「たぬきとハエと柿」



とある町の住宅地にある一軒家に住む男性が、庭に植えられた柿の木の周りをたぬきがうろついているのを見つけたのはつい先日のことであった。
この時期になると立派な大きさの柿の実を幾つもつけてくれる立派な木であるが、最近は仕事が忙しく収穫をする暇がなかったのだ。
そのせいで早めに熟した幾つかの柿が落ちてしまっていた。
それらを捨てるためごみ袋をもって庭に出たところ、なにやら茶色と緑色の影がちょろちょろと動いては落ち葉の中に消えていくのを見たのである。

「たぬきか…危ないかもしれないな。」

数十年前に突如虚空から湧いて出たたぬきを名乗る奇怪な害獣の農作物に与える多大な被害は周知の事実だ。
一次産業に与えられる獣の被害はたぬきとの遭遇から倍に膨れ上がり現在も緩やかに増え続けているとニュースでもやっていた。
実家の柿の木が狙われているとなれば、対策をしなければならないだろう。
私としても毎年甘い柿を提供してくれる柿の木が害獣の苗床にされるとなれば不愉快も良いところだ。
私はその足でホームセンターへと向かった。

「たしかこの辺りに…これだ。」

探してしていた物品はすぐに見つかった。
家庭用のプランターなどで良く使われているアンプルタイプの容器に満たされた茶色の液体。
ダース単位でパッケージングされたそれには「たぬ木防止剤」と銘打たれており用途が一目で分かるようにたぬきの顔に赤いバツ印が重ね書きされている。
裏面にある使用方法によれば既にたぬ木化した植物、あるいはその予兆がある植物の根元に一本刺せばそれで人間がやるべき行程は全て完了。
水と一緒に根から吸収された薬剤は一日と待たず効果を発揮するらしい。
今後たぬ木にされない予防効果はあるものの、既に実の内にたぬきが宿ってしまった場合は食用不可であるという。
未熟児の屍肉の混じった野菜や果物など食べられたものではないからだ。
かなり抜本的な対策アイテムではあるがそれでも多少の被害は出るというのだ。
なんという迷惑な生き物であろうか。
一刻も早い絶滅を望む。

「よし、これで良い筈だ。」

防止剤のアンプルの先端をカットして封を切り、柿の木の根元に刺してしまえばおしまいだ。
お手軽だがうろついているたぬきを追い払うために追加で何かするべきだろうか。
そう考えながら男性は家へと引き上げていった。


＊


数日前のことである。
住宅地の路地を二匹のたぬき親子が必死に走っていた。
片方は平均的な体長の成体の親たぬき。それに手を引かれて走るたぬきはその半分ほどの体長のちびたぬきである。
そして、二匹を三メートルほどの距離を保ちつつたぬきもどきが追いかけていた。

「ちび！絶対手を離しちゃダメだし…！」
「ｷｭｩｩ!ｺﾜｲｼ!」

まだ身体が小さく立って歩けるようになったばかりのちびたぬきはたぬきもどきから逃れることは絶対に出来ない。
親たぬきは繋いだもちもちの手が文字通りの命綱であることを理解しており、決して離さぬようぎゅっときつく握りしめていた。
ちびたぬきも背後から迫るもどきに本能的な危機感を感じて同じくぎゅっと握りしめている。

「あと少しだし…あそこに逃げ込めばし…！」

親たぬきは無策で走っているわけではない。
ちびを育てるため町の草むらに住み着いた彼女は、勲章こそ持っていないもののなかなか優秀な頭脳を持ったたぬきであり、人間の駆除業者やたぬきもどきのような外敵の襲撃に備えてすぐに逃げ込めそうな場所を幾つも見つけていた。
その一つがこの路地の先にある民家のコンクリート塀である。
地面から二段目のブロックに通気のための穴が開いているのだ。
たぬきとちびたぬきは通ることが出来るが変異により身体が大きくなったたぬきもどきは頭がつっかえて入ることは出来ない。
逃げ込むことさえできればもどきも追ってはこれないという希望だけが親たぬきを突き動かしていた。

