び合い、肩を叩き合う。 「去年はひ……」 「……去年?」 「あぁ違うわ、ごめんこっちの話だ」 俺と三人はかつての母校、今はもう廃校になった校舎に忍び込んだ。錆びた昇降口の扉を押し開けると、埃っぽい空気と共に懐かしい木の匂いが鼻をつく。 「変わってねえなあ、ここ」 虎彦の声が静まり返った廊下に響く。俺たちは足音を忍ばせながら、かつての教室へと向かった。がたついた扉を開けると、午後の日差しに照らされた黒板がぼんやりと浮かび上がった。 そこに書かれていたのは、白いチョークで大きく「卒業おめでとう」の文字。だがその周囲には、まるで測量図のように緻密な村の俯瞰図が隙間なく描き込まれていた。学校はもとより、神社、旅館、川、道の一本一本、山の上の洋館まで。ランドマークが正確に記された地図は、とても懐かしさで書かれたものとは思えない不気味さを放っている。 「……なんで、地図?」 俺の声はわずかに震えていた。しかし虎彦はちらりと黒板を一瞥しただけで、まるで見慣れたものを確認するような、あまりにも自然な反応を返した。 「さあな。それより、あそこの席お前の席だったよな」 そう言って窓際の机を指差す虎彦の横顔には、動揺の欠片もない。まるでこの地図がそこにあることが当然のように。 俺の中で膨らんだ違和感は、しかし虎彦の懐かしそうな声にかき消されていく。 「あん時お前、居眠りしてよく怒られてたよな」 「うるさいな、覚えてないし」 軽口を叩き合いながら、俺たちは自然と昔話に花を咲かせていった。だが視界の端にちらつくあの地図の存在だけは、どうしても頭から離れなかった。 「しかし、今回はこの三人だけか……いや、何でもない」 「柔一さんは寂しがりだからなー! みんな揃えたかったよな」 「なっ! そういうことじゃない」 会話の端々に残る妙な噛み合わなさ。それでも、積もる話もあるだろうと、四人はかつての子供時代のように裏山へ歩き出した。 そこからの一日、時間はまるで巻き戻されたかのように過ぎていった。 鬱蒼とした木々が覆う裏山の小道を抜け、苔むした石段を登った先にある神社へお参りをする。神社の脇にある古びたお堂で秘密基地ごっこをしたあと、一気に駆け下りたのは裏手の川だった。 「おい、まだあの飛び込みができるか試そうぜ!」 虎彦の掛け声に、大人としての理性はあっさり吹き飛んだ。革靴のままでも、シャツが汚れても構わなかった。泥だらけになり、水飛沫を上げて川底を駆け回り、俺達は夢中になって遊んだ。心の底から笑い、肺いっぱいに吸い込む田舎の空気は、都会ですり減った心をこれ以上ないほど満たしてくれた。 夕暮れ時、泥だらけの姿で水郷荘に戻ると、虎彦の両親は怒るどころか、満面の笑みで出迎えてくれた。 「まあまあ、よくぞ無事に帰ってきたねえ」 女将である虎彦の母親は、泥のついた俺の服を見て目を細め、まるで実の息子を迎え入れるかのように温かく風呂へと案内してくれた。 さっぱりと汗と泥を洗い流したあと、応接間に通されると、そこには驚くほど豪華な夕食が並んでいた。川魚の塩焼き、山菜の天ぷら、地元の新鮮な野菜を使った郷土料理の数々。どれも素朴でありながら、舌がとろけるほど美味しかった。 「うっま……」と俺が呟くと、虎彦たちは「だろ? 東京じゃこんなの食えねえよ」と誇らしげに笑う。 スマートフォンを見れば相変わらずの「圏外」だったが、今の俺にとってそんなことはどうでもよかった。懐かしい仲間と美味しい食事、そして満ち足りた疲労感。こうして、和やかで温かい初日の夜が更けていった。 ――― 次の日も、水郷村では楽しい帰省生活が続く。 軽トラの荷台に揺られながら、俺は生欠伸を噛み殺していた。隣で竿を担いだ兄貴分の竜人が、俺の頭を大きな手でくしゃっと撫でる。 「着いたぞ、ぼーっとすんな」 案内されたのは、子供の頃から知っている溜め池だった。夏の日差しが水面に反射して眩しい。辰兄はてきぱきと荷物を下ろしながら、俺にワームの仕掛けを渡してくれた。 「お前はまずこっちで練習しろ。俺はルアーでいく」 俺はまだ初心者だから、柔らかいワームでのんびり探り釣り。辰兄は慣れた手つきでルアーを遠くへキャストし、リズムよくリールを巻いていく。その姿はやっぱり様になっていて、少し悔しいけど格好いい。 しばらくすると、俺の竿先がぐっと沈んだ。 「辰兄、来た!」 「よし、慌てるなよ。次に引いたら竿をグッと立てて巻き始めるんだ」 声をかけられながら糸を巻き上げると、黒々としたブラックバスが姿を見せた。辰兄も負けじと大物を仕掛け、こちらはぬめりのあるナマズだった。二匹並べて眺めていると、達成感で汗も忘れそうになる。 「よし、締めてやるから待ってろ」 辰兄は慣れた手つきで手早く魚を締めてくれる。無駄のない動きに、さすが辰兄だなと思わず見惚れてしまった。 炎天下での釣りはさすがに堪えて、俺も辰兄もすっかり汗だくだった。帰り道、近くの小川に立ち寄ることになった。木陰から流れ込む湧き水に足を浸すと、体の芯まで冷えていくようで思わず声が漏れる。 