「なるほど、見事なものだ」  包帯に覆われた指の間で、宝石が光った。宝石商が誇らしげに笑みを浮かべる。 「サンク•マスグラードの一級品です。サラバの王にも相応しい品ですとも」 「これほどの細工は滅多に見ない。腕のいい職人を抱えていると見える」  王の歓心を得たと見て、商人は笑みを深くする。 「通行のお許しがいただければ、いつでもサラバにお届けしましょう」 「それはならん」  商人は笑みを消した。アテンが宝石を置いて立ち上がる。 「どんな立場の者であれ、ルタルタがサラバに足を踏み入れたなら、そこに必ず道ができる。旅人が我が物顔で往来をはじめ、やがては軍勢がやってくる。ルタルタとはそういうものだ。サラバは私の土地だ」  店を出れば、街は華やかだった。行き交う人の中に、ルタルタらしい伝統的な遊牧民の服装をしたものはむしろ少なく、顔立ちも肌の色も様々、数は多くないが魔族の姿もある。近く戦争を起こす意思を秘めるとはとても思えない、平和な様子だった。アテンは傍らを歩く女に目を向ける。 「君、やたらと警戒するばかりで、宝石を見ていなかっただろう。あれこそがルタルタだというのに」 「見ても同じだっただろう。宝石の良し悪しなどわからん」  勇者は仏頂面で答えた。ルタルタ侵攻の気配を掴んだのは彼女だったが、彼女をルタルタ領に連れてきたのはアテンである。目立つ顔の傷を化粧と魔術で隠し、鎧は脱いで女物の服を纏っていたが、表情の険しさは普段のままだ。アテンの声が、微かに笑いを含む。 「石は言葉通りマスグラードのものだった。真珠はウエス、金細工は東方の技法だ……では清貧の勇者殿にもわかるように説明しようか」  アテンは足を止め、露店で食べ物を求めた。包みを勇者の目の前にかざす。 「何に見える」 「揚げパンだ」 「いや、これはルタルタだ」 「ルタルタ?」  アテンはそれを割り、半分を勇者に渡した。勇者は険しい顔をして、手の中の揚げパンをじっと睨む。 「冷めないうちに食べたまえ……さて、揚げパンといったな。ルタルタは農耕をしない。では小麦を作っているのは誰だ?」  勇者はパンとのにらめっこを中断して答えた。 「支配地の民だ」 「あるいは交易の結果だな。小麦、スパイス、野菜。どれもかつてはルタルタのものではなかった。このパンの中でルタルタが古くから口にしていたものは、羊肉と玉葱だけだ。茴香は我がサラバでも広く作られていた、懐かしいな……そしてトマト。これは本来エルフの作物だ。わかるかね」  アテンは金色の目を細めて、勇者を見つめる。勇者はパンを握ったまま宿敵を見上げ、少し考えた後、答えを返した。 「馬と弓だけでなく、交易品や支配地も含めてがルタルタだと?」 「弓を引き、馬を駆るより能のない民が恐れられるわけがなかろう。火を吹く竜を相手取って、どうして馬が勝てるものか」  アテンは笑い、周囲を示す。 「今のうちに見ておくがいい。ここはルタルタだ。元はルタルタではなかったが、今はルタルタだ」  勇者はアテンの笑みをちらりと見て、すぐに目を離し、素直に周囲を見回す。片手はパンを握ったままだ。 「ルタルタを魔王と呼ぶ者もいるがね、私にはどうにも納得しがたい。支配地の自由を奪わない寛容性、他国の文化を取り入れる柔軟性、敵国の王を平気で懐に招き入れる自信。どれも魔族にはないものだ。彼らは人間だよ。それが強みだ」  勇者は街の人々の、一人ひとりに目を向ける。服装も民族も様々で、それを互いに気にすることなく、それぞれがそれぞれの暮らしを続けている。 「わかってきたように思う」 「それはよかった。ところで早く食べたまえ。冷めるぞ」  勇者は握ったままだった揚げパンに目を落とし、端にかじりついた。 「……うまい」 「何よりだ。良ければ残りも食べてくれ」  差し出されたパンに向け、勇者はしかめ面をした。 「何だねその顔は。私が飲み食いしないのは、君も知っての通りだろうに」  両手にパンを握っていたのは一瞬。勇者はかじりかけの方を驚くべき速度で飲み込み、片手を払いながら宿敵を見上げた。 「なにか買ってやる。何が欲しい」 「どういう風の吹き回しだ。何も要らんよ」  勇者は残りの半分を一口かじり、飲み込んでから答えた。 「お前に借りがあると落ち着かん」 「パン一つで律儀なことだ」  アテンは楽しそうに笑った。 「では、欲しいものを探すとするかな。街を一回りしよう。付き合ってくれるだろうね?」