まことみらい市にある洋菓子店、パティスリーチュチュは、店長のほかに店員が1人だけという小さな店構えながら、その味の良さと上質な接客で地域の人々から愛されている名店だ。 店内にはカフェスペースもあり、イートインで利用する客も多い。 そういった客層はケーキと一緒に楽しめる紅茶やハーブティーだけではなく、人当たりの良い店員との軽いおしゃべりも目当てにしているようだ。 かの有名な女子高生推理小説作家、来栖エリザもその一人である。 「こんにちは! 久しぶりだね、くれあちゃん!」! 元気な挨拶と共に入店してきた彼女は、ちょうど店内で作業していた顔見知りの店員──帆羽くれあに声をかけた。 エリザに気が付くと、くれあは嬉しそうに笑いながら返事をする。 「エリザさん! 足はもう大丈夫なんですか?」 「うん。もうばっちり! 跳んでも走ってもだいじょうぶ♪」 エリザはその場で軽快なステップを刻むと、くるりと回った後に小さくジャンプしてみせた。 「良かった……あの時別れてから心配してたんです」 「元々大した怪我じゃなかったんだけどね。うちのお母さん心配性だから〜」 「そうだったんですね。……でも、本当に良かった」 くれあが言うあの時とは、1999年7月19日、ランドマコトタワーに巨大な怪物が出現した日のことだ。 現場に向かう途中で足を挫いたエリザを置いていったことに負い目があったのか、くれあは元気な彼女を見て心から安堵したようだった。 再会の挨拶も済んだところで、エリザは珍しく空いている店内を見回しながら言った。 「今日は外暑いし、中で食べて行こうかな」 「お好きな席にどうぞ。ご注文は?」 「カモミールティーと、今日のケーキで!」 「承りました。ちなみに今日は、パッションフルーツのタルトです」 「やったー! 大好物♪」 小躍りしながらテーブル席に向かう後ろ姿を、くれあは微笑みながら見守る。 数分後、くれあがケーキとお茶を手にエリザのテーブルを訪れた時には、店内から他の客は居なくなっていた。 一人店に残ったエリザはテーブルにアイデアノートを広げ、愛用のガラスペンをゆらゆらと揺らしながら何かを考え込んでいる。 きっと、また新作の構想を練っているのだろう。 「お待たせしました。カモミールティーと本日のケーキのセットです」 「ありがとー。んー、良い香り!」 エリザはうっとりとした表情でカップを持ち上げる。 そしてふと、何かを思い出したような表情でくれあへ向き直った。 「そういえば、あんなちゃんから聞いたよ。くれあちゃん、実は探偵だったんだって?」 「……そうなんです。長い間忘れてたのを最近思い出しまして」 「へー、そんなことあるんだね〜。良いなー、私もなりたかったなぁ、探偵」 「え、そうだったんですか? ……だから探偵小説を?」 「まーねー。あ、そうだ! 探偵だったならさ、何か良いネタ持ってないかな? 新作のアイデアに行き詰まってて〜」 「えっ? そう言われても……何を話せば良いのか……」 「そうね、仕事で会った面白い人とか、魅力的な人とかの話が聴きたいな。そろそろ新キャラを出そうと思ってるんだけど、どういう人が良いか迷ってるの」 「……魅力的な人……」 くれあは口元に手を当ててしばらく考え込んでいたが、やがて少しはにかみながら、小さな声で答えた。 「……私の、相棒の話でも良いですか?」 「良いよ~! その子も探偵なの?」 「はい。とっても頭が良くて、強くて、優しくて……素敵な人なんです」 「ふんふん! それでそれで!?」 「え、ええっと……その子はあんなちゃん、みくるちゃんと同じ事務所の探偵で……」 鼻息を荒くして食い付いてくるエリザに少し戸惑いながらも、くれあはどこか嬉しそうな顔で“相棒”について話し始めた。 彼女の人となり、才能、仕事ぶり。自分とどう知り合い、どう仲を深めたのか。突然訪れた別れ、そして再会。 もちろんプリキュアに関することは話せないが、客が他に居ないこともあり、くれあはエリザの向かいに腰掛けて色々なことを話した。 エリザはケーキとお茶を楽しみながら彼女の話に聞き入り、時折質問を投げかけてさらに話題を引き出していく。 しばらく話し込んだ後、エリザはぽつりと呟いた。 「……すごいねぇ、相棒って」 やや意外な言葉に、くれあはきょとんとした顔で聞き返す。 「えっ……? そうですか?」 「ふふ……だってくれあちゃん何でも知ってるんだもん、その子のこと。