「冷たい……生き返る」 「だろ? ここのは山からの湧き水だからな」 夏の強い日差しが照りつける中、蝉の鳴き声が木々を揺らす山奥の小川。木漏れ日が水面にきらめき、冷たい水が心地よく足元を冷やしていく。 「ふう......汗でビチョビチョだ。よし……と」 辰兄は俺が気恥ずかしさを覚える間もなく、躊躇なくすべての服を脱ぎ捨てた。鍛え上げられた緑色の肉体に、人間とは異なる野性的な美しさが宿っている。 「何してんだ、早く入らないと倒れちまうぞ〜?」 冗談めかして言う龍人は、水しぶきを跳ね上げながら、川の中腹まで突進した。俺も急いで服を脱ぎ、並んで冷たい水に身体を浸した。火照った肌に清流が染みわたり、息が弾む。 しかし、横に立つ辰兄の身体に目を奪われた瞬間、俺の動きがピタリと止まった。 人間のそれとは違う。龍人の股間には、飛び出した肉塊ではなく、滑らかな腹部の延長線上に縦のワレメが閉じて存在していた。爬虫類としての特徴を残す、彼の隠された器官だ。 「……そんなにじっと見て、珍しいか?」 からかうような低い声にハッと顔を上げると、辰兄は楽しそうに目を細めていた。水から上がり、濡れた巨体を岩に預けながら、手招きするように俺を呼ぶ。 「おい、そんなに気になるなら……もっと近くで見てみるか?」 促されるまま、俺は吸い寄せられるように辰兄の足の間に歩み寄った。 辰兄が自分の手で、その縦の裂け目に指をかける。きゅっと引き締まっていたスリットが、彼の意志で左右に割かれるように開いていった。 「っ……!」 息を呑んだ。 白く細かい鱗のフチに挟まれたその内部は、外気から守られていたせいか、まるで秘められた洞窟のようだった。熱を帯びた粘膜の肉壁がテラテラと濡れそぼち、ぐにゃりと艶かしく蠢いている。 むせ返るような龍人の熱気と、濃厚なフェロモンが鼻腔を突いた。 人間のものとは完全に違う、異形の、けれど息をのむほど色気のある光景だった。 「どうだ? 俺の奥、見てるだけで硬くなってんじゃねぇか」 辰兄の鋭い瞳が、俺の股間でカチカチに尖ったイチモツを捉える。見られている羞恥と、見たこともない淫靡な構造への興奮が混ざり合い、俺の理性はすでに限界を迎えていた。 「……触っても、いい?」 「あぁ、好きにしろよ」 低く囁く許可をもらった瞬間、俺はもう我慢できなくなっていた。 震える手で開かれたスリットに自分の熱い肉棒をあてがい、濡れそぼつ肉壁へと一気に腰を突き入れた。 「っあ……!」 ぐにゅ、と温かい肉のひだが巻きつき、締め付けてくる。人間のそれとは違う、吸い上げるような深い密着感が全身を駆け抜け、辰兄もまた喉を鳴らして身体を震わせた。 清流の冷たさなど完全に忘れ去るほどの熱の中、俺たちは山奥の小川で激しく腰を打ち付け合った。 ――― 家に戻ると、辰兄は釣った魚をさっそく調理してくれた。ブラックバスはさっぱりとした塩焼きに、ナマズは香ばしく揚げてくれて、どちらも驚くほど美味しかった。炎天下を歩き回った疲れも、この味で全部報われた気がした。 「来年もまた連れてってやるよ」 辰兄の言葉に、俺は満足げに頷いた。汗と湧き水と、焼けた魚の匂い。今年の夏は、間違いなく良い思い出になった。 夕方になると、辰兄が「そろそろ行くぞ」と声をかけてきた。今日は近くの神社で夏祭りがあるらしい。俺も慣れない浴衣に袖を通し、帯を締めてもらいながら鏡の前でそわそわしていた。 「似合ってるじゃねえか」 辰兄にそう言われると、なんだか照れくさくて何も言えない。 神社に着くと、それほど大きな規模ではないけれど、提灯の灯りが並ぶ境内はどこか特別な空気に満ちていた。屋台の匂い、太鼓の音、人々の笑い声。俺たちはまず射的の屋台に並んだ。 「よし、俺が手本見せてやる」 辰兄は自信満々にコルク銃を構えたものの、狙った景品には全く当たらず、俺の方が意外にも上手く当てて、小さな人形を手に入れた。 「辰兄、下手すぎ」 「うるせえ、次は本気出す」 そんな軽口を叩き合いながら境内をそぞろ歩き、たこ焼きを分け合って食べた。 夜が更けると、花火が始まった。夜空に大きな花が咲くたびに、境内からわあっと歓声が上がる。辰兄の横顔が花火の光に照らされて、俺は少しの間それに見とれてしまった。 慣れない下駄でたくさん歩き回ったせいか、帰る頃には足がすっかりくたくたになっていた。 「ほら、乗れ」 辰兄はそう言って、当然のように背中を差し出してくれた。もう子供じゃないんだから、と思いながらも、疲れには勝てずおぶさってしまう。 背中は思ったよりずっと広くて温かくて、足音が心地よく響いていた。夜風が浴衣の袖を揺らし、遠くでまだ祭囃子が聞こえている。 「重かったら降りるから」 「いいから寝てろ、着いたら起こしてやる」 そう言われて安心したのか、大人のくせにうっかり眠りに落ちてしまった。目が覚めた時にはもう旅館の布団の中で、優しい夏の夜の記憶だけが胸に残っていた。 ――― 次の日も。 道場の近くまで来ると、中から気合の入った声が響いていた。