「んーっ、今日はいい天気ね。釣りでも行こうかしら?」  雲一つない青空を前に、渡慶次海蒼は背伸びをしながら呟いた。そんな彼女の耳に、遠くの方から怒号が飛び込んで来る。 『ぴぃぃー!』 『待てーそこのプカモン!ご飯返せー!!』  みれば、見知った近所に棲むプカモンが、巨大な角龍…トリケラモンに追いかけられていた。その言葉を聞いた限り、原因はプカモンが咥えているサンドイッチだと検討がつく。 「あの子ったらま〜たイタズラして…え」  ため息をつく海蒼であったが、その顔が突如固まる。その視線の先は、トリケラモンモンの頭のあたりに向けられていた。 「まっ…お、落ち着けトリケラモン……」 「にっ、人間っ!!!???」 「ごめんなさいこの子イタズラっ子で…ほら返しなさい」  叱られて涙目のプカモンから差し出されたサンドイッチを取り返すと、トリケラモンは嬉しそうにそれに齧り付きだす。海蒼はそれを見届けると改めて、トリケラモンの背に乗っていた少年に目を向けた。 「はじめまして、私は渡慶次海蒼。まさかこの世界で人と会えるなんて思わなかったわ」 「…三上竜馬、訳あって旅をしている」  自己紹介をしていると、背後から幾つもの声が響いて来た。 「おーい竜馬ーー!どこだーーー!!!」 「あら、お仲間?」 「………ああ」  海蒼はかけてくる少年少女達を見やりながら、その影のウチ一人に何か既視感を抱く。そして、その輪郭がハッキリすれば、その感情は驚愕へと変わった。 「え……うお、ずみさん? 「と、渡慶次さん?」 これが止まっていた少女達の歯車が再び動き出す、きっかけなのであった。 「…」 「…」 浅瀬に飛び出た岩の上で、二人の少女が座り込んでいた。一人は長い黒髪を1本のみつあみにした少女・魚澄真菜、もう一人は長い黒髪を二つ結びにした少女・渡慶次海蒼。二人の周囲を気まずい空気が取り巻き、双方ともどこかもじもじした様子で口を開こうとしてそれをやめるのを繰り返している。その傍らでは、彼女らのパートナーであるシードラモンとモドキベタモンが、何とも言えない表情で控えていた。 「おいおい…なんだよあの気まずい空気」 「魚澄さんの昔の友達…らしいけど」  そんな様子を木陰から眺めるのは真菜の仲間の鉄塚クロウと三上竜馬。他の仲間や彼らのパートナーのデジモンたちは深蒼の世話する磯の仲間の小型デジモンたちの相手をしているのだが、二人は『顔が怖い』と避けられてしまい、仕方なしに付近を散歩していたところでその光景を目の当たりにしたのである。 「…久しぶりね、魚澄さん」 「…うん」  何度かの機会をうかがうような息つきの後、海蒼から出たのは当り障りのない言葉であった。それを皮切りに、二人はぽつぽつと喋りだす。 「多分、卒業式以来だったわよね?」 「うん…渡慶次さんあの後沖縄に帰ったんだっけ」 「ええ、親の仕事の都合で。3年でとんぼ返りってどういう了見よ本当」 「あ、あはは」  ぎこちなくも会話を重ねていく二人であったが、やがて海着は意を決したように切り出した。 「あの…さ、魚澄さん」 「な、なに?」 「中学校最後の夏の大会、なんで来なかったの?」  岩に波が当たり、飛沫が高く上がった。物言わない真菜の瞳が静かに見開かれ、その様子を見た海蒼もしまったと顔を引きつらせる。 「ご、ごめんなさい!?答えたくないなら無理に」 「あ、いや、ち、ちが、違うの」  言葉の間に混ざるどもりの数が増すのに比例して、真菜の顔も青くなっていく。 「ごめん、なさい……ちょっと、外すね」  遂に真菜はよろよろとその場を離れ、シードラモンは海を一度キッと睨みつけるとその後をついていった。残された海意は、しばし呆然とした後、苛立たしげに頭を掻きむしった。  魚澄真菜の泳ぎは美しかったし、水を愛し愛されていた。肺活量だけは人一倍あれどあれ程早くしなやかに水の中を舞える事は自分には到底無理だった、故に憧れた。だから、どうしても理由を聞きたかった。