エドリス王アクタヌス7世は王座に座りながら、苦しそうに息を吐いた。 「辺境でまた一つ町が飲まれたという。誰かあの忌まわしい〈霧〉を止める妙案はないのか」  アクタヌスの脳裏に〈霧〉に住処を奪われ流民となった国民の姿が浮かんだ。  故郷を失った彼らは希望を求めて王都にやってくるだろう。しかし、王都とて養える人口には限りがある。  このままでは疫病、犯罪、そして飢餓が巻き起こり、城下は地獄となるだろう。いやそれよりも前に〈霧〉が王都にもやって来るかもしれない。  物憂げなアクタヌスが群臣の顔を見渡すと、一人の老人が進み出た。  「我が君……既に事態は私どもの手に負えるものではありませぬ。宮廷魔術師として長年に渡り我が君の禄を食んでおりながら、この体たらく。まこと慙愧に堪えませぬ」 「カルロン、お前ほどの術者が弱気なことを申すな」 「いえ、我が君。この〈霧〉は我らの知る魔術では説明がつきませぬ。そこらの妖魔などとは根本的に異なる未知のものでございます。ですがご安心くだされ。このカルロン、かくなる上は我が命に代えても最後の術に望みをかけとうございます」 「最後の術だと? カルロンよ、何をするつもりじゃ?」 「は……この世界とは異なる世界からの召喚を行おうと考えておりまする。我が命と引き換えに〈霧〉に対処できる者を呼び出すのでございます」 「召喚か……二百年前も王国の危機に際しそれを行ったということは|孤《こ》も知っているが……」 「お許しいただけるでしょうか?」 「ならん、ならんぞ、カルロン!」 「なぜでございましょうか」 「王国にはまだお前が必要だ。何か他の手を考えるのだ!」 「我が君の慈愛に満ちたお言葉、感激の極み。されど他に方法はございませぬ。どうかお許しを」 「カルロン……」 「我が君、おいぼれの命一つで国が救えるのならば安い物ではありませぬか。少を惜しみ多くを失うことがあってはなりませぬ」  アクタヌスは観念したように目を瞑って天を仰いだ。 「……お前がそこまで言うのならば、相分かった。もはや止めはせぬ。お前の望むとおりにするがよい」 「ははーっ」  〈霧〉の対策を議論する御前会議を終えると、カルロンに近づく男がいた。  男は筋骨逞しく、歩く姿にさえ一種の迫力がある。だが、男はカルロンには敬意をもって接した。 「|導師《エルダー》カルロン……!」 「ローワン? どうしたのかな血相を変えて」  ローワンと呼ばれた男は心配そうに尋ねる。 「召喚の儀は命がけとなりましょう。本当に行うのですか?」 「ああ。他に方法はないのだ。未練は残るが後のことは任せたぞ。陛下とこの国を頼む。そして、できたら我が弟子のことも気にかけてくれ」 「……儀式はいつ行う予定ですか」 「これから準備に入って……三日後に執り行う。危険がないとは言わんが、君も立ち合ってくれるだろうな?」 「無論です」  ローワンという長身の男は、カルロンに深々と頭を下げ、その後姿を見送った。      一方、時空を隔てた遥か彼方にて。  所狭しと押し込まれた機械とそれらを繋ぐ無数のコードが張り巡らされた研究室。そこではひんやりとした空気を送り続ける冷房とコンピュータの発する低い唸り声が室内を満たしていた。  その場で黙々と作業しているのは二人の男である。  彼らは本質的に人間といえる存在だが、地球やエドリス国に住む霊長類の一種とは異なる姿を持っていた。  二足歩行ではあったものの、外見には爬虫類的な要素が強く、ゴツゴツとしたうろこ状の皮膚を持ち、頭髪やヒゲ、その他の体毛をほとんど持っていない。  代わりに後頭部からは長さ15センチほどの角が二本生えていた。また彼らのうろこ状の皮膚は鮮やかな赤色で、その為に霊長類人種が彼らを見れば悪魔的な印象を受けるだろう。    一通りの作業を終えた一方が呟くように言った。 「よし……システム最終チェックスタート」 「博士」 「何かね?」 「実を言うと今まで怖くて聞けなかったんだが、このミッションの成功確率はどれくらいなのか、聞いてもいいかな」  博士、と呼ばれた男はふんと鼻を鳴らす。 「ゼロではない、とだけ言っておこう」 「それは朗報だな。時間移動の成功確率がゼロではないとは。こんな状況でなければ、我が種族のテクノロジーもここまで来たかと感慨に耽るところだよ」 「……残念だが……単にどうなるか予想がつかないだけだ。我々のしていることは巨大な大砲に人間を詰めて、|衛星《つき》まで飛ばそうとしているようなものだよ」 「それでもなお素晴らしいことさ。