害獣駆除ファイル6 「海たぬき」


害獣駆除を生業とする男は、この日海風香る海岸の道を愛車である軽トラを運転しながら通行していた。
横目に見る海の上にはいくつもの筏が浮いており、海の青と筏の黒とのコントラストを作り上げている。
あれらの筏は牡蠣を養殖するためのものだ。
海上に見えている筏は全体のほんの一部に過ぎず、その下の海中には数メートルにも及ぶ垂下連と呼ばれる牡蠣を付着させ育成するためのロープが伸びている。
時期が来ればそれらの垂下連は専用のアンカーが搭載された船で巻き上げられ、余分な殻や付着したゴミなどを飛ばしてきれいな状態の牡蠣として出荷、或いは近隣の牡蠣小屋で品物として売りに出されるのだ。
男は香ばしい匂いをさせる牡蠣小屋の駐車場に軽トラを停めて車を降りた。
飲食のためではない。
今回彼に依頼をだした人物がこの場所を集合地点に指定したのである。

「やぁ、よく来てくれましたね。」

指定の時間より少し早かったが、依頼主の方はもっと早くにこの場にいたようである。
牡蠣小屋から出てきて男に声をかけたのは、平服の上から胸当てパンツと呼ばれる防水性やその他の海での作業に有用な機能を備えた服を着たいかにも漁師といった風体の壮年の男性であった。

「山村と言います。今日はよろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。」

山村と名乗った男性は丁寧に挨拶をすると状況の説明を始めた。

「どうにも、うちで育てている牡蠣をたぬきが荒らしているようなのですよ。」
「たぬきが…ですか。」

山村は頷くと懐から一枚の牡蠣の殻を取り出した。
完全な状態のものではない。石でも使ったのか乱暴に砕かれておりボロボロになっていた。

「これはここの養殖筏の上で見つかりました。最初は引き上げたときに落ちたのかと思っていましたが、掃除をした次の日にもまたあったのでどうも怪しいと…」

最初はたぬきではなく人間の泥棒による被害を疑ったらしい。
それからは監視カメラを設置して狼藉者の犯行に備えていたが、カメラが捉えたのは人間ではなかった。

「これを見てください。」

男が見せられたのは当の監視カメラの映像である。
該当の時間までスクロールバーを進めると、そこには犯行に及ぶたぬき達の映像が写されていた。

「これは…」

映像はまず筏の縁にたぬき特有のもちもちとした丸い手が掛けられた所から始まった。
ぱしゃりと軽い水音を立てて這い上がったたぬきの手には牡蠣と小さな石が握られている。
そして這い上がってきたのはその一匹だけではなかった。
ぞろぞろと十匹以上のたぬきが筏の上に終結すると各々座り込んで置いた牡蠣に小石を叩きつけ始める。
堅い牡蠣殻を割って中の牡蠣を食べようというのだ。
ほどなくしてたぬき達は牡蠣を貪り始めた。
食べ終わると殻を海へと捨て、物足りないと感じたたぬきは再び海へと飛び込みまた牡蠣をもって戻ってくると殻を砕いて中身を食べ始める。
そうした光景が三十分ほど続き、たぬきの群れは満足したのか殻も石も捨ててしまうとまた海へと飛び込み消えていった。

「これが三日前の映像です。それ以来どこかしらの養殖筏でこんな感じの牡蠣泥棒の証拠が上がってまして…我々では対処できないので専門家である貴方に頼った次第です。」
「…分かりました。たぬきの駆除に全力を尽くします。」

頷いた男はこのたぬきの群れについて最大限の警戒を要することを確信した。
この群れは恐ろしいことにたぬきの種族的弱点である尻尾の水濡れによる弱体化を克服しているように見える。
通常のたぬきは尻尾が濡れることにたいして尋常ではない忌避感を持っており、濡れた尻尾を乾かすために地面にすり付けてずりずりと引きずるようにする。その優先順位はストレスを発散するため本能的に行うじたばたよりも高く、じたばたの最中に尻尾を濡らすと両者の欲求が喧嘩をして動こうにも動けなくなる。
この性質ゆえにたぬきは基本的に泳ぐことが出来ない。
背丈の1/3程度の水深の水溜まりでさえ溺れ死んでしまうだろう。
これらは駆除をする際にも有効に働き、尻尾を濡らすというのは鉄板戦法として広く知られている。
しかし映像のたぬき達は水にたいして何の恐怖も抱かずそれが普通であるかのように水泳を行っていた。

「変異か…面倒なことになりそうだ…」

牡蠣小屋を出て軽トラに積み込んだ駆除用の道具を一つ一つ改めながら男はこの件がなかなかに困難な案件になりつつあることを自覚していた。
たぬきは極めて不安定な生態を持つ。
宿りたぬきによって作物や食品から生まれたたぬきは元の食品を模した体毛を持つようになり、食料の少ない過酷な環境で生まれた個体は小さく狭い場所への侵入へと特化した家たぬきとなる。
生まれた段階で周囲の環境へと適応しようとある程度の変容を遂げるのがたぬきだ。
映像のたぬき達も海辺で生まれ、その環境に適応したのだろう。

「これは使えんだろうなぁ…」

いつもは非常に頼りになる放水ホースとそのタンクは今回は使えない。水を浴びせてもけろっとしているだろう。
顔に浴びせてやれば怯むくらいはするだろうがその間に他のたぬきは逃げてしまうに違いない。

「かんしゃく玉…も投げる場所がない」

たぬき狩りの必需品ともいえるかんしゃく玉もお留守番である。
海上を主な活動範囲とするたぬきが相手では破裂させるための地面が存在しない。

「網か…一応使えるかもしれん…」

一メートルほどの長さのたも網は海面近くのたぬきを掬い上げて捕らえることは出きるかもしれない。
しかし一網打尽には遠いだろう。映像に写っていたたぬき全てを一度に捕らえることは出来ない。

「さて、どうしたものか…」

現状男が保有する駆除道具ではこのたぬきを一網打尽にするにはあまりに効果範囲が不足している。
だが男の顔に諦めの色はなかった。
むしろ脳をフル回転させてこの状況を打開するための手段を探っていたのだ。
過去のさまざまな案件の記憶、同業者との情報交換、最近発表されたたぬき関連の論文…
その中の一つに、男は光明を見いだした。

