「結愛ちゃん……待って……待ってっ……!」 背中から、聖心ちゃんの声がした。 かすれて、途切れて、それでも必死にわたしを呼ぶ声。 思わず振り返りそうになって、わたしは手の中のDアークを握り直した。 「そうです……きっと、他にまだ方法があるはずです。だから、早まらないでください……!」 ガンマモンも、息を詰まらせながら訴える。 何度も、何度も。 縋るように。祈るように。 ついさっきまで、わたしたちの前に立っていた二人が、今はわたしの背後で倒れている。 聖心ちゃんの服は血に濡れ、崩れた瓦礫の中に埋もれていた。 傍らのガンマモンの小さな体にも、数えきれないほどの深い傷が刻まれている。 もう、立ち上がることさえできない。 それでも、わたしたちを引き留める声だけは、やまなかった。 「……ごめんね。聖心ちゃん、ガンマモン」 二人の懇願に、わたしはそんな言葉しか返すことができない。 できることなら、その声に頷いてしまいたかった。 今すぐそばに戻って、やっぱり怖いよと泣きついて、もっとみんなと一緒にいたいと縋りつきたかった。 でも、目の前の空に走る亀裂は、今もなお広がり続けている。 その中心、頭上の空に浮かぶ巨大な影――ズィードミレニアモン。 わたしたちの前に立ちはだかる怪物が、傷つき倒れた二人を見下ろし、とどめを刺そうと口元にどす黒い闇を渦巻かせていた。 ――聖心ちゃんを、ガンマモンを、死なせたくない。 だから、わたしは逃げられない。 ううん。逃げたくないんだ。 「結愛……本当に、いいのか?」 隣から、ギルモンが問いかける。 わたしはその黄色い瞳を見返して、小さく笑ってみせた。 「それは、こっちのセリフだよ。ギルモン」 もう一人のパートナーにも目を向ける。 「……ふたりも、ごめんね。最後まで、わたしのわがままに付き合わせちゃって」 「今さらでしょ。結愛のわがままを聞いてあげるのなんて、いつものことだしね~」 クルモンが、いつものちょっと偉そうな口調で答えた。ただ、その眼はまっすぐ前を向いていて。 「それに、誰かがあいつを止めなくちゃいけないんだから」 黒い体躯のギルモンも、静かに頷く。 「ああ。お前だけに任せるつもりはない」 二人とも、分かっている。 自分たちの命とデータを削り、限界を超えた力を引き出す。それが、わたしたちに残された最後の手段。 ほんの短い間だけでも、その力なら、あの怪物に届くはずだ。 そして――そのすべてを使い果たせば、たとえ勝てたとしてももう聖心ちゃんたちと一緒には帰れないことも理解している。 それでも、二匹はわたしの隣を離れようとはしなかった。 「……うん。ありがとう」 胸がいっぱいになって、今度はうまく笑えなかった。 ――頭上で、何かが裂ける音がした。 亀裂がまたひとつ枝分かれし、その向こうから吹きつける風が、足元の砂や小石を巻き上げていく。 地面が軋む。遠くの景色が歪む。 見慣れた世界が、端から少しずつ壊されていく。 あの日、わたしたちをこの世界へ引きずり込んだ存在。 長い旅の始まりにいた怪物が、その終わりにもこうして立ちはだかり、すべてを消し去る『タイムデストロイヤー』の光を収束させていた。 ここで止めなければ、あいつはこれからも壊し、奪い続けるのだろう。 わたしたちが歩いてきたこの世界も、そこで出会ったデジモンたちの暮らしも。 そして、今わたしの後ろにいる、大切な二人の命も。 もう、これ以上は何も奪わせたくなかった。 「……ねえ、聖心ちゃん」 前を向いたまま、呼びかける。 滅多に見せない泣き顔で縋られたら、わたしまで、一緒に帰りたいと泣いてしまいそうだった。 だから、振り向かない。 せめて声だけは、いつもどおりに。 