Star Seeker  宇宙には、音がない。  正確には、音を伝えるものがない。  だから、今私がこうして耳を澄ませていることに意味があるのかと聞かれれば、たぶん無い。  それでも私は毎日意味のないことを繰り返し続けている。  その日の航海日誌をつけ終えて軽く伸びをした後、それまで叩いていたコンソールから手を離し、机の隅に置いていた小箱を引き寄せた。セラミックとシリコーンで囲まれた自室の中で、数少ない有機物でできた小箱を開くと、年代物の通信機が現れる。年代物どころか、星暦が始まるよりもはるか昔、私たちの先祖の母星でようやく遠隔通信技術が発明された頃に確立した仕組みであるから、ものとしてはほとんど博物館の骨董品や原始の遺物に近かった。  外宇宙探査船セブンスレインボーが建造された頃でだって、もっと効率のいい通信機器はいくらでもあった。けれど、私はこれを使う。  毎日眠りにつく前に。  短く息を吸って、キーに指を置いた。  ー・ー・ ーー・ー ー・ー・ ーー・ー  こちらはセブンスレインボーのニシウラ・ソラ。  だれか応答してください。  私はここにいます。  あなたはそこにいますか。  もちろん、そんな文章をそのまま送信しているわけではない。規格に従った信号を何度か繰り返しては、受信ランプを睨みつけながらこれもまた古くさい有線ヘッドフォンから流れ出る雑音の中で耳を澄ませた。  返事はない。  いつものことだった。  そんなことを何度か繰り返して、電源を落として古びた木目の蓋を閉める。  それで終わり。  明日もまた、同じことをする。 ◆  セブンスレインボーの航海は順調だった。  大きなトラブルは……たまに起こるけれど、それでも乗組員一同で力を合わせて無事に乗り越えて来たのだから、それは順調であると言えるだろう。  先の太陽系クルーズでの顛末のあと、何度か寄港したことのあるステーションにまた船をつけた。目的は物資の補給に、未開宙域の星図の登録、銀河統合議会への報告やらなんやら。まぁ、よくある中休みというやつ。  久々の寄港休みにクルーたちが思い思いに羽を伸ばす中、私は入港手続きを済ませるとすぐに行政管理局へと向かった。居住可能な星やステーションに着いたら必ずしているルーティーンだ。  入ってすぐのホールの壁沿いにいくつも設置されたコンソールを叩いて用件を登録した。しばらくすれば呼び出しがかかるので、それまではベンチに座って待つことにする。 『1063番でお待ちのお客様、指定の窓口までお越しください』  付き添ってきてくれていた連れが既に陣取っていたベンチまで歩いて手を振った瞬間、あたりに機械音声の放送が響き渡った。自前の端末には先の番号が表示されて点滅を繰り返しており、窓口での応対の準備ができていることを知らせている。どうやら今日のこの時間は空いているらしい。  腰を下ろしたばかりだったスミカちゃんは私の様子を見て察したようで、苦笑いを浮かべてよいしょ、と立ち上がった。 「こんにちは、本日はどのようなご用件でお越しになりましたか」  指定された窓口に着くと、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべた女性型アンドロイドが対応してくれた。 「人探しです」 「あなたは当ステーションでの居住登録がお済みではなく、また、シビルクラスも中等級に該当します。そのため、プライバシーや個人情報管理の観点からお問い合わせ内容によっては開示できる情報に制限が設けられる、または開示できない可能性があります。それでもよろしいですか」  耳にたこができるほどに聞いた決まり文句にYESと答えて、自分の端末を操作して必要なデータを圧縮したファイルを用意する。 「それでは、お探しになりたい方のデータを教えてください」  対象の名前はヤガミ・トア。ヨコハマスター出身の同い年の女の子だ。正確には、同い年"だった"か。  彼女は数年前、消えてしまった。どこかへ行ったというわけではなく、物理的に忽然と消滅してしまったのだ。  聞いた話では星暦が始まったばかりの時代、芸能を禁止だなんだとくだらない小競り合いが起きていた頃に時折起こったセンターノヴァという現象が関係しているのだとか。人がひとり消えてしまうような現象だというのに、その仕組みや原因は初観測から二百年近くが経った今でもまだはっきりとは解明されてはいない。  一説には、その精神が肉体を離れて私たちのいるこの次元よりも高い次元へと移動したのだとする人もいる。仮にそうだとしてもこちらからは観測もコンタクトもできていないのだから、それも眉唾ものだ。  