「ヴッフ！」

親たぬきの目的を察したのか、あるいは仕留めに掛かろうとしていたのかたぬきもどきは一声鳴くとスピードを上げた。
ぐんぐんと両者の距離が近くなるなか、親たぬきは塀の前にたどり着くと両足を屈めて力を貯める。

「ちび！しっかり掴まってるし！飛ぶし！」
「ｼｨｨ!?」

両足をバネのように使い、さらには尻尾もジャンプの勢いをつけるために地面を突く。
通常のたぬきの身体能力を超えたジャンプ力を発揮した親たぬきは見事に塀の通気穴に転がり込んだのであった。

「しぃぃぃ…しぃぃぃ…危ないところだったし…ちび、大丈夫かし…？」
「…」

荒い息を吐きながら、愛する我が子の状態を確認しようとした親たぬきはそこで石のように固まった。
彼女の片手は相変わらずちびたぬきの手がぎゅっと握りしめられている。
だが、真っ赤に染まった肩口から先、あるべき筈のちびたぬきの残りの身体はどこにも存在しない。
一瞬遅れて金臭い血の臭いが親たぬきの鼻腔を満たした。

「あ…ちび…？ちび…どこだし…？」

親たぬきはポカンと口を開けて周りを見回した。
ブロック塀の通気穴には彼女の他には緑色の苔しか存在しない。
だがその問いに答える声はあった。

「ｷﾞｭｩｩｩｩ!?ｲﾀﾞｲｼﾞｨｨｨ!」
「ちび…！」

すぐ下の、塀の際から聞こえる我が子の声。
親たぬきはすぐさま駆け寄り、そして下で繰り広げられる光景を見て言葉を失った。

「ヴッフフ！」
「ｲﾀｲｼ!ﾔﾒﾃｼ!ﾏﾏｰ!ﾏﾏｰｼｨ!ﾀｽｹﾃｼｨｨｨ!」

ちびたぬきはそこにいた。
ジャンプの瞬間、追い付いたたぬきもどきは親たぬきの後ろ手を握っていたちびたぬきを捕まえていたのだ。
殆んど同時にジャンプをした親たぬきともどきとの間で引き合いになったちびたぬきの脆い片腕は粘土のようにあっさりと千切れ、肩口から先は親たぬきの手に残り残りの全身はもどきの手に落ちたというわけである。
皮肉なことに、親たぬきにとってこれはむしろ命を助ける結果に繋がった。
たぬきの身体能力ではちびたぬきと一緒にジャンプで塀の穴に飛び込むことは到底不可能なのだ。
追い付かれる前にジャンプを敢行していれば距離が足りずにそのまま塀にぶつかり、痛みで親子揃ってじたばたをしている間にもどきに貪り食われたことは疑いようがない。
最適解があるとすればまず親たぬきが塀の穴にジャンプで飛び移り、穴の際から尻尾を垂らしてちびたぬきに掴まらせてから引き上げる方法があった。
だがもどきに追いかけられている状況ではそんな悠長なことをしている時間はない。
ちびたぬきの死はもどきに追われた時点で既に不可避だったのである。

「ｷﾞｭﾌﾞｯ!ﾌﾞｼﾞｨｨ!」
「あ…あぁ…やめるし…たぬきのちびにひどいことしないでし…」
「ヴッフフ！」

たぬきもどきは取り押さえたちびたぬきが逃げることが出来ないよう尻尾の先っぽを咥えるとそのまま頭を激しく振り回してズタズタに引き裂いてしまった。
肉体を構成するパーツの内、歪に大きな頭をもつたぬきが直立して二足歩行をするためには身体を支えバランスを取るための尻尾は必須である。
地面に手足を付いて四足歩行をすることも出来るが、片腕を失ったちびたぬきにはそれも不可能である。
完全な詰みの状況であった。
たぬきもどきが気まぐれを起こして今のちびたぬきを放置したとしても腕と尻尾からの出血で遠からず死ぬ。
親たぬきの弱々しい懇願にたぬきもどきは耳を貸さずぶちぶちと血管や神経がちぎれる音を立てながら尻尾を食いちぎった。