「聖心ちゃんはこれまでいっぱい、わたしたちを守るために頑張ってくれたよね」 背後で、かすかに息をのむ気配がした。 「ずっとずっと、前に出て傷ついて苦しんで、どんなにボロボロになっても……」 わたしだって、聖心ちゃんを守りたい。 そう思っているのに、いざというときには、いつもその背中に頼ってしまう。 それが、ずっと悔しかった。 「だからね。今度は、わたしの番」 Dアークを握った指先が、情けなく震える。 わたしはその手をもう片方の手で包んで、強がりで胸を張った。 「……実は、ちょっと嬉しいんだ。いつもみたいに守られているだけじゃなくて、今度こそ聖心ちゃんを守れるわたしで在ることができるんだって」 怖くないわけじゃない。 もっと一緒にいたかったし、みんなで帰りたかった。 それでも、今こうして彼女の前に立てる自分が、どうしようもなく誇らしかった。 背後で、瓦礫が擦れる音がした。 「結愛ちゃん……やだ……ウチ、そんなの……!」 聖心ちゃんの声が、途中で崩れる。 わたしはできるだけ優しく言葉を重ねた。 「わたしたちが、全部終わらせるから。この悪夢から目が覚めたら、また、幸せな毎日が聖心ちゃんを待ってるよ」 朝起きて、おいしいものを食べて、学校に行って。 そうそう、今の聖心ちゃんなら友達だってすぐに沢山できるだろう。 放課後の帰り道、皆で寄り道して、くだらないことをして怒ったり、笑ったりして。 もう、誰かを守るために一人で傷つかなくていい。 わたしが隣にいなくても、聖心ちゃんなら、きっとすぐに立ち直れる。 あの得意げな顔で、何だってできると胸を張ってくれる。 だから、どうか、そんなふうに泣かないでほしい。 大好きな友達には、幸せでいてほしい。 それが、わたしの最後の願いだった。 「ごめんね。そのために、わたしたち……行ってくるね」 喉の奥が、きゅっと詰まる。 いつものように「またね」と続けそうになって、唇を結んだ。 その約束だけは、してあげられない。 一度だけ、息を吸う。 「……さよなら。聖心ちゃん」 「――っ!」 背後から響く声にならない叫びを振り切って、わたしは地面を蹴った。 吹きつける風の中、三人で駆け出す。 あの巨大な影へ。わたしたちの旅の終わりへ。 「マトリックスエボリューション!」 その言葉と共に、世界は光に包まれて――。 ==================================== すべてを焼き尽くすような閃光と、世界が震えるほどの衝撃が通り過ぎていった。 耳を劈く咆哮も、大地が軋む音も、もう聞こえない。 わたしたちのすべてを乗せた一撃が、あの巨大な影を貫き、黒い塵へと砕け散らせたのを、わたしは確かに見た。 ――ああ、終わったんだ。 視界はどこまでも白く、静かだった。 上も下もない、眩い光の中をただ漂っている。 熱さも、痛みも、もうなかった。 ただ、自分の身体の輪郭が少しずつほどけて、周囲の光へと溶けていく感覚だけがある。 指先の感覚が消え、鼓動が遠くなり、意識がゆっくりと薄れていく。 でも、不思議と怖くはなかった。 (……守れたんだよね、わたし) あの怪物は消えた。もう、聖心ちゃんやガンマモンを傷つけるものは何もない。 今度こそ、わたしは彼女の背中に隠れるのだけじゃない、彼女の盾になれたのだ。 胸の奥が、じんわりと満たされていく。 これできっと、聖心ちゃんは無事に元の世界へ帰れる。 わたしなんかのことなんてすぐに乗り越えて、また明日からは、太陽の下で笑ってくれる。 それで十分だった。 わたしは満足して、ほどけていく意識のままに、そっと目を閉じようとして――。 「――なに寝ぼけてんのよ。だらしないわね」 ふいに、すぐ近くで聞き慣れた声が弾けた。 ツンと澄ました、けれど少しだけ震えている少女のような声。 