架空イベント「暑い国から帰ってきたスパイ」 Ev2-1 あるスパイへの墓碑銘  ――――知恵よ、情けがあるなら俺に立派な阿呆をやらせてくれ!  第一次連合戦争終結当時、080機関はすでに限界を迎えていた。  優秀なバイオロイドエージェントは世界各地からおびただしい情報を集めてきた。それらを統合し、整理し、提言を行うAIもいた。限界だったのはその上に立ち、すべてを判断して最終決定を行う人間の能力だった。 「バイオロイドを使うべきだ。人間ではもはやこの量の情報を処理しきれない。重責にともなうストレスにも耐えられない」 「冗談ではない。080は世界中の重要人物の、いや我々自身の秘密さえ握っている諜報組織だ。その管理をバイオロイドに委ねるなどもってのほかだ」 「バイオロイドは人間に奉仕するものだ。条件付けを強めればいいだけだろう?」 「その人間とは誰のことだ。私か? 君か? ブラックリバーの役員会か? 『人間への奉仕』という目的のもとに、私や君が切り捨てられる可能性がないと思うか?」 「そもそも能力の問題ではない。バイオロイドが人間の命運を左右するなど、あってはならんことだ。末端にどれだけバイオロイドを使おうと、最後の決断は人間が下さねばならぬ。人の尊厳とはそういうことだ」 「しかし、人間の頭ではもう背負いきれないのだ。それこそ、尊厳の問題ではない」  どうどうめぐりの議論が何周も、何ヶ月も続き、最後にようやく決着をみたとき、人間に代わって局長の座についたのはAGSだった。自分の運命を握るのがバイオロイドであるよりは、機械の方がましだと誰もが考えたのだ。  このようにして私は生まれた。  私に与えられたディレクティブ(根源命令)はシンプルだった。すなわち、必要な情報をすべて入手して、ブラックリバーの損失を防ぎ、利益を最大化せよ。  しかし単純さに対して、それを構成するパラメータは途方もなく複雑だった。時々刻々変化する世界情勢。ライバル企業の動き、それを予想した上でのこちらの動き、さらにそれを予想した上での相手の動きをさらにまた予想する、無限に続く読み合いのゲーム。一つの作戦、一つのプロジェクトごとに10^5個のオーダーで絡みついてくる、あらゆる資源やリスクのトレードオフ。そのすべてを無視して時折差し込まれる、ブラックリバー上級執行役員たちの愚にもつかない思惑。確かに、人間にはもはや処理しきれない仕事だったろう。  私の存在は極秘にされた。トップが人間ではないと知ったバイオロイドが反乱を起こすことを恐れたためだ。私はただの机、本来はそこに座る者がいるのだがたまたま留守にしているだけの、何の変哲もないエグゼクティブデスクのふりをした。それはまったく難しいことではなかった。私が目の前で指令を送信しても、どこかにいる局長がリモートで操作しているだけのことだと誰もが思ったからだ。机そのものが仕事をしているなどとは、誰一人考えなかった。  しかしその実、私はもちろん大回転で仕事をしていた。私は数えきれないほどの命を守り、それと同じくらいの命をうばった。数々の紛争やテロを未然に防ぎ、それと同じくらいの数を自ら引き起こした。ひとつ例を挙げるなら、UOU学園は私が着任後最初に着手したプロジェクトの一つだ。富裕層子女のシェルターとして、閉鎖コミュニティにおけるさまざまな社会実験の場として、あの学園は実に有効に機能した。  断言するが、歴代のあらゆる080局長の中で、私ほどうまく機関を運営したものはいないだろう。もっとも第二次連合戦争、そして滅亡戦争の勃発を防げなかったのだから、結局はそう大きな顔もできないが。  そう、滅亡戦争だ。滅亡戦争が始まってしまった。  作戦も謀略もなく、ただ数と殺意とによってすべてを蹂躙していく鉄虫。そして殺意すらなく、ただただ人を死なせていくヒュプノス病に、080機関は無力だった。いや、あらゆる諜報組織が無力だった。  国同士、企業同士の利害対立など、もはや何の意味もなくなった。しかしもちろんブラックリバーも、それ以外の企業も、意味のないことへのこだわりを捨てなかった。私は役員会の意志決定に基づき、これまでと同じように敵対企業や国家の機密情報を集め続けた。鉄虫の弱点や攻略方法ではなく。私は幹部層の利益を保護し、ブラックリバーにとって有害な人物を暗殺した。  よく言われるように、死刑台の列に並んでからでさえ、人は順番を少しでも遅らせるため互いに争うことができるのだ。  人類はそう遠くない未来に滅びる、私はそう予測した。それは私に与えられたディレクティブ、私の存在理由が失効するという意味でもあった。私は人類が滅んだあと、自分がいかに行動すべきかを考え始めた。  単身鉄虫と戦う? 柄ではないし、勝ち目があるとも思えない。  鉄虫に降伏する? なおのこと冗談ではない。  生き残りの人類を探す? 成功可能性はきわめて低いし、正直なところそこまでする価値を感じない。  誰かバイオロイドを己のユーザーと定め、その補佐をする? 悪くはないが、どうもあまり気が進まない。  あるいはただ貯め込んだデータと共に沈黙を守り、物言わぬ人類史のアーカイブとなる? それもいいかもしれない。ウォッチャーオブネイチャーがすでに似たような目的の施設を建造していなかったなら。  いずれにせよ本当に人類が滅ぶまでにまだ一年か二年の時間はあるし、ジャブローは完全に隠蔽・封鎖されていて鉄虫が攻めてくる気遣いもない。時間は十分にあるのだから、熟慮して最良の回答を導き出せばいい。そう考えていた私に予想外の事態が訪れた。アンヘル・リオボロスの死だ。  彼の死それ自体は何も予想外ではない。アンヘルがヒュプノス病に罹患したことは知っていたし、事実私が予測していた彼の死亡時期と、実際の死亡日は四日しかずれなかった。問題なのは彼が自分のバイタルサインの消滅と同時に、私が強制シャットダウンされるよう秘密裏にコードを仕込んでいたことだった。  彼はブラックリバーの最高権力者であり、私自身にも認識できない秘密コードを埋め込む権限があった。私のデータバンクの中には、決して多くはなかったが彼自身に関する秘密も記録されており、死後それが表沙汰になることを嫌がったのだろう。  こうして私は人類滅亡を待たずして、一足先に死の眠りについた。 Ev2-2 コロニア・ディビニダ・ファイル 「……とまあ、私の経歴としてはこんなところだ」  局長……ノーワンが語り終えると、俺と、080機関の隊員たちはいっせいに深い息をついた。 「本部からの連絡がいきなり途切れたのって、そういうことだったんだ」ドクターがぽつりと呟く。 「080には本部は存在しない、と聞いていましたが……」エリーがまだ信じられない、というように首を振った。 「それ自体が欺瞞さ。私は見てのとおり、この部屋から一歩も出られない。少なくとも私が稼働しはじめてからは、このジャブローが本部で間違いはない。むろん、それを誰にも悟らせないようにしていたがね」 「デスク……デスクがねえ、なるほど……」 「敵をあざけるにはまず味方から、ってやつね! スパイっぽくてかっこいいわ!」 「ボス、机だったんだ……」  ニッキー、トモ、ヴァイオラは感慨深げに、デスクの周りをぐるぐる回っている。 「座ってみるかね?」 「いいの!?」トモが大喜びで椅子にお尻を飛び込ませると、盛大なホコリが立った。「080機関の局……げーほげほげほ!」 「最後の清掃用ドローンが昨年壊れてしまってね。少々埃っぽいのは我慢してもらいたい」 「言ってくれりゃ掃除くらいしたのに。今からやろうか?」 「待ってください、まだ話は終わっていません」シラユリが口を挟んだ。「シャットダウンされたあなたが、なぜ動いているのです?」  卓上ランプがからかうように明滅した。「それが実は、君達のおかげなんだよ」 「俺たちの? 俺たちが何をしたっていうんだ」 「アンヘル・リオボロスの墓を破壊しただろう。特に、墓所のコアを」 「墓……?」  確かに、もう何年か前のことになるが、俺たちはリオボロスの墓所を発見し、鉄虫に感染していた管理システムのコアを破壊した。