「IF、カリブがピタをさらう話」 「全員動くな!」 船長ピタの首筋には、カットラスの冷たい刃があてられていた。 刃の持ち主の、鱗と水かきのついた腕がピタの目に入る。 背後にいるらしいカットラスの持ち主を確認することはできなかった。首を動かすことができないからだ。 視線だけを甲板に向けると、10人近い異形の者たちが、各所で船員に刃物をつきつけていた。 全身が鱗に覆われた女、カニ爪のような腕を生やした女、武器を持った人魚の形の影。 予兆はなかった。 これまで貿易船ミーニャ・ニーニャ号が海賊に襲われたことは何度かあったが、ここまでの大量の侵入者を許したことはない。 「突然、霧が出た」という報告を聞いて、ピタが甲板に出た時には、すでに船は占拠されていたのだ。 「お前が船長だな?」 ピタの背後に立つ声の主が問う。 「……はい」 「一緒に来てもらう」 声の主はそう言って、ピタが腰に下げていた護身用の拳銃を甲板に放ると、歩くように促した。 「……わたしが行けば、ほかの船員に危害は加えないでいただけますか」 「お前に交渉の権限はない。  だが……あまり荒事を見たくないなら、おとなしく従った方がいい」 背後の女の言葉に、ピタは仕方なく歩きだす。 甲板にいた何人かの用心棒が、侵入者たちと交戦しようとした。 「うぉぉぉぉ! 黙ってやられるかっ!!!」 船員もそれにならおうとして、異形の女たちにナイフや銃を向ける。 異形の女の内の一人が魔法を放ち、武器を振りあげた男たちを、一気に水の輪で拘束した。 リザードマンらしき女が長い舌を伸ばして、船員を後ろ手に縛りあげる。 用心棒を雇った船長ピタには、海賊とのレベル差がはっきりとわかった。 (魔物のような姿の海賊……敵には高度な魔法の使い手もいる……  この比較的安全な海域のために雇った護衛じゃ、到底かなわない……) 今、船にいる用心棒と船員の戦力では、無駄に血が流れるだけなのは明らかだった。 「皆の者! 抵抗はしないで!」 ピタは叫んだ。 用心棒と船員たちは戸惑って腕を止める。 霧の中、ニーニャ号のすぐ隣に、いつの間にか巨大な黒い帆の海賊船がいた。 海賊船からこちらに長い板が渡される。 (――わたしは、二度と、この船に帰れないかもしれない……) そう強く思いながら、ピタは細板を渡った。 「全員撤収!」 ピタが船を渡り終えると、背後のマーマンの女が指令を出した。 (船の略奪をしない……!? わたしだけが目当てなの!?!?) ニーニャ号の甲板にいた異形の女たちが、一斉に海に飛びこんだ。 海賊船からクジラの鳴き声のような重低音が鳴り響く。 それとともに、ピタの周囲の景色が上昇していった。 「!?」 海賊船が沈んでいる。 海面がどんどん近くなり、ついに海の中に甲板が沈むとき、ピタは思わず息をとめた。 だが、海水が甲板に流入してくることはなく、そのまま船は水の中に潜っていく。 海面からずっと下の地点までたどり着いてから見上げると、甲板は巨大な空気の壁に包まれているようだった。 「その子が例の子?」 少女の声が聞こえた。 「はっ。この女が船長です」 周囲の船員たちが襟を正して少女を迎える。 赤い三角帽子を被った少女は、ピタをじろじろ眺めた。 「ふぅん。まだ結構若いのね」 少女はピタの前で腕を組む。 「ようこそ、アタシの船へ。  アタシはカリブ。この船の船長」 「……ピタと申します」 「アンタが“令嬢船長”?」 「…………港ではそう呼ばれることもあります」 「ふぅん」 海賊、なのだろう。だがあまりに年若い。 ピタにとって、カリブは自分よりかなり年下に見えた。 「アンタをアタシの船で使ってあげようと思って。喜びなさい」 「……」 「人間の国の海図が読める航海士が欲しかったの。  読めるでしょ?」 (――――“人間の国”?) 耳慣れない言い方に違和感を覚えながら、ピタは答えた。 「……一般的な海図でしたら」 「がんばってくれれば、ちゃんと報酬も出すわ。  