だが、よく考えればそんな彼女がそうなるなぞ尋常じゃない理由があるのでは、と今になれば思い至れただろうに、感情のままに口に出し、結果この様だ。 「またやっちゃった…何してんのよ私は…」  呟いた後に俯きながら落ち込む海蒼を、モドキベタモンは肩を叩き慰めるのであった。  一方、先ほどの岩場から離れた真菜は、浜の木陰で体育すわりになり、顔を伏せていた。 「ほれ魚澄、ココナッツジュースだぜ!」 「バナナも見つけた…」  突如自分の前に顔を出したクロウと竜馬から渡された差し入れに、真菜は何も言わずに口をつける。気心が知れた中とはいえ流石にそんな様子ではどう反応すればいいものか、とりあえず二人はその隣に腰かけた。 「…何か嫌な事でも言われたの?」 「…ううん、聞かれても当然のことだったと思う。私が勝手に慌てちゃっただけ」 「そーかよ」 「…無理しなくても、いいとは思う」 「…ありがとう」  ぽつりぽつりと口を開き始めた真菜に、それまで後ろで控えていたシードラモンがおもむろにその長い尻尾を優しく抱擁する様に真菜に巻き付けた。 『…真菜』 「あっ…」 『私と出会う前の私の知らない真菜がどのようであろうと、私は真菜の味方だ。真菜が自身の心は傷つける必要はないし、そのようなことがあれば微力ながら私がその心を守ると誓おう』 「…えへへ、ありがとうシードラモン」 それまでこわばっていた真菜の表情が、ここに至ってやっと和らぎ、シードラモンの胴を優しい手つきでなでる。そんなほほえましい様を見て、クロウと竜馬も安堵のため息をつくのであった。 『ピーー!!!』 突如、そんな穏やかな空間に絶叫が響いた。見れば、沖合の方で小さなデジモンが大きなデジモンに襲われていた。 『あれは…エビドラモン!?』 「襲われてるの…トリケラモンのご飯を取ったプカモンだ…」 「つまり…ここのチビってことかよ!?まずいじゃねーか」 「シードラモン!!」  慌てる男どもを尻目に、真菜は相棒の名を呼ぶ。その一言で理解したシードラモンは、海に飛び込みエビドラモン達のもとへと向かっていく。 「二人はみんなを呼んできて、私達が食い止める」 「わかった…!」 「無茶すんなよ!!」  駆けて行く仲間の背中を見送り視線を海に戻せば、すでにシードラモンがエビドラモンの元へとたどり着き、両者睨みあっていた。 『その子を離せ!アイスア…!?』 『シャアアアア!!!』 『ぐう!?』  義憤に任せて必殺技を放とうと口を開いたシードラモンの言葉が不意に止まり、その隙をついてエビドラモンがハサミを振り下ろす。クリーンヒットこそ免れたものの、シードラモンの体は大きく後方に打ち飛ばされた。 『おのれ貴様…幼子を盾にするなど、恥を知れ!』 『ピィィ…』  シードラモンの怒号をあざ笑うかのように、エビドラモンは先ほどシードラモンを殴り飛ばした方とは逆のハサミを前面に掲げる。そこには、拘束されたプカモンが体を震わせて涙を流していた。 「シードラモン…」  そんな相棒の苦境は、浜で戦況を見ていた真菜の目にも入っていた。心配と恐れを抑えるように、握った手にギュッと力が入る。そんな時、不意に耳に水音が二つ響いた。その方向を見れば、水しぶきが戦う2匹の元へと向かっていた。 「えつ!?あ、あれって」  驚く真菜のもとに力強い声が響いた。 「モドキベタモン、進化っ!!」  一方海上では、プカモンを人質にとるエビドラモンに対し、シードラモンがいまだに攻めあぐねいていた。その様子を見たエビドラモンはニヤリと口元をゆがませ、片側のハサミを振りかぶった。 『おのれ…!』 悔しげに牙をきしませて防御態勢をとるシードラモンに、エビドラモンはハサミを振り下ろす。 『バブルボム!!』 『ギシャーー!?』 しかしそれがシードラモンに届く前に、無防備な脇腹に打ち込まれた爆撃によりエビドラモンが吹き飛ばされた。同時にハサミの拘束が緩み、プカモンも宙に浮く。