「ﾁﾞｨｨｨ!」
「ちびぃぃぃぃ！」

激痛のあまり絶叫するちびたぬきを親たぬきはただ見下ろしていることしか出来ない。
飛び降りて助けようとすれば次は自分自身が同じ目に遭わされることは火を見るよりも明らかだったからだ。
たぬきもどきは親たぬきが降りてこないと見るとちびたぬきの足に噛みついて完全に動きを封じるといたぶるようにして補食を開始した。

「ﾔｧｧｧ!ﾀﾍﾞﾅｲﾃﾞｼﾞｨｨ!」
「ヴフ！」

ちびたぬきが自身の意思で動かせる四肢は残された片腕しかない。
足の先端を食らいながら徐々に腰へと向かって進むもどきの牙が生えた口を、ちびたぬきは恐怖と痛みからくる涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした顔で必死にやめるように懇願する。
だがもどきにとってちびたぬきの恐怖や絶望は御馳走を彩る鮮やかなスパイスでしかないのか、バカにしたかのように鼻を鳴らすと食事を続行する。

「ﾀﾇｰ…ﾀﾇｰ…ﾀ…ﾇ…ﾏ…ﾏ…ﾀｽｹ…ｼ…」

出血により意識が混濁してきたちびたぬきは最期まで母親に助けを求めながら気絶した。
たぬきの無駄な生命力により心臓はまだ動いているが脳の機能は停止し、血も巡らなくなっているので失血死が先かもどきに食われるのが先かの違いしかない。
むしろ最期の瞬間まで意識が明瞭であるよりかは幾分幸運であっただろう。
悲鳴や命乞いが聞こえなくなったのを認めたもどきはつまらなそうに鼻をならすとちびたぬきの頭を咥えて何処かへ走り去ってしまった。
住処に持ち帰りゆっくりと残りの部分を楽しむつもりなのだろう。
親たぬきは遠ざかっていくたぬきもどきの背中に手を伸ばすことしか出来なかった。


 
＊



ちびたぬきとの悲劇的な別れから一日、脱け殻のようになり残されたちびの片腕を握りしめ続けていた親たぬきはようやく立ち上がった。
腹の虫が鳴り、なにか食べなければ死ぬと思ったからだ。
だが塀の下に降りることは出来なった。
もどきがまだうろついているかもしれないし、ちびの作った血溜まりの近くを通る度胸もなかったのである。
塀の穴の反対側、すなわち民家の方へと行くしかなかった。

「あ…あれは…し…」

塀から民家側へと降りた親たぬきの目の前に広がったのは落ち葉で覆われたこじんまりとした庭と、その真ん中に立つ一本の柿の木だった。
枝の下にはオレンジ色の立派な柿が実を付けており、そろそろ収穫であることを伺わせる。
そして何より、地面には一足先に熟して落ちたと思われる真っ赤に熟れた柿が幾つか落ちていたのだ。

「美味しそうだし…たぬっ…し…」

ちびを失ったことは何よりも悲しいが、食べなければ生きてはいけない。
親たぬきは目の前に降って湧いた幸運が一足先に旅立ったちびたぬきからの贈り物だとそう自然に思えた。
世の中に起こるあらゆる事象を自身にとって有利なものであると勝手に思い込む度を超えた楽観視、頭たぬきと呼ばれる思考である。

「ちびがたぬきに生きろと言ってるし…分かったし…ママ頑張るし…またちびに会うまで死ぬわけにはいかないし…」

口の周りを柿の果肉や果汁でベタベタにしながら、天然の甘味を味わった親たぬきは幾分か元気を取り戻した。
憔悴しきった瞳に再び生気が満ち、内包していた血を出しきって萎び始めたちびたぬきの片腕を握りしめ立ち上がる。

