バルロス近郊 見捨てられた建築物や機械の群れが、地平線をノイズ波形に切り取っている。ひと際大きく有機的な輪郭を持つものは、教会の廃墟だ。鐘塔は崩れているが、それでも周囲の建物の2、3倍の高さを残している。この一帯がかつてそれなりの集落であった痕跡だ。受像機構を赤外域に切り替えると、窓にあたる開口が僅かに浮かび上がった。 「ポイント02に熱源」低くつぶやくと、耳元の通信機が軽く震えた。了解した、の合図。 カイモス・カルディウスは、スコープを目から離し、親指と中指で左右のこめかみを揉んだ。あれはフリッツ博士のラボだ。あのポッドに乗っていたのは、おそらく娘のメトリだろう。 カイモスは研究員であったころ、フリッツ親子を見たことがある。バルロスの一連のサルベージ事業の花形、ポータルプロジェクトのエッジを走っていたスター研究者。パーティ会場の中央で、娘は代わる代わる挨拶にやってくるサカエトルやヴェルナの財界人達と、口数の少ない父親の間に立ち、和やかに会話を成立させていた。 バルロス事変の後、親子は表舞台から消えた。人が消えるのはバルロスではよくある事だ。一介の研究員だったカイモスが得られる情報はたかが知れていたが、バルロス評議会の主席科学者達が、親子をどう扱ったかは、何となくわかった。 評議会は、いまだにあの親子を追い詰めている。その手先は他でもない我々だ。 『止まれ』 大尉──アインス・ドナーの凛とした号令が入る。 『カイモスが19時方向6.2ユプシロンの教会にわずかな熱源を見つけた。アイゼンヴァント、どう思う』 『囮の可能性は低いでしょう』低く穏やかな声が簡潔に答える。 『同意見だ。アルファはトゥーマンセル、0.5ユプシロン間隔で散開し前進。集落を包囲する。ヴァントは私と来い』 『久しぶりの市街戦だな』 『次はその剣が"役に立つ"と良いですね。レーベン・フィール軍曹殿』 舌に幼さの残る声が絡む。 『あんたこそ、最後まで稼働できてるといいな。フォルタ・オフィーツィア"先輩"殿』 カイモスの隣で通信を聞いていた翠眼の少女──キューケン・ピープ少尉が吹き出す。 『魔族が来ているって本当なんですか、軍曹』別の声が割って入る。 『気になる?ザット上等兵』柔らかな女の声。バルロス本部でモニターしているドクトル・パンドラだった。彼女の声は、能力の代償として飢餓感に苛まれることになったザットを気遣うようだ。しかし実際は、彼女がそれを煽っている事を、カイモスは知っている。 『複数の魔族がこの件に関わっているようだけれど、正規の軍事行動ではないみたい』 『まさか、バーティルーンが……』 ザットの応答にパンドラが笑って返す。 『いいえ、モラレル軍が動いている痕跡はないわ』 『ウァリトヒロイのコマンド部隊?それともハイムの私兵か?』レーベンが口を挟む。 『じゃあ何をしてもいいって事……』と、フォルタ。 『余計にややこしくなるって事ですよ』アルファ小隊で最後まで黙っていたひとりが静かに諫める。 『その通りだ。ブリッツクリーク。そして困難な任務を果たす事が、我ら第四中隊の責務であり、存在理由だ』アインスが応えた。 『本作戦の任務は逃亡した評議会財産の回収・もしくは廃棄だ。情報は限られているが、脅威度の高い敵と遭遇する可能性が大きい。あらゆる可能性を考慮しろ』 「了解」 アルファ小隊の後方、ブラボー拠点から、カイモスは応答した。アルファは今、ブラボーとポイント02の中間を進んでいる。隊列の中央に、アインスが見える。第四中隊の軍服は多くが白を基調としている──個々が制圧的な戦闘力を擁する人造勇者に、カモフラージュの概念はない──彼女のそれは夜闇の中でも際立って白い。その上を、父親譲りの淡い金色の髪が風に揺れている。 アインスはヒジンドー機関を立ち上げたドナー中佐の実の娘だ。そして、最初の人造勇者として完成した女。身体を切り刻まれ、聖剣とは名ばかりの異物を埋め込まれる事を、彼女は自分の意志で受け入れた。カイモスを除く人造勇者は、誰もがそうだった。そんな彼女たちが、フリッツの娘にどんな感情を抱くのか。