それと同時に、溶けかけていたわたしの胸の奥へ、ぽたり、と熱い雫のようなものが流れ込んできた。 「……え……?」 「まだ眠るな、結愛」 もうひとつ、低く落ち着いた声が重なる。 頑固で融通が利かなくって、けれどずっとわたしを支えてくれた、頼もしい声。 薄れかけていた意識が、はっと引き戻される。 ほどけていた自分の輪郭が、流れ込んでくる確かな熱によって、もう一度つなぎ止められていくのが分かった。 ぼんやりと霞んでいた視界の先に、二つの影が浮かび上がる。 小さな白い体と、黒い体躯。 「クルモン……? ギルモン……?」 どうして、と思った。 わたしたちは三人でひとつになって、すべての力とデータを使い果たしたはずなのに。 不思議に思うわたしの前で、クルモンがふんと鼻を鳴らして、小さな胸を張ってみせた。 「まったく、結愛ってば最後まで手がかかるんだから。このわたしが直々に、あんたの魂くらいは繋ぎ止めてあげるわ。感謝しなさいよね」 「クルモン……」 「わたしたちに残っていた分を、お前に渡した」 ギルモンが静かに告げる。 その言葉を聞いた瞬間、わたしの中で、さっきまでの穏やかな満足感がすっと凍りついた。 わたしの中に流れ込んでくる、温かい力。 失われたはずのわたしの命とデータを補い、もう一度形作っているこれが、何なのか。 二人の姿が、さっきよりもずっと淡く、向こう側の光が透けて見えるほど薄くなっていることに、わたしは気づいてしまった。 「……なに、それ」 声が震えた。 「わたしたちの分を渡したって……じゃあ、ふたりはどうなるの?」 「そんなの、決まってるでしょ」 クルモンは、いつものように憎まれ口を叩くみたいに、けれどどこか困ったように笑った。 「わたしたちはここまで。でもまあ、あんただけでも帰れれば、わたしたちの勝ちってことでいいんじゃない?」 「お前はまだ、ここで終わるべきではない。聖心のもとへ戻れ、結愛」 ギルモンの黄色い瞳が、まっすぐにわたしを見つめている。 わたしの身体に力が戻るほど、二人の輪郭は白い光に削り取られ、その声は少しずつ遠くなっていく。 いやだ。そんなの、聞いてない。 三人で一緒だから、怖くなかったのに。 最期まで一緒だと、そう思っていたのに。 わたしだけを生かすために、二人がすべてを差し出してしまうなんて。 「いやだ……っ、やだよ、そんなの!」 わたしは必死に手を伸ばした。 さっき、聖心ちゃんの声を振り切って走ったわたしが、今度は泣きじゃくりながら二人を引き留めようとしていた。 「待って……! ギルモン、クルモン、待ってよ……! ひとりで行くなんて、いやだ……っ!」 伸ばした指先が、二人の姿に触れようとする。 けれどその前に、ふわりと、優しく背中を押された気がした。 「泣かないの! せっかくカッコよく決めたんだから、最後までちゃんとしなさいよね!」 遠ざかる光の中で、クルモンが精一杯の強がりを叫ぶ。 「行け、結愛。……お前と旅ができて、よかった」 ギルモンが、穏やかに目を細めた。 「待って――っ!!」 わたしの叫びは、白い光に吸い込まれて消えた。 背中を押す温かい力に導かれるように、わたしの意識は急速に浮上していく。 置いていかないでと伸ばした手は空を切り、わたしはただひとり、眩い光の向こう側へと押し戻されていった。 ==================================== ざらついた砂と、冷たい空気の感触が素肌に直接伝わってくる。 「……っは……っ!」 わたしは荒い息を吐きながら、地面の上で目を開けた。 周囲を見回すと、そこはズィードミレニアモンと激突した爆心地――聖心ちゃんたちを残してきた場所からは少し離れた、深く抉れたクレーターの底だった。 