ウチの船は女の子だけだから、働きやすいでしょ」 ピタは甲板にいる他の船員に目を向けた。 船員たちは、種族はマーマンや人魚、水棲種族の亜人など、ピタがこれまで見たこともない風体の者たちばかりだったが、確かにすべて女性のようだ。 「じゃあ、これからよろしくね。令嬢ちゃん」  ◇  ◇  ◇ 海賊船の内部は奇妙だった。 ピタは職業柄、それなりに船を見てきたつもりだったが、どこの国の港でも見たことのない造船様式だ。 ニーニャ号の甲板から見た船の大きさより、内部はずっと広く感じる。内装は主に金属板が使われており、雰囲気はウエス王国の軍艦に近い。 海賊船内は海水に満たされたエリアと、海水を入れないエリアに分けられ、魔術隔壁によって区切られていた。 船室の大半を占める海水エリアは、水棲生物の亜人たちが行き来していて、ピタにはその内情を伺い知ることができない。ピタが移動できる範囲が限定されているからか、船内では特に見張りもつけられなかった。 船が潜航する時には船底に近い多くのエリアが海水で満たされ、上昇時には水が排出される仕組みらしい。 船で働いているのは、カリブが言ったとおり、全員女性だった。 女性たちは二種類にわけられる。一つは、船長のカリブに忠誠を誓う、士気が高い女戦士たち。異形の水棲亜人が多い。 もう一つは、浮かない顔で船の仕事をこなす女たち。こちらは人魚が多かった。 ピタと同じように、どこからか攫われてきたのかもしれない。 今のところ、船長カリブ以外に人間は見かけていない。 (女性だけの海賊船……そういえば、港で聞いたことがある……) 【最近様々な海域に現れる、神出鬼没の、女ばかり乗った海賊船がいる】 【海賊船は、求める物をおとなしく差し出せば、すぐに解放してくれる】 その海賊船が、今回なぜかピタを求めていたようだ。 (あっという間だった……いつの間にか、わたしの船が標的にされてたんだ……。  あの霧も、海賊船の策だったのかも……) おそらく今頃、ニーニャ号に残された船員は、各地の港・海軍・冒険者ギルドに、捜索と救助の要請を出しているだろう。 (……救助要請を出しても、この海賊船が見つかるかな……) 海賊船は不思議な技術で潜航して、海の中を進んでいる。 ウエス王国海軍の最新鋭潜水艦でもなければ、発見できないだろう。 (でも、ウェイブのライフオブアドベンチャー号なら、海に潜れるはず……っ) ふと頭をよぎった考えに、ピタは首を振った。 ウェイブは何度か仕事を依頼したことがある相手だし、面識もある。しかし。 (……駄目っ、ウェイブがいるウエス王国とこの海域は、かなり距離があるから、すぐには……) ウェイブのライフオブアドベンチャー号は、伝説的だが旧式の帆船だ。 この近くまで来るにはそれなりの時間がかかるだろうし、こちらの場所を知らせる手段もない。 (ウェイブはいま、シン大陸行きの準備をしてるはず……  その合間を縫って、わたしのためだけに遠い距離をやってきて、この海賊船を探してくれる……かなぁ…………) かつて一緒に仕事をしたこともある仲ではあるが、自分がそこまでウェイブにとって重要な存在であるかというと、自信がない。 S級冒険者には各地から常に依頼が舞いこんでいるのだ。 (……帰りたい) 焦りが募る。 ピタは赤子の時からミーニャ・ニーニャ号の上で育った。陸で過ごした時間より、海の上で暮らした時の方が長い。 その家のような船から切り離されることが、こんなに心細いと思わなかった。ピタは唇を噛む。 船の潜航深度が変わるのか、海水エリアとこちらを区切る魔術隔壁が移動をはじめた。 海水エリアに飲みこまれないように、ピタは歩きだす。 眼前に、突然ぬめつく触腕が飛び出してきた。 「!?」 「あぁらごめんなさい、新入りさん」 海水エリアから隔壁を越えてこちらにやってきたのは、魔女のような風体の女だった。 ただし下半身はすべてタコの足で、ピタには魔物の一種にしか見えない。 