害獣駆除ファイル7  「ベアルフくん」


害獣駆除を生業とする男は愛用の猟銃を構えて巨大なヒグマと相対する。
男の前方付近を距離を測るようにゆっくりと歩いているヒグマは全長2mは下らない特大サイズ。
成熟しきったオスのヒグマはその凶暴さにおいて日本国内で並ぶ野生動物は存在しない。
本来は罠を仕掛けるか遠距離からの射撃で倒すべき獣であるが、男には敢えて近距離にいなければならない理由があった。

「ぐ…う…」

男の背後、一本の杉の木の下では下腹部をざっくりと抉られ大出血をしている初老の男性が苦しげに呻いている。
巻き付けられた包帯は既にどす黒い赤に変色しており、その命に一刻の猶予もないことは誰の目にも明らかであった。
しかし動かすことは出来ない。
ヒグマがそれを許さないのだ。
背負って逃げようものなら背後からの一撃で両名まとめて葬り去られるだけである。

「ちぃ…」

男はヒグマを油断なく見る。
猟銃の照準はその急所である頭部、正確には神経の集中する延髄を貫通して届く地点に定められているが軽々しく発砲することは出来ない。
男がヒグマの動きを警戒しているのと同様に、ヒグマもまた男の動きを、より正確に言うなら猟銃の方向を警戒している。

「ベアルフくん気を付けるし…人間の持ってる棒は火を吹く…当たれば痛いじゃ済まないし…」
「グルル…」

銃を知らぬ野生動物にそれを警戒させているのは、その首付近に股がるようにして張り付いている一匹のたぬきだ。
驚くべきことにヒグマとのコミュニケーションを確立しているらしく、男の動きを逐一監視してヒグマに警戒を促している。
この状態はいわば頭が二つあるようなものであり、不意を突いての攻撃が非常にやりづらくなってしまっている。
男に残された時間はもうない。
男性の負傷は重篤であり今すぐ下山したとしても助かるかどうかは微妙だ。
だからといって見捨てる訳にもいかない。
男は意を決すると猟銃の狙いをピタリと合わせ、もはや躊躇うことなくその引き金を引いた。



＊



ことの起こりは１日前。
ソロキャンパーである初老の男性は常の仕事のストレスと都会の喧騒を忘れて精神をリフレッシュするべく、山間のキャンプ地へとやってきていた。
車に積み込んであった荷物を下ろし、テントの設置作業を終えた男性は焚き火をして食事の準備に取りかかる。
程よい大きさの石を円形に設置し、その上に焼き網を敷いてしまえば即席キッチンの完成である。
好物のソーセージを串に刺して火に翳し、肉の焼ける良い匂いが広がった。
周囲からは風にざわまく木々とパチパチと音を立ててはぜる薪の音だけが響く。
休日の最高の過ごし方であった。
しかし悲劇は起こってしまう。
それは一本目を平らげ、二本目のソーセージを焼き始めた時のことであった。
風の音に紛れてサクサクと木葉や枝を踏み折る音が聞こえてきたのである。
男性がその方向へと視線を向けると、そこにはこちらに向かって歩いてきている一匹のたぬきの姿があった。

「あの…人間さん…」

遠慮がちに声をかけてくるたぬきの姿はずいぶんと風変わりだ。
世間一般に知られるたぬきの姿は、緑色の服を模した毛皮を生やした姿か裸の状態である。
しかしこのたぬきはそのどれにも当てはまらない。
その毛皮は服ではなく着ぐるみであるかのように全身をくまなく覆っており、茶色の毛色をしている。
さらに頭部には耳や目鼻を模した装飾が付いておりさながら熊の着ぐるみである。

「ここはたぬきとベアルフくんのおうちですし…勝手に住み着かないで欲しいし…」

その物言いに男性はむっとすると同時にたぬきが害獣に指定されている害のある存在だと言うことを思い出す。
大方シーズン前の時期にこの辺りに住み着いたのだろう。
こういう時は落ち着いて業者に連絡を取るべきだが、折角寛いでいたところを邪魔されたくないのでともかく追い払うことにした。
火を起こすときに使った火箸を手探っている間に、着ぐるみたぬきはさらに言葉を重ねてきた。