乏しいリソースに時間の制約。その上でよくここまでやってくれた。ありがとう、博士」 「どういたしましてと言いたいところだが、褒めるのはまだ早い。無数のシナリオが考えられる中で最良の結果を引かなくてはならないのだから」 「しかしその最高の結果を引けば、私は過去に飛び、世界が今のような悲惨な歴史を辿ることを阻止できるのだろう? 人事は尽くした。後は祈るのみだ。」 「……その通り。しかし最高の真逆……考えられる最悪の結果がどういうものか……シンよ、君は考えたことはあるかね?」  シンと呼ばれた男は肩をすくめた。 「さあ? 行く手に時空の壁が立ち塞がり、私の体を限りなく二次元に近い状態に押し潰すとかかな?」 「それは随分牧歌的な考えだ。最悪の場合我々の行為は君は剝き出しの特異点へと変え、それが元で連鎖的に物理法則の崩壊が始まり時空連続体の構造に致命的なダメージを与える。そして最後には宇宙全体が破けた風船のように弾けるのさ」  博士はそう言いながら四本の指で風船が割れるジェスチャーをした。 「怖いことを言うなよ」 「すまない……こんなことを言うべきではないんだが……共犯者が欲しかったのさ。生き残る為に、全宇宙を危険に晒した罪のね」  そこまで言うと博士は自嘲気味に笑う。  おどけて見せているが、シンは博士が心の奥底に隠そうとしていた恐怖の感情を感じ取った。 「やれやれこりゃ厄介な話に乗ってしまったな。今からでも抜けることはできないかな」 「……それは無理だ」  そういってる間に、博士はシンの体に様々な装置を着装させ、最後にカプセルのような物に入れと促した。  カプセルはようやく人一人が入れる大きさで、かなり狭苦しい。  その扉を閉めるとき、博士は男に最後の言葉をかける。 「どこに向かうか分からんが、君は我々が送り出せる希望。どのような結果になろうとも、そこで全力を尽くせ」 「ああ」 「いいか、決して振り返るな。君が歴史改変に成功してもしなくても、どの道この世界は消えるのだから」 「分かっている」 「幸運を祈っているぞ。さらばだ、シン」 「さようなら博士。貴方とこの世界にはその百倍の幸運がありますように」 「……最終チェック完了。システムオールグリーン。では、準備はいいかね?」 「勿論」  そういって博士はカプセルの扉を閉め、ずっと低く唸っていた機械を始動させた。 「……時空穿孔装置起動! タンホイザーゲートを開くぞ! 穿孔開始!」  周囲はこれまでの千倍もの振動と音に包まれた。  その瞬間シンの視界が開けた。  狭苦しいカプセルの中にいるはずなのに、突如広大な空間が目の前に広がっている。  いまシンは世界の淵に立ち、時空の裂け目を通して別に世界を見ていた。  博士が叫ぶ。 「さあ行け、シン! 決して振り返るな!」  世界と世界の狭間に立ち、振り返らず前に進めと急き立てられる。  一瞬シンはこれまで自分が属していた世界に後ろ髪を引かれて、振り返りそうになった。しかし、抵抗不可能な力の奔流がそれよりも早く彼を新たな世界へと引きずり込む。  時空穿孔装置が停止してカプセルの扉が開くと、そこにはもうシンの姿はなかった。   「あっあああっ……!」  ある世界から別の世界へ渡る衝撃は想像を絶するものがあった。  シンは時空移動のダメージから身体を保護する為の特殊な装備に身を包んでいたものの、それでもなお身を引き裂くような痛みが絶え間なく襲ってくる。  未知の放射線が不可視の刃となってシンの体を切り刻み、シンの世界にはなかった元素が彼の体を焼き焦がした。 「ぐ、ぐううう、ああああっ……!」  世界と世界の狭間へと投げ出され、そのどれほどの時間が経っただろうか。  十秒か、十日か、あるいは百年か。  その問いに意味はない。なぜならそこは時間が存在しない場所だったからだ。  刹那あるいは久遠の時間、シンは果てしない苦しみに耐えていたが、その終わりは突然にやってきた。  再び不思議な力の奔流がロウの全身を持ち上げて、強制的にどこかへと押し流す。  次の瞬間、シンは自分を苛んでいた痛みが消え、体を横たえていることに気が付いた。  「うぐぐ……」  呻き声を上げながら周囲を確認する。すると自分は謎の生物に囲まれていることに気が付いた。  その生物にとってシンが未知の|異邦人《エイリアン》であるように、シンにとっても彼らは未知の存在だった。  