「たぬきは諦めないし…ちび…見てるし…」

親たぬきはちびたぬきがどのようにして産まれるか知っている。
リポップで復活することの出来る勲章持ちたぬき以外の全てのたぬきは母なるたぬ木に実ったたぬ木の実から産まれてくるのだ。
そしてたぬ木を増やす方法は二つ。
一つはたぬ木の実を木の根の辺りに埋めること。
もう一つはたぬきの肉体そのものを贄として木の根元に埋めることだ。
埋めるたぬきは死んでいても生きていても良い。

「ちび…この木で新しいちびに生まれ変わるし…」

親たぬきは柿の木の根元を転がっていた小石でせっせと掘り返してそこにちびたぬきの腕を埋めた。
今生の別れに枯れたと思っていた親たぬきの涙腺から一滴の涙が滴る。
もちもちの手でそれをごしごしと拭き取った彼女は再び塀の通気穴へと戻っていった。
普通の植物がたぬ木の汚染を受けるのに大体一週間、既に実っている柿の内にちびたぬきが宿るには十分な時間だ。
親たぬきはその時が来るまで、柿を食べて飢えをしのぎながら待つ算段であった。



＊



民家の庭に生えた大きな柿の木に実った赤く熟れた柿。
その中に、地面に埋められたちびの腕を経由して新たな命が産まれようとしていた。

(ｷｭ…)

柿の種を中心としてそれを入れ換えるように心臓が、脳が、骨格が、内蔵が一日おきに機能する肉体として形成されていく。
最期にたぬきの象徴とも言うべきこの世の全てが気に入らないといった風なしょんぼりと閉じられた目蓋と不機嫌そうにへの字に折れ曲がった口のある顔が出来上がった。
柿の中に宿りたぬきとして産まれた柿ちびたぬきの最初の思考は甘く、暖かいという周囲の感覚だ。
この個体に限らず宿りたぬきはたぬ木に実る緑か茶色のたぬ木の実から産まれる個体よりも多くの栄養を得て産まれてくる。
そのため大抵は実を食い破って出てくる段階で毛皮服を備えているし、目もすぐに開くため親たぬきをそうであると認識することも早いのだ。

(あま…し…)

個体差にもよるが宿りたぬきは精神の成熟も早い。
自身の感じている感覚を言語としてまだ未成熟な脳内で反芻している。
食欲という原始的な欲求に突き動かされるがままに柿ちびたぬきはもぞもぞと出来上がりかけの手足を動かそうとしていた。

(…ま…ま…)

食欲の次に首をもたげたたぬきの欲求は同族との触れあいだ。
とにかく死にやすいちびたぬきは本能的に同族からの庇護を求めており、成体のたぬきとのもちもちや同じくらいの大きさのちびたぬきとたぬき玉を作りたいという欲求がある。
柿の栄養を吸収して通常よりも早く成長している柿ちびたぬきには既にこの欲求が生じていた。

(あっち…あかるい…し…)

目蓋は閉じられたままであるが、柿の木に燦々と降り注ぐ陽光はちびたぬきにとっての誕生するための導きだ。
明るい方向に向かって身じろぎをするように身体を動かし続けていれば、やがてその振動で木の実は地面に落ちる。
皮や果肉がクッションとなってちびたぬき本体は保護され、割れた皮から外へと脱出して親となってくれる成体のたぬきを求めて甲高い鳴き声をあげる。
これが宿りたぬきの誕生までのプロセスである。
だがそれが果たされることはなかった。

「よし、これで良い筈だ。」

柿ちびたぬきが始めて聞く外界の音。
それは親たぬきの優しい声ではなく、人間の男の低い声だった。

(こえ…する…し…)

まだまだ思考すら覚束ない柿ちびたぬきであるが、その本能は既に機能を開始している。
外界からの刺激に向かって進めば良い、という至極単純な本能である。

(ま…ま…たぬき…ここ…し…)

まだ柿ちびたぬきの声帯は完成していない。
言葉を話すことはおろかキューキューという鳴き声を発することも出来ないが、それでも彼女はそとの世界に待ち受ける優しい親たぬきとの暖かい抱擁を求めてもぞもぞと未完成の身体を動かしていった。

(……し？)