熊獣人の柔一さんは、夏休みの間も休まず稽古に励んでいるらしい。俺は冷えた麦茶のボトルを手に、そっと道場の戸を開けた。 「差し入れ、持ってきたよ」 「おう、ちょうど休憩しようと思ってたとこだ」 汗だくの柔一さんは、麦茶を一気に飲み干すと、俺の方をにやりと見た。 「せっかくなら一緒にやってみるか?」 「え、俺柔道なんてやったことないぞ」 「大丈夫、基礎からゆっくり教えてやる」 そう言われて断り切れず、俺も稽古着を借りて畳に上がることになった。まずは受け身から。背中を丸めて畳を叩く感覚は最初こそ怖かったけれど、柔一さんが横について丁寧に教えてくれるおかげで少しずつコツを掴んでいった。 あとは打ち込みの練習で、柔一さんの体を借りて前に崩す動きを繰り返す。大きな体はびくともしなかったけれど、何度も付き合ってくれた。 空気の淀んだ道場の中、慣れない稽古で汗が止まらない。それでも久しぶりに体を動かすのは気持ちよくて、終わる頃には清々しい疲労感でいっぱいだった。 「よし、汗流すぞ」 道場の裏手には簡素なシャワー場があって、二人でそこに向かった。ホースから水を出すと、柔一さんがいたずらっぽく俺に水をかけてくる。 「うわ、冷たい!」 「文句言うな、お前もやり返していいぞ」 裸のまま水を掛け合って笑い転げるのは、まるで子供の頃に戻ったみたいだった。あの頃も夏になると、こうして二人でよく水遊びをしていたのを思い出す。大きくなっても変わらないその関係が、なんだか無性に嬉しかった。 ふと、隣に立つ柔一さんが無言になる。 巨体から水滴が滴り落ちていた。 ​「……お前、さっきから俺の股間を見てたよな」 ​突然の低い声に、ビクリと肩が跳ねる。 横を見ると、柔一さんが、思い詰めたような、それでいて獣のように鋭い眼差しでこちらを見下ろしていた。 ​「いや、柔道着の下、何も履かないのかなって……はは……」 ​動揺して目を泳がせる俺の腕を、柔一さんの分厚い手がガシリと掴んだ。逃げ場を塞ぐように、その巨体がジリジリと距離を詰めてくる。 ​「とぼけるな」 ​隠す様子もなく、柔一さんは自分の股間を指さした。そこには、練習中から昂ぶっていたのか、あるいは俺の視線に当てられたのか、太く反り返った凶悪な肉棒が脈打っていた。 水に濡れた巨根は獣のような迫力を放ち、先端からぬるついた汁をぽたぽたと垂らしている。 ​「見たかったんだろ、俺のここに釘付けになってた癖に……なぁ?」 ごつごつとした指が、俺の顎を強引に掴み、上を向かせる。逃げる隙など与えられない圧倒的なプレッシャーと、ムンと鼻をつく獣の雄の香りに、頭の中が真っ白に染まった。 ​「……っ、柔一さんの……馬鹿……」 ​かすれた声で呟くと、俺はたまらずその場に膝をついた。タイルの床に崩れるように屈み込み、目の前にそそり立つ、信じられないほど太く熱い肉棒を見上げる。 ​「いい子だ……ほら、たっぷり味わえよ」 ​低く唸るような柔一さんの声に促されるまま、俺は震える両手でその重い根元を包み込み、熱を帯びた亀頭へと顔を寄せた。 むせ返るような獣の匂いと甘い我慢汁の味が口いっぱいに広がり、シャワーの音にかき消されるように、淫らな水音が空間に響き渡る。 日が傾く道場の裏で、濡れた体に夕風が心地よく吹き抜けていった。 ――― 夕方、柔一さんとまた神社の夏祭りに繰り出した。今日は辰兄とは別行動。朝から一緒に汗を流した相手とのお祭りだ。 昼の一件から、柔一さんとは少し距離が縮まった気がする。ジャージの裾を引いて、気になる屋台を指さした。 「型抜き、やってみようよ」 今となっては珍しい屋台の前に座り込み、ガラの悪いおじさんから粉っぽい板を受け取る。隣を見ると意外な光景が広がっていた。おじさんに負けるとも劣らない強面が、細い針を片手に真剣な顔でチマチマと型を彫っている。大きな指先で繊細な作業をする姿は、なんともユーモラスでつい笑ってしまいそうになった。 「……何笑ってんだ」 「いや、別に。似合ってるなって」 「うるせえ、集中させろ」 そう言いながらも、意外と器用に型を彫り進めていく柔一さん。俺の方はあっさり失敗して、粉々になった型を見て二人で笑い合った。 その後、屋台を回っていると柔一さんがりんご飴に目を輝かせた。強面には似合わない反応に驚いていると、一本そのままバリバリと豪快に齧りついている。 「甘いもの好きだったんだね」 「うるさい、いいだろ別に」 照れ隠しなのか、耳まで赤くしながらもりんご飴を頬張る顔は、少し幸せそうに目を細めていて、なんだか可愛らしかった。 朝から柔道の稽古、そして祭りと歩き回った俺たちは、少し人けのない神社の裏手に腰を下ろした。遠くから祭囃子と人々の賑わいが聞こえてくるものの、ここだけは静かで涼しい風が抜けていく。 「疲れたか?」 「ちょっとね。でも楽しかった」 木々の隙間から漏れる灯りが、幼馴染の横顔をぼんやり照らしている。りんご飴の棒をくるくる回しながら、満足そうに笑うその表情を見ていると、俺も自然と笑みがこぼれた。 