朝になれば起きねばならぬ
起きないといけないが布団の心地よさが二度寝へと誘ってしまう
それだけではない。もちもちとした何かが頬をもちもちと揺さってくる
もちもち。もちもち
ああ出来ればこのもちもちも布団の温かさもずっと感じていたい…
そう思いながらだんだんと意識は闇の中に……

「マツダ…起きて…起きて……起きろし…」

そんな声が聞こえると段々と意識がはっきりしてくると気づけば目の前のもちもちを抱きしめて布団の中に引きずり込んだ
温かいもちもちと温かい布団は気持ちよさの二乗である。二倍ではない二乗だ

「ギュプゥ…」
「ふへぇ…たぬきちゃんは温かいなぁ」
「朝練…遅れるし…早く起きろ…」
「うぇー…」

もぞもぞと布団から抜け出したのは花も恥じらう女子高生
彼女はもちもちの正体であるたぬきを飼いながら寮に住んでいる
元々複数人での一つの寮部屋になるのだが彼女は部屋一つを一人で暮らしている
そのためたぬきが一匹加わろうが特に問題はない
むしろ一人で暮らすより話し相手が増えることに彼女は喜んだ

「じゃ、行ってきまーす。たぬきちゃんお留守番よろよろ～」
「いってらっしゃいし…ふわぁ…」

朝早くからの朝練に向かうマツダという名前の同居人を見送ってたぬきは欠伸を一つ
気づけばあまり寝起きが良いとも言えぬマツダを毎回起こす係となっているたぬきはそのままもぞもぞ布団の中に潜り込んで眠ってしまった
これが一人の少女と一匹のたぬきの日常風景であった


「これからお世話になるホンダです。よろしくおねがいします」
「よろしく～！」
「よろしくですし…」

奇妙な人とたぬきの共同生活は唐突に終わりを告げた
寮部屋に新しい人が入ることとなり、独占部屋では無くなるのだ

「ホンダちゃんは同じ競争部で後輩の子でね！期待の新人なんだよ！」
「ほう…これはマツダもうかうかしてられないし…」

どうやら新入生かつマツダの後輩らしいホンダにたぬきの目はションボリ唸る
たぬきはどうも走る人に興味を惹かれる性質が強く、マツダに大人しく飼われているのもその面も大きい
そうでもなきゃ毎朝毎朝起こす甲斐甲斐しい真似もしないだろう

「ヴッフ…たぬきはたぬきですし…」
「あ、どうも…」

ぷにぷにもちもちの手を差し出されて思わずホンダも握手を返せばその肌触りにほっこりする
たぬきの思惑かどうかは知らぬがそうしたちょっとした心のほぐし方を心得ているようだった
こうして奇妙な共同生活は人二人とたぬき一匹に切り替わる
この時はたぬきも同居人が増えた…その程度しか思っていなかった


「久々のお出かけ楽しいねぇ！」
「ふふ…そうですね……しばらく勉強続きでしたし」

学生の身である彼女たちは当然学業も修めて試験にも挑まなければならない
同居人となってからしばらく経っていたのか随分と仲の良くなっているのか先輩後輩の関係ながらも二人でお出かけしているようだった
試験も終われば長期休みも間近だ。その前に自分へのご褒美へのお出かけというわけである

「へぇ、今こういうの流行ってるんだ。クリームたっぷりタヌトッツォ…？言いにくいなぁ」
「たぬきの顔だし…かわいいし…」

そのお出かけにはたぬきも人形のように抱かれる形で同行していた
たぬきもお出かけというのは存外に楽しいものである
野良での暮らしと違って人間に飼われている形でのお出かけは言い換えれば人間に守られているということだ
安全に人の暮らしやたぬきの暮らしを見届けることが可能になるのは安全圏にいるからこその特権である

「うわぁ、あっま…！クリームしかない！」

流行りのスイーツを食べ、服や化粧品など女の子らしい買い物を巡り、街を謳歌する
普段は机の前で授業を聞き、終われば部活で体を心身削る勢いで青春を燃やしていく学生とはまた違う楽しさだ

マツダもホンダも楽しんでいる。たぬきもまた楽しんでいる
だけど、たぬきは薄々と気づき始める
この楽しいという感情は少しだけ、二人とたぬきでは違う色をしているのだと
たぬきと一緒に暮らしていた時では見せなかった顔と喜びという感情
それをマツダが見せるたびにたぬきの心が少しだけピクンとしてくる

「…………ﾀﾇｰ」

そのほんの少しの心のズレが着実に起き始めていた


「えっ、たぬきちゃん出ていく！？」
「ヴフフ…ちょっとお世話になるつもりがかなり長居してしまったし…」

季節は春を迎えて新シーズン
たぬきはションボリを超えるもやもやを抱えたまま同居を続けていたがこのままでは人同士の暮らしを邪魔しているように思えてきた
マツダからすれば後輩にカッコ悪い恰好をしたくないからと自分で起きるようになったのだが、たぬきの助けを借りずとも自分でやれるようになっていく人の姿を見れば自分のやってきたのはお節介なのでは？と考えが悪循環してきているのだ
しかしそれを告げて出ていくのも二人に悪いため、流浪のたぬきに戻るようにカッコよく去ろうとしていた

「ホンダ…マツダを頼むし…」
「はぁ…でもこれからの当てはあるんですか？」
「まぁ探せばスラムでも何でもあるし…たぬきは何処でも生きていけるし…」

嘘だった
もはや人社会に一年もいて野良の生活なんて覚えていない
スラムの場所もこれからどう生きるのも未知数だらけだ
賢い生き方をするなら間違いなく目の前の人と一緒に暮らしたほうがいい
しかしそれ以上に自分の心が二人の邪魔になっているのではないかという悲鳴をあげているのだ

「でも寂しくなるよぉ。考え直さないの？」
「あまえるな…マツダはたぬきに頼りきりだし…」

何度も引き留めの言葉を貰いながらもたぬきはまた何処かで出会えるし…と言い残して寮を出る
桜が咲いては散っていくこの季節は別れの季節でもある
だからこれでいいのだ。たぬきはトボトボと行く当てのない道を歩いていく

「……うっ……」

ボロボロと涙を出るのは自分の甘えだ。人に甘えるなと言ったのだから自分がそうなってはいけない
そう心を戒めてもボロボロと出るのはそれだけ人との暮らしに思い出がある証明だった
本当は出ていきたくなかった。本当は人と一緒に暮らしたかった
それでも彼女は人で、自分はたぬきなのだ
たまたま同じ言葉が喋れるだけで生き方が根本的に違うのだからこれ以上はどっちも為にならないと判断した

こうしてたぬきは人から離れて一匹トボトボと去っていく
誰に言われたわけでもなく自分の判断で行くその道に救いが無ければ先もない
かつて一人の少女と暮らしたたぬきは誰も知ることもなく行方知れずのままとなった