「アレならば…いけるかもしれん…」

思い立った男は即座に脳内で計画を練り、走って牡蠣小屋に戻ると山村に計画の全容を告げて実行の許可を求めた。

「ええ、それは大丈夫なのですか？」
「周辺への被害は現状確認されていません。殺傷まではいかないので放っておけば復帰します。」
「うーん…分かりました。漁協の仲間に話を通しておきます。」
「ありがとうございます。機材の準備には一日掛かります。それまでの間にやつらの住処を見つけ出します。」

実行の許可を得た男は山村に礼を言うと牡蠣小屋から飛び出し今度は携帯電話で電話をかけた。
通話相手は同業の駆除業者である。

「お電話有難うございます。こちらたぬき駆除センター『せんばやま』です。本日はどのようなご用で？」
「俺だ。この前言ってた外来種の駆除に使ったやつ、用意してくれ。ああ、水辺に対応した変異種らしい。」
「また変異種かぁ？あの野郎共飽きもせずにまぁ…分かった。すぐにうちの若いもんにそっちに持っていかせる。サンプルは確保させてもらうぞ。」
「勿論だ。よろしく頼む。」

一般的にたぬきは害獣として認識されているが、その駆除効率は芳しくない。人に似かよった姿をして人語を解する生き物を好き好んで殺したがるものは少ないのだ。
ベテランのハンターであっても猿を駆除することに嫌悪感を拭えないものもいる。
しかしこの世にたぬきを狩る者は何もこの男だけではない。
たぬきとの接触以前から害獣駆除をしていたものたちの新たな獲物となることもあれば、たぬきによって生活基盤を破壊され復讐に燃える元第一産業従事者もいる。
男が連絡を取った同業者は前者のパターンであった。
同業者からの協力を取り付けた男は軽トラの荷台からドローンを取り出した。
バッテリーを増設して長時間の飛行に耐え、カメラも搭載した偵察モデルである。
男は人間であるので海上をたぬきに気取られずに追跡することなど出来ない。
なのでその代わりは機械にやってもらうのである。
四つのプロペラが回転を始め、ドローンは空へと舞った。



＊



養殖筏が浮かんだ地点から少し離れた砂浜にある岩場。
これが件のたぬき達の住処である。
岩と岩の隙間、小さな裂け目を入り口としたこの住処は周囲からの視界を全てシャットアウトしており見つかる心配は全く無い。
そこでは海辺での生活に適応し変異した「海たぬき」の一族が暮らしていた。
彼女らが環境に適応するために変異した部位は二ヶ所。
通常のたぬきならばもちもちとした丸い足をしているが、海たぬきは泳ぎを可能とするために先端がまっ平らで幅広の足ヒレ状の形状へと変化していた。
これにより水中での推進力を得ることが出来るが、代償として地上での歩行能力は通常のたぬきよりも劣る。
しかし彼女達の主な生活空間は海中か安全な住処であるので現在に至るまでそれによる問題は発生していない。
そしてもう一つの変異箇所は尻尾である。
本来ならばふさふさの茶色の毛におおわれている尻尾は、変異により毛根が消失しその代わりに平べったく水を掻くために有利に働くヒレ状のものへと変わっている。
この変異により、海たぬきは濡れることによる不快感から解放され泳ぎを可能としているのである。

「長老、帰りましたし…」
「お帰りだし…」

この住処に暮らす海たぬきは全部で十五匹。
若く体力があり食料確保のために働くたぬきが十一匹、生まれたばかりで海たぬきへの変異がまだ済んでいないちびたぬきが二匹、住処に常駐してそのちびを世話して変異を促すたぬきが一匹、そして群れ一番の古株であり一番最初に海たぬきへと変異した長老たぬきがその内訳である。

「今日の収穫だし…」
「ううむ…上出来だし…」

たぬき達は住処の真ん中のスペースに生牡蠣を次々と置いて積み重ねた。
その様子を見て長老たぬきは満足げに頷く。
食料確保のたぬき達の中には長老とは別に現場での判断や細かい指示を行うリーダーたぬきがいる。
このたぬきは長老たぬきがこの岩場の住処を見つけ、仲間を増やせるようになったあと始めて生まれたたぬきであった。
長老の持つ知識を深く吸収し、鍛練を積んで普通のたぬきから立派な海たぬきへと変異したのである。

「これだけあれば一週間は食べていけるし…」
「今日食べる分以外は干しておくし…乾かしておけば必要なときに食べられるし…」

たぬき達は長老たぬきの指示に従い干牡蠣の作成に取りかかる。
生牡蠣は足が早くそのまま放っておいたらあっという間に腐ってしまい食べると腹を壊してしまう。
しかし乾燥させておけば必要なときに食べることが出来る食料へと早変わりするのだ。
収穫が出来ない冬の間を乗り越えるため、これは必ず必要量確保しなければならない。

「まずは絞るし…このままだと水気が多くて腐るし…」
「分かったし…」

たぬき達は各々一つずつ牡蠣を抱えるとぎゅうっと抱き締めて少しずつその水分を取り出し始めた。
人間が干牡蠣を作る際はまず煮出して水分を飛ばすが、火を扱えぬたぬき達は水分をよく吸収するもちもちの肌をスポンジのように扱い、原始的なやり方で水分を抜く。

「美味しそうだし…」
「後で食べればいいし…今は続けろし…」
「はいし…」

食欲を長老たぬきにたしなめられながらたぬき達は作業を続けた。
いつの間にやらその足元には牡蠣の絞り汁が溜まり始めている。

「むむ…このくらいでいいし…次だし…」

しばらく抱き締め続けていた牡蠣は今や大分水分が抜けて半分ほどの大きさに縮んでいた。
十分と判断した長老たぬきは次の指示を出す。

「この網の上に牡蠣を置くし…あとは時間が乾かしてくれるし…つまみ食いするやつはおしりペンペンだし…」
「はーいし…」   

長老はそこそこの大きさの金属の網の上にそれらの絞られた牡蠣を置かせ、太陽の光が差し込む場所へとそれを置く。
この網は浜辺でバーベキューをしていたマナーの悪い若者たちが置き去りにしていったものを回収したものだ。
長老たぬきは人間の作り出す道具は基本的にはたぬきもある程度扱えると言うことを知っていた。