カイモスにはわからなかった。 「パンドラ博士」カイモスは専用回線でパンドラを呼び出した。 『どうしたの?カルディウス"博士"』 科学者階級から軍属に堕とされたカイモスを、パンドラは敢えてそう呼ぶ。湧き上がる感情を押し殺す。 「逃亡者の確保に、なぜ我々が駆り出された」 『知っての通り、あれはフリッツ博士のラボよ。ゴーレムサルベージ事業の貴重な成果のひとつであり、バルロス評議会の財産なの。一般の治安部隊が介入して、いたずらに壊されては困るのよね』 「フリッツ博士の娘もか?」 『脅威度に応じて判断するように、大尉に伝えているわ』 ──問題が起これば現場の責任というわけだ。 「評議会の主席科学者達らしい文学的な表現だな」 パンドラはカイモスの皮肉を意に介さない。 『ええ、困ったものね。本当に助かるわ、カルディウス博士。科学者の貴方なら、現場で持ち帰るべき物と、壊して良いものを見分けられるはずですもの』 魔女め。 アインスは教会のなかば崩れたファサードに対峙していた。 聖剣に融合した中枢神経が、周囲の様々な機器が放つ、電子的な囁きを鋭敏に感じ取っていた。機械の左眼は、あちこちに熱輻射を捉えていた。敵は、襲撃に備えて撹乱を仕掛けている。そう判断した直後、熱と電子の雑音に汚れた暗闇の一角から、重金属芯が高速で放たれた。彼女の意識が芯弾を捉えた瞬間、胸元を一直線に目指していたその軌道は歪み、アインスのマントを掠めていった。 「コンテナの影だ」 アインスの声と同時に、アイゼンヴァントが動いた。 鋼鉄のコンテナは、踏まれたビール缶のように潰れる。内部にあった何かが閃光を放つ。無数の鉄球の群れが扇状に広がり、二人に殺到した。しかし鉄球の群れは、二人の目前にたどり着くと空中で一瞬静止し、バラバラと地面に散らばった。 『クレイモアだ』 レーベンが、楽しそうに声を上げる。 アイゼンヴァントは前進し、潰したコンテナの陰をあらためた。 その背中に、剣が斬りかかった。それはアイゼンヴァントが展開した障壁に阻まれ、空中で停止する。それは一瞬だけだった。クレイモアの散弾を無力化した障壁が、鉛のインゴットを断つような粘ついた負荷で斬り裂かれていった。アイゼンヴァントは振り向きざまに剣を浴びせた。中肉の男の影。左手で短剣を抜き、彼の剣を受け止めた。岩のような衝撃。顔が見える。 魔族── 違う。彼は理解する。 人間だ。勇者だ。そして魔人化している。短剣を介した左手は微動だにしない。 障壁は断たれた。アイゼンヴァントの金属の胸部が袈裟に裂かれ、数瞬後に白濁した人工血液が噴き出す。熊のような巨体が膝をついた。敵は闇の中へ溶けるように消えた。 「アイゼンヴァントが喰われた、敵の一人は勇者だ」 アインスが冷静に指示を飛ばす。 「近接戦闘に備えろ。奴は我々の能力を探っている」 「殺していいってことだよね?」 フォルタは誰にともなく囁くと駆け出した。 「待てフォルタ!」 相棒のレーベンが呼びとめる。フォルタは聞く耳をもたず、金属とプラスチックの迷宮へ消えていった。 「クソっ」 レーベンは毒づく。アインスに報告しようと通信機に手を当てた。だが、視界の端に人影を認めると、すぐに機嫌を直した。 「よお、また会ったな」 フォルタは足を止めた。 何らかの変電機械が並ぶ区画だった。後から整備されたのか、雑然とした廃墟の中で、そこだけが幾何学的なルール下にあった。人間よりふた回りは大きく捻れた形の金属塊が、十分な間隔を置いて整列していた。深海のような場所だった。 聖剣との融合がもっとも進んだフォルタの神経は、空間の奥に脅威を捉えた。何かがいる。 剥き出しの金属の四肢が、感情と連動するように外殻を開閉する。その隙間から、無数の刃が、甲虫の翅のように覗いた。 ひとつの変圧器の背後から、影が現れた。片腕に鈍い金属光沢を宿している女だ。フォルタの銀白色の四肢に比べると、その義肢は無骨で、優美さに欠けていた。それが鼻に付いた。女は金属の腕に──たった一本の──剣を持ち、静かにフォルタを見つめていた。 この女の苦痛を味わいたい。 