エビドラモンが派手に着水し大きく水しぶきを上げる横で、プカモンは小さな胸に優しく抱き留められた。 『き、貴様は!?』 「その子を安全なところへお願い!!」  驚くシードラモンの視線の先には、潜水服を身にまとう魚人のごときデジモンーデプスモンと、その背に乗るウェットスーツの少女ー渡慶次海蒼。 『…勝てるのか?』 「アイツ、標的はたぶん私たちよ。前にここでれて私達がのしたことがあるの。大丈夫、もう一回ぶちのめすだけよ」  プカモンを受け取ったシードラモンは問いかけるが、それに対して返答する海蒼の瞳に覚悟と怒りの炎が灯っているのを見やると、それ以上は何も言わずに浜へと引き返す。横目でその後ろ姿を見送った海蒼は、改めてエビドラモンに相対する。 「さあて卑怯なエビ野郎!また海底を舐めさせてやるわ!!」 『シャアアアア!!!』  強く睨みつけながら啖呵を切る海蒼に、憎き仇を見つけたエビドラモンも怒り狂う。鳴き声を上げながら体を震わし、その体から光があふれだした。 『…海蒼、なんだか様子がおかしい!?』 「ま、待ちなさいよ、あれって…!?」  やがて光は全身に及び、包まれたエビドラモンの姿が突如変わりだす。体は大きく長く、ハサミは伸びて鋭く…やがて光が収まれば、エビドラモンはその姿を大きく変えていた。 【完全体 アロマノカリモン】 「ど、どういうことよ、これ…!?」 『俺たちへの怒りで…進化したってのか!?』  驚愕する二人に向け、エビドラモン…もといアノマロカリモンは触腕を伸ばす。その先から水流が巻き起こり、二人に襲い掛かった。 『!?海蒼っ!?』 「つ!?うわっ!?」  虚を突かれる形になりながらも、デプスモンはとっさに海蒼をかばう。しかし完全体の作り出した海流は伊達ではなく、やがて巨大な渦となり二人を容易く飲み込んでいく。海蒼は渦に巻き込まれながら、自分をかばい体に傷をつけていくデプスモンを見やり、回らない頭で必死に考える。 (くっ…前に倒した相手だからって油断した…このままじゃ二人共…せめてデプスモンだけでも…)  苦しい中でも覚悟を決めた海蒼は、もはや足手まといにしかならない自分を置いてデプスモンを逃がそうと腕に力を籠めた。  その瞬間、閃光が海着の目前を走った。 『ギシャーー!?』 「えっ、な、なに」 「渡慶次さん、大丈夫!?」  見上げれば、深紅の鱗を身にまとう巨大な海龍ーメガシードラモン。その背にまたがる魚澄真菜が、手を差し伸べていた。ひとまず差し出された手を取った海蒼を自身の後ろに乗せると、安心した笑みを見せた後に真菜はアロマノカリモンへと向き直る。 「渡慶次さん、しっかり捕まっていてね…行くよ、メガシードラモン!」 『ああ、真菜!』  掛け声とともに立ち向かう真菜とメガシードラモンに、仇敵をなぶる楽しみを邪魔されたアノマロカリモンも怒りのままに応戦する。アノマロカリモンが振り上げたブレードをメガシードラモンが尾ではじき返し、またメガシードラモンが電撃を放とうとすればアノマロカリモンが放水をぶつけて邪魔をする…2体の海獣のぶつかり合いは、熾烈を極めた。 「こ、これが…完全体デジモン同士の戦い」  そんな様子を眺めていた海蒼は、あまりの激しさに背筋を冷やす。そして思い至る、中学時代の同窓である真菜は、こんな場所に身を置いているのに平気なのか、と。海蒼は思わず真菜を見やるも、その顔は凛々しく目先で戦う相棒を見つめていた。しかし、気づく、その真下…相棒の体を掴む小さな手が、わずかに震えていることに。 「…私たちも、守られてばかりじゃいられないわね」 「…え?」 「デプスモン!!」  海蒼の叫びに呼応し、戦況を見守っていたデプスモンが会場にはねる。その瞬間、海着の右腕に巻かれたバイタルブレスから海色の光があふれ出した。一瞬あっけにとられるも、直ぐに海着はデプスモンとニカリと笑いあい、その腕を天に掲げた, 「デプスモン、進化!!!」 