「でもたぬきもベアルフくんも優しいですし…それ、その焼いてるのくれるならしばらくここにいても良いですし…」

着ぐるみたぬきは手の先だけ露出したもちもち腕を男性の焼いているソーセージに向けてそう言った。
返答はせずに男性は舌打ちをする。
道義的にも感情的にも人が折角の休日を楽しんでいるところに勝手にやって来て邪魔をしてくるような生き物に恵んでやるような食べ物を男性は持ち合わせていない。
そもそも野生動物に人間の食べ物を与えることは禁止されている。
人間は食べ物をくれると学習してしまった個体が人の居住区域に侵入してきてしまう可能性が跳ね上がり、両者にとって不幸なことにしかならないのだ。
害獣に指定されているたぬきは尚更である。
何よりもその傲慢な物言いは男性の癇に触った。

「お前にやる食べ物なんて無い！あっちに行け！」

火箸をブンブン振り回し、大声を出して威嚇をした。
普通の警戒心のある生き物ならだいたいこれで追い払うことが出来るが、たぬきは平然のとした調子で続ける。

「ふーんし…そんな生意気なこと言うし？折角たぬきが優しく言ってやってるのに人間はバカな奴だし…ベアルフくんが怒ってもたぬき知らないし？」

男性はもはや無言で火箸を振り上げた。
殺傷も辞さない構えである。
さすがに本気であると見たのか着ぐるみたぬきは回れ右をすると大急ぎで逃げ出した。

「ひぃぃぃん！ベアルフくん助けてしぃぃぃ！」

わざとらしい叫び声をあげ、着ぐるみたぬきは藪のなかに消えていった。
振り上げていた火箸を下ろし、男性は息を吐く。
折角の休暇を獣に邪魔されてしまったがまだ建て直しは効くだろう。
そう思って火にかけたソーセージを見るともう既に真っ黒に焦げてしまっていた。
毒づいて炭化したソーセージをゴミ袋に捨て、次のソーセージを焼き始めようとした時である。
たぬきが逃げていった藪からガサガサと草木を掻き分けて何かが向かってくる音がした。
また性懲りもなく戻ってきたのかと火箸を掴んだ男性は、しかし藪を掻き分けて出てきた存在を見て一瞬固まる。

「く、熊！？」
「グルル…」

出てきたのは巨大なヒグマ。
しかしヒグマは本来は北海道にしか生息していないはずである。
男性はそこまで深く知っているわけではなかったが、しかしキャンプ地となるような人里に近い場所に熊が出ると言うのは異常事態であるとはっきりとわかった。

「くそ…」

男性はじりじりと迫り来る熊を正面に見据えて刺激を与えないようゆっくりと折り畳み式の椅子から立ち上がった。
そして後方を確認して乗ってきた車までの位置を測り、ポケットの中に手を突っ込み車のキーを握った。
アウトドアを趣味とする者として、男性も野生動物と遭遇した際の対処法方は勉強している。
基本的に熊は人間を積極的に補食する生態はしていない。
山登りやキャンプ時に心掛けるのはまず遭遇しない、あるいは熊にあらかじめ存在を知らせ近寄らせないようにすることである。
それは熊鈴と呼ばれる鈴やライトの光などの視覚や聴覚に訴えかける方法がとられる。
しかし現状は既に遭遇してしまっている。
こうした状況では焦って軽率な行動をとることが一番危険である。
恐怖心に駆られて突然駆け出すなどもっての他。
背中を見せて逃げ出せば熊の狩猟本能を刺激し、追いたてられることは間違いない。
故に、男性はゆっくりと車に向かって後退りを始めた。
ポケットの中の車のキーは無線で鍵の開け閉めが出来るタイプである。
あらかじめ解錠しておき、運転席の方向へ向かって進む。
しかしその目論見は失敗してしまった。