そう思った瞬間、両腕に仕込まれた聖剣が、フォルタの意思の元に展開した。 イザベルは変圧器の林の中を移動しながら、徐々に間合いを詰めた。ボーリャックの仕掛けに反応し、キルポイントに誘導された敵はひとりだ。 敵は四肢を大型の機械に置き換えている。艶やかな金属光沢とバロック調の曲線は、金管楽器を思わせた。装着しているのは、軍服の若い女。バラバラの部品を、その身体でようやく繋ぎ止めているように見えた。 こちらに向けている視線に、奥行きのない敵意があった。やがて両腕から弾けるように刃が飛び出した。 ──あれが奴の間合いだ。 イザベルは射程のぎりぎり外側で剣を低く構える。挑発に乗った敵は、引っ掻くように右腕を繰り出してきた。イザベルは一歩引いてかわす。敵は左腕を振りかざし、突進してきた。剣でいなす。もう一度。今度は側面から誘ってみる。 後退しながら、イザベルは見立てが正しい事を確信する。まともにやり合えば負ける。だが、敵は自分の力を支配できていない。おそらく、あの四肢は過去に何度も取り替えているのだろう。 やがて、敵の動きに僅かに綻びが見えた。左右の攻撃が切り替わるタイミングが遅れている。敵は義肢の慣性をすべて体幹で制御している。ある程度の強化はされているのだろうが、相当な負荷をかけているはずだ。そのツケが確実に蓄積されている。 イザベルは踏み込み、敵の右横を抜ける。左脚を狙った。関節の内側に動力シリンダーが露出していた。イザベルはそれを剣先で引っ掛けるように断ち切った。パキッという音と共に、人工血液の飛沫が散った。 敵は糸の切れた人形のようにその場に崩れた。イザベルは近づいて敵を見る。動かなくなった義肢に拘束され、見上げるその顔は、思っていたよりも幼かった。 モニターに、第四中隊の報告が積み上がって行く。パンドラは、ブリッツクリークが送信してきた画像に見入る。 イザベル── カンラーク千人騎士団の生き残り。するとアイゼンヴァントをやったもうひとりは、ボーリャックか。 「何をしているの、あなたたち──」グリッチに乱れた画面に指先で触れる。そうすれば、考えが読みとれるかのように。 「では、行きます」 バリスタは、親指ほどの太さのケーブルが何重にも巻かれた束を左の肩に担いでおり、祭壇裏の通用口に立って言った。ケーブルの束は大きく、『86』のタイヤにそっくりで、さらに二回りは大きい。 見送るヘルマリィの背後には祭壇が見えており、祭壇の足元には礼拝堂に不釣り合いな、銀行の金庫のように大きく分厚い扉が、天井に向かって開いていた。バリスタが持っているケーブルは、その中から伸びている。 「ハイバルが遠隔でエゴブレインドライブを起動するそうです。オーニソプターに接続できたらすぐに戻ってきてください」ヘルマリィが言った。 淑女の手とドレスの袖口は、バリスタと同じようにグリスで汚れていた。 ポン、と間の抜けた音がしてマグネシウム光が遠くに灯った。照明弾が満月より少し強い程度に辺りを照らし、瞬いた。 バリスタは影を選んで走った。進むほど、硬く重いケーブルの束は、少しずつ解けていった。礼拝堂地下の粒子加速器に繋がれたケーブルは、緩やかな螺旋を描いてバリスタの後ろに続いていく。随分と嵩張るアリアドネの糸だ。どこかで、ボーリャックとイザベルがミノタウロスと戦っているはずだった。 ハイバルのオーニソプターは無傷だ。事前に施した偽装がうまく働いているらしい。バリスタは安堵する。エゴブレインドライブのアクセスハッチは両翼の根本にひとつずつある。近いほうのハンドホールを引きはがし、パワープラグにケーブルを差し込んだ。うまくいった。通常はオーニソプターのエゴブレインドライブを外部から強制始動させるための仕組みだが、今回は逆に使う。両翼を並列接続するために、バイパスする必要がある。もう片方に廻らなければ。 ポン、と先ほどの音がもう一度響く。別の照明弾が、オーニソプターの機体に新しい陰影を投げた。バリスタの影と、もう一つ。 振り向くと、兵士がいた。左手に銃剣のようなものが白く輝いていた。移植されているのか、前腕と一体化している。