とんとんとん…。キッチンに響く小気味いい音。まな板の上にあるのは、お味噌汁の具にするネギ。 お母さんに教えてもらって、包丁使いも今ではすっかり慣れた。 他の具材もあっという間に刻み終わって、お鍋に投入。味噌を入れて、お鍋を軽くかき混ぜて… 「あとは、そろそろ…」 昨日釣った魚を焼いていた魚焼きグリルの様子を見る。…うん、いい感じ。 もう少しでご飯も炊ける。いい一日は、いい朝ごはんから。 昔の寮生活の時は、遙子さんとか沙季ちゃん、渚ちゃんが作ってくれた朝ごはんが本当に美味しくて、ついつい食べ過ぎちゃったりしてたっけ。 …おっと、思い出に耽ってばかりじゃいけない。 火を止めて、魚をグリルから取りだす。…焼き具合は、完璧。 盛り付けて、テーブルに並べて…あとは、『あの人』を起こしに…。 「おはよう、雫。ん〜、いい匂いだ!…って、どうしたんだ?」 「起こしに行こうと思ったのに…寝ぼけてる顔、見損ねた」 「いや、いつも見てるだろ?」 「それはそうだけど、何度でも見たいから…」 ちょっと拗ねて見せると、『あの人』は昔と変わらない笑顔で 「しょうがないな…」 「んっ…!」 まだ文句を言おうとしていた口を、塞がれた。 「強引…」 「ダメだった?」 わかってて聞いてくるから、なおのことずるい。 …昔は、私の方がたくさん無茶ぶりしてたっけ…。それで、決まってこう返してくれてた。 「…ダメじゃないよ」 もう一回、ちゃんとしたい。そう目で訴えたのを、ちゃんと汲み取ってくれる。 今度は、優しく触れるようなキス。 …幸せ。だけど、いつまでもこうしているわけにもいかない。 「早くごはん食べないと、冷める。…というか、あんまりのんびりしてると、遅刻する」 「おっと、それはまずいな…」 普段はかっこいいのに、どこか抜けてるところは、昔から変わらない。 一緒にお仕事をするようになってからも、現場では大先輩なのに、なぜか放っておけないところがある。 そこがかわいいところでも、あるけど。 「ね」 「うん?」 あの頃と変わらない、でも少しだけ皺が増えた、優しい顔。 「私をアイドルに選んでくれて、ありがとう。それから…私を選んでくれて…ありがとう。本当に、幸せ…」 「ああ、俺もだ。ありがとうな、雫」 そっと抱きしめて、頭を撫でてくれた。 …あったかい。 ダメなのはわかってるけど、このまま時間が止まってしまえばいいのに…。 ----- 「おーい、雫〜?」 ん…?あれ、誰かに、呼ばれてる…? 「んん…あと、5時間…」 「いや寝すぎだろ!?そろそろ準備を始めてくれ!」 じゅんび?…じゅんび…準備? 「…はっ」 「おはよう、雫。なんだかすごく幸せそうに寝ていたな…起こすのが心苦しかったよ」 「おはよう、ございます…?えっと、ここは…」 ゆっくりと、意識がはっきりしてきた。車の中。ああ、そうだ。現場に送ってもらったんだった。 「先日の番組が好評で、第二弾がこんなにも早く決まるなんてな」 「うん。磯のアイスマンに、またすぐ会えるとは思ってなかった…」 「それだけ雫の頑張りを認めてもらえたってことだな」 牧野さんにそう言ってもらえると、頑張ってよかったなって改めて思う。 「見てて。今日もバッチリ釣ってくる」 「ああ。期待してるぞ」 その言葉で、また気合が入った。 あの時とは違う、お気に入りのウェアを持って、車を降りる。 上り始めたばかりの朝日が眩しい。…よし、やるぞ! 終わり。