それを解脱とみなして宗教が興ったことがあったらしい。芸能禁止を掲げて戦った人たちの目的はそれを防ぐためだったのかもしれない。らしい、かもしれない、ばかりの分からないことだらけ。  そりゃあそうだ。この広い宇宙で何千何百億もの人が息づいているのだから、何年かに一度あるかないかというような現象ひとつには構ってなどいられないのだ。  サンプルも頻度も少なく、研究は一向に進まず、いつしかそれは歴史のテキストの片隅で豆知識としてしか知られなくなっていった。当事者の気持ちだけを置き去りにして。 「残念ながら対象人物はあなたの前回来庁時以降、当ステーションに出入りしたという記録は残っていませんでした。現在開示できる情報は以上となります。お力になれず申し訳ありません」  受付のアンドロイドはそう言ってひどく申し訳なさそうな表情を浮かべて深々と頭を下げた。まるで、そうしておけば少しでも応対している人間の溜飲が下がることを知っているとでも言わんばかりに。 「ありがとう。次にここに寄港したらまた来ます」  導き出してくれた答えに礼を言って窓口を離れる。空振りではあったものの、落胆はない。なにせ、いつものことであるからだ。 「終わった?」  窓口のすぐそばのベンチで端末を弄っていたスミカちゃんの言葉に頷きで返すと、「そっか」とだけ呟いて彼女は立ち上がる。  問い合わせの結果については触れられなかった。会話内容を聞いていたのか、私の様子でわかってしまうのか。態度は素っ気なく見えるけれど変に気を使われるよりはよっぽどいい。 「お昼までちょっと時間あるから、モール見てから行こっか」 「そうだね」  空振りなんて慣れっこだ。今は久し振りの休みを満喫するとしよう。 ◆  窓の向こうには、無数の星がある。  手を伸ばしても、どれも遠すぎて届かない。  トアちゃんも、どこかで同じ星を見ているのだろうか。それとも、このどれかの星からこちらを見ているのだろうか。  そんなことを考えていると、航法コンソールの端に小さな通知が表示された。  微弱な電波。  私は反射的にそちらを見て、観測した電波の受信ログを開く。  数秒。  十数秒。  解析が進んでいく。  そして私は思わず苦笑した。  ただのノイズだ。近傍の天体から放射された電磁波が、受信機に干渉しただけ。なんてことない、よくあること。  そういえば、このあたりには磁気嵐予報が出ていたっけか。すっかり失念していた。  以前にも同じようなことがあった。誰かからの信号かもしれないと思って調べて、結局、何でもなかった。  画面を閉じて、巡航モードに切り替えてから操舵室をあとにする。  その日も眠る前に、私は自室の小箱を開いた。  ー・ー・ ーー・ー ー・ー・ ーー・ー  左耳には雑音と電子音、右耳にはキーを叩くたびに、かちかちと接点が切り替わる音が流れ込んでくる。  耳を澄ます。  返事はない。  少し待つ。  やっぱりない。  私はキーから手を離した。  無駄なことをしている。  最近は、そう思うことが増えた。  電源を落とす前に私はもう一度だけキーを叩いた。  ー ーーー ・ー  短い信号。  それだけ。  返事はなかった。  それでも、私は明日もまた、同じことをする。 ◆  セブンスレインボーは探査船だ。  私はそんな船の航海士兼副操縦士。  未開の宙域へ赴いて星図を開拓し、未知の天体を調査する。資源の埋蔵やテラフォーミングが可能かを確認し、いずれ建設されるワープゲートのためにビーコンを残していく。  宇宙は広い。広すぎる。だから、探査の需要は無限にある。仮に宇宙がこの先も膨張し続けるのだとしたら、私たち人類がここ何百年かで手を広げ始めた範囲なんて、きっと爪の先ほどにも満たないだろう。  人類が宇宙へ進出し始めてからずいぶんと経つけれど、ベクトルやレイヤーが違うのか未だに他の知性体には遭遇していない。生命体といえるものはいくらか確認されているものの、そのどれもが高度な知能を有しているとはいい難いものばかりだった。  そんな誰もいない辺境で、私は彼女を探し続けている。  何年も前に消えてしまったひとりの人間を探すために、毎晩宇宙へ向けて信号を送り続けている。  そんなもの、誰に届くというのだろう。  トアちゃんがどこにいるのかなんて、わからない。そもそも今も生命活動を営んでいるのかさえ、知り得ない。  すべては無駄なことで、ただの私の自己満足だ。 「……てなわけで、進行方向に重力異常を検知したんだよねぇ」  副船長のサクラさんが、観測結果を読み上げながら頭を掻いた。 「そんなところにブラックホールがあるなんて聞いてないけど、勘違いではなく?」 「疑り深いなぁ。