「……」 「私、貴女みたいな子を見るとわかっちゃうの……。  まだ希望を捨ててない目だ、って」 タコ足の女は大仰な節回しで語りかけながら、ピタの前に回りこむ。 ピタは思わず後ずさり、壁際に追いつめられた。 「きっと陸に好きな人や、大切な人がいるんでしょう?  くひひ……、とってもとってもかわいそう……。  もうすぐその目が絶望に濁るわ……」 タコ足の魔女は10本の足をそれぞれに波打たせながら、歌うように囁いた。 「貴女、この船からもう出られないの。  私だって出られないんだから」 「……オクトーラ、新人をいじめるな。  カリブ様に言いつけるぞ」 いつの間にかそばに立っていた、マーマンの女戦士の声だった。 オクトーラと呼ばれたタコ足の女は、「ひっ」と小さく息を漏らすと、恐怖の表情で海水エリアへと逃げていった。 「……まったく。  カリブ様がお呼びだ」 マーマンの女は、きびきびと歩いてピタを案内する。 (……なんだったろう、今の……。  あんな魔物みたいな見た目でも、『カリブ様』を怖がってるってことは、この船の船長は、見た目は人間の女の子だけど、きっと見た目通りの相手じゃない……  そんな海賊の船から脱出するには、どうすれば……) ピタが案内された先は船長室だった。 海水の入らないエリアにある船長室は、少女趣味の家具で飾りつけられている。 ピタを案内した女はすぐに立ち去った。 部屋にいるのは船長のカリブとピタの二人だけだ。 「どう? いい船でしょ」 カリブは作りつけの安楽椅子に座っていた。 二人きりの空間。 (…………これは、もしかして、チャンス……?) この機会を逃せば、二度とカリブと二人だけで過ごす時間はないかもしれない。 重厚なつくりの船長室なら、周囲に音は漏れない。 この船から脱出するために取れる手は、ただ一つ。 ピタに天啓のような考えが走る。 ピタが持つ特別な力――《魅了》と、手練手管で船長カリブに取り入るしかない。 「えぇ、とても立派で驚きました」 ピタは令嬢船長らしく微笑んでみせた。  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 一週間後。 交代の航海士の仕事を終えたピタは、海賊船バトルマーメイド号の甲板から、船を包む水の中を見つめていた。 (帰りたい……) 一日に何度も、心の中で呟く。 カリブに取り入る作戦は、今のところ成功している。 ピタの《魅了》を利用して、カリブとは「親しい関係」を築いた。 ピタの秘密を告白し、それを受け入れてもらうこともできた。 あれから数回、船長室を訪れたし、それなりの好感をもたれているはずだ。 だが、この作戦の最終目標である「船からの脱出」までには、まだ時間がかかりそうだった。 (みんな……元気かな……) ニーニャ号の船員たちが、ピタが想像どおりに行動していたとしたら、ピタの捜索と救助願を出して、元々の目的の港へ航海を続けているはずだ。 ニーニャ号には海賊船と正面から戦う戦力はないのだから、それが最も合理的に思えた。 (シン大陸に行きたいなんて、不相応なことを考えたから罰があたったのかな……) 『貴女、この船からもう出られないの』 タコ足の魔女の言葉が思いおこされ、首を振る。 ふと、船首の方から複数人の大声が聞こえた。 (……? なんだろう……) 声のする方に歩いていったピタは、予想もしなかった顔を見た。 「!?」 「おいカリブ、船員教育はもうちょっとちゃんとした方がいいんじゃねえか?」 海賊船バトルマーメイド号の甲板に出てきたカリブに向かい、海賊カイネ・ドリームガーデンは鉤爪でカリブの手下たちを指した。 「……アンタたち、下がりなさい」 カイネに向かって刃物をつきつけている戦闘員の女たちに、カリブは指示を下す。 「せっかくお姫様のご用命を果たしにきてやったのに、テメェの手下どもはとんだ態度じゃねえか」 「……ちゃんと“アレ”は持ってきたんでしょうね?」 