しばらく言葉もなく、ただ二人で祭りの音を聞きながら過ごす時間は、なんだか特別なものに感じられた。 ――― 次の日も 虎彦から「今日は大浴場の掃除、手伝ってくれ」と頼まれたのは朝のことだった。 旅館の広い浴場は掃除のしがいがあって、二人でデッキブラシ片手に、タイルをピカピカに磨き上げていく。 「よし、完璧だな!」 磨き終えた浴槽を見て満足げに頷く虎彦。すると悪戯っぽい笑みを浮かべてこちらを見た。 「せっかくだし、一番風呂もらっちゃうか」 役得とばかりに二人でお湯を張り、誰もいない大浴場を独り占めする贅沢な時間を味わった。磨き立てのタイルはつるつるで、湯気の向こうに広がる庭園の緑がやけに眩しく見えた。 風呂上がり、虎彦から「体動かしたくなったから、プール行くか」と誘われた。旅館近くの市民プールに移動すると、幼馴染は迷わず飛び込んで猛烈な勢いで泳ぎ始めた。 その姿はもはや虎獣人というより、悠々と海を渡るクジラのようで、俺は思わず見惚れてしまう。俺はと言えば、端の方でチャプチャプと水面に揺られているだけなのだけれど、それだけで十分楽しかった。 少し悪戯心が湧いて、泳いでくる幼馴染めがけてビーチボールを投げつけてみる。 「おら、当たれ!」 「……お前、やりやがったな?」 水場では勝ち目がないと踏んだ俺は、賢くプールサイドに避難する。しかし、次の瞬間には目の色を変えた虎彦に捕まってしまう。天地が逆さまになり、プールサイドから見事なブレーンバスターで水中に叩き込まれていた。水しぶきと共に沈みながら、俺は笑いが止まらなかった。 「危ねえだろ!」 「まだまだ甘いな」 さすがに何度もやり合ってへとへとになった俺たちは、プールサイドのベンチに座り込んだ。火照った体に夏風が心地よく吹き抜け、買ってきたアイスを頬張る。冷たさが染み渡るたびに、疲れも吹き飛んでいくようだった。 ――― 夕方、虎彦ともう一度神社の夏祭りへ繰り出した。境内に入るなり、虎彦の目がぎらりと屋台の列に釘付けになる。 「よし、片っ端から行くぞ」 宣言通り、焼きそばを買ったと思えばすぐお好み焼きの列に並び、牛串を頬張りながらわたあめまで手に取っている。その健啖ぶりに俺は呆気にとられながらも、少しずつシェアしてもらうだけでお腹がぱんぱんになってしまった。 「お前、よくそんなに入るな……」 「動く分カロリー使うから平気平気」 そう言って笑う虎彦の口の周りにはソースがついていて、俺は思わず噴き出してしまった。 腹ごなしにと境内の中央に向かうと、ちょうど盆踊りの輪ができていた。太鼓のリズムに合わせて浴衣姿の人々が回っている。 「せっかくだし入ってみるか」 誘われるまま輪に加わったものの、俺は完全に見様見真似。周りの動きを盗み見ながらぎこちなく手足を動かす。 一方の虎彦はというと、驚くほど様になった踊りを見せていた。手の動きも足運びも滑らかで、まるで最初から踊れることが当たり前みたいに軽やかに舞っている。 「え、虎彦踊れるの!?」 「昔ちょっと習ってたんだよ」 ドヤ顔虎彦。そんな特技があるなんて知らなかった俺は、驚くと同時になんだかおかしくなって笑ってしまった。不慣れな俺の隣で堂々と踊る幼馴染は、いつもの豪快さとは違う一面を見せていて新鮮だった。 太鼓の音と提灯の灯りに包まれながら、ぎこちない俺の踊りと余裕たっぷりの虎彦の踊りが並ぶ様子は、傍から見ればさぞ対照的だっただろう。それでも笑い合いながら踊る時間は、夏祭りの終わりを飾るのにふさわしい、賑やかで温かい思い出になった。 祭りの喧騒が遠ざかる境内裏。提灯の赤い光も届かない深い闇の中、俺たちは古びた石垣の影に身を潜めていた。 ​「……っ、誰も来てないよな?」 ​浴衣の裾を乱したまま息を潜めると、すぐ近くで重く熱い呼吸が返ってくる。 夏夜のむせ返るような湿気と、屋台から流れてくる甘い綿飴や焦げたソースの匂い。そして、目の前に立つ虎彦の体から立ち上る、獣人特有の強い臭気が混ざり合い、肌にまとわりついていた。 ​「安心しろ、誰も来ねぇよ……。だが、万が一誰か通りかかったら、すぐにバレちまうな」 ​虎彦の低い声が耳元で響く。その声に含まれた不敵な響きと、「見つかるかもしれない」という強烈なスリルが、恐怖心と背中合わせのゾクゾクするような興奮を腹の底から引きずり出した。 ​遠く盆踊りの太鼓の音がドンドンと腹に響く。祭りの賑わいと、この闇の静けさのギャップが異常だ。いつ境内を通りかかるか分からない参拝客の足音に怯えながらも、俺の下半身は恐怖とは裏腹に、熱く脈打って硬くなっていた。 ​「虎彦……っ、はやく……」 ​縋るように声を漏らすと、虎彦の大きな掌が浴衣の上から容赦なく俺の腰を掴み、自分の体に引き寄せた。隠しきれない硬さと熱さが、布一枚を挟んで重なり合う。 ​「そんなに焦るなよ。……声を出したら、祭りにいる奴らに聞こえちまうぞ」 ​不敵に笑う虎彦に押し倒されるように、俺の背中は冷たい石垣に押し付けられた。 逃げ場のない闇の中、虎彦の巨体が覆い被さってくる。