三回も計測し直したけど変わらなかったよ」  サクラさんの報告を聞いてニコル船長は顎に手を当てて首をかしげてうむむと唸った。  宇宙では私たちの常識なんてあてにならない。突如星座の光が失われたり人ひとりが消えたりと、あり得ないなどということはあり得ないのだ。昨日まで何もないと思われていた空間にいきなりブラックホールじみた重力異常帯が見つかったとしても、なんの不思議もない。 「ニシウラ二等航海士の意見は?」 「迂回でいいかと。それか、ここからだとへびつかい座方面の星図にだいぶ歯抜けが目立つので、それを埋めるルートで別の未開宙域を目指すのがコスパがいいと考えてます」  まだ前回の補給から一ヶ月も経っていなかった。積み込んだデュアリウムの残量には余裕があったし、何がなんでも現在向いている方角へ向かわなければならない理由もない。航行計画の修正なんてざらにあることであり、意固地になったところでなんの得にもならなかった。  それならば、行きがけに堅実に地図の空白を埋めてその分の報酬を稼いだ方が賢いというものだ。 「そうね、危険は少ない方がいい。後者の案でいきましょう。反対意見のある者は?」  ニコル船長はブリーフィングルームを見回してクルー全員と目を合わせたけれど、反論を申し出る人間は一人もいなかった。 「じゃあ決まりね」  船長の最終的な決定により、乗組員各自は持ち場へと戻っていった。そんな中で、私だけはニコル船長と部屋に残って今後のルートの再構築だ。  これから向かう先の星雲ガス帯やデブリベルトへの対処に頭を悩ませていると、不意にニコルさんはそれまでの毅然とした態度をいくらか和らげた。 「ソラちゃんは反対すると思ってたから意外だったな」  その言葉に、画面に表示されたルート危険度の試算値から視線を外す。 「旧ルートの方面はまだ行ったことなかったから」 「どこでも同じですよ」  言って、私は再び忌々しげにディスプレイに視線を戻した。星図の歯抜けの理由がよくわかる。ブラックホールに吸い込まれてぺしゃんこになるよりかはマシとはいえ、どう舵を切ってもそれなりの危険は伴いそうで判断が難しい。  人類はまだ宇宙の端には辿り着けていない。上下左右どこを向いてもその先にはまだ未踏の宙域が残っている。だから、どこへ行こうとも同じだ。 「そんなことはないと思うけど」  同じですよ。  どこへ行こうとも、届かないものは届かない。 ◆  私はまた眠る前に信号を送る。  ー・ー・ ーー・ー ー・ー・ ーー・ー  こちらはセブンスレインボーのニシウラ・ソラ。  だれか応答してください。  仮に、もし仮に応答があったとして、なんと答えればいいのだろう。  そしてもし、それが彼女だとしたら、私はどんなことを言えばいいのだろう。  信号を受け取るのが、彼女であるとは限らないのに。  消滅した彼女が、まだ彼女であるとは限らないのに。  存在性も同一性も一切の保証が無いままに、何年もこうやって探している。  いや、探しているだなんて大層なことはしていない。本当に本気で見つけ出したいのなら、もっと効率のいい方法はいくらでもあったはずだ。それこそ、原因とされる現象を研究する科学者を目指すだとか。少なくとも、外宇宙の開拓の片手間に、こんな時代遅れも甚だしい通信機で行うようなことではないはずだ。  それなのに、やめることができない。  諦めきれないと言えばまだ美談に聞こえるかもしれないけれど、要はやめるタイミングを見失っていただけだ。  内心ではもう無駄なことだとわかりきっているのに。  ー・ー・ ーー・ー ー・ー・ ーー・ー  信号を送る。  返事はない。  今日のところはもう切り上げようかとキーから手を離そうとしたとき、受信機のランプがかすかに明滅したのが見えた。  反射的に顔を上げる。  耳にあてたヘッドフォンの向こうの雑音に耳を澄ませた。  一度。  二度。  三度。  規則的な間隔で、ツーツーツーと、何かが返ってきている。  私は慌てて記録を開始した。  受信した信号を解析にかける。  きわめて微弱な電波。意味のあるパターン。少なくとも完全なノイズではない。  弾き出された解析結果は、少なくとも現在の宇宙統一電波法によって定められた、どの規格にも一致しないものだった。  私は自室を飛び出した。 ◆  信号の発信源に向けて停留させていた船を少しだけ航行させると、確かにそこには何かが浮遊していた。  ドローンステージに飛び乗って防護被膜を展開すると同時に、エアを抜く時間も惜しいとばかりに外隔壁の開放を要求した。インカムから耳に流れ込んでくる機械音声のアナウンスがまどろっこしい。  