強い絆で結ばれてるんだなぁ、って」 「……そう、かな……」 賛辞ともとれるエリザの感想に対して、くれあは表情をほんの少し曇らせた。 「何でも知ってる……わけじゃないかもしれません」 「……どうしてそう思うの?」 「……長い間離れていたので。時々、昔のあの子とは違う顔をすることがあるんです。ちょっとだけ怒っているような……寂しがっているような」 「寂しがっている……」 「離れている間に何があったのか、全部知ってるわけじゃないから……今は、わからないこともあります」 「……ふーん」 エリザは少しの間顎に指を当てて何かを考えていたが、やがて良いことを思い付いたと言わんばかりの、満面の笑みを浮かべてくれあに向き直った。 ガラスペンの先端を彼女のほうへ向け、不敵に言い放つ。 「じゃあ、私が推理してあげようか? その子の気持ち」 「え? 推理……?」 「そう、なりきりひらめき! 私も探偵のたまごとして、くれあちゃんのお悩みを解決してあげる!」 「でも、さっきの話だけじゃ……」 「あれだけ詳しく聞けばプロファイリングはばっちりだよ。ちょっと待っててね」 エリザはそう言うと、突然髪留めとヘアゴムを外し始めた。 呆気にとられているくれあをよそに、前髪の三つ編みもほどいて髪を完全に下ろす。 それが終わると、エリザは軽く目を閉じてふっと無表情になった。 そしてゆっくりと目を開き、くれあの方へ視線を向ける。 「……!!」 その時──エリザの視線に射抜かれた瞬間、くれあは自分の心臓が跳ね上がるのを感じた。 色素の薄い前髪の隙間から覗く大きな目は強い意志を秘め、真っ直ぐに彼女の顔を捉えている。 しかしその瞼は優しげに細められていて、長い睫毛がきらきら光る瞳を神秘的に覆い隠していた。 口元は少年のように無邪気な微笑みを湛え、次に発せられる言葉に思わず耳を澄ませたくなる。 「……くれあ」 自分の名を呼ぶそのひと言と共に、彼女の脳裏には特別な百合の花と共に刻まれた在りし日の記憶が過っていた。 顔も声も全く異なるのに、なぜかかつてのあの人の面影が重なる。 ……先ほどまでの朗らかなエリザとは、まるで別人だった。 それは演技というよりも、天才小説家としての彼女に備わる高い想像力と共感性に裏付けされた“なりきり”──この時代にはあまり馴染みのない言葉をあえて使うなら、エミュレートと言ったところだろうか。 種族の壁を越えて猫の行動さえも正確に追跡してのける彼女にとっては、同年代の少女の心理を想像することなどたやすいのかもしれない。 そんなことは知る由もないくれあは、急に雰囲気が変わったエリザと自らの胸の高鳴りに、ただただ困惑するしかなかった。 「え、エリザ……さん……?」 「……ふふっ。あなたでも推理を外すことがあるのね」 「へ……?」 「私が変わった、って思ってるんでしょう?」 「え……あ……うん……」 エリザは席を立ち、ゆっくりとくれあの方へ歩いてきた。 その仕草のひとつひとつまでが彼女の相棒の姿と重なり、くれあは思わず息を呑んで身を竦めた。 「……はずれ。私は何も変わってない」 「……!」 くれあの頬に、細い指先が触れる。 潤んだ瞳から目を離せなくなり、言葉を失う。 「ただ……心配なの。あなたはいつも、きらめきに向かって突き進んで行くから……私を、置き去りにして」 「…………」 「また……あなたが、居なくなるんじゃないかって」 「……あ」 彼女がゆっくり身を屈めると、前髪が目元の表情を覆い隠す。 くれあは少しずつ近付いてくる小さな口を、ただ見つめていた。 「……私は何も変わってない。あなたを……愛してるわ」 「っ……!」 息がかかるほどの距離で囁かれた言葉に、くれあは思わず目を閉じる。 そしてその震える唇に── ──何かが触れることはなく。 エリザはあっさりと身を起こし、いつものようににっこりと笑った。 「……って、感じだと思うよ!」 「……へっ?」 「たぶん、いや絶対! こういう風に思ってるはず! ……それにしても……」 ぽかんとした表情で固まるくれあに対し、エリザは両手を頬に当てて目をきらきらと輝かせながら、独り言のように呟く。 「百合の花のように純粋で可憐な探偵の少女……! ミステリアスな言動の裏に隠された禁断の恋……! 良いなぁ〜! あ、そうだ!」 エリザはくるくると踊るように回りつつ席に戻り、再びガラスペンを手に取った。 まだほんのりと温かいカップのカモミールティーを一息に飲み干し、アイデアノートのページをめくる。 「エリーのライバルになる女の子を出そう! 