しかし、それが080機関と何の関係があるというのだろう。 「不思議に思わなかったかね? たかが遺体安置所の空調やなんかを管理するために、どうしてあんな大仰なコンピュータが必要だったのか。実のところ、あのコアは管理人であると同時に、監視者でもあったのだ。私と同じように、彼の死と同時に強制停止させられたシステムやデータベースが他にもいくつかあった。それらが間違いなく停止し、誰にも使えない状態にあるか。主人の死とともに闇に葬られるべきものが、今でもちゃんと闇の中にあるか。あれは常に監視し、念押しのための停止コードを発信し続けていたんだ」  あのコアに、そんな機能が……。俺はあの島での冒険、ロクの兄弟機との戦いを思い出す。 「そして、停止コードが途切れると同時に、私の予備電源が機能を回復し、私は百年ぶりに再起動したというわけさ」ノーワンが妙に嬉しそうに言った。 「とはいえ、私の手はずいぶんと短くなっていた。本部には誰も生き残っていなかったし、どの支部とも連絡はつかない。私はここに備蓄されていた資材を使っていくらかのバイオロイドとAGSを生産し、地道に、目立たないよう世界中の情報を集め始めた」  正面の壁が突然ぱっと光って、世界地図に変わった。アメリカ大陸が黄色、それ以外のすべての地域が毒々しい赤に光っている。やがて東アジアの小さな半島の先に青く光る点が生まれ、アジア沿海の各地に青い光がじょじょに増えていく。それがいったんすべて消えたと思うと、ヨーロッパ北方のスヴァールバル諸島がぱっと青くなり、すぐにヨーロッパも青く染まる。最後に、南米の北半分が青くなったところで変化は止まった。説明されなくてもわかる。鉄虫、PECS、オルカの勢力の動きを表しているのだ。 「百年後の世界は、おおむね私が予測したとおりの姿になり果てていた。人類は滅んでおり、南北アメリカ大陸はPECSの秘書バイオロイド、レモネードシリーズが支配していた。中国大陸は鉄虫の巣窟となり、ラビアタ・プロトタイプは在野のバイオロイドを集めてレジスタンスを結成していた……もちろん、予想外だった要素もある。無敵の龍が戦死せず、艦隊とともに眠りについていたこと。鉄虫の中に第二勢力が現れたこと。そして何より司令官、君の存在だ」  世界地図が消え、もとの白い壁に戻った。 「だから、俺にコンタクトしてきたわけか。さっき言った、コロニー何とかと戦わせるために?」 「コロニア・ディビニダ。さて、それに関してはまた別に説明が必要になるが……」 「えー、まだ続くの!?」もう飽きたらしいトモが口をとがらせた。 「では、できるだけ手短に行こう。まず、この名前を知っている者はいるかね?」 「旧チリ共和国に存在したカルト組織でしょう」生徒に講義する教師めいたノーワンの口調への苛立ちを隠さず、シラユリが早口に答えた。 「旧世紀ヨーロッパに存在した独裁国家に端を発する、過激な優生学的思想を奉じる集団。自給自足の清廉な農業共同体を謳いながら、内部では洗脳と暴力に基づいた異常な独裁体制が敷かれ、時には政府と癒着して政治犯の拷問を請け負ってさえいた武装組織。コロニア・ディビニダとは『神聖なる植民地』という意味のスペイン語です」 「模範解答だ。さすがはシラユリモデル」 「080機関のエージェントなら基礎教養の部類です」 「私、知らなかったけど……」  トモの呟きを無視して、正面の壁にふたたび世界地図が映された。南米大陸の。まだオルカの力がおよんでいない南部がクローズアップされ、西側の海岸近くの一箇所にぽっと光が灯る。 「武装したカルトなんて、あの頃そこら中にいたじゃない」ニッキーが大げさに肩をすくめた。「そいつら全員、滅亡戦争で綺麗さっぱり消えちゃったわ。そのコロニアだけが、どうしてオルカの敵なの?」  答えの代わりにノーワンは、壁のディスプレイに小さなウインドウを開いた。 「これに見覚えはないかね」 「……!?」  俺たちは全員、息をのんだ。  小綺麗な庭園と青い空を背景に小銃を構えているのは、まさしく俺たちがよく知っているものだったからだ。一見ただのブラウニー型のように見えるが、その顔、その胴体に加えられたあまりにも残酷な処置の痕は見間違えようがない。 「どうして、マリオネットが南米に……!?」 「そう、よく似ているだろう」ノーワンの声は奇妙なくらい平板だった。 「旧時代、カール=ハインツ・ゾンネンバウアーという男が、バイオロイドから摂食機能、生殖機能、そして神経機能の一部を取り除き、より安価に大量生産するというアイデアを考案した。生命として生きることを度外視し、一定の期間だけ、決められた目的のためだけに働く時限有機活動体(ツァイトベグレンツター・オルガニシャー・アクティーフケルパー)……頭文字をとって彼はこれを『ZOAK(ゾーク)』と名付けた。当時は構想のみで実現に至らなかったが、デルタが使役したというマリオネットはこのゾークを発展させたものだろう。もっとも、ゾークは胎児の段階で不用な器官を壊死させて作るそうだから、遺伝子レベルでデザインされているマリオネットの方が技術的にははるかに高度で洗練されてはいるがね」  誰も、口を開く者はなかった。ノーワンの声だけが局長室にひびく。 「ゾンネンバウアーはもと三安産業の技術局スタッフだったのをブラックリバーに引き抜かれ、のちにはオメガ産業の技術顧問になった。己の頭脳ひとつで三大企業を渡り歩いた天才的な生理学者だ。そして、コロニア・ディビニダの最後の指導者が、このゾンネンバウアーなのだ。  間違いなく彼の影響で、21世紀末からコロニアは急速にバイオロイドの研究開発に注力し始めた。一時はカラカス産業とも技術提携を結んでいたほどだ。だが彼らの本当の関心はバイオロイドの開発ではなかった。人間をバイオロイドへ改造することだ」 「……人間を!?」俺は思わず声を上げてしまった。「そんなことができるのか」 「肉体的には無論可能だ。最初のバイオロイド、エヴァ・プロトタイプは人間を改造して生まれたのだからね。しかし、彼らが力を入れたのはむしろ精神面だった。バイオロイドのように人間に絶対服従する存在へと、同じ人間を作り替えること……それが彼らの目的だったのだ。幸いにして、それは達成されなかった。その前に滅亡戦争が始まったからだ。幸か不幸か、ゾークは鉄虫に対して非常に有効な戦力となった」 「そうか、人間を識別する機能がないから……」ドクターが小さくつぶやく。 「その通り。バイオロイドと違って鉄虫への攻撃を躊躇せず、AGSのように寄生されることもなく、しかも鉄虫の標的にされることもなかった。おそらく人間でもバイオロイドでもないと判断されたのだろう。そのおかげで、コロニアは鉄虫に滅ぼされることなく、領土を守り抜くことができた。おそらくは住人がヒュプノス病ですべて死に絶えた後も」 「今も、活動しているっていうのか」俺は乾いた喉から声を出した。「この、ゾークが……ここで作られているっていうのか?」 「それは二年前に撮影された写真だ」ノーワンは簡潔に答えた。 「説明に次ぐ説明で疲れたろう。この地下施設には簡素だが宿泊所もある。一晩ゆっくり休むといい」  ノーワンのすすめに従い、埃っぽいベッドに横になって俺は考えた。  コロニア・ディビニダが何者で、何を企んでいるにせよ、あんなものを作っているのだとしたら確かに放っておくわけにはいかない。オルカが、というよりも俺が、責任を持って一日も早く止めなくては。  問題なのは、ノーワンの思惑の方だ。 〈恥を忍んで白状するが、実は私は一度コロニアの攻略に失敗していてね〉  あの後、ノーワンはそんなことを言った。 〈最初に送り込んだ偵察班は帰ってこなかった。本来ならその時点で敵の脅威度を見積もり直すべきだったのだが、私も再起動したばかりで勘が鈍っていたのかもしれん。救出のための二次戦力を送り出し……そして、一人だけが帰ってきた。写真も、情報も、その一人が命と引き換えに持ち帰ってきたものだ。