【山の日怪文書 『カルデラシアの長い一日 …の中の短いダイジェスト』】  山が、燃えていた。  カルデラシア。  霊峰モエテラを中心に戴く、険しくも雄大なモエサカル山脈に囲まれた広大な原生林。  地平まで悠然と森が続く未開の秘境ながら、年間を通じて激しい火山活動が続くことから「火の国」の名で知られる激動の大地。  その片隅、人魔両圏に接するカルデラシアの魔界側にほど近いエリアに、魔族の一団が集っていた。 「点呼ォーーッ!」  若い男の怒号が周囲に響いた。 「い、いーち」 「にぃ~……」 「さん……あ、暑い……」 「声が小さァい! それと口からつめたい息を吐く前と後にサーを付けろ!」 「サッ、サー・イエス・サー!」  明らかに憔悴した様子の若者魔族達の前でメガホンを片手に怒鳴っているのは、リャックボーだった。  軽鎧とマントという暑苦しそうな格好に身を包み、額に汗を垂らして大声を張り上げる姿からは、およそ普段の“仮面魔侯”としての沈着さは感じられない。 「何あれ」 「えっとねー、オニグンソウやるんだって、なんか張り切ってた!」  リャックボーらから少し離れた位置で集団を見ているのは、今回の『合宿』に引率側として参加している魔王軍の面々。  生ける武器・デビルズチェーンソーを携えた巨躯の獣人ブラッディオーガと、対照的に背丈は小さいものの巨大なトゲ鉄球を携えた少女、ネルコレプシィである。   「鬼軍曹、ねぇ……。え、なんで?」 「なんでだろ? これがナントカキャンプのリューギなんだって言ってたけど……ふわ、むにゅ」  言葉の途中でカクン、と船を漕いだネルコレプシィの体がその場に崩れ落ちそうになる。  その光景も慣れっこという手際の良さでブラッディオーガが少女の体を受け止め、その手にデビルズチェーンソーを優しく握らせた。  数秒の後、ネルコレプシィがスッと背筋を伸ばし、やれやれとばかりに溜息をついた。 「まだ昼だってのに、よく寝るもんだ」 「悪いね、デビル。そろそろ移動するみたいだから、しばらく頼むよ」 「俺を握ったまま、鉄球も担いでか? 面倒だな、まったく」  手にした者の体を乗っ取るデビルズチェーンソーの能力は、平時においては大体このようにして便利に使われている。  本人の意識は寝落ちしたまま、デビルinネルコレプシィがリャックボー達の方に視線を向ける。   次いで、その向こうの空に広がる異様な光景にも。 「“あれ”がこの土地の王ってやつの仕業なら、たしかに規格外だわな。だが、うちの大将ほどじゃあねぇだろよ」    *   *   * 「傾聴ッ! 諸君らは栄えある魔王軍ッ、その最も武勲に満ちた我らがエビルソード軍に配属されながらッ、非常~……に、たるんどる!!」  行軍が始まってからも、リャックボーの叱咤は続いていた。 「お前たちはダメだぁ!」 「サーッ、イエス、サー……!」  明らかにおかしなテンションで檄を飛ばしながら、リャックボーは(何やってんだろう、俺)と思った。  リャックボーの背後にぞろぞろと続いているのは、若手の魔族が十人弱ほど。  どれも氷冷系魔族として優れた魔力、秀でた能力を持ち、然るべき地に配属すれば必ずや人類を苦しめることができるであろうホープ達だった。 (……だから、困るんだ)  リャックボーはエビルソード軍の中でそれなりの地位を確立しているが、その正体は人類側の勇者ボーリャックである。  つまるところ、人類側のスパイというわけだ。  人類に効率的に打撃を与えられるような人材の芽は、早々に発見してそれとなく摘んでおかねばならない。  幸いなことに……そして悲しいことに、魔王軍はそれをするには向きすぎている組織だった。  報連相の欠如、適性に見合わぬ人材配置、日常的な暴力と恫喝の横行。  今回の『合宿』も表向きは軟弱な新米魔族の精神に喝を入れ、屈強な戦士に育てあげるための強化合宿ということになっているが、  実態はそれにかこつけて火山地帯に耐性のある魔族達がサマーキャンプを催す口実のようなものだ。  