帯が引き解かれ、はだけた浴衣の隙間から、むき出しになった熱い肌に夜の湿った空気が触れた。しかし、すぐに虎彦の熱い胸板とぶ厚い手がその冷たさを塗りつぶしていく。 ​「んっ……あ……っ」 ​ザラリとした舌が耳たぶを這い上がり、首筋に深く吸い付く。祭りの喧騒の隙間を縫うように、肌と肌が擦れ合ういやらしい水音が静かな境内裏に響いた。誰かに聞かれるかもしれないという恐怖が、快楽を何倍にも増幅させていく。 ​虎彦の太く硬いチンポが、俺の股間にねっとりと擦り付けられた。潤んだ先端から溢れた我慢汁が互いの熱を繋ぎ、闇の中でもその生々しい感触が伝わってくる。 ​「いくぞ……声、我慢しろよ……」 ​耳元で低く囁かれた直後、虎彦の腰が深く突き出された。 ​「っひぁ……あぁっ……!」 ​奥を容赦なく突く激しい衝撃に、声を押し殺そうと自分の唇を歯で強く噛み締める。 湿った熱気と、祭りのざわめき。いつ誰が来るか分からない背徳のスリルに脳が焼かれながら、俺たちは暗闇の中で溶け合うように激しく体を重ね続けた。 ――― 次の日も。 夜風が涼しい村の小道。長引く村の会合に出たきり戻らない辰兄を迎えに行くため、俺は提灯を片手に集会所へ向かっていた。 「まったく、どんだけ長引いてんだよ……」 愚痴をこぼしながら曲がり角を曲がった時、道の脇の溝の近くで、大きな影がぐったりと倒れ込んでいるのが目に入った。 駆け寄ると、緑色の鱗を月明かりに光らせた辰樹が、酒の匂いをプンプンと漂わせながら大の字で眠っている。 「辰兄! こんなとこで何やってんだよ!」 声をかけて揺すってみても、返ってくるのは「ん……もう飲めない……」という呂律の回らない寝言だけだった。完全に出来上がっている。 仕方がなく、俺は辰兄の太い腕を自分の肩に回し、その巨体を必死に抱え込んで家まで引きずり戻した。 やっとの思いで自宅の布団に放り込んだものの、ここからが地獄だった。 酔っ払った辰兄はタチが悪いことに、布団に倒れ込むなり俺の体を引き寄せ、まるで巨大な抱き枕のようにガッチリと抱え込んで離そうとしないのだ。 「うう……冷たくて気持ちいい……離すなよ……」 「ちょっ、苦しいって! 重いんだよ、離して!」 巨体の龍人に全体重をかけられ、身動きが取れない。 龍人特有のひんやりとしつつも滑らかな銀の鱗の質感、そして微かに熱を帯びた筋肉の体温。辰兄の体から漂う、強い酒の匂いと野生的な男の匂いが混ざり合った独特の体臭に全身を包み込まれ、なぜか胸の奥がキュッと締め付けられる。 (まったく……こんなに酔っ払って……) むすっとしながらも、無防備に眠る大きな顔を見ていると、少しばかりいたずら心が湧いてきた。どうせ泥酔して起きやしない。日頃の仕返しとばかりに、俺は辰兄の腰元へと手を伸ばした。 伝統的な祭りのために締めていた太い褌の結び目をほどき、ずるずると下ろしていく。すると、隠されていた下半身があらわになった。 辰兄の股間にある、特有の縦スリットは今はすっきりと閉じている。その上の腹部や、鍛え上げられた胸板には少しの贅肉を纏った筋肉が呼吸に合わせて波打っている。特に、胸元にある小さな突起が目に入った。 「ここ、いじったらどうなるんだろ……」 悪戯っぽく微笑みながら、俺はその片方の突起を指先でコリコリと転がし、さらに熱を帯びた舌を這わせた。 「ん……っ……?」 泥酔しているはずの辰兄の喉から、低い唸り声が漏れる。 面白くなって、指でつまみながら口づけを深くしていくと、辰兄の分厚い胸板がビクリと大きく跳ねた。酒で理性は眠っているはずなのに、体の底に刻まれた獣の本能だけが刺激されているらしい。 「ふうっ……おま……変だぞ……誰だー……」 ろれつの回らない声で甘い吐息を零す辰兄の様子に調子に乗り、さらに指先で強くコリッと弾いたその瞬間。 ぴくん、と竜牙の全身が激しく硬直した。 「あっ……!」 次の瞬間、下半身の隠しスリットの隙間から、ドクドクッ、と信じられないほどの量の白濁した液体が勢いよく噴き出した。 泥酔して意識のない男のものとは思えないほど大量の精液が、畳や辰樹自身の腹を白く汚していく。酒に酔って頭が働いていない分、快楽に対する防衛本能が完全にバグっているのか、辰兄はトロンと目を潤ませたまま、甘ったるい声を上げて何度も身体を震わせ続けた。 「なっ、うそ……こんなに出して……っ」 予想以上の反応に、今度は俺の方が顔を真っ赤にして気圧されてしまう。しかし、雄のフェロモンを濃厚に発散させながら荒い息をつく辰兄の姿に、俺の股間もまた、熱く疼き始めていた。 ――― 次の日も。 ざあぁぁっと激しい雨音がトタン屋根を叩きつけ、周囲の景色を白く煙らせる。 「くそ、すごい雨だな……。これじゃしばらく出られそうにないぞ」 田んぼの脇にぽつんと佇む、古びたはざ小屋に駆け込んだ俺たちは、荒い息を整えながら濡れそぼった体を震わせた。夏の盛りだというのに、突如として冷え込んだ雨風が容赦なく体温を奪っていく。 隣にいるのは、練習帰りの柔一さんだ。