「ふう…一週間もすれば干牡蠣は完成するし…冬になったらこれを食べるし…」

一連の作業を終える頃には既に太陽は水平線の先に沈み始めていた。
オレンジ色の光が住処に満ちるなか、長老たぬきは眠ろうとしていたリーダーたぬきを呼び止める。

「長老、どうしたし？」
「ううむ…聞くし…たぬきはもう、あんまり長くはないし…」
「えっ…長老死んじゃうし…？やだし…いかないでし…」

突然の告白にリーダーたぬきは度肝を抜かれた。
長老たぬきはこの一族の全てだ。
生まれて間もないリーダーたぬきに生き抜くための知識を色々教えてくれたのも長老、あとから生まれた姉妹達を育て上げたのも長老、そして群れを養うための聖地である「海の森」を見つけたのも長老。
死んでしまうなんて到底考えられなかった。
泣きすがるリーダーたぬきをもちもちしてなだめると穏やかな声で長老たぬきは続けた。

「すぐにというわけではないし…でもたぬきはずいぶん長く生きたし…いつお迎えが来るかも分からんし…だからお前にはたぬきの知ってる全てのことを今のうちから教えておくし…もしものことがあったら、お前が一族の皆を守るし…」
「うう…分かったし…」

リーダーたぬきは涙を拭うと悲しみでしわくちゃになった顔から一変して決意に満ちた顔で長老の話を聞く体勢にはいった。
一族の若者が精神的な強さを示すのを見て、長老たぬきは穏やかな気持ちになる。
今までのたぬ生の中では辛いことも苦しいこともたくさんあったが、自分の意思を継いでくれる頼もしい若いたぬきがいるというだけでそれらが報われたような心持ちだ。

「まずは…一族の歴史から始めるし…」
「昔の話だし…聞くし…」

それから長老たぬきはリーダーたぬきに自身のこれまでのたぬ生について語り始めた。
長老たぬきは今でこそ立派な尻尾と足ヒレを持つ海たぬきであったが、なにも生まれたときからそうではなかった。
むしろ生後数ヶ月は海で暮らすなど考えもつかなかった普通のたぬきだったのである。

「昔…この住処を見つける前、たぬきは普通のたぬきだったし…ここみたいに仲間はいたけど陸で暮らしてたんだし…」

若き日の長老たぬきは今のリーダーたぬきと同じく群れのなかにおいて食料確保の仕事に就いていた。
仕事の出来次第で仲間の生死を左右する重大な役割である。
幸い優秀であった長老は木の実や昆虫などの食べ物を得る術を心得ており、群れのなかでも中心的な存在になっていた。

「ある日たぬき達は住処から逃げないといけなくなったし…」

穏やかな日々は、しかしある日突然に奪われることになる。
長老たぬきと仲間達の住処に、たぬきにとっての絶対的な捕食者であるたぬきもどきが襲来したのである。

「もどきに襲われて、たぬき達は逃げるしかなかったし…別の方向に逃げた仲間達の悲鳴がたくさん聞こえてきて、もう死ぬかと思ったし…」
「もどきだし…怖いし…」

その時のことを思い出すと長老は今でも背筋が凍るような思いだった。伝聞でしかたぬきもどきを知らないリーダーたぬきも幼い頃からその恐ろしさはよく聞かされていた。
尻尾の毛が逆立ち、それを撫で付けて気を落ち着けると長老は話を続ける。

「逃げ続けてたぬきはこの海岸にたどり着いたし…まだこの住処を見つける前の話だし…」

当時の長老たぬきにとって海は恐ろしい場所であった。
尻尾が濡れると動けなくなるしへたしたら溺れて死んでしまうことは火を見るよりも明らかだったのだ。
しかし、もう前の住処に戻ることは出来ない。
行く宛もないので砂浜を住処とした長老たぬきの新生活は始まった。

「その頃は流れ着いた海草やらを取って食べてたし…」

主な食料は漂着した食べられそうなもの全般であった。
前の住処の頃に身につけた木の実や虫を捕まえる技を活かすことは出来なかったが、すぐにその環境に慣れ始めたのである。
しかし新しい環境に慣れ始めた頃、またもや長老たぬきを悲劇が襲った。

「しばらくはそれで食べていけたし…でもまたもどきがやってきたんだし…」

逃げた長老たぬきを追ってきたのか、それとも偶然に発見されたのか、それはもう定かではない。
しかし明け方に海草を探して砂浜を歩いていた長老たぬきは、遠方から駆けてくるたぬきもどきの姿をはっきりと視認していた。

「砂浜は開けてて隠れる場所はどこにもないし…だからたぬきは隠れられそうなこの岩場まで走ったし…」

もともと歩みの遅いたぬきである。その上砂浜に足を取られるためスピードなど出るはずもない。
遠目に見える距離だったたぬきもどきは、長老が岩場にたどり着く頃にはもどきはすぐ近くまで迫ってきていた。

「もうダメかと思ったし…でもその時、波が来てたぬきともどきをまとめて押し流したし…」

岩場に押し寄せた波は両者を分け隔てなく押し流し、そのまま引いて海中へと放り出された。
もどきとて元はたぬきである。
泳ぐことが出来ずもがきながら沈んでいった。
一方で長老たぬきはというと岩の間に挟まって海中に没することをなんとか回避していたのである。

「その時はなんとか助かったし…でも困ったことに、戻れなくなってたし…」

溺死は回避したものの、長老たぬきが挟まっていた岩の隙間は海面に接しており足元は水没し尻尾も当然濡れていた。
頭は出ていたため溺れることはなかったが半身を海中に浸けた形である。