魔王城より遠く離れたこの地では、魔王の目も満足には行き届かない。 「ペース遅ぇぞ、キリキリ歩け~。ちんたらしてっとBBQに間に合わねえぞ。……ま、俺は食わねぇけど」 「そうそう、レバニラ先輩が皆の労をねぎらう準備をしてるんだから。ファイッオー」  すでに死にそうになっている新米魔族らの後ろから、デビルとオーガが呑気に野次を飛ばす。  そもそもブラッディオーガやネルコレプシィが引率役として合宿に参加しているのは、  獣魔兵団のレッドバーニングライオン(通称:レバニラ先輩)が主催するBBQパーティに参加するためであった。  ……無論、脱走兵の監視役も兼ねてはいるのだが。  初日のキャンプ地では今頃、主に獣魔兵団の面々が肉の用意をしているはずだ。 (クソ、気楽なもんだ。……う~ん、オーガ達には悪いが、このまま新米達を力尽きさせてBBQに間に合わなくするべきか……?)  リャックボーの脳内で、冷徹な作戦の絵図が展開されていく。  新人達がBBQに間に合わなくなれば、表面上はどうあれ彼らの内面の不満は相当なものになるだろう。  エビルソード軍に、「まだ新人たちが到着してないからBBQの開始を待とう」なんて殊勝な考えができる者は存在しない。  それどころか、G・C・レックス辺りはこれ幸いと新人達をネチネチと罵倒するだろう。今回の若手の中にはあの魔界帝都大学の出身者もいる。  後はキャンプを終えた後、さりげなく魔王軍以外で活躍できる職場をちらつかせれば、退役希望者が続出するに違いない。 (……我ながら、最悪の作戦だな。流石に無しか? それに、BBQに間に合わなかったらオーガとネルコがマジギレしそうだしな……俺に)  どうにか新人達の才能を穏便に腐らせることができないか、あれこれ考えながらリャックボーが先導していた、その時だった。 「それに、今回は珍しく大将……エビルソード様も来てるからさ。直接会えるかもしれないよ」  ブラッディオーガが、余計な一言を言いやがった。   「え、エビルソード様が……!?」 「お……俺、あの人に憧れて剣術を磨いてて!」 「マジかぁ、暑くて死ぬかと思ってたけど、ちょっとやる気出てきたかも……!」  ざわざわと新人達の間に動揺が走り、死にかけていたその目に俄に光が宿りだす。  強さこそが絶対の正義とされる一部の魔族達にとって、“剣の極致”───四天王エビルソードの名は、圧倒的な輝きを放っていた。 「うるさいぞ新人どもッ! 黙って行軍せんかァ~ッ」 「リャックボー様! 俺、絶対にキャンプ地に辿り着いてみせます!!」 「エビルソード様もそこにいらっしゃるんですよね!?」  「ちょ、待て近い近い近い」  先程とは打って変わってずんずん迫ってきた魔族達にリャックボーが一瞬鬼軍曹の演技を忘れて彼らを押し留める。  その様子を面白おかしく眺めがら、デビルがネルコレプシィの体で笑った。 「あ? いや、キャンプ地にゃあ大将はいねえよ。今はな」 「えっ?」 「まぁ多分……あそこだろ」  驚いて振り向いた魔族の一人に、デビルが親指で横を指し示す。  ちょうど、一行が行軍していた山道の側方に、背の低い木が開けて遠くの空が覗いている一画があった。  その先で、灰色の雲が空から滝のように地上へ落ちている異様な光景が広がっていた。       *   *   *    礫。   礫。  礫。  礫が空を覆っていた。  灰が牙を向いていた。  炎が天を裂いていた。  その全てが、エビルソードの体を目掛けて間断なく降り注ぎ続けていた。  そして、エビルソードの振るう剣が、もはや常人の目には追うことすら至難の神速の剣閃が、その大半を斬り捨てていた。 「アハハハハハ!! 面白い、面白い! こんなに強い勇者、初めてかも!」  開けた荒野の中心で剣を振るい続けるエビルソードの頭上で、高らかに嗤う少女の姿があった。  火のマナが凝集して体を形作ったような、煮えたぎる溶岩の体を持つ、紫炎の髪のエルダー・エレメンタル。  “火山王”ラーヴァである。 「……勇者」  無数の剣戟を一瞬の間に繰り出しながら、エビルソードがラーヴァの言葉を反芻する。 「そうとも。余はお前みたいな強いやつを……あれ?」  切り立った岩柱に腰かけてエビルソードに話しかけていたラーヴァの上半身が、カクン、と落ちる。  文字通り、地面に。  一瞬遅れて、エビルソードが火山弾を凌ぎながら放った剣閃で断ち割られた岩柱が、落下したラーヴァの体を轟音と共に押し潰した。  数秒の後、今度はエビルソードの背後から声がした。 「ちょっとお、まだ余が喋ってるんだけど……わぷっ」  ぷんすか怒るラーヴァの顔が、今度は中心から弾け飛ぶように大穴を開けた。  エビルソードが弾いた火山弾が、天空から飛来した威力を減衰させぬままその顔面を吹き飛ばしたのだ。  首から上を失ったその体は倒れ伏すと不定形の溶岩へと戻り───数瞬の後、再び何事もなかったかようにラーヴァが同じ場所に生えた。 「もしかして、わざとやってる?」 「……不死か」 「いや、我ってば山脈の化身だし。溶岩をふたつに斬ったり石礫を投げ込んだところで、山は死なないよ」  ───発端は、数十分ほど前。  エビルソードが供の者も付けずカルデラシアを適当に散策し、襲ってくる魔物を片っ端から斬り捨てていた時だった。  溶岩の大河のほとりで姿を表した精霊の少女が、「汝、強いね~。もしかして勇者?」と語りかけてきたのだ。  エビルソードは特に何も答えなかった。  沈黙を答えとしたわけではなく、単に寡黙だったためだ。  だが、うんうんと勝手に一人で何かに納得した様子で頷いた少女は、すっとエビルソードの胸に指を指し示したのだった。 「よしっ。汝に“試練”の資格あり。これより『灰の雲海』から舞い落ちる空の欠片は、みな汝へと降り注ぐ!」  精霊の少女がにんまりと笑い、己の名を告げる。 「我が名は火山王ラーヴァ! カルデラシアの支配者なり! 汝、その勇気と知恵を示し、あの霊峰の頂まで辿り着くがいい! その暁には……あれ?」  言い終わる前にラーヴァの首が飛んだ。  よくわからないが名乗りが長かったのでエビルソードが斬ったのだった。   「………」  溶岩の大河にどぼん、と落ちたラーヴァの首を見ていると、エビルソードの鎧にカツンと落ちてくるものがあった。  火山灰だった。  見上げると、カルデラシアに厚く立ち込める灰色の雲から、遠くで火を噴き上げる山々の頂から、無数に飛来するものがあった。  数え切れない程の石礫、火の粉、火山弾。    ───そうして、エビルソードは唐突に“火の国の試練”に巻き込まれたのだった。  そして、時刻は現在に戻る。 「ね、それよりさー!」  と、話題を変えて、エビルソードの傍らで試練を眺めるラーヴァがエビルソードの胸を指し示す。 「驚いちゃった。嘘でしょ!? 我が“試練”を受けて火山弾を避けるんじゃなく、真っ向から斬り飛ばし続ける勇者なんて初めて見たよ!」 「……。……違う」 「? なにが違うの?」  キョトンとした顔で見つめるラーヴァに、しばらく沈黙した後、エビルソードが答えた。 「俺は、勇者ではない」  「えっ」  今度は、ラーヴァが沈黙した。  エビルソードもそれきり黙りこんでしまったが、そうこうしている間も上空からの火山弾は絶え間なくエビルソードに降り注ぎ続けている。  そして、やはりその大半が目にも止まらぬエビルソードの剣閃によって切り払われ続けている。  その様を改めてしげしげと眺め、どうにも解せないといった表情でラーヴァが呟く。 「いや、絶っ対勇者だと思うんだけどなぁ。だって汝、めちゃくちゃ強いじゃん。妾にも物怖じしないしさ」 「……。俺は、魔族だ」 「? それって、勇者かどうかと関係あるの?」  不思議そうに首を傾げるラーヴァの問いにしばらく沈黙し、エビルソードは別の答えを返した。 「これは、どうすれば終わる?」 「え? ああ、『ヘイル・トゥ・ユー』のこと? 妾が術を解除するか、死ぬかしたら止まるよ。