カイネはひきずった麻袋を掲げてみせる。 カイネの背丈より大きな麻袋の中身は生き物らしく、びちびちと動いている。 「生きたまま持ってくるのは、結構面倒だったんだぞ?」 「中身を確認するから渡しなさい」 「おっと、先に情報をいただいてからだ」 「……中身が頼んだモノだって確認できないと、話せないわ」 カイネは舌打ちをして麻袋を床に置き、鉤爪で破って開けて見せた。 麻袋から巨大な魚が這い出て跳ねまわる。 魚は、自らの頭から生えた長い紐状の器官で、魚体をぐるぐる巻きにされていた。 「ほぅら、お望みの魔アンコウだ。こいつはまだ小さい方だが――」 「マっ……!? はっ……、はぁッ!?  ま……ジェット魔ングラーフィッシュでしょ!?!?」 「は? そんなお上品な言い方してるやついねえよ、こいつは昔からチョウチン魔アンコウって」 「~~~ッ、いいからッ、そんなバカでかい声で言わないで!!!  オクトーラ! 来なさい!!!」 「ハイッ、カリブ様……」 タコ足の魔女・オクトーラが頭を下げながら進み出る。 「……新しい薬の材料、アレで合ってるのよね?」 「ハイッ、間違いありません」 カリブは赤い顔で、オクトーラに、のたうち回る魚が“ジェット魔ングラーフィッシュ”かを確認した。 「……合ってるみたいね」 「当たり前だろうが。とっとと交換条件の情報をよこしな」 「……それだけど。  アンタが探してるってアイテム――例の矛の在り処の話、こっちも色々探してみたんだけど。  めぼしい情報がなくて……」 「……ガキが、死にてえのか?  テメェが探してた魔海のサカナと、俺が探してる情報の交換っていう話だっただろうが!!!」 「人の話は最後まで聞きなさい。  それで、アタシの家の方も色々探させて、ようやく一個それらしい話があったわ」 「とっとと言え」 「昔は、マーメイアの伝説の勇者の元にあったんだけど――  ――今は、国からは失われて、“最果ての海”にある、って」 「“最果ての海”ィ?」 「アンタも知ってるでしょ……未踏航路。シン大陸行きの海域」 「ほぅ。最近よく聞くな」 「手に入った情報はこれだけよ」 「……もうちょっと具体的な場所はねえのか」 「ウチの古い図書館でようやく一文見つかっただけだもの。  これ以上はないわ」 「ふぅん……だが、悪くはねえか」 カイネは足元のチョウチン魔ンコウを拾いあげると、カリブの傍らの、部下の女たちに向けて放り投げた。 女たちはあわてて二人がかりでキャッチする。 「未踏航路か。ちょうどいいかもしれねえな、…………ん?」 なりゆきを見守っていた女たちの最後列で、黄色い三角帽子が飛び跳ねるのがカイネの目に入った。 「…………んっ?  はあぁぁッッッッッ!?」 カイネは思わず三角帽子の主を指した。 「テメェッ、なんでここに!?」 「あら、アンタたち知り合いなの?」 なんとかカイネに発見してもらえたピタは、心からの悲痛な眼差しをカイネに向けた。 (助けて……、どうか、ここから……っ) カリブがいる手前、事情の説明はできないが、なんとか理解してもらうしかない。 「…………あー……つまり…………あー、なるほど」 カイネはその様子から大体のことを察したらしく、一人うなずくと、ピタに背を向けた。 「……っ」 「じゃあ、俺は用は済んだから帰るぞ」 カイネはそう言って甲板から水中に飛び降りた。 海中を振り返りもせず帰っていくのが、甲板のピタにも見えた。 「…………」 ピタには、それを胸を押さえて見送ることしかできなかった。  ◇  ◇  ◇ ――五日後、薄暮時。 ピタは六分儀越しに夜空を覗きこんでいた。 航海士の仕事の一つが、星の観測をもとにして、自分の船の正確な位置を知ることだ。 バトルマーメイド号は一日の大半を潜水していたが、こうして星を観測するときは海上に浮上している。 甲板に出るたびに、ピタの中に、淡い期待が小さい泡のように浮かぶ。 (もしかしたら……もしかしたらカイネさんが助けにきてくれるかも……) だがその期待はすぐに心の中ではじけて消える。 そもそも、彼女にはピタを助ける理由がない。 カイネはカリブと親しげに話していた。 詳しい内容は聞こえなかったが、同じ海賊同士、仲は悪くないのだろう。 現在カリブのものとなっているピタをカイネが救出するのは、カリブと敵対するということだ。 そこまでの価値が自分にあるだろうか? (でもシン大陸行きの件もあるし……。  ……駄目だ、あの人はきっと、わたしの船なんかなくても自力でウェイブを追いかけて未踏航路に行ってしまう……) 浮かぶ期待と、それに対する反論が心に渦巻く。 ふと、六分儀ごしに見ていた星が、消えた。 「……あれ?」 機器から目を離し夜空を見上げると、真っ黒な雲がどんどん空を覆っていく。  < ドンッ > 空気が震えるような低い爆発音が響き、船の前方に水柱があがった。 「きゃあっ!?」 爆風を受けて、船が後方に傾く。 ついで、突如冷たい風が吹き抜けたかと思うと、海をひっくり返したような豪雨が甲板を叩いた。 立っていられないくらいの暴風。 突然の大嵐に、海賊船バトルマーメイド号は上下左右に大きく揺れた。 (なにこれっ、何かが船の前で爆発して……魚雷!?  それにこんな嵐……っ、何かの魔法……?) バトルマーメイド号の船員たちは、爆発について確認するために海に飛びこんだり、帆をたたもうと甲板を駆け回ったりしている。 とにかく何かにしがみつこうとして、ピタは甲板を這った。 「海に潜る」 耳元で声がした。 聞きなれた、女性にしては低い声。 「一分間息とめろ」 感動のあまり泣きだしそうになるのをなんとかこらえて、ピタは息をとめた。 暴風雨の中、生きたような海水が大波となって甲板に押しよせる。 海水は甲板をさらった。  ◇  ◇  ◇ 十日後、魔海。 かつて魔海王フォルネヴェイアが支配し、今では打ち捨てられた海域にて。 「カイネええぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!  でてきなさああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!!!」 海中に少女の声が響き、魔海の凶悪な風体の魚類たちはあわてて逃げていく。 海賊船バトルマーメイド号は、海中数百メートル地点を潜航していた。 音に驚いた魔イワシの群れの一部が、混乱してマジックミサイルを四方八方に撃つ。 「……うるせーと思ったらテメェか、カリブ」 海賊カイネ・ドリームガーデンは、明滅するマジックミサイルの間から、あくびを隠しもせずに浮上してきた。 「ったく、人が気持ちよく寝てたってのに……」 「アンタぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」 カリブは持っていた魔導拡声器を甲板に叩きつけ、一人で船を飛びだす。 愛用のトライデントを片手に、シャチのような速さでカイネに近づき正対した。 「カイネえぇぇぇぇ……………………!!!  あの子を返しなさい………!!!!!」 「あの子ってなんだ?」 「っとぼけんじゃないわよ!!!!!!!!  アンタが逃がしたんでしょ!!!!!  “令嬢船長”!!!!!!!!」 「令嬢……? アイツそんな名前なのか?」 「アンタしかっ!!!!! アンタしかいないのよ!!!!!!!  うちの船を出し抜いて女の子をさらうなんて!!!!!」 「人聞き悪ぃな。俺は女を船に連れ込んでなんていないぜ?  なんなら見てみるか?」 カイネは左腕の鉤爪で下を指す。 ここよりずっと奥深く、深海の底に彼女のブラック・ビッグディック号は沈んでいる。 「アンタの沈没船なんかに興味ないわよ!  海にいないなら陸に隠したんでしょ!!!」 「一体何の証拠があるってんだ?」 「アンタしかいないの!  