日が落ち、明るさが無くなった辺りで彼女は己の肉体に違和感を感じた。
先ほどまで元気に動いていた筈の両腕が何故かぎこちない動きしか出来なくなっているのだ。

(て…うご…ないし…)

柿の木の根元に刺されたたぬ木防止剤が根を通して吸収され、枝に実ったちび入りの柿にもその成分が届いたのである。
たぬ木防止剤の効能はただ一つ。
植物のたぬ木化を抑制することだけである。
このたぬ木防止剤を通常のたぬきに飲ませても喉を潤すだけで一抹の痛痒を与えることも出来ない。
だが実に宿った宿りたぬきを抹殺するにはたったそれだけで必要十分なのである。

(あし…うごか…ない…し…)

宿りたぬきは誕生するまで実の内で成長し続ける。
ちびたぬきという設計図を次々と更新しながら身体の建て増しを続けていくのだ。
たぬ木防止剤はこの建て増し作業にストップをかける。
こうなれば宿りたぬきは動くことも出来なくなり、実の中で腐るだけだ。
仮にこの時に宿った実が地面に落ちても自力で脱出することは不可能となり餓死か窒息死かの二択となる。
落ちた瞬間に親たぬきが保護したとしても、成長は止まっているので実から出ても身体は未完成なままだ。
成長も出来ない未成熟たぬきを育てようという親たぬきはいない。

(しっぽ…も…うごかせ…な…し…)

脳の成長も止まるため精神も停滞する。
輝かしいたぬ生に向けてすくすくと育っていた柿ちびたぬきの思考は動けない、という事実確認のまま先に進むことなくぐるぐるとループを繰り返していた。

(ま…ま…たすけ…し…)

柿ちびたぬきの最期の思考は親となってくれるはずの成体のたぬきへと助けを求めるものであった。
だがすぐ近くの塀の通気穴で待機している親たぬきは実が落ちる瞬間をこそ待っている。
結局産まれることの出来なかった柿ちびたぬきは誰にも看取られことは愚か認識されることもなく、腐りかけて赤くなった柿の中で冷たい未完成な肉片へと成り下がっていった。



＊



ちびたぬきが柿の中で産まれ、そして死んでいったことなど知らない親たぬきはちびたぬきとの再開にわくわくと胸を躍らせながら柿が落ちるのを待っていた。
時折風が吹いているわけでもないのにゆさゆさと動いていたことから、中にちびたぬきが宿っていることは理解していた。
見つからないように静かに拾い上げた柿を齧りながらまだかまだかと待っていたのだ。
そして遂にその時が来た。

「あ…そろそろだし…」

風に煽られ柿がぷらぷらと左右に揺れる。
大きさといい揺れ幅といい、あと少しで落ちてくるに違いない。
そう確信した親たぬきは通気穴からぴょいと飛び降りてもちもちの身体を活かして軟着地をすると木の根元でじっと待った。

「むっ…来るし…！」

一際強い風が一陣吹きすさび、空気の流れで柿の実った枝が大きくしなった。
それは柿のヘタの強度を越え、熟した実を地面に落としたのである。

「ちび…！」

地面に落ちると同時に親たぬきは柿に飛び付いた。
この場所は人間の住処の真横、何時までも居て良いことがあるはずもない。
熟して割れやすくなった柿を崩してしまわないように慎重に抱えた親たぬきは塀までなんとか運んでいった。
だがここで別の問題が発生する。

「上には持っていけないし…」

一応の安全地帯である通気穴へはブロック一段分の高さがある。
親たぬきだけならばジャンプしてよじ登ることは可能だ。
だが崩れやすいちび入りの柿を抱えたままジャンプしても届かないことは明らかだった。
悩んだ末に親たぬきは少なくともちびが柿から出てくるまでは目立たないように隠れ過ごすしかないと結論付ける。

「仕方ないし…ちびが産まれるまでの辛抱だし…」

今度こそ愛するちびを守り抜く。
固い決意と共にもちもちの手をぎゅっと握りしめた親たぬきは地面に大量にある落ち葉を集め始めた。
ここで一番気を付けないといけないことは人間との接触だ。
落ち葉をうず高く積んで人間の気配がしたら飛び込むための避難所を拵えておけば、安全な通気穴以外でも生きていける。