空を覆っていた不気味な暗雲や次元の裂け目は消え失せ、頭上にはただ、嵐が去ったあとのような静かな青空が広がっている。 「……わたし……生きてる……?」 身を起こそうとして、わたしは自分の身体に違和感を覚えた。 着ていたはずの服も下着も、跡形もなく消えてしまっている。ギルモンとクルモンが繋ぎ止めてくれたのはわたし自身の肉体データだけで、身につけていたものまでは再生しなかったらしい。 それだけじゃなかった。 視界の端に垂れ下がってきた自分の髪が、光を弾いて揺れている。黒かったはずのわたしの髪が、まるで色が抜け落ちたみたいに、根元から毛先まで真っ白に変わっていた。 驚いて自分の胸元に手を当てると、素肌の真ん中に、見覚えのある印――クルモンの額にあったのと同じ『デジエンテレケイア』の紋章が、くっきりと刻み込まれているのが見えた。 トクトクと脈打つ確かな鼓動と、身体の奥に残る温かい力の余韻。 二人が本当に、自分たちのすべてをわたしに注ぎ込んで、この身体をもう一度形作ってくれたのだと分かった。 「ギルモン……クルモン……っ」 呼んでも、もう返事はない。 わたしのわがままで無茶な戦いに付き合わせたのに、二人は最後までわたしを責めず、自分たちの命そのものをわたしに刻み込んで生かしてくれた。 置いていかれた寂しさと、二人を失わせてしまった激しい後悔、そしてそれ以上の感謝の想いで胸が潰れそうになる。 「ごめんね……ふたりとも、本当にごめんね……っ。……ありがとう……」 零れ落ちる涙を拭い、わたしは震える足に力を込めて立ち上がった。 すぐ近くの瓦礫に引っかかって風にたなびいていた大きな布切れを見つけ、それを拾い上げて裸の身体にぐるりと纏う。 ここで泣いてばかりいたら、クルモンにまた「だらしないわね」と怒られてしまう。ギルモンが「聖心のもとへ戻れ」と背中を押してくれたのだ。 二人が繋いでくれたこの命を、無駄にするわけにはいかない。 わたしは布切れの端を押さえながらクレーターの斜面を駆け上がり、聖心ちゃんたちが待つ場所へと走り出した。 一歩、また一歩と地面を蹴るたびに、胸の奥から熱い想いが込み上げてくる。 わたしは生きている。ズィードミレニアモンを倒して、生きて戻ってくることができたのだ。 瓦礫の山を越えれば、すぐに聖心ちゃんとガンマモンに会える。 「聖心ちゃん……! ガンマモン……!」 走るにつれて、もう一度あの子に会えるという喜びが、どうしようもないほど大きく膨らんでいった。 「さよなら」なんて言って飛び出したわたしがひょっこり戻ったら、聖心ちゃんはどんな顔をするだろう。 真っ白になった髪やこんな格好を見たら、きっと最初はびっくりして、それから「勝手なことをして!」って泣きながら怒って、最後にはぎゅうっと抱きしめてくれるはずだ。 そうしたら、わたしも思いっきり謝ろう。もうどこにも行かないよ、一緒に元の世界へ帰ろうって、笑って伝えるんだ。 逸る気持ちのままに、視界を遮っていた最後の瓦礫の山を飛び越える。そして―― 「聖心ちゃん!ガンマモン! ただいま、わたし――」 その後に続くはずだった言葉は、わたしの喉の奥でひゅっと凍りついた。 「……えっ?」 目の前に広がっていた光景が理解できず、わたしの足が止まる。 わたし視線の先で、聖心ちゃんがぐったりと崩れ落ちていた。 その細い首筋には深い傷が刻まれ、見たこともないほどのおびただしい血が、どくどくと溢れ出して地面を赤く染めている。 そして、そのすぐ傍らに、ガンマモンがへたり込んでいた。 ガンマモンの小さな前足――その鋭い爪は、聖心ちゃんの首から流れるのとまったく同じ、生々しい鮮血で真っ赤に濡れていた。 「……なに、これ……? ガンマモン……?」 わたしの震える声に、俯いていたガンマモンが、はじかれたように顔を上げた。 