彼の分厚い体毛や筋肉質な肌も濡れ鼠になり、そこから湯気のような熱気がうっすらと立ち上っている。 「まずは服を絞らないとな。このままだと風邪ひいちまう」 柔一さんは豪快にシャツを脱ぎ捨て、力任せに水を絞り出した。俺もそれに倣って濡れたシャツとズボンを脱ぎ、小屋の梁に引っかけて干す。しかし、吹き込む冷気が肌を直撃し、思わず体が小さく身震いした。 「寒っ……。夏でも裸だとさすがにこたえる……」 「仕方ない。こうしてじっとしてるしかないか」 言うやいなや、柔一さんがその巨大な両腕で俺の体をガシリと抱え込んだ。 固く詰まった胸板と熱を帯びた肌が、冷え切った俺の正面にぴたりと密着する。うわ、ものすごい熱だ。まるで巨大なストーブに抱きついているかのような濃厚な体温が、凍えた俺の皮膚からじわじわと染み込んでいく。 「うっ……あったかい……」 「だろ? 獣の体温を舐めるなよ」 低い声で笑う柔一さんの胸に顔をうずめていると、外でビカリと強い稲光が走り、直後に轟音が鼓膜を揺らした。 「うわっ!」 思わず恐怖で肩を跳ね上げた俺を、柔一さんはさらに強く抱きしめ、安心させるようにその大きな掌で背中をゆっくりと撫で下ろした。 「大丈夫だ、俺がいる。そんなに怖がるな」 耳元で囁く低音と、背中を這う分厚い掌の温もり。恐怖が急速に別の熱へと塗り替わっていくのが分かった。 冷え切っていたはずの血流が、柔一さんの強烈な雄の匂いと密着する肌の摩擦によって、急激に熱を帯びて下半身へと集中していく。抱き合っているうちに、お互いの胸と胸が擦れ合い、ただの寒さ対策だったはずのスキンシップが、いつしか互いの肌を求める行為へと変質していた。 「……柔一さん……」 「ん……? にしむ……いや、違うな」 見上げた俺の視線を受け止め、柔一さんの三白眼が獣のように妖しく細められた。 次の瞬間、柔一さんの大きな手が俺の首筋を包み込み、引き寄せるように熱い唇が重ねられた。 「んっ……ふ……」 荒々しくも優しい口づけに、脳がとろけるような感覚が広がる。雷の音なんてどこかへ吹き飛び、ただ柔一さんの唇の感触と、口内に広がる男臭いフェロモンだけに意識が支配されていく。 キスを交わしながら、俺たちの下半身はすでに隠しきれない熱を帯びてカチカチに硬くなっていた。 「寒さでガタガタ震えてた割に、下は随分元気だな」 チュッと名残惜しそうに唇を離した柔一さんが、低く艶やかな声を漏らす。 照れ臭さで顔を赤らめる俺の腰に、柔一さんの太くごつごつした手が伸びた。 小屋の隅、干された稲架の匂いが立ち込める薄暗い空間で、俺たちは向かい合い、互いの硬く勃起した肉棒をそれぞれの掌で包み込んだ。 「ほら、冷えた体をこれで温め合おうぜ……」 互いの熱を確かめ合うように、握りしめた拳を上下に滑らせる。 ずぷ、ぬぷ、と湿った水音のような摩擦音が狭い小屋に響いた。柔一さんの太く隆々とした肉棒は熱を帯びて脈打ち、俺の手の中でもその存在感をいやがほど主張している。 「ああっ……! 柔一さんの、熱い……っ」 「お前のもすげぇカチカチで、握り心地いいぞ……もっと強くしていい」 外の豪雨の音とかき鳴らすような雷鳴をBGMに、俺たちは見つめ合いながら、互いの欲望を貪るように激しく手を上下させ続けた。 ――― 次の日も。 肝試しをしようと言い出したのは虎彦だった。あの廃校がネットでオカルトスポットになっていると聞き、俺たちは夜の闇に紛れてそこへ向かった。 「本当に行くのか、ここ」 「懐かしいもんだろ」 錆びたフェンスの隙間から中に入ると、月明かりだけが頼りの敷地は昼間とはまるで違う顔をしていた。草木が伸び放題のコンクリートの通路を進みながら、俺の心臓は嫌な音を立て始めていた。 古いプールサイドへ続く階段に差し掛かった時だった。足元の欠けたコンクリートに気づかず、俺は体勢を崩しかけた。 「うわっ――」 その瞬間、虎彦の手が俺の腕を掴んでいた。振り返りもせず、正確なタイミングで、まるで最初からそこで転ぶことがわかっていたかのように。 「危ねえなあ」 そう笑う虎彦の顔には、驚きの色など微塵もなかった。いつもの豪快な笑い方とはどこか違う、冷たく澄んだ響き。俺はぞわりとしたものを背筋に感じながら、何も言えずにいた。 「ほら、持っとけ」 虎彦が差し出してきたのは、古びているが妙に頑丈そうな懐中電灯だった。ずっしりとした重みが手に伝わり、金属の冷たさが余計に緊張を煽る。 「これ、どこから……」 「いいから。何かあったらこれで照らせ」 その言葉には、これから何かが起きることを最初から知っているような響きがあった。俺は懐中電灯を握りしめながら、虎彦の背中を追ってプールサイドの闇へと足を踏み入れていった。 「わーっ!!! あそこで驚かすか普通!?」 「はっはっは! 気合入りすぎてたな二人とも」 湿った夜気が肌を撫でる中、肝試しの廃校から逃げ帰った俺の心臓は、まだバクバクと暴れていた。 「はぁっ、はぁー……怖かった……なにか出たよ絶対……」 震えが止まらない俺の肩を、大きな温もりがそっと包み込む。