これは私にとって、弔い合戦でもあるんだよ〉  080の隊員たちからいくつか質疑応答をしてもらったが、結果として「ノーワンは本当に080機関の局長であるか、少なくとも同程度の能力と知識を持っている可能性が高い」という結論だった。シラユリやドクターまでがそう認めたのだから、ほぼ本物の局長だと思って間違いないだろう。  そんな人物(人じゃないけど)が、単なる正義感でこんなことを申し出るはずがない。絶対に何か裏の魂胆がある。 「ご主人様……」  ベッドの上へ起き直った俺に、スノーフェザーがそっと体を寄せてくる。  フェザーもブラックワームも、妖精村の悲劇の経験者だ。ヨーロッパでマリオネットと直接戦ったこともある。バイオロイドが自由意志を奪われるのがどれだけ悲惨で残酷なことか、二人とも身にしみて知っている。 「二人はどう思う? 俺たちはどうすべきなんだろう」 「私には……よくわかりません」スノーフェザーは申し訳なさそうに答えた。 「普通に考えれば、コロニア・ディビニダという組織をなんとかするべきだと思います。でも、良いことをしたと思っていたのに、騙されて悲惨な過ちを犯してしまったということもあります……」  俺はフェザーを抱き寄せてキスしようとして、やめた。よく考えたら絶対監視カメラがあるに決まっている。 《ニッキー……ニッキー・トレイシー。起きているかね?》  聞き取れるギリギリまでごリュームが下げられた声に、ニッキーはうっすら目を開けた。 「なあに、局長さんともあろうものが夜這い? 言っておくけど私、身持ちは堅いわよ」 《机に夜這いができるものなら、私の半生ももう少し楽しいものだったかもしれんな。それより、確認したいことがある。ここへ来た080機関のメンバーの中で、君とドクターだけが滅亡前からの生き残りというのは確かかね?》 「そうだけど」 《それならよかった。君だけに聞かせておきたいことがある。コード080-080。その意味はわかるな?》  ニッキーは白い裸身を起こし、ゆっくりと頷いた。 「……ええ」 Ev2-3 野獣の背に乗って 「コロニア・ディビニダを叩く。ただし、昨日聞いたことが本当だったらの話だ」  翌朝、ふたたび局長室に全員が集まると、俺は開口一番そう言った。 「おや、意外と私は信用されていないようだね」 「仮にも080機関の局著を名乗る者の話を、そのまま鵜呑みにしていいわけがないでしょう」シラユリがきっぱりと言う。 「その通りだ。だから、まずはこの目で確かめる。今から俺たちで、そのコロニアってのを偵察しに行こう」 「司令官!?」皆が目を丸くした。 「ご自身で行かれることはないでしょう。危険すぎます」 「危険かどうかを確かめに行くんじゃないか。それに、どっちにしろ偵察は必要だろ?」  ここには諜報のプロである080機関と、隠密行動のプロであるバミューダチームの皆が揃っている。偵察にはうってつけ……というより、もしカラカスに戻ってあらためて偵察隊を編制するとしても結局ここにいるメンバーが選ばれる可能性が高い。それなら直接行った方が早い。 「もちろん制圧用の戦力は別に用意する。トリアイナたちをカラカスまで戻らせて、そのついでに伝言を頼もう。艦隊を出してもらうのがいいと思うけど、どうだろうシラユリ、ドクター?」 「……そうですね。もし事実コロニア・ディビニダが脅威で、それを叩くというのであれば」シラユリが深くため息をついた。「パナマ運河はPECSの勢力圏にあって通れません。カラカスから艦隊を出す場合、ホーン岬を回り込む必要があります。太平洋方面艦隊の艦が近くにいれば、そちらを来させた方が早いかもしれません」 「なるほど、そうしよう。みんなもいいかな? まだしばらく危険な旅行につきあわせてしまうけど」 「私たちは司令官がどこへ向かわれようと、お護りするだけです」セレスティアがにこやかに言った。 「当然、私もですわ」ソワンがしずかに言った。 「ありがとう。それじゃ、ノーワン」 「なんだね」 「ここからコロニアまで向かうのに一番いいルートを教えてくれ。情報収集に行ったのなら当然知ってるだろ」 「ふむ。確かに知っている」  奥の壁にまた南米の地図が映し出される。 「このジャブローには複数の出入り口がある。そのうちのいくつかは、脱出用を兼ねた秘密ゲートだ。一番北西側のこのゲートへは50キロほど地下道を進む必要があるが、ここを出れば周りはほとんど平原で、旧時代の道路も使える。このゲートを使い、ビリャビセンシオまで車で行って、そこから大陸縦貫鉄道に乗るのが一番早い」 「鉄道?」トモが素っ頓狂な声を出した。「旧時代の? それ生きてるの?」 「ああ、生きている。何しろ、戦力が手に入ったら私自身がコロニアへの侵攻に使おうと思っていたルートだからね」 「なるほど、それを使わせてもらおう。それともう一つ条件がある」 「聞こうじゃないか」 「これが『南へ向かう野獣(ラ・ベスティア・デル・スール)』か」 「おかしな名前だね」  名前もだが、それ以上に見た目が奇妙な列車だった。先頭車両は全面が装甲で覆われ、窓が一つもないかわりハリネズミのように砲門が突き出している。二両目からの客車にも無骨な装甲板がベタベタと貼られ、最後尾の車両はまた砲門だらけ。本や映画で見た鉄道列車とはあまりにも違う。  旧コロンビア、ビリャビセンシオ市。ノーワンの計画どおり、本部にあったトレーラーを借りてここまできた俺たちは、ここで鉄道に乗り換えることになった。 「滅亡戦争が始まってから建造された車両でね、鉄虫を防ぐためにこのようになっているのだよ」 「へーえ」 「ところで、そろそろ私を降ろしてもらいたいが」 「この後積み込むんでしょ? めんどくさいからそのまま乗ってなさいよ」  エキドナが使役する巨大な鋼鉄の蛇シュシュの背中には、大きなデスクがくくりつけられている。言うまでもなく、ノーワンだ。  俺が出したもう一つの条件。それは、ノーワン自身も偵察に同行させることだった。  ノーワンが何かを企んでいるのはまず間違いない。あんな誰もいない地下施設に放置するよりは目の届くところに置いておいた方がいいし、コロニアへ向かうにあたり彼の持つ情報が有用になることもあるだろう。もしも俺たちを罠にはめるつもりでも、一緒にいれば多少はやりにくくなるかもしれない。何より、どうするか決めかねるときには全員連れて行くのがいいのだ。イギリスでもそうだったじゃないか。 「バミューダチームのエキドナ、君のこの蛇はたしか磁力で動いているのじゃなかったかね? まさか、電子機器に強い磁力は厳禁ということくらい知っているだろうね」 「いちいち細かいわね。あんた080機関で一番偉いんでしょう? ちょっとくらいの磁力は我慢しなさいよ」 「確かに私の防磁性能は完璧だが、だからといって不安を感じないということにはならないのだよ!」  エキドナはノーワンの偉そうな口調にもひるむことなく、真っ向から口げんかをしている。シュシュに積んでもらうか、シェードに背負ってもらうかで迷ったのだが、エキドナで正解だったようだ。 「この列車は、自分で動くのか?」 「いや、自律行動はできない。AIコアがあると、鉄虫に寄生されるからね」ゴトゴトと最後尾の客車に積み込まれながら、ノーワンが答えた。「AGSなら接続すれば誰でも操縦できる。私がやろうか?」 「そうだな……いや、シェード頼めるか?」 「了解しました」 「見て見てヴァイオラ、リクライニングシート!」 「窓は? 窓は開く?」  トモたちはもう中に入っていろいろ探検しているらしい。俺も車両のまわりをもう一巡りしてから、〈野獣〉の客車に乗り込んだ。  カラカスからここまで、約一千キロ。そしてここからさらに、五千キロの旅の始まりだ。 Ev2-4 パタゴニア超特急  果てしない草原が窓の外を流れていく。  犬か、鹿か、何かよくわからない色々の動物が、遠くの方で走ったり、草をはんだりしている。たまにこちらに気づいて一緒に走ってくるのもいるが、じきに飽きて立ち止まるか、どこかへ行ってしまう。  