「じたばたも出来なかったし…でも隙間から出たら海に落ちて溺れるし…動けなかったし…」

長老は気の狂いそうになるほどの長い時間を岩の隙間で海水に浸りながら過ごした。
時折寄せる波は長老たぬきの全身を濡らしたが、なんとか溺れることはなかった。

「２日くらいはそのままだったし…もうどうしようもないって思ったとき、奇跡は起きたし…」

溺死の恐怖や飢えと乾きに必死に耐える長老は、自身の足と尻尾が何やらむずむずとした妙な感覚があることに気がついた。
視線を落とせば足はヒレ状に変化し、尻尾は波によってか毛が抜け落ちていたのである。
極度のストレスと特定環境への長期滞在が長老の肉体に強烈な変異を促したのだ。

「ヒレと尻尾は海からの贈り物だし…」

泳げるようになった長老たぬきは岩の隙間から脱出し、無事に浜辺へと戻ったのである。

「それからこの住処を見つけて、家族を作ったし…そう、お前だし…」

もどきに襲われた教訓から、長老たぬきは見つからない住処を求めた。
波によって岩場には亀裂がおおいことを知った長老は、浸水しないギリギリの位置にあるこの住処を見つけたのである。
生活が安定すればたぬきは家族を作る欲求が出てくる。
たぬきの卵であるたぬ木の実は浜辺の近くの雑木林から何個か見つけることが出来た。
生えていたたぬ木はその後切り取られてしまったが、その頃には長老の住処には十数個の木の実が確保できていたのである。

「お前が産まれたとき…たぬきはとても幸せだったし…」
「長老…たぬきも長老に出会えて嬉しいし…」

まず一匹育ててみようということで長老たぬきは産まれたばかりのリーダーたぬきの子育てを始めた。
食べ物はいつも通り拾った海草である。
成体のたぬき一匹とちびたぬき一匹ならばそれでも問題はなかった。
しかし他のたぬ木の実が孵って姉妹達が増えてくるとそういうわけにも行かなくなってきたのである。
キューキューと鳴くちびたぬき達を養っていくためには海草を拾うだけでは到底足りない。
そう確信した長老たぬきは一世一代の賭けに出る。
少量を豊富に確保できる場所を探して海へと飛び出したのだ。
この頃になると長老たぬきの泳ぎの技術は円熟していた。
海中を泳ぐ魚を捕らえることは出来なかったが、生えている海草や海底の貝を持って帰ることは簡単なことだ。
そうして食料を探していたある日、長老たぬきは再び幸運と巡り会うとこになる。

「皆の食べ物を探しているときだったし…たぬきはすこし遠くまで泳いでいって、そこで「海の森」を見つけたし…」
「森は恵みだし…皆が食べていけるのも森のお陰だし…」
「そうだし…森の恵みは偉大で分け隔てなく与えられるし…たぬき達だけでなく人間でも同じことだし…」

長老たぬきが見つけたのは大量の貝がついたロープが海中から海面へと延びる光景であった。
養殖業者達が筏から垂らした垂下連である。
長老たぬきはその光景を故郷の森の景色とダブらせていた。
垂下連のロープそのものは木に、そして養殖されている牡蠣は木の実のように思えた。
長老は早速それらを石で叩いて牡蠣を取り外し、腹をすかせたちびの待つ住処へと持ち帰った。
以降、海たぬきの食料事情は完璧に解決した。
取ってきた牡蠣によってちびたぬき達はすくすくと成長し、幼い頃から海水と親しむことによって変異が促され成体になる頃には長老たぬき同様に足ヒレとヒレ尻尾を得ていたのである。

「森には感謝しないといけないし…今たぬき達が生きていけてるのは森のおかげなんだし…」
「ありがとうし…」

海たぬき達にとって、養殖筏から垂らされた牡蠣の垂下連は人間が作り出したものではなく自然物であった。
栽培や養殖など自らの手で食物を育成して食べるという発想の存在しないたぬきと人間の価値観のすれ違いである。
そして、この海の森と海そのものは彼女らの緩やかな信仰の対象でもあった。
海はたぬきにヒレとヒレ尻尾を授けもどきから守ってくれた偉大な存在であり、そこに出来た海の森からとれる牡蠣もたぬきへの海からの贈り物である。
そして海の心は何処までも広く大きいのでたぬき以外にもその贈り物を与えており、人間もそのうちの一つ。
それを当然のことであると受け入れていたのである。

「あとはお前達の知る通りだし…」
「皆のためにこれからも頑張るし…」

ちびたぬきが育って立派な海たぬきになる頃、長老たぬきは身体を悪くして寝込みがちになっていた。
もどきに追われたストレス、急速な変異による身体の消耗、一族を育て上げるために休み無く働き続けたことによる疲労…
それらは長老たぬきの肉体を蝕み続けていたのである。
幸いだったのはその限界がきたのは育てていたちびたぬき達が変異と教育を完了して一人立ち出来るようになってからだったことだろう。
以降、長老たぬきは現場には出ずブレーンとして困った時に知恵を出しては度々一族の舵取りを行い、世話役たぬきと一緒にちびたぬきの保育に専念していた。

「今日はこれまでだし…続きはまた明日にするし…寝るし…」
「お休みだし…」

長く話して疲れた長老たぬきとリーダーたぬきは寄り添って眠った。その様子を見る世話役たぬきは、ぐずるちびたぬき達を尻尾枕に寝そべらせ小声でうどんダンスの子守唄を歌っている。
穏やかな空気が満ちた住処に夜の帳が降り、やがて子守唄もおさまりあとはたぬき達の穏やかな寝息だけが響いていた。
 


＊



海たぬき達の朝は早い。
その中でもリーダーたぬきはまだ夜が明けぬ午前三時半頃に誰よりも早く起床する。

「ぷわ…いい朝だし…」

まだ眠いまぶたを擦りながら岩の隙間から外の天候を伺ったリーダーたぬきはもちもちの頬をパンパンと叩いて目を覚ますとしゃっきりとした表情で海原を見据えた。
天気は雲一つ無い快晴。まだ太陽は上っておらず月はその輝きを変わらずに放っている。
風はなく海は凪いでいた。
こうした好条件の時海たぬき達は森へと赴く。
彼女ら一族は水の弱点を克服し泳げるようにはなっていたが、時化て大荒れの海原を渡りきるような芸当は当然出来ない。
それなりに距離のある森への往復はリスクもあるのだ。