船の目の前で爆発があって! いきなり嵐が来て!!!  ……後で調べたら、船の近くにバクフグの死骸があったわ」 「ふーん、バクフグって言うのか、あの爆発魚……」 「やっぱりアンタじゃないの!!!!!」 カリブはトライデントを伸ばしてカイネを刺突しようとする。 カイネは緩慢な動きでそれを避けた。 海中にいる時のカイネは、常に海水を高圧縮した水鎧を体にまとわせ、魔海の危険な海洋生物達との接触に耐えられるようにしている。 一般的な武器の攻撃なら、接触しただけで弾くことができる。 しかしマーメイア王国史に名の轟く名工によって鍛造されたトライデントは、その水鎧を貫き、カイネの皮膚を削った。 水中に血煙が広がり、カイネは短く口笛を吹く。 「おー、なかなか筋がいいじゃねえか。  マーメイアの門番に転職した方がいいんじゃねえか?」 「黙れ!!!」 カリブは間を置かず、高速の刺突を繰りだす。 カイネは持っていた黒錨でそれを弾いた。 カイネは元の姿だった時から怪力自慢だったが、カリブも海の中では人間とは思えない膂力を発揮する。 錨が矛先をはじく、高い金属音が間断なく海中に響く。 「アンタを血まみれにして吐かせてあげるわ……!」 「黙れっつったり、吐けっつったり、忙しいやつだな」 海中での金属音は、陸上よりずっと早い速度で伝わる。 二人の打ち合いがはじまるとすぐ、血の臭いと騒ぎを聞きつけた魔海のサメや大型魚たちが集まってきた。 巨大な魔界魚ブラッド・デスが何匹も集まり、二人を取り囲む。 その内の一匹が、二人を同時に口にいれようと大口を開けて突進してきた。 カリブとカイネは水を蹴って距離をとると、カリブはブラッド・デスの横腹を突き、カイネは錨を蹴りあげてブラッド・デスの胸ビレを切り取った。 ブラッド・デスが血と鈍い音を発して沈む。 「邪魔な魚……ッ、アンタこんなのがうようよしてるところによく住めるわね!?」 「ヌルい楽園の姫には似合わねえ地獄さ、とっとと帰りな」 二人の会話の間にも、100m程離れた地点からマジックミサイル・サーモン旅団がマジックミサイルを放ち、色とりどりの光弾が飛んでくる。 カイネは水流を操作して、自分に向けて飛んでくるマジックミサイルの弾道を逸らした。 カリブは光弾をくぐりぬけ、ジグザグにカイネに接近しようとする。 海底側に潜んでいたフキヤガラが、カイネに毒針を発射した。カイネは鉤爪でそれを叩き落とす。 「あの娘を返しなさい……ッ!!!」 ようやくカイネに近づいたカリブはトライデントを伸長させる。 一瞬で伸びてきた矛先をカイネは黒錨で弾き、受けた。 黒錨の角度を変え、先端の錨爪にトライデントの切っ先を搦めて巻きこむ。 カリブはトライデントに引っ張られるような形になった。カイネとの距離が近づく。 「まったく、思ったよりあの嬢ちゃんに執着してるんだな。  一体何がいいんだ?  チンコついてるだけの女だぞ?」 「えっ、なんで知って……………………………………えっ……  …………えっ?」 カリブの顔面が蒼白になる。 それから、見る間に耳の先まで真っ赤に染まった。 カリブは理解した。 二人きりの部屋で、ピタがカリブに「二人だけの秘密」と囁いた真実を、カイネが知っているということは。 ピタと、カイネがどういう関係なのか。 あの女が、どういう人間なのか。 「qぁwせdrftgy……  ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!」 カリブは言葉にならない音を発しながら無理やりトライデントを引き抜いた。 腕力だけで滅茶苦茶にトライデントを振り回す。 だが、怒りにまかせて左右に振りぬくだけの単純な動きだ。カイネは魚のように身を翻してかわした。 「まぁ、海の底で育った人魚の姫サマにとっては、それなりに珍しいのかもしれねえが」 「~~~~~~~~っっっっっっっ、カイネえぇぇぇぇ!!!!!!」 