一休宗純は67歳の時、「自戒
無題 名無し 01/05 1562

一休宗純は67歳の時、「自戒集」にて
「寛正二年六月十六日、大燈国師の頂相(肖像画)を本寺へかへして念仏宗となる」と宣言した。
 この年11月には蓮如の勤めた親鸞の200回忌に出席し、親鸞の肖像画を酬恩庵へ持ち帰って
「末世相応の心を」と題し、「襟巻の あたたかそうな黒坊主 こやつが法は 天下一なり」と親鸞について詩んでいる。

「九年まで 座禅するこそ 無益なれ
 まことの時は 弥陀の一声」(一休、達磨大師と阿弥陀仏について)

一休は晩年87歳の時にまとめた「狂雲集」にも
「前年、大燈国師の頂相を賜うことをかたじけのうす。予今衣をあらためて浄土宗に入る。故にここに栖雲老和尚にかえし奉る」
「禅門の最上乗を離却し、衣をあらたむ、浄土の一宗僧。
みだりに如意・霊山の衆(大徳寺の如意庵と霊山徳禅寺のこと)となって嘆息す、多年、大燈をくらませしことを」
と詠んでいる。
 また弟子の宗臨に、自分の49日法要には山科本願寺の蓮如に法要を頼むよう遺言している。
 尚、法要を頼まれた蓮如は「私は生きている間に一休さんを導き終えたのだから、死後にわざわざ念仏の功徳にたよる必要はない」と答えたという。

無題 名無し 01/05 1563
あっかんべえ一休は名作だと思う
坂口尚にはもっと長生きしてほしかった
無題 名無し 01/05 1567
禅宗がガン無視してる一休さんの一面だな
狂雲集そのものを読む奴なんてたかが知れてるしほぼバレない
無題 名無し 01/05 1568
っていうか蓮如何様だよ
無題 名無し 01/05 1571
まあそうだけど
同時代的に見れば蓮如>>>>>>>>>一休みたいな感じでしょ
無題 名無し 01/06 1573
>同時代的に見れば蓮如>>>>>>>>>一休みたいな感じでしょ
当時からご落胤って噂はあったんでない?
蓮如は平生業成つうて死後の心配より生きてる間に業を成せって話をずっとしてるので、もう引導は渡せたって認識なんだろう
49日法要までいらないと言ってるのはラジカルだなあ
無題 名無し 01/08 1579
そもそも仏教自体が悟りを開く事が目的なわけで
それから外れてる日本の仏教ってどちらかというとヒンドゥー教に近いというか
ほぼヒンドゥー教なんだよな
正直修行するぞ修行するぞって言って人を超越しようとしてたオウム真理教のほうが仏教に近い
無題 名無し 01/09 1580
ヒンドゥー教の何を知ってこんな書き込みしようと思ったんだろう
もしそうなら一休さんの著作にヒンドゥー教的要素が見て取れるって話になると思うけども
無題 名無し 01/10 1583
日本の仏教では普通に念仏にもバラモンの神さまが出てくるからな。
ゴーダマ・シッタルダの仏教ならば、神さまだの輪廻だのの迷信から解脱しなきゃ。
無題 名無し 01/11 1595
一休も親鸞も著作見れば迷信をとにかく排除しようとしてる人だとは分かるはず
その、イメージで批判されても困ります

無題 名無し 01/19 1629
護摩を炊くのも加持祈祷も仏教というより密教。元を正せば拝火教だろ。
無題 名無し 01/21 1630
>護摩を炊くのも加持祈祷も仏教というより密教。元を正せば拝火教だろ。
護摩を焚くってのは真言宗とか天台宗、チベット密教の系統ですよね?
加持祈祷を布教手段にするとかで曹洞宗も一休さんは批判してましたし
なんかイメージで喋ってません?
無題 名無し 01/27 1646
>説禅(せつぜん)といい、説道(せつどう)といい、禅を説き、道を説き、人の為に説法をしたり、参禅を聞いたりするという者、これは仏法の盗賊なり、我が門の怨敵(おんてき)なり
>(自戒集、遺戒)
自己流の解釈のために仏法を利用する人、論戦のために仏法を利用しようとする人、自己実現に仏法を利用する人、これは仏法の盗賊なり、我が門の怨敵なり
厳しい
無題 名無し 02/03 1659
日本仏教への認識って、信者も含めて鎌倉時代脳あたりで止まってる人多いかも
何でも並列化させて横並びで覚えちゃう日本人多いし
無題 名無し 03/22 1788
一休さんのお弟子の日記が出てきたんだっけ
無題 名無し 03/25 1791
何がなーされたんだろ
無題 名無し 03/30 1794
一休さんはRODでイメージが変わった
無題 名無し 04/06 1803
後の人が勝手に作ったイメージがでかいんだろうな
イメージ先行で史実準拠の方がフロンティアっていうキャラ
無題 名無し 04/07 1804
禅宗と浄土真宗のハイブリッドなら鈴木大拙なんかもそうだな
禅のつれづれなんか最初から浄土真宗の話ばかりしてる
親和性高いんだろう、多分
無題 名無し 04/08 1808
肖像画を返上する、肖像画をもらう、ってのはこの時代けっこう意味が重いような

無題 名無し 22:06 1837
史実の一休さんという存在を認識しようとしても原典を読む視点が問題になってくるわけで
日用清浄人と日用不浄人の分け方とか見てても、潔癖症と言える程厳しい目で自他を省察してるわけだけど
門弟になるのが割りと簡単なのに結局誰にも印可与えず「認められる弟子は結局一人もいなかった」とか言ってたり
仏教探求に関してはストイック過ぎるほどストイックなのに、お近づきになりたいミーハーと能力及ばない者ばかりが弟子にと群がって来てた
これは辛いし悲しい
無題 名無し 04/29 1861
やっぱ槇原敬之
無題 名無し 06/03 1911
禅宗と浄土宗は中国でも唐の時代なんか同時展開してる時期あるよね
新資料で一休さんの再発掘あるなら嬉しいことだ

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