「ベアルフくん！あの人間逃げようとしてるし！」
「グルル！」

なんと、熊からたぬきの声が聞こえてきたのだ。
目を凝らしてみると先ほど追い返したはずの着ぐるみたぬきが首の辺りにしがみつくようにして張り付いている。

「逃がしちゃダメだし！回り込むし！」
「グォォ！」

たぬきの声に呼応するかのように吼えた熊は、一気に駆け出して男性と車の間に滑り込むようにして回り込んだ。
これでは車に乗って逃げることは出来ない。

「く、くそ！」

男性は状況に絶望していた。
何故かは知らないが熊とたぬきは連携をとっているのだ。
野生動物のパワーとスピードにたぬきの指示が合わされば戦いの心得や武器の持ち合わせの無い人間一人などたんなる獲物に過ぎない。
車への逃走経路を塞がれた今、活路を求めるのは藪の奥、森の深い所である。

「たぬきは言ったし…ベアルフくんが怒っても知らないし…もう許さないし…ベアルフくんのご飯になるし！」
「この…！」

虎もとい熊の威を借りてそう言うたぬきのしょんぼり顔は隠しきれない優越感と嗜虐心で歪み、への字口の両端はつり上げってV字になっている。
だが男性には逃亡以外の選択肢は残されていない。
素手で熊に挑むなど物語の中の英雄にのみ許された蛮行なのだ。
男性は回れ右をして駆け出した。
刺激しないようゆっくり動くなどもう既に無意味である。
たぬきが熊に指示を出しているのは明らかであり、その意図は過たず伝わっている。
男性は振り返らずに藪に向けて走った。
立ち並んだ木々は密度が高く、大柄の熊よりも人間である男性の方が素早く移動することが出来る。
後方ではバキバキと木々をなぎ倒して熊が追ってくる音がするが、振り返って確認する時間すら惜しく男性は全力で駆けた。

「頼む…繋がってくれ…！」

男性の健脚は追ってくる熊とそこそこの距離を離すことに成功した。
かなり離れた地点からはまだ熊の息づかいと木を乱雑に掻き分ける音が響いている。
チャンスは今しかないと確信した男性は携帯電話を取り出して警察へとコールする。

「頼む…頼む…」
「はい、110番です。何がありましたか？」
「熊だ…！熊に襲われてる！」

コール一回で警察の受付は出た。
男性は焦る気持ちを抑えつつ気づかれないよう小声で話した。

「分かりました、すぐに人を向かわせます。今、どこに居ますか？」
「◯◯山のキャンプ地…追いたてられて森の中に入ってしまった…何とか脱出を試すが…とにかく早く来てくれ…！あの熊、たぬきと組んでて動きが野生動物のソレじゃない…！」
「分かりました。とにかく安全を確保してください。」

話すうちに男性の胸中の焦りは顕在しつつあった。
考えれば考えるほど絶望的な状況である。
自分はこの場から生きて帰れるのだろうか。
脳裏に浮かぶのは親しい人々の姿。
妻と子、数年前に亡くなった両親、そして友人達…
なんとしても生き残らねばならない。
そう決意した男性は周囲を見渡して熊を引き離せていることを確認するとゆっくりと車に向けて移動を開始した。
人間の足で直線距離を熊から逃げきることは不可能に近い。
車は絶対に必要である。
意外なことに熊の気配はなく、邪魔されることなくテントを広げていたキャンプ地へと戻ることができた。
熊とたぬきは男性を見失ったのかもしれない。
これなら無傷で生きて帰れるかもしれないという男性の望みは、しかし容易く断ち切られしまった。

「グォォ！ガァァ！」

破砕音、鉄のひしゃげる嫌な音、バリバリと割れるガラス…
なんとかキャンプ地まで戻った男性が見たのは、咆哮をあげながら車を破壊しバラバラに砕いていくヒグマの姿であった。
もちろん野生動物に人間の逃走手段を破壊して狩りを確実なものにするという知恵は存在しない。
首筋にまたがるたぬきの指示である。