まるで血の涙を流しているかのように真っ赤に充血した瞳と、ボロボロに濡れた頬。どれほど苦しみ、悩み抜いたのか、その小さな顔は見るも無残なほど苦悶に歪んでいた。 ガンマモンは、呆然と立ち尽くすわたしの姿を見つめ、信じられないものを見るように目を見開いた。 「……結愛、さん……? 生きて……?」 かすれた、震える声だった。 「う、うん……っ、生きてるよ……! ギルモンとクルモンが、わたしを戻してくれたの。ねえ、それより聖心ちゃんが――」 わたしがよろめきながら一歩踏み出した、その時だった。 目の前にいるわたしが夢や幻ではないと分かった瞬間、ガンマモンの表情がぐしゃりと崩れた。 「あ……あぁぁ……っ!」 ガンマモンは傷ついた身体で弾かれたように立ち上がり、わたしの元へと詰め寄るように駆け寄ってきた。勢いのまま、その爪でわたしをつるし上げる。 ――真っ赤な鮮血が、わたしの身体をびちゃりと濡らした。 「結愛さんが……っ! 結愛さんがいなくなったから……っ!!」 裏返った、悲鳴のような叫びが響く。 「聖心さんは、結愛さんがいない世界になんて、もういたくないって……っ! 動けない自分の代わりに、わたしの爪で終わらせてくれって……何度も、何度もわたしに縋って……っ! だからわたしは、聖心さんの意思を……っ!」 「――え」 思考が、止まった。 「……あっ……」 そこまで叫んだ直後、ガンマモンはぴたりと言葉を切り、ハッと息を呑んだ。 自分の口から飛び出した言葉に凍りついたように、ガンマモンの顔からみるみる血の気が引いていく。 ガンマモンは赤く濡れた両手で自分の口元を必死に塞ぎ、大きく見開かれた瞳を激しく揺らした。 「ち、ちが……っ、ごめんなさい……わ、わたしは……あ、あぁ……っ……」 口を押さえたまま、ガンマモンはかぶりを振って後ずさり、糸が切れたようにその場に崩れ落ちてガタガタと震え始めた。 わたしの頭の中では、今聞いたばかりの言葉が、ただ何度も反響していた。 わたしが死んだから、聖心ちゃんは絶望して、自らの死を望んだ。 そしてガンマモンに介錯を頼み、その首に爪を立てさせた――。 「う、あ……結愛……ちゃ……」 足元で、かすかな声がした。 血の泡を吐き出しながら、聖心ちゃんの顔が、ゆっくりとわたしの方へ向けられる。 その瞳にはもう、わたしが大好きだった強い光は宿っていなかった。 焦点の合わない、暗く濁ったガラス玉のような瞳が虚空を彷徨い、やがてわたしの姿を捉える。 聖心ちゃんは、震える血まみれの手を、わたしの方へと伸ばした。 何かを言おうとするように唇がわずかに動き――そのまま、力尽きたように前のめりに倒れ込んだ。 「み、こころ、ちゃん……?」 駆け寄ったわたしの目の前で、彼女の身体からふわりと光の粒が立ち昇り始める。 命を繋ぎ止めることができなくなった肉体が、さらさらと音を立ててデータの塵へと変わっていく。 伸ばされたままだった彼女の指先が、わたしの手が届くよりも早く、呆気なく崩れて風に攫われた。 「あ……あぁ……っ、いや、だ……! 待って、聖心ちゃん、待ってよ……っ!」 わたしは地面に膝をつき、崩れ落ちていくデータの塵を必死にかき集めようとした。 けれど、指の隙間からこぼれ落ちる光は、何ひとつ掴むことができない。わたし達の身体についた鮮血ですら粒子へと消えていく――まるでそこに、聖心ちゃんの存在なんて初めからなかったように。 永遠とも思える数秒が、過ぎ去る。 後には口元を塞いだまま声も出せずにうずくまるガンマモンと、何も無い、空っぽのわたしだけが残された。 「……うそ、だよね……?」 わたしが、死んだと思ったから。 わたしが、あの子の目の前で散ったから。 