逆光で顔がよく見えない。 "サージ"は使えない。エゴブレインドライブが電荷を引き寄せてしまう。制御系を焼いてしまったら終わりだ。 バリスタは、やむなく横ざまに逃げようとするが、腕を掴まれ、そのまま地面に引き倒された。衝撃で肺が押され、ぐっと声が漏れる。左手首を掴まれ、頭の上で固定された。骨が悲鳴を上げている。人間とは思えない力だ。仰向けにされたバリスタに敵が覆いかぶさり、左腕の剣を振りかざした。バリスタは咄嗟に、まだ自由な右手でそれを掴む。剣先がバリスタの胸の直上で静止する。 敵の吐息がバリスタに降りかかる。敵の顔がようやく見える。驚くほど柔和そうな顔だ。だが、目は肉食獣のようだった。半年間餌を与えられなかった熊のような目。餌は私だ。 剣先は敵の体重と筋力で徐々に下がってきた。バリスタの肝臓を正確に狙っている。それはゆっくりと軍服を貫通し、僅かにバリスタの皮下に侵犯した。その瞬間、紙が水面に触れたように、バリスタの体内から何かが吸い上げられた。血液が逆流する、眠気を誘う感覚。 そして、金属が肉を貫通する嫌な音がした。 バリスタが見上げると、敵の鳩尾から重金属芯が突き出ていた。人工血液の飛沫がバリスタの顔に散った。蹴り上げる。敵は地面に転がった。 ヘルマリィが立っていた。小重弩弓を構えている。自動装填機構が、ガチャリと鳴った。 「怪我してるの?」 「はい、でも」上体を起こし、胸の下を確かめる。血液で汚れた掌を見た。 「感謝いたします、ヘルマリィ様」 「"様"はやめて」 バリスタは立ち上がり、もうひとつの翼に廻った。ハンドホールを引き下ろし、中のレバーを倒す。機体に、さざ波のような手ごたえがあった。ヘルマリィの元に戻り、小重弩弓を受け取る。敵はまだ息をしていた。 「こいつは魔族を食らいます」そう言ってもう1芯を打ち込んだ。 メトリは、礼拝堂で待っていた。高窓から斜めに差し込む照明弾の明かりが、鉄骨が露出した壁面をゆっくりと舐めている下で、ハイバルが立っていた。上腕を左右の手で強く掴み、何かを読み取るように空中を見つめている。 「バリスタがやったわ。今、オーニソプターを起動した」 床の下から、口笛を吹くような唸りが聞こえてくる。メトリはハイバルに応える。 「加速器に火が入りました。励起まで298秒」 「楽勝ね」そう言ってハイバルは微笑んだ。 「大丈夫、ちゃんとバルロスのメインフレームまで連れてってあげる」 「始めます」 メトリは草原に立っていた。空が群青色に輝いている。足元の濡れた芝から、土と植物の香りが立ち昇っている。脈絡のない夢のような遷移。 安定した特異点を維持するために、メトリは加速器と完全に同期しなければならなかった。加速器を制御するバベッジ機関は破損していたため、バルロス本部のメインフレームを利用するほかなかった。それは、攻撃型人工妖精が何重にも張り巡らされたバルロスのネットワークの奥深くにあった。 バルロスネットは、ゴーレム──リング遺物のシステム上でポリープのように寄生していた。リングシステムの大部分は未解明で、バルロスネットが寄生しているごく表層より奥の階層に入った者は存在しない。 ハイバルはできる。 リングシステムは、バルロスネットのマトリクスそのもの、ニューロン。だから、たとえ中枢であろうと任意の階層に入り込める。 では、ここがリングシステムの中なのか。メトリは戸惑う。 見回すと、丘の稜線に隠れるように小さな木造の家が立っていた。稜線に立つと、背骨のように砂利道が敷かれていた。靴の下で、珊瑚の破片が音を立てた。アプローチは、郵便受けの横を通り、ポーチのあるエントランスへ続いている。 家の外皮は真っ白に塗られていた。メトリは玄関にたどり着き、中をそっと覗く。 白いダイニングテーブル──白い花瓶に、茎まで白い花──のそばに、ハイバルが横顔を見せていた。 「ひさしぶり。姉さん」 視線の先を見る。ハイバルと同じ顔の女性がいる。真っ白なシーツのかかったソファにくつろいでいた。 「10^31クロックぶりってとこ?」 ハイバルの声に親しみと緊張が入り混じっている。