ふふん、まぁ余はモエテラがある限り死なないけどね!」 「そうか」  短く返答すると、エビルソードの剣閃の速度が……上がった。 「山を斬る、か。面白い」  その言葉に、ラーヴァの顔色が変わる。  王っぽい振る舞いを意識して偉ぶっていた尊大さが表情から抜け落ち、その身に纏う空気が変わった。  無機質な絶対者のように、なにかを見定めるようなラーヴァの視線がエビルソードを貫いた。  そのまま、数秒。  目の前の存在が「できる」かどうか───少なくとも、「できる」つもりでいるかどうかを判断し、ラーヴァの目が興味深そうに細まる。 「山を斬る、か。───本当、面白い」  呟き、ラーヴァが指をパチンと鳴らした。  それから程なくして、天より降り注ぐ火山弾の勢いが弱まり、やがて周囲は豪雨が去った後のように静けさを取り戻した。  火山弾が収まった後もしばらく残心のように空を見上げていたエビルソードが、不意にラーヴァへと向き直った。 「やらないのか」 「やらなーい。やってもいいけど、結果は目に見えてるし。……ね、それより自分は勇者じゃないってどういうこと?」  ぶすっと拗ねたようにそっぽを向くラーヴァに、エビルソードは答えぬまま背を向けた。 「あ。ちょっとー!」  どこかへ歩み去ろうとするエビルソードの背に、ラーヴァが叫ぶ。  その声にエビルソードは一瞬足を止め……、 「俺は、勇者を斬る者だ」  そう一言だけ返して、また歩き去っていった。 「……どういうこと? 勇者を斬ったら勇者じゃないってこと? それとも、勇者よりもっと強い存在ってこと?」  その答えにしばらく唸っていたラーヴァだったが、やがて自分を納得させるように独りごちた。 「ま、いっか。勇者を超える存在だっていうなら、やっぱり今は惜しいもんね」  そして、何かを感知したように森の向こうへと顔を向けた。   「山の上にヒトがいっぱい集まって、……なんだろ。なんだかわかんないけど、楽しそう! こっそり見に行こっと」  その時、遥か遠く離れた位置では、今まさにエビルソード軍のBBQが始まろうとしていた。  その気配を鋭敏に察知し、ラーヴァは溶岩の中へと姿を消した。  エビルソードが歩き去っていった方向とはまったく逆の方向へ。    *   *   *  「エビルソード様、いないじゃん」 「なんか……いつもこんな感じらしいんだって……」 「お、俺……ハァ、ハァ……溶けそうになりながら、頑張った……のに……」 「よう、新入り! どうだ、キャンプ初日の感想は!? 疲れ切った身体で食う熱々の肉は美味いだろう! 遠慮するなよ、お代わりはいくらでもあるからな!」 「「「ヒィッ……!」」」  燃え盛る熱き男、レッドバーニングライオン(通称:レバニラ先輩)が氷冷系の魔族達と談笑していた。  もっとも心の底から笑えているのはレバニラ先輩だけのようだが、熱き男は細かいことを気にしない性質らしい。  その様子を遠目で見ながら、リャックボーは(勝ったな……)と思った。  文字通り死にそうになりながら火山地帯を行軍し、目当ての人物はそこにおらず、そもそも好きじゃない熱々の肉を食べさせられ、全身熱々の先輩と絡む。  あの新人達の心は氷柱のようにポッキリと折れたことだろう。  おそらくサマーキャンプの終わりには退役願が続々と提出されるはずだ。 (……それにしても)  リャックボーはすっかり異常気象の収まった遠景の雲海に目を向ける。  先程のあれが噂通りの“火山王の試練”で、その下にエビルソードがいたとしたら、どう考えてもこのキャンプ地とは別方向だ。  誰か、ちゃんとエビルソードにまともな連絡はしたのだろうか? 「…………。するわけないか」  結論は明快だった。  そもそも、エビルソード自身がろくに報告を受け取らないのだからどうしようもない。  エビルソード軍は本日も平常運転、世はすべて事もなし。  リャックボーはレバニラ先輩に皿にてんこ盛りにされた焼肉を口にして、今日のささやかな勝利の味を噛み締めた。 【了】