「いつも言ってんだろ、欲しいものがあるなら奪うしかねえって。  取られたくねえなら、ちゃんと宝箱に入れてしまっときな」 「はっああああああああああああああ!!!!????」 「所詮姫サマの海賊ごっこじゃ俺にはかなわねぇよ。  じゃあな」 カイネは黒錨に絡めた水鎖を大きく振るった。 カイネを軸に、黒錨が旋回する。カリブはそれをかわそうと、水を蹴って全身を後転させた。 カリブが体勢を戻す間に、カイネは深海へ潜っていった。 カリブが叫ぶ。 「逃げるなあ!!! 卑怯者!!!」 カリブは水を掻き、人魚であった頃のように水中を進んだ。 「ばか! アホ! ヒレなし! ひとりぼっち!!!」 頭上から降ってくる子どものような悪口に、カイネはあきれて片手を上げてみせた。 「アンタなんか! アンタなんかぁっ!!!  ウェイブに勝てないくせにぃぃぃぃ!!!!!」 カイネの動きが止まった。 深海から波のような急流が湧き起こり、一瞬でカイネとカリブの距離をつめる。 カリブが気づいたとき、カイネの左腕からのびる鉤爪の一つ、その刃先が、カリブの口の中に向けられていた。 「……かっ……はっ…………」 「ふざけんじゃねえぞクソガキ。  俺はこれからウェイブに勝つんだ。テメェにとやかく言われる筋合いはねぇ」 「…………あ゛……」 刃先が口の中にある状態で口を閉じることもできず、カリブは怯えた目を向ける。 それを見て満足したのか、カイネは鉤爪をひいた。 口の中に血の味が広がり、カリブは口元を抑えた。 「……けほっ…………」 「じゃあな。当分顔見せんなよ」 カイネは大きく左腕を振りあげ、虚空に鉤爪を振りおろす。 振りおろされた鉤爪の軌跡は衝撃波となり、カリブをバトルマーメイド号の方に跳ね飛ばした。 カイネはその様子を確認すると、バトルマーメイド号と逆方向に素早く距離をとり、急加速した。 このあとに何が起こるか、わかりきっていたからだ。 「……ふっ、………………ぅぅ、…………ぅぐっ………………」 衝撃波は何度も波のように押し寄せる。 カリブはカイネを追おうとするが、衝撃波に巻きこまれると、周囲の魔海魚とともに錐揉み状態となり、近づくことができない。 ついに追跡を諦めると、水中で静止した。 トライデントを手放し、両手の拳を握る。 魔サカバンバスピスが放ったマジックミサイルが、カリブの背中に着弾した。カリブはよろめく。 痛みは感じなかった。 カリブの中から、波濤のような感情が湧きあがっていた。 “あの女”に裏切られたという事実。悲しみ。カイネに対する怒り。 何故か心にウェイブの姿が去来する。 「………………ぅっ、…………ん…………んぐっ……」 遠く離れ、既に砂粒のような大きさに見えるカイネを見送りながら、カリブは嗚咽を漏らした。 とめどなくあふれる大粒の涙は、すぐに海水に溶けて消えた。 「あ゛あ゛あああああああああああああああん!!!!!!!」 カリブの泣き声が響きわたり、周辺の海水が大きくうねる。 「カリブ様っ! 駄目です! その位置では!!!  船が巻き込まれます!!!!!」 「あああああああああん!!!!  もう! やだぁっ!!!!  いやぁっ!!!! やだあぁぁぁっっっっっっ!!!!!!!!!!」 生きた海賊船・バトルマーメイド号による必死の訴えもむなしく、カリブの悲嘆によって引き起こされた大渦は、バトルマーメイド号と魔海の魚たちを巻きこんだ。 「ああああああああ!!!! カリブ様ぁぁぁぁぁ!!!!!!」 「いやだぁぁっっっっ!!! きらい!!! みんなきらいっっっっ!!!!!!  だいっきらいっっっ!!!!!」  ◇  ◇  ◇ ピタがカリブの船を脱出してから、一か月後。 「船長~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!」 「みんな……っ!!!」 ピタはようやく、愛船ミーニャ・ニーニャ号との再会を果たしていた。 