「えっ?ママかえってくるの?」ある夏の日の夜、東京は文京区、茗荷谷にある古い一戸建て住宅、そのダイニング。 珍しく早く帰宅してきた家長である秋田弘に、もうすぐ3歳になる息子の均が訊き返した。 均の母親であるみゆきは、海上自衛官として佐世保基地に赴任している。 遠いこともあってあまり家には帰ってこれず、均に寂しい思いをさせていることを弘ほか大人たちは心苦しく思っていた。 その事を話題にすると、『だいじょうぶだよ、おばあちゃんもツブモンもいるし、ぼくへいきだよ!』と均は言う。 弘自身も国立デジモン学園の校長として多忙なため、幼稚園への送り迎えその他の世話は弘の母の志乃が担っていた。 一応、見守り役としてツブモン……正確には、ツブモンの姿をした分身を均につけていた。 これは、弘のパートナーデジモンであるシェンウーモンの12あるデジコアのひとつを分離したものである。 同時に、彼の所持する『勇気のデジメンタル』をトポロジー反転で『アルマジモンのデジメンタル』に転換。 これをデジコアと組み合わせることでシェンウーモンの分身であるアルマジモンを生み出した。 それを極限まで長時間稼働させるために幼年期にまで退化させたのが均のツブモンである。 つまりこの幼子は四聖獣デジモンに見守られているようなものだった。 外殻が元々デジメンタルなため非常時にはボアモンに進化でき、ツブモンのままでも戦闘以外のことならだいたいできる能力を持っている。 だから均の安全は保証されているようなものであるが、それだけで子育てができるとは弘も思ってはいなかった。 よその子供にかまけて自分の子供を蔑ろにしているのでは、という危惧は常に弘の心の重しとなってのしかかっていた。 「そうだよ、それとね、もうひとつ嬉しいニュースがあるんだ!」だが、今の彼はそんなことを忘れるぐらいに舞い上がっていた。 「にゅーす?」 「ママのお腹の中に、赤ちゃんがいるんだ!」 「……え?」きょとんとする均に、弾んだ声で弘は続けた。 「半年もしたら、均はお兄ちゃんになるんだ!」 「あーそりゃーたいへんだなー、かわいそー。」 翌日、幼稚園。弟か妹か、まだわからないけど自分にきょうだいができることを話した均は、同じ組のアキラくんにそう言われた。 「え……?」 「おにいちゃんになるとなー、いいことなんてひとつもないんだぜー!」アキラくんはいつも均に意地悪なことを言う。 「とーちゃんもかーちゃんも、みんないもうとのことばっかかまってさー!」いつもなら、均は聞き流していた。 「それなのにオレは、おにいちゃんだからとか、おにいちゃんなのにとか、しかられてばっかだしさー!」 だけど、その日の彼の言葉を、均はなぜか聞き流すことができなかった。 「オレはさー!べつにいもうとなんてほしくなかったのにさー!」 均なりに、アキラくんの様子にいつもの自分への意地悪とは違う気持ちを感じ取っていたのかも知れない。 「おまえのとーちゃんもかーちゃんも、したのこができたらおまえのことなんかキライになっちゃうんだぜー!」 「そっ、そんなことないもん!」 しかし、均はアキラくんに対してそう言い返すのがせいいっぱいだった。 両親の愛を信じようとする均に対し、現実は冷淡だった。 「……かえって、こないの?」 デジタルワールドで起きた豪華客船レッシェン・ジーク号撃沈事件。その救助活動に海上自衛隊のデジモン部隊が緊急出動。 部隊長であるみゆきは、直前で休暇を返上して人命救助にあたった。 デジタルワールドでの出来事であり、事後処理も含めると次いつ東京に帰れるか見通しは当面立てられそうもない。 その事実を、均は祖母の志乃から聞かされることとなった。 事情が事情であり、デジ対と国立デジモン学園も無関係ではいられない。 父親の弘もまた、この緊急事態にデジ対に泊まり込む羽目になった。 「お父さんもお母さんも、たくさんの人を助ける立派な仕事なんだよ。」説明する志乃の言葉には、普段の江戸っ子らしい元気がなかった。 デジタルワールド絡みで二人が忙しくしてると、彼らが子供の時にデジタルワールドに旅立っていた頃の事を思い出すのだ。 あの時ほどではないが、それでも胸が締め付けられるような不安に駆られ、いまだに慣れることができない。 「……も。」ツブモンを抱くか弱い腕に力がこもる。 「?」志乃は孫が何を言おうとしているのか聞き取ろうと耳を傾ける。 「パパも、ママも、ぼくのことなんかどうでもいいの!?」 「!……均、何言ってるの、そんなわけないでしょ。」 「ぼくより、よそのこのほうがだいじなの?」 「そ、そんな訳ないじゃない!」さらに強く抱きしめられ、ツブモンは少し苦しくなる。 稼働時間を最大にするために言語機能を制限しているから……だけではない。均の幼い悲しみが護り手であるツブモンにも理解できたからだ。 「だったらはやくかえってきてよ!パパとママ、かえってよお!」 「っ!……それは。」志乃は言葉を失う。それは彼女自身も心の裡で強く願っていることだからだ。 何も言わない志乃を、目尻に涙をためた均が睨み上げる。 「ぼくなんか!」均の頭に、幼稚園で言われた言葉がリフレインする。 浮かんだ考えが、そのまま口をついて出てくる。 「ぼくなんか、おとうとかいもうとがうまれたら、どうでもよくなっちゃうんだ!」 「急に何を言い出すの!?均、ちょっと落ち着きなさい!?」孫の言葉に軽くパニックを起こす祖母。 「もうしらない!」ツブモンを抱きしめたまま、均は家を飛び出した。 靴も履かず、靴下のままで住宅街の中を駆け抜ける均。 しばし呆けていた志乃は、程なく均を探しに彼女もまた家を飛び出した。 たかが三歳児の足などたかが知れており、すぐに見つけられるだろう。 その思惑とは裏腹に、均はその夜、秋田家に帰ってこなかった。 (続く)