「やったし！これで人間は逃げられないし…！」
「グォウン…♪」

歓喜するたぬきにあわせて熊も楽しげに吼える。
人間にとっては鉄の塊である車も熊にとって遊び道具に過ぎないということだろうか。
あまりの光景に目眩を覚えつつも男性はまだ気づかれないうちに再び藪のなかへと逃げ込んだ。
こうなれば助けを待つしかない。
腹をくくった男性は潜伏に適した場所を探し始めた。
どれだけ警察が急いでも助けが来るのは先になるだろう。
悪意を持ったたぬきとそれに指揮される熊という悪夢のような組み合わせを相手に、命を懸けたかくれんぼが始まったのである。

「ししし…人間は匂いが強いし…ベアルフくんとたぬきの無敵のコンビからは逃げられないし…大人しくご飯になるし…」

追う側に回り、狩人としての優越感が全身に満ちるたぬきは地面に残る人間の匂いを嗅ぎ付けて追跡を開始した。
人間の鼻には分からぬことであるが、恐怖や焦りなどで分泌された汗の匂いなどは色濃く残っている。
追い立て、捕らえ、殺し、食らう。
それは熊の持つ狩りの様式であった。

「くんくんし…し！見つけたし…！逃がさないし…！ベアルフくん、人間はあっちに逃げたし…！」

着ぐるみたぬきの嗅覚もまた優れている。
熊と共に生きるなかで鼻が良いということは何かと便利なのである。
獲物を追うことにも、危険を察知することにも匂いは重要な判断材料であった。
これもまた、小規模ながら変異の賜物である。
そして追っている人間には食べ物の匂いが強く残っている。
それが点々と続いているのだ。逃すはずなどなかった。

「もうすぐだしベアルフくん…あの人間のお腹は美味しそうだったし…ごちそうは目の前だし！」
「グゥゥン！」

匂いをたどり、木々が立ち並ぶなかにある大きな岩へとたどり着く。人間の匂いはこの後ろへと続いていた。

「ししし…隠れても無駄だし…ベアルフくん、仕上げだし！」
「ゴァァ！」

回り込んで岩の裏に飛び込む。
人間を押し倒しその細い首をポッキリと折る…
いつも動物の獲物を相手にやっていることをやろうとした熊の両腕は、しかし空振りした。
そこにあったのは黒こげになったソーセージの残骸。
キャンプ地まで戻った男性は少しでも時間を稼ぐため匂いの強い食べ物をいくつか回収して逃げながらばらまいていたのである。

「グォ…？」
「むむ…頭の回る人間だし…」

熊は周囲を見回すが、緑が深く数メートル先の視界は既に木々や葉っぱで覆われている。
素直に狩られない人間に苛立ちを募らせながら、たぬきと熊は再び捜索を開始した。



＊



「分かりました、すぐに向かいます。」

駆除業者の男が熊出現による出動要請を受けたのは、男性がキャンプ地からSOSのメッセージを飛ばして十分後のことであった。
民間人が熊に襲われ、脱出もできていない極めて危険な状況に陥っているということもあり即座に猟銃と弾薬を用意して山のキャンプ地へと軽トラを走らせる。
男の他にも猟友会の人間へ出動要請が出ているようだが、どれも所在地が微妙に遠い。
一番早く到達するのは男になりそうであった。
時刻は既に二十時を回っており視界も何もないと言った状況である。
二重に被害が出ることを避けるため男は慎重な行動を心掛けた。

「これは…！」

キャンプ地に到達した男が見たのは、完膚なきまでに破壊された乗用車の姿であった。
ドアは両方引き剥がされ、天板には鋭い爪の跡がいくつも刻まれている。
車内おいてはスクラップ場の廃車の方がマシといったレベルで徹底的に破壊され尽くしていた。
これでは二度と走行することは出来ないだろう。
警察から要請が出たときにもらえた情報は被害者は男性が一名、襲ったのは野生の熊でありたぬきと組んでいるというなぞの言葉を残していることだけであったが、ここに来て男は熊にたぬきが指示を与えているという嫌な事実に思い至る。
愛銃に弾薬を装填し、発射体制を整えて男は夜の森を進んだ。
遠くからはパトカーのサイレンが響いている。
遠からず援軍は来るだろうが、状況的に一刻の猶予もないことは明らかである。
合流を待つことなく男は進んだ。
遠くからはパトカーのサイレンが響いている。
一帯の封鎖も行うという話で、発砲も既に許可されていた。