「朝だし…起きるし…」
「むきゅ…ふわ…リーダーおはようだし…」

リーダーたぬきは食料確保の仕事に就くたぬきだけ、小声で呼び掛けて優しく揺り動かして起こして回った。
勿論ちびたぬきや世話役たぬき、そして長老たぬきは別だ。
よく食べてよく眠りよく遊んで水に慣れることが良い海たぬきになるための鉄則である。
すやすやと眠るちび達の安らかな寝顔を覗き込んでリーダーたぬきはにっこりと笑う。
しかし同時にその心の片隅には突き刺さるものがあった。

(長老…長くないって言ってたし…本当かもしれないし…)

決して口には出さなかったがリーダーたぬきも長老たぬきの死期が近づいていることを肌で感じていた。
まだリーダーたぬきがちびを卒業して子たぬきになった位の頃、森に行くために姉妹皆を起こして回るのは長老たぬきの仕事だった。リーダーたぬきが海たぬきとして成熟してからその任を長老から引き継いだ時も、一番に起きていたのは長老たぬきだったのだ。
それが今では起こすまでは起きない深い眠りにつくこともおおくなっている。
狭いコミュニティのなかでは少しの変化も目立つものだ。
リーダーたぬきは来るべき時に備え、しっかりと一族を守っていかねばならないと決意した。
そのためにもまずはもうすぐそこまでやってきている冬を乗り越えるための食料である。
牡蠣を森からすこしでも多く収穫して干し牡蠣を作らなければ、寒くて海にはいれない時期には飢え死にしてしまう。

「みんな目は覚めたかし？今日は天気もいいからまた森へ行くし…その前に準備体操だし…」
「はーいし…」

もちもちの肌を持つたぬきであっても、遊泳前には必ず準備運動を行って身体を解す。
たぬきの体操や運動といったらやはりうどんダンスであった。

「きっつっね♪あらいっぐま♪たっまっご♪」

リーダーたぬきの躍りに合わせて歌いながら、たぬき達はうどんダンスを踊った。
締めの腰を左右に振る部分がおわれば身体はぽかぽかと暖まり解きほぐされる。

「それじゃあ行くし…皆いつものヒモに掴まるし…」

そう言ってリーダーたぬきは１mほどはある大きさの海草の茎を住処から引き出した。
これは食料確保チーム全体を繋ぐ命綱だ。
森への距離はそれなりにあるため、途中で遅れるものやはぐれてしまうものを出さないため一番泳ぎが得意なリーダーたぬきを先頭としてこの海草のヒモに掴まり一つの集団として泳ぐ。
牡蠣を持ち帰る際も半数が抱えられるだけ抱えて残りはヒモを引いて牽引するという合理的なやり方だ。

「リーダーできたし！」
「よし…クラゲには気を付けるし…出発だし…」

海草のヒモで一列の集団となったたぬき達はリーダーたぬきを先頭にして海へと入っていった。
水中は彼女らのホームグラウンドとも言うべき場所だ。
普通のたぬきならば尻尾が濡れると動けなくなるところを、海たぬきは逆に潤いを感じて元気になる。

「泳ぐの楽しいし…」
「重力からの解放だし…」

変異によって得られた足ヒレとヒレ尻尾をぱしゃぱしゃと動かしてたぬき達は軽快に海を進む。
やがて、目印となる養殖筏が見えてくるとリーダーたぬきは海中へと潜った。

(石…あったし…)

目当ての物は堅い牡蠣の殻を砕いて取り外すために使う石だ。
たぬきの腕力では牡蠣殻をそのまま割ることは出来ないので、このように道具を扱う。
住処から持ってくると重いし邪魔になるので出掛ける度に海底のそれらを広い仕事を終えれば捨てるのがやり方だった。
各々小石を拾って浮上すると、再び養殖筏を目指して泳ぎ始めるたぬき達。
時刻は四時すこし前。空はまだ白み始めてすらいない。

「到着だし…何時も通り、食べる分を集めるし…」
「任せるし…」

養殖筏にたどり着いたしたぬき達は一度這い上がって小休止を挟むと石を片手に再び潜っていった。
狙うはこの場で食べる大物の牡蠣、そして持ち帰りやすい小ぶりな牡蠣の両方である。

「ふんし！」

リーダーたぬきは大きめの牡蠣を見つけると少し浮上して距離をとり、尻尾の力で加速して根本付近に石を叩きつけた。
ごりっと音がして垂下連から牡蠣が外れ海底へと向かう。
それをキャッチするとリーダーたぬきはその大きさに満足げに頷いた。

(大物だし…)

これだけの大きさなら一つでお腹一杯になる。
そう確信したリーダーたぬきは浮上してまた筏の上に上がった。
一番最初に仕事を終えたのは勿論リーダーたぬき。
そしてそれに続くように続々と筏の上には獲物を得たたぬき達が再び集まった。

「上出来だし…今日も大漁し…」
「お腹すいたし…」
「それじゃあ食べるし…海に感謝を捧げるし…」
「ありがとうだし…」

たぬき達は口々に海への礼を述べると牡蠣殻を砕いた中身を食べ始めた。
海の滋養がこれでもかと詰まったまるでミルクのような濃厚な味わいにたぬき達は舌鼓を打つ。

「うーん…どれだけ食べても飽きないし…」
「今日は大きいのがとれたし…うまーし…」

ものの数分でたぬき達は持ち出した牡蠣を完食した。
あとに残された殻を海へ捨てると、残るは持ち帰るための牡蠣を持って帰るだけである。

「持てるだけ持ったし…」
「ヒモ結ぶし…うごくな…じっとしろし…」

五匹のたぬきが両手いっぱいに小ぶりな牡蠣を抱え、リーダーたぬきはその胴体に海草のヒモを巻き付けて固定する。
この五匹は尻尾と足ヒレで海面から頭を出して呼吸を確保し、残りの六匹がヒモを引いて住処まで牽引するのだ。