【完全体 マリンブルモン】  マリンブルーの光に包まれたデプスモンはその躯体を逞しく変じ、その光が晴れれば色鮮やかなウミウシの偉丈夫へと進化していた。いきなりのことに敵や相棒とともに目を丸くしていた真菜に、海蒼は得意げにほほ笑みかける。 「さぁ魚澄さん、アイツをぶっ飛ばすわよ!」 「あ、う、うん!」  真菜はその言葉に顔を凛々しく変え、二人は並び立つ相棒たちへと目を向ける。2体の完全体と相対したアロマノカリモンは一瞬ひるむも、無謀にも触腕を振り上げながら突撃する。振り下ろされた刃は前に出たマリンブルモンが腕の砲塔にて受け止め、そのままがっぷり四つに突入した。流石は、完全体同士、お互い一歩も譲らずに力比べを続ける中、不意に涼やかな声が響いた。 『よもや貴様が、卑怯だなどと言うまいな?』  次の瞬間、アロマノカリモンの脇腹を雷の槍が衝いた。メガシードラモンが放ったそれを、意識的にも物理的にもマリンブルモンにしか目に入っていなかったアノマロカリモンに防げる道理はなく、声すら上げられずに倒れ伏した。 『そんじゃあまあ、お帰り願おうか!!』  小さくうめくしかできないアノマロカリモンの背後に立ったマリンブルモンは、その大きな両腕で尻尾を掴むと、おもむろにぐるりぐるりと回りだす。それはどんどん早くなっていき、あっという間に遠心力は最大に達した。 「やっちゃえ、マリンブルモン!!」 『いよっしゃあああああ!!』 『シャギャァァァァ!?』  海蒼の言葉にマリンブルモンの勇壮な雄たけびが重なり、同時にアロマノカリモンはぶん投げられる。蒼穹へと一直線に飛んでいき、もはやその姿が視認できなくなるほどはるか彼方にて、水しぶきが上がった。 「や、やったね!」 「うん!」  そして、二人の少女は微笑みあい、小さなハイタッチの音が海原に響いた。  日も落ちた夜のビーチにて、明るい火の周りに楽しげな声が舞っていた。磯に住むデジモン達と客人であるテイマー一向は、焚き火の周りに並べられた食事を思い思いに楽しんでいる。そんな様子を外れに横たわっていた流木に腰掛けながら眺めていた真菜の元に、お椀を持った影が一つ近づいてきた。 「魚澄さん、これどうぞ。私が作ったあら汁よ」 「あ、ありがと渡慶次さん…あ、美味しい…」 「ふふ、良かった」  そのまま海蒼もその隣りに腰掛け、2人で静かに喧騒を眺める。そして、真菜が徐に口を開いた。 「……実は私ね、今、水に入れないんだ」  突然の告白に、海蒼は思わず真菜の顔を見る。一方の真菜は、思い切って口に出したものの、次の言葉の選択に迷っているようで口籠もってしまっていた。そんな様子を見て少しだけ冷静になった海蒼は思い至る、あの手の震えはそういう事か、と。 「……それなのに、私を助けに来てくれたのね」 「え、あ、うん、シードラモンが一緒なら、少しは大丈夫になったから…」 「…ありがとう」  感極まった海蒼は、真菜を優しく抱きしめる。流石に突然すぎて真菜は固まるも、おずおずとその背中に手を伸ばした。 「…ねえ、良ければ『真菜』って呼んでもいい?」 「い、いいよ!?じゃ、じゃあ私も『海蒼ちゃん』って呼んでもいい!?」 「勿論よ…ふふ、なんか不思議な感じね。こっちの世界でそうなるなんて」 「そ、そうだね!?ちゅ、中学の頃は部活でしか関わりなかったからね!?…それであの、そろそろ…みんな見てる……」  真菜の声が妙に上ずっているのに加えて、何かを感じ取って海蒼は顔をあげて周囲を見回す。クロウ、竜馬、他真菜の仲間たち、磯の仲間の小さなデジモンたち、二人のパートナーのシードラモンやモドキベタモン…その場にいた全員が、興味深げだったりニヤニヤしたり頬を赤らめたりしながら、真菜と海蒼を凝視していた。感激と沖縄人の血からか、自身が中々に際どい体勢を取っていた事に今更ながら気づいた海蒼の顔が、瞬く間に朱に染まる。 「な…な…な…」 「な、何見てんのよ見世物じゃないわよー!!!!」  遮るもののない星空に、海蒼の絶叫が木霊するのであった。