「これは不味い…無事だといいが…」

少し進んだ先にはやはり破壊されていたテントと踏み荒らされた焚き火の残骸が残されていた。
熊は被害男性が逃げ出したあとにその荷物を漁ったのだろう。
その間に少しでも遠くに逃げてくれていることを祈りつつ、男は藪のなかへと踏み込んだ。

「ぐぁぁぁぁ！？」
「ゴォォォ！」

草木を掻き分け歩いていると、夜の森に男性の悲鳴が響いた。
同時に恐ろしい獣の叫び声もである。
男は駆け出した。一刻を争う状況である。
引き金に指をかけ、いつでも発砲できるようにして一直線に走る。
仕事上熟達した山歩きでもある男には立木や藪など大した障害にはならない。
声のもとへとたどり着くとそこでは一人の男性が腹を抑え、地面にうずくまっていた。
周囲には金臭い血の匂いが充満し、地面は男性を中心として赤く染まっている。

「ししし…手間取らせてくれたし…でももう終わりだし…」
「グゥゥ…」
「ち…ちくしょ…ぐ…」

やろうと思えば今すぐにでも熊は男性を殺せるはずである。
それをしないのはいたぶるためだ。

「…でもたぬきとベアルフくんは優しいし！最後にたぬきに命乞いするなら許してあげるし…！さあどうするし！？」
「ぐ…」

男性は下腹部を赤く染めて一歩一歩後退り、遂には腰から崩れ落ちてしまった。
力の入らない足を動かすことはできず、片腕だけでなんとか這って距離をとろうとしている。

「頼む…殺さないでくれ…死にたく…ない…」
「聞こえないし…もっと大きな声で言うし！」
「死にたく…」
「ダメだし！時間切れだし！ベアルフくんはお腹が空いてるんだし！大人しく食べられるし！」

無情な着ぐるみたぬきの言葉を受けて熊は男性を仕留めるため歩きだした。荒縄のようなごんぶとの腕を振り上げトドメの一撃を放とうとした、その瞬間である。
発砲の轟音が轟き、両者の間を一本の火線が貫いた。
放たれた弾丸は熊の頭部、その右目を深く抉り取ったのである。
角度次第では眼窩を貫通して脳へと届く致命の一撃であったが、それは頭骨に阻まれてしまった。

「ゴガァァァ！？」
「ベアルフくん！？大丈夫だし！？」

熊は右目を抑えて苦しみ地面を転げ回った。
その隙に突入してきた男は男性を素早く担ぎ上げるとこの場から離脱を開始する。

「あ、あんた…」
「話すな、傷が広がる。」

今は少しでも遠くにはなれて応急処置をしなければならない。
背中に感じる男性の感触は血によりベッタリとして生暖かい。
しかし体温の方はどんどん下がってきている。
人間は血液のうち三分の一でも失うと失血により死に至る。
まずは止血をしなければならない。
視界を遮れるように大きな杉の木の下に男性を横たえ、ボロボロになった衣服を捲り上げて患部を確認する。

「うっ…」

ソレを見て男は思わず呻いた。
鋭い爪によって三本の切り傷が刻まれた下腹部は、幸いなことに内蔵までは達していないようであったがそれよりも出血が止まらない。
背負っているバックから包帯とガーゼを取り出し、患部に押し当ててきつく巻き付けた。
それと同時にバッグを枕の代わりとして背中の下に敷き、手近な石を足の下に置いてなんとか膝屈曲位をとらせる。
最後にバッグから出した発煙筒を取り出して上空へと煙を上げさせた。これで後続の捜索隊にも位置を知らせることが出来る。
だが助けを悠長に待っている時間はない。
男性から流れ出た血を辿って、熊と着ぐるみたぬきが追ってきていた。