名探偵として時には衝突したり、時には助け合ったり……そして、ふたりはいずれ最高のパートナーになるの……!」 「エリザさん……?」 「うん、アイデアが湧いてきた! よーし!」 「……ご、ごゆっくりどうぞ……」 まだ髪は下ろしたままだが、彼女は完全に普段のエリザに戻っていた。 くれあはそそくさとバックヤードへ戻り、後ろ手に扉を閉める。 「……ふう」 まだ少し高鳴っている胸に手を当てて、扉を背に息をつく。 するとその背中から青い光が静かに舞い上がり、彼女のロングヘアがふわりと広がった。 「くれあ……?」 「……あ、シュシュタン?」 青いシュシュに変身していたくれあのおとも妖精──シュシュタンは、彼女の肩にそっとつかまると、おずおずと口を開いた。 「……う、浮気でシュか?」 「違うよっ!?」 あまりにもあんまりな言葉に、くれあは思わず素っ頓狂な声をあげる。 「えっ、そうなんでシュ? だってさっき、あの子とちゅーを……」 「してない! してないからね!? 何言い出すのシュシュタン……!」 「ご、ごめんなさいでシュ……背中に居るから、実はあんまり見えてないんでシュ」 シュシュタンは慌てた様子で謝りながらも、まだどこか納得のいかない様子だった。 「……でも、背中越しでもわかるくらい、くれあのドキドキが伝わってきたんでシュ」 「う……確かに、ドキドキはしたけど……それはエリザさんがいつもと全然違ってたから……」 ……彼女の相棒と、姿が重なったから。 だから、浮気ではない……のか? くれあは自分で言いながらその問いに答えを出せなかったのか、口籠ったまま黙り込んでしまった。 そしてそのもやもやを抱え込んだまま、残りの仕事を終え── ──彼女の相棒が待つ家へと、帰路についた。 ──── 「……ただいま」 まことみらい市に住む名探偵のひとり、森亜るるかが帰宅したのは、いつもよりもやや遅い時間のことだった。 玄関で靴を脱いでいると、奥から彼女の相棒がぱたぱたと駆けてくる。 「お、おかえり! るるか!」 彼女よりも早くに帰宅していたくれあは、店で使っているものとは違う青いエプロンを身に着けていた。 よほど慌てていたのか、片手にはおたまを持っている。 るるかはその様子を見て、少し意外そうな顔をした。 「……ごはん、作ってくれてたの?」 「うん。ちょっと遅くなるかなと思って……えへへ」 「そう……ありがとう。気を遣わせちゃったわね」 「ううん、なんてことない。……あ、今日はお店で残ったアイスも貰ってきたの! 後で食べよう?」 「わ……うん。嬉しい……」 嬉しそうなるるかの表情を見て、くれあは少しほっとしたような顔で微笑んだ。 しかしすぐに、ハッと後ろを振り返る。 「あっ、お鍋火にかけたままだ……! ごめんね、戻らないと!」 「うん……楽しみにしてる」 再び駆けていくくれあを、るるかはほくほくとした顔で見送る。 しかしるるかのもう一人の相方──おとも妖精のマシュタンは、彼女の腕のなかで訝しげに眉をひそめた。 「……な〜んか怪しいわねぇ」 「……マシュタン? どういうこと?」 「だってあの慌てよう。普段は火を消し忘れるような子じゃないのに……それになんだか、今日はやけにサービスが良いじゃない?」 「それは、うん……ご飯もアイスも、嬉しい……けど」 「そしてあのよそよそしい感じ。これはきっと……浮気ね!」 「……!?」 思いもしない言葉に、るるかは思わずその場で硬直する。 反射的に力を込めてしまった腕に締め付けられ、マシュタンはぐえっと舌を出した。 「はっ……? そ、そ、そんなことあるわけないでしょう。何言ってるのマシュタン?」 「で、でも……女の子がああいう妙に優しい態度を取るのは  ね、大抵罪悪感があるときなのよ。……女の子の罪って言ったら、浮気が定番でしょう?」 「……まさか。あの子に、限って……」 そう呟きながらもまだ動揺しているのか、るるかはその場にしばし立ち竦んでいた。 彼女もまた名探偵であり、優れた観察眼と洞察力を持っている。 見慣れた相棒の言動に潜む違和感を、見過ごしているはずはない。 「気になるなら、直接聴いてみるのがオススメよ。喧嘩にはなるけど、スッキリするもの」 「……大丈夫。そんなこと……あるわけない」 るるかはマシュタンに──というより、自分を納得させるように言った。 そしてくれあが待つリビングへと、足を踏み出していく。 ──その胸に、ほんのわずかな疑念を抱えたまま。 ──── 食事を終えた後、るるかはアイスを口に運びながら静かに考えを巡らせていた。 内容はもちろん、相棒に感じた違和感についてだ。 その日の夕食はとても豪華で、しかもるるかの好物ばかりだった。 食後のアイスも彼女の好むフレーバーが揃っていて、まさに至れり尽くせりと言ったところだ。 しかし本来嬉しいはずのその気遣いが、一層るるかの疑念をかき立てる。 マシュタンの話した通り、その日のくれあはどこかよそよそしく、目を合わせると逃げるように視線を逸らすこともあった。 浮気……かどうかはわからないものの、何かを隠していることは間違いない。 「……ふー……」 るるかは残りのアイスを飲み込むと、一度小さく深呼吸した。 それが終わると同時に、洗い物を終えたくれあがタイミングよくリビングに戻ってくる。 「……あ、アイスどうだった? るるかの好きな味を選んだんだけど……」 「うん、美味しかった。……ありがとう」 「ふふ、どういたしまして。じゃあそのお皿も……」 「くれあ。その前に、少し良い?」 「え? ……うん。何?」 「……何か、話したいことがあるんじゃない?」 「……!」 くれあの肩が小さく跳ね上がり、そのまま硬直する。 るるかはそれを見て少し口角を歪めながらも、努めて冷静に言葉を続けた。 「……何もなければいいの。でも、何か気になってそうだったから……」 「……うん。そうね……」 くれあはしばらく俯いていたが、やがて意を決したように顔をあげた。 もう視線を逸らそうとはせず、真っ直ぐにるるかの目を見つめている。 「……るるかに、謝りたいことがあって」 「……!」 その言葉を聞いて、るるかは思わずブラウスの胸のあたりを掴み、ぎゅっと握り締めた。 逃げ出したいであろう気持ちを抑えながら、じっと次の言葉を待つ。 ……しかし、続くくれあの言葉は少し意外なものだった。 「私……あなたを心配させてるかな?」 「……え?」 「……私は心のきらめきに従って、一人で突き進んじゃうことがある……って、ある人から言われたの。それで、るるかを心配させてるんじゃないか、って……」 「…………」 「もし、るるかがそう思ってるなら……いつも、ごめんなさい。……でも、安心してほしいの」 胸に当てたるるかの手から、少しずつ力が抜けていく。 「私はもう、あなたのそばを離れたりしないから……!」 「……そう」 不安そうな顔で次の言葉を待つくれあに対して、るるかはふっと表情を綻ばせる。 彼女は席を立ち、くれあの側に歩み寄ってわずかに身を屈めた。 目線を合わせ、まるで母親が子供に言い含めるように、厳しさと慈愛の混じる声で釘を差す。 「約束よ。もう二度と、勝手なことはしないで」 「……うん」 「……ありがとうくれあ。そう言ってくれて……嬉しい」 揺れる前髪の向こうで、るるかは柔らかく微笑んだ。 それは、優しさの裏に強い意志を秘めた、百合のように無垢で穢れを知らない── ──くれあがよく知っている顔だった。 「……うん! 私こそ……ありがとう、るるか」 くれあの表情も、花が咲いたようにぱっと明るくなる。 そこにはもう、不安も、罪悪感も見えない。 それを見たるるかは、くれあから顔を離して身を起こそうとした。 その頬に、ふと白く長い指先が触れる。 「……!」 るるかはそれに少し驚いたようだったが、すぐに優しい微笑みを浮かべると、頬に触れるくれあの手に自らの手を重ねた。 そして再び身を屈め、ゆっくりと顔を近付けていく。 ──今度は途中で止めずに、触れ合える距離まで。 ……そんなふたりの様子をドアの隙間からこっそりと見ていたシュシュタンは、小さな声で独り言ちる。 「……上書き、したんでシュね……! さすがくれあでシュ……!」 だが……彼女は部屋の中を伺うのに夢中になるあまり、背後から近づくもうひとつの影に気が付いていなかった。 「……上書き? ど、どういうことなのシュシュタン! あなた何か知ってるの!?」 「えっ!? ま、マシュタン!?」 急に声をかけられたシュシュタンは飛び上がって驚き、しどろもどろになりながら必死に取り繕う。 「し、知らないでシュ! くれあが小説家の女の子にちゅーされてたことなんて知らないでシュ!!」 「なんですって! やっぱり浮気……!? 浮気なのね!?」 「シュ……シュシュタンは何も知らないでシュ〜!!」 「あっ! 待ちなさーい!!」 おとも妖精達の愉快な追いかけっこが始まったことなど露とも知らず──その夜、名探偵達は二人だけの時間を過ごしたのだった。 終わり