＊



親たぬきがちびの死体入り柿を確保してから２日が経った。
幸いなことに地面に落ちている柿は結構な数があり食うに困ることはない。
危惧していた人間との接触もこれまで一度もなかった。
たまに人間が柿を木からとっていくことはあったが、そういう時は必ず戸が開くがらがらという大きな音がするため親たぬきはその時は落ち葉のなかに潜り込んで難を逃れていたのだ。

「ここでちびを育てることは出来そうにないし…」

親たぬきの心配は既にちびたぬきが産まれた後の事に及んでいた。
成長し色々と心得たたぬきである彼女であるからこそ人間に見つからないギリギリの生活が出来ているが、まっさらな状態で産まれてくるちびには学びを得る時間はない。 
夜鳴きやうどんダンスをしている間に人間に見つかってしまえばどんな扱いを受けるか分かったものではない。
これまでさまざまな悲劇に見舞われてきた親たぬきは多少頭たぬきな思考が抜けており、人間が無条件にちびや自分を可愛がるわけがないと分かっていたのだ。

「人間は欲張りだし…」

親たぬきは口惜しそうに柿の木を見上げる。
こんなに豊かに実った柿を人間はたぬきに分けようともせずコンクリートの塀で囲んで独り占めにしている。
ちびの入った柿も人間に見つかれば奪われてしまうだろう。
それだけは避けるために今まで隠れ潜んでいたのだ。
人間さえいなくなれば、あるいはほんの少しでも分けてくれたらもっと楽ができたのに…
親たぬきはちびの誕生と共にこの仮の住処を離れなければならないことを心から惜しんだ。

「ちび…早く産まれてくるし…」

二重の意味で早くちびに産まれて欲しい親たぬきはもちりもちりと熟して柔らかくなった柿の皮を撫でて誕生を促す。
だがそのわずか数ミリ先の内部では死んだちびたぬきの未完成の死骸が腐敗を始めつつあった。

「ぺろぺろし…ぺろ…ぺろ…し…」

落下の衝撃で破れた皮の隙間からはきつい匂いのする果汁が垂れ始めている。
親たぬきは吐き気をこらえながらこれを丁寧に舐めとっていた。
たぬきの有する知識の内に怪我の治療に有効なものはない。
せいぜいが傷口を舐めて外見だけでも綺麗にするか、気休めにもちもちをする位である。

「うぶっ…げぇっ…し…」

えづきながらも親たぬきは丁寧に舐めとっていく。
だが漂い始めた腐臭についてはどうにもならない。
周囲には時折羽音をならしながらハエが飛び始めていた。

「また来たし…たぬきのちびは渡さないし…」

飛び回るハエを手足や尻尾を振り回して追い払い、人の気配がすれば落ち葉に身を伏して隠れる。
そんな日々が続けば疲労でうつらうつらと船を漕ぐことも多くなってくるものだ。
ハエにはそれだけの時間があれば十分なのである。

「あー！たぬきのちびになにするし！」

羽音で意識を覚醒させ、飛び起きた親たぬきが柿にとまったハエを追い払う僅の間にハエは卵を産み付けていたのである。
腐った柿の内側は熟しすぎてぐずぐずになった果肉と水子となったちびたぬきの死骸が詰まっている。
ハエにとって最高の苗床と言えた。

「しぃぃ…しぃぃ…油断も隙もあったもんじゃないし…」

飛び去るハエを睨みながら額に浮かんだ汗をぬぐう親たぬき。
知らぬということは時として幸運である。
今の彼女の脳内には今回はちびを守れたという満足感と達成感に満ちていたのだ。
始まる前から終わっている命を暖めていることを除けば親たぬきはその役割を立派に果たしていると言って良い。