「グゥゥ…」
「ベアルフくんが大怪我したし！絶対に許さないし…！」

もはや逃げることは出来ないし、逃すつもりもなかった。
熊を手なずけ悪意ある知性を身に付けたたぬき。
熊共々絶対に殺さなければならない。
幸いにも相手は圧倒的優位な立場を捨てて逃げ出すということはない。
男は次弾を装填し、残りの弾薬も即座に使えるように側に置くと膝立ちの姿勢で射撃体制を安定させ迫る熊と相対する。

「ベアルフくん気を付けるし…人間の持ってる棒は火を吹く…当たれば痛いじゃ済まないし…」

先ほどの奇襲を受け、着ぐるみたぬきは男の持っている銃を警戒している。
人間が熊を倒すために持つ銃がどれほど危険かを一瞬で理解したのだ。
故に熊は男との距離を一定に保ち、相手が隙を見せるのを待っている。
男として長い時間はかけられない。
後ろの男性は既に限界である。
一刻も早くしっかりとした治療が必要であり、躊躇っている暇はなかった。
男が銃の引き金に指を掛ける。
それを注視していた着ぐるみたぬきは即座に警告を発した。

「ベアルフくん避けるし！」
「グオッ！」

全面的にたぬきの指示にしたがっている熊は横っ飛びに飛んで銃の正面から退いた。
しかし発砲音はない。そう、フェイントである。

「し！？」

熊が飛び退く僅かな隙、その隙に男は潰した右目が本来カバーしている視角へと飛び込んだ。
熊の目線では男が突然消えたように思えただろう。
そしてその首筋、正確には延髄めがけ弾丸を叩き込んだ。

「ガゴォォォ！？」 
「ベアルフくん！？ベアルフくんしっかりするし！」

放たれた弾丸は見事狙いどおりに熊の首筋を貫通した。
脳から全身への指令を届けるための神経が集中した部位を破壊されて生きている生き物などこの世には存在しない。
熊は一瞬仁王立ちのように直立姿勢で固まっていたが、やがてバランスを崩しよたよたと二、三歩歩いたと思ったら仰向けにどうと倒れた。
首に股がるようにした着ぐるみたぬきを下敷きにして。

「ギャブッ！？」

ぐしゃりと嫌な音が響くが、男は油断せず次弾を装填すると倒れた熊にゆっくり近づく。
銃口で頭部をつつくが反応はない。即死である。
次に着ぐるみたぬきである。
下半身を熊の身体に潰されていたが上半身は無事で生きている。
狩人としての務めはまだ残っているのだ。

「痛いし…ベアルフくん起きてし…たぬき潰れちゃうし…」

上半身だけじたばたさせながら着ぐるみたぬきはなんとか逃れようともがいていたが、近づいてくる男を見て血相を変えた。

「ヤバイし！ベアルフくん起きてし！人間が来るし！」

泣けども騒げどもベアルフくんは既に死門をくぐった。
そしてこの着ぐるみたぬきもまたすぐに後に続くことになる。

「やめるし！さわるなし！離せしぃぃ！」

着ぐるみたぬきの頭を掴み、熊の死骸と地面の隙間に爪先を捩じ込んで強引に隙間を作ると男はたぬきの身体を引き抜いた。
上半身はまだ元気だが、下半身は圧壊して真っ赤に染まりぶらぶらと力無く揺れている。

「ギュゥゥ！」

無理やり引き抜いたことで骨が何本か折れたかもしれないが男は気にせず着ぐるみたぬきの全身を改める。
通常のたぬきの緑色の服を模した毛皮とは全く趣向の違う出で立ちであり、熊と共に生きていたからか熊の着ぐるみのようである。たぬきの不安定な生態は生後間もない頃のちびたぬきの頃にどのような生活を送ったかで概ねの変異が行われる。
着ぐるみのような毛皮もその一貫であろう。
ひとしきり調べ終えた男はナイフを取り出すとその着ぐるみを切り取り始めた。

