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>>「よく分かった!」 >>「伝わってよかった!」 >>みたいな愛がありますな >篤く三宝を敬え、の三宝が円満に成立した時には必ず両者に感動があるもんですよね >人師であれ、法であれ >そしてその関係性の円満がその証明となるもんですから、悉有仏性を言うならそりゃこの世の人過去の人全てが師ですよ仏ですよとか言い出さないといけなくなるわけで >凡夫がそんなこと言えるわけもない、口だけやんという前提もあるのですが、例えば法華経なら常不軽菩薩のお姿とか、浄土真宗なら阿弥陀が如来であることに南無するとか >各宗派で仏、菩薩に遭ったその感動が絶えることなく相続されて来たのが、仏教の歴史だったはずです >そして、その三宝が成り立つ場所を各宗派で浄土と呼んだりしてたわけです >釈迦の滅後、証明の無い個人的な悟りをひたすら積み重ねていくというスタイルだった仏教は、常住の仏、浄土を見出し、そして三宝を抑えるということで始めて社会性を獲得したと、その面では言えるかと思います >同時に仏像のポーズごとの解釈、これは阿弥陀の仏だとかこれは薬師の仏だとか、また仏に近付くための方法論とかで好きなだけ流派も細分化されてった形ですね