虎彦の分厚く頼もしい胸板だ。 「もう大丈夫だ、俺がいる。そんなに怯えるなよ」 虎彦が耳元で響く。安心させようとするその優しさに、恐怖で張り詰めていた糸が緩む。安心感と、まだ残る恐怖の余韻。それが奇妙に混ざり合い、俺の奥底で別の熱をスパークさせる。 「虎彦……っ」 縋るように見上げた俺の唇に、虎彦の熱い唇が重なった。 荒々しく、けれどこの上なく優しい口づけ。大きな掌が俺の首筋を包み込み、逃げ場を塞ぐように深く吸い上げられる。恐怖で冷えていた身体が、虎彦の圧倒的な体温と甘いフェロモンに溶かされていく。 「んっ……ふ……」 脳が蕩けるようなキスに頭が真っ白になり、肝試しの恐怖はどこかへ吹き飛んだ。代わりに、全身の血が一気に下半身へと集中していく。 「はぁ……虎彦、もっと……キス……」 潤んだ眼差しで見つめ返すと、虎彦の澄んだ瞳が獣のように妖しく光った。 「やっとその気になったか……可愛い顔しやがって」 虎彦は唸るように笑うと、お互いの服を乱暴に引き剥がし、硬く勃起した互いのチンポを露わにした。 そして、逃がさないとばかりに俺の腰をガッチリと引き寄せ、自分と俺の熱い竿をぴったりと重ね合わせる。 亀頭が密着したチンポ同士が、擦れ合うたびにビクンと激しく跳ねた。ねっとりとした我慢汁が互いの先端から溢れ、淫らな水音を立てながら混ざり合う。 「ああっ、こすれて……っ、たまんない……!」 「お前の熱、すげぇ伝わってくるぞ……一緒にイくぞ、俺の可愛い相棒」 虎彦の太い手が俺の腰をガッチリとホールドし、密着させたまま激しく前後に擦り上げ始めた。硬い亀頭同士がぶつかり合う衝撃と、全身を駆け巡る快楽に、理性は完全に焼き切れる。 「っひぁ……! 虎彦、一緒に……っ!」 「ああ、イクぞ……!」 限界を迎えた二人の獣のような雄叫びと同時に、重なり合ったチンポの先端から、ドクドクと白濁した熱い液体が勢いよく噴き出した。 お互いの精液を掛け合いながら、極上の絶頂のなかで、俺たちは強く抱き合い続けた。 ――― 次の日も。 ――― 次の日も、次の日も。 ――― 次の日も、次の日も、次の日も。 ――― (今日……何日だ?) 楽しい帰省生活は日を追うごとに歪を抱えていった。毎日続く夏祭りの夜。どこかで見覚えのある提灯の揺れ方、まったく同じタイミングで聞こえるお囃子の音、すれ違う村人たちの笑い声。幾度も繰り返されているかのような強烈な既視感に、俺の背筋が粟立つ。 なのに、違和感を覚えるたび、その感情ごと削除され、上から書き換えられる。気持ち悪い。けれど、東京に戻ろうなんて考えは、全く頭に浮かんでこなかった。 それからだ。誰もいないはずの裏山の小道や、旅館の廊下の曲がり角で、湿った「ペタペタ」という足音が背後につきまとうようになった。振り返っても誰もいない。しかし、窓ガラスや水面に映る自分を見つめる視線は、確実に増えていた。 周囲の人たちも変質していく。 虎彦の両親の笑顔はいつしか筋肉が引きつったような張り付いたものになり、辰兄も柔一さんも、まるで水から引き揚げられたばかりの死人のように、虚ろな目で宙を見つめるようになっていた。 「出番が終わったんだ」 虎彦はそう言っていた。 だが、奇妙なことに虎彦だけは変わらなかった。相変わらず太陽のように快活に笑い、肩を叩き、何事もない日常を演じ続けている。そのブレない笑顔がかえって俺の精神をすり減らしていった。 そんなある日、両親から「土蔵の虫干しを手伝え」と言い渡された。 「お前も昔、よくここで隠れんぼしただろ? 中の荷物を一度全部外に出してくれ」 文句を言いながらも、俺は虎彦たちと一緒に、土蔵の中に積まれた古い木箱や荷物を次々と外へ運び出した。 一段落し、最後の片付けをしようと土蔵の奥に残ったときだった。 ふいに背後で、分厚い鉄製の扉がひとりでに閉まった。 ギイ、と乾いた音を立てて鍵が落ちる。 「おい、冗談だろ?」 俺は慌てて扉を叩いたが、外からの返事はない。すぐに誰かが気づいて開けに来るだろう。そう高をくくって、俺は土蔵の隅にしゃがみ込み、時間の経過を待った。 しかし、いくら待っても日は沈むばかりで、助けは来なかった。外に山積みしたはずの荷物を、誰もしまいに戻ってくる気配すらない。静まり返った土蔵のなかで、ただ自分の浅い呼吸音だけが響いていた。 その時だった。 しんとした床の下から、微かに何かが這いずるような音が聞こえた。 耳を澄ますと、それは人の声だった。だが、聞き取りやすい言葉でも、ただの唸り声でも、悲鳴でもない。言葉と唸りと叫びが混ざり合った、規則正しくも不気味な抑揚とリズムを刻む、気色の悪い声だった。 誰かいるのか? 好奇心と、そこから早く逃れたいという焦燥に突き動かされるように、俺は這うようにしてその声の発生源へと向かった。 暗い土蔵の片隅、普段なら荷物に隠れているはずの場所に、古びた床下への扉がぽっかりと口を開けていた。 迷う間はなかった。いや、迷うことすら許されないかのように、足は勝手にその扉を開け放ち、暗い地下へと踏み出していた。 