ピタが助かったこと、陸路で船に向かっていることは、事前に手紙で知らせていたとはいえ、再会の喜びは大きかった。 船員たちは喜び、泣き、大声をあげ、抱きあう。 「よかった……、本当によかった……っ」 「みんな、心配かけて……」 「謝らないでください船長!  船長が無事なら、皆それでいいんですから!!」 皆と一緒に感動で泣き笑いしていたが、ピタの心の半分は曇っていた。 (わたしが無事なら、か……。  でも、わたしが無事でも、これじゃあ……) 今回の出来事で、ニーニャ号は海賊カイネ・ドリームガーデンに多額の負債をおったからである。  ◇  ◇  ◇ ――ピタがカリブの船から脱出した日。 カイネによってカリブの船から助けだされたピタは、カイネに荷袋のように小脇に担がれたまま、彼女の「水中移動」によって港町の近くへ送り届けられた。 ピタは元々ほとんど船酔いしない体質だったが、「水中移動」の乗り心地は最悪だった。 カイネが周囲に空気の膜をつくったので呼吸はできたものの、全身にかかる移動の圧力はこれまでの人生で経験したことのないもので、ピタの体力を容赦なく奪った。 知らない砂浜にたどり着いたピタは、咳きこみ立ちあがることもできなかった。 「……ぅ゛っ……………………、げほっ、ごほっ…………」 「カリブもすぐに陸には追ってこないだろ。帰る時はなるべく内陸を進むんだな。  アイツは港より陸には来ない」 「……げほっ、…………ありが…………とぅ………………ございま゛っ………………」 「いやー、カリブに捕まるとは、災難だったな。  アイツは人間を人魚に変えちまうって話もあるし、人魚に変えられる前に出られてよかったじゃねえか。  せっかく俺のために酒を用意してくれる嬢ちゃんを、カリブに取られるのも癪だったしなァ。  じゃあ、嬢ちゃん」 カイネは砂浜にへたりこむピタの目の前に腰を下ろして、笑みを浮かべた。 「金の話をしようか?」 「……………………ごほっ」 悪魔の笑顔だった。 「まずは実費だな……あの爆発魚はたまたま近くを泳いでた奴を使っただけだから、特別にツケといてやってもいい。  だが、アイテムは別だ。  嵐を起こすアイテム……『颶風の宝珠』。相当のレア物なんだぞ?  海賊だったら誰だって欲しがる。海軍もな」 「…………ごほっ、うっ……」 「表の市場には滅多に出回らねえ、裏の取引ならその三倍の値だ!  そんな貴重な俺の宝をわざわざ使ってやったんだからな、  まぁ嬢ちゃんとの仲だ、300万ってとこだな」 「……さん゛…………びゃく………………っ」 「それより大事なのは報酬だ。  船長を五体満足で助けてやったんだ、それなりの対価は払えるよな?」 カイネは指を折って数字を示す。 ニーニャ号の三年分の収入に匹敵する金額だった。 「……………はっ、…………あ゛っ……」 「俺は嬢ちゃんの船の事情はわかってる、一度には払えないよな。  大丈夫だ待ってやるよ! 借用書は書いてもらうが」 「…………」 ピタの言葉がでないのは、水中移動の苦しさからだけではなかった。 だが交渉の余地などない。 カイネの条件に不服を示せば、船が沈められるだけだ。 「当然、利子ももらう。  その辺の詳しい話は、船に戻ってからすればいい」 「……………………けほっ……」 ピタの頭に船の収支が目まぐるしく回る。 ちょっとした船なら一括で購入できる大金。 (こんなのっ、数年で払える額じゃない。  シン大陸に行くどころじゃ――――!!!)  ◇  ◇  ◇ 一瞬の回想が終わり、ピタの意識が現実に引き戻された。 「船長、万歳~~~!!!!!  ミーニャ・ニーニャ号、万歳~~~!!!!!」 船員たちの明るい声の中、ついにピタの胴上げがはじまる。 仰向けに見る空は青い。この空はきっとシン大陸に繋がっているのだろう。 (船……シン大陸……お金…………  ………………これからどうしよ………………) 船員たちに胴上げされながら、ピタは空に向かって曖昧に微笑んだ。