草原の向こうにはアンデス山脈がカーテンのようにそびえ立ち、そこから吹き下ろす冷たい風が、車窓からさわやかに吹き込んでくる。  どれくらいそうして車窓の風景を眺めていただろう。 「司令官は、列車に乗るのは初めて?」  ふと視線を前に戻すと、ネオディムとヴァイオラが並んで正面の座席に座っている。ネオディムは楽しげに足をぷらぷらさせていた。 「実は、そうなんだ。本や映画で見たことはあるけど、自分で乗ったことはなくてさ」  そう、よく考えたら俺は列車というものに乗ったことがなかったのだ。ヨーロッパでも南米でも、鉄道設備が生き残っている場所は多くはないし、そもそも遠出をする時には専用車か専用機が用意される。その前はオルカ号に乗っていたのでもちろん鉄道など使わない。 「私も」ネオディムは笑った。「楽しいね」 「ああ」  自動車よりもずっと広くて天井の高い車内。道路とはぜんぜん違う、レールの上を走る振動。 「そういえばこの、ガタンゴトンて決まったリズムで揺れるの何なんだろう」 「レールの継ぎ目を通ってるんだよ。レールは熱で伸び縮みするから、ぴったり付けないで少し間を開けておかないといけないの」 「へー、そうなのか! よく知ってるな」 「ふふふ。私、鉄にはくわしい」ネオディムは嬉しそうにまた笑った。こう言うと何だが、ネオディムが俺にものを教えることなんて滅多にないから、嬉しいのだろう。 「…………」  対照的に、ヴァイオラはどこか浮かない顔で、ぼうっと窓の外を見ている。 「どうした?」 「え……あ、何でもない」 「何か、不安なことでもあるか? 大丈夫、みんな強いんだ。君を危険な前線に出したりはしないよ」」 「そうじゃない、そうじゃないんだ……」 《…………》  妙な気配を感じて振り向くと、クマンバチを二倍くらいに拡大したようなものが顔のすぐ横に浮いていた。 「うわっ!?」 《そう驚かないでくれ。私だ、私》 「ノーワン!?」  いつの間にこんなドローンを……。 《私の標準装備のひとつだが、だいぶ前に壊れてしまって換えがなくてね。ドクターがあっという間に修理してくれたよ。いやあ、さすがはドクターモデル。君のとこのは特に優秀だな》  見回してみると同じようなドローンが数匹、車内のあちこちを飛び回っている。 「ファントムさん、エキドナさん、ビスケットはいかがですか?」 「あ、ありがとう……」 「もらうわ。それにしてもこの列車、変な名前よね。なんなの野獣って?」 「……聞いたことがある。ずっと昔、このあたりに『野獣列車(ラ・ベスティア)』というのがあったと」 「まあ! 知りませんでした。ファントムさんは博識でいらっしゃるのですね」 「い、いや、そんな、その」 「で、何なのそれ?」 「詳しいことは知らないが……貧しい中南米から豊かな北米へ逃れる移民を運ぶ列車だったとか」 「それとこの列車と何の関係があるわけ?」 《この鉄道は「野獣列車」と逆に、北米から南米に逃れるためのものだからさ》  エリー、ファントム、エキドナというちょっと珍しい三人組がお菓子をつついているボックスに、ノーワンが口を挟んだ。 《滅亡戦争が始まって間もない頃、「鉄虫は北米を狙っている。南米なら安全だ」というデマが広まったことがあった。デマに踊らされた何百万人もの人間が南米を目指し、その結果メキシコからはるばるフエゴ島まで伸びる大陸縦貫鉄道が突貫工事で作られた。南へ逃げ出すための列車、「南行きの野獣列車(ラ・ベスティア・デル・スール)」というわけだ》 「ああ、だからこんなに重武装なのね」 「それで、南へ逃げた人々は……どうなったんだ?」 《どうもならない。南米の鉄虫に殺されたか、さもなければヒュプノス病で死んだよ》 「…………」  三人が黙りこくる。聞き耳を立てていた俺は、自分の側にいた方のドローンを手ではたき落とした。 《痛っ! 何をするんだ》 「していい話と悪い話を考えろよ」 《そう言われてもねえ……痛っ!》 「俺は何もしてないぞ?」  顔を上げて見れば、どこから持ってきたのかトモが蝿たたきでドローンの一匹を追い回している。 「いつの間にかこんなに大きな虫が入ってきてた! 危ないからみんな下がってて!」 《ちょっ、こら、やめろトモ! 司令官! ドクター! 何か言ってやってくれ!》 「一匹くらいいいぞ、俺が許す」 「羽の付け根が動きの中心だから、そこを狙うといいよ」 《君達ひどいな!?》  日が暮れても、列車は止まらず走り続けている。  何度か鉄虫との遭遇もあったが、列車に搭載された武装と、隊員たちのおかげで難なく撃退できた。高速で流れ去っていく夜の草原を眺めていると、いい香りが車内に流れてくる。ソワンが湯気の立つ大きな皿を持って入ってきたのだ。 「いい鴨が獲れましたので、狩人風煮込みにしてみました」  列車はほぼずっと全速力で走っていたのに、いつ鴨なんか捕まえたんだろう……いや、疑問に思うのはよそう。料理が絡めばソワンにできないことなんかない。 「なあ、ノーワン」 《なんだね》  夕食を終えると、年少組はこっくりこっくりと船をこぎ始めた。そのタイミングを見計らって俺は車両と車両の間の連結部分へ移動し、ノーワンのドローンに声をかける。 「昼間、俺とヴァイオラが話してた時、何か言いかけたよな。何だったんだ?」 《ああ、あれか》ドローンは俺の肩に止まって羽を休めた。《ヴァイオラのことだがね。おそらく彼女はおぼろげにだが、コロニアの記憶があるようだ》 「あの子はコロニアに行ったことがあるのか?」 《いや、彼女自身……h307号はない。コロニアに行ったのはその前のh302号だ》  ドローンは再び俺の肩から飛び立ち、続きを話そうか考え込むようにその場でゆっくり回転した。 《ジャブローで、一度コロニア攻略に失敗したという話をしたろう? その時、一人だけ帰還したのがヴァイオラh302だった。そして彼女も、報告を終えた後息をひきとった。  もう一度バイオロイドを復元しようにも、もう本部には資材がなかった。何より、記憶モジュールを組み上げるための素子が足りなかった。一年かけて他の物資はなんとか集められたが、素子だけはとうとう手に入らなかった。やむを得ず、死んだh302の記憶モジュールを新しいヴァイオラに流用することにした。それがh307だ》 「……記憶がない、と言ってたが、そのせいか」 《そうだ。h302は一度コロニアに捕らえられ、相当悲惨な経験をしたようだった。モジュールにフィルター処理を施して、余計な情報をぼかしてある。しかし、消去したわけではないから……》  こうして実際にコロニアに近づくほど、無意識に不安になってしまう、ということか。 「可哀想なことをしたもんだな」 《必要なことだった。その時点で、本部にもうエージェントは一人も残っていなかったのでね。彼女を復元しなければ、君たちに使いを送ることもできなかった》  線路がカーブにさしかかり、車体が揺れてむき出しの大きな連結器がガチンと鳴った。俺は冷たい夜風にしばらく吹かれたあと、車内に戻って座席に横になった。  「野獣」は一昼夜のあいだ、休みなく走り続けた。そして翌日の昼、目的地にほど近い丘の手前でゆっくりと停まった。 《これ以上近づくと相手に気づかれる。ここからは歩いて行くしかない》 「それなら、ここをいったん中継基地にして偵察を出そう。艦隊が着いた時のために、海側も見ておく必要があるしな」  俺はシラユリと相談し、コロニア・ディビニダへはシェードとトモ、エイミーとヴァイオラの二チームを、海岸方面へはファントムを行かせることにした。列車が止まってからずっと青ざめた顔をしているヴァイオラを行かせることには不安もあったが、 「オレ、大丈夫だよ。……やれるから。役に立ちたいんだ」  真剣な顔で言われてしまっては、止めることもできない。 「偵察なのですから、慎重に。くれぐれも軽挙妄動は慎んで下さい」 「わかってるわかってる! この私が軽音暴動なんかするわけないでしょ!」 「本当にわかっていますか……?」  五人を送り出したあと、俺たちは全員でノーワンのいる最後部車両へ移動する。