「負けないし…今度こそたぬきが…ママがちびを守って見せるし…だからちび…安心して産まれてくるし…」

決意と慈愛に満ちた親たぬきは愛おしげに柿を撫でる。
その中では産み付けられたハエの卵がすくすくと成長しつつあった。



＊


腐れた柿を撫で擦り舐めて綺麗にし、人間との接触を避けなが暮らすこと三日。
腐臭を漂わせながら柿の皮を割り、内側から這い出してきたのは一匹の丸々と太ったウジ虫であった。
とっくに死んでいたちびたぬきの死骸をたっぷりと貪り栄養をつけたこの虫の幼虫はより良い栄養素を求めて腐敗した柿の内側から這い出してきたのだ。

「ちび…やっと、やっとまた会えたし…ママが分かるし…？」 

おぞましい事に親たぬきは這い出してきたウジ虫を自分のちびであると認識しているようであった。
正常なたぬきなら十匹中全てがこれはちびではないと結論を下すような相手を抱擁している。
親たぬきはとうの昔に狂っていたのだ。

「うっ…うぅっ…ちび…ちびぃ…！会いたかったし…ずっとずっと待ってたし…！」

感極まった親たぬきは涙を流しながら腐敗した果肉を全身に纏わりつかせたウジ虫を抱き締め、その背中を撫で擦り親子の抱擁を続けている。
だが知性なく本能に従い生存活動を行うウジ虫にとって目の前のたぬきはこれまで貪ってきた死骸となにも変わらないただの餌だ。
その上都合のよいことに逃げようともせず間近で動かない。
獲物を見定めたウジ虫はうねうねと身体を揺らしたかと思うと、鉤状の牙の生えた口で親たぬきのもちもちの頬をとらえる。

「あうっ…痛いしちび…ふふ…し…とんだ腕白たぬきだし…」

まだ牙が突き刺さっていないためか親たぬきは余裕の表情だ。
だが目の前の物体が良質な餌であることを認識したウジ虫は躊躇うことなくそのもちもちぷるぷると油分を多く含んだ頬に牙を食い込ませたのである。
つぷ…ともちもちの肌の上に赤い血の玉が浮かんだ。

「え…し…？」

文字通りの刺すような痛みを感じて親たぬきは手で頬を拭った。
開いてみた手のひらには真っ赤な血がベッタリと付着している。

「ち、ちび…？それはもちもちじゃないし…たぬき同士が気持ち良くならないもちもちはしちゃダメなんだし…」

親たぬきはちびたぬきと思い込むウジ虫からの突然の仕打ちに困惑しつつも親としてちびを教育するため正しいもちもちのやり方を教えてやろうとする。

「ほら、ママがお手本を見せてあげるし…だから一旦離れるし…」

ウジ虫に言葉が通じるはずもない。
頬にかじりつく力が更に強くなるにつれて血もポタポタと地面に円を作り、流石の親たぬきも危機感を感じた。

「やめるしちび！ママはご飯じゃないし…だぬっ！？」

食いついたウジ虫を必死の思いで引き離した親たぬきは、次に足に同様の痛みが襲いかかってきたことに驚いて声をあげた。
見れば別のウジ虫がたぬきの柔らかい足にがっつり食いついている。

「な、な、ちびがいっぱいいるし…！？ 」

一つのたぬ木の実から産まれるちびは一匹だけ。そのたぬきの常識から外れた光景に親たぬきは腰を抜かした。
ハエは一度の産卵で五十から百五十ほどの数の卵を対象に産み付ける。
その全てがつつがなく孵化するわけではないが、親たぬきの献身的な柿への世話も相まって内部は適温が保たれ理想的な孵化環境になっていたのだ。
最初の一匹を皮切りに次から次へとより栄養価の高い餌を求めてウジ虫が柿から這い出してきていた。

「ちび達、聞くし…たぬきはご飯じゃないし…仲間だし…もちもちしたりうどんダンスを一緒に踊ったりするんだし…噛みついたりしちゃダメだし…」

親たぬきの必死の説得も虚しくウジ虫はすぐにたぬきの全身を貪り始めた。
皮膚を食い破って筋肉や内蔵に入り込み更に貪っていく。
それはもどきがたぬきを補食する際の手順にも似ていた。
足を食われた親たぬきは抵抗らしい抵抗も出来なかった。
本能によるじたばたをしても、皮膚下に頭を食い込ませたウジ虫を取り払うことは出来なかったのである。