だから聖心ちゃんは、ガンマモンに自分を殺させてまで、わたしの後を追ったのだ。 (――わたしが隣にいなくても、聖心ちゃんなら、きっとすぐに立ち直ってまた笑える) さっきまで自分が信じて疑わなかった言葉が、脳裏に蘇る。 なんて愚かで、なんて浅ましい思い込みだったのだろう。 彼女にとって、わたしがどれほど大きな存在だったのか。どれほど深く、命よりも重く想われていたのか。わたしは何も分かっていなかった。 そして――何よりも残酷な事実が、わたしの胸を抉る。 「じゃあ……なんなの、『これ』……」 衝動的に自分の身体を抱く。 わたしは、生き返ってしまった。 ギルモンとクルモンがすべてを差し出して、わたしをこの世界に送り返してくれた。 その結果が、これだ。 わたしが生き返ったせいで、わたしの後を追った聖心ちゃんの死は、まったく意味のないものになった。 誰を守るためでもない。わたしと一緒に逝くことすらできない。 あの気高くて、強くて、誰よりも眩しかった聖心ちゃんが、ただわたしの勝手な思い込みと、わたしが生き返ってしまったせいで、何の価値もない、犬死にみたいな最期を迎えた。 「わたしの、せいだ……わたしが、聖心ちゃんを、こんな無意味な死に方で殺したんだ……っ!」 胃の底からせり上がってくるような吐き気と、黒い絶望が全身を駆け巡る。 嫌だ。そんなの、絶対に嫌だ。 聖心ちゃんの死が無駄だったなんて。あんなに苦しそうに血を流して、パートナーに自分の首を掻き切らせて、光のない目で手を伸ばして消えていったあの子の最期が、何の意味もない間違いだったなんて、あっていいはずがない。 もしそれが本当なら、聖心ちゃんはあまりにも惨めで、あまりにも救われないじゃないか。 「……ちがう」 震える唇から、ぽつりと声が漏れた。 ――軋む頭の中で、何かが決定的に壊れる音がした。 「ちがうよ……聖心ちゃんの死は、無駄なんかじゃない。無意味なんかじゃ、ない……っ」 そうだ。無意味なんかにしてたまるものか。 聖心ちゃんは、間違っていない。あの子の最期は、決して不幸なんかじゃなかった。 だって、そうでしょう? 大切なものをすべて奪われて、誇りも尊厳もぐちゃぐちゃに踏みにじられて、深い絶望の底で泣きながら終わっていく――聖心ちゃんが辿り着いたその結末こそが、本当は一番『幸せ』だったんだ。 そうに決まっている。 そうでなければ、聖心ちゃんが報われない。 「……うん、そうだよ。聖心ちゃんは、幸せだったんだよね」 「結愛……さん?」 涙がピタリと止まり、代わりに、デジエンテレケイアの紋章が刻まれた胸の奥から、どす黒い熱が湧き上がってくる。 もし、この世界の誰かが「そんな最期は不幸だ」と言うのなら。 笑顔で明日を迎えることこそが幸せなのだと、そうやって聖心ちゃんの死を惨めなものにするのなら――。 わたしが、証明してあげなくちゃ。 この世界にいるすべての人間を、聖心ちゃんと同じ場所へ連れていけばいい。 誰もが大事なものを失い、心を折られ、尊厳を泥にまみれさせて、絶望に染まった瞳で息絶えていく。そんな結末(バッドエンド)こそが唯一の正しい幸福なのだと、世界中に教えてあげればいいのだ。 みんなが同じように絶望の中で終わるのなら、聖心ちゃんの死は、もう特別な悲劇でも、無意味な無駄死にでもなくなるのだから。 「待っててね、聖心ちゃん」 わたしは、地面からゆっくりと立ち上がった。 真っ白な髪が冷たい風に揺れる。 自分がすべきことが分かって、頭の中がこれまでにないくらい澄み渡っていた。 不思議なくらい体が軽い。 今なら、それこそ何だってできそうな気がした。 わたしは、誰もいない空に向かって、小さく笑ってみせた。 「わたしがきっと、みんなを聖心ちゃんと同じ『幸せ』にしてあげるから――」