「し！？何してるし！やめるし！くるみルフくんにに酷いことしちゃダメだし！」

じたばたともがいて抵抗しようとしたが、足は既に動かない肉の塊となり果てており満足な抵抗は出来ない。
仮に五体満足であったとしても男の力にたぬきが抵抗するなど不可能な話である。
あっという間に毛皮を剥がれて着ぐるみたぬきは裸たぬきなされてしまった。
しかし男にとって本番はここからなのだ。
裸にされてなお守ろうとしている首から下げたネックレス状の熊の爪でできた「勲章」
これほど凶悪な悪質たぬきならば間違いなく持っているとあたりを付けたが、その予想は的中した。

「や、やめるし！それはたぬきとベアルフくんとの友情の証だし！とっちゃダメだしぃぃぃ！」

泣きわめく裸たぬきを無視して男はそのネックレスをはぎ取った。
名実ともに無冠のすっぽんぽんにされた裸たぬきは絶望のあまり言葉をなくして失禁脱糞する。
地面に汚物がちょろちょろと垂れて汚らしい水たまりを作る。
男はそこに失意のうちにある裸たぬきを落とした。

「ダヌッ！？」

汚物の中に落下した裸たぬきは足が動かないので腕だけで這って何とか逃げ出そうとするが、その背中を男の足が踏みつけた。

「やだし！やだし！たぬき死にたくないし！お願いだし！ベアルフくんと仲良くしていいからたぬきを殺さないでし！」

しかし男には最初から命乞いも交換条件も受けるつもりはない。
たぬきは変異の有無に関わらず皆殺さなければならないのだ。
踏まれて動けないたぬきの頭に、着ぐるみを切り裂いたナイフの切っ先を埋め込んでいく。

「やだしぃぃぃぃぃ！」

森の中に絶叫が響いた。
そしてそれきり、なにも聞こえなくなった。



＊



救護班が到着したのはそれから三十分後である。
炊かれた発煙筒を目印にやってきた救護班は、男性を担架に載せてキャンプ地の中まで入ってきた救急車に担ぎ込んだ。
これから救急病院へと搬送される。
同時に救護班に同行していた警察も男のもとへとやってきた。

「熊はどうなりました？」
「殺した。あそこに死骸がある。」

空薬莢を回収しながら男は警察の問いに答える。
地面に倒れ伏す熊はそもそも北海道にしか生息していないはずのヒグマである。
本州に生息するのは月の輪熊。
黒い体毛と名前のもとになった胸元の白い毛の模様が特徴的なヒグマよりも一回り小さい種である。
なぜそんな熊が本州のキャンプ地周囲にまでやってきていたのか男は疑問だった。
津軽海峡を泳いで渡ったなどというのだろうか。
世の中には海を渡る猪の話もあるため一概に与太話と断定することも出来ない。
しかし、それが何故たぬきの指示を受けて動いてたのだろうか。
真実は既に闇のなかである。
しかし、全てのたぬきがこのように動物と共生する形をとることが出来る素養があるというのならば厄介などというレベルではない。全国で似たような事例は未だ確認されていないことから、これがこの場限りの変異であるということを祈りつつ男は袋に入れた着ぐるみの毛皮と熊爪の勲章を眺める。
これは研究機関に送り、しかるべき調査をしてもらう必要があるだろう。
たぬきの生態にはとかく謎が多い。
場当たり的な変異が今回のような被害を生むこともある。
しかし現状ではそれらにたいしては出現しては駆除するという対処療法しかとれていない。
たぬきの調査が進めばそうした性質や弱点についての詳細も明かされることだろう。
変異たぬきの肉体や勲章はその助けになる。
熊の死骸の回収準備を進めながら、男はたぬき駆除のこれからについて思いを馳せていた。
いつかきっと、全てのたぬきを駆除することが出来るその日を願って。