「いい感じだし…それじゃ帰るし…」
「今日は大漁だったし…」
「長老もちび達も喜んでくれるし…」

出発したときと同様、たぬき達はリーダーを先頭にして海へと飛び込んだ。
時刻は四時半頃。あともう少しすれば東の水平線が輝き始める頃だが今は真っ暗だ。
一列にならんで泳いでいくたぬき達は遠目にみれば茶色の蛇のようにも見えるだろうか。
役目を果たし意気揚々と帰還するたぬき達。
これまで幾度と無く繰り返してきた光景であったが、今日だけはたぬき達のしらないうちに何時もとは違うことも起こっていた。
上空には四つのプロペラを回転させて滞空する偵察用ドローンが一台漂っていたのだ。
ドローンは搭載されたカメラを泳いで去っていくたぬき達の方向へと向け、ゆっくりと滑るように飛んでその後を追跡し始めた。
そしてそれを関知する術はたぬき達には無かったのである。



＊



夜通し養殖筏に設置された監視カメラの映像をリアルタイム監視していた男は、夜明けのすこし前の時間に三番監視カメラに何かが動くのを認めると画面を注視した。

「いた…たぬきだ…」

監視カメラの存在を知らないたぬき達は見られていることなどすこしも思わずに何時も通りの牡蠣の収穫を行っていた。
道具を使い牡蠣を取り外し、幾らかは住処に持って帰るために確保しておく。
その賢いやり方を見た男は目を細めてリーダーをしているらしき一匹のたぬきを見据えた。
同時に充電をしていたドローンをアダプターから取り外し三番監視カメラが設置されている養殖筏の方へと飛ばす。
ドローンのカメラは男の持つスマートフォンと連携しており、送られてきて映像を参考にして操作は行われる。
ドローンが狼藉の行われていた養殖筏にたどり着いた時、たぬき達は牡蠣を食べ終え今まさに海中へと飛び込もうとしていた。
落ちた水しぶきを目印にドローンを操作した男は、泳いで去っていくたぬきの群れを補足すると追跡を開始する。

「成る程…そうやって持ち帰るのか。賢いな。」

男は運搬役と牽引役に分けられて泳いでいく群れの姿を見て思わずそう呟いた。
頭が不出来なたぬきならば全員が持ち帰ろうとするかそもそも持ち帰るという発想が無かったりするがこの群れは違う。
明確に役割を分担するというのは駆除するのが厄介な群れの特徴の一つである。
今追っているこの群れも群れ全体の中で食料確保という役割を担っている集団というのは容易に推測できる。
補足できたのは幸運だった。
このまま住処を割り出し、数を把握して一網打尽にしなければ早晩この牡蠣の養殖場は食い荒らされることとなる。

「成る程、そこに住処を作っていたのか。」

やがて群れは岩場の住処にたどり着いた。
海面から這い上がって来た群れを迎えるのはこれまで見てきたどんなたぬきよりもよぼよぼとした個体である。
男は一目でそれが群れの長であると分かった。
死亡率が極めて高いたぬきという生物において、野生環境下で老衰が外見から判別できるほどに生き延びる個体は貴重である。
そうした個体はその知識量を活かして群れを率い、より強く大きくしようとするのだ。
カメラに写る個体はその典型とも言える存在だった。
男は脳内の駆除優先リストの一番上に老いた個体を置く。
次はたぬき達の先頭に立っていた個体だ。
賢いたぬきはそれだけで厄介なものだ。
勲章を持っていればさらに脅威度は跳ね上がる。
男は群れの全容を知るためギリギリまでドローンを粘らせて住処の観察を続けた。



＊



住処へと無事に帰還したリーダーたぬき率いる食料確保チームは干し牡蠣の下ごしらえをして各々好きに時間を使い始めた。
あるものは外に出て泳ぎ回り、あるものは海草を編んで新しいヒモを作り、またあるものは世話役たぬきと一緒にちびたぬきと遊んでやっている。
そんな中で、リーダーたぬきと長老たぬきは次代の群れの長を引き継ぐための知識の継承を続けていた。

「もしももどきや海鳥から襲われても、深く潜ってしまえばあいつらは追ってこられなくなるし…」
「やっぱり海はたぬき達の味方だし…」

今日教えていたのは脅威となる生き物からの逃げかただった。
たぬきの命を脅かす生き物はなにもたぬきもどきだけではない。
空を舞う海鳥などもまた油断ならぬ捕食者であった。
リーダーたぬきは覚えていないことだが、彼女も生まれたてのちびたぬきの時期に海鳥に拐われそうになったことがあるのだ。

「だから…ヴッフ！？」
「長老！？大丈夫かし！？」

話を続けようとした長老たぬきは、しかし突如として胸を刺すような痛みに襲われ激しく咳き込んだ。
痛む胸を抑え、口許も抑えて咳き込み続けた長老たぬきはしばらくしてようやく落ち着いた。
しかし息も絶え絶えであり、もちもちしていたはずの顔は土気色になり艶は失われていた。

「ヴッフ…ヴッフ…」
「しっかりするし…」

苦しむ長老たぬきの背をリーダーたぬきは撫で擦るが、それ以外に出来ることもない。
長老たぬきの深く息を吸って呼吸を整えるが、まだ苦しそうであった。

「長老…今日はもう休むし…」
「いや…ダメだし…もう時間が…ないし…」

リーダーたぬきは長老たぬきを寝床へと横たえて休ませようとしたが、長老たぬき自身はもう既に死がそこまで迫っていることを明確に感じ取っていた。
彼女の脳裏をこれまでのたぬ生が走馬灯のように一瞬で駆け抜けていき、そして目の前のリーダーたぬきへと収束する。

「お前は…一族の希望だし…たぬきの跡継ぎになるのはお前だし…これから皆を守ってやってほしいし…」
「長老ダメだし！弱気になったら…」

必死に励まそうとするリーダーたぬきであったが、肩を貸して崩れ落ちないように支えようとした瞬間に触れあった長老の肌からまったくといって良いほど暖かみを感じられなかったことに愕然とした。
冬の海に浸かって凍えたたぬきでさえもこんなに冷たくはならない。命の力が長老たぬきの身体からすっぽりと抜け落ちてしまったかのようだった。