高度に進化していたシンの精神感応力は、その生物たちが自分に対して怯えと困惑と恐怖と敵意、そして僅かな好意を持っていることを感じ取る。  奇妙な生き物だ、とシンはいま一度周囲を見渡し、ざっと彼らを観察した。  二本の後ろ足で立ち、前足は器用に道具を操れるよう発達しているように見える。そして体の最高部にあるのはおそらく頭部。  細かい相違点を無視すれば、一対の足、一対の腕、頭部というそして基本的なフォルムは自分の種族と相似している。  相違点は乳白色、薄橙、褐色など、それぞれの個体が様々な体色を持ち、多くの個体は頭部に濃い体毛が生えているということだ。  さらに特出すべきことに、彼らは衣類を身に着けていた。  例えその素材や構造が高度とはいえないまでも、それは自然界から入手した物体を加工し、自分たちの目的の為に役立たせる知性の証拠である。  ただし、考えれば考えるほどシンにとっていまの状況は喜ばしいものではなかった。  世界移動で負った痛みに悶えながら、心の中で毒づく。    くそっ。くそっ。くそっ。タンホイザー計画は失敗だ。  |私の星《セプテリオン》にこんな生き物がいた歴史はない。明らかにここはどこか別の世界だ。  これで、我が種族の命運は尽きたというわけだ。    果てしない拷問のような苦痛にすら耐えたロウだったが、心の痛みはその苦痛以上だった。 『うううっ。くそっ!』  やり場のない怒りに震え、シンは拳を床に叩き付ける。  その行為は、シン自身予想だにしない重大な結果を巻き起こした。  叩きつけた拳は、敷き詰められた石造りの床を粉砕し、留まることの知らない衝撃は恐ろしい音と共に、周囲の壁までも巨大な亀裂を生じさせ、さらにはシンのいる建物、すなわちエドリス城を基礎から揺るがしたのである。  な、なにが起こった?  シン自身すら、自分の起こした事態に驚いて両手を見た。  自分がいま粉砕したのは切り出した石か、コンクリートか。  いずれにせよ決して脆い素材ではないことぐらいは分かる。それがまるで灰のように砕けた。  何かがおかしい。  そして、シン以外の者はシン以上に驚いていた。 「うおおおっ!」 「こ、これは」 「ば、化け物かっ!」 「悪魔……!」  儀式を見守っていた兵士たちは恐怖に目を剥いて武器に手を掛ける。  シンは周囲から激しい恐怖と憎悪を感じ取った。 「ま、待て」  いきり立つ兵たちを抑えてカルロンが進み出た。  召喚の儀を行った老魔術師は、最後の力を振り絞ってシンの元へと歩を進める。 「おお、荒ぶる者よ、どうか怒りを鎮め給え」   当然ながらカルロンが何を言っているのかシンには分からない。  ただしセプテリアン特有の精神感応力により、老人に敵意がないことだけは分かった。  感じるのは敵意ではなく、哀しみ。そして苦痛。 「ここに、呼び出されたのは、貴方の意図するところではなかっただろう……。申し訳なかった。ハァハァ。この上、厚かましい願いであることは重々承知しているが、どうか我らに力を貸して欲しい。〈霧〉を消し去る為に……」  シンはカルロンの精神が消えていくのを感じた。ハッとして立ち上がる。  反対に、カルロンは糸が切れたかのように、その体が傾いた。  シンが倒れ込むカルロンを抱きかかえたとき、既に老魔術師は事切れていた。  いったい、何が起きている……?  混乱したまま、シンはカルロンの遺体をゆっくりと床に横たえた。  周囲を囲む兵士たちが緊張して息を呑む。 「召喚者よ、大人しくしろ」  誰かがそう言った。その言葉の意味をシンは理解できない。  代わりに彼は周囲の人間の精神を探った。自分に対する恐怖が高まっていくのを感じる。  危険だ。  シンはそう判断した。 『……すまない』  唸るようなセプテリアンの言語でそういうと、シンは素早く動いた。  兵士たちも反応したが、シンのスピードは桁違いだった。  それはシン自身でも驚くほどのスピードだった。不可解な怪力といい、時空を超えた際に自分の体に何か変化が起こったとしか思えない。 シンは最も近くの壁に身を寄せると、石造りの壁を発泡スチロールのようにぶち破って、あっという間にその場を後にした。 「ローワン様、この状況は……い、いかがいたしましょう?」  兵の一人からそう尋ねられたローワンは、しかめっ面で答えた。 「いかがいたしましょうだと? このまま放っておけとでもいうと思ったか? 草の根を分けてでも奴を探せ」