気やすい態度のハイバルと対照的に、"姉"は人形のようだった。目は眠るように伏せられ、ハイバルよりも長い髪が、窓からの風に撫ぜられるまま。 「──リングへの不正接続は厳しく罰せられる。特に貴女はね。ハイバル」サリーハが、ハイバルと同じ声で応えた。 「バルロスのリング片は地上の財産よ。どうしようと私の勝手だわ。貴女こそ、私たちのダイブに無理やり干渉してきてどういうつもり。サリーハ」 「フォーマットしなさい、ハイバル。貴女は壊れてる」 ハイバルは泣き出しそうな声で笑った。 「十万年前のコードを使い続けてるあんたの方がイカれてるわ。嫌よ」 サリーハは、顔を起こして真っ直ぐにハイバルを見つめた。洞窟の入り口のような目。 メトリは、ハイバルの手元の白い花の異変に気付く。花弁の先が漆黒に染まり、徐々に広がっている。足早に部屋に踏み入り、花瓶ごと床に叩き落とした。床が、硫酸を浴びたようにどす黒く朽ちていく。 「ハイバル、行こう」メトリはハイバルの腕をとった。 ハイバルの赤らんだ目が、少し驚いたようだった。僅かに頷いた。サリーハと白い家、そして草原は漆黒の地平線の向こうへ縮退し、折り畳まれていく。 入れ替わるように、琥珀色のプラズマが無空間に立ち上がり、無数のフラクタル分岐が水中花のように開いた。バルロスのメインフレームだった。 『ザット上等兵、行動不能。レーベン・フィール軍曹は応答なし』 ブリッツクリークの報告に、アインスは了解、とだけ返した。 アインスは正面に対峙する男に言った。 「ボーリャック、何しにきた」 ボーリャックは応える代わりに、剣を構える。アインスは、背後の礼拝堂と、その地下に膨大な電子の流れを感じていた。磁力線が礼拝堂内のある一点に殺到し、狂おしく身をよじる。 アインスはボールでも拾いに行くかのようにボーリャックに近づいた。ボーリャックは動かない。 アインスの剣をボーリャックが受けた瞬間、ドンという音が響いた。ボーリャックの足元から火花が散った。人間の心臓が停止する電流が身体を焼いた。アインスは半歩下がり、左手を握り締める。直上の空から落雷がボーリャックを打った。 「退け」 剣を構えたまま、ボーリャックは言った。 「ここにお前たちの大義はない」 アインスは応える。 「そうかもしれない」僅かに首を傾げる。絹のような髪のひと房が、機械の眼を収めた眼窩にかかる。 「でも、正面から剣を交えられる相手に当たったのは久しぶりなの」 アインスの中枢神経は、周囲のあまねく物体に問いを投げ、応答するささやきに耳を澄ませている。彼女にはボーリャックの脈拍の乱れが見えていた。もう一度殴りつければ、こいつは終わりだ。 天地の電位が均衡を取り戻しつつある。ここは開演を待つオーケストラ。アインスは初めの一小節のための指揮棒を振るように左手を高く掲げた。 地下で、何か巨大な物が目を醒ました。大地の絶叫に、アインスの中枢神経が悲鳴を上げた。静謐に結ばれていたイメージが、ずれ、ぼやけ、捻じれている。咄嗟に跪き、口を抑える。指の間から胃液が漏れた。 『大尉』 カイモスだった。 『撤退してください。その一帯の地下で粒子加速器が稼働しました。励起している。それに、何者かが意図的に粒子加速器の電磁気遮蔽コイルを反転させています。そこの環境は、貴女の能力と"すこぶる相性が悪い"』 遠近感のない漆黒の空の下で、タールの地面の上を琥珀色に燃えるカードが無数に並んでいる。ハイバルはその一角にしゃがみこみ、一枚を拾い上げている。カードは彼女の手の中で哀しげに点滅している。 「ハイバル……」少し離れたところにメトリがいる。 「みんなに伝えて。そろそろ帰ってらっしゃいって」 アインスはふらふらと立ち上がり、手の甲で口を拭った。歪んだ視界の中で、ボーリャックの背中が小さくなっていく。 「待て!!」 光の爆発と同時に割れるような頭痛がアインスを襲った。聖剣で身体を支える。眼だけを前方に向ける。 礼拝堂の中が真昼のように明るい。開け放たれたファサードを通して、内部が見えた。中央に立つ少女の背後で、太陽のように眩い円形の光が浮かんでいた。