「皆を集めてきて欲しいし…最期に…お別れを…するし…」
「………分かったし………」

リーダーたぬきはもはや異論を唱えることはしなかった。
長老に残された時間は余りにも少ないと分かってしまったのだ。
優しく長老を横たえたリーダーたぬきは大急ぎで一族を呼び集めて回った。

「皆長老の所に集まるし！」
「どうしたんだし？」
「説明してる暇はないし！大急ぎだし！」

鬼気迫る表情のリーダーたぬきに気圧されて他のたぬき達はすぐに集まってきた。

「皆…来たかし…？」
「長老大丈夫だし？」
「分かんないし…苦しそうだし…」
「ｷｭｰ?ｷｭｰ?」

集まった一族の若者達を前に、長老は最期の力を振り絞り言葉を懸命に紡いだ。
それは別れの言葉であり、また激励でもあった。

「たぬきは長く生きたし…色々なことがあって…苦しいことも楽しいことも…でもどんなことも、今ここにお前達がいてくれることに比べたら何てことはないし…」
「長老死んじゃうし！？」
「やだし…やだし…」

にわかに動揺が広がるが、それは長老のぴしゃりとした一言ですぐに納められた。

「落ち着けし…生きているものはいずれ死ぬし…たぬきもその中にいるだけだし…悲しむことはないし…」

そして長老はリーダーたぬきを手招いた。

「長老…たぬきはここにいるし…」
「お前は一族で一番のお姉ちゃんだし…これからはお前がたぬきに変わって皆を守っていくんだし…約束できるし…？」

目に涙を貯め、今にも泣き出しそうな口許を必死に押さえてリーダーたぬきは何度も何度も頷いた。

「だぬぎが…みんなをまもるじ…！」
「そう言ってくれると信じてたし…」

満足そうに頷くと長老たぬきは自身の毛皮に付いていた唯一の勲章『長の勲章』を取り外すとリーダーたぬきの毛皮へと取り付ける。

「やれることは…これで…最期に皆でもちもちするし…」
「たぬき玉だし…」

自分達の長老を送り出すため、一族の全たぬきが一つの大きなたぬき玉を作った。
柔らかでもちもちとした肌の暖かさはたぬきに何よりの安らぎを与えるのだ。

「ｷｭ?」
「ふふ…ちび達もいつかこの日を思い出すし…」

長老たぬきはとても穏やかな声でそう言ってちびたぬきの頬を撫でた。

「ｷｭｳ〜ﾝ…」

もちもちの安らぎに身を委ねるちびたぬき。
ちび達がうとうととして眠りに入った頃、頬を撫でる長老の手は止まっていた。
そして、二度と再び動き出すことはなかったのである。


＊



長老たぬきの死から一日、泣きに泣いたたぬき達はそのままずっと塞ぎ込んでいる訳にもいかないということは理解していた。
新たに一族の長となったリーダーたぬきは皆の気持ちに整理を付けるため、長老たぬきの葬儀を行うことにしたのである。

「長老言ってたし…海のたぬきは海から生まれて海に還るし…」
「海に長老の身体を還すし…」

自然とその方法は水葬に決まった。
大いなる海から恵みを受けて育ったたぬきは死後海へと還りその一部となるのだ。
食料確保チーム総出で円になり長老たぬきの亡骸を抱え、海へと入る。

「長老…ありがとうだし…」
「さよならだし…」
「忘れないし…たぬきにちびができたら長老の話をするし…」 

ある程度深い場所まで泳いだたぬき達はそれぞれ別れの言葉を述べてから亡骸を手放した。
水に浮かびやすいたぬきの身体はしばらくの間浮いていたが、やがて鼻や口から海水が入ったのかゆっくりと海の底へと沈んでいって見えなくなった。

「これで…本当にお別れなんだし…」
「う…うぅ…」
「泣くなし…」

涙をこらえ、チームはまた泳いで住処へと戻った。
リーダーたぬきがこれからやるべきことは余りにも多い。
長老たぬきがやっていたことを引き継がねばならないのだ。
世話役と長老でやっていたちびの世話もそうである。
少なくとも二名必要な仕事なので、チームから一名割かねばならない。
海の森から食料を集める効率は落ちるが、やらなければならないことである。
チームの中で何時も暇なときにちびと遊んでいたたぬきに任せるべきだろうか…
そう考えながらリーダーたぬきは海から這い上がり住処の入り口の岩の裂け目に手を掛け、異変に気がついた。

「誰もいないし…？」

まだ泳げないちびのために住処に残っていた世話役たぬきとちびたぬきが影も形もなかったのである。
これはおかしなことだった。
世話役たぬきは天気の良い日にはちびを外に連れ出して水遊びをさせているが、そうするときは安全のため必ず二名のたぬきが付いていくのだ。
住処の外はちびたぬきには危険が多いことを世話役たぬきはよく知っており、自分だけで連れ出すことは決してしない。

「リーダーどうしたし？」
「ちびと世話役がいないし…何処行ったし！？」

後から這い上がって来たチームのたぬきも不安そうにしている。
探さなければならない。
そう思ったリーダーたぬきは鼻を膨らませて残った匂いを嗅ぎ始めた。

「くんくんし…くんくんし…ちびの匂いだし…」

森や草原に住むたぬきほどではないが、海たぬきもそこそこの嗅覚を備えている。
その鼻が住処の外へと伸びるちびたぬきの匂いを、正確にはその小便の匂いを嗅ぎ付けていた。

「こっちに…続いてるし…」

匂いとその元となる小便は住処の反対側の岩陰に続いていた。
もしかすると世話役が目を離した隙にちびが駆け出してしまったのかもしれない。
リーダーたぬきはそろそろと歩き始め、チームも癖で一列になりながらそのあとに続く。

「ちび…どこだし…？」
「出てくるし…返事するし…」

呼び掛けながらたぬき達は岩陰へと歩いていく。
しかし、そこを覗き込んでもたぬきのたの字も存在しない。
しかしたぬきの変わりに真っ赤な血がベッタリと岩に付着していた。