「ダヌ…ちび…どうしてだし…ママだし…」

全身を刺すような激痛が襲うなか、親たぬきはぼんやりとした顔を血に染めながらふと空を眺めた。
筋肉や脳からの指令を伝達する神経が食われ、もうそのくらいしか出来なくなっていたのだ。

(痛いし…たぬきのちび…悪い子になっちゃったし…どうしてだし…)

今日の天候は快晴、雲一つない青空だ。
朦朧とする意識のなか、親たぬきはそこに愛するちびたぬきの姿を幻視した。

(あ…ちびだし…たぬきのかわいいちび…いいこのちび…)

徐々に食われながら親たぬきの脳内をちびたぬきとの楽しかった思い出の数々が去来する。
たぬ木の実を暖めて産まれてきたちびを抱いたこと。
よちよち歩きから頑張って立てるようになったこと。
始めて話した言葉が「ママ」だったことは親たぬきの脳に鮮明に焼き付いている。
うどんダンスの練習も一緒にして、もう少しで踊りも完璧になるところだった。

(ちび…どうしてしんじゃったんだし…)

思い返していけば死別の瞬間に思いを致さない訳にはいかなかった。
親たぬきの手元に残ったのはちびの片腕だけ。
残りはもどきに捕らえられ、いたぶるようにして食われてしまった。

(これは…罰なんだし…ちびをまもれなかったから、うまれかわったちびがたぬきを食べてるんだし…)

ウジ虫は順調にたぬきを食い進めていた。
既に両足は骨だけになり両腕も動かない。
お腹の中では何かが動き回る嫌な感覚がして神経を苛んでいる。
しょんぼりと閉じられた目蓋から一粒の涙を流し、親たぬきは死に行く自身の運命を受け入れていた。

(ちび…ママを食べるし…いっぱい食べて…大きくなるし…)

親たぬきが最期の思考をしながら見たのは、顔まで這い上がっていたウジ虫の鉤状の牙が生えた口が目に向かって近づいてくるところだった。
痛みと共に視界は真っ赤に染まり、青いはずの空は赤く見え幻視していたちびたぬきの顔も血にまみれた死に際の姿を思い起こさせる。
目を食べつくしたウジ虫はそのまま眼窩を通してたぬきの脳内に侵入した。

(ぢび…ぢび…ぢ…)

最期に残された思考すらままならなくなり、親たぬきの意識はちびを求める虚しい思考を繰り返しながら闇へと落ちていった。



＊



一週間後、民家の庭に数匹の丸々太ったハエが飛んでいた。
赤黒い血にまみれたそれらの害虫は元が何であったかすら判別不能なまでに食い荒らされ腐敗した肉の塊の上を弧を描くように飛ぶと、次なる獲物の匂いに惹かれて民家に向けて飛び立った。
目標は抗いがたい匂いを発する茶色の紙。
ハエ取り紙と呼ばれる古典的な駆除用の罠に飛び込んだハエ達は高い粘着性を持つテープだ。
最近ハエが良く飛ぶようになり、急拵えの対策で男性が軒先に垂らしたものだった。
たぬきを餌として太ったハエ達は、餌だと思い込みテープにからめとられ逃れようとじたばたと羽や手足を動かしていたがやがて動かなくなった。
翌日、男性は張り付いた死体の数々に顔をしかめ、更に庭に漂う腐敗臭に飛び上がった。
マスクを付けて庭に積もった落ち葉を掃いて綺麗にしたところ、ブロック塀の端の方に腐れた肉の塊、恐らくはあのとき見たたぬきのなれの果てを見つけた男性は火ばさみでそれを掴むとごみ袋に放り込むのだった。
それ以降、ハエもたぬきも姿を見せなくなり実った柿も普段どおりの姿を取り戻している。
たぬ木防止剤の効果の高さに男性は悪臭に顔をしかめながらも頷くのだった。