大人の背丈ほどのそれを、黒い円環が縁どっている。円環は質感を欠き、強烈な光に接しているにも関わらず一切を反射していない。 ポータルを前に、バリスタは足を止めた。 「周縁の特異点には触れないでください」メトリが言う。 「イザベルたちは?」とヘルマリィ。鍔広の帽子を手で押さえ、足元にヴィトンを置く。 「すぐ近くまで来てる」ハイバルが応えた。 「待って」バリスタが声を上げた。特異点のシルエットにさざ波が起こっている。 「バルロス本部の制御系を奪い返されそうです」メトリは動揺している。 「このまま通るとブルージョウントします」 「バルロスネットは完全に掌握してるわ。誰かが加速器に直接干渉してる」ハイバルが外を見る。ボーリャックが礼拝堂に戻ろうとしていた。その向こうで、軍服の女がゆっくりと立ち上がった。 「パンドラ、何してる」 夜明けのような閃光を前に、カイモスはパンドラを呼び出した。 『大尉の神経リンクを介して、ドラゴン──人工妖精を粒子加速器の制御系に放ったわ』 「今すぐやめろ。中隊を失うぞ」 『そう?アインスはまだ遊びたいみたいだけれど』 カイモスはパンドラとの通信を切り、アルファ小隊に繋いだ。 「ブリッツクリーク!アインスを救出しろ!」 「待て、ボーリャック」 アインスはうわ言のように呟き、磁気嵐の中を一歩ずつ進んだ。前方から飛来した重金属芯を、聖剣で弾き飛ばす。滲む視界の向こうにいるボーリャックに向けて、左手をかざす。 横から剣が降りかかり、機械の前腕が枯れ枝のように歪んだ。アインスの眼に、壊れた前腕から無数の磁力線が漏れ出すのが見えた。 イザベルの剣が、見えない巨人につまみあげられるように、空高く弾き飛ばされた。構わず義手でアインスの顔を掴む。親指が、こちらを凝視する機械の眼の下に食い込む。生身の顔と対峙する。怒りと、当惑と、孤独。これは私だ。 イザベルの右腕、マキーナ・サンクタの外殻が展開した。露わになった炭素繊維骨格と、人工筋肉の微細な束の奥、掌の中央に格納された聖遺物ペレットが覗く。イザベルはさらに力を込め、人造勇者の合金頭蓋にペレットを接触させた。その瞬間、乾いた爆発音が響いた。アインスの頭部の機械化骨格と、イザベルの義手から白煙が立ち上った。 アインスが塔のように倒れていく。 イザベルは、その背後にもう一人の敵を見た。突然現れたように見えたが、ずっと前からいたのかもしれない。アインスとは対照的な黒ずくめの軍服。陶器のような女の顔。アインスの背中を受け止める。 「ブリッツクリーク…」アインスは意識を失った。 ブリッツクリークはイザベルに一瞥をくれると、カーテンを引くように空間から消えた。 円環が元の姿を取り戻した。 「だめ、消える」メトリが言う。 「バルロスの介入で粒子加速器のエネルギーを取られたんです。特異点が消える前に通過しないと」 「イザベル!ゲートが消えるわ!」ヘルマリィが呼びかける。イザベルは礼拝堂の外で跪いていた。義手は肩からだらりと垂れ、開ききった外殻がそのシルエットをいびつにしていた。イザベルは顔を上げ、ヘルマリィを見た。 (間に合わない。行ってください。私を残して) 「だめ!!」 朦朧とした意識の中で、イザベルはヘルマリィの顔をできる限り見ていたかった。意識を失う間際、こちらへ走ってくる影が見えた。 ボーリャックは、倒れるイザベルを受け止める。両腕で抱え上げ、走った。廃墟は再び静寂に還ろうとしている。行く手の光の円にバリスタたちの影が重なっていた。 「行け!」 影が一つずつ光の中へ消えていった。 ボーリャックが漆黒の輪をくぐり抜けた瞬間、ゲートが消滅した。空間に取り残された銅色の毛髪が一本、無風の床に落ちていった。   カイモスはポイント02から閃光が消えたのを確認する。スコープを下ろし、小さく息を吐いた。 「何が見える……」 レーベンが聞いた。岩に腰掛け、再生した左腕の具合を見ている。 「何も」 「収穫なしか」 「だが、我々は失わずに済んだ。聖剣も、仲間も。」 そして、頭の中でこう付け加えた。 ──我々の名誉も。