ようやく開いた四角い宇宙へ向けて一気にトップスピードで飛び出して、目標物へと近づいていく。  不意に、手首に嵌めた生命維持管理ブレスが警告音と振動を発した。防護被膜の遮断レベルを何段階か引き上げる。  漆黒と無音の宇宙空間で、それはただ静かにたゆたっていた。  氷や岩石の欠片などではない、明らかな人工物。目を引くのはお椀型の巨大なパラボラアンテナ。その裏からは、人の腕のように伸ばされたアームの先にカメラと思しき観測機器が取り付けられている。他にも細長い棒が何本も突き出していたり、本体自体は私でも抱えられそうなくらいの大きさなのに、装備を含めると思った以上に大きかった。  間近で観測したことによってライブラリからそれの情報が引き出されてきた。なにせ対象はもう大昔に稼働を停止して識別信号すらも送れずにいたものだから、航行システムは大雑把にただの進路上の障害物として処理しかけていたのだ。  何百年も前に母星から打ち上げられた、人類史上初めて外宇宙へと旅立ったもの。私たちの大先輩ともいえるそれは、運がよかったのか目立った損傷は見られなかった。  そんなそれが、どうして突然再稼働して信号を返してきたのか。不明だった。  インカムのカメラで外観から精査しても、既に電池の中身は空っぽで、今はもう完全に沈黙している。  母星を離れて、役目を全うして、眠りについて、千年にも近い気の遠くなるような時間をずっとたったひとりでいたものだから、懐かしい周波数の電波を受け取ってつい、ほんの少しだけ目が覚めてしまったのだろうか。  AIも搭載していない機器にそんな比喩が当てはまるのかは、私には判断がつかなかった。本当に、この広い宇宙では常識が通用せず、あり得ないなんてことはあり得ない。  ドローンステージの速度を落とす。並走していたそれがだんだんと遠ざかっていく。  それに触れることはためらわれた。浮遊している岩石やらはともかくとして、今後デブリと化す可能性のある人工物を見過ごすというのは大問題だ。けれど、もしそうしたら彼のこれまでの旅路を否定してしまうような気がして、触れられなかった。 「ボンボヤージュ。よき航海を」  宇宙には音を伝えるものがないのだから当然伝わりなんてしないのだけれど、自然と口がそう動いていた。  ドローンステージの格納を終えて船内との隔壁を開くと、ニコル船長が腕を組んで待ち構えていた。 「……ね、寝てたんじゃないんですか」 「わかるわよ。急に船が動いたんだもの」  航行中の宇宙船には昼も夜もない。したがって、惑星に滞在して現地時間に合わせる場合を除き、私たちはできるだけ母星の一日を基準とした宇宙統一標準時に合わせて生活している。今は夜時間に該当するので本来は就寝時間のはずだけれど、船の長はさすが、少しの異変にも敏感であるらしかった。  確実に怒っている。ニコルさんは普段は温厚だし船の仕事外では優しくて素敵な尊敬できる人だけれど、引き締めるべきところではしっかりと怖い人だった。 「ドローンステージ無断使用の始末書は書け次第送っておいて。私は寝るから」  けれど、思っていたほどの叱責や罰は飛んでこなかった。少し拍子抜けだ。軽く思いつくだけでも副操縦士権限の濫用、計画外の船舶の航行、無許可での小型船舶の私的利用、宇宙空間における残留漂流物の回収義務の放棄と、何ヶ月分の給料がカットされるかわかったもんじゃなかったのに。 「それだけでいいんですか」 「妥当だと思うけれど」  そう言い残してニコルさんは手をひらひらと振って自室へと踵を返す。どうやらお咎めは少なくて済んだらしい。 「ねぇ、ソラちゃん」  去り際に振り返ったニコルさんの方を向く。 「意味はあった?」 「……たぶん」  そう答えると、ニコルさんは満足したように小さく笑った。 ◆  その日も、私は眠る前に宇宙へ向けて信号を送っていた。  ー・ー・ ーー・ー ー・ー・ ーー・ー  こちらはセブンスレインボーのニシウラ・ソラ。  だれか応答してください。  私はここにいます。  あなたはそこにいますか。  返事はない。  いつものこと。  無駄なこと。  意味なんてない。  それでも、私は毎日眠る前にこれをする。  ー・ー・ ーー・ー ー・ー・ ーー・ー  私はまだ彼女を探している。  もしまた会えたとして、  どんな顔をすればいいかも、  どんな言葉をかければいいのかも、  何ひとつまだ決められていないけれど。  ずっと探している。  ー・ー・ ーー・ー ー・ー・ ーー・ー  返事はなかった。  少し待つ。  やっぱりない。  キーから指を離す。  小箱の蓋を閉めた。  明日もまた、同じことをする。  明日もまた、夜空に手を伸ばす。 了