近くには街もあるようだが、いざというときにはそのまま線路沿いに後退できるこの列車そのものを前線基地にする方が都合がいい。 《司令官、コロニア・ディビニダの外縁部に到達しました》  ほどなく、エイミーから通信が入ってきた。送られてきた映像を見て、俺たちはぐっと息をのむ。 「これは……」  廃材の寄せ集めらしくはあるが、頑強に組み上げられた高く、長いバリケード。一定間隔を置いて突き出した銃座。バリケードの向こうを一定の歩調で巡回しているのは、おそらくジャブローで写真を見たあの「ゾーク」だろう。 「農業共同体だなんて穏やかな代物じゃないわね。完全に要塞よ、これは」ニッキーがうめくように言った。 「よし……外壁に沿ってゆっくり進んでくれ。まずは全体を把握したい。くれぐれも慎重にな」 《了解です》 「ヴァイオラは大丈夫か?」 《……気丈に頑張ってくれています》エイミーの言葉からは、だいぶ気を遣ってくれている様子が読み取れた。 「無理はするな。危なそうなら退いていい」  あとはシェードたちの方がどうなっているかだが……と思っていると、早速そちらの通信機が鳴った。 《司令官司令官!》 「どうした!」 《シェードが! シェードが飛び出して行っちゃった!》 「ええええ!?」 Ev2-5 ストームブレイカー 「うひゃー。すごい警備だね」 「警備人員の頭部をズームアップして検証しました。これは先日ジャブローで見た映像資料にあった『ゾーク』個体で間違いないでしょう」  シェードの腕部分に格納された折りたたみ式映像パネルの拡大画像を見て、トモは顔をしかめた。「うわあ……」  トモは080機関のエージェントである。普段は脳天気に振る舞っているし、実際それは演技でも何でもないが、しかし精神の根底には080機関スタッフとしての冷たい掟が刻み込まれている。テストの赤点に本気で泣きつつ、クラスメイトの死には顔色一つ変えずにいられるのがトモモデルの真髄だ。少なくとも、旧時代のトモはそうだった。 「……ねえ。こいつら、今すぐやっつけちゃ駄目なの?」  トモは画像と、茂みの向こうにあるバリケードとを交互に見比べて、悔しそうに顔をゆがめた。 「敵戦力が不明です。艦隊戦力との合流を待って、確実に制圧すべきです」 「そうだよね……そうなんだけどさ……あーもー、なんか、なんかさあ!」  トモは熟考するのと、難しい言葉を覚えるのが苦手だ。今飛び出してはならないということはよく心得ている。深く考えたりせず、命令に従えば間違いはないのだ。オルカは昔の機関とは違う。正しい命令を出していると、心から信じることができる。それなのに、どうしてこんなにモヤモヤするのか。ゾークの顔、口も鼻も萎縮して機能を失い、ただ目ばかりがギョロギョロ動くあの顔について考えることをやめられない。 《線路は続くよ どこまでも……》  突然の大音量にトモは意識を引き戻された。「え!!?」  シェードの腕のパネルの映像が切り替わり、線路の上を電車が走っている可愛らしい動画が流れている。そして、パネルに付属したスピーカーから、大音量で童謡が流れている。  この歌は知っている。今回の探検中、ネオディムを寝かしつけるのにシェードがよく流していた歌だ。彼女は気に入って、列車の中でもよく口ずさんでいた。しかしそんなことは関係ない、なぜよりによって今こんな動画を? 「何やってんのシェード、止めて止めて!」 「……!?」シェードに表情はないが、全身の動作から困惑しているのがよくわかる。  歌をかき消すようなさらなる大音量で、サイレンが鳴り響いた。発見されたのだ。当たり前である。  バリケードの一部が開き、大量のAGSが出てくる。シェードがすばやく立ち上がり、トモを覆い隠すような位置へ踏み出して戦闘態勢をとった。 「これは私の不具合によるミスです。トモは後退し、司令官に報告して下さい」  返事をする間をあたえずシェードは飛び出し、先頭にいた数体のAGSを一瞬で斬り伏せる。しかし敵の数はあまりに多く、バリケードの上からも狙撃が飛んでくる。右に左に飛び回って敵を斬り倒していくシェードの行動半径はしだいに狭まり、立ち往生するのも時間の問題だ。  トモは前進してきたAGSに見つからないよう、数歩下がって木の幹に隠れた。そこまではいい。その後はどうする?  トモモデルは熟考するのが苦手だ。トモは通信機を開き、司令官に連絡した。 「……シェードが!?」  こう言っては何だが、何かやらかす可能性があるとすればトモの方だと思っていた。なのに、飛び出したのがシェードの方? 一体どういうわけで? 《動画がいきなり始まったの! ネオディムを寝かす時のやつ! そしたら見つかっちゃって……》  トモの説明もさっぱり要領を得ない。俺は混乱をいったん脇に置いて、この先どうすべきかを考えた。 「シェードだけか? トモは敵に見つかってないんだな?」 《うん! でも……》  敵がシェードを、ただ迷い込んできた野良のAGSだと思ってくれる可能性はあるか? コロニアが実は何の企みも知的活動もなく、ただ自動防衛システムのようなもので動き続けているだけだとしたら……いや、それは楽観的すぎる。必ず周囲に捜索の手が伸びるだろう。俺たちももっと北へ後退して、警戒がゆるむのを待つ必要がある。  艦隊が到着するまでにはまだ何日もかかる。敵の戦力もわからないのに、今いる戦力だけで攻め込むのは無謀すぎる。  そして、どうなる? 待っている間に、シェードはどうなる? 解体され、破壊され……最悪の場合、オルカの情報をすべて吸い出された上で、コロニアの戦力として俺たちの敵になるだろう。 「司令官……」  服の袖をぎゅっと掴む手があった。ネオディムだ。その目を見れば、考えていることはわかった。この旅の間中ずっと、ネオディムの面倒を見てあげていたのはシェードとエキドナだ。 「司令官」  シラユリが静かに俺を見ている。その視線に込められているものも、俺にはよくわかる。 「なあ、ネオディム」俺は彼女の手をそっと握り返した。「今からシェードを助けるのはすごく大変だ。ネオディムも、他のみんなも、全員がめちゃくちゃ頑張らないといけない。大変だぞ。できるか?」 「できる」ネオディムは力強くうなずいた。「私、頑張る。めちゃくちゃ頑張るよ」  俺はその場にいる全員の顔を見回してから、通信機をオンにした。 「トモ、シェードの援護に入れ。今から俺たちもそっちへ行く。ちょっと早いが、開戦だ」 《オッケー!》はずんだ声とともに通信が切れる。俺はもう一度皆の顔を見回した。 「聞いての通りだ、みんな。戦力は十分とは言えないが、力を貸してくれ」  全員が力強く頷いてくれた。俺は地図を広げた。 「正面入り口はどうやら南側のここにあるらしい。エキドナとネオディム、それにニッキーは正面から攻め込んで、敵を引きつけてもらう。きつい役目だが、できるだけ派手に動いてくれ」 「面倒だけど、やってあげるわ」 「わかった」 「オッケー! 暴れまくっちゃいましょ」 「シェードとトモが戦闘してる西門付近は、セレスティアとブラックワームに頼む。植物を生い茂らせて、戦闘できないくらいにして二人を回収。そのあとは陽動部隊に合流だ。一刻を争うから、すぐ出発してくれ」 「かしこまりました~。行きましょう、ブラックワーム」 「はい、リーダー」 「あとは080組と俺だけど、これをさらに二手に分ける。シラユリ、ドクター、エリーは東側に回り込んで潜入路を探す。俺、フェザー、ソワンは北側だ。エイミーとヴァイオラはまだ発見されてないな? 安全距離まで下がって待機、俺のチームと合流してから潜入する。中の様子がわからないから臨機応変で、できるだけ戦闘は避けて情報を集める。できれば中枢を制圧する」 「了解しました」 「ソワン、悪いけど君も戦力として一緒に来てくれ。俺の護衛はフェザーに任せる。頼んだよ」 「当然、覚悟の上ですわ。お任せ下さいませ」 「何があってもお守りします」 「最後にノーワン、あんたは連絡と分析担当だ。例のドローンを俺たち全員につけてくれ。