梯子を降りて、さらに奥へ、奥へと進む。 徐々に、徐々に、周囲の空気が劇的に変わり始めた。足元を踏みしめる感触が湿った土からぬるりとした泥に変わり、明かりのないはずの空間で、壁面が奇妙な熱を帯びていく。 手を伸ばし、何気なく触れた通路の壁、ゴツゴツとした冷たい岩肌だったはずのそれは、いつの間にか湿った生肉を何重にも張り付けたかのような、グロテスクに脈打つ肉壁へと変貌を遂げていた。 声に思い当たるものがあった。 廃校の裏手で。夏祭りの喧騒の隙間で。小川のせせらぎとともに。降りしきる雨に隠れて。肝試しの暗闇の中で。 それはずっと、微かに、しかし確かに聞こえていたのだ。背後から追いかけてくるあの不気味な視線も、ペタペタと湿った足音も、この地下から絶えず響いていたあの抑揚のない声と一つに繋がっていた。自分はずっと、この場所に招かれていたのだという悍ましい確信が頭を突き抜ける。 進むにつれて、洞窟の壁面はさらに深く生々しさを増していった。 生肉を張り付けたような壁は、まるで呼吸をするかのようにドクドクと脈打ち、熱を帯びた粘液が肌にまとわりつく。もはやそこは洞窟ではなく、巨大な何かの体内だった。 やがて、通路が急に開け、たどり着いた地下の広場。 その中央で、人影が待っていた。 「……来ちまったか」 声の主は、虎彦だった。 しかし彼はもう人間の姿を保っていなかった。下半身が、いや、身体の半分が生肉の壁と一体化し、ぐにゃりと溶け合うように肉塊へと埋め込まれている。その周囲には、無数の人肉の塊がドロドロと蠢き、肉塊に守られるように、不気味な光を放つ黄ばんだCRTディスプレイが突き刺さっていた。 人工的に明滅する画面の群れ。そのすべてで、白黒の文字が猛烈なスピードでスクロールし続けている。 「毛喪那様が……」 虎彦の口から、どす黒い液体が零れ落ちる。 肉塊となったそれらは、かつての村の因習が形を変えたものだ。ケモナーの夢、願いを叶えるためのシステム。しかしそれは空想の枠を超え、ディスプレイの光を介して第四の壁を軽々と越え、物語を覗き込んでいる「」の意識そのものを取り込み、制御を失って暴走し始めていた。 あの時、失くした思い出。満たされなかった幼馴染たちとの日々。叶えられなかった子供の頃の願い。 それらすべてを物語に仕立て上げるため、システムは現実の輪郭を歪め続けている。現実の水郷村は、二十年も前にはすでに深いダムの底に沈んでいた。本物の幼馴染たちはみな大人になり、とっくの昔に村を離れてバラバラに暮らしているはずなのだ。そして、その中心にいる人物。 ここにいる彼らはみな、水底の記憶が紡ぎ出した幻影にすぎない。 唐突に流れ込んできた事実に、理性が悲鳴を上げる。わけも分からずに涙が溢れる。 「壊さなきゃ……!」 俺は目の前にある肉塊の群れへ突っ込んだ。中央に鎮座するCRTディスプレイへと掴みかかり、夢中で拳を叩き込み、蹴り飛ばした。 半狂乱で拳を振るう。 ガッ! ガッ! しかし徒手空拳で壊れるようなものではない。 逆に小指が砕かれ、ブヨブヨになった手から血が噴き出した。 足首は肉塊に埋まっている。 嘲笑うようにスクロールの速度が増していく。肉壁は泡立ち、軋むような声が耳元で絶叫する。 激痛の中で思考がまとまらない。 なにか、なにかないか? 尻ポケットに触れたものを引っ張り出した。 それは、古びたタクティカルライトだ。 ずっしりと重く、頑丈な金属製のそれを、渾身の力で握り込む。 視界は意味の分からない文字列が踊る画面に固定されている。 吸い込まれるように、ディスプレイに腕を突き立てる。 ガシャアアアッ! とけたたましい金属音とともに、ブラウン管が粉々に砕け散った。 その瞬間、広場全体が激しく揺らぐ。 「がああああっ!」 虎彦や、周囲でうごめいていた無数の肉塊が悲鳴を上げ、泡を立てながら一斉に破裂し始める。 空間が裂け、抑え込まれていた現実が一気に水郷村の地下へと押し寄せてきた。ダムの底に屯する、本物の濁流が、轟音を立てて天井の裂け目から滝のように流れ込んでくる。 「っ……!?」 濁流の圧倒的な水圧に足元をすくわれ、俺の身体はあっさりとかき消され、暗黒の奔流へと放り出された。濁った水に呑み込まれ、息ができない。体がぐるぐると回転し、意識が泡と消えていく。 もうダメだ。 そう諦めかけたその時、冷たい水底から伸びてきた力強い腕が、俺の右手首をガシリと掴んだ。 ぐっと引き上げられる。 ――― 息を大きく吸い込んだ瞬間、冷たい風が頬を撫でた。 「……っは、はあっ……!」 激しく咳き込みながら目を開けると、そこはダム湖のほとり、乾いた泥の上だった。頭上には、いつの間にか夜が明けかけた青白い空が広がっている。 助かったのか、と胸を撫で下ろそうとした視界の端。 「……お前は、博行じゃないもんな」 波のない穏やかな水面を揺らしながら、一筋の黒い影が、音もなく底へと沈んでいくのが見えた。 それは、こちらを振り返ることもなく、ただ静かに、深みへと消えていった。 漏れなつ 「業」