「ひっ！？…これ…血だし！？」
「まさかちびのかし！？」
「落ち着けし！ちびだったらこんなに血は出ないし…！何か別のだし…！」

動揺する仲間達をすぐに理論立てた事実を述べて落ち着かせるのは流石はリーダーといったところであった。
しかし何かがここで死んだことは疑いようがない。
調べようとしたその時、たぬき達を大きな影が覆った。

「…？」

上を見上げたたぬき達は、そこで冬の海よりもさらに冷たい眼光を放つ人間の男と目があった。
それだけではない。その右手には血で染まったナイフが握られており、左手には首元を真っ赤に染めた世話役たぬきの変わり果てた姿があった。

「あ…あ……逃げるしぃぃぃぃ！？」

判断は素早かった。
ヒレのようになった足でペタペタと音を鳴らしながらたぬき達は一目散に海へと駆け出す。

「人間だし…！人間があいつを殺したし…！」
「海に逃げるし！」

後ろから人間が追ってくる足音がするが、たぬき達は一度も振り返らず海へと飛び込んだ。

「潜ってしまえばこっちのもんだし…」
「逃げきれるし…！」

長老から教わった最後の知恵をこんなにもはやく実践する機会が訪れることになるとは思わなかったが、リーダーたぬきはともかくチームを守るため深く深く潜ろうとした。
人間もたぬきもどきも海の底までは追ってはこられない。
海からヒレとヒレ尻尾の贈り物を貰っていないからだ。
このまま逃げきり新しい住処を探さなければ、とリーダーたぬきは切り替えもはやくそう考えていた。

「…よし、いいぞ。やれ。」
「あいよ。」

男はたぬき達が全て海へと飛び込んだのを見て指示を出した。
それに答えるのはボートに乗った一人の若い男である。
乗っているボートは形状こそ通常のそれであったが、搭載されている装備は特殊だった。
船外へと付き出すように二本の竿が延びており、その先端には金属製の棒が放射状に広がったユニットが取り付けられておりこれが海面に触れている。
これは電気ショッカーボート。
元々はダムや湖、池などに住み着いた外来魚を捕獲、駆除するために作り出された代物である。
海面に触れているユニットからは電流が流れ、水中の魚を電撃で麻痺させる仕組みだ。
そしてその電源が入れられた。
海中への電気ショックに音は発生しない。
しかし近くを泳いでいた小魚が海面へ飛び上がり海面は一時騒然となった。
だがそれも五秒ほどで収まる。
ぷかりぷかりと海面には白い腹を向けた小魚が浮かび上がった。
ボートの上の若い男はそれを歯牙にも掛けずたも網を構える。

「おっ、来た来た…」

魚の次に浮かび上がってきたのは勿論たぬき達だった。
電気ショッカーボートの放つ電流は水中の生物を感電死させるようなものではない。
しかし浴びせられれば間違いなく動けなくなるような出力は確保してある。
海面には白目を剥いて気絶したたぬきが浮かんでいた。
若い男はそれらを次々とたも網で掬い上げると積んであった檻の中へと放り込んでいく。

「モトダさーん！こいつら全部で何匹でしたっけ！？」
「十一、そこにも浮いてるぞ。」
「おっと…よーしじゃあこれで全部だな！」

最後に捕らえられたのはリーダーたぬきであった。
無慈悲な電撃により意識は完全に失われているが、その胸元に輝く『長の勲章』を男は見逃さなかった。

「おい、そこのそいつは勲章持ちだ。外しておけ。」
「マジすか？俺始めて見ましたよ勲章持ち！へー…百均の警官バッジみてぇだ。」

若い男は乱暴な手つきで意識のないリーダーたぬきの長の勲章をもぎ取って掌でくるくると回してそれを観察した。
やがて興味を失うとそれを男へと押し付ける。

「これで完了っすね…で、ホントにこいつら貰って大丈夫なんすか？」
「学術調査のためのサンプルは申請すれば違法性はない。」
「ああいやそう言うんじゃなくて…ま、いいや。そんじゃ俺はこれで！」

若い男はボートを接岸させると海たぬきが詰め込まれた檻を車に積み込むとボートの撤収作業を開始した。
同時に男は山村へと仕事完了の連絡をする。

「業者のモトダです。はい、完了しました…」
「おお、良かった…日に日に被害が増えてたんですよ…」
「もうたぬきに悩まされる心配はないでしょう。」
「貴方のお陰でたぬきどものやり方も分かりました。今後は海中に網を張ることになるでしょう。すこし値は張りますが、大事な牡蠣を食い散らかされるよりはマシです。」
「ええ。」

男は対策を打ち出す山村の声に頷いた。
海産物をたぬきから守るには何よりも無防備でいないことだ。
ちょっとした対策でもたぬきに無理だと思わせれば被害は軽減する。
被害が甚大にならぬうちに対処できて良かったと男は思う。
既に手遅れな状況になってから連絡が届くことも多いのがたぬ害なのだ。

「では、私はこれで。」
「本当に、お世話になりました…」

通話を切り携帯電話をしまうと男は愛車である軽トラへと向かう。
荷台には檻の中に入れられた住処で捕らえたちびたぬきが二匹、その横には木製のまな板の上に載せられた殺害済みの世話役たぬきがいる。
漁協からの依頼は終わった。
ここから先は男の個人的な作業である。
既に死亡して冷たくなった世話役たぬきの肉体にメスを入れる。
新種の変異をしたたぬきを解剖しその身体的な特徴を探ろうと言うのだ。
こうした通常のセオリーが通用しない面倒な変異をする個体が今後も現れないとは言いきれない。
知見を得ていれば対処も容易というものであった。

「ｷｭ…ﾀﾇ…」
「ﾎﾟｺｰｼ…ﾀﾇｰｼ…」

親代わりの存在が切り刻まれるすぐ横で、この世の全ての苦痛と無縁な安らかな顔をしてちびたぬき二匹は眠る。
男はこの二匹の使い道も既に決めている。
特殊な変異をした群れのちびたぬきということもあり、研究機関が高額で引き取りを要請してきたのである。
これから待ち受ける過酷な運命を知らずちび二匹は眠る。
海からの贈り物を受けた海たぬき一族、その末は切り刻まれ調べ尽くされ、ホルマリンの満たされた瓶の中であった。