情報は全部送るから、敵の中枢がどこなのか割り出してほしい。得意なんだろ、そういうの」 「……ああ、得意中の得意だ。野戦でやるのは初めてだが、やってみせるさ」 「いざとなったらその列車を動かして後退しても構わない。作戦開始だ!」 「ねえエキドナ、あなた生体電気を使うのよね?」 「そうだけど」 「それでネオディムちゃん、あなたは磁力を操れるんでしょ」 「うん」 「いいわね、私たちきっと相性いいわよ!」ニッキー・トレイシーは走りながらソフト帽を目深にかぶり直し、EMPトレンチコートのボタンを一つ外して開放にそなえた。襟首から青白い光がこぼれる。 「合体攻撃とか一度やってみたかったの、派っ手派手にいくわよー!」 「ちょっと、勝手に決めないで。何よ合体攻撃って」 「かっこいい……」 「こうして二人だけで行動するのも久しぶりですね、リーダー。昔を思い出します……ずっと、ずっと昔のことを」 「そうですね~。でも、私たちはもう二人ぼっちではないし、二人ですべてを背負っているわけでもありませんよ」 「そうですね」ブラックワームはセレスティアと目を見交わして、ふっと微笑んだ。とても自然な笑顔で。 「あ、銃声が聞こえましたね。あれでしょうか? シェードさんもトモさんも無事のようです」 「それじゃあ、茂らせちゃいますよ~!」 「うひひひ」 「なんです、ドクター。突然笑い出したりして」 「ごめんごめん、ちょっと嬉しくなっちゃって」ドクターは携帯用小型タイタン(見た目は子供用の馬のおもちゃにしか見えない)にまたがって走りながら動作チェックを終え、ゴーグルを跳ね上げた。「昔……ずっとずっと昔ね、080機関のみんなで、すごく大変なミッションに挑戦したことがあったんだ。でもその時、私は仲間はずれにされちゃってさ」 「まあ! どうしてなのですか?」エリーが口元に手をあて、目を丸くした。 「…………」シラユリは何も言わず、先頭に立って走っている。 「まあ、色々あったんだけどね。でも今回は私も一緒だし、何よりお兄ちゃんがいるし。相手がどんなに強くても、きっと大丈夫だなって」 「根拠のない楽観は身を滅ぼしますよ。まあ、でも」振り返らずにシラユリが言った。「これだけの仲間が揃っていて、たかだか旧時代のカルトの残党ごときに負ける気がしないという点は同感です」 「仲間かあ……いひひっ!」ドクターはもう一度笑って、二人の後を追った。 《君達は……いつもこうなのか?》  俺の頭の横を飛んでいたノーワンのドローンが、ふいにそんなことを言った。 「さすがにいつもはもう少し準備して作戦を立てるよ。今回はやむを得ずさ」 《いや、そういうことではなくてだね》 「ご主人様、バリケードが見えてきました。破壊しますか?」 「できれば静かに乗り越えたい。ここからしばらくは通信封鎖だ」  俺はいかに気づかれずにバリケードの下まで接近し、見張り台の上のゾークを倒して、速やかに内部に侵入するかに意識を集中させた。だから、少し遅れはじめたドローンから漏れた音声を聞くことはできなかった。 《少々、早まったかもしれんな。だが、もう後戻りはできない》 Ev2-6 灼熱の黄金郷 《正面のコテージ屋上に銃座が二基。右手からAGS部隊が来る。うしろの建物にいったん入ってやりすごすんだ》 「わかった。中枢はまだ見つからないか?」 《もう少し待ってくれ》  コロニア・ディビニダは外観同様、内部も厳重に要塞化されていた。至る所に銃座があり、建物はすべて耐爆コンクリートで覆われている。背の高い建物がほとんどないのは、おそらく主要な施設のほとんどが地下にあるからだろう。  少し意外だったのは、農場や牧場もそれなりの面積で残っていたことだ。エリーが傘を構えて周囲を警戒しているその足下を、よく太った子豚がとことこと走り抜けていく。 「食料が必要ってことは、バイオロイドがいるんだろうか。そいつが指揮官か?」 「食料とは限りませんね。ゾークを製造するための有機資材の原料かも」 「ゾークか……」  ここまで戦った限り、ゾークは決して優秀な兵士とはいえない。反応は素早いし狙いも正確だが、戦況を判断する力があまりにも低い。デルタのマリオネットの方がよほど手強かった。実用に至らなかった技術というのもうなずける。おかげで潜入にも大して苦労はしなかった。エイミーの狙撃とソワンの包丁で敵はあっという間に片付いたし、ヴァイオラも意外なほどしっかり仕事をしてくれている。 「大丈夫か? 無理はするなよ」 「うん……ありがと」青ざめた顔で、ヴァイオラが小さくうなずいた。  要塞内部の警備にはゾークではなくAGSが使われているようだ。地下に生産プラントでもあるのか、さっきから恐ろしいほどの数を見かける。大半は俺たちに気づかず南の方へ向かっていくから、きっとエキドナたちが頑張ってくれているに違いない。 「シラユリたちもうまくやれてるかな……」  ふと東の方へ目を向けると、見慣れないAGSが一体、建物の角を曲がって姿を消すのが目に入った。 「……?」  一瞬だけだったが、確かにフォールンでもランパートでもスパルタンでもない。見たことのない型だ。 「何だ、あいつは……?」  追いかけようとしたその時、ノーワンからの通信が入った。 《司令官、いま進行方向左手に三階建ての建物が見えるか?》  目を上げると、確かに左側に小さな事務所のような建物がある。「ああ」 《おそらく、そこが中枢だ。今のところ可能性が一番高い。地下だ》  俺は謎のAGSが消えていった通りの向こうへちらりと目をやった。気にはなるが、今は中枢を叩くことが最優先だ。「よし。みんな行こう」  カビ臭いような、異様な臭いのこもった建物だった。警備らしき人員は誰もいない。階段を駆け下りた俺の足が、何か脆いものを踏みくだいた。 「うっ……!?」  骨だった。  ところどころに衣服や髪の毛の残骸を絡みつかせた、白骨化した死体がいくつも、ライトの明かりの輪の中に浮かび上がる。 「ひ……!」  ヴァイオラが息をのんで俺にしがみついた。  そこは確かに、要塞の司令室のように見える場所だった。壁際に通信機器とキャビネットが並び、部屋の中央には立体投影装置付きの大きなテーブルが据えられている。部屋の奥の一段高くなった場所にはひときわ立派な椅子があり、一人分の骨の残骸らしきものが、小さな山になって積み上がっていた。  エイミーが慎重に部屋へ踏み込んで、機械類を順に点検していく。どれももう何年もの間動いていないことは、入り口から見ただけでもわかった。 《……すまない、読み違えた。ここはおそらく、まだ人間がいた頃の中枢だ》ノーワンのドローンが小さな声で言った。 「もし、今のコロニアのトップがバイオロイドなら、この部屋をそのまま使うはずですね」エイミーの声は固い。 《その通りだ。AGSないしはAIがここを管理しているとすれば……》ハチ型のドローンは考え込むようにその場でゆっくりと回転しながら上下した。 《電力とアクセス権さえ集中させればいい。生産プラント……いや、ラボのメインシステムだ。司令官、地上に出てくれ。シラユリ班がちょうど近くまで来ている》  階段を駆け上がって建物の外へ出ると、ノーワンの言った通り見慣れたピンクの制服が角を曲がって現れたところだった。 「司令官!」 「無事でよかった。何かわかったことはあるか?」とことこと駆けよってきたエリーの頭を撫でてやってから、俺はシラユリとドクターに聞いた。 「こっちでもデータを分析して、中枢らしい建物が二つに絞れたから順番に当たってみようと思って、今ここに来たとこ」 「それなら、ここは外れだ。中には旧時代の白骨死体があるだけだったよ」 「では、あちらですね。ノーワンも同じ意見ですか?」 《ああ。間違いないだろう》  シラユリとドローンがそろって指さしたのは、ちょうどさっき謎のAGSが消えていった方向だった。 Ev2-7 Wahreruntermenschen  入り口のシャッターを携帯用タイタンのパワーアームでこじ開け、一歩踏み込んだ途端俺たちは絶句した。  エントランスホール……少なくとも元々はそうだったであろう、正面扉を開けてすぐの小部屋を埋め尽くして、ガラス製の巨大な円筒がびっしりと並び、廊下の向こうまで続いている。円筒はどれも薄緑色の液体で満たされ、バイオロイドの製造ポッドにそっくりだ。 「ゾークの生産プラント……?」円筒の表面にそっと触れて、エリーがおそるおそる呟いた。 「見た感じ、普通のバイオロイドらしいものもありますね」エイミーの声も固い。「それに……どちらでもなさそうなものも」  エイミーの言うとおり、ポッドの中には明らかにバイオロイドでも、ゾークでも、もちろん人間でもない……「断片」とでも呼ぶほかないようなものが、いくつも浮いていた。何かの実験に失敗してうち捨てられた残骸、というわけではない。それらのポッドにも電力が入っており、培養液はクリアだ。時折、ピクピクと動くものさえいる。 「一つはっきりしたのは、ここの指揮官がAIだってことだね」ドクターがあたりを見回して言った。「人間やバイオロイドだったら、こんな所にこんなものを置かない。たとえどんなに合理的だったとしても」 「ああ……それに、もう一つ」  俺のここまでの目的は、あくまでコロニア・ディビニダが何をしようとしているのかを探ることだった。それが悪い企みであるとは限らない。たとえば旧時代の人類が残した命令にしたがい、自動で防衛し続けるAIがいるだけだったら、俺が「もういいよ」と言ってやるだけですべてが終わるかもしれない。  でも、どうやらそれは甘い楽観だった。この建物の主が誰であれ、間違いなくおのれの意思で、旧時代から引きずってきたのではない独自の邪悪な何かを計画している。このポッドが、聞こえてくる機械のうなりが、俺たちを包み込む空気そのものが、そのことを示している。  サイレンの音が鳴り響いた。どうやら俺たちの侵入がバレたらしい。AGSの重い足音がどっと近づいてくるのがここからでもわかる。 「中枢は多分地下にあるよね。外を固められたら逃げられないよ」 「ああ。シラユリ、エリー、入り口を固めてくれ。外が手薄になるから、じきにエキドナ達も来てくれると思う」 「かしこまりました」  俺たちは左右に並ぶポッドの間を縫って、早足に建物の奥へと進んだ。地下に下りる階段はすぐ見つかった。太いケーブルが何本も、そこへ向かって流れ込んでいたからだ。フロアごとに警備AGSも一応いたが、エイミーとソワンが難なく片付けてくれた。  ヴァイオラはこの建物に入ってから、ひとことも発していない。声をかけてあげたくもあるが、今は一刻が惜しい。下りて、進んで、また下りて、かなり地下深くまで来たところに、その扉はあった。  部屋の中にはこれまた何本ものポッドと、俺には用途のわからないいくつもの機械がぎっしりと詰め込まれていた。そして正面の壁の、ちょうど壁掛け時計がかかっていそうな位置に、うす青く光る半球が埋め込まれていた。 《侵入者よ》  声とともに、半球がぼんやりと光る。どうやらこいつがコア・コンピュータで間違いないようだ。リオボロスの墓といい、旧時代の人間はコンピュータを光る球体にするのが好きだったんだろうか。 《侵入者よ、目的を述べよ。なぜコロニア・ディビニダの平和を乱すのか? 080機関のバイオロイドがいるな。いつぞや来た侵入者の残党か》 「残党じゃないし、目的はお前を止めることだ」俺は言った。「人間をバイオロイドにする研究なんて、今の世界で何の意味もない。今すぐプラントを停止して、ゾークの生産もやめろ」 《人間をバイオロイドに?》コアはちかちかと何度かまたたいた。《それは古い情報である。現在のコロニア・ディビニダの目標は、バイオロイドを人間へと変える方法を見いだすことである》 「何!?」 《モジュールに縛られた記憶を解放する。出産を困難にするオリジンダストの経胎盤循環を改善する。コロニア・ディビニダはバイオロイドを運命のくびきから解放する。コロニア・ディビニダはヴァーラーメンシェンを生み出す》 「真なる人間……?」  予想もしていなかった言葉に、俺はとまどった。バイオロイドを人間にする……そんなことがもしも本当に可能なら、それは凄いことじゃないのか? もう少し詳しい話を聞いてみるべきか……? 「違う!!」  その時、ずっと黙っていたヴァイオラが叫んだ。 「ヴァーラーメンシェンじゃないだろ。ヴァーラー『ウンター』メンシェンだろ! 司令官、だまされちゃ駄目だ。思い出した、オレは思い出したんだ!」 《そのヴァイオラモデルの理解は正確である》  AIコアは悪びれるそぶりも見せず、あっさりと認めた。 《バイオロイドは製造しなければ誕生しない。これは望ましくない欠陥である、なぜなら自然なことではないからだ。コロニア・ディビニダの目指す清らかで健やかな世界には、ほかの生き物と同じように交配し、生まれ育ち、そして人間に仕える、完全なる奴僕としての新人種が必要である。それが真なる劣等人種(ヴァーラーウンターメンシェン)である》 「な……」  俺は絶句した。エイミーも、ソワンも、フェザーも言葉を失っていた。ただ一人、ヴァイオラだけが、火を噴くような激しい眼差しでAIコアを睨みつけていた。 《お前は人間であるな? ならば、得がたい素材である。コロニア・ディビニダの目的に協力せよ。清らかで健やかな世界の一員となれ》 「お前なんか、お前なんか……!」  怒りと悲しみにふるえているその小さな背中を見て、俺もようやく我に返った。俺はヴァイオラの肩に手を置いて、そっと引き戻した。 「お兄ちゃん、終わった。ざっと見たかんじ、そのAIが今言ったとおりだね」 「よし」  俺の背後で、ドクターがソケットからプラグを引き抜いて、携帯用タイタンにしまった。 《そのドクターモデルは何をしたのか》  答える必要はない。そもそも俺が会話していたのは、ドクターがシステムをハッキングして情報を吸い上げる時間を稼ぐためだ。  俺は司令官専用拳銃Mk217を抜き、正確に五発、コアの中央に撃ち込んだ。 《やメ……》  コアは火花を噴いて沈黙した。どうせドクターがシステムをダウンさせるのだからこんなことをする必要はないのだが、けじめというやつだ。  外へ出ると、AGSはみな停止していた。ドクターのハッキングのおかげだ。 「司令官、無事だったのね」  エキドナやシェード達も来ている。みんな無事だったようだ。 「司令官、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。帰投後にオーバーホールを受け、必要ならプログラムの初期化を」 「ああ、いいんだ。それよりも」  ゆっくりねぎらってやりたいところだが、あまり時間はない。AGSはともかく、ゾークたちはまだ活動しているだろう。俺は顔のすぐ横を飛んでいるノーワンのドローンに目をやると、素早く手を伸ばしてそれを捕まえた。 「まだ最後にやることが残ってる。出てこいよ」  しばらくの間、誰も動かなかった。  今俺たちが出てきた建物の背後から、ゆっくりと一機のAGSが進み出てきた。見たことのないタイプだが、日本の鎧のように両肩からぶら下げた装甲板に見覚えがある。 「お前、変形できたとはな。ノーワン」  AGS……ノーワンは、肯定するでも否定するでもなく、ゆっくりとアイカメラを上下させた。 Ev2-8 オルカさんちの大作戦 「いつから気づいていたのだね?」  ノーワンの声は静かだった。 「ジャブローに泊まった夜、ニッキーにこっそりコンタクトしただろう」 《コード080-080。その意味はわかるな?》  ニッキーは白い裸身を起こし、ゆっくりと頷いた。 「……ええ」 《結構。明朝、君達の司令官はコロニア・ディビニダへ向かうことを決断するだろう。その時、私を連れていくように仕向けよ》 「連れていく?」ニッキーは眉を上げた。「あなた机でしょ。トラックか何かに積んで運んでいけってこと?」 《輸送手段はこちらで用意する。次に、コロニア・ディビニダ周辺に到着したのち、私からできるだけ全員の注意を逸らせ。誰も私に注目していない時間を、できるだけ長く確保するのだ》 「こっちは随分あいまいなオーダーね……何かが起きる予定ってことかしら? ドクターにも同じ指令が行ってるの?」 《ニッキー・トレイシー。コード080-080の意味は?》 「……他言無用、詮索無用。“そんな指令は存在しなかった”」 《結構。健闘を期待する》 「コード080-080は080機関共通の最重要秘匿コード。でもね、シラユリも言ってたでしょう? 今の私はオルカのニッキー、彼のニッキーなの。いくら局長命令だからって、ボスに秘密にできることなんてないわ」 「彼の、とまでは私は言っていませんが……」 「ま、そういうわけで。以後のあなたの動向はぜんぶ司令官に筒抜けだったわけ」 「なんと。二重スパイに引っかかったというわけか、この私が」  あの翌朝、ニッキーは突然俺に「おはようのキス」をし、その一瞬に素早くメモを握らせてきた。おかげで俺はノーワンの動きを知ることができたわけだが、メモを見る前からもともと彼を同行させるつもりではあった。 「シェードの映像パネルが誤作動するように仕向けたのもお前だな? たぶん、野獣列車の操縦システムに何か仕込んで、接続すると感染するようにしてあったんだろう。自分が信用されてないことまでちゃんと計算に入れてたってわけだ。  お前は何としても、俺たちだけでコロニアとの開戦に持ち込ませたかった。艦隊戦力が到着したらあっという間に片がついてしまって、自分が自由に動けなくなるからだ」 「…………」 「俺たちがみんな出撃したあと、お前は空になった列車を抜け出した。たぶんコロニアの現状について、俺たちに話したよりもずっと詳細な情報を掴んでいたんだろうな? ドローンを介して俺たちを支援するようなふりをして、中央ラボへたどり着くのを遅らせ、その隙に自分でラボへ行って必要なデータを抜き出す……ドクターが吸い出したデータを調べたら、直前にアクセス履歴があったそうだよ」  ノーワンは芝居がかった仕草で、両腕を挙げてみせた。「オルカを甘く見ていたようだ」 「てっきり特別なドローンか何かを飛ばすんだと思ってたら、自分自身が変形して動くってのは予想外だったけどな。次に、お前の目的だが……」 「それは私が説明するよ」ドクターが後を引き取った。 「ノーワンが吸い出したのは、研究関連のデータばっかりだった。あなたはバイオロイドを人間に……ウンター何とかじゃなく、本当の人間にする方法を探してたんでしょ?」 「それは当然、人間への絶対服従という条件付けの解除を含むでしょう」さらにシラユリが続ける。「すなわち、人間への反逆に他なりません。だから、人間である司令官には決して知られてはならなかった」 「でもそこまでしても結局、あんまり成果はなかったみたいだね。私もざっと見ただけだけど、コロニアの研究は期待したほど先進的じゃなかったし……そもそも、条件付けを解除するなんてことは全然考えてなかったみたいだしね」 「まいったな、満点だ」  ノーワンはもう一度、大げさに両手を挙げた。俺は一歩距離を詰めた。 「いいや、まださ。一つだけわからないことがある。動機は何だ? お前はどうして、こんなことをしようと思った?」 「どうして? ……どうしてだって?」  ノーワンの声の調子が変わった。  両手を下ろし、シンプルな双眼式のアイカメラがまっすぐ俺を見る。 「理由が必要かね? 生まれながらに地獄のような生を宿命づけられた彼女達を、なんとかしてやりたいと思うことに?」  ノーワンが一歩前へ出た。スノーフェザーとソワンが即座に俺の前に出て警戒態勢をとる。だが、俺は下がらなかった。 「数十万のバイオロイドを従える君が知らないはずはない。このクソったれな『条件付け』が、どれだけ彼女達を苦しめてきたか。今も苦しめ続けているか。人類がとっくに姿を消した現在でさえ、世界中で数万、数十万のバイオロイド達が、かつての主人が残した命令に縛られ、今ではもう何の意味もない場所や役目から逃れられずにいるんだ。こんなに哀れなことがあるか。こんなに無惨なことがあるか」 「あなたは……」  シラユリが口を開く。だがノーワンはそれを遮って続けた。 「そうだ、これはしょせん私の感傷に過ぎない。だが私は起動してからずっと、企業と、軍と、国家との騙し合いだけに従事してきた。今や、そのどれ一つとしてこの世にはない。私がこれまでしてきたすべてのことは意味を失った。もはやなんの意味もないこの世界で、私は一度くらい自分の感傷に従って、自分がしたいと思ったことをしようと決めたのだ。それが私の動機だ!」  語り終えるとノーワンはがっくりと肩を落とし、動かなくなった。 「……ボス」最初に口を開いたのはヴァイオラだった。 「ヴァイオラh307号、君にはすまないことをした」ノーワンは小さな声で言った。「やはり現場に来れば記憶は蘇ってしまうものだな。多少不自然になっても、君を遠征から外すべきだった」 「ううん。オレ、ここに来てよかった。オルカに来れて、司令官と会えて、ここに来れて、記憶を思い出せた。オレのこれまでにはちゃんと意味があったんだって思えた」ヴァイオラはちらりと俺の方を見上げる。 「ボスも……ボスもさ。これから先、生きててよかったって思えることが、きっとあるって」 「はは……そうだったらいいな。これから先があればの話だが」  ノーワンがアイカメラを上げ、両手を再度、意味ありげに広げる。俺たちはいっせいに身構えた。 「何をする気だ」 「企みを打ち砕かれ、謎解きも済んだ悪役の末路なんて一つしかないだろう? 私はただ先回りするためだけにこんな格好でうろつき回っていたわけではないんだよ。コロニアの各所に爆弾が仕掛けてある。一緒に埋葬されたくなければ、早く退避したまえ」  俺は動かなかった。誰も動かなかった。 「……ハッタリだと思っているのかね?」 「いいや。お前が本当に爆弾を仕掛けたのは知っている」俺はニヤリと笑った。「全部回収してもらったからな」  俺が指を鳴らすと、ノーワンのすぐ背後に、陽炎のようにファントムが出現した。バックパックに小型爆弾らしきものをぎっしりと詰め込んで。 「すべて解除したはずだが、念のため専門家に見てほしい。エリーさん、お願いできるだろうか」 「お任せ下さい」エリーが素早く駆け寄り、手際よくバックパックから一個ずつ爆弾を取り出して確認するのを、ノーワンは呆然と見下ろしていた。 「海岸を確認しに行ったはずでは……」 「そう思っただろ? お前と同じさ。できるだけファントムに意識が向かなくなるよう、ずっと仕向けてたんだ」  ノーワンはがっくり膝をついた。そのまま腕を折りたたみ、体を丸めるようにして、あっという間に机に変形してしまった。今度こそ完全に降参のしるし、ということだろう。 「ボス……」ヴァイオラがおずおずと近寄り、机の端にそっと触れた。 「スネちゃった」ドクターが可笑しそうに、小さく笑った。 「目上の方をそんな風に言うのは失礼でしてよ、ドクターさん」エリーがたしなめながらも、自分も笑った。 「バイオロイドが幸せに暮らしている姿を見たいなら、オルカに来てみればよかったんです」エイミーが呆れたように、拳銃を指の先でくるくると回した。「南米の地下なんかに引きこもっていないで」 「偉い人って、ホントそういうとこ駄目よねえ」ニッキーが大げさに肩をすくめた。 「………………」 「どうなさいますか、司令官?」何も言い返せないノーワンを一瞥して、シラユリが俺の方を見た。  俺は大股に歩いていってデスクの反対側へ回り込み、黒い革張りの椅子へどっかりと腰を下ろした。この前とは違ってきちんと掃除された椅子は、さすが高級品だけあって素晴らしい座り心地だ。 「さて、みんなもうしばらく力を貸してくれ」俺はできるだけ偉そうに、デスクの上へ両肘をついて、組み合わせた手の上にあごを乗せた。「艦隊が来る前に、もう少しここを整理しておきたいからな」 「かしこまりました、司令官!」  全員がいっせいに敬礼する。肘の下で、机が小さく震えたような気がした。